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地方創生を憂う。居住に多様性を

地方創生の落し穴

1.地方創生の陰に

 地方の時代とか、地方分権、首都移転法など、これまでも、多くの政権が東京一極集中を転換しようと試み、失敗してきた。今日の都市化の波は、世界の潮流であり、逆らえない大きな動きの中にあるのだが、日本の東京集中は極端である。経済効率からみると集中は効率が良いように見えるが、ここまで進むと増田レポートにあったように、豊島区の消滅とか、福祉を含む都市機能の限界が、思わぬところから見えてしまった。今回の増田レポートからみた対策は、地方中核都市の活性化で、東京集中の分散を図り、これを拠点に地方の衰退の防波堤にしようというものである。これは経済面では確かに必要なことであるのだろう。しかし、問題は別のところにある。地方を地方たらしめているのは、実は周辺の限界集落に近いような、切り捨てられようとしている地域の文化、地場産業、農業なのである。そうした地域の祭り、特産物、食生活などの生活習慣である。この担い手は人である。それらは地域の農業や産業とも関係している。日本は北海道から沖縄まで、全く違う風土の中に共通の言語を持った1億4千万人が住んでいる。地域によって固有の文化風習がある。例えば沖縄の人々の宗教観と東京、北海道とはかなりの差がある。冠婚葬祭から、学校の行事、人々の地域との交流の仕方などである。それが、中核都市に人口や産業が集中していくにつれ、すべてが東京化する恐れもある。地方文化が形ばかりになって消滅する。そこで、地方文化の発信がどこからなされるのか、また、限界集落から移動できない高齢者などの生活をどのように支えるかである。伝統文化だけではない、未来においても期待される地方の存在をどこから育てるかという問題であって、単なる人口論ではすまされない。例えば新幹線の駅を見れば、どこも同じような駅舎で、特に新幹線側出口(駅裏)などは、タクシーやバスなどのターミナル広場、駐車場があって、ホテルなどもあるが、商店も少なく閑散としている。同じような風景が見られる。そうしたことが象徴的に出ており、その土地らしさは駅の感じからは判別できない。現在、地方の中核都市は集中が始まっており、この流れは既に地方創生を叫ばずとも進み、止められない。

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2.若者は帰ってくるだろうか
 
 増田レポートでは、2040年に自分のいる新発田市は人口が40%減る。そうした減少した分は、何も、首都圏ではなく、新潟市に向かっているのである。中高教育がそこで重要な役割を持つ。東京に行くことを妨げることはできない。だから、地域にとって魅力ある大学が増えることも必要である。若者の意識改革が中高で行われなければならない。高校で言えばかつては地域の名門校であった県立村上高校や新発田高校は定員割れにおびえている。それはトップクラスの学生が学校群がら外され、全県自由になったため、みな市内に集中し、交通の便の良いところは吸い上げられてしまう。新潟県で東京大学に入る学生は殆どが新潟高校か、長岡高校に偏っている。現代の地方経済や文化において高校の果たす役割も大きい。なぜなら高校卒業生の大学進学者の40%が県外に出て行き、帰ってこない。また、定員に満たない学校は学生の学力レベルも低下し、マイナスのスパイラルに陥る。既に、地方教育のバランスが崩れている。企業経営と地域経営との違いは、大企業がうるおえば、その下請けや周辺産業に波及するが、地域の場合は人が吸い上げられると戻ってこず、循環しないのである。大切なことは自分の育った地域を愛し、いつか戻ってくる人材であり、他地域で培った力を故郷で発揮できるかどうかではないだろうか。

朱鷺メッセから見た冬の新潟
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3.受け入れる方の課題

 この循環という考え方が大切である。東京も含め、集中は必然であるとすれば、循環も必然にしなければならない。その方策は何かだ。若者が他の世界に憧れ、旅立つのは自然ではないだろうか。しかし、そこから帰ってくる人も大切である。故郷に新しい風を吹き入れる人材である。UターンやIターンだけではなく、行ったり来たりする人もあってよい。一年のうち半分は東京とか外国、半分は地方でもいいではないか。生活拠点の多様化の仕組みが大切だと思う。諸外国、特に先進国は一家庭で家を二軒持ち、季節によって住み替えている富裕層も多い。地方も都会もいまや空き家が急増しているのだから。マルチハビテーションというスタイルがあったが、あれはいかにも都会中心で、東京の人間が蓼科や軽井沢、那須に住む別荘ライフであったが、そうではなく東京を別荘にし、地方都市や農村に暮すのである。高齢化社会になれば何も勤務先に拘らずに、好きな景色、歴史ある地方の街が待っているのである。そこで、伝統工芸を学んでもよいではないか。機織などは認知症の予防になるといわれている。農耕も良いし、工芸なども年を取ってからだって学べばよい。東京以外の土地の歴史、芸能だって楽しめるのである。それには既存の住民が新しい人を迎える工夫も必要である。漁業などは確かに大間のマグロ漁は無理だろう。しかし、定置網の収穫なら出来るし、網のつくろいとか、網に絡んだ魚を取り出すことなどは可能である。新しい土地でも何かが出来るように地域が協力しなければ、限界立地の田舎は生き残れないことも確かである。それぞれが道を模索すればよいのである。

それには既存の住民が新しい人を迎える工夫も必要である。漁業などは確かに大間のマグロ漁は無理だろう。しかし、定置網の収穫なら出来るし、網のつくろいとか、網に絡んだ魚を取り出すことなどは可能である。新しい土地でも何かが出来るように地域が協力しなければ、限界立地の田舎は生き残れないことも確かである。それぞれが道を模索すればよいのである。

新たに東京から戻った方々を単なる新参者と捉えて、地元の下に位置づけてしまっては、全く意味が無い。帰郷された方々を伝統的な仕事やしきたりに閉じ込めるのではなく、新たな風を呼び込むための知恵袋として活用することである。コミュニティの中にどう位置づけるかという仕組みやプログラムが用意されるべきである。単に、仕事があります、ではそこで労働力として貢献してくださいというのでは無意味である。外に出て行った人間、あるいは、どこの馬の骨とも分からぬよそものに物を言わせない、あるいは声を聞かないという閉鎖性を打破することが大切である。



福井県三国の町なみ
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by katoujun2549 | 2015-04-03 16:04 | 国内政治 | Comments(0)