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映画 アイガー北壁

アイガー北壁 2008年 ドイツ映画

 平日水曜日の11時30分の開演、バルト9はシルバーチケットの善男善女で主な席は占められている。シャーロックホームズは次回にして、アイガー北壁を見た。もの凄い高低感だ。これが3Dでない事が悔やまれる。とにかく、空中で、下は1000mくらいの所で宙吊りになる。ドイツ版、剣岳点の記みたいな映画だが、こちらはロッククライミング中心で緊張しっぱなし。ハートロッカーみたいに、臨場感で脅している。作品としては昔のヌーベルバーグの映画のような芸術性を求めると失敗する。まあ、これはこれで、我々凡人の未体験ゾーンを味あわせてくれる点で貴重だ。大画面だから、DVDでは見られない臨場体験で劇場に行く価値あり。ただし、名画ではない。最近のドイツ映画、特に歴史物はヒトラー最後の12日間以外はUボートとか、スターリングラードなど大した作品が無い。ただ、ひたすら、生真面目な正面攻撃のような撮り方だ。

 ドイツ映画は悲惨な結末がいいな。ああ!俺より気の毒!ああなりたく無い!生きて良かった。と思わせるのが上手い!アイガーの俳優で、独ソ戦の映画見たいところ。ドイツを描いた映画はドイツ語じゃなくちゃねー。ドイツ語は臨場感が出てくる。特に切羽詰まった時のセリフで聞こえるウームラウトや喉ちんこの震えが恐怖感を倍増させてくれる。嫌だ、とか駄目はNo!じゃ駄目。やはり、Nein!だ。

 ナチスが台頭し、ドイツとオーストリアを併合しようと虎視眈々とドイツが狙っていた頃の話。1936年、本作で描かれるドイツのトニー・クルツとアンドレアス(アンディ)らがオーストリアの2人のパーティと共にアイガー北壁に挑む。折りしもベルリン・オリンピックを目前に控えていた。ナチス政権下のドイツが国家発揚に盛り上がるなか、ヨーロッパ中の注目を集め、その挑戦は始まった。登れば金メダル。この遭難話は多分、ドイツや山屋連中では相当に有名な話だったのだろう。ハラー著、「白い蜘蛛」で詳しく書かれているようだ。昔の記録映画で見たことがある。ホテルから皆が望遠鏡で見ているシーンが多分初登攀時のそれ。とにかく、アイガーは1800mくらいの断崖が一気に落ちている。その断崖沿いに山の中を登山鉄道が走っていて、途中に窓みたいなところから、断崖を見る事が出来るのも興味深い。
 
 メスナーや長谷川恒雄、今井通子がアイガー北壁を登頂したことがいかに凄いかが分る。かつて初めて日本人でアイガーに登ったのが槙有恒で、彼は東稜から初めて登った。現代では登山用具も進歩し、厳冬期に登攀している。映画では七月だが、まるで真冬のような気候だ。この山は日本の登山の父、槙有恒が日本人として北壁を初めて登っている。アイガー3970m メンヒ4099mユングフラウ4158m が目の前に迫る。とにかく、日本人には人気のスイスツアーがこの映画で体験できる。登場していないマッターホルンとか、モンブラン、グランドジョラス、ドリューなんかも見たいが。初登攀したのはこの遭難したトニー達のルートによって登ったドイツ・オーストリアチームであり、ハインリッヒ・ハラー(Heinrich Harrer)はそのメンバー。彼はその後、ナチ党、親衛隊員としてヒマラヤに行き、戦後チベットでダライラマに出合う。そこで書いたのが、セブンイヤーズインチベットで映画化された(1997年作品 監督ジャン・ジャック・アノー、ブラッド・ピット主演)。

 この映画を見ている限り、天気のよい時が少ない。アイガーを見に行くのもリスキーだなと思った。山ファンには必見の山だが、実際は霧に隠れて見えない事が多いのではないか。Webでは沢山のアルプスツアーの写真が出ている。6月〜7月は日本人と韓国人で溢れているらしい。いつが良いのだろうか。日本でも、山の天気は変り易く、立山に行った時も剣岳が見られなかった。とにかく、霧が多い。あの古びたホテルに何日も滞在したあげく、雲間から一寸だけという感じで、旅費を無駄に使うリスクがあるツアー。アイガーを見上げる山岳ホテル、シャイデックホテルに生きているうちに一度は行ってみたい。このホテルは村営で世界的にも有名で食事も良さそうだが、場所が場所だけにシャワーが無く、お湯がちょろちょろといった記事もある。多分日本の室堂ホテルくらいはサービスもあるのだろうが、値段が高そうで何泊も出来なない筈。だから、晴れる時に行けば価値があるが、反対ならば最悪、タイミングが難しいだろう。
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 19世紀前半、イギリスで鉄道が開通したことを皮切りに、ヨーロッパ各地で鉄道の敷設が進んだ。その多くは産業革命の進展と結びついたものであったが、交通網の拡大にともなって鉄道旅行が人々の余暇の過ごし方の一つとなった。こうした中、スイスへの観光客は増加の一途をたどり、19世紀後半より観光目的の登山鉄道がスイス各地で敷設されることになった。
既に1860年代より、ユングフラウを登る鉄道を敷設しようとする構想は示されていたが、資金的な問題などで実現不可能と思われていた。しかし、19世紀末までには資金繰りのメドがたち、1896年よりユングフラウ鉄道の建設が開始された。アイガー、メンヒ両山の内部をトンネルで通過するために蒸気機関車の使用が困難であり、電車を用いることになった。(電気は豊富な水を利用した水力発電で供給された。)
 1898年までにアイガー山麓(アイガーグレッチャー駅)までの路線を完成させ、部分的ながら営業が開始された。その後、堅い岩盤に苦しみながらも建設は進み、1912年8月にユングフラウヨッホ駅が開かれた。建設期間中は、ユングフラウの山頂まで鉄道やロープウェイを建設する構想もあったが、資金の限界・観光客が高山病を発症するリスクなどを考えて、途中のユングフラウヨッホを終着駅とすることになった。山中のトンネルから外の景色を見るための展望台を設ける構想は、設計者のA.G.ツェラーによるものだが、彼自身は鉄道の開通前に死去した。

クライネ・シャイデック駅(Kleine Scheidegg)

ユングフラウ鉄道の始発駅で、ヴェンゲルンアルプ鉄道との乗換駅である。
インターラーケン東駅(インターラーケン・オスト駅)からは、ベルナーオーバーラント鉄道、ヴェンゲルンアルプ鉄道を乗り継いで到達する。駅名はドイツ語で「小さい峠」の意味。
ヴェンゲルンアルプ鉄道は、ラウターブルネン~クライネ・シャイデック~グリンデルヴァルト間を結ぶラック式鉄道であるが、客車の方向固定(座席が勾配の上側と下側で異なる)と、常に勾配の下り側を電動車とする運転方式のため、サミットであるクライネ・シャイデック駅を越えて運転する列車はない。そのため、当駅は実質3路線が乗り入れる駅である。
常に乗換えの観光客で賑わっているが、駅前には古い山岳ホテルがありここに宿泊すれば、最終列車が下りた後に静かな周辺散策ができる。

アイガーグレッチャー駅(Eigergletscher)
この駅を出発すると、アイガーの山中を抜けるトンネルに入ることになる。途中下車をする人はそれほど多くはないが、駅前からは駅名の由来である「アイガー氷河」を目前にでき、またアイガーグレッチャー駅からクライネ・シャイデックまでの道のりは、下り坂だけの比較的手軽なハイキング・コースとして知られる。駅舎には最盛期のみ簡易なホテルが開設される。グレッチャーとは氷河という意味。

アイガーヴァント駅(Eigerwand)

駅名は「アイガーの壁」を意味する。三大北壁のひとつで、いままでに多くの登山家の命を奪った「アイガー北壁」として知られる。トンネル内のホームに列車が数分間停車するので、その間に歩いてすぐの展望台から、ガラス窓越しに切り立った崖を眺めることができる。なお、基本的に当駅で数分間の停車を取るのはユングフラウ方面への登り列車のみである。

アイスメーア駅(Eismeer)

駅名は「氷の海」を意味する。アイガーヴァント駅と同様の構造の駅で、同じく数分間停車するので、展望台から氷河を眺めることができる。アイガーヴァント駅同様、観光のための停車は登り列車のみである。

ユングフラウヨッホ駅(Jungfraujoch)

海抜は3454メートル。ユングフラウ山の鞍部に設置された駅で、トンネル内部にある。駅の外でスキーや犬ぞりも楽しめる。一般人が到達できる最高地点は、エレベーターで昇る「スフィンクス展望台」だが、雪山経験者なら(十分な装備をした上でだが)4158メートルの山頂まで登山することも可能。近くを世界遺産にも認定されたアレッチ氷河が流れている。駅名は「ユングフラウの肩」の意味。
by katoujun2549 | 2010-03-24 15:34 | 映画 | Comments(0)