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新潟県に足りないものーそれはシュート力

 新発田に来てびっくりしたのが、新発田の顔は堀部安兵衛だということだ。町には義士祭というお祭りと、菩提寺である長徳寺には四十七士の木像が堂に保存されている。赤穂浪士の一人であり、高田馬場の決闘で有名な剣客であることは知っていたが、新発田との結びつきは東京では知らなかった。赤穂と新発田では全く方向違いだからであるが、彼は旧姓は中山で、高田馬場の助っ人の潔さを買われて、赤穂藩の堀部家に養子に迎えられたのであった。彼は浪士に加わらずともよかったが、堀部家と内蔵助に忠誠を誓い、浅野家襲撃に加わった。赤穂浪士の襲撃は主君の恨みを晴らすというより、主君が浅野匠守を打ち果たせなかった不手際を恥じたもので、今の感覚では理解できない。義士を崇拝するようになったのは明治以降、反徳川感覚と、忠君愛国の道徳が広がったせいで、江戸時代は歌舞伎には取り上げられたが、この内容は全くフィクションであった。

 新発田の礎は溝口秀勝である。彼は加賀から移った若狭から転封し、わずか5
0騎の手勢を引き連れて新発田城主となった。彼は新発田の名主市島家を重用し、周辺の開墾により、6万石を10万石まで伸ばし、さらに後世において30万石の石高を上げるほどに業績を伸ばした。後に幕府に何度か返上し、6万石であったが実際はそれ以上であったという。石高が上がると幕府の上納や役職負担が増えるからであった。市島家は加賀から溝口秀勝公と共に移り、新発田藩の発展に貢献した。新潟移住後、売薬業を皮切りに海産物や金物を商いながら、福島潟の干拓を中心とした蒲原平野の開墾を行い、北陸有数の大地主・豪農となった。溝口家は信長、秀吉、家康と、時の権力者に追随し、明治維新のときも列藩同盟から外れ、政府軍に加わり、外様ながら、12代に渡り一度も取り潰されること無く明治まで続いたのであった。時の権力の推移に敏で、領地も着実に拡大した名君であった。溝口家は藩校、道学堂において教育にも力を入れ、新発田は教育の町でもある。明治以降、今村均、大杉栄、蕗谷虹児などの教養人を生んできた。市島家は大隈重信を支え、早稲田大学の創設においては資金の援助などに貢献した。数年前に亡くなったが天田昭次氏は日本刀鍛冶の人間国宝であった。新発田出身の知名人を並べてしまったが、これは本意ではない。ここまで書いて抜けている人がいる。

 それは大倉喜八郎である。彼は大倉財閥の祖として、明治、大正、昭和と活躍、一大財閥を成し、東京経済大学を創設するなど、社会に大きな貢献をなした。旧富士銀行、大成建設、サッポロビール、帝国劇場など多くの企業を起した。ところが、彼の存在はあまり新発田では人気が無い。缶詰に石を入れて輸出したとか死の商人といった悪名も嘘をまじえて地元では流布していた。最近になって新発田の顔として各方面で取り上げられるようになったのだが。理由としては、新発田のみならず、新潟県は「士農工商」の階層感覚が強いことがあるだろう。今日も、部落問題などの人権問題が起こる土地柄でもある。要は、
堀部安兵衛は「士」市島は「農」、天田氏や蕗谷虹児は「工」そして大倉は「商」である。自分は新潟県の発展を実はこの感覚が阻んでいると見ている。最近、マスコミなどで
燕三条の金物が脚光を浴び、誠に結構であるが、この産業の生産量と雇用はどれだけのものか、調べてはいないが、鑢の溝を切ったり、食器磨きでどれだけ雇用が生まれるのだろうか。新潟では、これらが誇りなのであるが、実はこの県の問題解消にはつながらない。新潟県は人口減少に悩んでおり、多くの市町村が人口半減に怯えている。その切り札は、産業と雇用である。商業の位置づけ、特に販売業の地位が低いように思える。新卒者の進路として販売業というのは人気がないのではないか。かつての商大であった一橋大や慶応にいく学生が少ない。 新潟県が今最も必要なことは高齢社会に向けての安心な人作りである
。そのためには充実したサービスや市場を読んだ商品が必要であり、PRも必要だ。ところが、この分野の開拓は新潟は苦手である。

 折角有数の穀倉と豊富な食材、温和な人々や自然に恵まれているのに、当地では、ここは田舎で何も無いという。一見謙遜に見えるが、これは自からの無知を公言している。とんでもない。大倉喜八郎は日本を股にかけた大商人である。その商売上手が新発田では悪辣な商売人として悪名を馳せている。大倉喜八郎の業績は正しく評価されていない。そんな風土なのである。高校生や大学生の進路で人気があるのは教員、公務員、看護師である。昨年の新潟市内の教員の採用は公立はゼロである。少子化のため教員は増えないのにである。この方向を断念した人が販売会社やサービス業に向かう。英語の出来る学生は英語の教師になりたいのであって、商社やホテルマンとして最初から方向を決めている人は少ないし、そうであれば東京に行ってしまう。県内のメーカーに就職を希望している学生は商品企画をしたいというが、新人の出来る仕事ではない。採用してくれる会社の商品を大いに売りまくりたいという学生は少ない。商品の価値を決めるのはこれを売る人であるということに気がつかない。良いものであれば売れるというものではない。今の日本が切り開かねばならないものは市場のニーズを先取りしたイノベーションである。よいかどうかは市場が決める。販売力に結びついた商品企画の無さが、人材の育成を阻み、新潟の人口を東京に奪われていると自分は見ている。新潟駅に行くと、いつも笹団子と柿の種が目に付くが、笹団子なんぞ一人一個食べれば何個も食べたいものではない。それもワンパック1300円程度で買える。柿の種にいたっては1000円以下ではないか。3千円も出せば大きな缶入りでかさ張ってしまう。こんなものを売りにするようでは出張帰りの格好な安手の土産で喜ばれてしまう。加島屋の鮭茶付けとか、大吟醸酒、ノドグロの干物なら3000円はする。小千谷上布だったら何万円もするが売っていない。カードを使ってでも買いたいものが無い。手持ちの現金で買える安物の品揃えばかりではないか。笹団子と柿の種は駅のキオスク以外販売禁止だ。伊勢の赤福は近鉄線の沿線しか売っていないが大盛況だ。(JRはお福で赤福ではない)この辺の販売戦略がなっていないし、駅ビルの土産物売り場もぱっとしない。

 新潟は確かに田舎である。でも良いではないか!田舎を売りにしてしまえ。美味しい魚、酒、景色を売るのではない。これは全国どこにでもあるのだ。これは東京や大阪の都会の人間が考える田舎のことである。彼らをターゲットに彼らのイメージを上手く作った田舎である。この田舎は棚田とか、古民家だけではない。レトロな取り残されたような市街地、30年前の食堂や喫茶店、写真館が残っている。今の高齢者が50年前の青春時代を送った故郷。日本の故郷となるに十分な資源がある。東京には何代か前に東京に来て故郷を失った人間が沢山いる。そうした人々、特に高齢者を第二の故郷として迎えれば良いではないか。彼らは充分な資産を持っている。彼らの二居住を確保し、老後を安定させるために介護保険の付け替えとか、新しい制度企画をすればよい。東京の資産を担保にリバースモーゲージとリンクしたセカンドライフである。高齢になればガンになる人は3人に1人くらいに高まるのだから、新潟大学の医学部はがん治療の権威として抗がん剤治療や、放射線治療の施設と人材の充実を計れば新潟に住むメリットも生まれる。新潟大学では重粒子線治療の施設が出来るではないか。困っている人を支え、夢を持つ人の実現を図ることが事業の成功をもたらす。人生最後の時を豊かな自然と共にゆったりすごしてはどうか。その為には、彼らに買ってもらえるような商品、アウトドア、温泉の宿泊、サービスである。そうした基盤を作るのは人である。他者に奉仕する心を持った人材の育成である。このためには、地域との触れあい、他人の心を理解する洞察力、共感する力である。市場調査やアンケートをとることも大事だが、これを実行する人がいなければ画餅。越後の人間は。忍耐力に優れ、他人を支える奉仕の心も旺盛であり、親切心に富む熱い血を持っている。ところが、これらが発揮されているかどうか、時には理解に苦しむこともある。自らが進んで行なったり、意見を述べる人が少ない。結構陰湿な投書などはおさかんだから、おとなしい割りに人権問題も起きる。
 従ってPRも下手である。豊かな資源を全国に、さらには世界に発信していくためには横並びの感覚ではだめである。日本のサッカーが変わってきたのはまさに、そうのようなパス回しの「個人プレー」ではなく、自分のチャンスは逃すことなく、ロングシュート、ミドルシュートなど機会を得れば果敢にチャレンジすることができるようになったことである。これこそ、世界に通用する当たり前の技能であり、皆で目指すことである。要は目標を決め、これらを達成する技能すなわち戦略と集中力が欠けているのだ。


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by katoujun2549 | 2016-03-29 13:13 | Comments(0)
新潟東港の東防波堤は一般公開されており、NPOが管理し、多くの釣り人で賑わう。3月12日(土)の午後、状況視察で防波堤に行って見学してみたが、防波堤上は風が強く、先端から半分くらいは「サゴシ(鰆)」のルアー釣りで賑わっていた。しかし、吊り上げる釣り人は全く見ることが出来なかった。午前中は何匹か釣られていたようだが、午後になるとバッタリ止まってしまった。21日から27日まではすっかり冬に戻ってしまい、風も冷たく、25日には雪も舞っていた。岸よりの護岸では黒鯛を狙って浮き釣りで二枚かけている人がいた。下越地方の春の海は風物詩のようにサゴシ釣りで賑わう。岸壁からはジグ、船で湾内ではラパラが使われる。多い人は50匹とか数も狙え、サワラクラスになる60~80㎝の大型のものも混じる。サワラは足が速いので、置いておくと味が落ちる。しかし、すぐ刺身にすると美味しいし、西京味噌の中にガーゼで包んで置いておくと美味しいサワラの味噌漬けとなる。保存もきくから重宝である。
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新潟東港東防波堤公開釣り場



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 衛星放送のナショナルジオグラフィック番組で時々見るが「犬の里親探します」は面白い。犬のカリスマドッグトレーナー、シーザーミランの番組で、里親探し、問題犬の調教など、彼の魔法のような犬の扱い方を見て感心させられる。彼はその犬の特徴だけではなく、犬を飼っている人のことをとてもよく観察し、飼い主に共感し、さらには問題点を丁寧に指摘する。そして、犬が問題を抱えるのは、必ず、飼い主に原因があるというセオリーを持っていることが特徴である。動物には罪は無い。そして、そのしつけは、必ず、年をとった犬でも手間はかかっても、可能であるという信念を持っている。アメリカンピットブルという猛犬がいる。闘犬としては土佐犬より強く、世界最強といわれている。噛み付くと離さないし、噛み付いた獲物を持ち上げてもそのままぶら下がっているくらいだ。イギリスをはじめヨーロッパの多くの国、アメリカでも50以上の州や市でも所有や飼育は禁じられている。そんな猛獣のような犬をミランが飼っている。問題行動のために処分寸前に救った犬だが、彼のトレイニングで実に従順だ。本来は賢い犬なのだ。訓練と慣らし方次第ということである。

犬も間違うと凶器になりかねない。
興奮させたり、他の犬との接触を絶つと怖い。
アメリカの犬にまつわる傷害事件、犬や人間の死に至る事故も含め
半分はこのピットブルが起こしている。見るからに恐ろしいアメリカンピットブルだが従順で賢い。
 恐ろしく育てているのは人間だ。

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我が家の飼い猫
マルクスアウレリウスユスチアヌスキャーコ
        
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 毎年、アメリカでは100万匹もの犬が殺処分されている。これは畜産国特有の合理的な扱いかもしれないが、人に吼える、噛む、他の犬に攻撃的、器物を破壊するといったことが原因である。これらがシーザーの扱い一つで変わっていく様は見事である。彼はショックカラーを使うことがあることを非難されているが、彼の本質はそうではない。犬は人間に忠実であろうとしているが、扱いを誤ると犬の本来の性格がむき出しになり、扱いにくくなっていくということである。犬は群れで行動し、常にリーダーを形成し、自らがそうなろうとする本能がある。これを抑制することである。その第1歩がリード(綱)の使い方、ドアから犬より先に出るといったことから、餌の与え方、散歩の時の綱の引き方などかなりの細かな内容がある。しかし、共通しているのは飼い主は先は毅然とした態度で犬に接すること。犬が主人公ではないという姿勢を明確にする事が大事だといっている。そして、犬の気持になって行動すること。そのためには、犬の習性を学ばねばならない。犬は人間のように甘やかしてはならず、犬として扱うこと。犬には犬の事情があるのだ。彼らにとっては、毎日の餌、散歩、行動の場が何処か、室内か、屋外か、そして行動が制約されているだけに、外部からの侵入者や他の動物の存在が全てである。犬は現在を生きている。そして、何よりも飼い主の愛情が全てだということだ。このことは全ての
猫にもあて嵌るのである。

 猫は可愛い。抱きしめたい。飼い主に従ってもらいたい。しかし、彼らにはそれなりの好みもあるし、習性にもとづくサインもある。これを理解しなければ、彼らを愛したとはいえない。犬と違って、猫は種類はあっても、性格の違いくらいの差で、危険な猫とか、しつけをしないと害になるような程度の差はあまりない。餌の量も少ないし、大きさも差が少ない。猫はその習性に従って買えばよいので、ある程度のルールを人間が守れば比較的飼いやすい動物である。猫の習性上、呼んでも来ないとか、返事をしない、油断をすると外に出て帰ってこないなど、勝手な行動がある。鼠や小動物を捕まえてくるとか、ゲロを吐く、抜け毛が飛び散ったり、壁やインテリアを爪で引っ掻いて傷つけるといった迷惑な行為もあるが、これに我慢出来る人が飼うのだし、それは諦めるしかないだろう。猫も知らん顔をしているようだが、飼い主の行動には敏感であり、飼い主の様々な行動に対しては鋭く観察し、警戒心や予測行動を取っている。猫の超能力はいろいろある。高いところからでも、落ちると見事に着地する。嗅覚や耳の聴覚が鋭い。一方、視力はそれ程では無く、大体70cmくらいの距離がよく見えるが、それ以上だと急に視力が落ちるし、遠目は聞かない。その代わり、聴覚は抜群で、顔は向いていなくとも、しっかり耳は音源に向いている。至近距離の動体視力は抜群で、ひげも合わせて相手の動きを正確に捉える。猫の魔性とか、化けるという不思議は猫の習性を人間は知り尽くしているわけではないからそう思うのだろう。猫を飼いはじめて、猫は思いの他賢いということを学んだ。危険なことは一回で理解し、記憶する。犬と違い、猫は群れで行動しない。野性の本能として狩を好む。全て予測し、行動する。そして、短距離なら時速30Km で疾走するから、部屋の中でも、戸外でも捕まえるのは難しい。犬はお腹をなでられたり、マッサージされる事が好きだが、猫はよほど気心を許さないと、これをさせないことが多い。もちろん無防備に仰向けに寝ている状態もある。人がいてこんな状態であれば、リラックスしている証拠である。
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by katoujun2549 | 2016-03-22 14:25 | Comments(0)
 週刊文春の報道で経歴詐称が明らかになった経営コンサルタントのショーン・マクアードル川上氏の所属事務所社長が17日、日本テレビ系「スッキリ!」のインタビューに答え、「(これまで)約束を違えたり、うそをついたことは1度もなかった」と訴えた。
 鼻筋の通った好男子で、声が低音のなかなか魅力的な響きに加え、ハーバード大学MBAと、パリ第一大学という立派な学歴、そして、経営コンサルタントとして若くして起業し、多くのクライアントを持つ、ショーンK氏。これが、全くの偽りだったとはビックリ。 確かに、そんなわけねーよ。自分もHBS出の人物は知っているし、優秀だが、それ程の能力は無い。楽天の三木谷だって一橋を出て、興銀から留学したが、彼ほどの経歴ではない。皆そんなキャリアの人物は見たことが無い。そりゃーそうだ。事務所社長は、川上氏が事務所に入ったいきさつについて「知り合いから声のいい人でラジオの仕事がしたいという紹介があったんです。声としての仕事なので、出身や大学、経営コンサルタントの仕事について詳しく聞くことはありませんでした」と説明。確かに、彼は低音の良い声をしている。そして、「18年前から一緒に仕事をしているが、約束を違えたり、うそをつかれたことは一度もありませんでした」と、真面目な人柄であることを訴えた。そんな雰囲気はテレビに映る彼の誠実な表情でそう思えてくる。しかし、彼はとんでもないホラ吹きだった。

 また、川上氏がメディアで何をしたかったのかという問いには「番組を持ちたいと。ラジオがとても好きで、声で人の悩みに答えたいと。リスナーを支えて寄り添っていきたいと答えていた」という。そんな彼が壁にぶつかったのは、高卒という学歴であった。そこで、とにかく入り口のところで大きく出た。世界一の学歴はハーバードMBAだ。彼は本気で、ボストンに行き、有料のセミナーには出た。これは偽装工作だ。第一段階は成功した。おまけにフランスのパリ大学も聴講しこれも学歴に加算。HPに悪乗りして載せたが、後はとんとん拍子で、このHPを改める機会を失った。不思議なのは、彼の高校時代の友人は分かって、文春に彼の嘘を通報したのではないだろうか。でも、彼には同情すべきところもある。彼は確かにテレビコマーシャルや報道番組、モーニングショーには出ていたが、あまり学歴についての紹介は無かった。自分は一度見たことがある。
問題は誰でも持っていそうな学歴コンプレックスである。これも年取るとそれまでの努力が効いてくるので、無くなるのだが、40くらいまではあった。川上氏も高卒なので、これには悩んだのだろう。その裏返しが大きく打って出たのだ。一回万引きしてつかまった程度のことで、清原の覚醒剤とはわけが違う。怒っているのは、低学歴の人か、ハーバードより格下の東大卒などの難関校出身者だろう。

 現在の川上氏については、「(事務所社長の自分にも)会うたびにずっと謝り続けています。僕はどれだけ悪いことをしたんだろう、4月からどうやって生きていけばいいですかねって言ってます」と、後悔し続けている様子を明かした。報道陣は必死に行方を探している。彼に騙されるマスコミや企業も悪い。日本にはハーバードMBAは数百人くらいはいるはず。そんな連中に聞けば分かるはずなのだ。大体、HBSは日本の大学、特に東大のような、偏差値お化けみたいな人間は入れない。もっと、世界に向けたビジネスマインドを強烈に主張した人から選ばれるので、日本の大学の偏差値序列のように考え、成績優秀な優れた人物と思うのは間違い。だから、日本のトップ校卒ではなくとも多くの日本人がアメリカのMBAや、大学の学位を取っている。もちろん英語力は英検1級では入れない。それ以上である。日本には東大、一橋、京大といった優秀な大学が沢山ある。日本でビジネスをするならそれで充分なのだ。これ以上だと、逆に使いづらい。川上氏はそんなことも知らなかったのだろうし、テレビ局もその程度の認識。だから、すっかり騙されたし、彼自身もどの程度分かっていたのか。むしろ彼のほうが実態を知っていた。彼は誰も傷つけたり、横領したわけではない。彼をきちんと調べなかったマスコミは自業自得。
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        ボストンのハーバード大学
 
 何だか川上氏がかわいそうな気もしてきた。彼のいけ面中年づらで仕事はあったはず。ファッションボーイとか、声優、銀座のママさんのヒモとかどうだろうか。いくらなんでも、報道番組のコメンテーターは無いだろう。しかし、お笑い番組とか、クイズ番組で馬脚を表し、ニセハーバードで笑いを取るとか、変身の可能性は無いのか。大ボラもいいとこだが、これだけ一流の報道陣や、証券会社など騙くらかした誇大妄想的な行動パワーを今後も使えないかな〜。素直に謝罪記者会見をして同情を買うほうがよい。所詮は謝って済むことで、ひと恥かいて、もう一度、やり直してはどうだろうか。



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by katoujun2549 | 2016-03-18 00:06 | Comments(0)
この問題はテレビなどで教育評論家もまじえ、議論が行なわれているが、不可解で真実が見えない点、いつもの苛め事件などと共通の闇の世界である。よく分からない点を①~⑥にまとめてみた。

広島県府中町で昨年12月、町立府中緑ケ丘中3年の男子生徒(当時15歳)が自殺した問題で、別生徒の万引き行為を学校が男子生徒の行為と誤って資料に記録し、 この資料に基づく非行行為を理由に「志望校への推薦は認められない」と男子生徒に伝えていた。 誤った記録は生徒が1年生の時、学校が内部の会議用資料として作成し、その後誤りが判明したが、原本記録は訂正されないまま進路指導に使われたという。

☆ 素直な疑問
① 中学1年生の時の万引き事件が3年の専願条件になる?
 この担当教師は黙秘犯に向かう検事のような対応だ。教え子への愛情は感じられない。この学校では万引きをして原簿に乗せた場合、親にはその時点で伝えないのか。担任は1年生の時の担任に確認していないのか。全くボケている。廊下でチョコッと確認して専願取り消しかあー?5回も確認したから教員が真面目だったとは思えない。むしろ、この生徒は成績もよく、本当に万引きのようなことを行なったかよりは、もし、していたとしても、その後真面目な生徒として頑張って県立高校も受けるようになったことを褒めるべきではないのか。また、そんなことを前科のようにハードルにすることも変だ。広島の私立高校はそんなにチェックが厳しいのだろうか。実際に万引きした生徒の専願は取り消されるのか?

町教委によると、男子生徒は第1志望の公立高校とともに、第2志望で校長推薦が必要な専願による私立高校の受験を希望していた。 女性担任は昨年11月中旬の進路指導で、1年時に万引きしたと誤って記載された記録に基づき、男子生徒に「推薦できない」と説明した。 進路指導は同12月8日まで計5回実施。他の受験方法を生徒に勧め、保護者にも伝えるように指導したという。 その際、担任は万引きについて生徒に尋ねたが「生徒から否定するような発言はなかったので、確認が取れたと思った」と学校の聞き取りで説明したという。

☆非常識
② 担任の進路指導が変だ
 この担当女性教師は11月になって受験相談をしていた。進路相談では夏休み前には志望校も決めるのではないか。
 それほど決定的な条件を知らず、また、学生の教室での真面目な勉強態度を見ておらず、大事なことなら、彼を呼び出して丁寧に質問し、親にも相談すべきではないか。全くの怠慢だ。しかも、それを廊下で行なう感覚が分からん。

③ 自殺後に調べたとすれば、どこかに後ろめたいことがあったからではないか。
 出鱈目な資料に基づいて5回も、しかも親も入れて行なっている。11月の後半から週2回は行なっている。異常な頻度ではないか。おそらく、担任は万引きをしたことを事実で犯罪として扱いたかったのだろう。何とか万引きが無実であることを立証しようとしたのではない。その濡れ衣を着せられた中学生の心情を思うと絶望的。担任には口も聞きた無くなるだろう。

④ 原簿が訂正されていなかったことがどの時点でどのような経緯でわかったのだろうか。生徒指導会議に担任が不在であれば会議資料を訂正した資料が担任に回付されなかったのか。入試直前の指導は進路相談会議の資料で行うのではないのか。わざわざ原簿を使うのか。消し忘れるようないい加減な事務なのにこの時だけ原簿を引き出すのだろうか。実際に万引きした生徒は、これも間違って専願されてしまっていたという、ひどい話。

記録は生徒指導の会議用で、指導教員が、会議資料を作成する別の教員に万引きをした生徒の名前を口頭で伝えた際、男子生徒の名前を誤って記載したという。 会議で誤記載に気付いてその場で訂正したが、記録の内容を保存した電子データは修正されなかった。

⑤ このデータ作成の責任者は誰か

 生徒指導の会議で資料の間違いが発覚してから、自殺まで1週間くらいの間に起きた出来事なのだろうか。日曜日もあるから、実質5日くらいの間か。担当はこのデータの真偽を全く疑わなかったのだろうか。中学校の事務に責任があるのであって、教育委員会ではない。校長がすべて対応すべきである。この校長は自分の責任を軽くするために教育委員会に持ち込んだようにも見える。

同8日には三者面談による進路指導が予定されていたが男子生徒は現れず、父親が自宅で倒れているのを発見し、その後に死亡が確認された。 自宅には自殺をほのめかす書き置きがあったという。学校は翌9日に開いた全校集会で「(生徒は)急性心不全で急死した」と説明。記録が誤っていたことも分かり、遺族に伝えた。

⑥急性心不全で死んだ学生のことで全校集会を行なうのも変だ
 自殺であることを遺族から隠すように言われたのか。それならば全校集会などするのはかえって不信を招く。

8日夜に記者会見した同町の高杉良知教育長は、「誤った記録に基づいて専願での受験はできないとの指導がなされていた。 学校内だけで考えると他の要因は見当たらず、(自殺の)原因になったと思っている」と述べた。同校の坂元弘校長は「本来なら推薦できるにもかかわらず、できないと伝えて生徒を大変苦しめた」と陳謝した。
また「男子生徒は明るくまじめで学力も上位だった。自分の考えもしっかりしていて、友人が非常に多かった」と述べた。町教委は自殺の経緯を調べる第三者委員会を設置する方針。

全校集会や保護者会でどんな説明があったのか。明らかにわかるような嘘があったから、罵声を浴びたのではないか。それぞれの弁明に嘘が多い。

こんなに辻褄の合わない事件は究明以前に、事実を確かめ、公表すべきであろう。ここまで全国マターになったのだから。この担任の弁明を直接聞きたい。

(推理)
こんな想像もしたくなる。自殺した中学生は、本当に1年生の時に万引きをしたのしなかったのかはもう問うことはできない。3年まで、彼は真面目にやってきた。彼は親にも知られたくなかったから黙っていたかもしれな。3年の進路指導会議において校長は専願学生の確定をしたかった。この中学生の他に同じ高校を希望する生徒がいたからだ。その学校は校長推薦枠が1人だったので県立にも行ける彼を下したかった。今の高校受験は少子化で全入に近く、殆ど落ちない。校長は何か義理があって、この生徒を下ろして有力者に頼まれた別の生徒をはめ込みたかった。進路指導会議で彼が1年の時万引きをして通報された記録があった。格好の根拠が見つかった。2年も前のことなのでこれを理由にするには本人の納得がいる。だから、会議の資料の記録を消して原簿を残し、担任の教員に万引き歴を理由に専願できないことを何度も会って説得させようとしたのではないか。このことを知られたくないから担任は証言させない。その生徒は万引きしたことを理由に、専願対象から外されてしまった。学力が理由ではなかった。懸命に勉強したので成績は良かったのに、3年の終わりの12月になってしつこく万引きという唐突な嫌疑をかけられた。そして教員はまさか自殺するとは思わなかった。原簿を消し忘れたことにしたのだ。以上の推理も成り立たないだろうか。こんなストーリーはあってはならない。

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by katoujun2549 | 2016-03-11 13:54 | Comments(0)
  敬和学園大学の新発田駅前寮のコミュニティルーム
 
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コミュニティルームのキッチンカフェテリア
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 今日、学生寮を作る大学が増えつつある。かつては国立大学中心に安価な、他県や遠隔地から来る学生の住居として、また、生活の場として提供された。先般、京都大学で熊野寮が警察の捜査を受けた。昔の70年安保時代には考えられなかったことである。おそらく、熊野寮は、月5000円くらいで入れるのだろう。築後35年は経っている。こうした寮は安いことが魅力で、大学も介入しないから学生運動セクトの温床になってしまう。汝の隣人を愛せよとは素晴らしい言葉だが、隣人への無関心が現代では標準装備である。
   
         完全自治寮だが、このような有様である。
         40年前にはよく見られた学生寮の風景
         整備のために10円でも賃料を上げる決議は
         出来ない。どうせ資本主義国家の資産だ。
         汚しても平チャラ。
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 国民の税金で学ぶ選ばれた学生、そして
彼らの民主主義。機能していない。
  ここの寮生は建物が清潔であるとか、整頓
 には無関心で「民主的」といいながら、
   怠慢が蔓延している。大学職員も、怖がって近寄らない。
  彼らなりに快適なのだろう。
   清潔に生活したい学生の人権は無視される。
         改革は選良の自分こそが行うことで、
         改革されるのはは大嫌い。機動隊でもドンと来い。
         そんな「革命」が目的のセクト学生は義務は嫌い。
         貧民窟こそ革命の原点だ!日本に貧民窟など無い?
         それならここに作って見せようではないか。
         こんなに酷いところには泥棒はきませんから安全。
         ルンペンプロレタリアートを体験できます。
        
大学学生寮はどのような人材を育成するか
  
学生寮は人間形成の場であるとはよく言われることである。寮においてはコミュニティが形成され、そこでの社会的訓練が行なわれる。海外のエリート大学やイギリスのパブリックスクールなどはその典型である。寮では何が行なわれ、何が人格形成を助けているのだろうか。

というより、アメリカのリベラルアーツ系の大学は通学に不便なところにあったりする。それほど有名校ではなくとも寮は大学の常備施設である。中国なども国土の広さから、大学には必ず寮がある。日本の大学、あるいはかつての旧制高校は学生寮の果たした役割は大きく、多くの人材を世に送り出してきた。当時のエリートであった彼らは、ストームとか、バンカラをファッションとして学生文化を形成した。そこでは自治や学問の自由が守られ、聖域にもなったが、戦前は自由主義や社会主義思想の巣窟として、当局に監視された。戦後は共産主義活動の拠点にもなり、学生運動の中心的施設にもなり、安保闘争や、学園紛争の基地ともなった。その後、学生運動の沈静化と共にこれらは解体され、当時の施設は建て替えられ、新たな人材育成の場が計画されつつある。特に、国際化、イノベーション、学際的交流の場として位置づけられるようになっている。首都圏の大学でも新しい企画が次々と出てきた。学生寮が住居対策のみならず現代の大学生の精神的発達面に様々な利点があることを大学と学生が認識し始めたということである。国際理解など、留学生との交流においても生活を共にすることで得られるものは大きい。つい最近のプロジェクトとして、早稲田大学の中野国際寮が話題になった。1400人収容という規模や国際学部の新設拡充などの教育改革も並行して行われている。そこにおいて、学生の文化や伝統が育まれるだろう。一言で学生寮といっても、様々な形態がある。個室、二人部屋、4人部屋、また、グループユニットといって5人の個室をワンセットにするグループホームの応用版もある。

 自治を旨とする学生寮では、建物の管理、費用の清算、食事、娯楽、清掃、防犯、ゴミ処理、防火、生活環境の維持(衛生、冷暖房、洗濯、騒音、換気、防犯)に学生の関与が必要となる。寮生の募集、選考、寮費の徴収、部屋換え、会計や決算も学生が行なう場合がある。また、自治体や近隣との関係、地域のイベント、さらには寮自体の対外活動もある。また、寮生活に彩を添えるクリスマスや新入生歓迎会、卒業生送別会、各種勉強会、研究会など大学からの提供プログラムも用意されるであろう。そしてそれらプログラムや作業を決定する集会、総会などの場が必要であり、そうした責任者や補助者も選定されねばならない。建物や設備の管理、修繕など資産の保有、管理者に対応した作業もある。随分煩わしく感じるかもしれない。中には無意識に行なうこともある。寮の人間教育の目標は、良き隣人となることである。
Good neighbor can change world. Good partner make us happy!

次に、寮の今後の課題と寮生活による利点を上げたい。


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 現代は個人情報やプライバシーを尊重する時代である。住居もこの傾向を反映し、個室中心のプランになっている。学生寮も、自己完結型のアパート形式が若者には心地よいと思われている。都会ではワンルームの狭い空間でも独立した生活を満喫し、若者の一人住まいはファッションでもある。学生寮もこの形式を取ってアパート化した時代がある。そこでは隣人の存在すら無視される。老人の孤独死が取りざたされるが、こうした寮には若者の孤独死もあることは知られていない。自殺だけではない。東大や一橋大でも、コンパの一気飲みの後死亡例がある。部屋で急性アルコール中毒になり、朝に死体が発見されたりしたケースもある。寮生の内部で、先輩後輩の階級が生まれ、国士舘大学では付き人制という主従関係が生まれ、横暴な上級生の暴力から殺人事件も起きた。廊下ですれ違っても挨拶一つしない。そのような学生寮に何の意味があるのだろうか。むしろ閉鎖的な人格を育てる。恐らく、気の合った同士は部屋で酒盛りをしたり、騒いで隣室に迷惑をかけるだろう。そこでは互いに慰めあいはあるが人格的な発見や触れあいは乏しい。若い者の特権は好奇心や新しい出会いに前向きであることである。ここを支え、伸ばす装置であることが寮の意義である。そのためにも、コミュニティーの形成が必要であり、アクティビティプランを必須としている。現代の若者としては余計なものに捉えられるだろうが、これは義務化する必要があろう。先は見知らぬ他人が良きパートナー、良き隣人となることから学生の社会化(socialization)が始まる。
学生寮に何を期待するかということである。ハード面とソフト面に分けて整理してみる。建物の設計的な面からの影響があることを無視できない。個室の場合は共用部分をどうシェアするかによって生活の仕方が変わってくる。全て完結したアパート型であれば、老人ホームのように趣味の場とか、集会室とかよほど充実していなければ寮内部のコミュニケーションは乏しく、交流も計画されたもの以外は行ないにくい。ペア型であれば、入居者2人の語り合いや生活面での支えあいなど、交流や友情を育むことも可能である。何を共有するかでその寮における生活上の制約、また、活動の効率化が決まる。その意味でハードの部分、設備も含め寮生活の内容を通じて学生の生活が規定されてゆく。例えば、浴室を大型のもので全員が共有となればそこが、交流の場になり、また、清掃などの義務も生じるであろう。かつては電話が共有という時代もあった。当時は電話におけるプライバシーは制約されていた。2人部屋と4人部屋ではプライバシーの制約が増し、コミュニケーションのあり方が違ってくるだろう。大学生と高校生の学生生活で決定的に違うのが、高校が集団生活への適応が目標であるが、大学は個人を中心とした生活を社会人への準備として形成することである。そのためにも、ペアで支えあう仕組みが必要である。集団生活に適応させる教育指導に慣れた学生を、いきなり個人生活へと切り替えていくのは、実際は学生自身も戸惑い、また、多様な問題を抱えることになる。一方大学生の集団活動も必要である。様々なプログラムが用意されなければならない。学生寮というと教育的側面や、寮生の指導やガバナンスが意識されるのは当然だが、実態として、寮は生活の場であり、生活体験を通じて互いに学びあい、交流し切磋琢磨していく。入居者2人の語り合いや生活面での支えあいなど、交流や友情を育むことも可能である。何を共有するかでその寮における生活上の制約、また、活動の効率化が決まる。その意味でハードの部分、設備も含め寮生活の内容を通じて学生の生活が規定されてゆく。例えば、浴室を大型のものとなればそこが、交流の場になり裸の付き合いになる。また、清掃などの作業義務も生じるであろう。かつては電話が共有という時代もあった。当時は電話におけるプライバシーは制約されていた。2人部屋と4人部屋ではプライバシーの制約が増し、コミュニケーションのあり方が違ってくるだろう。一方大学生の集団活動も必要である。
先は快適な住環境の提供が第一であるべきだ。その中で、寮のハード部分の影響は極めて大きなものがあり、建物の効用を期待する。次に、ソフト面の課題に触れたい。
(1)学習面
隣接する図書館や商店街の利用は大きなメリットである。雨や雪の日でも影響を受けずに快適な学習空間が用意されている。閲覧のみならず、勉強する場にもなる。学習内容に応じて場を帰ることが出来る。また、隣人の学習態度を学ぶことが出来、互いに教え合うこと、情報交換も進む。ゲームでも互いに可能である。依存症にならなければいいが。学生寮では大学は学びの場、勉強の場でなければならないという自覚を持たせ、本学の学生の学習時間を増やす努力が必要である。日本の大学生は学習時間が少ないことで有名である。自発的な読書会、勉強会(資格取得)も内部で行なわれ、寮生は成績優秀者が多いという評判を得たい。
(2)生活面
ワンユニット(風呂、洗面、トイレ)は二人で共用である。また、ドアの鍵や、下足の管理も互いに話し合って間違い無い内容にしたい。各部屋には鍵が掛かるようになっているので、プライバシーは確保される。居室内は身一つで生活できるようになっているから、内部に納まらないものはユニット内の共用空間に積み上げられるだろう。清掃や整頓も互いに話し合う必要がある。食事は当初すべて自炊として、調理教育を行い食育を期待した。しかし、保護者の健康面からの懸念もあり、朝夕有償提供となったが、食育に関しては、図書館のキッチンスタジオの企画も活用したい。食材は自己管理となる。他の学校の寮でも食材の管理には誤使用、廃棄などでトラブルが多いと聞く。一飯の義理もあるが、食い物の恨みは怖い。各自小型冷蔵庫を設置できるので、心配な寮生は自分で購入してもらいたい。食事においては、共用の食器でカフェテリアで食べ、寮室内の調理は避けたいので、電気代の節約から電子レンジは居室内禁止としたい。配膳、片付け、食器洗い、収納はセルフサービスである。調理後の食堂の整頓、厨房の清掃も同様とする。居室内部での電気ガス水道代(エネルギーコスト)に関しては各ユニット毎に電気使用量が算出されるので、省エネを推進してもらいたい。自宅と違い、家族の補助が無い分、仕事量は増えてくることは自覚してもらいたい。どれだけ、家族から支えられてきたかは寮で生活すれば分かる。寮生同士で買い物や、清掃、防犯など支えあうことで交友していく中で人間理解が進む。毎年の部屋換え、ペアの組み直しなどで人間関係悪化のリスクを避けることができる。
(3)地域との連携

地域連携センターとの連携を軸に、地域ボランティア活動への参加、交流を図りたい。特に学生の参加は寮生以外の学生も幅広く参加し、寮も基地として機能したい。特に図書館、また、周辺の店舗、館内の店舗からアルバイトの要請がある。交通費や時間の節約から良い機会である。学生の生活環境を確保するための寮だが、外にも開かれた活動も良い。

土曜日の午後、子供達の学習支援と交流は寮活動の目玉である。将来的には地域メンター制を形成し、学生の社会人教育につなげたい。これまで、地域との連携は大学の立地上交通の制約があり、充分では無かった。周辺の商店街の利用も通じて、新発田市の市民との交流により、これまでのアルバイトによる社会勉強ではなく、人格的な触れあいが期待される。

(4) 卒業生との連携
卒業後も寮を訪問したり、後輩との結びつきにより、寮生は具体的な社会の情報、企業情報、将来の学習の方向をつかむことが出来る。メンター制と組み

地域連携センターとの連携を軸に、地域ボランティア活動への参加、交流を図りたい。特に学生の参加は寮生以外の学生も幅広く参加し、寮も基地として機能したい。特に図書館、また、周辺の店舗、館内の店舗からアルバイトの要請がある。交通費や時間の節約から良い機会である。学生の生活環境を確保するための寮だが、外にも開かれた活動も良い。

土曜日の午後、子供達の学習支援と交流は寮活動の目玉である。将来的には地域メンター制を形成し、学生の社会人教育につなげたい。これまで、地域との連携は大学の立地上交通の制約があり、充分では無かった。周辺の商店街の利用も通じて、新発田市の市民との交流により、これまでのアルバイトによる社会勉強ではなく、人格的な触れあいが期待される。卒業生の会なども企画しながら輪を広げていくべきである。この人脈をつなぐのは寮監の役割でもある。寮生は

4年ごとに入れ替わるから、5年後には卒業生寮生を誰も知らないことになり、遠ざかってしまう。卒業生との交流はここから生まれるので、寮生経験者が同窓会の中核になるケースが多い。

(5)外部機関との交流
学生YMCA同盟など、外部機関の教育プログラムも活用し、新発田市のみならず、首都圏や海外の交流も企画すべきである。YMCAでは年1回のインドやベトナムなどのアジア学生との交流企画を持っており、費用的にも学生が負担できる範囲で配慮されている。寮を持っている他大学の寮生(職能短大)との交流もあり得る。敬和高校の寮生にも大学寮を紹介する機会を持ち、入学者の増加に貢献したい

(6)学生寮の目指すもの
 学生寮生活で得たものが大きかったという社会人は多い。また、様々な交流や大学生活に積極的にコミットするきっかけにもなっている。それは寮内部での先輩からの助言があったり、クラブ活動への勧誘もあるからである。気の合った仲間同士の交流は楽しいが、社会に出ればそのような機会は稀である。気心の知れない上司、部下からの批判、中にはいじめやイグノランスもある。職場でも仲間は必要でそうしたパートナーを形成する力は寮生活で培われる。寮生活ではトラブルもある。しかしそれは社会におけるものとは比べ物のならないくらい小さな出来事である。寮はミニ社会であるが、混乱も自分達で解決できる範囲であり、ここは聖域である。20世紀初頭までドイツの学生寮では決闘もあり、傷跡がドイツエリートの象徴であった。片手を壁につけ、殺人にならぬようマスクを付けた顔を切りあう。偉大な社会学者マックスウェーバーも頬に切り傷かあるので有名である。困難を乗り越えてこそ気力も生まれる。現代の若者の弱点である、良き後輩と先輩のタテ関係も社会では根強い。どこの職場でも世代を超えた関係をもって活動している。気の合う仲間など容易に見当たらないのが現実である。寮生活から得た、気力、感性、学習力などは必ずや社会生活にプラスの力を与えられると確信し、敬和寮の建設を推進した。本学の隣人への愛、地域との結びつきなど、理念ばかりではなく生活の場として実践して初めて身についたものとなるだろう。リベラルアーツは具体的な生活の目線から学問を発展させるべきだ。聖書福音書の物語はそうした場面が多く読み取れる。キリスト教の考え方も同様である。若者の人間的成長を期待して育て、社会に送り出すこと。敬和の建学の精神はこの寮において理想的に形成されていくと考える。          
                                       2,016年 3月9日

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by katoujun2549 | 2016-03-08 16:59 | Comments(0)