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4月18日(木)如水会館で剣道部のOB会が開催された。47年卒業の自分たちが幹事になって3年下の代までをメンバーに懇親会を行った。同期の仲間とは毎月のように集まるのだが、後輩や先輩たちにはなかなかお目にかかることが少ない。小松崎先輩の提案で4学年が毎年1年ずつづらしつつ一番上の学年が幹事になって年1回会合する企画で今年で13回目になる。卒業以来初めてお目にかかるOBもいて懐かしい集いとなった。来年は48年が幹事になり、51年までを集めた会を行う。当時、剣道は中学校の体育に取り入れられたり、赤胴鈴之助というTVドラマと漫画が人気だった。同期は27人が入部した。ところが90%が初心者で皆防具を持っていない。防具の数になるまで猛練習が行われ1年で半数になってしまった。さらに翌年の学園紛争で部活に疑問を持ち退部するものが続き、卒業時は11
人に減った。試合もなかなか勝てずに苦労した代だったが、団結心は強かった。そんな時に師範の交代があり、中倉先生が1月から着任となった。先生は週に2~3回稽古に来られ貴重な体験となった。内藤や自分が七段を取り、稽古を今でも続けるきっかけとなった。
by katoujun2549 | 2019-04-26 09:17 | Comments(0)
自分の信仰の原点       加藤順

1972年大学卒業の直前、国立教会の宍戸牧師に導かれ、信仰告白した。就職後、市川の実家に帰ったので父が長老を務める牛込払方町教会に転会した。幼児洗礼は祖父が牧師をしていた福岡県田川市の日本キリスト教団田川教会であった。牛込に幼児のころ両親と最初に訪れた時の記憶は今も残っている。入試に失敗し、浪人をしていたとき、東神大の北森先生の講演に来ないかと父に誘われて久方ぶりに教会に行った。当時、小田兄と田坂兄、足立姉、青木さんご夫妻がおられた。東大の学生も磯、吉岡、篠原、鈴木、河野他6~7人いて独特の雰囲気だった。あの時から50年が過ぎたのだ。半世紀にわたる教会生活を原稿用紙4枚に書くのは自分の文章力では無理なので、あまり語ったことの無い信仰の出発点である祖父について書きたい。

 祖父米倉次吉は自分の信仰の出発点である。次吉が長崎の鎮西学院で洗礼を受けたのが1909年で、教師を勤めた後、2年後に関西学院の神学部に入学、伝道者としての道を目指した。彼はそこで出会った賀川豊彦の活動に参加した。神戸新川のスラムに入りイエス団という奉仕と伝道活動を行った賀川豊彦は関西学院の神学生だった祖父に影響を与え、その後の伝道活動の基盤となった。当時、祖父はイエス団を支え、スラム児童の世話に、また伝道によく奉仕した。イエス団は今日も社会福祉法人と学校法人として幼稚園、保育園など38の施設を持ち、神戸、大阪、京都など関西地区で活動している。その後、メソジスト教会牧師として九州各地を23年で巡回した。大分県臼杵で6年杵築では7年在任し、仏教王国の中で困難な農村伝道を行った。杵築は士族屋敷も残る封建的な土地であるが、山路を超え、徒歩で農村をまわり僻遠の地で「草の根」の信徒を訪ね、共に聖書を読み祈る伝道活動であった。農村神学校の活動も賀川氏の提唱する活動で、禁酒運動にも熱心であった。困難な中、田舎臭い祖父に導かれた人々と、家族の団結は彼の宝であった。祖父が受洗に導いた信徒は素晴らしい方がおられた。

 中でも、杵築中学で教鞭を取っていた澤正雄先生は祖父から導かれ、受洗した。彼はその後熊本の回春病院で救ライ活動で有名なエダ・ライト女史を支え、後に新宿高校、桜美林大で英語教師として活躍した。

祖父は1938年に福岡県直方、3年後に田川市と27年間炭坑町の牧師として奉職し、70才まで炭坑に働く人々の伝道活動に情熱を注いだ。祖父のひたむきな伝道への情熱には家族全体が軍隊の一小隊のように応援せざるを得なかった。交通も不便な時代で、どこへ行くのも徒歩であったから、祖父は根気良く賛美歌を詩吟にして歌いながら伝道した。母恭子はオルガニストとして女学校時代から礼拝を支え、母や他の姉妹も付属の幼稚園の先生になるべく、清和などのミッションスクールに行った。当時としては先進的な幼児教育を行っていた。長男の叔父、米倉充は九州大学の哲学科から、アメリカのドゥルー神学校に留学し、長崎の活水女学院や関西学院の教授を勤めた。79年に芥川賞を取った主婦作家、重兼房子さんも田川教会で祖父から受洗した。叔父も田川の実家に帰ると教会学校の教師もしていたから、まさに家中が祖父の伝道に巻き込まれていた。父が戦後復員し、三井鉱山の田川鉱業所に転勤し、祖父の教会に来るようになったが、その時母と結婚したのである。自分はその祖父の教会で昭和22年に生まれ、父の転勤で3才で上京し、千葉県市川市に住んだ。祖父が教団の仕事で上京して来たとき、高校生の時に九州に行くと、食事のときや、寝る前等普段は適当にやっていた自分に取って、いつも祈るよう要求された。困った記憶があるが、その体験が今の信仰生活にも生きている。父曰はこの田舎牧師の次吉をとても尊敬していた。だから、自分にとって聖職者はいつも貧乏で、世事に疎く、無私の存在で、クリスチャンというのは皆そのようになるもの、自分のような俗人は到底信仰生活は無理だと思っていた。自分にはそうした祖父のようなキリスト者は荷が重かった。

 自分は祖父の姿に疑問も持っていた。明治の男の特徴だろうか、妻や子供の迷惑は顧みない。大目標のためには祖父を支えた祖母やその家族は献身的に協力せざるを得なかったが、同時に田舎の炭坑町で戦争中の家族の苦難には無関心であった。戦争中に特高につきまとわれたこともある。祖母は牧師婦人として6人の家族と教会員の世話や雑務を支えたから、家族にとっては祖母は聖人であった。祖父は牧師という職業人ではあるが、善き家庭人ではなかっただろう。自分が信仰に入ったのは祖父のことから一歩距離を置くようになってからである。自分は生まれたときからイエス様の祝福を受けた幸いに長く気が付かなかった。

 田川教会には三井鉱山の幹部の家族も多く、田舎の社交クラブでもあったから、スマートな説教を望んでいる信者もいて、そうした信者の不満に悩んでいた。その万事につけて不器用ではあったし、都会の教会に招かれる事は無かった。叔父の充は次のような思い出を書いている。「いつも黙々と行動し、地味で目立つ事の無い人柄の彼は醇朴で正直な農村や鉱山の人々の間にいるときが最大の喜びであり、慰めであった。不思議な事にこのような人々から、いつも変わる事の無い尊敬と愛情を受けたが、これは田舎牧師の特権であり、天与の賜物であった。」祖父が牧師を引退した年齢に自分もなってしまった今日この頃である。父もそうであったが、信仰者として自分を見つめ直す時に思うのは祖父の思い出でである。



by katoujun2549 | 2019-04-13 23:45 | Comments(0)
昨日、4月10日BSNHKで久しぶりに西部劇、「弾丸を噛め」を見た。1975年作品。リチャードブルックス監督作品で出演がジーンハックマン、キャンディスバーゲン、ジェームスコバーンと懐かしい俳優が揃っている。そのために予定を変更して見てしまった。結構素晴らしい内容に驚いた。最近 西部劇を見なくなって久しい
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最後に見たのはケビンコスナーのダンス・ウイズ・ウルブスくらい。これは1991年作だからもう28年も前。最近は西部開拓のデカプリオ主演のレヴェナント蘇りし者2016年があったがこれは見ていない。西部劇というとインデアンと騎兵隊が定番だったが、アメリカでは開拓時代はインデアンをホロコーストしようとした犯罪的行為が明らかになり、国内ではインデアンが登場する映画は作られなくなった。人種差別問題になるのだろう。そのせいか、西部劇はめったに見られなくなった。この「弾丸を噛め」というのは妙な邦題だが、原題Bite the bullet を直訳したから馴染みのない題名になってしまった。この作品は1981年テレ朝の日曜映画劇場でもテレビ放映されている。あまり話題になっていなと思うが割と地味なストーリー展開だからかもしれない。インデアンも戦争も、保安官や騎兵隊も出ない。

西部劇の面白さは、アメリカの大自然の美しさ、過酷さの中で、繰り広げられるフロンティアスピリットだ。ガンプレイや馬の疾走も見もの。南北戦争が終わり、その生々しい記憶が残っている時代から、さらに米西戦争を経た20世紀初頭のアメリカ。既に大陸横断鉄道がかなり敷設されている。セオドアルーズベルトも話題に登場する。西部劇としては幌馬車とか、シェーンより後だろう。既にサクラメントまでの大陸横断鉄道は開通していた。

物語は1906年ウエスタンプレス新聞社が開催した2000万ドルの賞金をかけた西部横断レースが舞台である。このレースに参加した個性ある連中が味のある演技を見せている。乱暴に動物を扱う青年を演じたジャンマイケルビンセントが無名の頃だが光る個性を見せている。彼は2年前に亡くなった。キャンディスバーゲンは大女優だが、今はデブのおばさんのようだ。昔の生きの良いネーチャンぶりと美しい顔立ちが懐かしい。戦争のはらわたで印象の深いジェームスコバーンも故人となったがジーンハックマンは今も89歳でお元気。
リチャードブルックスは大監督で1992年に79歳で亡くなっている。十字砲火、熱いトタン屋根の猫、カラマーゾフの兄弟などの文芸者が得意。1985年ギャンブラーが最後の作品。これだけの名俳優が絶頂の時に揃ったのは彼ならではのことだろう。おかげでギャラだけでも相当だったろうし、大規模なロケでコストがかかりすぎとの評もある。しかし、アメリカの森林や砂漠、山の中で展開される野趣あふれる競争劇は見る者を飽きさせない。特に馬の好きは人は人馬一体となったレースの過酷さに目を奪われる。途中で力つきる馬、足を怪我して射殺される馬、砂漠を横断するため汗が塩となって馬の体が白く粉を吹く姿など臨場感があふれていて見る者を引き込む。
馬による横断レースという単純な物語に、男の友情、女の浅はかさ、囚人との戦いなど様々な意外な展開に物語に引き込まれる。最後にコバーンとハックマンの男の友情が素晴らしい結末として描かれ爽やかな終わり方であった。

by katoujun2549 | 2019-04-11 16:52 | Comments(0)