<   2016年 09月 ( 11 )   > この月の画像一覧

 マレーシアのスーパーなどの食品売り場は日本には無い食材が多く見ていて飽きない。中でも果物売り場はトロピカルフルーツの宝庫だ。ところが、スーパーの入り口にはリンゴが山と積まれている。日本のと比べ、貧弱で小さい。また、オレンジなどもたいして美味しくく無い。イチゴに至っては甘みが無い。地元の人は珍しいものや、産出量の少ないものを高く買ってしまう。日本も同じ
やはりこの地はトロピカルフルーツが素晴らしく毎日色々なものを食べてみた。甘くて美味しいものが多い。しかし、日本の柿とか、梨、リンゴ、みかん、ぶどうに勝るものはなかったような気がする。皆癖がある風味だ。とはいえドリアンなどは世界的にもフルーツの王様、マンゴスチンとかジャックフルーツは女王と言われる。慣れもあるのだろう。今回のマレーシア旅行で食べたものを併せ感想を述べてみたい。
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1 ドリアン
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クアラルンプール市内で探したが、スーパなどで思いの外売っていない。強烈な臭いのせいだろう。キャメロンハイランドに行く途中、道路沿いでオランアスりー;原住民族と思われる人たちが屋台で売っているがバスが止まってくれないので買えないし、もちろん持ち込み禁止だ。連中はジャングルの中の野生の実を取ってくる。原価はタダだから格好の現金収入。タナラタの町の屋台で売っていたので1個買って食べた。殻が固くて棘があるのでオバちゃんに切ってもらった。とにかく、都市ガス臭のような強烈な臭い。種の入った実にはねっとりとした果肉が纏わりついている。甘くクリームチーズのような食感だ。指に腐ったような果肉がくっついてくる。3回食べると癖になるそうだ。これを食べて酒を飲むと胃の中で発酵してとんでもない苦しい思いをするから絶対に酒を飲むなと言われた。どうも個人差があるらしい。白い外皮をミキサーにかけて水に混ぜて飲むと大丈夫だという説もある。臭いがキツイのでホテルや乗り物には持ち込めない。

2 マンゴスチン
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殻をむくと白い果肉が現れる。白い実が種を覆っている。こちらの果物はこの様に種が大きく、その周りの果肉を剝ぎ取って食べるパターンが多い。中味が全部食べられたら、最高だが、そこは手間暇かけて楽しむよう神様が作られたのだろう。ほの甘くさっぱりした味で、果物の女王だそうだ。
 
3 パパイヤ
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種が邪魔。日本人なら、種も食べられるパパイヤを開発しただろう。KLの日本人クラブの庭にパパイヤの大木があり、たわわに実っていた。各家庭の庭にも植え付けている人が多い。剣道クラブのヤップさんの家の庭にも実ってきたので楽しみにしていた。9月初旬が旬で、明日は食べごろと就寝したが、翌朝取りに行くと全部消えていた。悔しがっていた。

4 ジャックフルーツ
 これも。臭いのキツイ果物。ウエット感が無いが甘い。棘のある殻に覆われている。癖になりそうな食感である。こうした臭いの強い果物は道路で売っていることが多い。キャメロンハイランドに行く途中パーキングエリアの売店でパックに入ったものが売られていた。買ってバスの中で食べたが臭いが強いので周囲が気になってしまった。果汁が少ないのでドライフルーツのような感じがするが、果物。甘さと歯ごたえが好きになる人もいるだろう。パックのものは全部食べてしまったから自分もいけるほうかな。
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5、ローズアップル
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初めて食べた。薄く輪切りにして食べると食感がよく、シャキッとリンゴのようだ。少し酸味があってサラダなどに混ぜても美味しい。形はピーマンのようでもある。最初はかじったが、表皮にロウがある感じで違和感があったので、スライスしたらぐっと旨さが増した。不思議な食べ物であった。

6 スターフルーツ
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輪切りにすると星型になる不思議な果物。ローズアップルににているが、こちらの方が甘い。表皮を取った方がうまいが形が形だけに面倒臭そう。

7 ロンガン
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ライチのような実が皮をむくと出てくる。汁気のないぶどうのようなゼリー状の実で甘い。値段が安く買うと食べきれないので買わなかった。

8 ランプータン
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 ロンガンとかランプータンと同じような実が殻をむくと現れる。これも甘くて美味しい。面倒だがいくらでも食べられそうである。

9 スイカ
マレーシアのホテルの朝食にはスイカが出る。しかし、たいして甘く無い。野菜として食べるのだろう。スイカジュースは自分の大好物だ。ホテルの朝食で出るスイカは美味しいと思わなかったが、ジュースにすると美味しい。甘いが砂糖を入れているわけではない。スイカもホテルには保存の都合から、完熟していないものを出すのだと聞いた。路地売りのスイカが美味いそうだ。
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10 バナナ
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日本のスーパーで売っているバナナは青いものを取って日本で熟成させている。美味しいはずがないが、まあまあ、毎日食べても飽きない。マレーシアには流石にバナナの種類が多い。小さなバナナで路地で完熟させたものは流石に美味との事だが、今回、ここまで来てバナナも無かろうと舐めてかかった。やはり食べるべきだが、自動者道路の脇に実ったのを見ると食べる気がしない。

11 ドラゴンフルーツ
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最近は都内のスーパーでも300円くらいで売っている。種ばかりのフルーツと違い、中身はぱっちり入っている。サラダに入れると美味いが、慣れないせいか、やった事が無い。上品な甘みがあり、シャキッと歯ざわりも良い。好感度が高いくだもの。形と色が綺麗。ビワとか、サクランボより使えそうです。サボテンの仲間だとは驚き。

12 パイナップル
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トロピカルフルーツの代表だが、あまりにも普通なので敢えて特筆するものはない?しかし、ホテルの朝食で、シロップに漬け込んだパイナップルはヨーグルトとの相性抜群で毎日食べた。キャメロンハイランドでたべたが、パイナップルの中にチャーハンと炊き込んだ パイナップルチャーハンは実に美味しい。調理材として、素晴らしい可能性があると思う。

13 マンゴー
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宮崎マンゴー1個2万円で千疋屋で売っていたので悪い印象。沖縄産が高級だが、マレーシアでは普通の果物。干したマンゴーも売っている。これも中々の味。千疋屋さんの1階にある喫茶店に出ているマンゴージュースとマンゴーアイス、マンゴーカレーは高級マンゴーの古くなった見切り品で、2万円の奴もまじっているという噂。そう思って食べと美味いから不思議。

14 ココナッツ
 バトゥケーブの売店でココナッツのジュース、実の中の樹液を売っている。殻に穴を開けて、ストローでチュウチュウ吸って飲む。天然の清涼飲料水である。バトゥーケーブは長い階段を何百段も登る。降りて来ると喉がカラカラだから、うまい具合に人の弱みにつけ込んだ商法か、いや、悪く考えることはない。お客様の気持ちになって商売しただけだ。価格も10リンギットもしない。ココナツオイルは健康に良い油として近年流行っている。ココナツミルクも缶で売っているが。これを使って砂糖で甘みをつけ、バナナを煮ると実に美味しいデザートになる。コレステロールが多いと敬遠する向きもあるが、良質で心配いらないそうだ。
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ココナツオイル
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ココナツミルクの缶詰
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内側の白い部分がチョコレートに入っている

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東南アジア美術に囲まれ、東洋趣味の極地のようなインテリアのジムトンプソン邸
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上段;キャメロンハイランドの茶畑 下段;ジムトンプソンが失踪した月光荘
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ジムトンプソン失踪を推理する
1968年タイのシルク王と言われたジムトンプソンはマレーシアのキャメロンハイランド、タナラタの丘にある月光荘という別荘から忽然と姿を消した。日本ではニュースにならなかったが。彼はタイシルクのブランド化に成功し、西欧ではジムトンプソンブランドとして、ヴォーグ誌に取り上げられ、また、映画「王様と私」の衣装やデザインにも使われた。プリンストン大学を卒業後、第二次大戦中は諜報機関OSSに所属したが、この組織は戦後CIAになった。東南アジアの美術に造詣が深く、シルクビジネスの成功により大富豪になったことで有名だった。戦後もアメリカの東南アジアの情報通として諜報員との役割も続いていたと言われる。彼の失踪にはあらゆる事件を想定した大捜索が行われ、米軍も支援し、一民間人に対するものとしては異例で話題になった。それだけ彼はアメリカの重要人物であった。
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今なおジムトンプソンのビジネスはタイ経済に貢献している。彼の屋敷は美術館として観光名所になっている。
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失踪当時はアメリカのベトナム戦争が泥沼化しつつあり、マレーシアの山岳地帯、特に北部からタイ国境、ラオス、カンボジャのあたりは共産ゲリラが跋扈していた。だから、CIAとも関係のある彼は共産主義勢力のターゲットになったかもしれない。また、今日も混乱を繰り返すタイの政治家にも人脈があり、アメリカに繋がった彼の存在を邪魔と思うグループもいた。今確かなことは、ジムトンプソンは生きていないということだ。ベトナム戦争が激化する中、タイの国境では麻薬の生産が行われ、タイシルクの生産に必要な桑の栽培を農民に勧めたジム・トンプソンに麻薬組織が危機感を抱いたことも噂になっていた。彼の美術品発掘には遺跡の盗掘も絡み、裏社会の敵もいただろ。彼の失踪の推理上はアメリカのベトナム戦争も捨てがたい関係であるが、これまでに上げた誘拐動機のすべてが絡み合っていたかもしれない。謀略は幾つもの顔をもつことが多い。彼はタイの農村に出掛け桑や蚕の増産や絹糸の製造に力を注ぎ、情報通の彼がケシの栽培を知らなかったはずは無い。諜報機関にとって麻薬は資金源である。中国戦線でも児玉機関などの闇社会が仕切り、岸信介も背後にいた。その甥、安倍晋三を中国は絶対に許さない。今でも多くの人が麻薬の密売に絡んで消されているではないか。オーム真理教のナンバー2村井秀夫も消された。これはイニシエーションに覚醒剤を使ったからで、逮捕されることが明らかになった時点で口封じされた。
戦争の影には諜報やゲリラの資金源として麻薬が結びつくことは歴史の常なのである。戦争においてむしろ麻薬は積極的に使われた。モルヒネは負傷兵の鎮痛だし、かつてはヒロポンが日本軍兵士の眠気を防ぐために使われた。ドイツでは電撃戦で疲れきった兵士を限界まで使うために覚醒剤が使われた。ベトナム戦争ではヘロイン、LSD、覚醒剤が開発された。戦闘の恐怖を乗り越えることも出来る。軍は麻薬の供給源でもある。黄金の三角地帯は今尚健在である。現代も中東の紛争の裏で、アフガニスタンは大きな麻薬拠点であり、ルートである。政府側だけではなくゲリラ側も負傷者にモルヒネは必要だし武器の購入にも資金源となる。
貧しさと戦争、人の不幸と麻薬は結びついている。ネットワークには大抵、軍の輸送ルートが絡みやすい。大量の物資が輸送されるし、横流しされるものは軍需物資や武器にまで及ぶ。そんな中で、麻薬は普通の税関や港湾の検疫などの目を逃れやすいと思われる。

ジムトンプソンは散歩中に虎に食われたという説もあるが、捜索範囲からはそうした痕跡は無かった。しかし、当時は軍事と共産勢力、麻薬は必ず繋がっており、彼がそうした落とし穴に嵌ったかもしれないことは想像できる。松本清張の熱い絹という推理小説もその線で書かれており、なかなかの着眼点である。彼を始末したのは意外にも、身内かもしれない。何故なら、その後、5ヶ月後にマサチュウセッツ州にいた彼の姉も誰かに殺害され、迷宮入りになっているからである。日本の下山総裁事件もそうだが、アメリカという国の裏側には暴力が潜んでいる。ケネディの暗殺もロバートケネディの暗殺も記憶に新しいころである。タイの政敵がわざわざアメリカ在住の姉を殺害しに行くとは考えにくいからだ。CIAのルートを活用してタイシルクの大産業を築いた彼がベトナム戦争の背後にいた産軍複合体や麻薬を資金源とする別のCIA協力者の邪魔者になったことは推定できる。彼はCIAの中で成功し、結局CIAの謀略の中で人生を終えたのではないだろうか。謀略に育てられ謀略の中で死んだ。人生は連続し、栄枯の中に死の理由も存在しているのである。
『ジム・トンプソン――失踪の謎』
   1998年 ウィリアム・ウォレン著という書物も機会があれば、探して読んで見たい。


小説熱い絹に登場するスモークハウス
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マレーシアに旅する人、中でもキャメロンハイランドに行った方はとても楽しめる作品である。1968年に失踪した、タイのシルク王ジム・トンプソンの事件をヒントに清張は日本とマレーシアを舞台とする推理小説を書いた。物語は赤坂の骨董店を訪れた織物デザイナーが軽井沢で印籠を買うことから始まる。このエピソードとは関係がないように見えるが、軽井沢の別荘地でアメリカ人婦人の殺害事件が発生する。被害者はタイシルク王の妹であった。実際はマサチューセッツで殺された姉の事件も迷宮いりとなったが、清張はこの事件にインスピレーションを得た。作品の舞台はマレーシアのイポーに近い標高1600mの高原。キャメロンハイランドはタナラタ、ブリンチャンといった街からなり、周辺の地名が物語に出てくる。今回自分の訪れた訪問地はまさにこの小説の足跡を辿ったもの。高原名物の茶畑も謎解きの重要な要素として登場する。昭和59年に清張はこの作品を書いたが、彼は文壇の大御所となり、まさに油の乗りきった時期の作品である。軽井沢の米人女性殺人事件からマレーシアのシルク王失踪の推理へと長野県警の刑事は現地に行きさらに次々と起きる殺人事件に遭遇する。1968年当時のベトナム戦争が泥沼化しつつあった不安な時代に起きた事件。イギリス軍もまだマレーシアから完全には撤退していなかったし、ジャングルには先住民族と共産ゲリラが潜んでいた。タナラタのホテルからイギリス調のプチホテル、スモークハウス。周辺のゴルフ場から坂道を車で10分ほど登った丘の上にある月光荘は小説では南十字星荘となっている。吹き矢を使うオランアスリーは山岳民族サカイ族として登場。謎の日本人舞踏団や透視の念力、蝶の収集ツアーに加わった青年の惨殺事件を刑事の長谷部は追っていく。現地警察のオスマン警視と部下ダウドウとの情報交換がすれ違い、2つの事件のやり取りの中でドラマが進展する。デザイナー山形と美人の透視術の女助手の関係が事件の全体が見えてくるに従い明らかになる。長谷部の推理が失踪事件の謎を解き明かしていく。様々なエピソードや事件が失踪事件に集約され、奇妙な事件の連鎖が推理の中で浮き上がってくる。清張の円熟した物語展開力ガ光る。現地取材の感動が伝わってくる。熱帯雨林の描写はさすがである。ホテルでの舞踏団の公演が始まり物語はクライマックスとなり、大団円を迎える。清張ワールドが展開する。どんどん物語に引き込まれて行く。清張のジャングル描写はさすがだ。自分も山道を車で走ったときに見た光栄を次のように表現している。正にその通りだった。清張の作品としての評価は高い方ではないだろうか。

渓谷にはところどころ陽が当たっている。それは熱帯森林特有の高い樹の先についた天蓋のような葉の繁茂がきれるところからだった。多少の伐採が樹と樹の天蓋の接続を断ち切れらせているのだ。高度が上がるにつれて、樹林の様相も変わってきた。全てが棒のように高く直立した樹林と、その幹を部分的にしか露出させていない大波のような葉のうねりであった。椰子のような掌状葉から広潤葉にいたるまで、およそ何千何百種もの植物が精力的に自生しているように思われる。林の根方も下草の縺れた繁茂に深く埋められていた。その昏い奥にも、樹上にも、どんな動物がひそんでいるか分からなかった。シダも、日本で見るような地を這うような矮小なものではなく、並木のように亭々と高くそびえていて、その先に葉を傘状に四方へ広げていた。すでにシダの感じはしなかった。
(松本清張 熱い絹262pから)

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1、マラッカ
26日はバスターミナルから長距離バスに乗りマラッカに向かった。11時のバスで約2時間の旅である。
到着後、ホテルプリに向かった。このホテルはマラッカの商人プラナカンの家を改造したもの。お昼はやや遅くなったが、2年前に行ったチキンボールの店に行った。広場にはベンガラ色の教会がある。マラッカのシンボルとなっているオランダ人の作った教会に入った。プロテスタントだから内部はシンプルである。今回は自転車タクシーに乗って市内を30分遊覧した。オランダ船の複製が停泊していた。
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マラッカ名物チキンボール
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暑い日だったのでこの輪タクは助かった。30分20リンギット(500円くらい)
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中国人商人のプラナカンと呼ばれる富豪の家を改装したホテル「プリ」。
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オランダ教会
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17世紀の帆船。ポルトガルの大航海時代の船
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2.ペトロツィンタワー
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クアラルンプールのシンボル的な世界で3番目に高い建物。452mある。このツインタワーは展望台に上るには登録が必要で簡単に登れない。荷物のチェックも厳しい。この所有者は石油公社のもので政府の建物。テロ対策もありエレベータも警官が運転する。気軽に行くならKLタワーだろう。しかし、景観はこちらの方が良かった。

3.キャメロンンハイランド
  築後60年のイングランド風ホテル スモークハウス
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茶畑である。イギリス人が開発したが、戦後、静岡出身の日本人の指導で飛躍的に質が向上した。その歴史はほとんど残っていない。涼しいせいかワッハブ派の黒ずくめのアラブ人の女性が多い。携帯で記念撮影しているが、誰が誰だかわかるのだろうか。奇異な感じ。
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スモークハウスは小説「熱い絹」にもしばしば登場し、小説に登場する捜査員の休憩や食事の場となった。
トランペットフラワーが咲き誇っていた。
Bohtea
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1.日本人クラブでの稽古
 2016年8月21日から9月10日までクアラルンプールに滞在し、地元剣道クラブと稽古と講習会を行った。マレーシアには七段の先生は3人、いずれも日本人でマレーシア人はまだ6段が2人いるだけだが、初心者含め皆さん剣道大好き。26日水曜日夜の稽古には、新潟から松川七段、小生、地元の増田七段、シンガポールから東野さん(東大OB)、マレーシア丸紅伊藤忠の合弁会社責任者の駒木さん(慶應OB)、前田さん(阪大OB)東京外語OBも加わり大いに賑わった。道場はホテルから徒歩10分の位置にある日本人クラブの地下ホールである。増田さんは茨城出身でメーカーにお勤め後、MM2HでKLで悠々自適の生活。何事も前向きな駒木さんのリーダーシップで稽古が進められた。
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]宿泊したCITITEL HOTELから見た日本人クラブ(中央の林の中にある)ホテルから近いが、車で行くとインターを大周りするので20分もかかる。
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28日には市内の日本人小学校で、松川先生の指導で、試合と審判の講習を中心に稽古を行った。朝の9時半から午後4時までの長丁場だ。9月にはマレーシア大会がサバサラワクで開催されるということから、松川師範から基本技、出鼻、小手擦り上げ技の指導があった。現地の皆さんは試合が大好きで、勝っても負けてもさっぱりしている。午前中はとても暑くて、お昼前の地稽古ではクタクタになった。
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駒木さんの初心者指導
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松川七段の指導での技の稽古と審判講習ガ行われた
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2.第二道場
  稽古後地元の名物スチームボート(鍋料理)を囲んで懇親会となった。この鍋はまるで、日本の「闇鍋」のようにキャベツや練り物、魚などのごった煮で、最後はチキンラーメンのような麺でしめる。とにかくスープがうまかった。エアコンのない体育館の1日で疲れたが打ち上げのビールの味は格別であった。
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日本人学校の体育館で1日剣道講習会終え、第二道場でスチームボードを囲んでの懇親会 

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  8月31日のクアラルンプールは独立記念日で道路は規制され、渋滞がひどいということから、王さんが郊外に行こうということで、北に1時間ほどのクアラセレンゴールに出かけた。この町は海辺の港町で、イギリスの要塞があった。第二次大戦中は日本軍も駐屯した。高速を北に1時間、道は空いていた。車中、王さんが「目のマッサージ機」を貸してくれた。日本にはない機械でゴーグルをつけると目玉を圧迫して気持ちが良い。思わず寝てしまった。海辺の町には海鮮料理屋が並んでいた。まだお腹が空いていなかったので、中国風の仏教寺院を見学した。孫悟空からきているようだが、猿が祀られていた。町の中心にも猿が多い。バツーケーブの猿と違い、バッグをひったくったりはしない大人しい猿だ。ニンニクの茎のようなものをあげると美味しそうに食べる。砦の上には砲台と白く輝く灯台がある。丘の上にはトラクターに牽引されたトラムで行く。切符を買って待っている間、猿がたくさんいて寄ってくる。暑い日なのでこのトラムは助かる。砦の上には大きな大砲が海と海岸を睨んでいるが、この大砲で海岸を通る船を狙ったのだろうか。昼食はカニ料理が美味という海鮮料理屋「新海濱海鮮楼」に行く。空芯菜の炒め物と、海老の蒸し物、カニのお粥、焼きそば、サメ肉の揚げ物をいただいた。いずれも美味。この国の料理はあまり器にはこだわらない。洗面器のようなプラスチックの入れ物に。やはりプラスチックのお皿である。しかし、カニの味の沁みたお粥と焼きそばは実にうまく、体裁を超えている。
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ムラワティの丘の上にある灯台。 この丘は、かつてスルタンの王宮があったり、オランダ〜イギリス軍の砦があったところ。トラムで登っていくと楽
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町と丘をめぐるトラム
こんな大砲で一体何発撃てば当るんだろうか。
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猿が放し飼いだが、ここの猿は大人しい
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海辺の町クアラセレンゴールは夜の蛍ツアーで有名
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孫悟空を祀った中国風の寺院
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  ローマ帝国という巨大な帝国は西ローマ帝国がBC476年に崩壊するまで続いた。国家が崩壊するというのはどのようなことなのか、また、何故そうなったのかは昔、世界史の授業で習って以来学んだことがなかった。このことに関してはフランスのモンテスキューの研究、イギリスのEギボンのローマ帝国衰亡史が有名だ。これらは大著で自分のような不勉強家には到底ハードルが高い。学説も200を超えるという。21世紀に入り、こうした研究が我々にどんな意義があるのだろうか。また、研究結果も時代背景が影響したものであり、21世紀においてはまた別の解釈も生まれよう。この書は極めて緻密にこれまでの研究結果を誠実にまとめたものとして中身の濃いものである。コンパクトに学問的検証を踏まえて自分のような浅学にも丁寧に帝国の崩壊の様相を伝えてくれる。
  ローマ帝国とは何か、また、滅亡の原因となった異民族の侵入とはどのようなものだったのか。崩壊を招いた政治の混乱と、さらに拍車をかけたキリスト教はどのように作用したのかである。西はブリタニア、北アフリカ、東はシリアからペルシャに接する大帝国は285年〜
293年に皇帝ディオクレティアニスが帝国を分割し、2皇帝、2副皇帝による4帝統治に移行した。皇帝の役割と軍、国境とローマ市民権、周辺部族との関係、周辺都市の姿がどのようであったかを説明することは難しい作業である。国家、民族、部族といった概念は時代の解釈を伴う。異民族の侵攻というと、20世紀ではドイツのソ連侵攻をイメージするし、現代であれば、民族移動は難民の移動などをイメージするかもしれない。しかし、考古学的に検証すると必ずしも、我々の常識とは違った世界が見えて来る。ローマ帝国はヨーロッパで国民国家が生まれた時代のギボンがイメージしたような国家ではなかった。国境があるわけではない。ローマ軍の砦や進出地帯と都市があった。これによって地域を支配した。そして、ローマ的生活、市民文化、そして宗教がローマであった。ローマ人はズボンを履かなかった。周辺部族とは何百年も一線を画してきた。本書で南川高志氏は緻密な文献研究を踏まえながら解説を進め、信頼感ある内容となっている。ローマ帝国の歴史はアウグスチヌスが帝政を確立して以来、476年もの間継続した。分割されてからも183年も続いた。勃興しつつあったササン朝ペルシャに対抗するため、分裂ではなく、広大な帝国を一人の皇帝では支配できない状況から分担し、東西に分けたのである。
  とはいえ、ローマ皇帝は東西に皇帝と副帝がいてこれらが目まぐるしく入れ替わる。東西に分かれたといってもこれらは連携しているので無関係ではない。名前もコンスタンチウスとコンスタンチヌスといった紛らわしさがあり、誰が何をどうしたのか混乱してしまう。あまりに多くの人名が交錯する。まともな皇帝が現れても、結構非業の死を迎えていく。皇帝位がどのように継承されるのか全く、混乱の極みであるがそれを文献や史書にもとづき丁寧に整理している。これだけで大変な作業であり、政策の評価まで説明することは困難である。
 ローマ市民は一種のライフスタイル、文化を共有した概念である。社会的地位でもあり、ファッションや生活様式にも関わってくる。彼らはトゥニカという布を体に巻きワンピースしか着ない。ローマ帝国は宗教でも自由であった。キリスト教が迫害されたのは皇帝礼拝を拒んだからである。コンスタンチヌス大帝がキリスト教を公認して以来、ユリアヌス帝のように従来のローマの神々の信仰やギリシャ哲学などを復興した皇帝もいたが、のちにキリスト教の一派であるアリウス派を弾圧したり、偏狭なキリスト教徒として異教を弾圧した皇帝にローマ市民の一体感は薄れた。また、勢力範囲の辺境地には強力な軍団が駐屯し有能な将軍が部族との戦いを指揮していた。次第に彼らはこれまでのイタリア人ではなく、周辺の部族から実力を認められて取り立てられた。ローマは有能な人間はどんどん取り入れる自由な国家だった。彼らは戦いに勝利したローマの副帝や将軍を皇帝にまつりあげようととしばしば反乱を起こし、皇帝をも暗殺したりした。皇帝は暗殺や交代、不慮の死などで、統治機能は低下したが、紀元400年前半までは帝国は形を保っていた。それが、後半30年であっけなく崩壊してしまう。ローマ人が自己のアイデンティを失い、皇帝の失政、異民族部族との誤った妥協が一挙に帝国の行政機能を低下させた。崩壊の直接的原因はローマ帝国内部にあり、ローマ人という概念の崩壊が国家機能を失わせたということが南川氏の解釈である。21世紀の新しい解釈がさらに歴史を塗り替えていくのだろうか。ローマ帝国は異民族の侵入によって滅びたというより、移民を排除し、異民族を排斥、キリスト教を強要したり、有能な皇帝が潰されたことで、指導力が低下し、内部崩壊したのである。強い権力が続いた東ローマ帝国は15世紀のオスマン帝国の侵攻まで続いたのである。ローマ帝国崩壊は現代の民主主義の限界。国民国家の機能不全、国境や民族、宗教に関する我々の認識に示唆を与えてくれる。

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8月29日KLのミッドバレーを9時30分に出発し、セントラルバスセンター10時45分のバスで、キャメロンハイランドに向かう。高速から一般道に入ると山道となりぐんぐん高度が上がっていく。2時頃標高1600m程の高原町タナラタのバスステーションに着く。現地で生活している「剣士」大手さんご夫妻が迎えに来てくれた。商店街がメインストリートから1段高いところに歩道と土産物店、飲食店が連なり、その前にアーケードのように屋根付きの歩道がある。歩行通路沿いに椅子やテーブルが並んでいる。

タナラタの街並み
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大手さんはこの地に静岡からやってきて8年にもなるという。昼食後、横手さんのお宅を訪問した。ヘリテージホテルのあるエリアの一角でタナラタの中心から徒歩10分の好立地。グリーンハウスというコンドミニアムである。途中でドリアンを買って家で食べることになった。小高い丘の上にホテルと賃貸住宅が並んでおり、その一角にお住まいであった。緑に囲まれ景色もよい。当地にはキャメロン会という日本人会があって日本人のロングスティをサポートしてくれるが、大手さんは会員になっていないという。多分、この会は高齢者の集団で、まるで老人ホームにいるようなもので、当初60代のご夫婦だと入るのには躊躇されたろう。
 ドリアンを食べたが、とにかく臭いがすごい。都市ガスについた匂いを思い出す。しかし、硬く棘のある殻の中にはねっとりと、甘い果肉が種を包んでいる。これを食べたあとは絶対に酒を飲まないでくださいと大手さんは助言してくださった。相性が悪い人がいてお腹の中が大変なことになるらしい。
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大手さんはご自分で木刀を製作され、素振りの稽古をされるそうである。ロングスティ8年目になるご夫妻から、キャメロンハイランドでの生活の気に入った部分やご苦労など、お話を伺うことができた。マレーシア生活の様々な側面を率直に話され、とても参考になった。テレビなどで見る良いことづくめの話とは若干違う。何事も生活の拠点を変えるのは大変なことだというのが実感である。
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ホテルのスモークハウスまではバスターミナルから車で5分ほどだが、山道を登るので歩けば40分はかかるだろう。スモークハウスは英国のカントリーハウス風の西洋館で、美しいイングリッシュガーデンがある。トロピカルな花と観葉植物が珍しい。夕方大手さんご夫妻が車で迎えに来てくれた。
夕食はご夫妻と共にした。ご夫妻の住まいのお隣さんが経営している鍋料理スチームボートのレストラン、鍋料理で、スープが絶品。前日も夕食は鍋だったが、中味は違う。体調も良くなったせいか、こちらの方が美味い。茶畑が見える。この茶畑は年中刈り取ることができる。
BOCH teaというお茶で有名。
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翌日に行ったのが月光荘、管理人が立ち入禁止といってきたが、写真は撮らせてくれた。
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翌日シルク王ジムトンプソンが失踪した現場。月光荘はタクシーで10分ほどだが山の上にある。松本清張がその失踪事件にヒントを得て「熱い絹」という長編推理小説を書いている。CIAのスタッフでもあった彼が失踪した事件は日本ではあまり知られていないが、現地とアメリカでは大騒動になった事件だそうである。あらゆるケースを想定し、捜索したが結局不明に終わった。散歩中虎に喰われたという説もある。この地にはマレー虎が生息している。最近も女性が行方不明になったそうである。トレッキングで人気の場所、自然の宝庫だが、危険もあるのだ。特に危ないのが道路に散見される野犬である。狂犬病のウイルスを持っているものがあり、日本人の長期滞在者が噛まれたそうで、急いでワクチンのある日本に帰国してしまった。狂犬病は潜伏期間が長い。半年後に発病することもあるらしい。発症したら最後、死亡率は100%とのこと。
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さらに、ここにはキングコブラやグリーンスネークのような毒蛇も多い。アマガサヘビ、サンゴ蛇などマレーシアは毒蛇の楽園か。コブラは基本的には蛇を捕食するようで、人間には威嚇することにとどまるようだ。結局皆びっくりして逃げてしまうのでコブラよりはグリーンスネークの小さなやつが家に入ってくる時が危ないそうだ。連中は夜行性で滅多にお目にかかれないが、ジャングルは別とのこと。熱帯には危険が満ち溢れている。泥棒も金持ちと思われている日本人を狙ってくる。タクシーも日本人とみれば吹っかけてくるから油断は禁物。国内生活には無い苦労がある。
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キャメロンハイランドのジャングル。ジムトンプソンもこの森に消えた。熱帯の巨木の上に美しい赤い花が咲き、霧がわく光景は素晴らしい。この森にはオランアスリーという原住民が保護されて暮らしている。彼らは土産物の籠とか、吹き矢、山の果物、タケノコを露店で売っている。特にジャックフルーツが多い。巨大なえんどう豆のようなものも売っているが匂いが強烈だそうだ。彼らは精霊信仰で木彫の仮面が面白いが、非常にシンプルなデザインで珍しとみえ、10万円以上するので出が出なかった。収集家がいるらしい。高原なので雨が多い。傘は突然の雨と野犬対策で必須とのこと。
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渓谷にはところどころ陽が当たっている。それは熱帯森林特有の高い樹の先についた天蓋のような葉の繁茂がきれるところからだった。多少の伐採が樹と樹の天蓋の接続を断ち切れらせているのだ。高度が上がるにつれて、樹林の様相も変わってきた。全てが棒のように高く直立した樹林と、その幹を部分的にしか露出させていない大波のような葉のうねりであった。椰子のような掌状葉から広潤葉にいたるまで、およそ何千何百種もの植物が精力的に自生しているように思われる。林の根方も下草の縺れた繁茂に深く埋められていた。その昏い奥にも、樹上にも、どんな動物がひそんでいるか分からなかった。シダも、日本で見るような地を這うような矮小なものではなく、並木のように亭々と高くそびえていて、その先に葉を傘状に四方へ広げていた。すでにシダの感じはしなかった。
(松本清張 熱い絹262pから)

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 マレーシアには伝統的に広東系中華料理、インド料理、マレー料理の系統があるが、ポルトガル植民地時代の名残で、ニョニャ料理というのもある。特に美味しいのがチキンである。どこで食べても、何料理でもチキンの味には外れがない。もちろん、イスラム系の国だが、多民族多宗教国であるから、イスラムの嫌う豚肉も、ヒンドゥの崇めるビーブも料理にあるので何でもありなのである。興味深いのは、ちょっとクアラルンプールから離れて地方に行くと、それぞれ郷土料理がある。マラッカではチキンライスがチキンボールになっており、鳥のスープで炊いたご飯がボール状になっており、おにぎりのようでもあるが実に美味しい。チキンも当然蒸したようなもので美味。また、ポルトガル料理を取り入れたニョニャという料理もある。中国系プラナカンがマレー料理と中華の料理の融合を考案したのと同じであろう。
 
 今回マラッカでニョニャ料理を夕食で食べようとしたが前回に行った店は休みだった。そこで、ポルトガル風ニョニャの店を見つけたのでそこで食べることにした。魚の煮込み。イカ料理はスパイスと唐辛子がきいていた。野菜料理は空芯菜の炒め物が美味しい。イカの煮込み魚もみなチリが効いている。いずれも純粋のニョニャではなかったが結構楽しめた。
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ダックの料理
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マラッカのチキンボール。
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キャメロンハイランドのスチームボート

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魚料理は煮込みか炒め物で、これは海老でも、カニでも大体そんな調理方法。しかし、様々な香辛料が効いている。クアラセレンゴールという海岸町で食べたカニ料理は雑炊になっていて実にうまかった。
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クアラセレンゴールのかに料理
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クアラルンプールのスチームボート
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鍋料理も種類が豊富である。
 マレーシアの鍋を「スチームボート」といい、野菜、きのこ、鶏肉、海鮮、魚のすり身、肉団子、湯葉、餃子、豆腐など、色々な具が入っていて、まるで、日本の闇なべ。具だくさんでスープは、鶏のだしが一般的で、あっさりしながらも、海鮮や肉のうまみが加わった滋味深い味です。
クアラルンプールで食べた鍋とキャメロンハイランドでの鍋とは具が少し違うが、いずれも、味は日本のおでんに似ていた。日本はポン酢だが、こちらはチリの効いたタレで食べる。
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2年ぶりのクアラルンプールだが、久しぶりに御目にかかったものがある。この国で1日何度かお世話になるトイレである。ホテルのトイレは清潔だし、洋式なのだが、駅や飲食店となるとそうはいかない。郷に入れば郷に従わざるを得ない。先ずは日本式のウオッシュレットは日本人クラブにしかないだろう。御当地では、すべて水洗であるが、柄杓かホース状のもので手を使って洗うのが原則なのである。
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もう一つ奇異なのが、しゃがみこみ方式でドアに向かって用を足す。逆だと微妙に位置が変わり、水流の関係か、全く流れないことがあるから要注意。そして、紙がないことも多い。救いは、流し損なった山盛りとか、飛び散って便器が汚いようなものは少ない。日本の昔のボッチャン式とか、山小屋のトイレよりはましである。ホテルでも、紙のロールは付いているが、背中側の壁につている。だから、最初に紙を取って用を足す。紙は最初に用意するものである。頭にくるのが、駅などの公衆トイレが有料で、大抵インド人の爺さんなどが2~30セン:日本円で7~10円ほどの金を取る。ところが、そのトイレが汚いのだ。茶色の水があふれて、ケツ洗い用のホースが中に放り込まれている。何でこれが有料なのか全く理解できない。一方ホテルの水洗も、水の勢いがコントロールできないのがあって、猛烈な勢いで出てくるから、痛いのだ。うっかりすると、はみ出した水がパンツを水浸しにすることがあるのも要注意。水量の調節ができるものもある。ただのホースでシャワーになっていないものもある。一般のトイレは基本的には昔の日本式のかがみこみ型である。感心するのが、イスラム寺院のトイレで、ホース洗浄型と、柄杓型と2通りあって、清潔感があった。次が中国寺院のトイレ、最悪がインド人の多いところの有料トイレだった。ドア側に向かって用をたすのに慣れた頃帰国となり、我が家のトイレでホッとした次第。

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