人気ブログランキング | 話題のタグを見る


⒈長崎

日本の鎖国政策の中、長崎は唯一の窓口であった。

出島は今もなお市街に観光名所として保存されている。長崎ちゃんぽんとカステラはこの街の象徴的な食べ物。

肥前名護屋城、原城址、隠れキリシタン_e0195345_16235345.jpeg
そして、眼鏡橋という石の橋が長崎の文化を物語る。長崎チャンポンは流石に美味しい。カステラは眼鏡橋の前にある歴史あるお店、匠寛堂で買いました。
肥前名護屋城、原城址、隠れキリシタン_e0195345_18012285.jpeg

肥前名護屋城、原城址、隠れキリシタン_e0195345_12251736.jpeg
雲仙は長崎では有名な温泉地である。
多くのホテルや旅館がある。しかし、原城に行くには小浜の方が便利が良い。小浜は古い旅館が多く、街も小さいが、温泉の温度は高温なのだそうである。


⒉島原


長崎から雲仙、島原はかなり遠い。原城は目的地だが、南島原であり、島原はその先である。長崎から諫早、大村、雲仙とドライブした。雲仙と海沿いの景観が素晴らしい。

肥前名護屋城、原城址、隠れキリシタン_e0195345_12304259.jpeg
             雲仙岳を原城から望む

⒊原城


予想以上に巨大な城郭であった。12万の幕府軍がここを包囲した。幕府の破壊の跡が不気味で、城の姿が無くても迫力がある。


肥前名護屋城、原城址、隠れキリシタン_e0195345_17084915.jpeg

 肥前名護屋城、原城址、隠れキリシタン、これみな「戦国時代の日本が世界史に出遭い起きたこと」「大航海時代における戦国日本の旅」今回の旅行は、秀吉の朝鮮出兵という夢の跡、朝鮮から拉致した陶工たちによって世界的に発展した伊万里、有田の陶器産業、明治維新によって開国の中心となった長崎、そして幕府のキリシタン弾圧と鎖国の原点、200年にわたる鎖国政策の原点、原城をめぐる旅であった。

肥前名護屋城、原城址、隠れキリシタン_e0195345_13033897.jpeg
肥前名護屋城、原城址、隠れキリシタン_e0195345_13143948.jpeg
肥前名護屋城、原城址、隠れキリシタン_e0195345_01123011.jpeg


 有明海に突き出した標高30mの丘上にある城跡。慶長9年(1604)、有馬貴純が日野江城の支城として築城。南北1.3km、東西0.5kmの城跡は、石垣で囲まれた本丸、二ノ丸、三ノ丸、天草丸などから成り、戦国時代の石積技術を使用した城郭だった。キリシタン大名・有馬晴信の失脚後、慶長20年(1615)に廃城。寛永14年(1637)の島原・天草一揆(島原の乱)では約3万7000人の領民が88日間たてこもり、約12万人余の幕府軍と戦った末、全滅。城跡からは数多くの砲弾や人骨、十字架などが出土し、一揆の総大将・天草四郎時貞のものといわれる墓碑や石像、多数の骨を集めて供養したほねかみ地蔵が、かつての悲劇を伝えている。国指定史跡で、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産でもある。


有馬キリシタン記念館


残念ながら道を間違え行けなかったが、紹介したい。

世界文化遺産の構成資産でキリスト教弾圧の舞台である原城跡と、キリシタン大名・有馬晴信 の居城でキリスト教繁栄の中心であった日野江城跡。この2つを通して、南島原のキリシタン史やキリシタン文化などを解説・紹介している。展示室1のテーマは、日野江城を中心としたキリスト教の伝来と繁栄。日野江城出土の金箔を施した瓦や活版印刷機の模型などを展示し、イエズス会や天正遣欧少年使節、日野江城跡などを紹介。展示室2では、島原・天草一揆(島原の乱)と潜伏キリシタンをテーマに、原城跡の出土品である十字架や砲弾などを展示。原城跡発掘現場のレプリカや、島原・天草一揆の蜂起と終焉までのシーン模型が興味深い。


唐津から長崎に向かう途中、伊万里、大川内山町、三川内、波佐見を訪問した。いずれも陶器の町。時間の都合で有田は割愛した。機会があれば4月連休中の陶器市に行ってみたいが。
陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_10141866.jpeg

陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_16084305.jpeg


陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_17560339.jpeg



陶器の旅となった。

⒈伊万里 大川内山

伊万里は鍋島藩が厳重に管理した郊外の山里の大川内山が中心。山の中の黒髪山という要害と関所でこの街を管理した。この街には窯元の家が並ぶ。外国人の観光客が多く来ている。フランス人の年配の観光客が店に入っていた。街並みが窯元や陶器の販売店が並BI世界的にも珍しい。平日ということもあり、西欧人、中国人、韓国人の観光客が多い。伊万里焼、色鍋島など窯元によって様々な焼き物が並び、飽きない。伊万里陶苑ショールームでマグカップを買った。中の喫茶店でハヤシライスとコーヒーを頂いたが、器が色鍋島で流石に立派であった。
陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_09301606.jpeg


坂の町である。沿道の陶磁器店を一つ一つウィンドウショッピングする。ここの陶磁器は手書きのものがほとんどだから、高価なものが多い。勿論2000円から3000円のものもあるが、ちょっとした、素敵なものになると1万円を超えてしまう。クレジットカードが使えるから、油断して買うと、後が大変である。自分はコーヒーと紅茶用の器が欲しいので、並べてある茶器はほとんど見るだけである。現代において、家庭で揃いの茶器で一家団欒という機会は激減している。湯呑みやマグカップ、一品ものの紅茶茶碗の方がニーズが高いだろう。しかし、ここの品揃えは結構、揃いの茶器が多くセットで買うと何倍にもなってしまう。

陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_16151949.jpeg

街の入り口の橋は陶器が貼られている。
         
三川内の窯元 平戸松山釜を訪問、唐子絵の急須(8千円)を買う。ここのお姉様販売員は実に感じがよかった。街の入り口の橋には陶板が貼られている。三川内焼は世界的に白磁が知られ、これは1712年に発見された天草陶石と網代陶石を用いたことによるとされている。 三川内は佐世保市。白磁に映える繊細優美な染付が素晴らしい。 特に唐子絵は有名です。ここでは手書きの作品にこだわり、伊万里と並ぶ職人技である。渋谷のヒカリエで展示会を行っていた五光窯はお休みだった。奥の平戸松山窯に行く。ここは、まさに唐子焼の中心という感じだ。

陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_16173143.jpeg


窯元の絵付け職人が懸命に作業を行う
陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_16273692.jpeg

陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_18263159.jpeg
唐子の絵が丁寧である。

⒊波佐見も陶器の町

波佐見は伝統を守る手工業の伊万里や有田より工業製品としての陶器が多い。従って日用品を中心に展開しており、自分としては現代の陶器産業として未来を感じる。 インテリアデザイナーや大学、スタイリストとコラボした作品など、海外からも評価され、現代の陶器として勢いを感じる。分業制で器の形も、手びねりではなく型が使われている。かつては、有田の二級品、日用品出会ったが、近年、ブランド根拠の明確化により、波佐見焼として売り出された。電子レンジや女性の好みなどマーケテイングを考えて製品を作っている。この方向は間違っていない。街を上げて新しい陶器の生産地としてのブランド化を世界に向けて図る姿勢に感動した。Oyaneという陶磁器ショップに行く。モダンな会館である。
陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_10210129.jpeg




陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_11191267.jpeg


陶器の里へ 伊万里 大川内山 三川内 波佐見をめぐる_e0195345_11442904.jpeg
公衆トイレのストールが焼き物の特製








# by katoujun2549 | 2023-11-20 16:09 | Comments(0)
郷土館アルピノに行く。
JR唐津駅のすぐ横にある。1階は唐津の名産品がそろう「土産コーナー」、2階は唐津焼の展示即売所になっている。
唐津焼を購入_e0195345_15232524.jpeg

唐津焼は茶湯で使う茶碗や壺などで愛用されている。唐津焼の展示が素晴らしい。マグカップを2個買った。
唐津焼はなんといっても、お茶の道具だが、独り者の自分にはマグカップが良い。
唐津焼を購入_e0195345_15240497.jpeg

# by katoujun2549 | 2023-11-20 15:21 | Comments(0)

唐津港から1時間ほど西に車を走らせ、呼子に行く。呼子はイカで有名だ。名店、呼子港にある河太郎に行き、イカの生き造を頂こうとおもったが、店に着いたのは一時半ですでに受付が終わっていた。福岡空港に着いたのが11時だがレンタカーを借りたりすると出発は11時半、唐津までは1時間はかかる。唐津からさらに40分だから、12時前に河太郎に着くのは無理だった。腹ペコになったので、近所の道の駅で何か無いかと漁ると、イカ饅頭、イカメンチがあるではないか。これは合わせても500円程度、しかし、空腹のせいか美味かった。無理に河太郎に行く必要はなかった。以前、中洲の川太郎でイカの生き作りは食べたことがある。腹ごしらえをして、車で5分ほどのところにある名護屋城跡に向かう。
名護屋城と呼子_e0195345_13415543.jpeg
名護屋城と呼子_e0195345_13374408.jpeg
呼子大橋を呼子港から望む

名護屋城は秀吉の妄想の成れの果て、天守跡に登ってみたが、壮大な風景で、この周りには、戦国大名の屋敷が取り巻いていた一大植民都市があった。今は石垣も唐津城建設に使われて、城郭の面影は乏しいが、かえって想像が膨らんで感無量。芭蕉の句は平泉のことだが、こちらの方が、『夏草や強者どもの夢の跡』という風景だ。 ここに全国の諸侯が朝鮮攻撃のため20万人が集結し、周辺には諸侯の屋敷が城を囲み、連日茶会が開かれたという。秀吉は金の茶室を作り、茶会を開いたという。主な川もない半島の突端で、人口二十万人以上にする「水問題」だけでも、たいへんな困難があったと思う。イエズス会のコエリョが西欧の軍事力を見せつけようとした。秀吉はこの湾でポルトガル軽量軍船の操船に実際に乗船し驚愕、西欧の脅威を感じ、バテレン追放令を発布した。さらに、サンフェリペ号事件の後26聖人の処刑などキリスト教禁令を実行するに至る。この地が、日本の対外政策の転換点となったことを思うと感慨深いものがある。



名護屋城と呼子_e0195345_13580553.jpeg
名護屋城と呼子_e0195345_14502945.jpeg
名護屋城と呼子_e0195345_14545333.jpeg
壮大な朝鮮攻撃の拠点都市が生まれたが、豊臣政権の崩壊後
その後全てが解体された。
名護屋城の石垣などは唐津城の建設に使われ
今は見る影も無いが、その面影を偲ぶと圧倒される。
名護屋城と呼子_e0195345_14592085.jpeg
秀吉がこの地で
行った茶会に使用された金の茶室の再現












# by katoujun2549 | 2023-11-20 13:54 | Comments(0)

飴源は唐津市の海岸から山の方向に十分ほど入った川のほとりにある。
東京農業大学の名誉教授小泉武夫先生が絶賛する藻屑蟹。
「ムサボリビッチ・カニスキー」族が憧れの名店だ。
唐津のカニ料理 飴源に行く_e0195345_13071171.jpeg

飴源は、佐賀県唐津市にある創業天保9(1838)年の川魚・摘草料理の老舗だ。四季折々の選りすぐりの天然素材を江戸時代から受け継がれてきた技で提供。その味は、「ミシュランガイド福岡・佐賀2014 特別版」に星2つの評価も受けている。佐賀県北西部の脊振山地から唐津湾に流れる玉島川は鮎や白魚などが獲れることでも有名。河口付近は藻屑蟹の一大群生地となっている。小泉博士:ムサボリビッチ・カニスキー氏が、何とか時間を作っては飴源に通うのだが、その味は「大型の雄蟹のむっちりとした肉身は、甘く上品なうま味で充満し、また雌蟹の、赤みがかかった妖しいほどの代しゃ色の卵巣は、クリーミーなコクと濃いうま味が絶妙であった。こうして夢中で貪り、ついつい気づいたら我が輩は六ハイの藻屑蟹をきれいに平らげててしまっていた」というほど(「小泉武夫 食のベストエッセイ集」IDP出版より)。


ぶつ切りにした藻屑蟹がゴロゴロと炊きこまれた「藻屑蟹の炊き込みご飯」や濃厚なコクとうま味に満ちた「蟹汁」を堪能した。


唐津のカニ料理 飴源に行く_e0195345_13055213.jpeg
唐津のカニ料理 飴源に行く_e0195345_13083607.jpeg
鮎やアマゴの昆布締めを野菜と一緒に食べる。
野菜が実に新鮮で美味しい。
唐津のカニ料理 飴源に行く_e0195345_13472875.jpeg
鮎料理が素晴らしい。右の鮎は飴だきだ。

唐津のカニ料理 飴源に行く_e0195345_13105094.jpeg
藻屑ガニは大きいものと小ぶりの2匹
濃厚な味が素晴らしい。
唐津のカニ料理 飴源に行く_e0195345_13121312.jpeg
甲羅の裏にあるミソが絶品である。何も付けず
にむしゃぶりつく。硬い殻の一部は口の中で選り分け
足は千切ってちゅうちゅう、しゃぶる。
唐津のカニ料理 飴源に行く_e0195345_15481131.jpeg
締めくくりのカニご飯とカニ汁
たまらなく美味しい



# by katoujun2549 | 2023-11-20 13:21 | Comments(0)