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映画 フューリー :アカデミー賞狙いだが?

 アメリカ映画は4〜5年に一度くらいのペースで戦争映画大作を作ることになっているのだろうか。実際の戦闘の凄さを観客に見せつけたいというディテールにこだわった作品が時々作られる。今回は実際のティーガーも実物で登場。世界で動くのは7台だそうだが、戦車ファンにはたまらんだろう。
  イラク戦争を描いた2010年ハートロッカー以来だ。その前は、クリントイーストウッド監督の硫黄島からの手紙(2006年)、ポランスキー監督の戦場のピアニスト(2003年)、さらに1999年はスピルバーグ監督のプライベートライアン。今度のフュリーはデヴィッド・エアー監督作品。
 今回はやたらブラッドピッドが格好いい。戦車長ウオータデイ、クールな戦闘のプロを演じている。戦車フューリー(Fury)を軸に300人のドイツ軍を相手に、大立ち回りである。これは全くのフィクションである。実際は逆の事があったのではないか。物語は何だか、1日で起きた出来事の様な感じだが、アメリカ兵はそんなには働かない。無理な事だが、あったかの様に描かれればそれは成功である。戦車兵を描いた映画はアメリカ映画では少ない。サハラ戦車隊という映画があったが。おそらく、戦車はアメリカ軍では大戦の主役ではなかったのではないだろうか。この映画でも、当時、アメリカのシャーマン戦車より、独ソ戦でソ連のT34と死闘を繰り広げたティーガーの方が性能が良かったとみられる。冒頭で解説があって、シャーマンは散々ティーガーにやられた。航空戦力に勝り、制空権をもったアメリカは徹底的にドイツ戦車を叩いた。戦車というのは全く空からの攻撃には歯が立たない。昔、バルジ大作戦という映画では米軍戦車がドイツ戦車を制圧するが、実際はドイツ軍は燃料切れと航空攻撃で敗れたのだと思う。この映画では、戦車に轢かれてノシイカになった人間とか、戦場での処刑、吹き飛ばされた人間の顔とか、リアルで、特に飛び交う戦車砲弾とか機銃弾が曳光弾で凄い迫力。グロ大好きな方にはお勧めである。
 
 この映画で興味深いのは、キリスト教的な台詞が多いことである。主役のブラピ演じる戦車長は戦争屋のように最初は描かれるが、最後はえらく聖書の知識があって、イザヤ書などを諳んじていたりする。イザヤ書6章、イザヤが神に遣わされる部分。ブラピの戦車の名前がフューリーである。戦場の不条理に対して怒りとしかいえない感情が支配するのが現実ということだろうか。実際の戦争とはこのようなものだというのをこれでもかと見せつける。正義とは何か。理想は平和だが歴史は残酷だという
ウォーダディーの台詞も印象的だが、エアー監督のこの映画での主張はかなり宗教的である。戦争という極限状態の中で個人の信仰と殺戮をどう位置づけるのか。そこに監督の問題意識がある。脚本では、とにかく、この戦車兵にキリスト教が染みこんだようなのであった。制作者は何とブラッドピットである。これは多分、アカデミー賞ねらいなのだと思う。アメリカ人のキリスト教は正統派の証なのである。とにかく、この映画の宗教度は異常なほどだ。
 
 新兵ノーマンがブラピ演じるのウォーダディーの戦車に配属になる。青臭い若者で、古参の兵から、からかわれ、その中で、お前の宗派は何だとか、洗礼は受けたのかなどという会話で始まる。また、同僚古参兵の中にも信心深いものがいて、ドイツ人家庭の部屋で食事をするときにお祈りをするシーンもある。彼は戦争における自分の良心と敵を殺す行為に悩むが、次第に戦闘マシンとなってゆく。最後の戦闘で車中で宗教論が出てくるのにはいささか驚いた。1945年4月、ドイツへ侵攻する連合軍の米兵ウォーダディーは、自ら「フューリー」と命名したシャーマンM4中戦車に乗り、戦いを続けていた。ウォーダディーと3人の仲間に新兵のノーマンも加わり、5人となった部隊は絆を深めていくが、進軍中にドイツ軍の攻撃を受け、他部隊がほぼ全滅。なんとか生き残ったウォーダディーの部隊にも、過酷なミッションが下される。十字路での戦闘にはSSを含む300人の大部隊と遭遇する。戦車Furyを中心に、壮絶なバトルが繰り広げられる。最後は十字路を軸に戦車を中心に、ドイツ兵の死体の山が十字架のようなかたちで散乱する。中にはこれはありえねーというようなシーンもあるが、迫力ある戦闘シーンで引きつける効果はさすが。映画の魔術上はよく出来ている。
 
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by katoujun2549 | 2014-12-08 00:28 | 映画 | Comments(0)