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朝10時にYapさんがホテルに迎えに来てくれた。これから、バトゥーcaveのブラックケーブに行くという。ミッドバレーから30分ほどのところにある。ヒンドゥの聖地で二年前に行ったが、大きな階段の上に寺院がある。その中腹に横に抜ける道があり、鍾乳洞につながっている。国立公園になっている。
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海鮮中華が並んでいる郊外の商店街で
繁盛しているお店だった。何だか種類は分からないが大きなベラの
ような魚のカレー煮を食べた。美味であった。
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松川先生がみつけたKLでは珍しい温泉。
中にいた人に聞くと後三ヶ所あるらしい。
裸になって入ろうとすると、先客から、パンツを履いて
入ってくれと言われた。日本とは勝手が違う。
女性も入ってくるからスッポンポンはまずいのだそうだ。
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KL郊外にある温泉
温度が熱く、透き通った
質の良い心地よいお湯であった。



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2016年8月21日(月)関西国際空港を11時 AM発のエアーアジアに乗り、クアラルンプールに向かった。新発田剣道連盟の松川七段と二度目のKL訪問である。午後17時15分に無事到着、入国審査から荷物の受け取りまで、比較的スムーズにことは運んだ。全部で40分ほどで済んだのではないか。6時にはゲートから出ていた。ところが、松川先生を迎えに来るはずのヤップ(Yap)さんが見当たらないではないか。松川先生も一生懸命探したが、どうもまだ来ていない。最悪の場合を想定すると、一度到着便を変更したから、前の時間、11時30分と勘違いしていないかという不安に駆られた。そこで、電話をかけようとしたが、残念ながら自分のiPhoneは国内仕様を国際に変更していない。松川先生も電話はYapさんがプリペイ電話を持ってくるので使える携帯電話を持っていない。なおかつ、住所録を自宅に忘れてしまった。なんともならん。昔のように、公衆電話がない。空港の携帯ショップでマイクロチップを買えばなんとかなると思ったが、徒労に終わった。だんだんパニックになりそうだったが、1時間ほどでYAPさん、王さんが現われた。どうも、これほど早く手続きが終わってゲートから出るとは思っていなかったのと、駐車場に車を入れるのに手間取ったようだ。とにかく、ホッとしてホテルに向かったが、夕食は王さんがメンバーになっているゴルフ場のクラブハウスでいただくことになった。中華の立派な食事でとにかく、大汗をかいたのを忘れることができた。ホテルに着いたのは10時半頃であった。2年前に泊まったCititelホテルであった。驚いたことに、ドアマンが自分のことを覚えていて、剣道の先生といってバッグを部屋まで運んでくれた。
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松川先生がYAPさんと連絡を取るために奔走
してくださったが、その間
空港到着出口の前にあった喫茶店で荷物の番をすることになった。
現地通貨リンギットをまだexchangeする前だったので、店員が1000円札を交換し
20RMお釣りをくれた。良心的な交換だった。


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 日本会議という不思議な集団が、安倍政権の陰となってうごめいている。安倍総理の頭は憲法改正の仕組み作りでパンク寸前だ。日本会議は何も圧力団体というわけでもないのだろう。それほど恐ろしい動きをしているわけではないかもしれない。しかしながら、現政権の表向きの姿と違い、投影されているのは奇怪な影である。戦前の国家神道回帰の怪物の影。全くの驚きである。日本会議の価値観はきわめて古臭く、政治の世界で権力があるわけでもない。ところが、現実の政治ー憲法改正はこの思想に沿って行われている。櫻井よしこはその巫女のような存在で会を盛り上げている。山崎氏によると、日本会議と神道政治連盟との結びつきが鍵である。日本会議は38,000人の会員構成だが、300人を超える国会議員が会員である。これだけの議員が保守政治家として行政に影響が無いわけがない。彼らに共通しているのは今の日本国憲法を嫌悪し、東京裁判を否定し、戦後の歴史を自虐史と捉えている。そして、彼らが向かう方向は、何と、戦前の政治への回帰である。大東亜戦争を肯定し、敗戦の原因に対する反省が全くない。人権の尊重を国家の下に見て、個人の権利から生まれる自己主張を批判し、弱者への配慮に無神経である。ナショナリズムの世界的な潮流にベクトルが合っているようにも見える。日本人をダメにした憲法。日本人の価値観に合わない。嫌な人間像を生み出した憲法。戦後のダメな部分は全て憲法と東京裁判史観のせいであるときめつける。
 日本会議のメンバーは戦後の日本をそれほど憎むべきものと考えているのだろうか。今日我々が平和で繁栄を享受しているのは英霊のおかげだという。だから、彼らは靖国神社に参拝する。戦後日本の繁栄と平和を築いたのは英霊であろうか。戦後の焼け野原からの復興に従事した人々、戦前の軍事偏重の政策を拒否して戦後の日本国憲法下で経済発展に尽力した人々ではないか。英霊と戦後日本の平和や繁栄を結びつけるのには論理的に無理がある。もし、敗戦がなければ、北朝鮮のような偏屈な国家で貧困に苦しむ国になっていただろう。
 そんなにも、戦前の第日本帝國は素晴らしい国だったのだろうか。彼らには憲法について誤解があるのではないか。憲法は一国の法律の指針であり、国民が尊重すべき政治的価値観でもあるが、同時に、政府の暴走や専横を抑制する。戦前の人権感覚の希薄な政治リーダーが招いた敗戦や、戦時の「戦陣訓」「捕虜虐待」「民族差別」に関する反省は全くない。東日本大震災で多くの国民が困難にある同胞を支援し、若者がボランティアに駆けつけたのは日本国憲法の成果ではないのか。彼らが酷評するゆとり教育のおかげで勉強をしないでスポーツに専念できる若者が増えた。そのおかげであれだけの金メダルが取れた。戦前ならせいぜい4個がよいところではないか。
 200万人もの軍人を餓死と戦病死させ、無謀な作戦に駆り立てた東条英機が裁かれた東京裁判を国民は容認したのだ。彼らが合祀された靖国神社のような複雑な内容を持つ慰霊の場がそれほど尊重されなければならないのだろうか。天皇陛下は戦犯たちが自分を騙し、苦悩の淵に立たせたことを怒っていることを感じないのか。
自分は集団的自衛権についても容認するし、憲法も改正すべきと思っているが、このような思想と政治的背景を持つ連中の手によって改正されるのは誠に不愉快である。そして、その改正案にしても危険な香りが発散している。日本国憲法は確かにGHQが戦前の日本に戻らないようにがんじがらめに組み立てた仕組みである。だから、今日のような国際的にも重要な役割を果たすようになった我が国には不都合なことが多く見られる。ところが、彼らの改正の狙いは、国体=天皇を中心とする政治と戦後の政治は間違いというムード作り、靖国神社の国家護持、教育基本法の改正、道徳教育を通じての国家意識の高揚、個人の権利の抑制などであり、極端な歴史観、大東亜戦争の肯定、反政府活動の抑圧、軍事行動の円滑な決定の仕組み作りである。戦前の日本はその国家経営に欠陥があったからこそ、敗戦という日本の歴史が始まって以来の悲劇を生んだ。彼らの発想はそれを生み出した仕組みに回帰しようというベクトルを持っている。マスコミに対する口封じや、第二次、三次安倍内閣の成立にも関連し、今後の安倍総理の政策にも影響を増している。
 彼らに言わせれば、今の日本人は精神的に堕落しており、GHQの戦略によって腑抜けになり、家族は崩壊し、滅びの道に向かっている。戦後の平和な社会や、高度成長、世界で信頼される国としての日本はどこかに飛んでしまっている。彼らのメンタリティを理解出来ない。極論を訴えることで存在感を示したいのだろう。日本会議は神道政治連盟につながっている。山崎氏はGHQが国家神道の解体を決定づけた神道指令が日本国憲法の政教分離の根幹であり、これを骨抜きにすることが日本会議と神道政治連盟が一体になっている理由であり、彼らの運動が戦前の暴力装置の回復が狙いであることを看破しているのである。span>


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最近はアメリカ製のゴジラばかりで寂しい限りだったが、久々のゴジラ。素晴らしいできだった。本来のゴジラは放射能汚染の恐怖がテーマで、恐竜や超大型生物がテーマではなかった。今回は原点に戻った作品となった。ゴジラは超能力の神がかった存在で、街を破壊し、人類に警鐘を鳴らす。東京湾で白昼突然出現したゴジラが、京浜地帯に上陸したが、そのゴジラときたら、まだ幼生なのである。再上陸で巨大化して、大暴れし、レーザービームで、最終兵器や、巨大ビルを破壊する。なぜ東京に行きたがるかは不明。破壊のシーンのCGがすごい。津波の映像で災害の実態を知っている日本人には悪夢を思い起こさせる。目の肥えた観客にも納得のいくCGだった。見覚えのある京浜や川崎の破壊される様子がリアルで見応えも充分だった最初のゴジラも、戦後間もなく10年も経っていなかったから、空襲の恐怖とゴジラが重なったものだった。
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日本はこの5年間、大震災や原発事故という未曾有の事件に見舞われ、政府の対応が問われた。政治家の影に、閣僚以下、官僚達の混乱や対応があったが、それらはあまり語られていない。実際はもっと緻密なものだろうが、防衛のための自衛隊出動や武器使用にいたる判断には課題と法律行為がある。対応をめぐり、彼らの混乱や苦悩、えげつなさも描かれている。余貴美が小池や稲田を連想させる女性防衛大臣を演じ、総理大臣に決断をせまる。このシーンはなかなかドラマチックで法律論もリアル。第1作でも当時日本には貴重な戦車やロケット砲が登場した。子供心にあのような武器があったら戦争に負けなかったのに、ゴジラには通じなかった。今回も、10式戦車やF2戦闘機、アメリカのステルス爆撃機が登場し、ゴジラのレーザービームに一蹴される。
この映画の残念な部分はアメリカとの関係が日本が被害者であるかのように描かれたこと。なぜ、ゴジラを退治するために、東京を核攻撃しようとするのか、あまりにも乱暴な筋書きではないか。東日本大震災の時には被災者、住民の支援や基地の設営に米軍は大きな貢献をしたのだから、もっと好意的に描くべきだった。日本の映画人の国際感覚を疑う。アメリカ特使役の女優(石原さとみ)
の下手くそな英語と甘っちょろい風貌が全くちぐはぐで安っぽく、難点だった。







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前田選手は見事な投げ技で日本の柔道を見せてくれた。続けて田知本遥やベイカー茉秋が金メダルに輝き、胸のすく思い。ロンドンで苦しんだ日本対策の技にも研究がすすんだようだ。
オリンピック柔道の解説者が世界の柔道として、各国の特徴が見られるというが、外国人の試合を見ると、柔道には見えない。柔道着を着たレスリングだ。特に外国人同士が酷い。組み手をさせない。とにかく。相手の袖を掴むのが、大変。そして、大外刈りや、背負い投げのような技も無い。せいぜい、内股の変形とか、レスリングのような抑え込み。というより、直ぐに身体を引いて、技をかける体制にならないから、柔道の技になっていかない。投げと見せかけ、襟を取った手を引きはがしにかかる。やたら、袖吊り込腰のような技。自分から相手を引き込み、身体をねじ込み、相手を回転させて、有効を取れば、後は時間がなくなり、優勢勝ち。指導を取られないよう、巧みに逃げ回る。時間がなくなる寸前不意打ちの技かけで、ポイントを取れば時間がなくなる。有効か、優勢で、勝てる。それまで、投げ技で攻めまくった真面目な日本人選手は最期に取られた指導1ポイントで敗北する。柔道をやっているのは日本の選手で、外国人選手には独自の攻撃技がある。サンボや、モンゴル相撲などの応用だ。日本の選手はそんな外国の技を勉強して対応するから大変である。彼らはメダルを取りたいばかりであり、又、日本の柔道を無力化させて勝つ事ばかり研究したようだ。流石、ロシアの選手は山下の指導もあり、投げ技もかける。力技が多い。一体いつから、変な柔道になってしまったのか。襟を取らせない、袖を掴ませない、投げ技を、かけると、返し技から、中途半端な技で有効を取る。日本柔道の投げ技をかけるところを逃げ回り、腕をとって有効か、投げ技などはほとんど見え無い。 武術の美は全く無い。野良犬の取っ組み合いにしか見え無い。あの野獣と言われた女子57kg級松本薫選手は足を使い相手をねじ込み、抑え込みで勝ったが、あれは、グレーシー柔術の技を応用したものではないか。あの嘉納治五郎が嫌って、基本技から外し、コンデ前田がブラジルに伝えた技で、嘉納治五郎が生きていたら、破門にした技ではないか。本来の柔道の48手以外は禁じ手にするか、指導ポイントは反則だけにして、反則3回で1本にしたらいいと思う。しかし、日本の国際柔道の代表は語学力不足で自己主張が下手。今や、日本ではマイナースポーツになってしまった日本柔道の世界への影響はなくなりつつある。それなら、日本は講道館柔道を捨て、かつての柔術の危険技や合気道を取り入れ、新しい柔術を組み立てて、金メダルをとりまくればよい。

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 人間幸せな時というのは、誰でもどこかにもっている。刑務所の中ですら、食事の時、作業が終わったときなどはほっと一息つく幸せな一瞬ではないか。それは持続する時間や程度の問題かもしれない。他人の幸せも、追体験のような楽しさがある。結婚式などは、新郎新婦はかえってつつがなく終わって欲しいと願い、参列者の方が楽しませてもらうことが多いのではないか。入学試験に合格したり、就職が決まったときも未来の夢と安堵感で幸せな気分だ。子供は親の喜ぶ顔を見ると幸せだし、その逆も然り。犬や猫はもっとはっきりしている。散歩前、嬉しいと犬は尾を千切れんばかりに振るし、猫も満腹すると喉からゴロゴロ音が出る。
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この写真は数日前、京成八幡駅の前の再開発でできた広場で開かれた盆踊りの風景。老若男女、浴衣を着て、子供たちもおおいに露店を楽しんでいた。日本人が一番緊張が無く、太鼓のリズムに打ち解け、生き生きするときに思えた。無心に踊るおばあさんの胸の内には若き頃の思い出、家族とのひと時などが去来するのではないか。お盆というのは日本人の出会いのときでのある。夏休みで故郷に帰り、家族と再会する。そんなひと時が一番幸せなときであろう。盆踊りや花火大会で1年、いや過去を振り返るのである。正月とはまた違ったひと時である。

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by katoujun2549 | 2016-08-01 15:54 | Comments(0)

甲野先生の古武道研究会 7月


国立の一橋大学有備館道場で開かれた研究会で甲野先生のお話を聞いた。

いつもの基本的な動作のお話であったが、毎回先生の動作を練習する訓練は無いので、お話と実技を見るだけである。そうした中でも、毎回示唆を受けるものがあるから興味は尽き無い。


いつも、先生が、技をかける時に、「交通事故」といった表現があるのだが、これが一体何かわかりにくい。月1度の会で身につくはずも無いのだが、そこは自分で考えねばならない。今回はマレーシアから王さんも参加した。月末に新潟の松川先生とKLに伺うのだが、1昨年もお世話になった方である。巨漢の彼が、甲野先生にひっくり返されたのは驚いた。自分なりに考えてみると、相手を攻撃する時の「気」の動きのことを言っているのだと思った。剣道で、よく、攻める時に「タメ」というようなことを言われる先生がおられるが、これが「タメ」ですよという動作を見たことがない。

 甲野先生の動きにも一瞬でどれが「交通事故」の瞬間かがわからない。相手を攻撃しようとすると、人間は本能的に防御の動作が出る。どんな人でも頭を叩こうとすればよける。女性の胸を触ろうとすれば、素早くはねのけるだろう。よほど相手が無防備か、避ける意思がない場合しか成功しないはずだ。相手を攻撃する「気」が伝わるのである。その気を一瞬外すことが相手にとっては思いがけない一瞬となり、無防備な態勢が生まれるのではないか。だから、これは微妙な動きで容易に目には見えないのではないか。剣道で中心を攻めろというが、それはこうした一瞬の作業のことで、何も突き技を出すということではない。相手の集中を外す意識のことではないかと思う。誰でも相手の視線に気がつく時がある。電車の中などでは、美人やグラーマーナ女性は常に周囲の目線を気にしている。目線と体の向き、そこに集中した姿勢や動作はほんの微妙な動きも捉えるのが生物である人間の能力だ。そこを利用するのである。今後の稽古に反映させてみようと思う。


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