<   2016年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

e0195345_21172135.jpg

e0195345_21183269.jpg
5月22日 国立の一橋大学有備館で甲野善紀先生の古武道講習を受けた。一橋剣道部OBのN君の世話で、この会は月1回行われている。今日は先生の下段の構えに対する剣の使い方から始まった。 甲野先生は古武道の中に、現代人が忘れている体の使い方を掘り起こし、現代剣道に親しむ我々に、ハッとするような知見を与えてくれる。言葉と実技の両方で自ら体を使って説明される。甲野師が15年程前、ナンバ歩きが本来の日本人の動作であることを唱えられたのは衝撃であった。明治以降、我が国は富国強兵と洋化政策で古来の日本人の生活動作を捨てたのであった。現代人が手足を互い違いに動かして歩いたり走ったりするのは西欧人の動作で、ヨーロッパの平坦な野山を駆け回るのに向いている。しかし、我が国は山が多く、坂道を歩く動作には向いていない。方やナンバは平地を隊列を組んで行進するには不向きであった。これは幼稚園から学校教育の中で修正され、左手と左足、右手右足を同時に動かす体捌きを放棄してしまったのである。昔の侍の歩き方は今では能や歌舞伎の中で見ることができる。西欧式の歩行は銃を持って行軍するのには向いているのだろう。今でも我々は山登りの時はよいしょと右手右足左手左足を同時に動かしてバランスをとることが多い。甲野ナンバ理論はオリンピックの陸上選手やバスケットボール、ラグビーの選手にも活用されている。ナンバはスピードより持久力に優れ、おそらく、昔の駕籠かき、飛脚はナンバで今のオリンピック選手並みの持久力を出していた。もちろんナンバ歩きが全てだったとは思わないが、武芸者や侍の体のさばき方の基本であっただろう。
 甲野先生の体の動きは一種の「振動」のような体の使い方があり、目にもとまらない体捌きができるのである。多分、臍下丹田を軸に体を使い、刀も腕や手ではなく、丹田を重心にした体の使い方なのだろうと思うが、我々は普段意識していないのでなかなかそれが分からないし、出来ない。この日の講習は下段から小手を打つ技を見せてくれた。刀の使い方も、刀の柄頭を出して握っている。これは現代剣道が竹刀の柄頭を包み込むように握るのと違うし、居合でもそれほど大きく出さない。しかし、鍔元に重心を置いた方が振り回すにも技を出すにも都合が良いことはあるだろうと
e0195345_01104468.jpg
思う。上下の北斎漫画などでもそうした使い方が描かれており、これは間違って書かれたものではないと思う。甲野師の姿勢はこれに近い。
e0195345_00540282.jpg





[PR]

「味噌煮込みうどん」久しぶりに食べた


名古屋駅の名鉄百貨店の9F食堂街にある山本屋の味噌煮込みうどんを10年ぶりに食べた。このレストラン街にある山本屋は知る人ぞ知る穴場である。山本屋の支店は幾つかある。しかし、これだけのためになかなか行く機会がない。本店は太閤通の中村の方にあるが、ここは新幹線の駅から近く、エレベーターで行けば楽である。

 餅入りとか、卵いりとかもあるが、やはり、名古屋に来たのだからコーチンでしょ。昔に比べて多少具が少ないような気がしたが、饂飩は相変わらず、ゴワゴワの固い麺。ぐらぐら煮立った土鍋で味噌の汁の中に饂飩が潜んでいる。箸で引き出すと固く曲がったまま姿をあらわす麺。一本一本ふうふうと食べる手もあるが、名古屋人方式は蓋の上に置いて冷ましながら汗をかきながら夏でもこれを食べるのである。味噌は八丁味噌ベースだと思うが、これを肴にビールもうまいし、ご飯も一緒に食べることができる。ただ、名古屋コーチンの鶏肉入りは1,600円と幾分サラメシとしては高めである。本店では、大きな竹筒に唐辛子が入っており、これを振って舌に刺激を与えていただくのである。名古屋の八丁味噌仕立ての食は、味噌カツ、ドテなど庶民の味だ。鶏鍋もこの味噌仕立てが一番うまかった。昔、三重県の川越町、四日市や津に出張に行くときに、よく立ち寄ったものである。懐かしい。今回は名古屋市枇杷島スポーツセンターでの七段昇段審査の帰路立ち寄った。ない年また来ることはないだろうが、万一再訪したら帰りにこれが待っている。

 





[PR]

 服が合わなくなっている。毎年、5月になると夏物のズボンが合わず、恐怖の春である。とにかく、冬の間の運動不足と、部屋にこもって自炊と飲酒、車に頼りきりになることが原因であることは分かっている。地元の人はそれなりに対応しているのだろうが、未だに対策ができていないまま、新潟生活の4年が経過しようとしていた。5月の連休で東京に戻ったのだが、とにかく、体重を落さないと命にかかわる問題と自覚しているつもりだ。新潟県新発田市の大学勤務中、部屋にいてデスクワークだったから、その間の運動への努力不足であることは確かだ。万歩計で新潟では1日2000歩程度だった。冬の間はコンビニにいくにも車で行っていたツケだが、横殴りの雪と歩道に積んだ雪で歩くことは危険なのである。

 月曜日に御茶ノ水の百練館道場に剣道の稽古に行った。家から買い物に行ったり歩いたが、何と9,000歩に達していた。横断歩道を渡ったり、防具を担いで階段を上ったり、東京都内は必ずしもエレベーター、エスカレータ完備ではない割に坂道と階段が多いのである。引越しの荷物を開けて、家の二階に運んだりしたことも手伝い、膝がガクガクになっていた。

 

 中野の青梅街道の交差点を自転車で渡ろうと赤信号が青に変わるのを待っていた。青になったので、急いで渡ろうと自転車のサドルを跨ごうとしたら膝が上がらないではないか、「ありゃー」と驚いて焦ったのが悪かった。勢いのない自転車は傾き始め、左足で支えようとしたが一瞬遅れた。「ズッデーン」とひっくり返ってしまった。自転車からも放り出され一回転。右膝と左足のかかとを硬いアスファルトの道路に強打してしまった。痛いのをこらえ、立ち上がるのもひと苦労で周りの人もびっくり。お腹の出たダルマさんが一回転でイタタと倒れている。ハゲじいさんが転んだということで、側にいた若者が抱きかかえようと近寄ってくれた。恥かしいのなんの。大丈夫ですかと声をかけてくれたのは嬉しかった。日本の若者も弱者に優しい。世の中捨てたもんじゃないと思いつつ、「大丈夫です」とやせ我慢。おじいさんが転んだわけだから手を差し出していただいとことに感謝。


 どういうわけか左足親指の付け根が腫れてきた。右膝をついたので膝のお皿がどうなったか心配だったが、こちらは一箇所に青あざが出来た程度。どうして、左足が痛くなったのか見当がつかない。その話を友人にすると、腕で支えようとしたために腕を骨折した人がいますよとか、頭を打たなくてよかったですねと、慰めてくれた。その日の夕方、体の痛みをおして、剣道の稽古をした。なんとかできたので、骨折はないだろう。骨が折れていたら痛くて動けないはずだ。それにしても、まるで、「ダルマさんがころんだ」姿に見えただろうと想像し、悔しい思いは今も消えない。


[PR]

新潟から市川に帰還

      関越自動車道をひた走り、八海山を背に東京に向かう。新潟の山々が送ってくれた。

e0195345_12563126.jpg

 新潟県新発田市の4年間の大学勤務を終え千葉県市川に帰った。今後市川で暮らす準備もしなければならない。八幡のコルトンプラザに行く。ここにはニトリもある。このあたり、昔は無かったが今はレストランも映画館もある。連休中とあって賑わっている。人々は一体どこから来たのだろうか。この辺りは昔は日本毛織の工場があったところで、周囲は田園だった。50年も昔のことを思い出しても仕方がない。東京のベッドタウン市川市は絶えず人々が移住し、流れ込んでくるところだ。かつての田園地帯は姿を消し、アパートとマンションが立ち並ぶ。彼らはこの周辺だけから来ているわけでもないが、皆、故郷があるはずだ。流民の町なのだろうか。自分は市川に来て67年にもなるが、自分も福岡県から引っ越してきた。植民的な風土は今もなお変わらない。東京も、その周辺都市も皆流れ者の町なのだ。むらがる大勢の人々がいても知っているひとは中にいないだろう。孤独な群衆である。

 それに引き換え、4年間住んだ新発田は土地の人が多い。江戸時代から先祖代々暮らしてきた人もいるのである。祖父の代から知り合っている。地域の名門校、新発田高校を頂点とする人脈で社会が動く。城下町はそんな特徴があるのは分かっているつもりだが、よそ者には閉鎖的な社会に見える。一度は進学などで東京にいた経験もある人は多い。彼らは東京から来た人間だと知ると、自分も世田谷で暮らしてましたとか懐かしそうに言ってくれるがそれ以上の事でもない。地域から離れたことのない人々にとっては東京ディズニーランドは格別の機会である。何かを目当てに東京に一度だけしか来ない人々も流れてくる。東京も含め、首都圏は人間がが絶えず流れている。市川は昔住んでいた40年前までには二度の大きな人口流入の波があった。それは関東大震災で壊滅した江戸、下町の人々が最初の一派、次が戦災で焼け出された東京の人々であった。永井荷風などもそうで、彼は東京より江戸情緒漂う市川に惹かれ、麻布から越してきたのであった。ところが、戦後の高度成長以降の人口流入の波はさらに大きく、広範囲であった。総武線沿線、特に南側は様変わりし、かつて田んぼのあったところは区角も大きかったせいか、大型のマンションが立ち並ぶ。70年代以降の人口流入の規模は相当なもので、これまでの市川市の歴史を飲み込んでしまうほどであったろう。市役所の位置は変わらないが、警察署も図書館も大きくなり、場所も移転した。久方ぶりに、八幡宮の境内を歩くが、そこにあった図書館と市民会館はすでにない、あの図書館が役所の分室事務所で残っていたが、小さな建物に驚いた。当時は市川も随分、こじんまりした町だったのだが、若い自分には大きく見えた。市民会館ではNHKのど自慢だって行われていた。妹のバレーの発表会に行った時代が懐かしい。40年以上も昔の話。

法典の湯
e0195345_12460890.jpg
  驚きの海老フライ
e0195345_12545304.jpg

 引越しの梱包を開けて物品を整理するのが一苦労だ。10年も空き家にしていた。物を置く場を確保しなければ荷物の整理がつかない。今は天国に旅立った父母の遺品がそのままになっていて服を置く場所がない。連休中は片付けに追われ、思いの外疲れる。台所や浴室がガラクタだらけで未だに使えない。夕方になると何もする気がしない。車で10分ほどのところに東京楽天地が経営する「法典の湯」という温浴施設があり、そこで入浴し、夕食もそこの食堂でいただいた。錦糸町の駅前で映画館を経営している楽天地である。何と、武蔵野線の船橋法典駅が至近である。風呂上がりに食べた海老フライとハンバーグのセットで800円。この海老フライときたら美味しいのでびっくりした。100円で会員券がもらえ、これを使うと、何でも20円~30円安い。気に入ったので、市川に戻って2回も行った。テレビも無いから夜は静寂である。寂しいので早速これも新しく出来た京成八幡駅前のヤマダ電機で5万円の薄型テレビを買ったが、地デジのアンテナも無いので工事を依頼した。慌てる事は無い。どうせ自分一人のためである。5月16日に工事を予約した。孤独なお年寄りはテレビが大好きなのである。


[PR]
by katoujun2549 | 2016-05-06 12:58 | Comments(0)