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ナポレオンはローマ法皇にキリストは実在の人か?と聞いた。法皇はナポレオン閣下が今実在されるのと同じように確かなことですと答えた。ローマ法皇も恐れぬ権力者の発言だ。しかし、当時の理性信仰が広まっていた、ヨーロッパでは、聖書の記述は信仰の世界であり、歴史的真実ではない。非科学的世界のことと思う人が知識人を中心に多くなった。これは19世紀には支配的な考えだった。ところが、イギリスを中心に植民地政策で、中東の支配が進み、考古学が科学的な影響から学問となり、ウルやウルクの発掘、エジプトの王家の墓が発掘されたり、聖書の世界がノアの洪水まで含めて、かなりの真実が証明され始めた。アラビアのロレンスもその発掘考古学者団の一員であった。エルサレムやガリラヤ湖の周囲のイエスキリストが伝道した諸都市も第一次、第二次大戦、中東戦争などを経て、発掘は遅れていた。第4次中東戦争以降、イエスが伝道したガリラヤ湖周囲の諸都市が発掘され、様々なことがわかってきた。死海文書の解読も行われ、バプテスマのヨハネなどは、エッセネ派の流れということも理解されてきた。イエスキリストがいた時代の生活環境などから、聖書の記述がかなりの事実であることを発見した。又、中には旧約聖書との整合によるこじつけ、後の世に書き加えたり、想像の産物だと見られる部分も明らかになってきた。興味深いのは後の世の名所旧跡や伝承より、聖書の記載の方が予想を越え、正確なことだ。イエスやマリア、ヨセフが実在した諸都市の記述から、イエスだけが存在しなかったことはあり得ないという


今月のナショナルジオグラフィックにその伝道旅行の真実性について特集が組まれた。キリスト教にとって、歴史的な真実かどうかは重要な要素である。それは、キリスト教の神は歴史的世界に現れ、人間に歴史の中でその権威や真理を伝えることが重要な軸となるからだ。旧約聖書も歴史の書である。エルサレムにはイエスが十字架につけられるまでに通った道や、神殿の跡などがあるが、考古学的に立証されたものではない。ところが、1970年以降発掘されたナザレの遺跡には、マリアやヨセフが暮らしていたと思われる住居跡が発掘されている。これらはかなり信憑性が高いものも含まれている。もちろん、イエスのエルサレム入り以降の足跡は新約聖書のハイライトだが、実際にイエスが歩いたのは推定で3年ほどの間ガリラヤ湖の周辺の小さな町々である。これらは何処にあったかはわかっていないものが多い。近年それらが発掘され、聖書に書かれているガリラヤでの伝道の足跡も明らかになってきた。ベテスダの池も修道院の下にあることが発掘された。最初の記述がイエスが育ったナザレの町である。生まれたのはベツレヘムであるとされ、そこには既に聖誕教会があり、毎年クリスマスには礼拝が行われる。観光名所にもなっているが、本当はその場所かどうかは立証されたわけでもない。ナザレには50戸ほどの集落でシナゴーグの跡もある。そこではガリラヤ湖で使う船なども作っていたから大工も住んでいた。そのうちの一人がヨセフだった。マリアが住んでいた家というのは、キリスト教の初期の頃、イエスの家として特定され、既にクリスチャンから礼拝の対象とされた跡が残っているのである。イエスがここで生まれたという説も有力だ。今のカトリックのマリア信仰よりずっと以前にマリアは崇められていたことが分かった。

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マリアの家の近くには、現在の地下聖堂(イエス傳育の杜)と呼ばれる建物群があるが、その地下の地層からは、沐浴場、地下洞、水槽、少し離れた場所にモザイクの敷石が発見されている。構造と様式から、イエスが幼少~青年時代に過ごしたとされるヨセフの家の伝承に良く合致する。マリアの家と同様に粗末な家は、地下洞に隣接していた。内部にはマリアに関する落書きなども見つかっている。

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ナザレは2つの渓谷に挟まれた、岩肌のゴツゴツする小さな山村と言えるだろう。住民はほとんどが職人か農夫で、オリーブ園やぶどう畑を営農し牧畜を営む農村地帯であり、ガリラヤ湖畔の喧騒とは無縁の土地でもあった。しかし、2世紀にはいると事情が一変してしまう。主イエスの出身地という事で、ユダヤ人キリスト教徒には広く良く知られた聖地となってしまう。ユリウス・アフリカヌスの『年代記』には、主の親族が住んでいると記されているし、2世紀の著述家でユダヤ人キリスト教徒のヘゲシップスも主の親族ユデ(ユダ)の子孫について記述している。ユデおよびその子孫は、ナザレで農夫として過ごし、ユダヤ人キリスト教徒とも暮らしていた。 ナザレ周辺にはイエスの一族が暮らしていた。


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by katoujun2549 | 2017-12-26 17:43 | Comments(0)


クリスマスの25日、スターウォーズをバルト9で見た。月曜日、65分の回は半分くらいの入り。1223日・24日の映画動員ランキング(興行通信社調べ)は、最新作『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が、土日2日間で動員45万人、興行収入69600万円をあげ2週連続1位を飾った。

152分と長い映画だった。しかし、退屈せず最後まで見きった。ルークスカイウオーカーのマークハミルもレーア姫キャリーフィッシャーもすっかり年を取っている。レーアの後指揮を執ったホルド中将役を演じたローラダーンはジュラシックパーク1、3作に植物学者役で出ていたが、これも婆さんになっていた。とにかく寿命の長いシリーズだから仕方がない。


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レーア姫 キャリーフィッシャー
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ローラダーン
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キャリーフィッシャーは1年前に亡くなり、エンドタイトルにin memory of CarryyFisherとあった。年の割には老け込んでいたのは薬中毒のせいだそうである。ハンソロは出なかったが、ハリソンフォードも87才だとか。帝国の逆襲が最高傑作と言われるが。当時の登場人物や。チュウバッカー、R2-D2C-3PO、ヨーダも出た。フォースの覚醒、ローグワンも見たから、今回はそれらを背景とした作品だから是非見たかった。予想を上回る出来。エピソード8という事だが、来年公開のエピソード9が最後という。フォースを軸に宇宙で繰り広げられる、まるでおとぎばなしだから、細かなことは言わずに、楽しめた。もちろん、真空の宇宙に放り込まれたら、あんな風にまともには戻れない。ダークサイドと共和国のレジスタンス軍の戦いなど、いくつかの伏線をまとめてドラマをまとめ上げた手法は凄い。レイの役を演じる女優、デイジーリドリーはグラマーでもなく美形でもないがぴったりの役柄である。彼女がルークの子供か、推測するのもこの映画の楽しみである。

スターウオーーズは結構ロケで舞台設定している。カジノのシーンはクロアチアのドブロニク、最後の戦闘のシーンはボリビアのウユニ塩湖、ルークスカイヲーカーの隠遁の地はアイルランドの世界遺産スケリックマイケル島だそうである。こんな風景を大画面で見ることも楽しみである。
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柳家小春さんは小唄のプロだが、中野の古民家カフェのモモガルテンで、JAZZコンサートを行った。志賀由美子さんのギターが伴奏だが、素晴らしい演奏だった。


バードランドから始まって

ミシェルルグランジャズ

you spring cold

skating in Central Park

smile

黄昏の街

星に願いを

ジョンレノンのHappy Christmas

など、大いに楽しませてくれた。

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スベトラーナアレクセイビッチのチェルノブイリの祈りについて、翻訳者の講演、バージナルと古楽器フルートの演奏、立川らく人さんの落語など、小さいが、趣きのある企画が、2ケ月に一度くらいある。家から1分のところだから気楽に行ける。そもそも、無名の新人やニッチなテーマだから、多いときでも40人くらいだが、内容は良い。入場料2000円でワンドリンク付き、食事も1000円のプレートがつく。




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クリスマスの祈り

在天の父なる神さま、クリスマスを祝う恵みを与えられますことを感謝します。あなたの一人子をこの世に賜り私達の罪を贖いくださいましたことを記念する良き日に兄弟姉妹と共に心から我が主イエスキリストの御名を賛美し、あなたの一人子、我らの主の十字架の苦しみと贖いによって私達が救いの中にあります事を感謝します。
 ご恩寵を覚えず、自らの罪を覚える愚かさ、罪深さを懺悔いたします。私達が与えられたこの世界がご計画によって作られ、貴方の栄光を表すものとして築く事ができますよう道をお示し下さい。世界は過去の教訓を忘れ、再び力と富こそが世界を主導するという誤った考えが蔓延しつつあります。愚かな核兵器によって力と力の恐怖によって世界を支配することは許されることではありません。
主が十字架によってお示しになられた愛と絆こそが力であり、新しい世界を導くものであると信じます。その事を証しし、聖霊の御力によって福音を伝える使命を果たす事ができますよう導いて下さい。 あなたの一人子のご降誕の奇跡とそこに示されたご計画を信仰をもって受け入れます。
 私達一人一人がクリスマスの喜びと感謝をもって、新しい年を迎えますように。「いと高きところに栄光神にあれ、地には平和が御心にかなう人にあれ」と福音にあるように、主と共に歩み続けます。どうかこの罪深き私達が多くの悲しみの中にある人びと共にあり、祈り、奉仕することを許して下さい。災害に遭われた方々の復興、あるいは、平和のために尽くす力を強めて、我が主の御心に適う良き働きを行う事ができますよう。
これから新しい年を迎えるにあたり、社会にあっても、又、個人生活においても様々な試練が待ち構える事と存じます。どうか私達が良き決断と目標を与えられますように。貴方の選びの中にあって問題を解決できるよう知恵をお与え下さい。クリスマスにあたり感謝と願いを貴き主イエスキリストの御名においてお祈りもうしあげます。

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12月17日日曜日、錦糸町の墨田区総合体育館で第28回学連OB剣友剣道大会が開催された。この大会は大学剣道部のOBを参加者とする剣道大会、実業人、教員、警察官など職業人の混成大会で、内容も8段の選手も混じるのでレベルも高い。決勝戦などは全日本クラス以上の試合を見る事ができる。

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1部決勝戦 日体大対国士舘大

年末の第2週、3週の日曜日にいつもは東京武道館で行われてきた。今年は珍しく墨田区スポーツセンターで開催された。年齢別に男子は1部から3部、女子とチームが編成され、今年は1部から3部まで国士舘大学が優勝し、層の厚さを感じさせた。女子は清和大学が優勝。
自分は一橋大三部で三人戦中堅出場。先鋒が負け、何としてでも負けられない。一本取りたい。対戦相手は防衛大学のO選手で上段。惜しい小手が右小手に当たるが、審判には見えない角度。上段にはもっと間合いに入って、打ち込ませ、打ち返す必要があると思う。上段や二刀には横面とか、逆胴、突きで攻めても良いのではないか。そうしないと正眼は二刀や上段の相手を崩す手立てが無い。東大の二刀が、国士舘から、散々横面をはられ、何時に無く防戦気味だった。なるほどと思った。圧巻は法政対国士舘の大将戦。上段の法政高橋に中段桜木。
見事に右小手と面で制圧し、対上段のお手本を見せてくれた。

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 日本は戦後、戦争の荒廃から見事に立ち直って20世紀末までに、経済大国となった。ところが、教育に関しては失敗の連続である。確かに近年もノーベル賞をとる人材がいるが受賞者の多くはむしろ戦前の教育の延長線上にあり、彼らが教えを受けた先生方は戦前の教育を受けている。あるいは、海外に留学して才能を伸ばしている人が多い。戦後の教育は大失敗ではなかったのか。個性ある創造力に富んだ人材を作れと政治家や経済界のお歴々は宣う。一向に生まれない。無い物ねだりとしか言いようがない。
 それは底辺の基礎学力のある人材が減少しているからである。創造性は無からは生まれない。昔は大卒は5%位の時代があった。明治時代の発展性は庶民の高い学力にあったと自分は思う。国語力などは昔の庶民の方があったのではないか。そのような親に育てられたてられた子供は学歴に関係なく立派な仕事をする。エリート教育と基盤の育成は両輪だ。いくら一部のエリートが立派な仕事をしても一般の国民がそれを生かす事ができなければ終わってしまう。確かに東大は優秀な人材集団だが、全体の底上げに貢献していない。
 
 今やテレビの美人アナウンサーに東大卒がゴロゴロいる。あたり前である。あのような創造性のない職業、決まった内容を正確無比に伝える言語能力で出世できる。しかし、社会の発展には全く貢献しない。会社をおこしたり、発明などしない。難関のアナウンサー試験に合格しただけの人である。それこそ東大の得意とする分野。
 教育の目的には国民の一定の知識が国力の維持に必要な水準ということがある。しかし、その方法においてはやはり限界が生まれている。戦前は富国強兵を目標に一部のエリートの育成を急務とし、多様な教育制度が出来上がった。ところが、これらは崩壊、東大を頂点とするピラミッド形の構造になった。これが幅広い人材の育成を阻んでいる。特に憂うべきは底辺層の地盤沈下。近年日本の底辺層の学力は著しく低下し、文盲に近い。彼らは今や漫画しか読めない。また、高度な学力を身につけた指導層を形成するためのいわゆるエリート層を蓄積する事も大切であるが、そこにおいてもあまり成功していない。とにかく思考力が無い。勿論、家庭教育や個人の努力によって達成されている部分は統計的に認識されていない。実は家庭教育の優れた影響を受けた人間が僅かながらエリートの基盤を維持しているのであり、学校はあまり貢献していない。一国の総理大臣が高校生並みの漢字読解力であることが国民に知れ渡る程である。多分彼は学校でしか勉強しなかったのだろう。
 日本語の教育に失敗しているのに英語で成功するはずがない。未だに This is a pen.とかやっている。中学3年までの英語なら1年で習得できるはず。確かに今のやり方では落ちこぼれ続出だが、これを起こさない研究がなされていない。頭の良い学生ばかりを集めた開成高校あたりでは中3で高校までの英語力をつけるので不可能なことではない。学力段階別の英語クラス編成をすれば良いのだ。これがなぜできないのだ。仕組み作りに難点があるし、教育に熱意がない。
 日本の学校教育は人間をいかに従順な、組織内で要領の良い人物を育てるかを最大の目標としている。戦争で戦える体力も無い。創造的な知力を持つ人間は育てない。芸術に例をとると、実に低レベルで、役にも立たない小学生だけに通用する笛だの太鼓しか教えない。何でギターとかバイオリン、ピアノ、オルガンが教えられないのであろうか。教える人がいないという理由だけで、最初からその気が無い。今、世界的に有名な交響楽団がベネズエラにある。ベネズエラ全国青少年管弦楽団は日本にも来て感銘を与えた。これはそのメンバーが皆スラムの住人で不良少年から更生したものばかりということだ。カラカスのガレージで11人の子供に音楽演奏を指導したことからスタートした。現在は国と民間からの財政支援の下に、25万人の児童・青少年が参加し、計210のオーケストラを擁する全国組織に発展している。財団は、2歳半以上の子供を公募、無償で楽器を与え、年齢や習得段階に応じて毎日訓練する。14歳以上の優秀な子供には、カラカスの「ベネズエラ全国青少年管弦楽団」のメンバーとなる道を用意し、住居から生活費まで提供する。日本は基本的に個人に帰属するものに教育の公費を投入しない。国民の50%が低所得層の国でもここまで出来る。
 昔、学校で国語のテストが平均点以下だから親身に心配したり怒ってくれた教師がいただろうか。英語の成績が良いから海外留学を人生の目標にするアドバイスをしてくれる教師がいただろうか。彼らが怒るのは、遅刻をしたり、教材を忘れたり、くだらない授業で眠くなった生徒を自分の教え方が悪い事を棚に上げて、腹いせで癇癪を起こす時ではないか。出欠を取らないと授業に出る生徒がいなくなる恐怖感が裏にはある。彼らは何でも丸暗記し、一定のテキストの知識内容を消化し、要領よくこなす事だけを求める。だから、受験が無かったら殆ど覚えないし、受験しか動機が無いから、これが終われば全て忘れてしまう。要は考える事をしない学生にとっては今のままでも、どうしたって成長なんてしないから何もしないのと同じだと言う事です。規律に従うとか、学校が要求することをこなす事が勉強だと思って東大や京大に入ってそのまま官僚や大企業で昇進していく事が日本の将来を約束するとは到底思えない。マジョリティを大切にして、金を使わなければ良くならない。日本の受験の頂点東京大学は官僚の養成学校としては定評があるが、世界に通用する日本の製品、文化のうち、彼らが作ったものがどれだけあるだろうか。カラオケ、マンガ、青色発色ダイオード、ファッション、これらの日本の偏差値の高い学校出身者がどれだけいるのか。あの学力の固まりのようなノーベル賞でも、世界のトップ校として東大は少ない。これからの日本を支える人材作りに国家が責任を持つべきである。

今の日本の教育は集団指導をもとに発展し、個人のニーズに対応していない。江戸時代の寺子屋は実質的には個人教育であった。5~6才の子供から12才くらいまでが一緒に学んでいた。年長が幼少の子供を教えることもあった。先生は逆さまの位置から書道の朱を入れたり、集団のなかで個別指導できた。富国強兵のためには効率が悪かったから、今の教育が悪いとは言えない。しかし、AIなどのソフトの発展においては、これでは追い付かない。日本は完璧にAIにおいては、アメリカ、ヨーロッパ、中国に二周遅れとなってしまった。これを挽回するには個人指導の徹底が日本の教育のかだいであろう。


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(形を学ぶ)
日本剣道形は全日本剣道連盟の段審査の課題となっているが、その為に形は審査のために稽古されることが多い。これは残念なことである。古流の形を原点としているが、七本と小太刀の3本は江戸時代の武士の生き残りの剣道指導者が丁寧に剣道の本質を残すために各流派の極意として残すべき技を基盤に作った様式である。目的として流派の壁を越え日本刀を使う剣道の本質を伝える意図を持った文化財である。

(形から竹刀剣道を考える)
竹刀剣道との関連を直接的に求めるものではない。竹刀剣道は相手を打ち、隙を狙い、技をかける、そして、試合や日頃の稽古の基本である。しかし、礼から始まる剣道の様式は形をベースとして形成されている。形こそ日本の剣道の原点である。竹刀は刀より軽い。そして、最大の利点は安全であることだ。日本刀は一旦降り下ろせば怪我をしたり致命傷になる。やり直しがきかない。竹刀は無駄打ちが可能。竹刀剣道は安全と引き換えに本当の切り合いではないからこそスポーツの一つにもなっている。竹刀剣道は日本刀の刀法とも違う。あくまでも、身体の運用と平常心の鍛錬である。日本刀では飛び込んで面を打てるだろうか。形では全てが打太刀に応じているではないか。
日本刀は左右の手を詰めて柄を握る方が使いやすい。手の内だけで振ることが出来る。重量と空気抵抗の無い刀身から、振る時の剣先の速度は竹刀より早い。
竹刀剣道には独自の発展性がある。打突部位が限定されている。正面からの面、小手、突きが基本である。かわす技は4本目くらいだ。この事が、かつての武士の時代の戦いとは違いをもたらす。例えば刀の斬り合いは袈裟切りが早く、正面の面を打つのは難しい。竹刀の稽古を意識した形である。しかし、剣道の原点を学ぶ意義は大きい。

(形の効用)
また、効用として、形の稽古は相手を尊重し、相手と合気になり、気持ちをひとつにする意義がある。そこで、相手を尊重する関係性が生まれる。竹刀剣道はどうしても攻撃性の衝突であり、相手を尊重する目的には叶わない。剣道仲間同士は互いに相手の剣道を批判する。竹刀剣道では相手の弱点をつくから当然だ。また、理合というものは地稽古では身につけることが難しい。むしろややゆっくりとした責め合いの稽古から発展させる必要がある。例えば5本目の上段に対する攻め方はこの擦り上げが基本である。六本目の小手すりあげ小手は竹刀でも難しい。しない稽古では何故か膝をつく胴打ちは稽古しない。しかし、七本目の胴も胴打ちの理合が込められている。

(剣道学習と形)
高段の剣士が真剣に形を学ぶ理由がここにある。もちろん、直心影流、小野派一刀流などの古流も良いが、教える場所や指導者に限りがある。剣道の様式や精神性は形から生まれる。日本剣道形に限らない。形の奥行きは深く、日々の稽古が行われなければ意味がない。ただ形や順序だけを教える県連の講習会などでは到底伝えられない。機、目線、足の運び、気勢、足の引き付けなど、竹刀剣道では忘れがちな基本が身に付く。区の剣連などの講習会でこれらを丁寧に教えることが無いのは残念である。今のように、集団指導だけでは発展段階の異なる人にその剣道形の矯正は難しい。指導者のレベルもバラバラだ。必ずしも段が反映されない。欠陥のある指導体制で良いわけがない。木刀を使った10本の形が級審査に使われている。しかし、これは竹刀での稽古の基本であって日本刀とは関係がない。審査だけのための形稽古は審査が終われば忘れてしまう。さりとて、形の試合というのも基準が分からない分前向きに取り組む気にならない。形の稽古の楽しさを全面に出して竹刀稽古の基本であることをよく説明すべきではないか。

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アニメ 怪獣惑星ゴジラを新宿東宝シネマズで見た。瀬の下寛之監督作品。1117日に公開されて3週間以上経つが、1450分の回は満席だった。ゴジラは昨年のシン・ゴジラの延長線上だが、あのゴジラに地球文明は破壊され、人類は異星人の助けを得て宇宙に脱出する。初のアニメゴジラで、三部作の1作目。アニメであるが故に可能なスケールが実現している。アニメのレベルは、SFアニメの攻殻機動隊を彷彿とさせる。ストーリーはパシフィックリムとか、トランスフォーマーに出てくるような地球上の常識を超えた物質と生態、進化を行う超生物ゴジラという位置付け。時代が現代では無く、宇宙時間で万年をタイムスリップした地球という設定が面白い。その地球はゴジラに支配されている。これまでの人間が中に入って演じたり、ストップモーションで撮影したゴジラとは違うスケール感がある。評判どおり、前半は眠気を誘う。前日譚や経緯を説明するからだ。元々不合理なシチュエーションなのだから、文章で表現するのも手ではなかったか。丁寧な画像を楽しむことでも救われる。ゴジラが1万年後、異星人に教わったテクノロジーで26年宇宙を彷徨う人類の物語という設定がユニークだ。これまでのゴジラファンの想像力をさらにかきたてる作品となった。次作もヒットを伺える。しかし、物足りなさも残った。それは、従来のゴジラは必ず都市に現れる。そして、我々の日常を木っ端微塵に破壊する恐怖が無いことだ。これは核戦争の恐怖にも繋がるのではないか。これはむしろ密林のジャングルを舞台にするキングコングとかジュラシックパークの文明批判的なモチーフと混乱してしまう。

歌舞伎町の喧騒
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ブレードランナー2049も都市の喧騒や腐敗画像として重要な背景だが、アニメゴジラの世界は宇宙とジャングルなので、想像力が追いつかない。歌舞伎町を粉々にしたら面白いのだが。


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新潟の直心影流 今井常固(つねかた)と山田次朗吉


直心影流の山田次朗吉の流派の祖としての力量を疑い、今井を本流とする研究があるが、あまり意味があるとは思えない。流派内で優劣を競うという事が無いし、免許皆伝とか、榊原謙吉にどこまで認められたかという事については今井に関しては歴史的資料は無いのだから。今井常固は明治大正期の新発田市の剣道を支えた剣豪。新発田は堀部安兵衛を生んだ地。

幕末の剣豪、榊原謙吉から直心影流の指導を受けた最期の剣士と言われている。当時、坂本龍馬を暗殺した一員と言われた今井信郎も同じ時期に門下にいた。後に直心影流最期の免許皆伝、榊原謙吉の後を継いだ、山田次朗吉はその後輩にあたる。山田次朗吉の時代は榊原は幕府の仕事や、竹刀稽古に関心が移り、形の稽古は弟子に任せており、山田は兄弟子の今井達とは相当に稽古を重ねたと想像する。というのは、榊原の道場は竹刀稽古主体で形稽古は行わなかったからだ。山田は形の修得も志し、師の了解を得て、同じ直心影流の山田八郎に学んでいる。当時の剣術界では既に形派と竹刀派の対立が見られたが、山田は形と竹刀打ちの関係を、両者は相反するものでなく、どちらも修めるべきとの考えを抱いていた。

山田次朗

1894年元旦の日、榊原より目録を受け、直心影流第15代と、道場を継承する。


当時の稽古は6尺もある大木刀を1000回も毎日振ったり、1人稽古も多かった。今井は新発田藩が直心影流だったこともあり、地元に帰り、地域の剣道指導にあたり、多くの剣士を育てた。しかし、明治になると、真剣を使った刀法は廃れ、竹刀の剣道が復活し、学校教育にも取り入れられた。剣道に取り組み、又、形の稽古を熱心に行なってきた人は分かると思うが、法定や袋竹刀の鞱の形、刃引きは互いに合気となるため、気持ちが通じ合う関係にもなる。竹刀稽古も相当にやったと思うが、今井と山田は遠く離れていたが、互いに通じて、新潟から東京に剣道の修行に行くものがいれば、山田が世話をするような関係であった。

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今井は新潟第一の剣士として、東京から招かれた強豪に対しても、むしろ一歩も引けを取らない対戦ぶりであったという。特に直心影流の特徴である呼吸の持続力を見せ、息の切れた相手を攻めきったという。中山博道もしばしば新潟を訪ねているが、推測だが、今井の存在もあったと思う。


山田は府立三中の剣道指導、一高、東京商科大学剣道師範として学生の尊敬を集めた。山田の偉大さは東京商科大学で育てた学生が実業界で活躍し、多くがトップ経営者となり、彼らが終生尊敬し続けたことでも分かる。山田は榊原謙吉から免許皆伝を受け、直心影流十五代を名乗ることを許され、剣道の流派を学問的に体系づけた日本剣道史を書いた。今井は新潟中学師範を務め、新発田という地域で剣士の育成したが、あまり記録が残っていない。しかし、新発田市から新発田中学卒業した剣士中野八十二、佐藤毅、斉藤正利、長谷川寿など、戦前派に九段範士4人を生む剣道の盛んな土地柄が彼の存在感を示している。


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トランプは長老派プロテスタント。ところが、アメリカにはイスラエルとユダヤ人を善、アラブを悪と決めつけ、ユダヤに同調する人々が5000万人もいるという。当然トランプ支持だ。トランプは彼らにエルサレムを首都と認めることを公約してるとは。娘のイワンカ夫婦がユダヤ教徒でありアメリカでもユダヤ派の右翼。イスラエルのネタニアフ首相は相変わらずパレスチナを押さえ、オバマ元大統領を無視し、ヨルダン川西岸の植民を続けてきた。パレスチナ人は反発しようにも職や医療はエルサレムに頼らざるを得ない。そこを見透かし、決断した。

トランプは126日、ホワイトハウスで演説し、公式にエルサレムをイスラエルの首都と認め、国務省に対しテルアビブにあるアメリカ大使館をエルサレムに移転する手続きを始めるように指示したと表明した。

恐ろしい事が起きるかもしれない。イスラエルは核保有国だから、今はアラブは手が出せない。北朝鮮が彼らに核を提供したらどうしようもない。その恐怖からアメリカの北への先制攻撃が正当化されたら最悪だ。

「エルサレムをイスラエルの首都と認める時が来た。これは、現実を認めるということだ。そしてこれは正しい行動でもある」

トランプ氏はまた、イスラエルとパレスチナの「双方が受け入れられる和平交渉」を目指して努力することを表明し、もし双方が同意したら、二国間で問題を解決することを支持すると述べた。これは言っていることとは逆さまで、アメリカが仲介者の立場を放棄し、クリントン以来の政策を放棄したという事だ。イスラエルを一方的にバックアップするということです。

しかし、マスコミの報道では、パレスチナ側やアラブ諸国、イラン、トルコなどの強い反発と、西欧諸国の批判に晒されている。反対意見に耳を貸さない彼はアメリカファーストの大統領だから、選挙公約を実行するだけのことと考えたのだろう。彼はいつも強気の姿勢を崩さず、壁にぶつかるまで貫くことが正しいと思っている。パレスチナの人々の苦難や反発は単なる攻撃にしか見えない。武力で押し切れる範囲と考えているか、どこかでハンドルを切る覚悟があるとは思えない。彼の思考は独裁者と同じに見える。IS I Sはコバニを放棄して脅威ではなく、イランもイスラエルを攻める気配が無い。国際的に影響力のあるメルケルも今は不人気。フランスのマクロンは新米。イギリスのメイ首相はEU脱退で手一杯だから、建前として批判はしても何も出来ない。イスラエルはパレスチナを押さえ込んでいる今こそチャンスと読んで今回の表明になったのだろう。


その影にはイスラエルの要請があるはず。今こそ彼らが最も安定しているのかもしれない。宿敵シリアは内戦、サウジアラビアはお家騒動だから身動き出来ない。ロシアゲートはしつこく追及されて、今こそアメリカ国民の目をそらすにはこれしか無い。中東がキナ臭くなれば、イスラエルが武器を買うから、また景気が良くなり、自分が支持される。もし、こんな発想と現実認識だとすると、それはとんでもない思い違いだ。困ったことに、歴史の中には、思い込みや、リーダーの賭けのような判断で、恐ろしい結果を招いた実例は多い。ヒトラーや日本もそうだった。イスラエルの作戦はアメリカを立てることによって、アラブの不満をアメリカを引き込み、自分達の負荷を減らしたい。それは、日本が尖閣や北朝鮮対応でアメリカを引き込みたいのと同じだ。自国の安全が全てのシナリオ。そこで、普段忘れてしまうイスラエルの歴史を読み直してみる。


イスラエルの存在に対して、パレスチナ国家設置と難民帰還はアラブの大義としてイラクやイランのイスラエルの攻撃理由となってきた。しかし、このアラブの大儀なるものはそもそも、かなりいい加減な歴史的経緯を持っている事を日本の報道は書かない。今日ではイラクのフセイン政権崩壊後死語になりつつあるのだが。イランは本来イスラエルと戦う理由がなく、閣僚に親イスラエルである事が分かって解任された奴がいたくらいだ。アフマディネジャドの過激な論調は国内の不満をそらすためだ。そもそもアラブの大儀なるものの正体は第一次中東戦争ーイスラエル独立戦争の真実において最近明らかになっている。ベングリオンの日記が公開された。ヨルダンのアブドゥーラ国王はシリアを自分のものにしようとイスラエルを巻き込んだ。ヨルダン川西岸含めトランスヨルダンはベングリオンと分割する話がついていてパレスチナ人の運命は決まっていた。イギリスの良い子だったヨルダンの覇権を防ぐためアラブ諸国はイスラエルを攻撃した。確かに映画アラビアのロレンスでもイギリス軍アレンビー将軍とファイサルは一緒にダマスカスに行って仲が良さそうだった。ヨルダンはイスラエルにシリアを攻撃させて、そのどさくさにシリアのイスラエルからの防衛という目的でダマスカスを支配しようとした。これはイスラエルに手を焼いていたイギリスの思惑に一致した。イギリスの中東間接統治に繋がってしまうとアラブ諸国は恐れていた。ヨルダンがシリアを諦めればアラブはやる気がない。第一次中東戦争はイスラエルを海に追い落す戦いではなかった。所詮これはアラブ諸国の王侯達の勢力争いでそこをイスラエルが善戦したため何も手を出せなくなったアラブの犬の遠吠えがアラブの大儀なるもの。はじめからパレスチナ人なんか目じゃない。彼らは今ではイスラエルのゴミ拾いかポンコツ自動車の修理でもやってりゃいいと思ってる。これがアラブの本音。「放火が実は火事場泥棒目的」というのは第二次中東戦争(スエズ動乱)でもイスラエルが使った。あの辺では一般的のようだ。イスラムも「商人の論理」だからね。シリアの動きとか。独立戦争時、開戦の4日前、アンマンでアブドゥーラ国王とユダヤ機関(創建イスラエル政府)を代表して秘密裏に「独立戦争」の落としどころきを交渉していたのは「初代鉄の女」ゴルダ・メイア。国家独立を急いでくれるな」とのヨルダン国王の要請に対し「2000年待ちました。急いでるですって?」と一蹴した。日本人の理解する「アラブの大義」の胡散臭さは次のブログがよく表している。http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/dc9f3e95edd71f668722e90cd63c9054 ここの末尾のリンク「関連記事 パレスチナ」にも出てくるが、「ブラック・セプテンバー(黒い九月)」事件がそのヨルダンのパレスチナ人に対する本音の典型的な回答。それが「ミュンヘン」事件に連なり、ゴルダ・メイアがテロの下手人たちに対する報復「神の怒り作戦=Operarion Wrath of God」を発令することになるのは映画「ミュンヘン」で描かれた。今のイスラエルは強硬派リクードのネタニアフ政権である。1


民主党政権はその外交政策でパレスチナに対する支援をうたうが、こうした歴史的経緯をどこまで学んでいるやら。アラブの本音を良くつかんだ上で外交やらなければ世界は渡れない。


4次中東戦争のこと。1973年にエジプトとシリアがイスラエルをスエズ側とゴラン高原から攻撃したが、イスラエルのヨムキプールという贖罪日で国民全体がお休みになる時を狙って行われた。我が国では産油国が石油の輸出停止と原油価格の高騰によってパニック状態になったことが記憶にあるが、その戦闘の実態はあまり知られていない。しかし、この戦争が、20世紀の世界史に与えた影響は極めて大きい。OPECの台頭、米国とイスラエルの関係が強化され、また、エジプトと当時のソ連との結びつきが後退し、パレスチナの難民の絶望的な孤立化の始まりでもある。湾岸戦争やアメリカのイラク侵攻もこの戦争に源を発している。

第3次中東戦争は6日戦争と言われ、アラブ諸国・エジプトにとって屈辱的なイスラエルの勝利となったが、その巻き返しを図ったのがこの第4次中東戦争である。この戦争後、今日のエジプトとイスラエルの関係は固定化され、国境も決まる。シリアはゴラン高原を取り戻す事ができなかった。戦況として、緒戦においてはヨムキプールの隙を衝かれたイスラエルはシナイ半島とゴラン高原で後退を余儀なくされ、これまでの連戦連勝の自信を打ち砕かれる。この首謀者がエジプトのサダトである。エジプトとシリアはソ連製の近代兵器である、対戦車ミサイルSAGAや対空ミサイルSAM,対戦車兵器RPGを駆使して大規模な戦車戦を仕掛ける。当初イスラエルはアラブ側の近代戦能力を侮り、戦線を後退せざるを得ず、不敗神話は打ち砕かれた。しかし、ゴラン高原とスエズ運河の両面におけるイスラエルの奮戦で、後半戦で押し返される。これはほんの三週間くらいの戦争であるが、その規模はかつてのナチスドイツとソ連のクルクスでの大戦車戦以来のものであった。イスラエルの反撃に対して、後押ししている米ソの軍事的緊張も高まり、まさにその代理戦争の様相を見せ始めたとき、キッシンジャーの調停策が功を奏し、第3次世界大戦への道には至らなかったキワドい戦争でもあった。イスラエルはゴラン高原での奮戦と、スエズ運河を越えた巻き返しによって危機を脱する事が出来た。このときのスエズでの英雄が後のイスラエルの首相であったシャロンである。緒戦の情報収集の誤りは時の政権に大きなダメージとなった。これをきっかけに、かつてシオニズムを軸に建国の主体であった労働党は後退し、パレスチナ政策に強硬な右派、リクードが台頭するのである。この戦いには後半イラクも参戦しており、湾岸戦争へとつながっていく。このとき既にイスラエルは核兵器も所有していた筈である。


今回のイスラエルとトランプのエルサレム首都宣言は一時的に中断していたアラブとイスラエルの抗争を進展させることになるかもしれない。アラファトのインティファーダの再開が有りうるような報道が日本ではなされている。しかし、そんな単純なものではない。ロシアはアメリカに仕返しするために北朝鮮の核ミサイルをイランに仲介するか、陸路を輸送協力するかもしれない。トランプはよくも悪くも、この事で、世界史に名を残した大統領になる恐れがある?一方、イスラエルは世界が丸焼けになろうとも、自国が安全でありたい国。当然、核兵器も持っている。アラブ諸国はこれから核兵器を持ちたいだろう。そこで北朝鮮が登場。アメリカがこの線を訴えて国内世論を高め、北朝鮮を攻撃することが最も恐ろしいシナリオである。

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