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大学教育ー自分の学生時代を振り返って

 自分の学生時代を振り返ると、二年生、三年生のときに荒れ狂った大学紛争の記憶と、剣道に打ち込んだ4年間、そしてYMCA一橋寮での生活がほとんどである。大学の勉強はゼミしか記憶がない。津田真澂先生の労働問題のゼミであったが、先生は体調を崩されて休講が多かった。そんな時、スケジュールが余って、ゼミ仲間と酒を飲んだり、議論したのが楽しい思い出である。正直なところ、語学力は受験英語以上のものはついていなかったし、学問も中途半端、それであっという間に4年間過ぎてしまった。というより、3年の終わりに就職試験があり、第一志望の三井不動産と三井物産に内定していたので、4年生の時は、後の会社生活とは全く関係のない自由な勉強が出来た。これはまるで、天国のような1年間だった。

 津田先生はマックスウェーバーや、和辻哲郎、労働経済学の本をテキストにしていたが、それ以上に、先生の企業経営観とか、歴史観を聞くのが楽しみであった。卒業後も、経済や、経営問題においてその時の先生のお話を思い出しながら、自分なりに整理することができた。若いころというのは、単純なことでも、心に響いたことは繰り返し反復して思い出すものである。そんなところに大学での勉強の意味はあったのかなと思うことが多かった。子弟というのは貴重なものだという気持ちは今も変わらない。

 大学の勉強なんか社会に出たら無意味だというようなことを言う企業人が多い。経営者にもいるが、彼らは大学時代を要領よく切り抜けてきた人なのだろう。学問の楽しさや意味を見いだせないまま卒業してしまった。大学人からみると残念な発言でしかない。大学の学問は何も役に立つからやっているものばかりではない。もちろん、社会において必要な知識、知性を与えたいという願いを何処の大学も持っている。建学の精神があるのだ。その意味で、人づくりである。市場のニーズだけを考えれば、予備校や専門学校の方が「教育的」である。では資格を取れば社会で受け入れてくれるかというと、資格だけで飯を食っている人はいない。そのことを専門学校はどう考えるのだろうか。大学時代、部活で得たのは、人前でのスピーチとか自己紹介、考え方の違う人との接し方、あるいは、他校の学生との交流などで気持を通じあう話題や話方など、若いうちに身につけておくべきものだった。こうした事は学校の座学や授業では得られない。

 学生時代を振り返ると、多くの社会人の先輩が、剣道の指導やOB会に来られて、学生時代の勉強は、殆ど役に立たないから、部活とか、友人作りをしておけばいいと言われて、そんなものかなあと思い過ごしていた。でも授業やゼミは楽しかったから、そんなことは構わず好きな本を読んで暮らしていた。会社に入って、体育会出身の仲間に聞くとそういう経験を皆していた。しかし、賢明な先輩は、先輩によっては、戦争で仲間が皆死んでしまって、無競争だったから偉くなれただけで、今の我々はそうはいかないから勉強をしたおいた方良いという忠告も頂いた。
 自分が入社した当時、社長は江戸英雄という方で、彼は、東京大学で高文ー上級国家公務員試験のために、勉強しすぎて病気になって失敗し、三井合名に入った方で、これまで、自分が出会った不勉強を自慢するような方ではなかった。そうした経営者を尊敬して自分は三井不動産に入った。さすがに、当時の役員には東京大学を首席で卒業したような人とか、高文を合格したような秀才はたくさんいたのであった。

 確かに、会社に入ってみると、多くの先輩は、自分はいかに勉強をしなかったかを自慢する人が結構いた。しばらくすると、あれは一種の照れ隠しであって、実際は良く本も読んでいるし、仕事も早く、いろいろな常識を持っていたことが分かった。確かに、大学時代の勉強がそのまま会社に入って役に立ったことはあまり無いように思えた。それは、会社の仕事に関する知識というのは、自分の仕事の範囲だけで、幅が狭い代わりに、本にも書いていないような細かな知識を要求される。だから、そうした専門知識に関する勉強はまめにやっておかないと、何も得ずに終わってしまう。
 また、自分は社会学部出身で、法律や経営学、簿記の勉強もしなかったから、いつも取り残されるという不安感があり、会社が要求する、宅地建物取引主任者とか、コンサルタントの試験などは積極的に講習会に行ったり、簿記の知識は、同じ社会学部出身の仲間と、土曜日に勉強会をしたりして何とか学んだ。必要な知識を得るために卒業してからも学ぶ習慣は後に大いに役に立った。
 出遅れ感があったが反面、周りを見回しても、会社の要求する知識を全て身に付けている人などは
殆どいないし、その時その時で必要な勉強に悪戦苦闘している人が多いことに気がついた。しかし、自分が卒業した一橋大学の連中は、皆、周囲から、経理知識はあるはずとか、英語はできるだろうとか、先入観を持たれていて、それを裏切らないように、また、先輩や、後輩に迷惑をかけないように
学生時代の不勉強を補うように努力はしていたように思う。そのような意味においては大学時代の勉強の意味は結構あって、問題を解決するために、周辺の知識を吸収したり、資料をあさったり、本を読む、研究会に出る、友人を作って情報を得るという習慣は、やはり、学生時代の学習習慣で得たものだと思うから、無駄とはいえないと思う。<
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by katoujun2549 | 2012-11-07 14:16 | 教育 | Comments(0)