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 スピルバーグ作品「リンカーン」を見た。イオン亀田のワーナーに行ったのは、時間帯が6時10分からの部ということで帰りの時間が丁度良かったからだ。物語は猛烈な白兵戦シーンから始まる。南北戦争はアメリカ合衆国建国以来最も死者の多かった戦争であった。60万人が戦死した。この映画を見て、昔世界史の授業で習った南北戦争を思い出した。冒頭で兵士達の語るリンカーンのゲティスバーグ演説。これはアメリカ人が皆暗唱させられる。映画の配役はともかく、時代考証がきちんとした感じなのはさすがにスピルバーグである。そのせいか、リンカーンの顎鬚はじめ、やたらにひげ親父が多い。色んな髭があって、まるで髯ファッションショウの感があった。
 
 南北戦争は何故勃発したのか。産業革命の影響で、急速に工業化が進んだ北部と大規模プランテーション農業の南部諸州の対立であった。綿花の輸出を基盤とする南部は自由貿易、当時ヨーロッパの優れた工業製品を警戒した北部は保護貿易論であった。でも実は北部の議員にも奴隷解放を反対する議員は多かった。開戦の理由はは歴史の闇のなかにあり研究テーマである。当時の高校の歴史授業はマルクス史観の影響が強かった。全てが政治と経済によって説明された。奴隷解放宣言は、あくまで、北部側が奴隷解放を黒人に呼びかけ、南部を弱体化するため、黒人を味方につけるための戦略、アメリカという国の合理主義と政治家リンカーンの狡さを印象づけるものだった。確かにそのような側面はあっただろう。でもリンカーンは奴隷解放論者で彼が大統領になったとき戦争の危険は頂点に達した。教科書では大統領としてのリーダーシップや人権、黒人や弱者へのヒューマニズムを排除していた。現実を科学で説明しきれるものではない。もし、ヒットラーがこの世にいなかったら、スターリン、毛沢東がいなかったら歴史は変っていたに違いない。リーダーの重みをどう説明するのか。この映画は政治の世界という極めて泥臭い姿を描くことで、社会科学の背後にある決定要因を見事に説明している。まさに映画の力。しかし、大半が議会とホワイトハウスの人間劇であるせいか、客の入りはパラパラであった。真面目な作品は大衆には愛されない。それと同時にアメリカ人にとっては極めて愛国的、教育的な映像であった。今この作品を世に出す何らかの国家意志をも感じさせる。
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 この映画は、リンカーンの人間味豊かなエピソードや、正義感、家族愛などを中心に展開する。そして目的を達成するまでの粘り強い戦いと、政治家としての権謀術策を描き出し、単なる理想主義者ではない、複雑な政治家としての冷徹な側面も描いている。捕らえどころのない巨人だからこそ、世界を変える事が出来た。日本の西郷隆盛もまさにそのような人物だったと思う。しかし、その家族は普通の人間である。当時は大統領夫人も家庭の主婦でなければならなかった。サリーフィールド演じるリンカーン夫人も歴史に翻弄された人であった。アメリカでは彼女の評判は芳しくない。大統領夫人としては悪妻の部類であった。彼女の苦しみ、特に夫の大統領という職務のために、チフスの息子の死に立ち会えず、ノイローゼ気味になったこと、さらにホワイトハウスの改造や、パーティ、さらに衣装などで国費を浪費したことへの国民の批判が後世にも語り伝えられた。そんな汚名を晴らすように、彼女の苦悩をサリーフィールドは見事に演じた。最後に奴隷解放を確実にする合衆国憲法13条修正を下院が議決し、それが戦争を終結させる前になされるよう、そして、早く戦争を終わらせることが同時に求められた。戦争は始めるより終わらせることが難しい。先に戦争が終われば憲法修正の意欲は減退する。リンカーンの妻は出征中の愛する息子を救うという個人的な願いも果たせると踏んで大統領の夫に発破を掛ける。まさに猛妻ぶりを発揮する。議会工作の日程と戦争の進行が緊迫しつつ、終戦に近づいていた。そのスリルは実は作品ではあまり伝わってこない。本物を知っている訳ではないが、リンカーンとその夫人のパーソナリティはまるで生き写しという感じであった。

リンカーンを演じたダニエルTルイスはこれでアカデミー男優賞を取った。下院での反対派を抑えるためのロビースト達のえげつない策略も描かれている。もし、南部の代表が和平交渉に来れば、議会は戦争の終結を確信して、人種差別を禁じる憲法修正を認めなかっただろう。当時も人間は平等であることを推進する理想主義者もいた。法の下に平等であるという解釈で議会の反対派を抑える有力議員はトミーリージョーンズが演じていた。
 今、我が国では憲法の改正を画策する動きが急である。是非改憲論者にこの映画を見てもらいたい。国の根幹を変える憲法の改正はどれだけ大変なことか。それを動かす政治と流血の戦争という大きな犠牲の下に憲法と国家は変わっていく。我が国の憲法を変えるということがどんな重みのあることか、現行憲法の成立に先立ち、第二次世界大戦という大きな犠牲があったことを安部とか、石原はどれだけ理解しているのだろうか。


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by katoujun2549 | 2013-06-16 22:52 | Comments(0)
 憲法記念日において改憲論議が高まっていた。安倍政権はこれで歴史に名を残したいのか。麻生太郎の靖国神社参拝から始まりこの政権の実情を見て取れる。三ばか体制の頭の悪さである。何で59条を改正するんだ。三分の二のハードルはそんなに高くはない。憲法改正が過半数で決められてたまるか。憲法の重さを分かっていない。何でオーム真理教事件を防止するために憲法を改正しなければならないのか。現行の破壊活動防止法の適用にもたついただけではないか。ちょっとした政策の間違いが大きな歴史の転換を招いた例が配属将校の学校配備である。戦前の教育体制を大きく変えたのが、将校の学校配備であったことをだれも声を上げていないのはなぜであろうか。
 日本が70年前、戦時体制一色になっていった原因の一つに教育がある。政府の戦争指導体制に教育が大きく関わってきた。これは教師の責任であるかのような自己批判もあり、戦後は彼らが180度民主主義の旗振り役に転じたことはしばしば批判されている。しかし、教師の責としてその国家メカニズムにいかに組み込まれたかを考えないのは片手落ちである。彼らがなぜ戦争を肯定する教育を積極的に行ったのかである。当時の教養人であった学校教師がいとも簡単に鬼畜米英と天皇の神格化を子供達に教え込む事になったのかである。学校教育に軍が関与し始めた大きなきっかけは軍事教練と退役軍人の学校配置ー配属将校制度の成立であろう。これが国民総動員という国家体制に大きく貢献した。ドイツのヒトラーユーゲントのような団体的な集団ではなく学校全体を戦時体制教育に巻き込んだきっかけである。学校というコミュニティを通じて相互監視の仕組みが出来上がる。町の中では隣組や町内会が機能した。国家総動員体制をコミュニティに浸透させていった。配属将校に睨まれると教師自身も将来の軍への召集など、子供達のみならず、不利益を被ることになった。訓練中にウッカリ銃を落としたとか、つまらないことで睨まれた例もある。将来の不安を利用し、国家権力は学校に大きな影響を与えるようになった。軍事教練のみならず、反抗的な教師や学生は軍隊に入隊後、様々な不利益を被ることになった。これは一種の恐怖政治であった。
http://www.c20.jp/p/ukazusig.html
大正末期の軍縮による4個師団の廃止により余剰の現役将校2500名がリストラされた。その他2000名以上が現役将校学校配属令によって隊付をはなれ中等以上の学校に軍事教練教官として配属された。配属将校というと旧制中学生に自ら手取り足取りして教練のイロハから教えることがイメージされ雑用が多く、左遷配置と思われがちである。実際はどうだったのか。戦前の体制や我が国の敗戦とあの軍事国家の批判ができない政権が憲法を改正するのはどうも違和感を覚える。

1925年宇垣一成主導で現役将校の公立中等学校以上の学校に配置が始まった。どうも実際に教練を教えるのは学校に雇われていた予後備退役の佐尉官、准士官、下士官教師たちが主。従って配属将校の役割は生徒の軍事訓練の考課表を作成する事と、課目としての教練の総活管理が主たる任務ではなかった。配属将校の学校内の地位は校長の下、教頭の上。配属将校は将来の予備役将校・下士官の養成を通じて民間一般への軍事思想の普及、陸軍へのシンパシーを醸成するのが公的任務。ところが受け入れる学校側は特に初期には現役将校を学校に迎えるについては学校側で難色を示したところもあった。学校教練が開始される以前より兵式体操という課目で予後備退役の佐尉官、准士官、下士官たち、すなわち在郷軍人教師による軍事教練を既に実施している学校が多かった。その教師と同等視されることによりイメージの低下につながっていたのかもしれない。しかし、学生の側からは軍事教練で好成績だと軍隊に入った場合の特典、幹部候補生への道や訓練期間の短縮などのメリットがあった。反対に終了証書がない場合は様々な差別を受けたから、純朴な学生は必死になって教練に励んだ。そんな環境を無視して、あの時代の教師はけしからん、さらに、敗戦後急に民主化教育で旗を振るとはといわれるが、だれでも国家権力が猛威をふるっているときに抵抗するのは難しい。

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