野田市で起きれた10歳の小学生虐待死事件では、関係者の教育委員会、児童相談所、小学校などが批判の対象とされている。栗原容疑者の妻も共犯者として逮捕されてしまった。アンケートの写しを栗原容疑者の手に渡してしまったことが、虐待を加速させたことも想像できる。マスコミでは正しく対応していれば救えた命という通説が横行している。共犯者となってしまった妻からは壮絶なDVの状況も伺え、彼女を擁護する声も多い。野田市教育委員会は針の筵であろう。非常識且つ想像力を欠いた容疑者への対応が事件を加速させたことは非難に値するし、野田市のHPでは市長がお詫びの声明を出している。いったい誰に向けてなのか。亡くなった子供に対してだろうか、失われた命は戻らない。しかし、この事件の異常性が報道されるが栗原容疑者の実像がほとんど伝わってこない。一般的には児童虐待の場合、被害者は父親とは血縁のない配偶者の連れ子であることが多い。ところが今回は実子なのだ。ここに事件の異常性が見える。事件は一人のサイコパスに周囲が騙され、振り回されたのだ。精神異常者というのは一見して分かるものではなく、異常者は正常を装い、周囲をだまし、目的を達成しようとするからだ。
Wikipedia によるとサイコパスに次の説明がある
オックスフォード大学の心理学専門家ケヴィン・ダットンによると、サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義、である[1]。現状では、チェックリストのみが診断基準であるので医学的にサイコパスと同じ状態であっても反社会性がなければサイコパスとはならない。反社会性などの診断基準を満たす者は幼少期からの素行問題など行動面の異常を示すことが多い[2]。
日本国の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律・第5条に、「この法律で『精神障害者』とは、統合失調症、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者をいう」と定義され、精神障害者に該当しつつ、保護の対象者と成る事を法的に認めているが、必ずしも全てが該当するとも言えず、時代相応の医学(科学)的な診断結果に基づいて判断される。
サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義、であり、サイコパスの人間の大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者であるとされている。
しかし中程度以下のサイコパスであれば、社会的成功を収めることも多いとされている。サイコパスはその定義上、悪人とされる[3]。そして彼らが悪事に手を染める理由にはありとあらゆるものがあるとイェール大学の心理学専門家ポール・ブルームは断定している[3]。
加害者の父親は日常、職場などでは真面目で異常性を感じさせない人物だったという。この二重性をどう説明するかである。彼は周囲を騙し、自身も被害者と思い込んでいるかもしれない。あきらかに、サイコパス、精神異常なのだ。ところが、これを警察は認めたくない。裁判にも影響するからだ。このことは裁判まで世の中に公表されないかもしれない。弁護側は栗原容疑者の精神異常を減刑の論拠にするだろう。しかし、犯罪にまで至る正常な感覚の喪失を警察は認めたくない。日本では精神病に対するハードルが高い。
しかし、マスコミがこのサイコパスの問題触れようとしないとうことは不可解。これからも同様の事件は起きるだろう。サイコパスという人物の知識がなさすぎる。栗原容疑者の執拗な子供会の執着。自己正当化、そしてDV。どう見ても異常だ。教育委員会も、児童相談所も彼がそのような人物だということが全ての原因であることを見抜けなかったことこそ問題なのである。