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剣道段審査:段位獲得の道ー自分の体験から

剣道の昇段審査は4段以上から難易度が上がり、五段は県連主催の昇段審査では最高段位であるためか、県によってはさらに厳しい判定がある。審査基準を日頃の稽古にどう実行できるかに関しては、指導者が丁寧に説明する必要があると思う。六段以上に挑戦するには次のことを頭に入れて稽古すべきである。自分が体験、心がけたことを下記に述べたい。ご参考にしていただければ有難い。

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⒈審査基準


(審査基準をどう理解するか)

審査の基準は三段までの基準が正しい着装と礼法、適正な姿勢、 基本に則した打突、充実した気勢である。初段から3年間普通に取り組めば、誰でもこれらは達成可能である。しかし、逆に、高段審査でも、着装において、面の手ぬぐいが飛び出していたり、面紐が長過ぎ、竹刀の中締めが歪んだり、竹刀の握りが鍔元から離れたり、うっかりすると欠点が緊張のあまり露わになるから、初心者にかぎらず、要注意である。ここを間違うと審査は最初から落ちたも同然なのだ。

(4段)

4段から5段は初段から三段までの着眼点に「応用技の錬熟度、鍛錬度、勝負の歩合」を加えたものである。いずれも抽象的だが、剣道に取り組んでいるものであれば、応用技、基本的な面、小手、胴打ちに加え、出鼻、抜き、擦り上げ、引き技といった技が時間内で出るかどうかがポイントである。審査の場合、あくまでも、これらを使って面が打てるかが評価の基本である。

(5段)

 自分は5段が壁だった。鍛錬度は日頃の稽古の結果、活発な動き、気・剣・体の一致、残心、掛け声が出ているかというところで判断されるだろう。勝負の歩合というのは、間合い、攻めが打突の機を捉えているかである。1足1刀の間合いをどう詰めるかである。そのためには常に前に出る心がけが大事である。試合では下がることも駆け引きだが、審査では評価が悪くなる。自分は立ち会った時に、間合いを切るように一歩下がる癖があり、このために何度も五段を失敗した。回数は10回くらいだが忘れてしまうほど。学生の剣道から卒業し、試合に勝てば良いというところから脱出しなければならない。むしろ社会人から剣道を始め、ここまで順調に進む人もいる。その反対もけっこう多い。自分の体力に任せているといずれ衰え、そこから崩壊が始まる。再構築することをお勧めしたい。

(6段)

5段審査より一本の打ちの質にこだわりがあるようだ。面打ちがきちんと面布団を叩いているか、残心が取れているか、姿勢が崩れていないかを5段より厳しく見ている。6段は2度目で、この二点を修正、合格した。稽古を続けることから道は開ける。全剣連の主催で、審査員も八段の先生方が選定される。五段の基準を深めれば受かると思う。五段の基準の上に組み立てることで良いと思う。

7段以上)

 問題は、全日本剣道連盟主催の七段から八段までの実技審査の基準である。初段から6段までの着眼点に加え、下記の項目について、更に高度な技倆を総合的に判断し、当該段位相当の実力があるか否かを審査する。そこで、理合・風格・品位という要素が入ってくる。これが実に分りにくいのである。高度な技量とはどんなことだろうか。自分なりに心がけたことを下記に述べたい。審査員も全員八段である。ということは八段の先生にご指導頂く機会が欲しい。


(真っ直ぐな面)


 これがどんな相手でも打てるかどうかである。基本稽古のときに出来る真っ直ぐな面が、地稽古や試合になると出ない。どうしても打ちたい気持ちが先立つと、右手に力が入ってしまい、相手の中心から外れてしまう。基本稽古のイメージを定着させるように素振り、基本稽古を繰り返すしかないのだろうと思う。これを一番効果的に行えるのは切り返しではないだろうか、左右面も左手の軸をブレないで打てれば正面打ちに準ずる評価であり、試合でも一本になる。自分と同等、あるいは八段の先生にかかっても真っ直ぐな面は出ない。当然である。だからこのためには、自分より段の低い相手、初心の相手といえどもきちんと真っ直ぐな面を打っていけば稽古になるのである。剣道において、稽古の相手というのはどんな相手でも大切である。高段高名の先生の追いかけをしている人がいるが、時間の無駄。かえって無理をして気を奪われ、形が崩れる原因になっている。むしろ、指導する機会の多い方が有効である。お手本になるようきちんと打てば良い稽古になる。少年指導に取り組む方で高段をとる方がいる理由である。ただし、地方などで高段の先生からご指導をいただくことの少ない人は別である。

(タメが無いー理合と技の違い)


 理合とタメは表裏一体ではないだろうか。日本剣道形の様々な技、抜いたり擦り上げたり、は技である。理合はそこに至るまでの過程だと思う。攻めの最後の段階。打ち太刀は機を見て打ち込むが、その機を仕太刀は攻めを効かせ、導く。無闇に打ち込むのでは無い。そもそも、タメとは、何かが分からない。大ぶりな基本面打ちはタメがあるとは言わないだろう。


面打ちにおいて、必要な要素は「手の内」の冴えである。これは竹刀の握り方、打ち込んだときの絞り、打った後の体の伸び、姿勢によって完璧な面打ちができると言える。5段以上の相手であれば、普通に打っていくと竹刀で抑えられたり、受けられたりして単純に打ち込むのは難しい。技の起こりは最後まで見られないように左拳を自分の中心から外さず、剣先は相手の中心を外さないことが相手の対応を抑える動作である。一拍子の打ちができるようになれば、極力相手に近いところまで攻めを効かせて打てるだろう。一言で言えば理合に合った攻めである。相手を制圧し、タメのある打ちが結果的に生まれるということではないだろうか。


(打突の時に姿勢が崩れる)


 姿勢が崩れることは体力の消耗にもつながり、攻防の弱点にもなる。姿勢が崩れては有効打突も打てない。構えだけで姿勢が崩れることはないだろう。問題は打突の後である。これは、右足を出した打ち込みの後、左足を素早くひきつけることで達成される。また構えにおいて、左右の足が大きく開いていると打ち込みのときに姿勢を崩すことにつながる。また、 小手を打った後、残心が取れない。打った後瞬間的に左足を引きつければ体は崩れないから、残心をとる余裕が出る。日頃の稽古で心がけるべきである。


(体勢が崩れない構え)

 風格のある構えと言っても、なかなか定義出来ない。左手が中心から外れる打ち込まれたとき左手を上げて右手を隠せば小手も面も相手は打てない。しかし、これをやると、この形から反撃すると時間がかかり、相手も打てないが自分の攻めも消える。構えも崩れてしまうから、日頃の稽古で構えを崩さないよう集中度と姿勢を保つように心がけたい。きちんとした正眼の構えを打ち込むことは子供に対してでも難しい。相手が打つ前に竹刀で手元を抑え、凌ぎ、剣先の運用でさばくようにしたい。遅れると受けになり、次の技も出ない。面に来たら擦り上げ胴、小手に来たら擦り上げて打つしか無くなる。いずれも、審査員の良い評価にはつながらない。後手になっている感じになるからだ。あくまでも、先を取るという姿勢=動作が必要である。良い構えは形から入る見かけより、構えから生まれる動きに着目して稽古したい。打たれる形だけの構えは審査員からマイナスの評価になる。


(無駄打ちが無い)


 審査において無駄打ちがないことも評価の条件である。時間内に二人を相手にするが、必ず一本は打ちたい。そのためには構えで間合いをはかり、一本の打ちが成功する機会を狙うこと、あるいは相手を動かして自分が打てる距離、あいての注意を自分の中心から外すといった工夫が必要だろう。かつて、恩師中倉先生は天才であり、稽古でも八段の高段者に一息ごとに打ち込まれるほど。ところが、打ちは必ず剣先3寸の物打ちで外されることがなかった。まさに無駄打ちをしないことは剣道の品格、姿勢の保持にもつながることである。剣道の稽古や試合の目的でもある。これこそ究極の目標である。打突の好機を狙うためには良い構えで相手を崩していくしかない。どの段位でも、受験者より一歩上である事を審査員に評価してもらわなければならない。時間に制限があるからそこが一苦労だ。高齢者の立会いを見ると、初太刀に失敗して焦って自滅しているケースが多い。何度も打ち損じると、もう5段にも受からないような剣道になっている。不動心とはよく言ったものである。


(品位ある剣)

 これも抽象的な概念だが、ここに剣道の良さと目標があると思う。永遠の課題だ。これは日頃の剣道に対する取り組み方、心がけ、相手を尊重する気持ちなど、精神的な要素もあり、ここも審査では見られているのだと思う。剣道は強いということで昇段が成功するのは70歳以上では通用しない。40歳代の第一審査会場の受験者の強さは半端ではない。錚々たる剣暦の持ち主や、警察や教員の専門家も混じっているのである。彼らでも合格しない審査になぜ気力体力も衰えている高齢の合格者が存在するかである。精神面も見られているのだと思う。打ちたい、合格したいのは皆同じである。ここに剣道の良さと怖さがある。剣道が強いから人格が優れているとは思わないが、剣道に取り組む以上心がけるべきだ。狡い技、暴力的な態度は取ら無いということである。紳士的に相手を尊重し、打たれれば堂々としていれば良い。無理をすると品格が落ちる。七段は何処の道場でも少ないから、皆の注目は批判も含めて集中する。気をつけねばならないという事である。

日頃の稽古だけでは身につけることが難しい。日常生活から形成されるものでもある。具体的に稽古においてはむしろ形の稽古において考えていくほうが近道かもしれない。形の稽古は、相手の気持と合わせ、目線、呼吸、気合、機、気、礼儀、心の平常心などの要素を全て包含していると思う。竹刀剣道では忘れがちな諸点をカバーしてくれる。八段の先生方が大切にしておられることが分かる。審査のための形ではなく、この形の理合、正しい気勢、形をきちんと指導できる指導者が少ないことが残念である。県連の講習会は団体指導であるが、形の稽古は個人指導が必要である。順序や形だけではなく、理合、気勢などをきちんと教えられる機会が少ない。


以上、七段をいただいた意味は「正しい剣道」とは何かを追い求めることであると思う。自分の剣道にこれら諸点をさらに身につけるよう、これら着眼点を修行の目標として意識して取り組みたい。












by katoujun2549 | 2017-12-05 10:03 | 武道・剣道 | Comments(0)