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和田秀樹著 「テレビの大罪(新潮新書)」

和田秀樹 「テレビの大罪」 (新潮新書)

 テレビは1953年2月1日にNHKが、8月28日には、日本テレビ放送網 ( NTV ) が本放送を 開始した。当時は一般家庭にはなく、神社の境内とか、飲食店にあり、大相撲やボクシングの世界選手権、プロレスを見に行った記憶がある。最初はテレビを買った裕福な家に皆で見せてもらいに行った。サラリーマン家庭に置かれるようになったのが、2年後くらいからで、まだ一部の家庭であった。黒柳徹子とか、大橋巨泉、青島幸男などはテレビあってこそ、初期テレビタレントの寵児である。美知子妃殿下のご成婚のとき、一気に普及した。当時のテレビタレントはラジオからの転向組が中心で、一般の映画俳優は出演しなかった。ニュースも新聞の補助的な地位から、今や、政治まで支配するモンスターになっている。

 和田秀樹氏は大学受験の神様と言われ、精神科医として保険診療外の活動で稼ぎ、また、評論家(教育・医療、政治・経済)、精神科医(川崎幸病院精神科顧問)、臨床心理士、国際医療福祉大学臨床心理学専攻教授、一橋大学特任教授と多彩な活動である。大学受験のエキスパートとして、教育評論家また、精神医として、高齢化問題にも取り組み、「人は感情から老化する」など毎年膨大な作品を出している。頭の良い人だと思うが、彼の仕事の量の膨大な事に驚く。『他人の10倍仕事をこなす私の習慣』がAppStoreよりiPhone/iPad対応で配信されている。

 今や、テレビは一種の権力として君臨している。このテレビの影響力が、何をもたらし、世論の形成にどう影響しているか、我々のマスコミ情報リテラシーに一石を投じた。テレビが持つ、特有のメッセージパターンを批判している。健康問題に関し、ウエスト58cm幻想において、テレビが人の健康を損なっている現実を語る。スタイルの立派なモデル・女優山田優のウエストは70cmだそうで、テレビで公表される多くのタレントが58cmとかいうのは殆どが噓であり、そのために多くの若者が拒食症になったり、痩せようと無理なダイエットをして健康を損ねているのだという。芸能人の「命を大切に」報道が医療を潰すでは医療の崩壊について、中途半端な報道が医師を貶め、医師の混乱、特に、小児科や産婦人科の立ち去り症候群、人員不足を招いているというのである。医師を殺人者に仕立てたり、未熟な医師が患者を実験台にして医療事故ー殺人を犯すといったイメージを作ろうとする。民事と刑事事件の差も分からない不勉強な制作者。精神科医らしく、毎年3万人に上る自殺の増える原因について述べている。自殺者の三分の二は鬱病状態、また、失業が原因でもある。また、若者の比率が高まっている。しかし報道のされ方によりあきらかに悪影響が認められてもいる。自殺について伝えることには、常に自殺が「普通」のことであるかのような印象をもたらす可能性がつきまとい、反復的・継続的な取り上げ方をすると、特に青少年が自殺について思い詰める傾向がある。 メディアが意識を高め、適切で啓発的な取り上げ方をすべきである。ヤンキー弁護士もそうだが、テレビに報道されるという対象は珍しいもの、滅多に無いものだからだという事が日常化する危険性を訴えている。また、高齢者問題にも取り組み、本書では施設介護は必然であるとし、在宅の限界にも言及。
 
 教育論として「元ヤンキーに教育を語らせる愚」で持論を展開、元ヤンキーが司法試験に合格した例を大々的にヒーローとして報道する。あたかも、学校教育が無意味であるかのごとくである。テレビ局の社印もキャスターも殆どが一流大学を卒業し、多くが学校の優等生であったにもかかわらずである。受験勉強がテレビでは悪であるかのような扱いである。テレビが、日本の世論形成の中で、日本人の健康を損ね、冤罪を生み、医療崩壊を生み、教育を損ない、地方格差を生み、高齢者についての誤った常識の形成について責任があるとする。勿論、新聞等もその影響は大きい。しかし、テレビのパワーは今や新聞より大きい。そのテレビの影響の特徴を分析
、テレビの我々に示しているメッセージの欺瞞的側面を明らかにしている。ただ、気になる事は、彼が懸念するように知らず知らず影響されているところが怖いところだが、大衆は何もテレビしか選択できない時代ではない。和田氏は大衆を彼の高い目線で、ひたすら受け身の存在として見ているように思われる。
むしろ、テレビがそうした危険性を抱いたメディアであることに大衆自身が気づいていることを和田氏は認識しているのだろうか。このままではテレビは飽きられ、Webや携帯などに情報発信力を奪われて行く。

 ニュース番組のキャスターなどは、テレビ局から完全にコントロールされ、司会者の意見を補強するような形でコメントするばかり。いわるゆ「さくら」。こうしたテレビ特有のトリックにまどわされてはならない。テレビには奇妙な文法が存在し、大衆を惹き付け、愚弄する。そもそも、テレビに出ることは稀な出来事であるとことが、テレビはこれがあたかも普遍であるかのごとく表現する。そしてマスコミ、特にテレビが全く欠けているのが、自省能力であるし、報道の責任に対する視聴者への誠意ある説明である。コンプライアンスが最も不足している企業がテレビなのだ。


by katoujun2549 | 2011-01-24 09:24 | 書評 | Comments(0)