<   2016年 01月 ( 9 )   > この月の画像一覧

001.gif016.gif日本サッカー男子のオリンピックアジア最終予選の決勝で韓国に3対2で逆転勝ちして優勝した。11時からテレビを見ようと思ったが、つい寝てしまった。目が覚めて、風呂に入ってからテレビを点けると2-2の同点ではないか。録画していて良かった。アジア王者としてリオデジャネイロ大会に臨むことは自信と共に相手へのプレッシャーにもなり、韓国に敗退するのと大きな差が出る。この勝利は日本のサッカーだけではなく、世界における日本のあり方を見せてくれた。ノーベル賞やラグビー、サッカー女子も含め、経済も世界で戦うにはこのようなパワーが必要だということを示してくれた。又、近年の韓国の日本への露骨な侮辱的行動は国際大会で負けられない気持ちを見る側には与えてくる。政治とスポーツは同じではないが、結果は影響する。韓国は戦勝国になりたくて仕方が無い。中国の威を借りて日本に優位でありたい、嘘をついてでも、日本を貶めたいという卑屈な国民性を破るにはスポーツや経済で負けてはならない。彼ら選手はそんなこととは別に必死にプレーしてくれたと思う。韓国の選手は政治的発言を試合前にしている。韓国の「オンライン中央日報」は「慰安婦のおばあさんのために日本を」と題し、26日に行われた準決勝カタール戦後のファン・ヒチャンのコメントを掲載。「最近は慰安婦のおばあさんの話もたくさん出てくるし、歴史的な部分もある。最後の戦いは無条件で勝つ」と話したと報じた。
カタールの首都ドーハで行われた20年前のワールドカップ予選ロスタイムでの逆転負けを今でも鮮明に記憶している自分にとって日本のサッカーの新しい地平を感じさせてくれた。世界で戦えるサッカーの世が開けた。このような逆転に転じるパワーというのは運だけでは出ない。地力があるということだ。
準決勝から先発4人を入れ替えた日本は序盤から、韓国の鋭い出足の守備からのカウンター攻撃に苦しみ、前半20分にゴールを許して、今大会初めて先制されて前半を折り返した。後半も開始2分に右サイドから崩されて追加点を奪われ、2点を追う展開となった。しかし、彼らのチームワークは守りにおいては発揮され、韓国の猛攻を抑え、後半追加点を許さず、矢島慎、浅野などの個人技で疲れた相手の隙をついた鋭い攻めが効を奏した。かつては、あの様な攻撃を日本は出来なかったと思う。まさに、日本がワールドカップに出るようになって以来、サッカー少年があのように育ったのだなあ、という感懐に。また、手島森監督の采配も素晴らしかった
。新時代がはじまった、日本のサッカーが変わってきた。

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e0195345_15460721.jpg 24日は東京から新潟に帰る予定だが、新潟が暴風雪という。新幹線から白新線運行状況をWebで見ると、ストップしているらしい。新潟駅に着いて、万代口の改札で、白新線の運行のめどが立っていないことがわかり、万代バスターミナルに行くことにした。8時10分新発田駅行きのバスが運行していたので、20分待ちで乗れた。いつも通り、新潟市内の雪は大したことがなかったが、バスが新崎とか木崎辺りでは物凄い吹雪だった。今年の冬は雪が新発田を直撃している。新潟にしても、隣の中条や村上はたいしたことが無いのに、新発田は降り方が凄い。
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バスは白新線から回ってきた客で満席状態。バスのライトにフロント窓からの雪が激しく当たる様子が見える。新発田に着いて駅から5分の建設現場駐車場に着いたら、唖然!車が雪に埋まっている。
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車まで、膝上まで積もった雪でラッセルしないとたどり着けない。車は雪に埋まっていた。スコップで堀りだし、運転したが10mでダウン。スコップで車路を掘っても車輪はスリップして動かない。結局、JAFを呼ぶ羽目に。といっても、電話をすると、交換手は明日朝までかかるとつれない返事だが、一応申し込んだ。
 結局自力脱出は諦め、タクシーで家に戻った、するとJAFから電話で、近所に村上から来ているというのでお願いした次第。JAFの係員は親切で、一生懸命ウインチと牽引を組み合わせ、駐車場から1時間ほどかけて引っ張り出してくれた。感謝!。アパートの駐車場も雪が積もって入れない。雪掻きはしたが腰が痛くなって中止。近所の工房の駐車場に朝までおかせてもらうことにして、結局その日は家に戻ったのが12時半になってしまった。風呂で冷え切った体を温め、グッタリして寝床に入った。

翌朝の大学入り口付近 積雪は60cmはあるだろう。
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扱いにくいと言われるジャックラッセルテリアだが、シーザーミランはいともたやすく手なずけてしまう。
 
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カリスマドッグトレーナー、シーザーミランはアメリカで絶大な人気を博しており、ショーも行なっている。そのライブの熱狂振りには驚かされた。ナショナルジオグラフィックチャンネルで、連続シリーズで里親探しを放映しているが、いつも、問題行動を抱えた犬をシーザーが見事に解決し、トレーニングに加わった家族がその里親にシーザーから指名される。
3組くらいの家族が候補となる。問題行動を起こしたがシーザーに矯正された犬が対象だ。首輪の取り付け、散歩などの行動でシーザーから適正な受け入れ家族かどうかを判定される。何せ、演技の出来ない犬だから、シロオトの飼い主候補がどこまで扱えるのか、また、シーザーが手なずける手腕が披露され、スリル溢れる展開だ。最後に最適な受け入れ家族が選ばれる時の家族の喜びが伝わってくる。また、選ばれなかった家族にも配慮を忘れず、そのあたりのドライな感覚がアメリカ人らしい。彼の知名度を上げた『ザ・カリスマ ドッグトレーナー ~犬の気持ち、わかります~』は、2004年から2012年まで“大自然・野生動物ドキュメンタリー番組の専門チャンネル”のナショジオ ワイルドで放送された。

 番組で、「問題なのは犬ではない」「犬を訓練するのではなく、バランスを整えているだけ」「自分が伝えたいのは、自然と人間のコネクションだ」と数多くの名言を発しているシーザーは、「自分のやり方がすべてではない。異議を唱える人がいることも知っているし、それでよいと思っている」とも発言。彼の番組はハリウッドで作られており、シーザーの軽快なトークが楽しく、問題行動を起こす家庭の女性が美人ぞろいである。これが不自然だが、彼はウィルスミスなどセレブに引き立てられて有名になった。彼の訓練方法には北欧あたりから厳しい批判もあるらしい。

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昔飼っていた愛犬「メリー」にそっくりなポインターのミックス犬。思い出の犬。
ヨークシャーテリアはカワユイ。
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 動物をショップで飼うよりは行政の動物愛護センターに行き、5歳くらいの成犬が飼うのに良いと思っている。飼うには自分の寿命も大事だ。こちらが先に死んだ場合、老犬を誰が世話するのかが問題だ。長男さえ良ければ子犬でもいいのだが。
 自分は猫を飼っているが、今は、新潟にいるので東京で息子が一人で世話をしている。本当は犬を飼いたい。特にポインターのハーフミックス犬とか、ヨークシャーテリア、ジャックラッセルテリアに関心がある。しかし、今の住まいは動物禁止だから、仕方なく、この番組を見ている。ポインターの雑種を11年飼ったが、その前もボクサー4年、スピッツ4年飼っていた。母親が犬好きで、最後にヨークシャーテリアを2年ほど飼っていた。残念ながら死なせてしまった。だから、自分も何とかヨークシャーテリアに再挑戦したい。ボクサーはアメリカチャンピオンの孫で立派な血統だったが、実際犬を飼うにはそのような血統は自己満足で、要は犬は雑犬でも懐いてくると可愛いのだ。シーザーミランが常に犬の気持ちになって接することでどうしてあれほど飼育が上手なのか分からないが、甘やかすことも無く、自然に付き合っている感じがよいのだろう。実際犬や猫はこちらが気がつかないだけで、我々のことをよく観察している。そして、彼らの関心事は「愛情」の強さ一点に掛かっている。無理にしつけるのも良くないし、こちらの愛情を押し付けたり、べたべたすると相手から見透かされる。そこに難しいところがある


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by katoujun2549 | 2016-01-19 16:09 | | Comments(0)
最近、2010年より新規糖尿病治療薬として、DPP‐4阻害薬が発売され、治療の選択肢が増えた。インスリン分泌を促進する消化管ホルモンであるインクレチンを増やし、血糖コントロールを改善させる。この薬は腎機能に障害のある患者は使えない。副作用が少ないので、境界型には特に有効だ。以前は運動と食事管理で対応するしかなかった。インクレチンという物質はアメリカ毒蜥蜴のヨダレから発見された。これは血糖を増加させるグルカゴンの分泌を抑制し、体重を増加させないなどの好ましい効果もあり、期待されている薬剤である。自分も9月にHgA1cが9になり、治療が必要と宣告されてしまった。そこで処方されたお薬が新薬「ネッシーナ25mm」である。毎朝25mg1錠だが、2か月で1.5下がった。効果は高い。その事は動脈硬化の進行も抑える。血液中の糖分により血管が硬化するからだ。その薬理は次の通りだ。

食事をするとグルカゴンというホルモンが小腸から出て血糖値が上昇する。すると、健常者はインシュリンが分泌され、血糖値を下げる。しかし、高齢になると、また、肥満になるとそうしたインスリンの働きがうまくいかない。このあたり高校生でも知っている。そして、糖尿病の人はこのインスリンの量が不足するので、注射でこれを補給しなければならなかった。また、食事療法や運動で消化することも合わせて行なってきた。ところが、近年、インクレチンという血糖値が高いときだけ分泌されるホルモンがあることが分かった。血糖値が上がると、様々な障害が発生し、特に、血管、特に動脈が硬化してしまう。このインクレチンはGLP1とGIPという二種類のホルモンからなる。GLP1は膵臓のβ細胞にあるGLP1受容体に結合、GIPも同じく、膵臓のβ細胞内にあるGIP受容体に結合する。すると、細胞内のATPがアデニル酸クラーゼという酵素によってcyclicAMPに変換される。これがカルシウムチャンネルを開き、カルシウムイオンを細胞内に入れることによって細胞内インスリンを分泌するインスリン分泌顆粒を刺激し、インスリンを分泌する。また、GLP1は肝臓のグリコーゲンを分解してグルコースを作り出す「グルカゴン」の分泌を抑制する。インクレチンはDPP-4(ジペプチジルペプチダーゼ-4)という酵素によって分解されます。そのため、このDPP-4を阻害することができれば、インクレチンの濃度を高めることができます。その結果、糖尿病を治療できるようになります。そして血糖値を一定に保つ働きをするホルモンであるインクレチンを分解する酵素(DPP-4)を阻害するのがネッシーナです。/span>ところが、このインクレチンは血糖値が80mg/dl以下になるとその作用がストップするために従来の薬のように低血糖にならないという利点がある。この薬が、アログリプチンー武田製薬の商標名ネッシーナである。


山田祐一郎(秋田大学)先生論文より引用
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私たちは中国でなにをしたか元日本人戦犯の記録

著者:中国帰還者連絡会編 

発行:新風書房(四六版 234頁)

発売:1995425日 定価:1800

 戦争というものがいかに狂気に満ちたものかを、また、大日本帝国陸軍の非人間性、残虐性を証言している。このような告白は、ベトナム戦争においても「Winter Soldier(1975年)ベトナム帰還兵の証言」という映画で行なわれている。ナチスのSSによるロシアやフランスでの多くの殺戮も同様明らかにされているのである。これらが、無かったこととはいえないだろう。戦争だから、日本軍だけではなく、国民党軍も共産軍側に対しても互いに酷いことをしていたはずだ。もちろん米軍の原爆投下や東京大空襲は戦争犯罪である。戦場になった所は悲惨である。勿論戦勝者のこれらは明らかにされない。この本に書かれていることを洗脳による虚偽の告白と言う御仁もいるだろう。しかし、この本だけではなく、自分自身、戦時中に中国戦線を体験した先輩達から似たような告白を聞いたことがある。友人の家に行ったとき彼らの父親の中国での従軍写真にむごい写真が沢山あった。大日本帝国陸軍は何も正義の軍隊ではない。中国人から見れば鬼の軍隊なのであることは間違いない。自分の祖父は九州で牧師をしていたが、教会に来た中国帰還者が、捕虜の首を刎ねた罪悪感に悩まされ告白してきたことも、祖父から聞いた。皆忘れようとして語れないことが多くあるのだ。数が過剰だとか、証人の所属部隊が間違いだ。だから無かったというのあまりにも無責任である。戦闘行為は殺人でも不法行為では無い。戦争は殺人を正当化するが、負けた途端に、犯罪となる事も多い。

 大日本帝国陸軍が中国で行なった中国人に対する残虐行為、友人の家にあった写真集、満州で首を切られた捕虜の死体などの写真で見たが、日本軍が中国で行なった行状に関しては惨い事が多々あったのだろうと推測は出来る。多くの兵士が突刺し訓練と称し、捕虜や民間人を殺した。ゲリラへの尋問後無実でも拷問の痕跡を消すために殺した。強姦は認められていなかった。厳しく処罰されるが故に殺した。当然証拠隠滅、軍規が厳しいから略奪婦女暴行は無かったなどという事を信じる人はいないのではないか。日本軍は補給無視の現地調達である。南京での写真が、虚偽だと言って、全てが無かったと言っても日本人でも信じない。特に八路軍のゲリラ活動が行なわれた地域は日本軍は相当手を焼いたはずで、ゲリラ活動を抑えるには住民もその一味と考えて、しばしば皆殺しが行なわれることは、ナチスのフランスレジスタンスに対する戦法、ベトナムでの米軍の村落での残虐行為などを見ても明らかで、戦争の最も過酷な一面である。当たり前に行われた時代もあった。日本軍にこうした行為が無かったとみるには無理があるだろう。しかも、これを行なった兵士が公に証言することは難しい。中国はこのことを歴史的記録に残すことに躍起となった。そこで、彼らは、シベリアに抑留されていた日本軍の捕虜1100名を中国に移送し、彼らが中国で行なった残虐行為を自白させた。中には誇張もあるし、立証が難しいものがある。中国での日本人戦犯(中国抑留者 )は2組に大別。 一組はソ連に抑留後、1950(昭和25)年に中国に引き渡された969人、降伏した日本軍の投降官となった閻錫山(えん しゃくざん)の強い要請で、山西省に残留した第1軍関係者だった。ソ連からの969人は「撫順戦犯管理所」に、後者の140人は「太原戦犯管理所」 という「監獄」に収容された。収容者のほとんどは、1956(昭和31)年に帰国(起訴免除)した。短い人で中国に6年間、ソ連に5年間、あわせて約11年間の収容所生活を余儀なくされた。帰国者たちの「手記」の一部が本として公になり、これがあまりにも酷い内容で、彼らは特殊な環境の中で「洗脳」されたという見解を持つものも少なくない。自分はこの証言集を年末に読んだが、彼らは毛頭洗脳されたと言う感覚が無いが、洗脳やマインドコントロールというのはそのようなものかもしれない。 彼らの証言を洗脳の結果として葬り去るには、無理がある。中国側の対応や、彼らがどのような行動を収容所で取ったかという証言を読むとそのリアリティに心を動かされる。これらを嘘だと言って葬り去るのは簡単だが、戦時中の日本人の中国人に対する蔑視感情や、731部隊で生体実験を行なったことを否定することも出来ない。日中戦争だって、国内では不拡大路線を主戦論者が押し切り、時には暴走し、防衛で済むところを侵略と言われても抗弁できないところに至ってしまった。その政策ミスを反省もせず、責任者を弾劾することなく、正当性を主張している連中は世界を説得できない。加害者の常套句は命令には逆らえなかった、召集されたので好んで来たわけではない。天皇の命令は絶対だということで、これはナチスのアイヒマンも使った自己弁護で被害者には全く説得力が無いのである。洗脳かどうかはともかく、中国の狙いは戦争中の日本人の国家観、また、中国から無事に帰還した兵士達が、中国で行なった行状を無かったかのごとく封印し、又、告白した人々を異端視する一部の右翼連中に対して、中国は国際社会において、その記録を公開し、訴え続けるだろう。裁判記録は2015年になって中国各所で公開されている。まさにこのために撫順での彼らの工作は周到に行なわれたのである。この加害者証言と被害者証言が一致していれば歴史的にはもう否定できない。いくら日本会議の連中が帝国陸軍は正しかったといっても、安倍の取り巻きがわめこうが、石原慎太郎が怒っても、桜井よし子が吠えても、弁護士出の稲田朋美が百人切りは無かったと言おうと、残念ながら世界で認める国は無い。過去の解釈に勝ち目がないのである。中国が日本に要求する歴史認識というのは大日本帝国の犯した中国人に対する犯罪行為を忘れるなということである。しかし、過去を日中で共有することは実際は難しい。それぞれ言い分があるからだ。自分は何を言いたいかというと日中国交回復時に田中角栄と大平正芳が周恩来と交渉したときのguilty conscious という前提を忘れてはならない。そしてそこから未来志向を互いに共有し合うことである。


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猫の妙術という話がある。武道の達人を猫のネズミ捕りに例えている。剣の達人がどうしても捕まえられなかった暴れネズミを老猫がいとも簡単に捕まえてしまう。

猫が会話をしている。ネズミを捕る優秀な猫が自慢をしてその方法を説くが、その老猫はその道の奥行きを語るのであった。要は、老猫はいつも寝てばかりいて、何もしないように見えて、いざとなると一瞬にしてネズミをつかまえる。剣でいうと抜く手を見せない、あるいは、相手と斬り合わず、一撃で倒す老剣士のことである。普段は全く単なる眠り猫である。我が家の猫はまさにその域ではないかと思うことがある。
我が家の飼い猫キャーチャンは12歳になるおじん猫でいつもはゴロゴロしているがネズミ捕りは達人で、いつの間にかネズミを捕まえては部屋の隅などに展示してくれる。先日は猫にとって最愛の長男の寝床の枕元の横にご持参した。朝、やけに鳴き声がするので目を覚ました。起きろと手で寝ている長男を揺り動かすので、みると横にネズミの死骸が横たわっていた。最近天井裏でゴソゴソ音がするのでどこからかネズミがやってきたなあと思っていたら、やってくれた。
獲ったネズミを横に誇らしげにしている。初鼠狩というわけ。そもそも、人間と猫の関係は、人が農業を始めた時以来、猫は人間の倉庫や家にいる鼠を捕り始めたようだ。野原よりも、確実にねずみがいるのは人間のいるところだからだろう。鼠を捕らない猫は多い。餌がある家猫は捕らなくなるそうだが、キャーちゃんは元野良ちゃんだったから上手いのだろう。
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以前、凄いシーンを見てしまった、それは階段のところに二匹のネズミを追い詰め、階段の段差でネズミが逃げないように威嚇し、ネズミは怯えていた。一瞬、一匹を自分の腹の下に抑え込み、もう一匹を手で転がして痛ぶっている姿を見たのだ。階段の上から何やらキャーチャンが真剣に向き合っているので何かなあと見たら、その現場であった。一度に二匹とは相当な達人である。感心なことに、一滴の血も流れていない。後で階段に転がっていた二匹はショック死しているようにも見えた。

今日もネズミの暗殺者キャーチャンは何事もなかったかのごとく、じっと窓辺に佇んでいる。
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猫の妙術

勝軒という剣術者がいた。

勝軒の家に大きな鼠が一匹いて、白昼堂々と部屋中走り回わるので、勝軒はその部屋を締めきって、飼い猫に鼠を捕らえさせようとした。 しかし、その鼠は飼い猫の面に飛びかかりあるいは、喰いつくなどしたので、飼い猫は泣き声をあげて逃げてしまった。 しかたなく勝軒は、近辺から抜群に強そうな猫を集めて来て、すこし隙間を開けて部屋に追い入れたものの、くだんの鼠は床の隅にいて、猫がくればとびかかり、喰いつき、あまりにも凄まじいものだから、猫どもはすべて尻込みしてしまい、どれ一匹として鼠を捕ろうとしない。

この様子を見ていた勝軒は腹を立て、自ら木刀を持って鼠を追い、打ち殺そうとするが、木刀はまるで鼠に当たらぬばかりか、戸障子や襖を叩き破ってしまう始末。 勝軒は大汗を流しながら、下僕を呼ぶと大声で言った。「六、七町先に、並々ならぬ古猫がおると聞いている。すぐに借りてきなさい」

早速、借りてきた猫を見れば、あまり利口そうでもない。が、かの部屋に入れると、例の鼠は身をすくめてしまって動かない。古猫は何事もなげに、のろのろと鼠のそばへ歩み寄ると、難なく鼠をくわえて戻ってきた。

その夜のことである。勝軒の家に多くの猫どもが集まり、かの古猫を上座に講じ、いずれの猫どもも、その前にひざまずくと古猫に言った。 「われわれは抜群の猫を称賛れ、その道の修行を積み、鼠ばかりかいたち、かわうその類まで捕らえられるほど、爪も磨いて研鑽してきた。 しかしながら、いまだ今日のような強い鼠に出会ったことはなかった。それを御貴殿は、何の術をもってか簡単に捕らえられたが、願わくば、我らにもその妙術を教えていただきたい」すると、古猫は静かに笑って言った。「若い猫のみなさん。みなさんは、一生懸命に働かれたではありませんか。ただ、思わぬ不覚をとられたのは、いまだ正しい道理にかなった技法をご存

知でないからでありましょう。まずは、みなさんの修行のほどから、お聞きすることにしましょう。」

古猫の言葉に、鋭い顔つきの黒猫が一匹前にすすみ出て言うには、私は鼠を捕獲する家柄に生まれ、以来、その道に心掛けてきた。七尺(約2メートル)の屏風を飛び越え、小さな穴にもぐり、小猫の時から早業、軽業を得意とし、ときには、眠ったふりをして策略をめぐらし、不意に桁や梁を走る鼠といえども、一度として捕り損じたことはなかった。ところが今日、思いの外の強鼠に出会って、一生の不覚をとり、はなはだ心外に思っている、と。

聞いて、古猫は口を開いた。「ああ、あなたの修行は技法第一主義というもの。したがって狙う心が先に立っているのです。昔の人が技法を教えたのは、その道筋を教えんがためで、ゆえに、その技法は容易ではなかった。その中に深い真理があるのだが、今日では技法だけを専らにし、ために種々の技を創り、技巧をきわめるので、単なる技くらべになってしまった。 それでは、技巧が尽きれば、どうにもなりますまい。小人が技巧に走り、才覚に溺れると、すべてそのようになろう。心の働きといえども、道理にもとづかず、巧を専らとするときは、かえって害の多いもの。これを反省して、よくよく工夫することでしょう」

次に、虎毛の大猫が一匹まかり出ると言った。私の思うに、武術は気の持ち方を貴びます。ゆえに、気を練ることに長い修行をつづけてきた。そのため今はその気力も固く強く、天地に充ちている。気合でもって敵を倒し、まず勝利して後すすみ、声にしたがい、響きに応じて、鼠を左右につけ、変化にも応じることができる。 行動するにも意識せずして、自然に湧き出るごとく振る舞うことができ、桁や梁を走るも可能だ。 ところが、彼の強鼠は来るに形なく、往くに跡がない。これはどういうことなのでありましょうか。古猫がゆうには、その修練は、気の勢いによって働くものでしかない。つまり、自らの気力をたのみとするもので、最善のものではない。われ破らんと欲すれば、敵もまた破ろうとしてくる。また破ろうとして破れぬもののあったときはどうするか。 決して己だけが強く、敵はみな弱いというものではない。天地に充がごとき気と思っているものは、すべてうわべだけの勢いでしかない。それは孟子の浩然の気と似て、実はまったく相違するものなのだ。孟子はよく

見える目を持ち、物事を見分ける知力を備えて剛健だが、あなたのは勢いに乗じた剛健である

から、その効果のほどもまた同じではないのだ。 たとえば、滔々と日夜流れる大河と、一夜のきゅうそ

洪水の勢いとの違いというもの。気勢に屈しない敵があるときはどうするのか。俗に窮鼠猫を噛むのたとえもある。そのような敵は、必死になり、生命を忘れ、欲を忘れ、勝負を度外視し、身の安全など心中になく無心である。こうした敵に、勢いだけでどうして勝てようか。

古猫の話しが終わると、灰色の少し年を経た猫が静かに前へ進みでて質問した。 「仰せのとおり、気は旺盛ではあっても象(かたち)があり、象のあるものは微小であっても見えるもの。私は長く心を鍛練して、気勢をなさず、相争うことなく、何事も相和してきた。私の術は幕を張り巡らせて、つぶて(石)を受けるようなもので、強鼠といえども、私に敵しようとしても相手ではない。ところが今日の鼠は、勢いにも屈せず、和にも応じず、まさに神のごとくで、私はいまだにこのような鼠をみたことがない」

灰色の老猫の話しに、古猫は答えて言った。「そなたの和は自然の和ではなく、考えてなせ

る和であり、したがって気をはずさんとしても、僅かな妄念が生じれば、敵はそれを知るので

にご だある。また、私心をはさんで和をなせば、気は濁って惰してしまうものだ。思い考えてなせば、

なにごとも自然の感をふさいでしまうため、妙手はどこからも生じない。 ただ、思わず、なすこともなく、感にしたがって動けば生ぜず、天下に敵すべき者はいなくなる。 とはいえ、各々が修行するところのものを、すべてが無用のことというのではない。気のあるところ必ず理があり、理のあるところ必ず気は離れずにあるから、動作の中に理に至るものはあり、気はまた一身の用をなすものである。 その気がおおらかなるときは、物に応ずること無窮(むきゅう)で、和する場合は、力をもたずして金石に当たろうとも、けっして折ることもない。わずかに思考することが、すべて作意となってしまうのだ。ゆえに敵する者は心服しない。 なんの術をも用いる必要はない。ただ無心に、自然に応じられるがよかろう。道には極まるところはないから、私のいうところをもって至極と思ってはならない。 昔、私の郷に猫がいた。終日眠っていて気勢もなく、木で作った猫のようであった。 人々も、その猫が鼠をとるのをみたことがなかったが、その猫のいくところ、近辺に鼠の姿を見ることはなかった。そこで、私はその猫のところへ行き、その理由を質したのである。が、その猫は答えず、四度も問うたが、四度とも答えなかった。これは答えなかったのではなく、答える理由がなかったのであった。 それでわかったことだが、真に知るものは言わず、言うものは真を知らないものだ。その猫は己を忘れ、ものを忘れて無物に帰していたのである。まさしく神武にして不殺(註)というものであった。私もまた彼に、遠く及ばなかった」

古猫のこの話を、勝軒は夢のごとく聞き入っていたが、やがて、古猫に会釈するとやおら口を開いていった。「私は剣術の修行をはじめて久しいが、いまだその道を極めることができないでいる。今宵は各々のお話しを聞いて、ずいぶん悟るところがあった。願わくば、なおその奥義を示していただきたいのだが・・・・」

古猫曰く、「否。私は獣であり、鼠は私の食するところのもの。私がどうして人のすることを存じましょうや。しかしながら、私がひそかに聞いたことがある。それ剣術は、専ら人に勝つためにあらず。変に臨みて、生死を明らかにする術なりと。武士たる者は常に心を養い、その術を修行しなければなりません。ゆえに、まずは生死の理に徹し、不疑不惑、才覚・思慮を用いずに、心気和平にして、静かに安らかで平常心であれば、変化に応じることは自由自在となる。 だが、この心にあらざる場合は、状(かたち)が生じ、敵が生まれ、相対して争うことにもなって、変化に適応できなくなるのだ。つまり、己の心が先に死地に落ちて霊明さを失うので、どうして快く勝負が決せられよう。たとえ勝つことがあっても、それはまぐれ勝ちでしかなく、剣術の本旨ではない。 無心無物といっても、空しいといったようなものではない。心はもともと形もなければ、したがって物を蓄えることもできない。そこの僅かでも蓄えるも

のがあれば、気もまたそこへ拠ろうとし、そうなれば豁達(かったつ)自在に在ることはむつ

あふかしくなる。向かうところは過となり、そうでないところは及ばなくなり、過は勢い溢れてと

どまらず、及ざるときは用をなさなくなり、ともに変化に適応できなくなるのだ。 私がいうところの無心、無物とは、蓄えず拠らず、敵もなければ我もなく、易にいうとこの思うことなく、なすことなく、ひっそりと動かず、天下のことに感じてついに通ずで、この理を極めるに近い」

そこで勝軒は、再び質問した。「敵なく、我なくとは・・・・」

古猫はいう。「我あるがゆえに敵があるのだ。我がなければ敵もあるまい。敵というのは、陰・陽・水・火と同様である。およそ形あるものは、かならず対するものだ。己の心に象(かたち)がなければ、当然、対するものもないわけで、争うこともない。これを、敵もなく、我もなしという。物と我ともに忘れて、静かに安らかに、一切の妄念を絶てば、和して、一つになろう。 敵の形を破っていても、我もそれを知らない。否、知らないのではなく、そこに心がなく、感のままに動いている、ということであろう。この心は世界は我が世界であって、是非、好悪などにとらわれないことを指す。すべては、己の心から苦楽・得失が生じるのであり、天地広しといえども、また、己の心の外に求めるものはないのである。 古人曰く、眼裏塵(ちり)有りて三界窄(すぼ)く、心頭無事一生寛(ゆたか)なりと。すなわち、目の中に僅かのちりが入れば、眼を開くことができない。外来、あるべき筈のないところに、ものが入るからそうなるわけだが、これは先の心のたとえなのである。 また、古人の曰く、千千万万人の敵の中に在って、この形は微塵になるとも、この心は我が心なりと。孔子曰く。匹夫も志を奪うべからずと。もし、迷うときは、その心が敵を助けるのだ。私のいうことは、ここまでである。あとはただ、自ら省みて己に求めることだ。師はその事(わざ)を伝え、その理を悟すだけだ。その真を得るのは、我にある。これを自得という。あるいは、以心伝心ともいう。禅学だけではなく、聖人の心法から芸術の末に至るまで、自得のところはすべて以心伝心である。教えるというのは、己に有っても自ら見ることのできぬところを、指して知らしめるだけである。師から授かるのではない。 教えるのも易く、それを聞くのも易い。ただし、己にあるものを確実に見つけ、己のものとするのは難しい。これを修行上の一眼目という。悟りとは、妄想の夢のさめたもので、覚(さとる)ということとも同じであり、格別変わったことではないのである。(註)周の文王を賛えた言葉。文王は神のごとき武勇をそなえながら、あえて兵を興さず、人を殺さすに、泰然としてときを待ったという。


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曽野綾子氏と桜井よし子氏の論は説教ばばあ

 桜井よし子は曽野綾子と並んで、今の保守の女神である。曽野綾子は80のおばあちゃんだ。彼女の小説など読んでも時間の無駄だからその気にならない。ところが、産経新聞などのコラムに書くから時々読んでしまう。どのあたりに注意すべきかを頭に入れて読まないと変な洗脳をされてしまう。曽野綾子はかつて美人の才女として女性の憧れであった。彼女はは大所高所に立ったご意見をのたまう資格があると思い込んでいる。曽野綾子の論調はお決まりだ。読者はインターナショナルな感覚が無く、日本の常識に従って物を考えるが、どっこい世界はそうじゃないよ。お人好しはこの世で生きていけない。自分は世界を知っている。世界は無理解と暴力に満ち溢れて、罪深い人間は本来そのようなもの。日本は幸せな国だからあなたのように何も知らない人は批判するのは問題だ。自分はカトリック信者として、弱い立場に奉仕する修道女のことも知っている。皆さんは知らないでしょう、だから私の言うことを良く聞きなさい。という婆さんの説教なのである。
桜井は結構、お色気も漂わせ、媚を売りながら、右翼受けする政治論を展開する。彼女の場合、まだ中年オジサンがフラーっとなるクラブマダムみたいなファッションで目つきも怪しく論陣を張るから困る。特に、韓国従軍慰安婦、沖縄、中国の反日に関して、舌鋒鋭く、テレビが舞台。桜井の政治論は彼女のにわか勉強からなり、自ら主催している桜ライブ、右翼ネット放送「桜チャンネルで」で活発に発信している。彼女は韓国や中国の歴史認識こそ問題であるとか、日本の左翼や平和主義者に対しても厳しい問いかけを行なう。一体何故彼女が国防についてあれだけ論陣を張るのかよくわからない。女性だからという自分の保守的感覚もあるのかもしれないと自省しつつ不思議に思う。彼女は軍事とか、戦争について一家言あるらしい。日本の左翼の天敵と言ったらほめすぎかもしれない。彼女はとりわけ、歴史認識に関しては声が大きくなる。日本は平和ボケである。国際的にもっと自己主張せよ。憲法は改正すべし。東京裁判は間違っている。である。不思議と天皇陛下に関しては避けているのは、今上天皇が平和主義者だからだろう。彼女の特徴は、いつも政府には強硬な弱腰批判、左翼には彼らの理想主義への非現実性批判、上から目線の外交知識の披露、決まったことは守れ式の体制護持主義が特徴である。彼女はアメリカ留学者に特有の「合理主義」で日本の伝統主義や、特には弱者の愚痴を強者の論理で叩き潰す。一方、周囲の喝采を浴びる期待が見込める場合は弱者の立場に立った権力者批判「血液製剤事件の安部教授批判が典型」を行なうが、あくまでも、彼女の商売のタネである事を忘れてはならない。物知りのようだが、林先生には遠く及ばない。このあたを踏まえて彼女達の意見を産経新聞で読んだり、テレビの報道番組プライムニュースなどのソフトな口調での舌鋒にも洗脳されずに済む。分かってくると特に見る気もなくなるが。説教ばあさんの二人は自分のような団塊世代にとってあまり魅力が無い。我々の崇拝する女性は「美智子妃殿下」と永遠の憧れである「吉永小百合」である。二人とも姿も、心も美しい。

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 あの、人の良さそうな、お坊ちゃま宰相、安倍晋三総理の別の側面を海外のマスコミは鋭く取り上げている。安保法制から70年談話にいたる安部首相の言動は憲法改正を少しも切り出すことなく、韓国や中国との政治交流回復に向け着実に成果を上げている。経済再生途上であるが、株価も円高も是正され、TPPも合意した。ここで国民は安心してよいのだろうか。しかし、外国人記者は別の側面を見ている。日本の事情を知らない外国人記者がいい加減な記事を書いているということではすまされない内容ではないだろうか。我々の気づかない部分を見ている。彼の背後にいる怪しい勢力の正体か、いや、何もしないフリーメイソンか?フランスの週刊誌L’Obsの記事を紹介しよう。安倍首相の影の勢力を、何故か日本のマスコミは取り上げない。怖い怖い!
Japon
LA FACE CACHÉE DE SHINZO ABE(アベシンゾーの隠された顔)

それは国際政治で、大幅に無視されているとはいえ、主要な事実だ。世界第三の経済大国である日本は、数か月前から、(総理大臣、安倍晋三も含めて)閣僚の4分の3が、歴史修正主義で権威主義の極右団体、「日本会議」と呼ばれる、目立たないが影響力のある団体に属していることだ。

 2012年12月に政権に復帰したとき、安倍晋三が、新自由主義的であると同時に戦前に郷愁を抱く強硬な右翼出身の政治家であることを知らない者はなかった。プーチンやインドの国粋的指導者モーディを称賛していることも知られていた。 祖父の岸信介が1932年に大日本帝国によって併合された満州のナンバー2であり、1945年の敗戦の後、A級戦犯として投獄されていたことも、誰もが知っていた。

  しかし明らかに、反動的で反民主主義的なイデオロギーへの安倍晋三の政治的根強さは過小評価されていた。「数か月前まで、安倍の最終目的は有名なアベノミクスによって日本経済を立て直すことだと多くの人が考えていた」、と上智大学‘国際教養学部)教授の中野晃一は分析する。

 「今日、平和的で自由で民主的な憲法の根本的な改変を日本人により容易に”売り込む“という目的のためだけに 経済的成功を追及しているのではないかと疑問視されている。 そうして、彼が1997年の創設時から加入している団体、日本会議に特有の、帝国主義に憧れを持つ、古い秩序への回帰を押しつける目的でも。」

 「逆説的だがこの非常に重要な団体は 日本では未だに真価を認められていない」、「その出発から、日本会議はレーダーに現れないようにあらゆる注意を払ってきた。広告も出さないし、テレビにも出ない。戸別訪問的な活動をしながら、視線の及ばないところで前進していた。その集会はメディアに開かれていない。そして、会員たちには会談の間も、写真を撮る権利もない。」 

 この信じられない「ステルス性」にはもう一つの理由がある。 「日本会議は、より反動的な、地方で発展してきた」と、日本の右翼運動の専門家である法政大学の政治学者、山口二郎は説明する。 「2012年12月の安倍内閣の指名と、さらに昨年秋の内閣改造後、日本会議所属の閣僚の数がさらに増えて、その強大さに面食らうまでは 大手メディアは、元々ローカルだったこの団体を見下していた。」

 日本会議は1997年、一つは満州侵略を率いた帝国軍元司令官によって、もう一つは主に神道の宗教団体によって設立された、二つの極右団体の合併により生まれた。 「反動的で1930年代に郷愁を抱くこれら二つの集団は、日本が戦争中に行った残虐行為の過ちを告白することに耐えられなかった。彼らによれば、日本人は帝国に誇りを持たなければならなかった」と、山口二郎は説明する。

 1995年8月15日、村山首相が有名な謝罪宣言を述べた。 日本が、「植民地支配」を押し付けるためにアジア諸国を「攻撃した」ことを、日本の政府のトップが初めて、公に、そして公式に認めたのだ。 その日、世界は第二次世界大戦終結の50周年を記念していた。 

 反動主義者と超国粋主義者には、もう我慢できなかった。「分裂したままではイデオロギー闘争に敗北しつつあったと理解したときに、合併した。」 反論し、新しい運動、つまり日本会議を建設することが急を要した。 新しい団体の事務総長職は、1970年代の極右学生のリーダーで、今も強大な力を持つ、椛島有三なる人物に委ねられた。そしてこの団体は今、3万5千の会員と200の支部を数える。

289 PARLEMENTAIRES MEMBRES    (289人の議員メンバー)

 安倍晋三は1997年に国会議員になると同時に 「日本会議」に、次いで日本会議を支持する議員団体に加入する。 「当時彼らは、保守のジミントーでも周辺的だった」と、中野晃一は言う。 「20年近く経った今日、彼らはジミントーと内閣を席巻している。そして日本会議は、国会の40%に相当する、289人の議員を集めている…」 

 彼らのスローガンとは? 戦後の日本、「アメリカに押し付けられた」制度と生活様式から決別することだ。 彼らは、「勝者の正義」、戦争犯罪人を裁いた東京裁判の正当性を認めない。 彼らは歴史を自らの味付け、敗者の歴史を書き直したがっている。 日本帝国はアジアの民衆を「解放した」と声高らかに断言したい。 1938年の日本軍による南京大虐殺は作り事であり、 民間人に変装した数百人の中国兵が死亡しただけだと 主張する。

 日本会議の歴史修正主義者らは、 「慰安婦」は勇敢な日本兵を慰めて月末に手取りを増やして喜ぶ、単なる自発的な売春婦だったと断言する。

CHANGER LES LIVRES D'HISTOIRE   (歴史書を変えること)

日本会議の目的は、歴史書を書き換えることだ。 中学校の教科書は、歴史学者の視点と同じく論争中の問題に関して「政府の公式の立場」を言及しなければならなくなる。 「別の言い方をすれば、歴史修正主義のぱっとしない教師が、南京で民間人の死者はなかったと断言すれば、それが我々の子どもたちの教科書に書き込まれることになる」、と政治学者の中野晃一は説明する。 教育に関して、日本会議は「愛国」教育への回帰を熱望する。 彼らの夢は、1890年代の帝国時代の法 (天皇への全面的な服従) にできるだけ早く近づくことだ。 

 これで全てではない。「アメリカの圧力下で」採択された、1947年の平和憲法を、日本会議は根本的に変えようとしている。 その最初の標的は、第9条だ。 この中で日本は「戦争を、永久に放棄」している。

 国粋主義者は世界のどこでも(派兵でき)、そして「自衛力」だけではない軍隊を望んでいる。 「安倍と日本会議にとって、第9条の廃止は決定的に重大だ。なぜならこの条文が軍国日本との決別を意味している からだ」>
 運動は既に進行中だ。 昨年7月、政府は初めて、「自衛隊」が日本の国土を離れて同盟国を助けることを憲法9条が認めていると断言して、同条の解釈を変更した。 それが最初の突破口だ。 日本会議は他の条文、最初に婚姻における男女の平等に関する第24条と決別するために、そこに殺到しようとしている。 彼らにとってもちろん、夫は全ての領域で配偶者を支配しなければならない。 彼らはまた、戦前の風習に戻ることを望んでいる。 学校では、まず男子、次いで女子の五十音順で点呼されること…  

 戦後の裁判で裁かれた戦争犯罪人を含む、死亡した兵士が祀られる、靖国神社に国家が関わることを邪魔する、宗教と国家の分離に関する16条も廃止することを目指す。 最後に、明らかに、日本会議は天皇が、日本の政治の中心に戻ることを望んでいる。

 安倍とそのお友だちの反動主義者は、どこまで行くことができるだろうか? 日本の誰もが、第二次世界大戦終結70周年記念の8月15日に首相が発するに違いない声明を待っている。 前任者と、どの位まで距離を置くことになるだろうか?

 「ホワイトハウスは、地域の他の同盟国を失う恐れがあるため、余りにも反動主義の臭いがすることは受け入れられない。」 

 安倍の目的は、2016年7月の参院選を利用して、国会で憲法を変えるために必要な圧倒的多数を得ることだ。 それができるだろうか?  「日本会議はエリートの運動だ」、中野晃一は 「大多数の国民は、その思想の大部分に反対している。 しかし受身的な国民性のため、 アベノミクスが上手く行っていれば、国民は されるがままになりかねない。」 と言う。

 今のところ 思いがけない人物が これに対する抵抗勢力となっている。 それは81歳の天皇、明仁だ。 さる1月、新年の祝辞に際して、天皇は暗に、 歴史の反動的な解釈に反対であることを示した。 2月、長男である皇太子、55歳の徳仁殿下はさらに雄弁だった。 極めて稀な記者会見の席で、皇太子殿下は、戦争の歴史が「正しく伝えられる」ことを望んだ。

皇室は今や、日本の自由民主主義の最も優れた盾となっている。
                                               L’OBS/No2637-21/05/2015

 これは 日本の週刊誌の記事ではない。 『フランス』のものだ。 日本の テレビや新聞などよりも はるかに詳しく掘り下げた報道をしているる。 フランス人が いかに 文化的であろうと、 一般庶民が日本に対して これほどの情報を望んでいるとは思えない。 そういう 知識階層に向けた記事であろう。

 日本での情報と言えば、『火病』に陥った 韓国の大統領が あちこちで「日本の悪口」を言いまくっているが、 諸外国からは 迷惑がられ 最も嫌われた国になっている。 「慰安婦」の ねつ造がばれて、にっちもさっちもいかなくなっている、というたぐいの話ばかりである。 現に このブログを書く時にも どなたかが書かれた 「韓国崩壊」の本のCMが ずいぶん前から出ている。

 中国に関しても、 世界から嫌われている --反対に 日本は好かれていると言いたいのだが -- その原因が 「平和の国」であることを理解していない人々が そういうのも 滑稽だが … と数多の情報があるが、 中国を直接 調べてみると 連日のごとく 欧米をはじめとする首脳が 訪問している。 中には 「日本」と親しいと思われる国でも、 すぐそこまで来ているのに 日本によらずに 訪中している。 とても 「世界が敬遠している」とは思えない。

 イギリスの「ウィリアム王子の訪日」の際に 「英国王室」が発表した写真に 「安倍総理との写真がなかった」ことや、 ドイツの 「メルケル首相訪日」の際に 「朝日新聞社で講演会を開いた」ことなど、 -- そして 今回の『G7』の記事の写真に 安倍総理の姿がないことを含め -- 日本情報では とても理解できないことが 繰り返されている。 「慰安婦問題」では、 どう転んだところで、 日本の主張に「ヨーロッパ諸国」で賛成してくれる国は 1か国もない、と何度か書いたが、 そういう雰囲気しか 感じ取れないのである。

 日本という国、 そして 『日本人社会』が このようなものであるという認識が広まれば それこそ おおきな「国益を損なう」ことになるだろう。

彼の
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たいしたもん蛇まつり
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2016年正月、2日に長男と新潟県関川村にある鷹ノ巣温泉喜久屋に行きました。関川村は8月に行われる「たいしたもん蛇祭り」で有名です。村上市の隣、山形県との県境、JR米坂線の越後下関にある鷹ノ巣温泉、喜久屋は荒川の上流にあり、関川村から車で10分ほど。他に鷹ノ巣館の2つの旅館からなる小さな秘湯。国道から車が入り口に入るとすぐに駐車場があり、ここまでしか入ることができない
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。ここから、荒川にかかる吊り橋を渡り、鷹ノ巣館の奥に喜久屋がある。吊り橋の下には荒川が蛇行し、河原と清流が美しい造形美となっており、自然の庭園である。自分はこのような旅館への侵入路を見たことがない。
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 部屋は全て離れで、我々は2組で1軒を使い1階と2階で区分され玄関は共同となっている雪下という棟に案内された。部屋はワンルームの日本間で入り口にトイレやアメニティゾーンがあり、部屋の奥が浴室となっている。浴室は広く、ゆったりした浴槽と洗い場があるが、浴槽の隣には椅子があり、リラックスゾーンである。ユニークな間取りとなっている。窓の外のバルコニーの位置に露天風呂のある旅館が他にもあるが、ここは個室風呂となっている。

各部屋は離れで独立しており、料理の評判も良いので前から一度行きたかった。部屋は10畳ぐらいの大きな一室で窓側に掛け流しの風呂場がありました。露天風呂ではないのですが、浴室の間に脱衣スペースがついており、部屋から10秒で入浴できます。浴槽も大きくゆったりして、洗い場は別にあります。リクライニングのデッキチェアが置かれ、熱めの湯に疲れたら、休めるのでリラックスできます。冬などは露天風呂より良いと思いました。当日、関川村の温泉施設「ゆーむ」に大きな露天風呂があり、一人500円で楽しんできましたから、何もこの旅館に露天風呂がなくとも満足します。他の棟によっていろいろなタイプの風呂があるようです。窓の外が露天風呂になっていたり、内風呂と両方ある部屋もあるようでした。到着して食事前に一回、食後に1回、翌朝2回と、すぐに入れるので気楽でしたが午後、宿を出てから疲れ気味になり、湯当たりしてしまいました。とはいえ、温泉は堪能しました。
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食事は別棟の個室になった食事処でいただくようになっており、仲居さんがサポートしてくれました。先付けは山菜の盛合せ、前菜が7品もあって食べ切れるかなあと思いましたが、全部食べてしまいました。鴨ロース蕪巻、子持ち鮎甘露煮、鮭の酒びたし、カマス寿司、サーモンなどの村上らしい組み合わせでした。里芋のスープがお吸い物で、お造りは岩船のヒラメ、鰤でしたが、車海老が余計でした。車海老は地では取れないので、南蛮エビの方が良かったと思いましたが、当地では甘エビは安い食材なので敢えて入れなかったのでしょう。東京では高級です。胡麻豆腐、村上茶で頂く関川豚の鍋、京芋やクワイの煮物など、次から次へと出てくる のですが、最初に飲んだ日本酒が久保田の万寿、佐渡の北雪、オカンにした村上の大洋盛などを堪能するうちに平らげてしまった次第。
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