ウルの発掘とアブラハム
ロレンスとウーリーは1912年から1914年までヒッタイト時代の遺跡の発掘を行った。ウルでの発掘は1922年に始まり、ここでウーリーは王宮の墓地の発掘という貴重な発見をした。アガサ・クリスティーの小説「メソポタミヤの殺人」はこの王宮墳墓の発見にモチーフを取っている。クリスティの夫ははのちにウーリーのアシスタントのマックス・マローワンであった。
メソポタミアの地は、わずかの間に、前例のない大繁栄を記録した。そして、空前とも言える政治権力が打ち立てられた。それは、美術、建築、宗教は言うに及ばず、社会機構、日常の細かな慣習から楔形文字の発明に至るまで、それらは、すべて、画期的偉業であった。世界最初と言われる船や車輪つき戦車なども、この頃、シュメール人によってつくられたのである。
シュメール文明の後を古代バビロニア帝国が受け継いだ。そこからは大洪水の跡、さらにはジッグラトというバベルの塔の原形などが次から次へと発見される。高校の世界史では、この発見と旧約聖書とのつながりが何故か説明されない。
創世記11章で「テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、及び自分の息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れてカルデアのウルを出発し、カナン地方に向った。彼等はハランまでに来るとそこにとどまった。
旧約聖書創世記12章1節「主はアブラムに言われた。あなたは生まれ故郷父の家を離れて私が示す地に行きなさい。・・・・・・・アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ蓄えた財産全てを携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向って出発し、カナン地方に入った。ここにユダヤ教、キリスト教、さらにはイスラム教という一神教の物語と世界が始まったのである。
ウーリーの左にいるのがアラビアのロレンスである。