書評 私たちは中国でなにをしたか―元日本人戦犯の記録
私たちは中国でなにをしたか―元日本人戦犯の記録
著者:中国帰還者連絡会編
発行:新風書房(四六版 234頁)
発売:1995年4月25日 定価:1800円
大日本帝国陸軍が中国で行なった中国人に対する残虐行為、友人の家にあった写真集、満州で首を切られた捕虜の死体などの写真で見たが、日本軍が中国で行なった行状に関しては惨い事が多々あったのだろうと推測は出来る。多くの兵士が突刺し訓練と称し、捕虜や民間人を殺した。ゲリラへの尋問後無実でも拷問の痕跡を消すために殺した。強姦は認められていなかった。厳しく処罰されるが故に殺した。当然証拠隠滅、軍規が厳しいから略奪婦女暴行は無かったなどという事を信じる人はいないのではないか。日本軍は補給無視の現地調達である。南京での写真が、虚偽だと言って、全てが無かったと言っても日本人でも信じない。特に八路軍のゲリラ活動が行なわれた地域は日本軍は相当手を焼いたはずで、ゲリラ活動を抑えるには住民もその一味と考えて、しばしば皆殺しが行なわれることは、ナチスのフランスレジスタンスに対する戦法、ベトナムでの米軍の村落での残虐行為などを見ても明らかで、戦争の最も過酷な一面である。当たり前に行われた時代もあった。日本軍にこうした行為が無かったとみるには無理があるだろう。しかも、これを行なった兵士が公に証言することは難しい。中国はこのことを歴史的記録に残すことに躍起となった。そこで、彼らは、シベリアに抑留されていた日本軍の捕虜1100名を中国に移送し、彼らが中国で行なった残虐行為を自白させた。中には誇張もあるし、立証が難しいものがある。中国での日本人戦犯(中国抑留者 )は2組に大別。 一組はソ連に抑留後、1950(昭和25)年に中国に引き渡された969人、降伏した日本軍の投降官となった閻錫山(えん しゃくざん)の強い要請で、山西省に残留した第1軍関係者だった。ソ連からの969人は「撫順戦犯管理所」に、後者の140人は「太原戦犯管理所」 という「監獄」に収容された。収容者のほとんどは、1956(昭和31)年に帰国(起訴免除)した。短い人で中国に6年間、ソ連に5年間、あわせて約11年間の収容所生活を余儀なくされた。帰国者たちの「手記」の一部が本として公になり、これがあまりにも酷い内容で、彼らは特殊な環境の中で「洗脳」されたという見解を持つものも少なくない。自分はこの証言集を年末に読んだが、彼らは毛頭洗脳されたと言う感覚が無いが、洗脳やマインドコントロールというのはそのようなものかもしれない。 彼らの証言を洗脳の結果として葬り去るには、無理がある。中国側の対応や、彼らがどのような行動を収容所で取ったかという証言を読むとそのリアリティに心を動かされる。これらを嘘だと言って葬り去るのは簡単だが、戦時中の日本人の中国人に対する蔑視感情や、731部隊で生体実験を行なったことを否定することも出来ない。日中戦争だって、国内では不拡大路線を主戦論者が押し切り、時には暴走し、防衛で済むところを侵略と言われても抗弁できないところに至ってしまった。その政策ミスを反省もせず、責任者を弾劾することなく、正当性を主張している連中は世界を説得できない。加害者の常套句は命令には逆らえなかった、召集されたので好んで来たわけではない。天皇の命令は絶対だということで、これはナチスのアイヒマンも使った自己弁護で被害者には全く説得力が無いのである。洗脳かどうかはともかく、中国の狙いは戦争中の日本人の国家観、また、中国から無事に帰還した兵士達が、中国で行なった行状を無かったかのごとく封印し、又、告白した人々を異端視する一部の右翼連中に対して、中国は国際社会において、その記録を公開し、訴え続けるだろう。裁判記録は2015年になって中国各所で公開されている。まさにこのために撫順での彼らの工作は周到に行なわれたのである。この加害者証言と被害者証言が一致していれば歴史的にはもう否定できない。いくら日本会議の連中が帝国陸軍は正しかったといっても、安倍の取り巻きがわめこうが、石原慎太郎が怒っても、桜井よし子が吠えても、弁護士出の稲田朋美が百人切りは無かったと言おうと、残念ながら世界で認める国は無い。過去の解釈に勝ち目がないのである。中国が日本に要求する歴史認識というのは大日本帝国の犯した中国人に対する犯罪行為を忘れるなということである。しかし、過去を日中で共有することは実際は難しい。それぞれ言い分があるからだ。自分は何を言いたいかというと日中国交回復時に田中角栄と大平正芳が周恩来と交渉したときのguilty conscious という前提を忘れてはならない。そしてそこから未来志向を互いに共有し合うことである。