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2015ノーベル賞受賞スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ著「戦争は女の顔をしていない」群像社版

スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ著
「戦争は女の顔をしていない」群像社版
を読んで感じたこと

偶然この本を昨日読み終えたら、彼女のノーベル賞文学賞が決まった。著者はノーベル文学賞最有力候補に村上春樹と共に名前が上がっていたベラルーシの(首都ミンスク)の作家である。第二次世界大戦独ソ戦において100万人のロシア女性が最前線で戦った。その体験を手記にまとめたのがこの本である。10日前、新潟日報に大きく紹介されていたので、図書館に問い合わせたら、この本だけあった。恐らく、本屋では慌てているだろう。あまり売られていない。1948年生まれで彼女は戦争を体験していない。しかし、数百人の戦場に行った女性にインタビューし、その過酷な体験を次の世代に伝える役割を果たした。ソ連体制崩壊前、30年前にかかれたもので、彼女たちはただ激戦の様子を語るだけではなく、女性らしい感性で、戦場の色や感情、倒れて苦しむ馬や、衛生兵として負傷者を救出したり、死にゆくドイツ兵や捕虜のことを語っている。小説家の手法として膨大なインタビューをまとめた作品では村上春樹のアンダーグラウンドを思い起こさせる。これは地下鉄サリン事件の被害者を取材したものだ。戦争では何十万人と言う単位で犠牲が生まれる。しかし、それぞれに人生があり、悲しみも喜びもある。これを統計的数字から開放して、人々に語りかけるようにする。スターリンは「ひとりの死は悲劇だが、集団の死は統計だ」と言ったとか、ホロコーストの実行者アイヒマンが言ったとか諸説あるが、良くわからない。レマルクが長編黒いオベリスクという小説に「でも確かにそうですよ、一つだけならいつでも死だが、二百万となると常に統計なのだから・・・・と書いている。(Aber das ist wohl so, weil ein einzelner immer der Tod ist — und zweiMillionen immer nur eine Statistik)われわれ証言集ではその一人ひとりの体験がつづられる。言論統制の厳しい当時のソ連で、当初は放置されていたこの本は、彼女がチェルノブイリ原発事故被災者の証言集「チェリノブイリの祈り」を出した後評価が高まった。
 目撃した者、経験した者はその恐怖をかたり続けなければならない。統計的な数字に凍結された一人一人の死、生き様、物語を解凍し、再現する。原発事故で多くの動物が処分され、村や森が埋められた。これは戦争体験にも通じる。恐怖や友の死、死線を彷徨した体験は忘れられないが、語れない。
 自分も同世代として多くの人生の先輩から戦争中の話を聞いた。戦争の愚かさ、国家が語る戦争と犠牲になった人々、戦場で体験した恐怖、物言わぬ死者、犠牲になった子供や弱い立場の人々、馬や犬、魚に至る生とし生けるものの立場に立てば戦争は絶対悪である。政治や歴史のなかで無味乾燥に消毒済みとなった現実を真実の姿に再現することが証言であり、文学の力である。
 団塊の世代である昭和22年生まれは第二次大戦が終結して二年後に生まれた。戦中派が自分の親や叔父叔母の時代で、子供の頃、親類の集まりや、戦中派の教師などの大人達の会話から戦時中の体験を漏れ聞いたりした。自分の両親も戦中派だったが、子供に戦争中のことを敢えて語ろうとしない場合も多い。つらかった時代を忘れようと懸命に働き、高度成長を実現した世代は、辛かった時代を思い出したくない。戦争は不条理な体験を強いる。体験者も整理がつかないこともあるのではないだろうか。リベラルアーツ教育は教養教育と一言で言っても何のことか分からない。しかし、自分は、経済学、法学といった統計や規則を学ぶことから、もう一度人間のレベルに立って、心を持った一人ひとりを思って物を考えることだと思う。そこで隣人のこと、地域のこと、人を愛することから戦争とは無縁である。平和主義も生まれるのである。 
 この本で印象に残った部分は多々あるが、あるエピソードを紹介しよう。戦後も彼女たちは英雄的な体験しか話せなかった。しかし、彼女たちの心の闇を語らせることに成功した。壮絶な独ソ戦の戦場。これは沖縄でも同じだろうが。看護婦エリンスカヤの話。「戦闘を覚えているわ・・・、その時沢山のドイツ人捕虜を取った。中には負傷者がいて私は手当てをしてやったけど、負傷者は味方の青年たちと同じように呻いていました。ものすごい暑さだった。水を飲ませてやった。見通しの聞く場所で、銃撃に晒されていた。直ちに塹壕にたてこもって、カモフラージュせよとの命令。私たちは塹壕を掘り始めた。ドイツ人たちは見ている。私たちは身振りで彫るのを手伝えと命令した。何をしろと言われて、捕虜たちはパニックに陥ったわ。穴が掘りあがったら、その縁に自分たちは立たされ銃殺されるんだと思ったのね、覚悟をしていました。どんな恐怖にとらわれて穴を掘ったか見たものしか分かりません。あの顔を・・・私たちが手当てをしたり、水を飲ませてやったり、彼らが掘った塹壕に隠れろと言ったとき、彼らは我に返ることが出来ず、とどまっていました・・・一人のドイツ人は泣き出したほどです。もう若く無い人で隠そうともせず手放しで泣いていました。」「戦争の本って嫌い・・・、英雄たちが出てくる本…私たちは皆病人だった。咳をして、寝不足で、汚れきっていて、みすぼらしい身なり。たいていは植えていて、それでも勝利者」   


3:3 預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。  
 

 (エピソード1)                                                          自分の父親は戦時中、三井鉱山の社員で、召集も受け、徴兵検査の後九段の近衛師団に入営したが結核痕があったので即日帰郷となった。1945年に朝鮮で半年の兵役があっただけで戦地には行かなかった。父の会社には社宅があり、友人宅に遊びにいくと、戦地帰りの方もいて、将校だった人が多かった。短剣や将校用の装具、刀なども持っていて、子供ながらに、何で自分の父親は持っていなかったのか、気になってよく聞いたものだ。その父も朝鮮から引き上げる時には引き揚げ船が沈没しそうな海域を通ったり、友人が帰国直前に病死し、遺体を荼毘に付した時の辛い気持を語ったのは2004年に82歳で亡くなる1年前であった。軍人の勇ましい行進や戦闘シーンの陰に多くの不条理な悲劇が起きていた。日本が東京裁判で裁かれたことは戦勝国の横暴で、裁判の形をした見せしめに過ぎないとする論はあるが、あのナチスドイツと三国同盟を結んでしまったことは戦争犯罪の片棒を担いだとみなされても仕方が無い。ドイツのホロコーストの犯罪も全貌は不明なことが多い。強制収用所のことは歴史的に証拠の多い犯罪であるといわれている。しかし、膨大な事実を前に、ソビブル、ヘウムノ、トレブリンカのことはあまり分っていない。ニュースや映像には載らないむごたらしい話も含めてである。特に、第二次大戦以後も戦火は続き、朝鮮戦争、ベトナム、イランイラク戦争、バルカンの紛争、アフリカの内戦や中東戦争で軍事行動の周辺に何十万人もの市民の犠牲が生まれるようになった。多くの人々の死、離散、生活苦、自由の束縛など悲惨と苦難の時代を戦争は生み出してきた。戦後生まれだが、団塊の世代である自分の記憶にある戦争を描き出してみよう。戦場では不衛生、感染症などの病気、寒気、雨や雪も敵である。太平洋戦争でも、実際に戦場で戦死した軍人より、餓死、病死、輸送船の沈没による水死が多かった。亡くなった方々は無念であったろう。戦争では思いがけない死が迎えに来る。

(エピソード2) 
 自分が会社に入ったとき、人事部長のWさんは中国で終戦を迎えた。彼は杭州付近で駐屯し、中国人の民家で暮らしていた。その家の娘と恋愛関係になり、家族からも信頼されていたが、突然転戦命令が来て、移動となった。中国人の家族は自分の後を追い、1日かけて見送ってくれた。凄惨な話の多い中国だがそんな戦地もあった。ところが、ある日山地を行軍していると、銃声がして皆もの陰に隠れた。突然、斜面にいた自分に向かって石ころのようなものが投げ込まれ、コロコロころがって爆発、手榴弾だった。気がつくと腹から血が出ている。やられた、と思ったが身動きできず担架で病院に運ばれた。何週か治療で寝ていると、部隊が中国から離れ、船で出発して取り残された事が分かった。ついていないと嘆いたが、後にその船はフィリピンに向かい、途中で撃沈され、部隊は全滅した。運が良かったのである。戦場は理不尽がつきものである。戦争体験者は運が良かった人々に語られるのである。

                                                                  
3.世の中は詭弁や誤解にもとづく通説が満ちている。 
 人は毎日の生活はいちいち原点に戻るまで深く考えて行動しているわけではない。習慣や通説に従うことが多いだろう。そこを悪賢い政治家や経営者は利用してくる。政治家は人々の心を盗むのが上手である。彼らにかかると、人間の内面にある、暗いものもたちどころに説明のつくものになってしまう。恐ろしい事は偉大な事になる。
 聖戦という言葉はあるが、それは国家や為政者が民衆を巻き込むための方便に過ぎない。永遠のゼロが人気だったが、ドラマにおいて、血まみれになった兵士や黒焦げになった戦闘機搭乗員がいたのかは描かれない。武士道精神とか飛行機のメカニズム、マッチョな特攻に隠された真実は殆ど隠されて若者に訴えかけられる。
 詭弁に気をつけなければならない。リベラルアーツというのはまさにそれを見抜き、真実を見抜く力を養うことが目的である。その為には数学や音楽も学ばねばならない。積極的平和主義とは何だろうか。これは安部首相の方便だが、この言葉は軍事的均衡による平和主義ということで、この言葉が持つ本来の意味ではない。 日本において、「積極的平和主義」という言葉の初出は、国際政治学者で、日本国際フォーラム理事長の伊藤憲一『「二つの衝撃」と日本』(PHP研究所刊)の一節「消極的平和主義と積極的平和主義」(pp.117-120)であった。この著作で伊藤は次のように述べている。「わたくしは、憲法は日本の積極的な国際的貢献を禁じているどころか、むしろそれを求めていると考える。憲法はその第九条で「加害者にならない」ための禁欲的自己規制(すなわち消極的平和主義)を打ち出す一方で、前文のなかで「貢献者となる」ための利他的自己犠牲(すなわち積極的平和主義)を宣言している。憲法解釈のあるべき姿は、この両者の均衡と調和のなかにこそ求められるべきであろう。(p.118)」これが、何と野田政権から安部政権に移る間に今日安部首相が唱える形に変わってしまった。安倍政権が多用する「積極的平和主義」。実は平和学では「積極的平和」とは、有名なコンセプトで「積極的平和」とは、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」がない状態のことをいい、決して「テロとの戦い」に勝利して、脅威を取り除くようなことではない。この「積極的平和」を提唱したのは、平和学の第一人者で世界的に「平和学の父」と知られるヨハン・ガルトゥング博士である。彼は安部の積極的平和主義は自分の盗用であるといっている。積極的平和とは戦争によらない和平を前提とした平和のことである。実例ではかつて、キューバに侵攻しようとしたアメリカが、ローマ法王の仲介によって、カストロと和解することで平和を守るということであり、イランの核開発をIAEAの交渉とアメリカの譲歩によって止めさせることである。人は通説によって生活する。だから、世の中のずるい人は古典の名説を換骨奪胎して自分に都合よく解釈して人を説得する。
 カエサルのものはカエサルにというイエスの言葉は何もクリスチャンは政治には関わらず、愛と平和を語っていればよいということではない。新発田の生んだ大思想家大杉栄は海老名弾正が日露戦争を肯定したこと、また、カエサルのものはカエサルにという言葉にイエスの民衆に対する裏切りと断じて教会を去った。しかし、それは誤解である。当時のイエスの活動を何とか妨害しようとパリサイ派の祭司が仕組んだ問である。イエスに皇帝に税金を払うことの是非を問い、払うべきではないという当時のユダヤ人の心情に沿えばローマ帝国に反逆したことで告訴し、払えといえばユダヤ社会の心情に反したということで宗教指導者から葬り去ろうという陰謀でなされた質問に答えた知恵である。 何も政治に関わらなくともよいといっているわけではない。 似たような詭弁は多い。市場主義を肯定するために、利己心を持った人々の経済活動は神の見えざる手によって程よいバランスでよき方向に向かい均衡すると言う主張をアダムスミスの言葉として正当化しようとしたが、彼は全くそんなことを言っていない。むしろ経済活動は、道徳的行動であり、諸国民がWINWINの結果を相手の立場に立って達成することが善であると、道徳情操論という著書で語り、その各論として国富論を書いた。相手の富や資源を収奪し、貿易と輸出によって富を得ようという重商主義を批判したものであった。身近なところでは、胃がんになる確率は喫煙と飲酒だという通説があった。これはタバコを吸う人は飲酒をする人が多かったので、飲酒も原因になったのであって、飲酒はしてもタバコを吸わない人の胃がん確立はずっと低いのである。タバコを吸っている人は肺がんになりやすいというが、あの80歳の老人は毎日タバコを吸っているではないか。これはコホートによって分けた曝露試験によって証明される。ヘビースモウカーは80になるまでの間に肺がんとか動脈硬化で亡くなられてタバコを吸っている人は生き残りに過ぎないということだ。そのような誤った説明はバイアスがかかったデータ分析から生じるのであって、これは理科系の学生なら皆知っていることである。         
 
 多少脱線したが、世には詭弁家がうようよし、物事がゆがめられる。当時の宗教政策によって苦しむ人々をヨハネは救おうとし、イエスはそれをさらに推し進めた。ヨハネが荒野で呼ばわるものの声がする、「主の道を真っ直ぐにせよ」というのはまさにそうした当時の社会への警告なのである。私たちは平和や戦争を語るときはそうした世の荒波にさらされた荒野の叫びに耳を傾けること、それがリベラルアーツの知恵であると思う。平和について考えるとき国連を研究したり、戦記を読むこともある。しかし、紛争地帯にいた人間や難民の叫びが必ずあり、ここをを原点としなければならない。本学が一人ひとりの学生を大切にしようという努力の出発点である。先に触れた村上春樹のアンダーグラウンドにしても、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ著「戦争は女の顔をしていない」にしても、あなたがそこにいたらどうしますか?という問いかけを常に感じる。

by katoujun2549 | 2015-09-29 12:12 | 書評 | Comments(0)