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森寅雄の剣道 早瀬利之著 タイガー・モリと言われた男


 森寅雄は講談社の創始者野間清治の甥であったが、一人っ子の長男野間 恒を寵愛した野間清治が、その話し相手として、故郷から養子とし東京に呼び、森と改姓して共に剣道と実業の道の教育を受けた。戦前の日本剣道の頂点と言われた森寅雄の生涯を早瀬氏は資料にもとづき生き生きと描き出している。森という姓は野間清治の母方の家系で、祖父森要蔵は幕末の千葉道場、玄武館の三羽烏と言われ、戊辰の役、会津戦争では、息子の虎夫と共に戦い、戦死した。寅雄という名前は虎夫にちなんで名付けられた。早瀬氏は、その前半を野間清治の実業人として、また、教育者としての活動を詳細に説明している。野間清治、恒親子と森寅雄の関係を説明する事が、重要なこととして展開しているが、このあたりの事情は、なぜ彼が森という姓になったかなど、物語を複雑にし、焦点がぼけた構成となった。寅雄のアメリカでの活躍、戦後の活動に関しては資料が少なかったのかもしれない。しかし、早瀬氏は森寅雄の名声を高めた時代にこだわりたかったのだろう。清治は、講談社、報知新聞、キングレコード、巣鴨学園などを創設した希代の実業家であった。野間恒と森寅雄はある意味では、まさに野間清治の作った理想の剣士だった。しかし、今日もそうだが、企業がスポンサーとして盛り上げた剣道の世界の限界とか、一代限りの空しさも感じる。野間恒は直腸癌で28歳で逝去した。野間清治はその直前62歳で急死しているからである。

 天覧試合の予選で野間 恒と対戦、実力は上と言われた寅雄があっさりと負けたことは、いろいろな推測を生んだ。しかし、彼は、その後、兵役にもつき、さらにアメリカに渡り、戦前戦後を通じ米国での剣道の普及に努めた。彼は、アメリカに渡った日系人一世、二世にとってのヒーローであった。また、戦後はフェンシングにおいて全米チャンピオン、東京オリンピックのアメリカフェンシングチーム監督として活躍した。勿論彼は、剣道八段である。しかし、彼は残念なことに、昭和44年、54歳で心臓疾患のためロスで早世した。野間 恒といいい、野間清治が手塩にかけた剣道の天才はいずれも、道半ばにして他界したのである。宗教的にまでに剣道に人生をかけた野間清治は、自分自身、そして育てた息子も「死」という現実には無力であったが、講談社、報知新聞、そして、剣道の新しい歩みを目指して歴史に1ページを残している。今日、世界中で剣道が行なわれるようになった礎は、森寅雄の第1回世界選手権大会開催にむけた努力に負うところが大きかった。

 恩師、中倉 清先生は、無敵の剣豪、昭和武蔵と言われたが、先生も森寅雄には一目置いていた。ほぼ同世代だが、先生より2歳年上で、若い頃の名声は各種大会で優勝し続けた森氏の方が先を歩んでいたであろう。戦前の剣道、特に、有信館三羽烏と言われた、羽賀準一、中島五郎蔵の剣道は、戦前の剣道を伝える剣風を見せるが、その映像記録は殆ど見る機会が無い。戦前の天覧試合における持田盛二範士、中野宗助範士の映像、また、羽賀準一は「昭和の剣豪」というビデオで一部見ることが可能だ。しかし、森寅雄や中倉清の姿は、次の世代にあたるとみえ、当時の8ミリ映像には残っていない。

 ところが、何と、You-Tubeに、アメリカのテレビショウで、森寅雄が出演している画像が写っているではないか。これを何度も見た。森寅雄は、司会のアメリカ人と比べてもひけを取らない、堂々とした体格である。防具をつけて、狭いスタジオで稽古を見せている。相手は、一目で格の違う相手だが、テレビショウということで、相手を引き立てており、足がらみに倒れてみせたりする。相手もなかなかの腕前かもしれないが、彼は足がらみで倒された事が無いので有名だったからだ。しかし、よく見ていると、その足さばきの華麗さは天下一品である。まるで、ダンスのように、スーッと相手の間合いに入っている。豪快な面は真っすぐである。さらに2分程の短い間に、相手の隙は見逃さず、殆ど面で攻めている。すかさず打つ胴は手首が返っている。最後は、角度のついた片手突きで相手を圧倒した。足がらみ、胴、突きと森寅雄の得意技を全て見ることができる。戦後50年代のテレビでさすがに日本人強豪との稽古の機会は無かっただろう。しかし、森寅雄の剣道、さらには足がらみを使う戦前の剣道の特徴が出て非常に興味深かった。羽賀準一の剣道も、実に華麗で、膝をついた折り敷き胴、逆胴、横面、さらに上段と短い時間に多彩な技を披露している。戦後の剣道は、確かに安全で、中心を責め、正面からの面を大切にした点は、剣道の極意を意識したものだし教育的だが、面白みには欠ける。格闘技としての剣道は戦前で終わったという感じがよくわかる。

by katoujun2549 | 2010-10-18 16:17 | 武道・剣道 | Comments(0)