日本の鎖国政策の中、長崎は唯一の窓口であった。
出島は今もなお市街に観光名所として保存されている。長崎ちゃんぽんとカステラはこの街の象徴的な食べ物。
⒉島原
長崎から雲仙、島原はかなり遠い。原城は目的地だが、南島原であり、島原はその先である。長崎から諫早、大村、雲仙とドライブした。雲仙と海沿いの景観が素晴らしい。
⒊原城
予想以上に巨大な城郭であった。12万の幕府軍がここを包囲した。幕府の破壊の跡が不気味で、城の姿が無くても迫力がある。
肥前名護屋城、原城址、隠れキリシタン、これみな「戦国時代の日本が世界史に出遭い起きたこと」「大航海時代における戦国日本の旅」今回の旅行は、秀吉の朝鮮出兵という夢の跡、朝鮮から拉致した陶工たちによって世界的に発展した伊万里、有田の陶器産業、明治維新によって開国の中心となった長崎、そして幕府のキリシタン弾圧と鎖国の原点、200年にわたる鎖国政策の原点、原城をめぐる旅であった。
有明海に突き出した標高30mの丘上にある城跡。慶長9年(1604)、有馬貴純が日野江城の支城として築城。南北1.3km、東西0.5kmの城跡は、石垣で囲まれた本丸、二ノ丸、三ノ丸、天草丸などから成り、戦国時代の石積技術を使用した城郭だった。キリシタン大名・有馬晴信の失脚後、慶長20年(1615)に廃城。寛永14年(1637)の島原・天草一揆(島原の乱)では約3万7000人の領民が88日間たてこもり、約12万人余の幕府軍と戦った末、全滅。城跡からは数多くの砲弾や人骨、十字架などが出土し、一揆の総大将・天草四郎時貞のものといわれる墓碑や石像、多数の骨を集めて供養したほねかみ地蔵が、かつての悲劇を伝えている。国指定史跡で、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産でもある。
有馬キリシタン記念館
残念ながら道を間違え行けなかったが、紹介したい。
世界文化遺産の構成資産でキリスト教弾圧の舞台である原城跡と、キリシタン大名・有馬晴信 の居城でキリスト教繁栄の中心であった日野江城跡。この2つを通して、南島原のキリシタン史やキリシタン文化などを解説・紹介している。展示室1のテーマは、日野江城を中心としたキリスト教の伝来と繁栄。日野江城出土の金箔を施した瓦や活版印刷機の模型などを展示し、イエズス会や天正遣欧少年使節、日野江城跡などを紹介。展示室2では、島原・天草一揆(島原の乱)と潜伏キリシタンをテーマに、原城跡の出土品である十字架や砲弾などを展示。原城跡発掘現場のレプリカや、島原・天草一揆の蜂起と終焉までのシーン模型が興味深い。