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ヒトラーのウィーン

書評 <ヒトラーのウィーン >中島義道著

    この作品は、あの20世紀最大の悲劇と破壊を生み出したヒトラーの青年期に焦点を当てている。彼が、その暴力性と独特のイデオロギー、いかに反ユダヤ主義を形成したか、幼少期から家系、さらには主題となった人格形成期の彼の実像に迫るものである。同時に、彼が政治思想を最初に揺籃したウイーンという街の姿、そして雰囲気を語っている。著者も自費留学生としてこの街に滞在し、当時の貧乏学生ヒトラーが辿った生活に類似した体験を描き出す。そのさわりには説得力がある。とは言え、彼の青春時代とその生活の場であった街との関係が、ヒトラーの栄光と狂気にどこまで関わったかについては歴史的に成功した分析にはなっていない。ウィーンの街の影響はむしろ無関係なくらいで、政治的歴史的事象であったナチズムをこの出発点だけでは説明し切れるわけもない。とはいえ何らかの兆候を懸命に鋭く描き出そうと務めている。

     しかし、彼の幼少期は、両親の 親の代に近親相姦の経歴を匂わす特異な過去があったこと以外は、ドイツを狂気に陥れた原因を感じるものは無い。当時は叔父と姪の子が生まれることは不名誉ではあったがよくあることで、これをヒトラーはゲシュタポを使ってひた隠しにした。後日このことがユダヤ人血縁説という俗説を産んだが、この本では家系の分析をきちんと説明している。学生時代にしても、このくらいの挫折や、世の中に対する感受性は若者に特有なものである。著者は思春期の平衡を欠く若き独裁者の姿を物語るが、これとても誰もが体験する不思議なものではない。ヒトラーというのはどこからモンスターになったのか。反ユダヤ主義も当時の市民感覚の範囲内だ。オーストリア帝国議会が全くの茶番でしかない姿に絶望したのも彼だけではない。彼の政治的活動を方向づけたのは従軍体験と共産主義のドイツ社会での蔓延という社会状況であったことは余りにも明らかだからだ。問題はなぜ彼が飛躍したような理想主義的国家像や極端な行動を生み出したかは今だに謎が多いが、その主張の多くは我が闘争に書かれている。
  
   ナチス国家を築いたのは第一次大戦後のドイツの苦境と共産主義勢力に怯えたユンカー。資本家、さらには彼の取り巻きであったゲッペルス、ボルマン、ヒムラー、ハイドリッヒ、ゲーリング達の反階級社会グループ、そして改革を待望した国民自身だからだ。プロファイリングをすれば、彼らは大なり小なりヒトラーと同じような挫折からのし上がってきた。ヒトラーはその象徴として祭り上げられ、捨てられた。

  ウイーン時代のヒトラーには同郷の友人クビツェフがおり、同居生活をしていた。ヒトラーの青春時代はかなり明らかになっており、その後の彼の異常性はそこから見出すことはできない。この本がやや退屈な印象を残すのは、著者がその後のヒトラーの変化の兆しをあまり見つけていないからである。美しい街並み、シェーンブルン宮後を背景にリングシュトラーセ沿いの風景が観光旅行のごとく描写される。本書では宮殿、国立歌劇場に通う貧乏学生の姿を自らに投影させ、何とかヒトラーの青春時代の苦悩に迫ろうと、彼の自伝「我が闘争」の記述を引用しつつ、彼の描いた虚構を暴こうと青春時代の研究との比較をしている。

    ヒトラーが美術学校入学を果たせなかったのに対し、彼の友人、チェコ人のクビツェフは一回で音楽院に合格した。そのため、プライドの高いヒトラーは自分の失敗をひた隠しにして同居生活を続けるという、彼にとっては不安な、劣等意識との戦いを続けていた。まるでムンクの叫びに描かれた分裂した精神が理想と現実に対する奇妙な割り切りを可能にしたことが想像できる。後にスターリングラードの敗北を美化しようとし、また、ベルリンに迫ったソ連軍にも勝利を信じるという現実的な世界が脳中にあっても、これをドイツと自己の滅亡という終末観で処理しようとした。この辺りのヒトラーの心理構造を形成するに至った、ウイーンでの学生生活を著者は描き出すことに成功している。クビツェフの描いたヒトラー像は、後の思い込みと虚言に満ちた我が闘争や、彼をモンスター扱いした他作家のヒトラーの青春時代の描写以上に説得力がある。

   しかし、一方で、ウイーンの美しい街並みやパプスブルグ帝国の崩壊などの描写は、かえってそうしたヒトラーの人となりとの関係を分かりにくくしている。かがやける画家、建築家の夢断たれ、浮浪者施設で俗な絵を書いて糊口をつないできた数年間から、戦争という狂気に自分の居所を見つけたヒトラーの心の謎はまだ解かれていない。
  
  また、全くヒトラーの人生とは無関係な著者のウイーン自費留学中の体験は情緒的で、彼の狂気とは無縁の要素であるはずだ。我々をウイーンという人工都市の観光旅行をさせてくれ、自分も10年前に行った思い出を懐かしむだけの内容描写にはなっている。当時の絢爛んたる世紀末ウィーン、クリムトやエゴンシーレ、マーラー、フロイトといった一流の芸術家とは全く無縁な、土産物の絵としては結構売れたらしい土産物級絵描きの才能しかなかった彼の芸術性は、ドイツの悲劇的結末とそれまでの繁栄を彷彿とさせる。テレビや映画といった当時として空想的テクノロジー、ユダヤ人への悪魔的対応という狂気を描くことになる。この辺りのいきさつは、むしろ過酷な第一次世界大戦従軍とその後の政治的体験において、彼の致命的欠陥である理想と現実を並行して処理できないまま物事を進める性癖がつきまとった。その結果、神話的国家を築き上げる俗物的な壮大な実験へと突き進んだのである。


by katoujun2549 | 2012-05-28 15:44 | Comments(0)