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祝賀されないロシア革命100年

今年はロシア革命という世界史上の大事件後100年になる。その割にはロシアで祭典や大きなイヴェントが少ない。プーチン政権は、ロシア革命を大々的に祝賀できない理由があるのだろう。というより、プーチン政権はかつてのツアーリズムが強いロシアを再生するという思想を持っている。独裁者は失敗してきたのだが、歴史は逆流している。王朝や帝政という権力支配が見直されている。中国も習近平王朝、北朝鮮も金王家に支配されている。
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自分が20代の頃まで、また歴史の学習においても、さらには、マスコミもロシア革命は善であった。民衆が共産党を選択し、党に権力を集中したという理解が行われて、高校時代、社会の教師は歴史の必然だとも言い切った。ところが、革命を推進したはずのスターリンが批判され、ソビエト連邦が官僚制と共産党独裁の名の下に恐怖政治を行ったたことへの拒否感がロシア革命の評価を下げた。ペレストロイカとグラスノスチの結果、情報が公開され、真実が明らかになった。スターリンの批判から、更に今ではレーニンの恐怖政治も公表され、革命は国民に悲惨と暴力、さらには死をもたらしただけのものという見解が生まれた。
ところが、今、ロシアでは若い人逹にスターリンを評価する動きがあるという。独ソ戦を指導しファシズムに勝利したという功績を評価したのであろう。それにしても、ロシア革命におけるロシア人の犠牲は膨大で、独ソ戦以上の悲劇だったのかもしれない。にもかかわらず、恐怖の立役者を評価するという国民性を日本人は理解できない。強い者が正義という恐るべき国民感覚である。土着の国民性は克服出来ない。日本だって、諦観という観念は根強い。

1917年ロシア革命がレーニン、トロッキーのリーダーシップによりケレンスキー政権の打倒に至ったことは事実だが、実相はかなり我々の常識とは違っていた。第一次世界大戦にロシアは疲弊していたが、ケレンスキー政権は好戦的だった。ドイツの参謀、ルーデンドルフはレーニンを亡命中のスイスからモスクワに送りこんだ。多額の活動資金付きだった。彼は敵国ドイツの手先だった。ボルシェヴィキと赤衛軍を組織し、民衆や軍を動員し、革命を成就させるというイメージがあるが、それは後に作られたもの。実際は一部であって軍を掌握してはいなかった。10月革命の映像で、大部隊が正門から感動的に総攻撃するシーンがあるが、これは後に作られた映像で、実は違う。ペテルブルクの冬宮を攻撃したのは小部隊であり、裏口から、急襲したクーデターだった。大した戦闘もなく偶然にも成功してしまったのだ。ケレンスキー政権を逃亡させ内戦に突入した。3月に皇帝を逮捕して権力を握ったレーニンは、広大なロシアの掌握にかかる。そのため、労働組合や、宗教組織を利用し、ソビエトを編成した。ソビエトとボルシェビキに権力を集中したが革命の意義を民衆に伝えて教育する余裕は無かった。都市労働者と農民を味方につけるためにレーニンは土地の分配を行った。
 ブレストリトフスク条約を締結、ドイツと講和すると、バルト三国、ベラルーシ、ウクライナを失った。ウクライナは独立宣言しソビエトに戦争を仕掛けてきた。散々な結果になるが、民衆を説得するため、レーニンは、フランス革命のジャコバン党の恐怖政治を学び、これを徹底し、軍を掌握することに専念、成功する。革命の実態を知る最初の支持者は逮捕され、収容所ソルベッキー島に送り、多くは処刑された。ロシア革命は最初から、殺戮の恐怖にまみれた政治によってはじめられた。1922年のソビエト連邦成立以前から秘密警察によって、理想社会の建設を大義名分に政権内部のエスエルやポルシェビキまで巻き込んで粛清の嵐は第2次大戦まで吹き荒れた。軍を維持するため資金が必要だが、工業が未発達なロシアは農産物や材木を輸出することしか道が無かった。そこで農民の搾取が始まり、反抗的だったウクライナは300万人の餓死者を出した。革命によって土地を与えられ、生産に励んで成功した農民、技術を持った農民は富農として虐殺され、貧農ばかりがコルホーズで集団生活を余儀なくされた。これが、革命の実態だった。惨めな状態を隠すため、エイゼンシュタインなどの芸術家が動員され、捏造報道とプロバガンダ映画が作られた。

 日本の共産党もすっかり騙されたのである。彼らのユートピアは実は奇妙な思想に基づくものであった。ニコライフィヨードロフという人物の宇宙主義思想。レーニンは死後クレムリンに遺体保存処理され、祀られた。まるで、エジプトのミイラではないか。実は同じ考えだった。将来生命復活技術が発達し、その時レーニンは復活するという信仰があった。いや、人間は不死になるため、 地球は人間で溢れるだろうから、宇宙に居住するしかない。そこで、革命後、宇宙開発が始まり、ツィオルコフスキーの大気圏脱出のロケット技術が生まれた。ソ連の人工衛星と有人衛星があれほど早く開発されたのはロシア革命以来の研究の成果だったのだ。
1917年以降のロシア革命やレーニン、スターリンの政策や悲惨な国民の状態はここでは述べない。多くの証言者は既にこの世にいない。生き残って歴史を知らない連中が、ロシア革命やスターリンを賞賛してるに過ぎない。既にレーニンは最悪の指導者になっている。ロシア革命が祝賀されない理由があるのだ。今のプーチン政権はかつてのツアーの復活がロシアを再生させると信じている。





Wikipediaより

ロシア宇宙主義は自然哲学キリスト教ロシア正教)の考え方を基盤としており、宇宙人間の起源・進化・未来の歴史と哲学を扱う。ロシア宇宙主義の多くの考え方は後にトランスヒューマニズムへと発展した。

草分けとされるのは「モスクワソクラテス」との異名を持つルミャンツェフ図書館司書ニコライ・フョードロフで、生前彼は表立つことを潔しとせずまとまった形での著書を残していないが、死後弟子により編纂された主著に『共同事業の哲学』(露:Философия общего дела、1906-1913)がある。彼の基本的な思想は、自然を制御することによる重力の克服と、全ての父祖の文字通りの復活、そして人間の不死である。フョードロフはこの人間の復活と不死に向けた全人類的なプロジェクトを「共同事業」(obshchee delo)と呼び、全人類が一体となってこの「事業」に取り組むことによって血縁性(rodstvo)を取り戻し、人間の不幸の根本的原因であるこの世界の非血縁性から自らを解放せよと呼びかける。

のちにロシア宇宙主義が、ロシアにおいて文学・哲学、政治、科学など多方面に影響を及ぼしたことは特筆に値する。文学・哲学では、レフ・トルストイドストエフスキー、哲学者ウラジーミル・ソロヴィヨフが彼の思想に大きな影響を受けたことが知られる[1]。またロシア革命の前後に活躍したブリューソフロシア象徴主義の詩人・作家、イワン・フィリプチェンコやアレクセイ・ガースチェフといったプロレタリア詩人、アンドレイ・プラトーノフボリス・パステルナークなど幅広い層の詩人・作家たちに影響が認められる。自然の制御・改造と新しい人間の創出、「共同事業」といったロシア宇宙主義の考え方は、のちにボリシェヴィキの一部に受け入れられた。例えばアレクサンドル・ボグダーノフは自身が主導したいわゆる「プロレトクリト」運動のなかで身体の改造を唱え、輸血実験の最中に事故死した[2]。また、ソ連の宇宙開発に先鞭をつけたコンスタンチン・ツィオルコフスキーはフョードロフとも面識があり、彼に強く影響を受けている。



by katoujun2549 | 2017-11-16 22:51 | 国際政治 | Comments(0)