新潟県に足りないもの 新潟の未来を切り開くには

新潟県に足りないものーそれはシュート力

 新発田に来てびっくりしたのが、新発田の顔は堀部安兵衛だということだ。町には義士祭というお祭りと、菩提寺である長徳寺には四十七士の木像が堂に保存されている。赤穂浪士の一人であり、高田馬場の決闘で有名な剣客であることは知っていたが、新発田との結びつきは東京では知らなかった。赤穂と新発田では全く方向違いだからであるが、彼は旧姓は中山で、高田馬場の助っ人の潔さを買われて、赤穂藩の堀部家に養子に迎えられたのであった。彼は浪士に加わらずともよかったが、堀部家と内蔵助に忠誠を誓い、浅野家襲撃に加わった。赤穂浪士の襲撃は主君の恨みを晴らすというより、主君が浅野匠守を打ち果たせなかった不手際を恥じたもので、今の感覚では理解できない。義士を崇拝するようになったのは明治以降、反徳川感覚と、忠君愛国の道徳が広がったせいで、江戸時代は歌舞伎には取り上げられたが、この内容は全くフィクションであった。

 新発田の礎は溝口秀勝である。彼は加賀から移った若狭から転封し、わずか5
0騎の手勢を引き連れて新発田城主となった。彼は新発田の名主市島家を重用し、周辺の開墾により、6万石を10万石まで伸ばし、さらに後世において30万石の石高を上げるほどに業績を伸ばした。後に幕府に何度か返上し、6万石であったが実際はそれ以上であったという。石高が上がると幕府の上納や役職負担が増えるからであった。市島家は加賀から溝口秀勝公と共に移り、新発田藩の発展に貢献した。新潟移住後、売薬業を皮切りに海産物や金物を商いながら、福島潟の干拓を中心とした蒲原平野の開墾を行い、北陸有数の大地主・豪農となった。溝口家は信長、秀吉、家康と、時の権力者に追随し、明治維新のときも列藩同盟から外れ、政府軍に加わり、外様ながら、12代に渡り一度も取り潰されること無く明治まで続いたのであった。時の権力の推移に敏で、領地も着実に拡大した名君であった。溝口家は藩校、道学堂において教育にも力を入れ、新発田は教育の町でもある。明治以降、今村均、大杉栄、蕗谷虹児などの教養人を生んできた。市島家は大隈重信を支え、早稲田大学の創設においては資金の援助などに貢献した。数年前に亡くなったが天田昭次氏は日本刀鍛冶の人間国宝であった。新発田出身の知名人を並べてしまったが、これは本意ではない。ここまで書いて抜けている人がいる。

 それは大倉喜八郎である。彼は大倉財閥の祖として、明治、大正、昭和と活躍、一大財閥を成し、東京経済大学を創設するなど、社会に大きな貢献をなした。旧富士銀行、大成建設、サッポロビール、帝国劇場など多くの企業を起した。ところが、彼の存在はあまり新発田では人気が無い。缶詰に石を入れて輸出したとか死の商人といった悪名も嘘をまじえて地元では流布していた。最近になって新発田の顔として各方面で取り上げられるようになったのだが。理由としては、新発田のみならず、新潟県は「士農工商」の階層感覚が強いことがあるだろう。今日も、部落問題などの人権問題が起こる土地柄でもある。要は、
堀部安兵衛は「士」市島は「農」、天田氏や蕗谷虹児は「工」そして大倉は「商」である。自分は新潟県の発展を実はこの感覚が阻んでいると見ている。最近、マスコミなどで
燕三条の金物が脚光を浴び、誠に結構であるが、この産業の生産量と雇用はどれだけのものか、調べてはいないが、鑢の溝を切ったり、食器磨きでどれだけ雇用が生まれるのだろうか。新潟では、これらが誇りなのであるが、実はこの県の問題解消にはつながらない。新潟県は人口減少に悩んでおり、多くの市町村が人口半減に怯えている。その切り札は、産業と雇用である。商業の位置づけ、特に販売業の地位が低いように思える。新卒者の進路として販売業というのは人気がないのではないか。かつての商大であった一橋大や慶応にいく学生が少ない。 新潟県が今最も必要なことは高齢社会に向けての安心な人作りである
。そのためには充実したサービスや市場を読んだ商品が必要であり、PRも必要だ。ところが、この分野の開拓は新潟は苦手である。

 折角有数の穀倉と豊富な食材、温和な人々や自然に恵まれているのに、当地では、ここは田舎で何も無いという。一見謙遜に見えるが、これは自からの無知を公言している。とんでもない。大倉喜八郎は日本を股にかけた大商人である。その商売上手が新発田では悪辣な商売人として悪名を馳せている。大倉喜八郎の業績は正しく評価されていない。そんな風土なのである。高校生や大学生の進路で人気があるのは教員、公務員、看護師である。昨年の新潟市内の教員の採用は公立はゼロである。少子化のため教員は増えないのにである。この方向を断念した人が販売会社やサービス業に向かう。英語の出来る学生は英語の教師になりたいのであって、商社やホテルマンとして最初から方向を決めている人は少ないし、そうであれば東京に行ってしまう。県内のメーカーに就職を希望している学生は商品企画をしたいというが、新人の出来る仕事ではない。採用してくれる会社の商品を大いに売りまくりたいという学生は少ない。商品の価値を決めるのはこれを売る人であるということに気がつかない。良いものであれば売れるというものではない。今の日本が切り開かねばならないものは市場のニーズを先取りしたイノベーションである。よいかどうかは市場が決める。販売力に結びついた商品企画の無さが、人材の育成を阻み、新潟の人口を東京に奪われていると自分は見ている。新潟駅に行くと、いつも笹団子と柿の種が目に付くが、笹団子なんぞ一人一個食べれば何個も食べたいものではない。それもワンパック1300円程度で買える。柿の種にいたっては1000円以下ではないか。3千円も出せば大きな缶入りでかさ張ってしまう。こんなものを売りにするようでは出張帰りの格好な安手の土産で喜ばれてしまう。加島屋の鮭茶付けとか、大吟醸酒、ノドグロの干物なら3000円はする。小千谷上布だったら何万円もするが売っていない。カードを使ってでも買いたいものが無い。手持ちの現金で買える安物の品揃えばかりではないか。笹団子と柿の種は駅のキオスク以外販売禁止だ。伊勢の赤福は近鉄線の沿線しか売っていないが大盛況だ。(JRはお福で赤福ではない)この辺の販売戦略がなっていないし、駅ビルの土産物売り場もぱっとしない。

 新潟は確かに田舎である。でも良いではないか!田舎を売りにしてしまえ。美味しい魚、酒、景色を売るのではない。これは全国どこにでもあるのだ。これは東京や大阪の都会の人間が考える田舎のことである。彼らをターゲットに彼らのイメージを上手く作った田舎である。この田舎は棚田とか、古民家だけではない。レトロな取り残されたような市街地、30年前の食堂や喫茶店、写真館が残っている。今の高齢者が50年前の青春時代を送った故郷。日本の故郷となるに十分な資源がある。東京には何代か前に東京に来て故郷を失った人間が沢山いる。そうした人々、特に高齢者を第二の故郷として迎えれば良いではないか。彼らは充分な資産を持っている。彼らの二居住を確保し、老後を安定させるために介護保険の付け替えとか、新しい制度企画をすればよい。東京の資産を担保にリバースモーゲージとリンクしたセカンドライフである。高齢になればガンになる人は3人に1人くらいに高まるのだから、新潟大学の医学部はがん治療の権威として抗がん剤治療や、放射線治療の施設と人材の充実を計れば新潟に住むメリットも生まれる。新潟大学では重粒子線治療の施設が出来るではないか。困っている人を支え、夢を持つ人の実現を図ることが事業の成功をもたらす。人生最後の時を豊かな自然と共にゆったりすごしてはどうか。その為には、彼らに買ってもらえるような商品、アウトドア、温泉の宿泊、サービスである。そうした基盤を作るのは人である。他者に奉仕する心を持った人材の育成である。このためには、地域との触れあい、他人の心を理解する洞察力、共感する力である。市場調査やアンケートをとることも大事だが、これを実行する人がいなければ画餅。越後の人間は。忍耐力に優れ、他人を支える奉仕の心も旺盛であり、親切心に富む熱い血を持っている。ところが、これらが発揮されているかどうか、時には理解に苦しむこともある。自らが進んで行なったり、意見を述べる人が少ない。結構陰湿な投書などはおさかんだから、おとなしい割りに人権問題も起きる。
 従ってPRも下手である。豊かな資源を全国に、さらには世界に発信していくためには横並びの感覚ではだめである。日本のサッカーが変わってきたのはまさに、そうのようなパス回しの「個人プレー」ではなく、自分のチャンスは逃すことなく、ロングシュート、ミドルシュートなど機会を得れば果敢にチャレンジすることができるようになったことである。これこそ、世界に通用する当たり前の技能であり、皆で目指すことである。要は目標を決め、これらを達成する技能すなわち戦略と集中力が欠けているのだ。


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by katoujun2549 | 2016-03-29 13:13 | Comments(0)