<   2017年 07月 ( 9 )   > この月の画像一覧

H.Steve君の案内で、サクラメント経由でパイオニアの彼の別荘に出かけた。サクラメントはカリフォルニア州の州都である。開拓時代は大陸横断鉄道の終点でもあり、また、幌馬車隊や駅馬車もここを目指した。
カリフォルニア州の行政の中心であり、州議会議事堂もある。カリフォルニア州のGDPは2015年で2兆4480億米ドル、人口は3925万人であり、これは一国で見た場合、これより大きな国は中国、日本、ドイツ、イギリスであり、フランスはこれに及ばない。州議会議事堂も立派である。サクラメントは湿地を開拓し、洪水から灌漑と地盤嵩上げによって安定した都市の発展がみられるようになった。この作業には中国人の労働者が貢献している。また、湿地が多いので米作に適しておりカリフォルニア米はここが産地である。大陸横断鉄道の終点でもあり、鉄道博物館が鉄道時代の大陸横断鉄道の記念に実物の機関車などを展示し、威容を伝えている。

     水都サクラメントを物語る外輪船のレストランホテル
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カリフォルニア州議会議事堂
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サクラメントから1時間半ほどでレークタホに向かう途中にある彼の別荘に泊まることになった。敷地は3エーカーあり、12000平方メートル(3600坪)の敷地に彼のコテッジがある。広大な敷地の中には小川もあり、4匹の鹿の親子が朝夕訪問してくる。アメリカンドリームを実現した彼ならではの理想の暮らしがあった。朝食、夕食では1彼の奥方がサラダや果物、そしてバーベキュウを用意してくださった。アメリカではこうした生の食材を楽しむことができるのは、上位生活者で、社会保険のお世話になっている層は味わえない。社会保障受給者層は缶詰やパックの加工食品で生活し、生野菜や果物は高級なのである。
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朝のサラダ

 翌朝、レイクタホまでの1日ドライブとなった。パイオニアも標高800mほどあるが、シェラネバダ山脈を通ってレイクたほまでは2時間ほどかかる。途中に湖や岩山、スキー場などが点在しており、景色が良い。H.Steve君は自分にこの素晴らしい景色を味わってもらいたくて、このコースを選んだようだ。2000m位の標高である。途中、Kirkwoodというスキー場に寄ってみた。

       Kirkwoodの湖と山並み
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チャップリンの黄金郷時代はタホ湖の西にあるドナー湖付近で起きた
幌馬車隊の遭難事故と食人事件をもとに制作された。
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黄金郷時代の1シーンでこのような小屋が
ゴールドラッシュ時に建てられていた

周囲は多くのキャンプ場があり、アメリカ人は湖などでカヤック遊びを楽しんでいる。トレーラーハウスやテント、別荘などの生活をエンジョイしているのである。このスキー場は彼のご子息夫婦がスキーを楽しむ所だという。スキーシーズンではないが3000m近い山並みには雪が残っており、スキーを担いでいる人もいたが、残念ながらリフトは動いておらず、皆登坂しなければならない。昼となったのでロッジでの昼食となった。クラブサンドイッチを食べたが、美味いというより、量がすごいので必死に食べたが、とにかくアメリカの一人前はその大きさに圧倒され、味わうよりこなすという感じになってしまう。
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必死に食べた昼食のクラブサンド

Kirkwood(カークウッド)はカリフォルニアのスキーの中心であり、レイクタホ周辺には冬季オリンピックの行われたスコーバレーなどの有名なスキー場が点在している。途中には多くの湖があり、3000mクラスの山には雪が残っていて、日本の白馬山系のような雰囲気であった。88号線でレイクタホまでは1時間ほどかかるが、途中の絶景に目を奪われる。レイクタホサウスの町は大きなリゾートタウンであり、ケーブルカーで山の上からタホ湖を一望にすることができる。このケーブルカーは乗るのに一人3800円もする。混んでいるので、これは諦めた。とにかく人が多い。まるで、日本の江の島のようなところだと気が付いた。
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レイクタホは巨大な湖


タホ湖は巨大な湖であるが、水がきれいで、エメラルドベイは有名である。しかし、途中の美しい湖を見たことや車が混みそうなので早々にパイオニアまで戻ることにした。独立記念日前後の休日なので混雑するわけである。これまで、アメリカは都市を中心に回っていたが、こうしたアメリカ人のリゾートライフに触れたのは初めての体験であった。この国の豊かさとは何かを感じさせる日々であった。
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H.Steve君の別邸と鹿の遊ぶ敷地
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この3人の女優の出演する映画を見た。ひとつは、実写版「美女と野獣」でエマ・ワトソンは主役として野獣のお相手を見事に演じた。その中でミセスポット役がエマ・トンプソンで魔法が解けたラストに登場した。日本でも今の朝ドラひよっこの有村架純や、トト姉ちゃんの高畑充希もそうだが、意思のはっきりした頭の良さそうな女性に人気が出る時代。

1.エマ・ワトソン

は10年にわたる「ハリー・ポッター」シリーズでハリーの親友ハーマウォーニ役を演じ、その後も幾つかの映画に出演、「ノア約束の舟」でも重要な役を見事に演じた。美女と野獣では野獣に拉致された文学少女の「美女」の役で、知性的な女性をこなした。さほど美形とは言えないが役柄が本を読むことが生き甲斐の少女だからこれで良い。何と彼女はアメリカ東部の名門校ブラウン大学を俳優業もこなして卒業している才媛なのである。芦田愛菜チャンもそんな女優を目指したらいかがだろうか。
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2.エマ・トンプソン

「日の名残」でアンソニー・ホプキンスと渋い演技でアカデミー主演女優賞にノミネートされたが、彼女は2回も取っている。ケンブリッジ大学で文学を学んだ才女である。元々はケネスプラナーの劇団で演技も磨き、また、ケネスプラナと結婚もしたが、離婚、2度目の結婚生活。今作品で美女と野獣のMisesPott役で見ることができた。最後のシーンでポットの姿から元の貴婦人の姿になった彼女の笑顔と存在感は流石であった。ハワーズエンド92年でアカデミー主演女優賞、脚本・主演を兼ねた「いつか晴れた日95年ではアカデミー脚色賞、主演女優賞にノミネートを果たした。
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演女優賞を受賞。脚本・主演を兼ねた「いつか晴れた日」(95)ではアカデミー脚色賞を受賞、主演女優賞にノミネート

3,エマストーン

2012年1月辺りから頭角をあらわしてきた彼女はアメリカンドリームの体現者である。今最も輝いている女優である。意思の強さと強烈な花のある女優である。ミランダカーのようなベビーフェイスでもある。LALALANDではエマ・ワトソンも主演候補だったが見事に主演女優を勝ち取った。
『アメイジング・スパイダーマン』から引き続いてグウェン・ステイシー役を務める『アメイジング・スパイダーマン2』は2014年4月に公開された。
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2013年5月、ウディ・アレン監督、コリン・ファース出演の新作コメディ映画のキャストに加わったことが発表された。2014年公開の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』で第72回ゴールデングローブ賞や第87回アカデミー賞助演女優賞などにノミネートされる。
2016年公開のデミアン・チャゼル監督作『ラ・ラ・ランド』では、第73回ヴェネツィア国際映画祭女優賞での受賞を皮切りに、ゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)や英国アカデミー賞主演女優賞などを獲得し、賞レースを席巻。 そして、第89回アカデミー賞では、自身2度目のノミネートにして初の主演女優賞に輝いた。先に書いた2人と違い、彼女は学歴が無い。若いころから、映画のタレントだったため、在宅学習で高校まで過ごした強者だ。見事に職業で花開いたのだから、これで良いのだ。


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by katoujun2549 | 2017-07-28 15:04 | Comments(0)
サンフランシスコ便で7本の映画を見た
UA機内で見た映画

1.The last King

スウエーデン映画である。13世紀のスウエーデンは内乱の時代だった。北欧といえばバイキングだが、中世に移行し、十字軍などの時代もあった。日本では馴染みの無いスウエーデンの歴史。血塗られーた権力抗争があった。日本では未公開だと思うが、冬の寒々した風景のなかで繰り広げられる追跡劇に息つく間もないスピード感で見入ってしまった。何と、追跡は古典的な一本棒のストックで走るスキーなのである。成る程、北欧らしい設定である。国王は毒殺され、その弟が権力を握る。王になろうとするが、2人の騎士がまだ生きていた、乳飲み子のような王子を抱えて脱出する。追手は国王を暗殺した弟の軍勢。真冬の森の中を赤ん坊を懐に政権を奪おうとする弟王の軍勢と追いかけっこだが、スキーで逃げるシーンがド迫力。結局逃げ切り、クーデター側の陰謀は頓挫する。皆髭面で、顔が同じに見える。俳優のパーソナリティーがよく分からないのが欠点だったがそれにもまして冬の森での戦いとスキーの脱出劇に目を奪われた。
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また、Wikipediaによると、この映画の舞台となった現在のスウェーデンの首都となるストックホルムは、13世紀半ばにスウェーデン東部のメーラレン湖東にある小島スタツホルメン島にフォルクンガ朝のビルイェル・ヤール王による砦として築かれたのが最初で、砦としてだけでなく、都市としての機能も形成された(島を囲むように丸太の柵が巡らされていた為に、「丸太の小島」と呼ばれるようになったが、これはスウェーデン語で「ストックホルム」と言い、都市名もそれに倣って決定された)。ストックホルムの街は次第に拡大して行き、スウェーデンの有数の都市となり、ハンザ同盟においても重要な都市として発展していった。

2.モアナと伝説の海

リトル・マーメイド」「アラジン」のロン・クレメンツ&ジョン・マスカーが監督を務めた。2017年アカデミー賞アニメ分野で受賞。海を愛する美しい少女モアナが、島の危機を救うために冒険を繰り広げる。かつて世界を生んだ命の女神テ・フィティの心が、伝説の英雄と言われたマウイによって盗まれ、世界に闇が生まれた。それから1000年にわたり、モアナの生まれ育った島モトゥヌイでは、外洋に出ることが禁じられていた。そんなある時、島で作物や魚たちに異変が発生。海の不思議な力に選ばれた少女モアナは、いまもどこかで生きているマウイを探し出し、テ・フィティの心を元あった場所に戻すことができれば世界を救えると知り、父親の反対を押し切り大海原に旅立つ。マウイは上半身刺青タトゥーを彫った青年で、この刺青が踊ったりするのが斬新なアイデア。波と風、そのなかで疾走するカヌーが生き生きと描かれる。
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3.LaLalandララランド

2回目見たことになる。二度見ても飽きなかった。改めて、これはアメリカ版寅さん、男は辛いよストーリー。エマストーンはやはり凄い。今回の目的地はサンフランシスコだが、あのLAのバイタリティーと野心家の世界が懐かしい。ロスはあまり綺麗な町という印象はないが、グリフィス天文台やロスの美しいい夜景が懐かしい。ロスに住んだり行った方は必見。この前のエマストーン作品はアメージングスパイダーマン。スパイダーマンの恋人役を演じた。


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4.アメイジングスパイダーマン

スパイダーマンは結構好きな映画でよく見ている。荒唐無稽な筋書きのわりに出ている俳優がよい。今回もハクソーリッジのアンドリューガーフィールドと、Lalalandのエマストーンが主役で出ているので興味をもって見た。なかなか面白い設定で、IPS細胞などのバイオテクノロジーによって新しい生物のエネルギーが生まれる。蜘蛛の機能が乗り移ったパーカーとくそ真面目な博士がトカゲの再生機能とDNA取り込んでスーパートカゲになって暴れまわる設定が滑稽。スパイダーマンはいつも主役が高校生である。しかし、サム・ライミ監督が描いた第1弾の半額の約2億ドルにしかならず、全世界でもトータル興行成績は約7億ドル。映画会社としては期待はずれで次のシリーズはこのスタッフではない。スパイダーマンことピーター・パーカーを演じたアンドリュー・ガーフィールドと、ピーターの彼女であるグウェン・ステイシーを演じたエマ・ストーンが実生活でも交際し、本作の撮影がきっかけだったそう。しかし二人は2015年10月には既に破局していたとのこと。
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5.スターウォーズ エピソード4

オビ=ワンとルーク。ミレニアムファルコンの密輸船長であるハン・ソロと相棒のチューバッカと出会います。ダース・ベイダーに捕らわれたレイアは「反乱軍の本拠地を教えないと故郷の惑星オンデランドを破壊する」と脅迫を受けていた。そして、本拠地を教えたが、ダース・ベイダーは惑星オンデランドを破壊。故郷を破壊され絶望するレイア。ああ、これはエピソード4だが最初に見たスターウォーズであることを思い出した。
ハン・ソロの登場、レイア救出、ダース・ベイダーオビ=ワンの対決ハン・ソロ、ストームトルーパーとの撃ち合い、R2-D2はコンピューターを解析してレイアが監禁されている情報を得て、3POと救出に向かい、見事レイアを救出することに成功。最初のスターウォーズはこんな素朴な映画だった。その後、莫大な資金をかけた作品が続々と製作された。

レイアを救出したルークやハン・ソロはファルコンでデス・スターを脱出し反乱軍の秘密基地があるヤヴィン第4衛星に向かいます。デス・スターの設計図を解析し弱点を見つけることに成功。ルークは反乱軍のパイロットになってデス・スターを破壊すべく準備を進め、デス・スターの弱点を突いて勝利するストーリー。強力な武器を前に反乱軍はピンチに陥るが、ハン・ソロのファルコンが助けに、そしてみんなの協力でデス・スターを破壊することに成功、反乱軍が勝利を収める。懐かしい作品。レーア姫の女優、キャリーフィッシャーは咋年末お亡くなりになった。
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6.マリアンヌ

巨匠ロバートゼメキス監督作品。ブラッド・ピットの第二次大戦ものとしてフューリー以来だ。女優はマリオンコティヤール、エディトピアフ愛の讃歌でアカデミー賞を取っている。豪華配役だと言える。今年の2月に公開されていた。特にこの女優は堂々たる存在感。
第二次大戦中のモロッコ、カサブランカからストーリーは始まる。連合軍側の諜報員だったマリアンヌのコテイヤールは恋に落ちるが、彼女はかつてナチスのスパイであった。それを悟られず二人は恋に落ちる。恋愛サスペンスに仕上がっている。結構見ごたえがあった。ブラッド・ピットはフューリー、イングロリアスバスタードもそうだが第二次大戦ものになると輝きを増す。

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マリオンコテイヤール
大物女優


7.インフェルノ

トムハンクス主演の天使と悪魔に続く、イタリア観光サスペンスシリーズ。ロンハワード監督作品。ダ・ヴィンチコードもそうだったが、トムハンクスは大学教授。彼は突然倒れ、病院のICUに入るが、記憶喪失状態。婦人警官の格好をした殺し屋が襲ってくる。女性医者が彼を助け、彼女のアパートに逃げ込む。彼はダンテの神曲にある煉獄を描いたボッチチェリの絵に謎が隠されていることを彼女から知らされる。世界の人口を半分にする伝染病ウイルスを暴発させるテロを企てる陰謀を知り、WHOの係官が彼を追う。ウイルス爆弾はテロの首謀者が隠しておりそのヒントが絵の中にある。しかし、首謀は自殺しており、その謎解きはトムハンクス演じるダンテの研究者の教授の知識にかかっている。実は女性医者もテロリストの一味で爆弾の場所を探しており、爆発を防ぐために操作しているWHOを妨害し、予定通り爆弾が破裂するよう行動している。ところが、その情報をビジネスに使い、一攫千金を狙うグループも爆弾の在りかを探していた。殺し屋の女警官も彼らの仲間で、ストーリーは混乱する。
とにかく、フィレンツェの町とウフィツ宮殿美術館が戦いの舞台となる。世界遺産の美術館の天井裏でバトルが繰り広げられ、美術館の天井が破壊されるのにはびっくり。登場人物が錯綜し、誰が敵か味方か分からない。最後はコンスタンチノーブルの地下水道遺跡でのバトルがすべてを明らかにする。観光サスペンスアクションとなっている。ストーリーが二転三転するから、誰が善玉か分からなくなる。筋の運びに無理があるが、テンポの速い展開と、フィレンツェの観光スポットに気をとられ、最後は地下貯水池の遺跡の中での乱闘で危機は回避される。



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ヘレティック・ブルーイングは、北カリフォルニア・フェアフィールドから。ジャミール氏はもともとホームブルワー出身で数々のアメリカのホームブルワービアコンフィデンスで長年受賞経験し ついに Heretic Brewing を設立。


Heretic とは、カトリック宗教の教義に対立する信仰を持つ人のこと。その意はビールに精通しビールを飲む人の 90%以上が、大量市場のライトラガーこそビールの世界と信じています。つまり、クラフトビール好きはヘレティック!いろいろなキャラクターのあるビールを楽しみたいという強い思いを持ち、いつでもどこでも自分たちが飲みたいビールが飲めるビアシーンを築きたいという願いを持った人。ヘレティックブルーイングは、世界中が大量に造るようなビールではなく 自分たちにしか造れないおもしろいクラフトビールを目指している。

友人のご長男がホームブルーワリーの趣味で、自分でエールを作っていたが、結局、難しいことが分かり、止めた。そこで、エールの良さに目覚め、丁度フェアフィールドのヘリティックのブルーワリーとパブに出会い、自分にも紹介してくれた。50種類のエールを選べる。


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中東の石油王が道楽でやっている豪華なワイナリー
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ホームステイ先のH・STEVE君ご夫妻の案内でナパのワイン街道沿いにあるワイナリー巡りをした。
アメリカ人はビール好きで、最近小さな醸造所がブルーワリーパブを開いて、エールを中心に計り売りもする。彼の住むFairfieldのHERITICというブルーワリに行ったが、50種類ものエールがさまざまな香りのエールを楽しむことができ、大にぎわいであった。しかし、近年、ワインの伸びは大きく、カリフォルニアワインは本場フランスからも高い評価を得るようになり、フランスワインを凌ぐ品質のものができる。特にロバート・モンダヴィがフランスのシャトー・ムートンを買収しさんかに納め、オーパスワンといった高価格ワインを出すようになったこと、また、点数評価で等級付けを行い、数多くのワイナリーの情報をワインファンに提供し、品質の向上にも寄与した。


ワインツアーはデートコース
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世界全体のブドウ栽培面積は、カベルネ・ソーヴィニヨンが1位だが、シャルドネの人気が勝っているのは、カリフォルニアの特徴と言える。白赤比率では、赤ワイン品種が6割を超えるものの、個々の品種別で見ると、赤はカベルネ・ソーヴィニヨン、ジンファンデル、メルロ、ピノ・ノワールの4品種で赤ワイン品種の7割程度なのに対して、シャルドネは単独で白ワイン品種の5割強を占めている。
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ナパで一番古いBeringerベリンジャーというワイナリーで試飲した。ここのワインは97点という高得点を得たワインを出した。元々はビールを作っていたドイツ移民だったがワインに転換し、山に洞窟を掘ってワインの貯蔵を行い、ワインツアーを行っている。
カリフォルニアワインにもっとも大きな影響を与えるワイン評論家は『ワイン・スペクテーター』誌のジェームズ・ローブ英語版ロバート・パーカーであり、2人の点数がヴィンテージの評価を上下動させているとされる。



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by katoujun2549 | 2017-07-15 07:50 | Comments(0)
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巨大な大陸横断鉄道の機関車

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開通時の蒸気機関車
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シェラネバダ山脈を
切り開くため、多くの
中国人労働者が働き、犠牲も多かった。

フロンテアスピリットと西部開拓

アメリカの発展は東部から西部へと19世紀中頃から急速に進んだ。東部からカリフォルニアやオレゴンに開拓は進んだ。そのきっかけが、横断鉄道の開通と、ゴールドラッシュであった。また、連発銃の普及はインデアンの脅威に対抗できるようになった。森林地帯ではインデアンの弓矢の方が遥かに有利で先込め銃は敵わなかった。アメリカのフロンテアはアイオワ州辺りで長い間止まっていた。鉄道もシェラネバダ山脈が行く手を阻んでいた。
1862年にリンカーン大統領が太平洋鉄道法(the Pacific Railroad Act)に署名、セントラルパシフィック鉄道(the Central Pacific Railroad:CP鉄道)が西部側のサクラメントから、また、ユニオンパシフィック鉄道(the Union Pacific Railroad:UP鉄道)が東部側のネブラスカ州オマハから着工した。1863年1月8日に着工が始まった。南北戦争の復員軍人や中国人移民が鉄道建設に動員され、工事の効率が飛躍的に上がった。とりわけ、中国人労働者はロッキー山脈越えやネバダ砂漠横断の難工事にあたるなど大陸横断鉄道の完成に決定的役割を果たした。今日、この中国人の努力と功績、犠牲は顕彰されており、サクラメントの鉄道博物館で展示されている。
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サクラメントは湿地であり、度々洪水に見舞われ、嵩上げ工事に中国人労働者が貢献した。

ゴールドラッシュ時代の採掘者の住居
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西部開拓の第2の波はゴールドラッシュだった。金鉱脈の発見で、サンフランシスコの人口の半分が砂金取りに出てしまったという。その後も中国人や海外からの移民が続く。最初に発見されたのが、Colomaという小さな町の製材所、AmericanRiverの水を使った、動力源の水車を回す小川から砂金が発見された。1848年1月、その話を聞き付けたSutter砦の雑貨商Brannanが製材所に行って確認し、サンフランシスコで騒いだことから大騒ぎになった。最初の発見者は製材所の技士James M Marshalだったが、最初は製材所が機能しなくなるのを恐れて黙っていたが、秘密は破られた。COLOMAの町は4000人もの人口で溢れかえった。発見者のMarshalはその後土地を買い、金の採掘を始めたが彼は上手くいかず、ワインの栽培で成功した。しかし、水晶採掘のビジネスに失敗し、金発見の功績で受けていた年金も半分に削られ、アル中となって1885年に75歳で死んだ。
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この製材所は再現されており、小川は流れが変わって今は跡が残っているにすぎない。
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町に作られた、小さな小学校と教室
西部劇に出てくる。

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by katoujun2549 | 2017-07-12 17:16 | Comments(0)
サクラメントはカリフォルニア州の州都である。サンフランシスコやロサンジェルスが州の中心であるようにも見えるが、むしろサクラメントは大陸横断鉄道の全盛時代まではウエストコーストの中心で、州議会議事堂があり、行政機関も集まっている。アメリカは商業や産業の拠点と行政は切り離されていることが多い。大陸横断鉄道を記念した博物館が多くの人を集め、開拓時代の街並みも保存されている。サンフランシスコやロサンジェルス、サンディエゴなどでは味わえない西部開拓時代の雰囲気はサクラメントでこそ満喫できるのである。
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西部開拓は幌馬車隊の時代、駅馬車、大陸横断鉄道
 ゴールドラッシュなどによって節目があり、今日は
ハイテクのシリコンバレーやハリウッドに代表される
情報産業がカリフォールニアに集約され、
人口は一番多く、33871千人、GDP全米第1
1,812,968百万ドル(200兆円)の生産力を誇っている。
人口一人当たりは7~8位である。
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幌馬車隊は命がけの4か月~5か月の旅
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駅馬車
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大陸横断鉄道はシェラネバダ山脈の難所を中国人労働者のパワーと犠牲によって成し遂げられた。
1956年まで走っていた巨大な機関車に圧倒される。
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幌馬車隊ーWAGON TRAIN
牛にひかせていた時代が長く、後半は馬になった。
シェラネバダ山脈越えは冬に入る前に行わねばならず、
これに失敗したドナー隊は冬の間閉じ込められ、人肉まで食べたという。
インデアンの襲撃や砂漠越えも大変なリスクであった。
チャップリンの映画黄金狂はこの時の逸話をモデルにしている。


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by katoujun2549 | 2017-07-10 12:10 | Comments(0)
H.Steve君の案内でナパからソノマに行った。以前、5年前ナパにはワイントレインとワイナリー1件行ったことがあったが、ナパの中心道路沿いに100件以上のワイナリーがある。日本のT君が役員をやっていたカプコンの社長が趣味でやっているケンゾーエステートは既に日本人観光客のワインツアーの中に組み込まれ、予約制となっている。ナパのワイン街道から離れた山の中にあり、予約していなかったので前を通るだけでパスした。オーパスワンは高価で超有名、以前、クリスマスの抽選で当たったのを1本飲んだが、正直なところ、自分の趣味には合わなかった。地元で聞いてみると、結構同意見で、値段の割には大したことがない。最高級で1本100ドル以上ならおいしいのがいくらでもあるし、カリフォルニアではワインの品質は点数制で、95点以上のものは皆美味しいのだそうで、当然、90点以上のポイントを取っているワイナリーに行ってみた。
最初は、中東の石油王が道楽でやっていると思われる、イランのペリセポリスをモチーフにしたワイナリ―に行ってみた。中も豪華で、花なども咲き誇る美しいワイナリー。だが、ワインの味はもっとうまいところがあるというので、試飲はパス。Jsut Lookinngとなった。古典的なカントリータイプのものから、近代的な雰囲気など様々なワイナリーが並んでいる。ベリンジャー(Beringer)
というナパで最も古いワイナリーに行って試飲とワインセラーのツアーに参加した。ここの最高級は昨年95ポイントを取ったものが140ドルで売っていた。試飲もしたがタンニンが結構きつかった。ところがチーズと一緒に飲むとこれが消えて実に美味であった。ワインはまさに食材とのハーモニーを味わうのが最高であることがわかる。ワイントレインも結局、ソムリエが料理によく合うワインを選定しているので、コース料理も最適な味わいになるのだと思う。だいたいアメリカでハンバーガ以外で美味しいと思う料理は中華以外にはあまり経験がないのだ。
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              豪華なペルシャ風ワイナリー
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          古典的なワイナリー
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ここでは無料で試飲させてくれた
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ベリンジャーのワインツアー英語が早口で聞き取れないが
最初はドイツ人のビール製造者だったがワインに転換し、岩穴を掘りぬいたワインセラーをここに築いたのだそうで、歴代のワイン生産主任のプロフィールを延々と説明していた。個々のワインは95ポイントを取った最高のもので、ピノノアールとデザートワイン、最高点のワインをいただいた。
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by katoujun2549 | 2017-07-10 11:56 | Comments(0)
フェアフィールド、ナパ、サクラメント

1週間サンフランシスコ郊外の住宅地フェアフィールド市をベースにパイオニア、タホ湖、ヨセミテまで足を伸ばす機会を得た。大学時代の友人H.Steve君の家にホームステイさせていただいた。彼のご長男ご夫妻の案内で日帰りツアーとなった。

1.ヨセミテ
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       この風景はトレッキングしないとみることができない

ヨセミテまでは片道、車で3時間半で行ける。朝の6時45分に出て、大草原から森林地帯にはいると急に高度が上がる。山火事の後が生々しい山道を通り、11時頃ヨセミテ国立公園に到着した。大岩壁、エルキャピタンが迫り、落差739mのヨセミテ滝が目に飛び込んでくる。巨大なハーフドームも見える。これら3名所を一度に見るにはトレッキングをして見晴らしの良い山に上らなければならず、これは諦めた。先ずはヴィジターセンターに行き博物館で世界遺産ヨセミテの観光地としての歴史を学ぶ。ここはインデアンが先住していた。採集生活が中心で、川で魚を取り、狩りで動物を食糧に暮らしていた。彼らの住居は檜肌葺で三角形のテント状のもの。平原のインデアンの革の移動式ではない。高地で冬は雪に閉ざされる。西欧人も毛皮取りの山男しか入ってこない世界であった。ヨセミテ滝を見てお昼になったので、昼食となった。カフェテリアでバッファローのステーキを頂いた。さっぱりとした柔らかい肉であった。結構ヘルシーで美味しいと思った。敢えて言えばもの足りない。ビーフの油っこさが旨味だから、結局健康に悪いほうが美味しいことを改めて思った。
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滝というのはあまり近くに行っても迫力はあるが、美しさはない。遠目が良い。930mの大瀑布であるが3段になっている。この距離からも音は聞こえる。
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エルキャピタンの大岩壁は麓までいった。見上げると大迫力で、岩壁を登坂している人がけし粒のように遠望できた。ここはロッククライミングの聖地なのである。最近、フリークライミングでロープを使わず5時間で登坂した強者がいたそうである。
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                エルキャピタンの雄姿

「ヨセミテ」はミウォーク(Miwok)族により、ヨセミテ渓谷に住むインディアンを指して使われていた言葉とのこと。意味は”those who kill”(「殺し屋たち」という意味)。ヨセミテ渓谷を取り囲むインデアンの部族は、彼らを恐れていた。ヨセミテ族はシエラの東側のモノ・パイユート族を含むいくつかの部族から成り立っていました。パイユートは伝統的に平和的なミウォーク族の敵でした。 さて、ヨセミテ族はヨセミテ渓谷を”Awooni”(アワ二ー)と呼んでおり、それは gaping mouth (註:gapping は「裂ける」、「ぎざぎざになる」)を意味している。景観を守ろうと20世紀までに多くの人々が懸命の努力をした。観光地としての発展と産業開発、自然保護との戦いもあった。しかし、アメリカはここを国立公園として保護することとなった。
スコットランド生まれの博物学者ジョン・ミューアが書いたこの土地についての論文は、社会の科学的関心を引いた。彼は、当時の通説に反対して、ヨセミテ渓谷の地形が氷河によって形成されたことを理論化した最初の人物の1人である。

ヨセミテでは、草地への過度の放牧(特に羊)や、ジャイアントセコイアの伐採が見られるようになり、ミューアは保護を更に推し進める必要があると考えた。彼は、センチュリー・マガジン誌の編集者ロバート・U・ジョンソンなど、ヨセミテを訪れた有力者に、この地を連邦政府の保護下に置くべきだと説いた。ミューアとジョンソンは連邦議会へのロビー活動を行い、それが実おって1890年10月1日にヨセミテ国立公園が設立された。ただし、ヨセミテ渓谷とマリポサ・グローブについてはカリフォルニア州の管理下に残った。また、ミューアは、ヨセミテの高地での放牧を事実上禁止するよう、地方政府の説得にも尽力した。

ヨセミテ国立公園は、1891年5月19日、アメリカ陸軍第4騎兵連隊の管轄下に入り、同連隊がワウォナにキャンプを設けた[27]。しかし、軍には、カリフォルニア州が管轄するヨセミテ渓谷とマリポサ・グローブの環境悪化について介入する権限がなかった。

ミューアと、彼が創設したシエラクラブは、州が管理しているヨセミテ渓谷を連邦政府のヨセミテ国立公園に統合するよう、政府や有力者へのロビー活動を続けた。1903年5月、セオドア・ルーズベルト大統領がグレイシャー・ポイント近くでミューアとともに3日間のキャンプを行った。この時、ミューアは大統領にヨセミテ渓谷とマリポサ・グローブをカリフォルニア州から連邦政府へ移管させるよう説いた。そして、1906年、両地域を連邦政府に移管・統合する法律が成立し、大統領はこれに署名した。

アメリカ合衆国国立公園局は1916年に設立され、ヨセミテも同局に移管された。

1903年、公園北部のヘッチ・ヘッチー渓谷に、サンフランシスコ市内へ水と電力を供給するためのダム建設計画が持ち上がった。ミューアら保護論者(プリザベーショニスト)はこれに反対し、保護論者の主張を受けて、連邦議会は公園の89%に当たる27万4200ヘクタールを「ヨセミテ自然保護区域」に指定した。夏期の交通混雑も大きな問題となった。現在、自動車で公園を通り抜けることは可能であるが、園内では無料のシャトルバスが数路線走っており、これを利用することが推奨されている。
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by katoujun2549 | 2017-07-09 16:49