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スマートを追及しよう!「ストリート・スマート」という言葉

ビジネスで経験を重ねる上で、キーワードになっているが、日本では耳慣れない。今のアメリカ大統領がまさにその人らしい。彼は確かにアカデミックではない。言う事もいい加減な印象があり、自分の都合で前言を翻したり、困った人。マスコミには格好なターゲットだ。しかし、彼の政策は実はアメリカ国民の期待には忠実で、移民の問題や中国の狡猾な手口に対してはオバマもクリントンも、ブッシュも無策で、国民はイライラしていた。

「ストリート・スマート」という言葉を初めて聞いた人は、ちょっと意味が分かりにくいかもしれない。まず対極にあたる言葉を考えた方がわかりやすいでしょう。

「アカデミック・スマート」「スクール・スマート」といった言葉。学術的な知識がある人、学校の勉強ができる人、という意味です。これらはアメリカでは、どちらかというとネガティブな意味で使われることが多い。学歴はあるんだけど、仕事ができない人。よく勉強して知識だけは沢山あるけど、ビジネスの現場では結果が出せない人。


これまで多くの人たちと仕事をしてきた中で、頭でっかちでウンチクばかり並びたて、結局仕事は何一つ前に進められない・・・という人が周りにいませんか。20代でアメリカの大学院に留学しMBAをとっても、帰国した後、日本では力を発揮出来ない人がいます。ビジネスで問題があった時、焦って○○論という本をたくさん読み漁ったけど、頭でっかちがさらに加速するだけ。結局、アカデミックな勉強で直接仕事に生かせない。

今振り返ると、環境にでも適応して力を発揮できたスキルや知恵というものは、分厚いアカデミックな教科書から得たものでは決してない。もっと生々しく、現場で揉まれ、サバイバルメカニズムで身についたもの。あるいは、良いプロジェクトに数多く参加することができたりで、学び得たものが多いのではないか。

 トランプはこのことをよく知っている。彼は最初は大統領選挙に勝てると思っていなかった。ところが当選してしまい色々な問題を決断しなければならない。本で読んだ知識や大学での勉強は役に立たないことは百も承知だ。そこで最初は政治のプロのバノンや、軍のマチスを起用したが今の時点では不要な人材なのである。


by katoujun2549 | 2019-05-20 20:40 | Comments(0)

スマートを追及しよう!

「ストリート・スマート」という言葉。


ビジネスで経験を重ねる上で、キーワードになっているが、日本では耳慣れない。今のアメリカ大統領がまさにその人らしい。

「ストリート・スマート」という言葉を初めて聞いた人は、ちょっと意味が分かりにくいかもしれません。

まず対極にあたる言葉を考えた方がわかりやすいでしょう。

「アカデミック・スマート」「スクール・スマート」といった言葉。学術的な知識がある人、学校の勉強ができる人、という意味です。これらはアメリカでは、どちらかというとネガティブな意味で使われることが多い。

学歴はあるんだけど、仕事ができない人。

・よく勉強して知識だけは沢山あるけど、ビジネスの現場では結果が出せない人。


私もこれまで多くの人たちと仕事をしてきた中で、頭でっかちでウンチクばかり並びたて、結局仕事は何一つ前に進められない・・・という人が周りにいませんか。


20代でアメリカの大学院に留学しMBAをとっても、帰国した後、日本では力を発揮出来ない人がいます。ビジネスで問題があった時、

焦って○○論という本をたくさん読み漁ったけど、頭でっかちがさらに加速するだけ。。

結局、アカデミックな勉強で直接仕事に生かせない。

今振り返ると、環境にでも適応して力を発揮できたスキルや知恵というものは、分厚いアカデミックな教科書から得たものでは決してありません。もっと生々しく、現場で揉まれ、サバイバルメカニズムで身についたもの。良いプロジェクトに数多く参加することができたりで、学び得たものが多いのではないか。


by katoujun2549 | 2019-05-20 20:40 | Comments(0)
浅草寺の山門
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賑わう仲見世
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5月17日は浅草寺三社祭りの宮出しの日で賑わう。亀戸で墨田川高校のクラス会があり、その前に行ってみることにした。凄い人出だ。雷門から仲見世、周辺の商店街も人だらけ。分かっていたが、やたら中国人が多い。三社祭は3日間で150万人の人出が見込まれる。初日の大行列にも、多くの見物客が訪れた。おはやし屋台を筆頭に町を練り歩いた。18日は浅草氏子44ケ町の町内みこし約100基の渡御が予定され、にぎわいが予想される。三社祭は19日まで開催。

by katoujun2549 | 2019-05-19 06:01 | Comments(0)
1.犬食
 シーザーミランのDogNationはBSチャンネルやナショジオ番組でよく見る。犬のしつけや問題犬を魔法のように飼い主にコーチする。アメリカの愛犬家のスターである。
 この番組で、今回、閲覧注意、一部に不快な映像が含まれますという表示が出た。珍しいいことなので一体何かというと、問題犬ルークは足が1本無い。実は、アジアの食用犬から救出された犬なので、人間に恐怖心が消えない。足も残酷に切り落とされたのだ。このルークをミランはノーマルに飼い主に従う素直な関係にしつけようとする。飼い主は可哀想なルークに過剰な愛を注ぐのでルークは散歩やリードのガイドに従わない。そこを、普通の関係に見事に戻すのである。いつものシリーズと違うのが、食用にされる犬たちのことをクローズアップさせたことで、これは閲覧注意となったのである。そこで、WEBで犬食ー「犬食祭り」で検索すると衝撃のレポートとなっていた檻に入れられ屠殺を待つ犬たちの絶望的な姿、丸焼きになった犬、犬鍋になった犬肉の写真が次々と現れるではないか。愛犬家にとっては卒倒しかねないようなシーンである。
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WEB cite 犬食祭から転載 この絶望した屠殺前の犬たちの姿
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            中国人、韓国人の好きな 犬鍋

アメリカの愛犬団体はこれらを救出するプロジェクトを行っている。救護団体の男性マークチンが涙を流して犬食の悲惨さを訴える。この団体は2,000匹を救出した。毎年王林で開かれる犬肉祭りの映像も紹介される。こうした犬食に関し王林市は犬食用に養殖された犬であることを強調するが、中国ではトイプードルなど小型の愛玩犬が盗まれ、売買されており行政の言い逃れである。

2.人権保護は犬猫から
 
 中国の人権問題も、人間からではなく、犬や猫の命を守ることを国際的に要求することから始まるべきだ。かつて、日本が生類憐れみの令を将軍綱吉が行ったことを暗愚な将軍の例にあげる人がいたがそれは間違いである。戦国の混乱期は終わったが、当時、日本人の心は自分さえ良ければ弱者の苦しみはどうでも良いという混乱期の心理から抜けることができず、幼児虐待、捨て子の放置、姥捨山、行き倒れの放置、旅人の病人を宿場から放置したり荒んだ社会であった。儒教倫理からも綱吉は見過ごせないことだが、いくら条例を出しても効果が薄いので犬猫の保護から始めたのである。今の日本でも、犬猫の虐待は禁じられているし、地域における凶悪犯罪の兆候として警察は注意喚起している。
 韓国も犬食の国、オリンピックの時など犬食料理屋の看板を撤去させたり隠蔽にやっきとなった。まるでヒトラーがベルリンオリンピックの時にユダヤ人差別の看板や表示を撤去させ、隠蔽させたのと同じだ。犬食は野蛮な行為であることを政府も認識しているが中国、韓国、カンボジャ、ベトナムなどでは犬食は文化だと規制しない。しかし、これは戦争や植民地支配と飢餓といった人権無視の時代の名残りなのである。多分アウトロー世界からの賄賂などが政治家に流れているのだろう。
 日本やアメリカは中国や韓国の国際常識にそぐわない外交攻勢にはこうした犬食という野蛮なことをやめさせるよう、国の指導者に恥をかかせることから始めれば良いのだ。
犬や猫が悪くて牛や豚、鶏は何故良いのか?というのは屁理屈である。家畜とか野生の生物は人間との感情や愛情が希薄であり、場合によっては危険であったり害になることも多い。しかし、愛玩用の動物は人間に従順だし、人間の愛情を求めている弱者である。そうした弱者を虐待したり、食用に殺害することは人間の尊厳の破壊につながる行為だ。中国、韓国、ベトナム、カンボジャ、アフリカ諸国はペットの商用を禁止すべきなのである。こうした行為を見逃すような社会は暴力や不正、虐待、人権侵害にも無神経な社会であり、国家である。


3.犬食の実態

中国は世界一の犬肉食大国だ。世界で食用に殺される犬は年間2000万~3000万頭。うち1000万頭が中国で処理されている。犬肉の生産量は年間9万7000トンに及ぶが、この数字は中国の食肉生産全体(年間8000万トン)に比べれば微々たるもの。


犬肉産業が中国経済全体に占めるシェアもわずかにすぎない。中国の就業者数は7億7600万人だが、犬肉生産の就業者数(

犬集めから輸送、食肉処理までを含む)は100万人足らずだ。

犬や猫を食べることは戦争や飢饉といった危機的社会のなかで行われた。アメリカの開拓地やフランスでも行われた。坂本竜馬が食べた記録もある。日本でも半世紀前まで行われた。


実は中国では猫も食べられている。
何と100万匹という。
Wikipediaによると次の通り

現地の動物保護に詳しい弁護士によると、中国国内の猫肉取引は禁じられており、2007年の法律でも「国内で通常食されない食物」の取引には特別な許可が必要としている。華南の飯店で出される猫肉は主に、許可を得たブローカーが安徽省江蘇省から仕入れたものである2010年1月26日には中国政府が、動物保護の観点から初の取り締まりに乗り出したしかし、許可を得て行うものではなく全面禁止すべきではないか。

中国ではペットとしてのネコの飼育が増えるにつれ、猫食文化への風当たりが強まり、抗議行動も起こるようになっている[7]。2006年6月には深圳市の有名な猫肉料理店が40名ほどの活動家から襲撃を受け、営業中止に追い込まれたこうした変化は中国動物保護ネットワーク傘下の中国愛玩動物保護ネットワーク (CCAPN) 結成のおよそ2年後に始まった。40以上の団体が加わったCCAPNは2006年1月、広州市をはじめとする10以上の都市で犬食や猫食に対する抗議運動を行った2008年にも犬食・猫食が増えていた広州で同様の騒擾が発生し、メディアで報じられた。


by katoujun2549 | 2019-05-16 10:27 | Comments(0)

イギリスのEU離脱問題が今日
大きな国際問題だが、イギリスは歴史的には民族移動によって出来た国。20世紀にも大英帝国はアジア、アフリカを支配し、多くの多民族を受け入れてきた。世界大戦もインドやアフリカ、インドなどの支援を受けてのりきってきた。英国はイングランド、スコットランド、北アイルランド、ウエールズといった固有の文化と歴史を持った連合国家である。この国は歴史的にも孤立して単独で発展したことはない。今さら何なのか。
イギリス人の分離派は自国の歴史を知らないのではないか。しかし、今のEUはドイツの影響が強い。かつてイギリスはドイツに屈したことはないから、国民のプライドが許さない。ナポレオンのフランスにも侵攻を許さなかった。それが、移民問題に関して大陸側が無力であるからイギリスのコントロールが効かない。それがネックなのだろう。ギリシャの財政危機においても、ドイツとフランスが軸になっており、通貨の違うイギリスの発言権は弱かった。そうしたジレンマからブリグジットは始まった。しかし、スコットランドは分離反対、北アイルランドも勢いの良いアイルランドと合併したい。イギリスが中世のようになるリスクを抱えている。イングランドとウェールズでは軍事問題を解決できない。イギリスの過去を振り返ってみる。

1,イギリスの侵略と異民族の侵入の歴史

イギリスのストーンヘンジはドルイドというケルト人が築いたという説があったが、最近の研究ではもっと前、ビーカー人が作ったものという説からさらに遡り、紀元前3000年以上前というのが有力である。巨石はどこから運んできたのか分からないが、当時氷河期に運ばれた巨石が多く平原に残されていたという説もある。宇宙人説などよりは説得力がある。ケルト人はその後ローマ帝国が支配した時代はブリトン人と言われた。グレートブリテンの語源であるが、イギリスは民族的な祖先はローマ帝国が衰退した時にドイツ北方のザクセンから移動してきたサクソン人と、一緒に逃げてきたアングル人に起源を持つ。アングル人の存在は古代ローマの時代から知られていた。5世紀になると到来したデーン人から侵攻され、同じ西方系ゲルマン人であるサクソン人・ジュート人とともに北海を渡ってブリテン島に上陸し、先住民であったブリトン人を圧倒した。ブリトン人はあまり戦争が得意ではなかった。そこで、アングル人とサクソン人を傭兵にしようとしたら乗っ取られてしまった。その中でもノーサンブリア王国、マーシア王国の王族はアングル人を祖とするとされる。やがてブリテン島には後世七王国時代と呼ばれる群雄割拠時代を迎えたが、この時代の初期はアングル人の王国が優勢だった。
アングル人とは系統が異なるゲルマン系の集団であるサクソン人の建てたウェセックス王国により七王国は統一されたが、北欧からデーン人の進攻を受け、守勢側となった。この新たな侵略者デーン人(ノルマン人の一派)に抗して、アングル人は近い系統(ゲルマン人)の民族のサクソン人と同化し、後にアングリアに住むサクソン人、すなわち、アングロ・サクソン人と呼ばれる集団を構成するようになった。彼らに追われてフランスに逃げた集団はブルターニュといわれる地名を残した。
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2.バイキング

VikingというシリーズDVDのドラマが凄い。既にキリスト教はイギリスに修道院を築き文化的には豊かな時代を築いていたが、バイキングはいきなり海からやって来て無防備な修道院、村や町を略奪しつくした。その残虐なシーンは目を覆いたくなる。DVDにはその当時の姿が念入りに考証されていて、あまりにも壮絶でバイキングに扮したキャストに共感できないほど。8世紀にユトランド半島のデーン人バイキングやスカンジナビアのバイキングが頻繁にイギリスに侵攻し、一時はイギリスはデーン人に支配された。バイキングの侵略は恐怖であり、数十隻の大船団で突如侵攻し、彼らの武力に圧倒された。これを取り返したのがアルフレッド大王であり、イギリスの中世文化の基礎となった。映画では残虐な集団ばかりが強調されている。実際は武力を背景に商業を軸に植民もしていた。馬を使った戦法や、船団には女や子供、家族をのせて侵攻していたようだ。デーン人は都市を攻撃しない代わりに金を要求し、ヨークなどは払う金が底をついてしまった。


3.ノルマンジー公ウイリアムのイングランド侵攻以降

イギリスへの異民族の締めくくりとなったのが1066年のフランスからのノルマン人の侵攻であった。サクソン人の王国は敗北し、イギリスは王室がフランス化する。又イギリスはフランスの内部に領地を持つことになり、英仏100年戦争となってジャンヌダルクが登場し、スチュアート朝まで大陸とは深い関係にあった。カトリックと離別したチューダー朝のヘンリー8世、エリザベス女王によって独立した国家形成となり、さらに清教徒革命などでその後の大陸の干渉を排除した国となった。しかし、内部ではスコットランドやアイルランドとの緊張関係は19世紀まで続いた。20世紀も北アイルランド問題は多くの犠牲やテロを生んだことが記憶に新しい。イギリスの分離独立騒動はスコットランドの出身であるブレア首相から始まった。保守党のサッチャー時代は中央集権的であった。サッチャーがEU加盟においても、ポンドを守り、ユーロを同意しなかったのは賢明だった。


by katoujun2549 | 2019-05-14 19:07
1.日本のキリスト教会

日本のキリスト教人口は100万人くらいだろうか。そのうち、プロテスタント系は20万人ともいわれ、40万人いる共産党員の数より少ない。多いのはカトリックである。カトリックは聖職者も入れて452千人。ふしぎにも共産党員数と同じくらいの数である。ついでだが、赤旗を取っている人は260万人くらいだそうで、シンパは6倍以上いる。今、日本人の女性で結婚式をキリスト教式でおこないたいと考える人が80%もいる。そうした意味で、洗礼は受けていないがキリスト教に共感を持っている人は600万人ぐらいいる。しかし、教会の日曜礼拝に行くというキリスト教徒の条件を満たす人は実に少ない。全部合わせても人口の1%はいない。かつて、1世紀前、賀川豊彦が日本でクリスチャン100万人を目標としようと言った事があり、あたかも、達成したかのように言う人がいるが、当時の人口からすると1%を超えようということで、その目標は全く達成出来ていない。こうした実態に対して、特にプロテスタント教会も、その中心と自認する東京神学大学もあまり反省の態度が見られないのが残念である。その原因は何か。自分の行っている教会は近年高齢化が著しく、特に大学生の礼拝参加者は殆ど消えてしまったと言っていいくらいである。しかし、こうした現実に対して、教団では真剣な議論が起きたという情報は自分には聞こえてこない。

2.若者が教会に来ない

 自分は、団塊の世代として、大学生が急に教会に来なくなった時代を眺めてきたつもりだ。我々の仲間が次々と教会を去って行った。若者が続かなかったということは自分達にも責任の一端はあると自戒する。高度成長時代に大学生になり、マスプロ教育に失望、さらにベトナム戦争や旧態依然とした大学経営に失望した学生は反乱を起こしたが、教会はそうした若者の悩みに答える事が出来なかった。多くの学生が教会を去ったという失敗に対して教会は無能であった。去る者後を追わずというのは上昇時にしかあてはまらない。そんな事態ではない。
 団塊の世代が学園紛争をはじめとする状況の変化に4年間まともな勉強ができず、社会の矛盾に悩んでいた。大学生が教会に行かなくなった事は、大学生の期待に教会が答えてこなかったことにもある。そうした若者の苦悩に答えるメッセージが聖書には多く含まれているにもかかわらずである。高度成長後のオイルショックに直面、団塊の世代は企業に入って必死に働いた結果、日本は見事に危機を乗り切り、経済大国になった。当時の大学生は、今のように世代人口の20%以下だったから、今日のように高校生の50%が大学に行く時代とは違う。今の方が大学生の数は遥かに多い。それでも教会に若者の足が向かない。一方、お隣の韓国は4人に一人がクリスチャンである。今の教会も、そうした新しい若者の動向にも対応せずだが、無関心とは言わない。むしろ苦しんでいる。

3.現実にどう向かうか

 東京神学大学で、長い間学長を務められた故松永希久夫先生のキリスト論を読んでみたが、そこにヒントがあるような気がした。先生はこうした教会の危機に対して、キリスト論、教会論を基盤にした教会形成ープラットフォームを呼びかけており、なるほどと思う所が多い。不振おの原因も垣間見える。
 松永先生は、近代以降、イエス理解が多様化する中でイエスを
①体制の否定者 改革者 =ローマ帝国ー政治経済の体制否定者、革命拠点としての教会形成
②社会福祉家 人道主義ヒューマニスト 自己犠牲ー社会福祉センター
という整理をし、これらは教会の本来の姿としては除外する印象がある。
 さらに結論としてあるべき姿である
③信仰告白にもとづく教会形成におけるイエス
 罪の贖い主 復活のイエスによって新しい命を与えられる。イエスキリストへの感謝と賛美による教会形成といった整理をされています。キリスト教の歴史が130年程度の日本ではそこに人々の理解が進むのは大変なことである。欧米でもキリスト教の神学が社会全体に受け入れられるまでに何世紀も要している。その間、大殺戮や戦争、宗教改革や疫病による社会崩壊の危機などを経ている。そこで今思うことだが、国家権力を持たない日本では個人の奮闘に頼るしかない。そのためには、

 教会の構成員である信徒が、イエスキリストの使徒として、福音書に描かれているように野に出て福音を述べ伝える努力をしなければならない。何も、職場で伝道しろと言っているのではない。自分がよりどころとしている福音をためらうことなく世に訴える、あるいは告白する機会はどこにでもある。家庭でもいいし、友人関係、されには自分がキリスト教徒であることを隠さずに、イエスの復活と聖霊の働きが世に存在し、それによって生きていることを周囲に分かってもらえればいいのである。そうした信徒の日常の戦いを牧師が知り、説教において応答していけば、礼拝はもっと聖霊の導きが豊かになる。言い換えれば情熱を伝えることができるし、感動をもって礼拝参加することができる。それができるならば、これまでの努力も花開くのではないかと思うのである。今は、木を見て森を見ず、葉を見て木が見えない。そして、一所懸命育てているが一向に実を結んでいない。それがプロテスタント諸教会である。

4カトリック

 カトリックの場合、ローマ教皇がすべての権能を持っており、そのメッセージは信徒の手の届かないところから発してくるが、全世界に張り巡らされているネットワークにより、その対応は驚くほど現実的である。そのメッセージも多くの信徒が直面している諸問題を逃さない。神父たちも礼拝においてはさらにわかりやすく噛み砕いた説教をする。昔、カトリックの説教はラテン語で行われ、信者は何を言っているのか理解出なかったが、その代わり、神父は信徒にじかに向かい合い、信徒の抱えている問題に取り組んできたのではないか。教育の世界を例にとれば、カトリックのミッションスクールは受験校が多く、有名校である。偏差値も高い。一方、プロテスタント系は人間教育を言い訳にして、学力というか、偏差値の向上に対して不熱心な学校が多い。カトリックの学校の大学受験成果は彼らの二千年の教会形成の成果でもあると思う。プロテスタント諸教会はこれからの教会のあり方に関して転換期を迎えているのではないか。日本のキリスト教主義学校は女子高に成功例が多い。これもヒントだ。

5.強みは女子教育と幼児ー今すべきこと

そのために何をすべきか。自分は教会生活のなかで、様々なプロテスタント教会の素晴らしい部分を見てきた。ひとつは子供、特に幼児の教育に熱心であったことだ。教会学校は大きな岐路に差し掛かっている。少子化によって地方都市の子供も教会学校の担い手になる若者が減少し、教会学校が廃止されている。子供が居なくなった訳ではない。少年サッカーや野球など隆盛である。しかし、女子のクラブなどは少ない。音楽や語学など女子のニーズを掴んでいくこと。又、日曜礼拝で子供も参加する礼拝や、礼拝中に幼児の世話をする仕組みも必要だ。世話人は礼拝に参加できないではないかと反論する向きもあろう。しかし、ブルートゥースのヘッドフォンで説教は聞けるし、4人いれば交代で幼児の担当をこなせば月に1回の不自由ですむ。要は子供を連れて礼拝に参加する仕組みを作れば良い。もうひとつは女性の強さだ。礼拝に来る信徒の7割が女性である。中高生などは全員が女子。キリスト教は女性の味方なのだ。
教会の会堂を使った音楽会も試みている教会も多い。礼拝に参加する人は少ないとぼやく向きもある。しかし、教会のコンサート行ったからといって礼拝に行くかどうか、それほど信仰への道は安易ではない。そんなことよりも、キリスト教会に好意を持ってくれる共感者が増えることが大事だ。野球場の観客で実際に毎週野球をする人など1%もいない。結婚式など教会に親しみを持つ人を増やすことが大事で、何も皆が礼拝に来ることを期待するのは思い込みが過ぎるのである。キリスト教会がより親しみの持てるような企画や試みを考えることが大切。今のキリスト教会はオリンピック選手ばかりを育成しようとして大きな基盤を失っている。先は女性を獲得するには何が必要かだ。女性の好きなものは育児からの解放、花などの美しいもの、背の高い外国人の男、音楽、お菓子、グルメだ。これらには目がない。嫌いなものは、暴力、議論、権力、金の無いチビハゲデブのオッサン。
キリスト教は世界に受け入れられるまでに多くの犠牲や戦争、先人の努力が積み重ねられてきた。酷い話だが8世紀、カール大帝はサクソン人をキリスト教にしようとしたが、拒否したもの4500人を殺戮した記録がある。一朝一夕ではない。ヨーロッパのキリスト教は国家権力によって定着した。福音を理解するには旧約聖書からイエス・キリストの受難や復活、使徒達の書簡なども学ぶ必要がある。南無阿弥陀仏といえば成仏というような仕組みではない。だからこそ、教会学校があるし、それはイスラム教も同じである。自分は日本のキリスト教復活の原点は幼児の教育に在ると思う。幼児に女性はつながる。日本にいる600万人のキリスト教に好感を持つ人々に提供するものは何かを考えるべきではないか。幼児と女性を味方につけることから日本のキリスト教は繁栄する。


by katoujun2549 | 2019-05-03 02:35 | Comments(0)

ジュリアノジェンマ主演の1977年後期作品。ミケーレルーボ監督の名作である。マカロニウェスタンはニヒルで暴力的な主人公が登場し、周りの人物も褒められないタイプの人格で、たまに高潔な人物が出てくるとたいてい殺される。処女地を開いて新しい国を作った国アメリカの誇り高い西部劇とは正反対。
南軍の元兵士はマイケルと名乗っていた。彼は故郷へ戻る兵士ウイリーと旅を続けていたが、好青年ウイリーは冷酷な賞金稼ぎに殺される。南北戦争直後のミズーリ。伝説の早撃ちガンマン“カリフォルニア”は、軍のコック、マイケルだと身分を偽る。マイケルは彼の死を伝えるため、遺族の元を訪れる。ウイリーの姉ヘレンはマイケルを気に入り、ふたりはやがて結婚。しかし彼女は一味にさらわれてしまう。ヘレンを救うため、マイケルは一味に潜入する。南北戦争直後の荒廃したアメリカの開拓地が舞台。荒野の大自然と開拓地が興味深い。映像もハリウッド作品とは違うヨーロッパ的な美を感じる。インデアンは出てこないが悪党がゾロゾロ出てくる。ロケ地はアメリカの何処かではなくスペインで撮られた。荒廃した西部が舞台。賞金稼ぎの仲間にはいるまでの経緯が複雑でこれまでのアメリカ映画にはないドラマ性が興味をそそる。ガンプレーを期待していた人はこれが物足りないかも。クリントイーストウッドの後にジュリアノジェンマが出たのは気づかなかった。昨日の敵が急に味方になったり、ドライな人間関係がコミュニズムの影響を受けたマカロニウエスタンの特徴ではないか。ブルジョワ的なヒューマニズムを排除し、目的のためには手段を選ばない。正義とは何か。昨日の敵は今日の友。誘拐されたヘレンはついに見つかるが心を病んでしまう。ヘレンを誘拐した賞金稼ぎと壮絶な格闘に勝利し、二人は故郷に帰るが、最後のバトルがガンプレイではない。荒野の1ドル銀貨に始まるジェンマ作品との違い。荒野の用心棒に始まるクリントイーストウッド作品の後を次ぐ作品となった。

by katoujun2549 | 2019-05-01 12:51 | Comments(0)
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4月18日(木)如水会館で剣道部のOB会が開催された。47年卒業の自分たちが幹事になって3年下の代までをメンバーに懇親会を行った。同期の仲間とは毎月のように集まるのだが、後輩や先輩たちにはなかなかお目にかかることが少ない。小松崎先輩の提案で4学年が毎年1年ずつづらしつつ一番上の学年が幹事になって年1回会合する企画で今年で13回目になる。卒業以来初めてお目にかかるOBもいて懐かしい集いとなった。来年は48年が幹事になり、51年までを集めた会を行う。当時、剣道は中学校の体育に取り入れられたり、赤胴鈴之助というTVドラマと漫画が人気だった。同期は27人が入部した。ところが90%が初心者で皆防具を持っていない。防具の数になるまで猛練習が行われ1年で半数になってしまった。さらに翌年の学園紛争で部活に疑問を持ち退部するものが続き、卒業時は11
人に減った。試合もなかなか勝てずに苦労した代だったが、団結心は強かった。そんな時に師範の交代があり、中倉先生が1月から着任となった。先生は週に2~3回稽古に来られ貴重な体験となった。内藤や自分が七段を取り、稽古を今でも続けるきっかけとなった。
by katoujun2549 | 2019-04-26 09:17 | Comments(0)
自分の信仰の原点       加藤順

1972年大学卒業の直前、国立教会の宍戸牧師に導かれ、信仰告白した。就職後、市川の実家に帰ったので父が長老を務める牛込払方町教会に転会した。幼児洗礼は祖父が牧師をしていた福岡県田川市の日本キリスト教団田川教会であった。牛込に幼児のころ両親と最初に訪れた時の記憶は今も残っている。入試に失敗し、浪人をしていたとき、東神大の北森先生の講演に来ないかと父に誘われて久方ぶりに教会に行った。当時、小田兄と田坂兄、足立姉、青木さんご夫妻がおられた。東大の学生も磯、吉岡、篠原、鈴木、河野他6~7人いて独特の雰囲気だった。あの時から50年が過ぎたのだ。半世紀にわたる教会生活を原稿用紙4枚に書くのは自分の文章力では無理なので、あまり語ったことの無い信仰の出発点である祖父について書きたい。

 祖父米倉次吉は自分の信仰の出発点である。次吉が長崎の鎮西学院で洗礼を受けたのが1909年で、教師を勤めた後、2年後に関西学院の神学部に入学、伝道者としての道を目指した。彼はそこで出会った賀川豊彦の活動に参加した。神戸新川のスラムに入りイエス団という奉仕と伝道活動を行った賀川豊彦は関西学院の神学生だった祖父に影響を与え、その後の伝道活動の基盤となった。当時、祖父はイエス団を支え、スラム児童の世話に、また伝道によく奉仕した。イエス団は今日も社会福祉法人と学校法人として幼稚園、保育園など38の施設を持ち、神戸、大阪、京都など関西地区で活動している。その後、メソジスト教会牧師として九州各地を23年で巡回した。大分県臼杵で6年杵築では7年在任し、仏教王国の中で困難な農村伝道を行った。杵築は士族屋敷も残る封建的な土地であるが、山路を超え、徒歩で農村をまわり僻遠の地で「草の根」の信徒を訪ね、共に聖書を読み祈る伝道活動であった。農村神学校の活動も賀川氏の提唱する活動で、禁酒運動にも熱心であった。困難な中、田舎臭い祖父に導かれた人々と、家族の団結は彼の宝であった。祖父が受洗に導いた信徒は素晴らしい方がおられた。

 中でも、杵築中学で教鞭を取っていた澤正雄先生は祖父から導かれ、受洗した。彼はその後熊本の回春病院で救ライ活動で有名なエダ・ライト女史を支え、後に新宿高校、桜美林大で英語教師として活躍した。

祖父は1938年に福岡県直方、3年後に田川市と27年間炭坑町の牧師として奉職し、70才まで炭坑に働く人々の伝道活動に情熱を注いだ。祖父のひたむきな伝道への情熱には家族全体が軍隊の一小隊のように応援せざるを得なかった。交通も不便な時代で、どこへ行くのも徒歩であったから、祖父は根気良く賛美歌を詩吟にして歌いながら伝道した。母恭子はオルガニストとして女学校時代から礼拝を支え、母や他の姉妹も付属の幼稚園の先生になるべく、清和などのミッションスクールに行った。当時としては先進的な幼児教育を行っていた。長男の叔父、米倉充は九州大学の哲学科から、アメリカのドゥルー神学校に留学し、長崎の活水女学院や関西学院の教授を勤めた。79年に芥川賞を取った主婦作家、重兼房子さんも田川教会で祖父から受洗した。叔父も田川の実家に帰ると教会学校の教師もしていたから、まさに家中が祖父の伝道に巻き込まれていた。父が戦後復員し、三井鉱山の田川鉱業所に転勤し、祖父の教会に来るようになったが、その時母と結婚したのである。自分はその祖父の教会で昭和22年に生まれ、父の転勤で3才で上京し、千葉県市川市に住んだ。祖父が教団の仕事で上京して来たとき、高校生の時に九州に行くと、食事のときや、寝る前等普段は適当にやっていた自分に取って、いつも祈るよう要求された。困った記憶があるが、その体験が今の信仰生活にも生きている。父曰はこの田舎牧師の次吉をとても尊敬していた。だから、自分にとって聖職者はいつも貧乏で、世事に疎く、無私の存在で、クリスチャンというのは皆そのようになるもの、自分のような俗人は到底信仰生活は無理だと思っていた。自分にはそうした祖父のようなキリスト者は荷が重かった。

 自分は祖父の姿に疑問も持っていた。明治の男の特徴だろうか、妻や子供の迷惑は顧みない。大目標のためには祖父を支えた祖母やその家族は献身的に協力せざるを得なかったが、同時に田舎の炭坑町で戦争中の家族の苦難には無関心であった。戦争中に特高につきまとわれたこともある。祖母は牧師婦人として6人の家族と教会員の世話や雑務を支えたから、家族にとっては祖母は聖人であった。祖父は牧師という職業人ではあるが、善き家庭人ではなかっただろう。自分が信仰に入ったのは祖父のことから一歩距離を置くようになってからである。自分は生まれたときからイエス様の祝福を受けた幸いに長く気が付かなかった。

 田川教会には三井鉱山の幹部の家族も多く、田舎の社交クラブでもあったから、スマートな説教を望んでいる信者もいて、そうした信者の不満に悩んでいた。その万事につけて不器用ではあったし、都会の教会に招かれる事は無かった。叔父の充は次のような思い出を書いている。「いつも黙々と行動し、地味で目立つ事の無い人柄の彼は醇朴で正直な農村や鉱山の人々の間にいるときが最大の喜びであり、慰めであった。不思議な事にこのような人々から、いつも変わる事の無い尊敬と愛情を受けたが、これは田舎牧師の特権であり、天与の賜物であった。」祖父が牧師を引退した年齢に自分もなってしまった今日この頃である。父もそうであったが、信仰者として自分を見つめ直す時に思うのは祖父の思い出でである。



by katoujun2549 | 2019-04-13 23:45 | Comments(0)
昨日、4月10日BSNHKで久しぶりに西部劇、「弾丸を噛め」を見た。1975年作品。リチャードブルックス監督作品で出演がジーンハックマン、キャンディスバーゲン、ジェームスコバーンと懐かしい俳優が揃っている。そのために予定を変更して見てしまった。結構素晴らしい内容に驚いた。最近 西部劇を見なくなって久しい
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最後に見たのはケビンコスナーのダンス・ウイズ・ウルブスくらい。これは1991年作だからもう28年も前。最近は西部開拓のデカプリオ主演のレヴェナント蘇りし者2016年があったがこれは見ていない。西部劇というとインデアンと騎兵隊が定番だったが、アメリカでは開拓時代はインデアンをホロコーストしようとした犯罪的行為が明らかになり、国内ではインデアンが登場する映画は作られなくなった。人種差別問題になるのだろう。そのせいか、西部劇はめったに見られなくなった。この「弾丸を噛め」というのは妙な邦題だが、原題Bite the bullet を直訳したから馴染みのない題名になってしまった。この作品は1981年テレ朝の日曜映画劇場でもテレビ放映されている。あまり話題になっていなと思うが割と地味なストーリー展開だからかもしれない。インデアンも戦争も、保安官や騎兵隊も出ない。

西部劇の面白さは、アメリカの大自然の美しさ、過酷さの中で、繰り広げられるフロンティアスピリットだ。ガンプレイや馬の疾走も見もの。南北戦争が終わり、その生々しい記憶が残っている時代から、さらに米西戦争を経た20世紀初頭のアメリカ。既に大陸横断鉄道がかなり敷設されている。セオドアルーズベルトも話題に登場する。西部劇としては幌馬車とか、シェーンより後だろう。既にサクラメントまでの大陸横断鉄道は開通していた。

物語は1906年ウエスタンプレス新聞社が開催した2000万ドルの賞金をかけた西部横断レースが舞台である。このレースに参加した個性ある連中が味のある演技を見せている。乱暴に動物を扱う青年を演じたジャンマイケルビンセントが無名の頃だが光る個性を見せている。彼は2年前に亡くなった。キャンディスバーゲンは大女優だが、今はデブのおばさんのようだ。昔の生きの良いネーチャンぶりと美しい顔立ちが懐かしい。戦争のはらわたで印象の深いジェームスコバーンも故人となったがジーンハックマンは今も89歳でお元気。
リチャードブルックスは大監督で1992年に79歳で亡くなっている。十字砲火、熱いトタン屋根の猫、カラマーゾフの兄弟などの文芸者が得意。1985年ギャンブラーが最後の作品。これだけの名俳優が絶頂の時に揃ったのは彼ならではのことだろう。おかげでギャラだけでも相当だったろうし、大規模なロケでコストがかかりすぎとの評もある。しかし、アメリカの森林や砂漠、山の中で展開される野趣あふれる競争劇は見る者を飽きさせない。特に馬の好きは人は人馬一体となったレースの過酷さに目を奪われる。途中で力つきる馬、足を怪我して射殺される馬、砂漠を横断するため汗が塩となって馬の体が白く粉を吹く姿など臨場感があふれていて見る者を引き込む。
馬による横断レースという単純な物語に、男の友情、女の浅はかさ、囚人との戦いなど様々な意外な展開に物語に引き込まれる。最後にコバーンとハックマンの男の友情が素晴らしい結末として描かれ爽やかな終わり方であった。

by katoujun2549 | 2019-04-11 16:52 | Comments(0)