憲法改正反対。70年前教育の戦時体制を支えたのは教員だろうか

 憲法記念日において改憲論議が高まっていた。安倍政権はこれで歴史に名を残したいのか。麻生太郎の靖国神社参拝から始まりこの政権の実情を見て取れる。三ばか体制の頭の悪さである。何で59条を改正するんだ。三分の二のハードルはそんなに高くはない。憲法改正が過半数で決められてたまるか。憲法の重さを分かっていない。何でオーム真理教事件を防止するために憲法を改正しなければならないのか。現行の破壊活動防止法の適用にもたついただけではないか。ちょっとした政策の間違いが大きな歴史の転換を招いた例が配属将校の学校配備である。戦前の教育体制を大きく変えたのが、将校の学校配備であったことをだれも声を上げていないのはなぜであろうか。
 日本が70年前、戦時体制一色になっていった原因の一つに教育がある。政府の戦争指導体制に教育が大きく関わってきた。これは教師の責任であるかのような自己批判もあり、戦後は彼らが180度民主主義の旗振り役に転じたことはしばしば批判されている。しかし、教師の責としてその国家メカニズムにいかに組み込まれたかを考えないのは片手落ちである。彼らがなぜ戦争を肯定する教育を積極的に行ったのかである。当時の教養人であった学校教師がいとも簡単に鬼畜米英と天皇の神格化を子供達に教え込む事になったのかである。学校教育に軍が関与し始めた大きなきっかけは軍事教練と退役軍人の学校配置ー配属将校制度の成立であろう。これが国民総動員という国家体制に大きく貢献した。ドイツのヒトラーユーゲントのような団体的な集団ではなく学校全体を戦時体制教育に巻き込んだきっかけである。学校というコミュニティを通じて相互監視の仕組みが出来上がる。町の中では隣組や町内会が機能した。国家総動員体制をコミュニティに浸透させていった。配属将校に睨まれると教師自身も将来の軍への召集など、子供達のみならず、不利益を被ることになった。訓練中にウッカリ銃を落としたとか、つまらないことで睨まれた例もある。将来の不安を利用し、国家権力は学校に大きな影響を与えるようになった。軍事教練のみならず、反抗的な教師や学生は軍隊に入隊後、様々な不利益を被ることになった。これは一種の恐怖政治であった。
http://www.c20.jp/p/ukazusig.html
大正末期の軍縮による4個師団の廃止により余剰の現役将校2500名がリストラされた。その他2000名以上が現役将校学校配属令によって隊付をはなれ中等以上の学校に軍事教練教官として配属された。配属将校というと旧制中学生に自ら手取り足取りして教練のイロハから教えることがイメージされ雑用が多く、左遷配置と思われがちである。実際はどうだったのか。戦前の体制や我が国の敗戦とあの軍事国家の批判ができない政権が憲法を改正するのはどうも違和感を覚える。

1925年宇垣一成主導で現役将校の公立中等学校以上の学校に配置が始まった。どうも実際に教練を教えるのは学校に雇われていた予後備退役の佐尉官、准士官、下士官教師たちが主。従って配属将校の役割は生徒の軍事訓練の考課表を作成する事と、課目としての教練の総活管理が主たる任務ではなかった。配属将校の学校内の地位は校長の下、教頭の上。配属将校は将来の予備役将校・下士官の養成を通じて民間一般への軍事思想の普及、陸軍へのシンパシーを醸成するのが公的任務。ところが受け入れる学校側は特に初期には現役将校を学校に迎えるについては学校側で難色を示したところもあった。学校教練が開始される以前より兵式体操という課目で予後備退役の佐尉官、准士官、下士官たち、すなわち在郷軍人教師による軍事教練を既に実施している学校が多かった。その教師と同等視されることによりイメージの低下につながっていたのかもしれない。しかし、学生の側からは軍事教練で好成績だと軍隊に入った場合の特典、幹部候補生への道や訓練期間の短縮などのメリットがあった。反対に終了証書がない場合は様々な差別を受けたから、純朴な学生は必死になって教練に励んだ。そんな環境を無視して、あの時代の教師はけしからん、さらに、敗戦後急に民主化教育で旗を振るとはといわれるが、だれでも国家権力が猛威をふるっているときに抵抗するのは難しい。

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by katoujun2549 | 2013-05-07 11:38 | 教育 | Comments(0)