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 神は天地を創造された。創世記の第一章。そこには混沌があり、暗黒が深淵の上を覆っていた。そして、神の霊が水の上を漂っていた。神は光りあれと言われると、光があった。まさにビッグバンだ。神は6日間で世界を創造し、最後に人間をつくられた。7日目は休息というより、何もしなかった。聖なる日をもうけたのである。神は6日間の仕事で疲れてしまった訳ではない。

 ところが、創世記に書かれていないことがある。天使と悪魔の存在がいつ何処からはじまったのか。エデンの園に木を植え、それを食べると善悪を知ることになるが、その前に前に善と悪ー天使と悪魔はあるのだ。何で神は悪魔を作ったのか?いや、実は悪魔も天使の一つである。
  神と同時に天使ー悪魔は存在したということなのである。このことは創世記には書いてないが、エゼキエル書やイザヤ書から読み取ることができる。堕天使ルシファーが悪魔の頂点である。天使はガブリエルとか、ミカエルとかである。アダムとイブが知恵の木から果実を食べてエデンの園から追放されるが、その時に、神様から禁じられていた果実をたべるようにそそのかしたのは蛇である。この蛇に宿っていた悪魔がささやくのだが、これは神が作ったのではない。神とともにいたのだ。不思議な世界だ。悪魔と神は一緒にいた。

 この世界をさらに想像力を生かして描いたのがトールキンである。指輪物語はその善と悪の世界を描いている。異次元の世界である。パラレルワールドだろうか。想像力というのは果てしない。キリスト教が誕生する前にあったのはゾロアスター教であるが、その世界が旧約聖書の前にあったのだろうか。
 ゾロアスター教というと、昔、世界史で習った。拝火教であり、アフラ・マズダーを、創造主とする宗教、善悪二元説としか習っていない。ザラスシュトラ(ツァラトゥストラ)は、最初に2つの対立する霊があり、両者が相互の存在に気づいたとき、善の霊(知恵の主アフラ・マズダー)が生命、真理などを選び、それに対してもう一方の対立霊(アンラ・マンユ)は死や虚偽を選んだと唱えた 。Wikipediaに説明がある。善と悪の対立 ;スピターマの一族に属するザラスシュトラの思想は、バルフの小君主であったウィシュタースパ王の宮廷で受容されて発展した。ザラスシュトラは、アフラ・マズダーの使者であり預言者としてこの世に登場し、善悪二元論的な争いの世界であるこの世界の真理を解き明かすことを使命としている。かれによれば、知恵の主アフラ・マズダーは、戦いが避けられないことを悟り、戦いの場とその担い手とするために世界を創造した。その創造は天、水、大地、植物、動物、人間、火の7段階からなり、それぞれがアフラ・マズダーの7つの倫理的側面により、特別に守護された

『神の国』を著した教父アウグスティヌスによると、
創造された「この世界」を舞台とした二つの勢力の戦いが、歴史であるという把握は、キリスト教の初期の神学者であるアウグスティヌスの歴史観に先行する世界史観とも言える。善と悪が争い、最終的には善が勝利するとされている。ユダヤ教を母体としたキリスト教もこれらを継承していると言われる。さらに、大乗仏教において弥勒信仰と結びついたり、またマニ教もゾロアスター教の思想を吸収した。イスラム教もまた、ユダヤ教やキリスト教、マニ教と並んでゾロアスター教の影響も受けており、クルアーンにもゾロアスター教徒の名が登場する。

 この宗教の起源は、中央アジア、トルクメニスタンに位置するところで5,000年前に生まれた宗教ではないかという説もある。そこは今も天然ガスが豊富に出るところで、砂漠の中に、天然ガスが沸き出して、まるでガスコンロの中のように炎が吹き出している。「マルグーシュ遺跡」がどうも、エジプト、メソポタミアに並ぶ一大文明であった可能性が出ている。我々は自分達の歴史も本当は分っていない。



聖書からみた悪魔と天使
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by katoujun2549 | 2011-11-15 11:21 | Comments(0)
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 砂漠の洪水

 40年前、大学の地学の授業で、講師が砂漠で溺死しそうになったという話を聞いて、へえ、そんなことがあるんかなあと思ったが、面白かったので今だに覚えていた。その先生、タクラマカン砂漠に地質調査に行ったときの話で、自分の話に陶酔するかのような口調で、びっくりした体験を話していた。ほとんど雨が降らないところなのに、急に雨が降って来た。それだけでも驚きなのに、周りからどんどん水が流れ込んで来て、平らなところ、高台は遠く、逃げ場が無い。逃げる方向も場所も分からない。そのうちに水嵩が増して来て、はじめは歩ける程の深さだったが、やがて、増水が激しさに、呆然としてしまった。命からがら何とか、最後は溺れそうになりながら水深の浅いところに辿り着いた。砂漠というのはとんでもない怖いところだと思ったそうだ。確か、子供の頃、ディズニーの記録映画を見てこのことは知らない訳ではなかった。「砂漠は生きている」という名作、そこでも砂漠が大洪水になり、ナイアガラのような滝まで出来ていた。水は茶色の泥水だった。

 ところが、昨年11月、サウジアラビアの第二の都市ジェッダで洪水があって120人以上の死者が出た。年間降水量が7日しかない都市で6時間で72㎜という集中豪雨だった。砂漠では、普段はカラカラに地面が乾いており、いざ豪雨になると水を吸い込めない。そこで、水はあっという間に低いところに流れ込み、危険なことになる。当時、メッカの巡礼の季節で、洪水の恐ろしさを知らない外国人が多く死者の中にいた。自動車も1400台が破損したという。実は、砂漠では、水を失った旅人が渇きで亡くなることよりも水死するケースの方が多いそうだ。サウジでは毎年こうした大きなものこそ少ないが、毎年砂漠で水死する人が数名はいるんだそうだ。集中豪雨はたまにあるらしく、ワジという水の無い川の後が昔の洪水の後を物語っている。

 旧約聖書のノアの方舟と洪水物語も考古学的に関連づけた説がある。チグリス・ユーフラテス川流域で本当にあった大洪水による猛烈な土砂の堆積の痕跡と都市の埋没が発掘調査で分っている。ウルとウルクあたりの出来事だが、これは、さらに、普通の洪水ではなく、インド洋に落ちた大隕石による津波で、この波はトルコのアララト山まで押し寄せたこともあり得ることで、神話的な物語の根拠は科学的にも説明されるのだそうだ。まあ、これも説ということだが、自然というのは全く予測不能なことがある。

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