オサマビンラディンの殺害はCIAの勝利だろう。しかし、ナンバー2のザワヒりは健在だ。今回、日本の原発事故に触発されたテロが世界のどこかで計画されるのではないか。アルカイダの司令塔は力を失いつつあるが、そうした時こそ、制御の効かない、世界各地に分散したグループが競って報復合戦を行なう危険性が高まってきた。爆弾を抱えた小型航空機で、冷却装置を爆撃、自爆でもすればあっという間に、世界は恐怖のどん底ではないか。我が国も狙われるかもしれない。アメリカ本土なら西海岸が危ない。

 西岡議長がまるでボケたかのように菅直人を辞任させたいあまり、谷垣に代わって「辞めろ」と言い続けている。無理無理。カエルの顔にションベンだ。アメリカは、これだけ貸しを作った菅直人に退陣されては困る。アメリカから拒否反応を受けた鳩山と違った対応をしてくるだろう。日本の政治家は日本だけしか見えない。会社の中しか関心のない東電エリート社員と同様だ。普天間問題にしても見直しを迫り、グアム移転も反古にしたい。こんなチャンスを菅直人を退陣させて失うのは損だ。しかし、問題はある。日本が国際政治から見放される事態もあるということだ。特に、ロシアとの関係は最悪である。これまでの彼の大胆な発言の原因は、単なるKYというだけの話だった。これから始まる国際的な事件や危機にどう対応するのだろうか。

 菅直人が困るのは、そうした政治的な貸し借りという基本的なルールを無視する傾向があり、自分の都合の良いことしか考えないご都合主義者だということである。今後アメリカもその薄情ぶりに驚愕するはずである。こうした、彼の姿勢が、政治家としての資質と、政治家同士の信頼感を喪失する原因である。これだけ、罵倒されて、無能、無知、無神経とののしられても政権にしがみつく菅首相のメンタリティをみれば、何をしても無駄だという事だ。日本はもう諦めよう。駄目だ,こりゃ!

 今の民主党政権は、殆ど前を見ないで舵を取る、ボートの漕ぎ手みたいなもの。だから、早く進む事はできない。おそらく、テロ対策としての原発防衛は全く手が出ていないだろう。アメリカからその点を指摘されているにもかかわらずである。今度原発テロでもおきようものなら、米軍が直接乗り込んで、日本を占領しかねない。日本がこれから、一つになろうとかけ声かけても、リーダーたる政治家が全くバラバラでは空しい。今に、新たなテロ、中東での騒動、第5次中東戦争などの事態が再び菅政権を襲う。

 じゃあ、自民党ならこれが出来るかというと、やはり、対応できないだろう。震災の対応も同様である。浜岡原発停止なんぞ、気違い沙汰だが、当然、彼等には出来ない。所詮足して二で割るしか出来ない連中。ますます、自民党の陰が薄くなってきた。谷垣も全く存在感がない。菅直人攻撃、仙谷攻撃しか能がなかった彼等には困難を乗り切るという国家的な仕事を持った無能民主党にも太刀打ちできないのだ。自分達がまかされれば、どれだけうまくやれるか、国民に訴えることが出来ない。何が復興庁だ。具体的な都市計画、失われた土地の権利回復、医療と介護の再構築、産業再生など組織ができたからって出来るものではない。民主党は指揮命令がなっていない、と非難されるが、実際は細かくやりすぎるから現場と齟齬が生じる。官僚を信用していない分、先が見えない。政府は金だけ出して後は黙っておれば、民には治癒能力というものがあって、ちゃんと上手くやるのだ。
 
 ミスを恐れる官僚が二重三重にガードして、かえって身動きできなくなるのが目に見える。こんなことではテロ対策は無理だ。現場の権限を大きくして、情報収集能力を高めなければならない。ユニークな提案と思っているが全く古くさい。民主対策はおボッチャマの愚痴とか、嫉妬女の意地悪しかないんじゃねー。彼等なりの復興計画を早く出してもらいたいが、二世三世の家業的議員の多い連中は政策提言能力が無い。与党としても駄目だから政権が交代した。民主党は強力な野党だった。じゃあ、自民党は野党としてどうかというと、これも駄目ではお先が無い

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 日本の政治家、特に、民主党、社民党などの国際テロや戦時の不法行為に対する認識が浅いのではないかという場面がある。危機管理の弱さは社会党など、かつての村山政権でも指摘されていた。長い間、テロ対策を考える立場に無かった政党の弱さである。テロというのは革命などでの反体制勢力が、政治主張や、支配者の統治能力への疑惑を増す為に企ててきたもので、古くはローマ帝国時代も、ユダヤ人のゼロテ(熱心党)などが行なっていたことが歴史記録にある。また、帝政ロシアへの革命グループ、あるいは、日本では江戸幕府に対する江戸や京都での辻斬りなど、古くから政治的主張の一つなのである。日本では、かつて赤軍やオウムなどのテロがあり、多くの市民が犠牲になってきた。70年代の三菱重工爆破事件や警視総監邸爆弾事件などがあった。ゲリラ戦は戦争の一形態として認識される。テロはこれまで警察によって対応された事で戦争とは位置づけされていなかった。国際テロにおいては全く新しい形である。アメリカはこれを戦争と位置づけている。警察機能を越えた武力を持った敵に対して、警察を軍隊化するにはナチスの武装親衛隊のようなものを作らざるを得ない。これは国家においても、市民からも好ましい事ではない。警察力で対応できるレベルに相手の武力が減退するまでは軍事的に対応すべきである。

 国家が行なう殺人行為は制度的に容認されている。その一つが死刑制度であり、国際的には戦争である。戦争は、ジュネーブ協定によって一定のルールがあり、捕虜の虐待を防ぐために、兵士の交戦ルールが定義されている。我が国は、この事に対する認識が薄かった為に、沖縄などでは住民の悲劇を生み、また、死して虜囚の辱めを受けずという戦陣訓があり、兵士がそのために玉砕などの犠牲を生んだ。また、敵の捕虜虐待などで、戦後、多くの戦犯が処刑されている。戦争において軍事行動のルールでは、制服や標章など、市民とは区別しなければ保護されない。イスラエルでのジェニン虐殺としてイスラエル兵の蛮行が報道されたが、これも犠牲になった市民の多くがテロ参加者でもあったことをイスラエル側は抗弁している。このことを検証せずに一方的にパレスチナ側の証言だけを報道する。こうした、マスコミの無知はかつての日本軍と同じ体質である。

 ジュネーブ条約の交戦規定に関して、産經新聞(5/9)でのコラム「野口裕之の安全保障読本」が参考になる。ゲリラや「おとり」作戦はハーグの陸戦規定で適法である。しかし、ジュネーブ条約第一追加議定書では、降伏を装い油断した相手への攻撃、民間人を装い奇襲する背信行為、15歳以下の児童を兵士とすることも第一第二追加議定書、児童の権利に関する条約など、国際法により禁じられており、マスコミはこのこと前提に記事を書かなければならない。新聞などが、パレスチナでイスラエル兵の攻撃を非難するが、パレスチナ側はこうした常識を無視した行動に出ている。民主主義が全てを解決するとは思っていないにも関わらず、批判の為の批判を行なう事が我が国には多い。全て話し合いとか、交渉で解決しろというのは無理な事が世界では常に起きており、我が国といえども例外ではない。攻撃される側の抵抗権とか防衛権を尊重すべきではないだろうか。
 
 現実的にはジュネーブ条約通りにはなっていない。東京大空襲、広島長崎原爆、ドイツのドレスデン爆撃はどう釈明するのか。常に、戦勝国は断罪されていないことが問題である。そうした矛盾をテロリスト側は突いてきているのである。この問題を突き詰めるならば、戦争に公平を求めることは無理な話、だから絶対反対、必要悪の存在は認めず、軍隊の廃止にまで行き着く論理である。我が国の特攻がどのようなインパクトを大戦において与えたかは想像に難くない。ジュネーブ条約も無視、沖縄では民間人も含めた攻撃が行なわれ、航空機が特攻してくる。そのような戦争において、気が狂ったような民族日本人はむしろ、原爆で破壊すべしと言う世論がわくのも当然である。極めて稀に、特攻で戦死した操縦士を礼を持って水葬にしたケースもあったが、概ね悪魔の仕業として、徹底的に撃ち落とし、生存者も救わないケースが多かったと言われている。
you-tubeに特攻生存者を銃撃して殺す記録を見る事が出来る。アメリカ人の大半が日本への原爆投下を容認しているのは、沖縄や特攻での日本の行動が原因であることを忘れてはならない。
http://www.youtube.com/watch?v=2XfSClIbMh0&playnext=1&list=PL835A90A672529581

 今回、オサマ・ビンラディンがアメリカによって殺害されたことに、批判が多く出ている。確かに、彼は冷戦時代、アメリカの対アフガニスタン政策を知り尽くし、裁判でこれらを暴露されては困るのだろう。国際法廷にかけろというのが確かに正論である。しかし、テロリストに対して交渉しろとか、裁判にかけろといっても、無理な場合は軍事行動しか無いだろう。交渉よりも、交渉のテーブルに爆弾を投げつける相手にどうしろと言う事なのだ。民主主義は司法、立法、行政の三権が分立して成立している。だから、軍事や警察においても、そうした手続きが煩雑であり、その弱点を突いてくる彼等に対して対抗措置を考えずに批判することは無理がある。ビンラディンが目指していた社会はイスラム法の支配による、カリフ政治であって、これは既に、エジプト、リビア、シリアなどにおいて破綻している。アメリカは既に政治的には過去の存在であるビンラディンを殺したのである。この殺害によって彼の存在が亡霊のように蘇ってくる。これから何が出てくるか分からない新たなテロ時代が始まろうとしている。

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 9・11の首謀者、オサマビンラディンが2日、イスラマバードでSEALSの攻撃で死亡した。アメリカ同時多発テロ事件は、2001年、航空機を使った4つのテロ事件は、全世界に衝撃を与えた。これはアメリカのイラク、アフガニスタン出兵の口実となり、今日に至っている。こうしたことを虎視眈々と狙っている勢力がある。元副大統領チェイニーがCEOだった会社ハリバートンなどは大儲けだ。あれから10年、その間、インドネシア、スペインやイギリスで起きた事件以外に大きなものは起きていない。しかし、新たな緊張を望む人達は次の計画を練り始める。要はテロ組織が壊滅したわけでは無い。癌を手術で取っても、転移が進むようなもの。今後は武力ではなく、経済支援などで世界の不満分子の温床を縮小できるかにかかっている。ビンラディンを殺害したのは失敗であった。周囲の護衛は殺しても、彼だけは逮捕し、アメリカに送るべきだった。多分、パキスタン政府の主権問題など、始末に困るという理由だろうが、この結果、再びテロの応酬が始まるかもしれない。全世界が迷惑するのだ。複雑な世界を理解しないアメリカ人ガンマンが引き起こした不始末、愚かな事をしてくれたものである。アメリカはこの結果を引き受けなければならない。
 
 
 
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 まるで、ゾンビのように、次から次へと再生して襲ってくる。分解された怪物が、破片を集めて再生したり、小さな破片が成長して元の何倍もの数になって襲って来る姿が、SF映画で見られるが、これはまさに、アメリカ人のテロへの恐怖を物語っている。一つを潰しても後から後から襲ってくる。アメリカ人のメンタリティではとにかく、ガンで撃ち殺す方法しか頭に無い。ヨーロッパ、日本などの古い共同体が基盤になっている社会では相互監視が可能だが、これに対する自由を標榜している国是から、テロには弱い。下手をするとかつてのマッカーシズムの再来とか、魔女狩りのようになってそちらの犠牲が今度は大きくなる。テロリストは憎しみを煽るとか、復讐が目的であるから、社会改革のビジョンはお粗末である。彼等の行為を正当化する、ユートピア思想があればいいのである。その格好の材料がイスラムであるということで、本来のムスリムとは異なる解釈をコーランに行ない、自己正当化を行なっている。そこを、一般のムスリムも自分達の信仰上の不満を彼等で解消する形で、今回のパキスタンやサウジアラビアでもアルカイダの活動を支持する勢力が耐えない。

 テロでも、戦争でも犠牲になるのは、市民である。兵士も市民から生まれ、また、軍事基地より都市の住民が攻撃の対象になる。要するに弱い者苛めの応酬である。これから、アメリカの軍事行動は収まるのだろうか。国民の合意が得られない戦争は続けることが出来ない。だから、先般のリビア攻撃をアメリカはミサイル攻撃に限定せざるを得なかったし、これも批判されている。戦争を遂行するのは市民ではない。張本人はアメリカの産業・軍事共同体である。これらの指導者は世界中に別荘を持ち、テロのターゲットになりにくい。被害者は民衆だ。だから、彼等はさらなる陰謀を企て、時にはテロをも利用して世界の富をあさり回る。ブッシュもオバマも彼等の隠れ蓑であり、また、大統領は国民との調整機関である。大統領は国民を扇動できるならば、途端に彼等の利益を実現する方向に向かう。今後、魅力の無いアフガニスタンよりアメリカのターゲットは美味しいイランになるだろう。

 テロの防止が難しいのは、これを推進する組織の把握が困難である事だ。特に国際化した組織は、治安行政に失敗した国を選び、現地のアンダーグラウンド勢力に結合して潜伏する傾向にある。アルカイダのような国際的な活動を行なうグループを封じ込めるには、各国が国際組織を編成して、協調していくしか制圧する方法は無い。今回のオサマビンラーディン殺害により、彼等の組織情報が米軍の手に渡った事は大きな成果だろう。パキスタン政府との関係も明らかになる。しかし、そもそも、テロ組織は分解しても、再び再生する単純な組織である事が多く、だから、専制的な指揮命令である。革命政権が民主国家からかけ離れた、独裁政治になり易い理由がそこにある。社会主義はマルクス主義を標榜したが、政治イデオロギーとしては不完全であった。一経済理論であるマルクスの考えを政治理念にすりかえたところに、社会主義の失敗がある。社会主義は資本主義を抹殺するほどのビジョンを持っていない。民主主義は、君主制のリスクを分散して、責任を曖昧にする仕組みが、時として指導者の横暴を抑制するのである。意思決定能力は弱いが、指導者のもつリスクを回避する点で、社会を永続的に維持することができる。この歴史の智慧を教育は伝えなければならない。再びマルキシズムや宗教政治が複雑化した今日の統治機構にそぐわないことを明確に示すことが歴史学者の使命である。経済学などの社会科学は従来の理論を批判すること、あるいは修正する事から社会理論として成立して来た。資本主義の批判から生まれたマルキシズムが未完成だった共産主義を修正できずに、これを宗教のように教条化したところに限界がある。資本主義は過去においてケインズやクルーグマン、スティグリッツによって修正されてきた。その点柔軟である。資本主義経済も新たな修正を行い、時代に適合する生体のような機能がある点有利である。しかし、原発事故のような大きなリスクに何処まで耐えられるかが問題である。

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