<   2015年 10月 ( 7 )   > この月の画像一覧

  自分は憲法第九条を守るべきだし、戦争は絶対反対、軍事力も最小限であるべきで、今の自衛隊は肥大化しているという認識である。しかし、今回の集団的自衛権の問題や安保法制に関しての反対運動には一言申し上げたい。70年安保世代である自分には、今回の反対運動の野党の指導力低下、意欲の無さにはあきれ返るばかりである。ことの本質を伝えない議論が続いた。盛り上がりもイマイチであったことはマスコミ報道にも責任がある。むしろ、国民は 日本が置かれている困難な状況を理解していると思う。だから、マスコミの報道する国会周辺の街頭行動の嘘(過大な参加者数など)にも動かなかった。ニュースキャスターの岸井や古館の人気取り的な反対論にも動いていない。60年安保時代には戦争体験者が社会の中核であった。岸政権に対する批判は大きかった。安保改訂の内容を飛ばして、米国追髄の政治家、戦争犯罪人としての岸の姿勢に憤りを感じたのだ。70年安保では沖縄の解放とベトナム戦争を大きく取り上げていた。今回、普天間のことと一体になった抗議活動は少なかった。SEALDsの「戦争反対」のコールはどこか間が抜けている。野党は沖縄のことと集団的自衛権のことを一体にしなかったのは何故だろうか。沖縄県知事の独り舞台にしている。残念なことである。
  先般、立教大学での討論会が施設使用不許可となった。これに対して、マスコミが反発、世の中反動的になってきたという風潮を煽っている。この問題に関して、自分の率直な思いは大学側の良識を評価したい。実は、自分のいる大学でも、この集団的自衛権に関する反対署名活動が行なわれ、自分は実は署名しなかった。それはいくつか思うところがあったからだ。それは大学というところは学問の府であり、様々な思想や言論が許されるところだと思う。東京大学ではアメリカの世界戦略に重要な知恵袋、ジョセフ・ナイを呼んで討論会を行なっている。さすがである。大学で、政治的な主張を行なうのは慎重でなければならないし、大学のレベルというものがそこで問われる。もし署名活動をするならば、学内でシンポジウムをするなど、賛成論と反対論、さらには国際情勢や国防に関する意見を戦わせてから行なうべきだと思ったからである。知性の府である大学が、それを省いて、他大学が行なっているからとか、一部の教員の思いだけで、大学の主張にすることには違和感を強く感じる。70年安保のときでも、大学の中で大学の広報を使ってそのような行動はしなかった。もちろん自分は、全共闘活動に参加もしたし、学生の側から、教員に対しても討論会を開き、また、団体交渉として議論をしたものだ。それが、まるで、どこかの井戸端会議で盛り上がって、署名活動になったような呼びかけにこたえるには、いくらぼんくらな自分でも、体が動かなかったのである。現時点では、大学の教員の本件に関する動きは全く見られないが、救いは、創立記念のシンポジウムが戦後70年を問うというテーマで、市民も参加したパネルディスカッションが行なわれ、良識ある発題も行なわれた。立教大学が反対運動のシンポジウムに場所を貸すということは、大学として何らかの政治的主張をすることになり、その準備が出来ていないうちに学外の反対集会に場所を貸すべきではない。大学当局の判断はまっとうであると思う。マスコミの圧力の方が理不尽である。安部内閣の数に物を言わせた横暴も問題だが、マスコミの意図的な報道姿勢には警戒しなければならない。彼らは視聴率さえ上げさえすれば目的が達成される。だから、どうしてもデマゴギーになりやすい。

 そもそも、今回の国会騒動は、本質が飛んでしまい、政党間のヘゲモニー争いが背景にあり、国防という問題、また、世界平和に関する国家のかかわりに関する議論が飛んでしまったことが残念だ。中国の軍事圧力は容認できるのか、また、国連が国連軍の紛争地における役割を強化したことへの対応など、新しい問題に日本がどう答えるかという課題を奇妙な議論で飛ばしてしまった。マスコミの格好のおべんちゃらを受けたSEALDsの活動は若者の率直な気持ちが現れていると思い、大切にしたいが、イマイチ大学生という知性を感じさせないし、国防や世界平和に関する意見が聞こえない。野党から提案があったのだろうか。学者たちも民主党など、野党のお先棒を結果的に担いでいるに過ぎないのではないか。今回の集団的自衛権の問題は、背後にアメリカの国防への日本の従属という側面が見える。しかし、日本の安保条約は昔からそうした側面があるのだ。アメリカだって、只で世界の警察官はをしたりはしない。自国の安全のためなのである。そこを政治的にわが国に利するように組み立てるのが残された国防の道なのである。振り返ればこれは民主党政権時代に尖閣諸島の防衛にアメリカの協力をいかに得るかという議論から始まっており、当時の政権は民主党であった。そこでは平和憲法下第九条においては、政府の解釈で条件に応じた集団的自衛権の行使容認しか道がないという結論に達していたという。当時民主党も、今の自民党も官僚の上に乗っているだけで、立法能力が無く、官僚の出す案に従うままだったのである。尖閣諸島の国有化、対中国の政策など、民主党政権はきわめて過激な行動を取っている。また、鳩山政権では、これまでの日米関係を断絶させるような言動が多く、日本は自主防衛の道をとるような方向付けがあった。冷戦終結後の日本の防衛・安全保障政策は、安全保障政策の変化に応じて、大きな進化を遂げてきた。92年のPKO法の成立以来、日本は述べ14回の国連PKOミッションに1万人を超す自衛隊員を派遣し、すでに20数年間にわたるグローバルな展開をしてきた。
その間、他国との国連での活動にも様々な問題点が挙がっており、これらを9条だけを頼りに従来の安保法制を構築することが出来ないのである。97年の日米防衛協力のガイドライン、周辺事態法の成立以降、尖閣諸島や北朝鮮の核、サイバーテロなど、日米共同で対処する枠組みも整えねばならない。また2000年以降南スーダン等テロの温床となりうる地域に対する人道復興支援を中心とした国際協力に自衛隊は厳しいリスクの中で活動を続けている。戦争と紛争、国家と国連の平和維持活動に従事する自衛官の安全を区別して語るべきであろう。

 尖閣諸島や防空識別権の拡大などの中国の国際ルールを無視した強引な行動に対して、また、北朝鮮の核に対して、政府はいったい何をすべきかについて何の意見もない。さらに、普天間問題に対して、代案があるかのようないい加減な鳩山の言動は問題の解決を遅らせばかりであった。沖縄問題に関しては、とにかく、沖縄の米軍基地を半減させる努力をしなければならない。普天間だけではないのである。しかし、辺野古は普天間より強力な基地が出来上がるではないか。という指摘もある。しかし、こちらから移転を実現させるには条件を悪化しても相手は応じないだろう。沖縄の実態として、膨大な基地の施設が他にあり、その賃借料で一部の沖縄県民がうるおっている。また、基地の経済も地域を支えている。先は辺野古移設を手際よく行い、海兵隊のグヮム移転を次の段階で勝ち取り、他の演習場などを返還する道をつけることである。このロードマップが見えないところに問題があるのだ。沖縄の負担軽減といった矮小な目標ではなく、沖縄米軍基地を嘉手納とその周辺に縮小させる道を具体化させてこそ沖縄の平和は始まるのである。
 南沙諸島で、中国が環礁を埋め立てるという暴挙に出ているが、アメリカがかつて、スピークス海軍基地とクラーク空軍基地という拠点を失ったために軍事的空白が出た。そこに中国はつけ込んだのである。平和という願いを中国や北朝鮮は平気で踏みにじる。そうした実態をどう見るのだろうか。アメリカは国際法を無視した国に対する対抗措置を艦艇の派遣という形で取ることは、当然、スケジュールに入ったことで、安部政権が安保法案の成立を急いだことはこの問題が見えているからである。いや、国民だって、何も極秘情報が無くとも予測がつくことである。

 集団的自衛権の容認を憲法改正で議論するということは第九条の大幅な変更を伴うことである。これは平和憲法を放棄する議論が強くなる。憲法九条を廃止したがっている勢力にとっても、今回は打撃なのである。国会で答弁した法制局長は改憲論者で今回の閣議決定の手法は彼らに改憲ー戦争を容認する国家への道においても障害なのである。また、日本が本当に中立的国家になることができるとすれば、国防は徴兵制も含め、戦力の放棄とは逆の方向で進めるのが外国の例から見ても常道である。スイスは国民皆兵制である。日本のように海岸線が長く、しかも、国際貿易立国においては、海軍力、航空攻撃力の保持は必須であり、これは既に現状において国民が容認している。日本が自力で国際情勢の変化に対応したならば必ずや膨大な国家予算がこれにつぎ込まれ、産軍共同体が肥大化し、かつてのような軍事大国の道を歩むリスクが高まるのである。イギリスの場合は英連邦という広大な協力体制があり、日本とは比較にならない協力体制があるのだろう。カナダやオーストラリアは大きな犠牲を払ってきた分イギリスの影響は下がってきた。これらの軍事同盟関係はどうなっているのだろうか。しかし、フォークランド紛争のときはイギリスだけで対応した。こうしたパラドックスをどう考えたらよいのだろうか。国民の知恵が問われる。

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「ドイツ写真家の見た新潟」ハンス=クリスティアン・シンク写真展のオープニング・レセプションに「写真の町しばた」の写真家、吉原さんのお誘いを頂き、いってまいりました。自分は新発田に来て4年目ですが、時々この金升酒造の前を車で通過するだけで、内部に入ったことが無かった。今回その蔵を使った写真展ということで写真の展示と、ハンスさんを囲んでの会に参加いたしました。e0195345_1435515.jpg
17時〜18時半、金升酒造二號蔵ギャラリーで行なわれ、作家を囲み、みなで作品を鑑賞しつつ交流を深める会となりました。
金升酒造に伺い、ビックリしたのは、昔の酒蔵がそのまま保存されていたことです。新発田市内には、市島、菊水、すみの井と4つの酒蔵があり、それぞれが個性ある経営をされている。レセプション終了後、新発田
市内の酒房おかん(居酒屋)で懇親会となった。写真の町しばたのスタッフの皆さんと語り合うひととtきを得た。「酒房 おかん」ではこだわりのお酒、金升の碧ラベル、菊水の無冠帝など、「こだわりの素材」 新潟の地物、日本海もの、季節の素材を使った、旬の味を堪能した。

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2号蔵を使った作品展示、豪華な蔵の空間と梁
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ロッジ遊山のご夫妻、仲睦まじいのは結構です。
お陰で気持ちよく宿泊出来ました。
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 10月18、19日と妙高高原の研修会に行ってきました。天気の良い日が続いています。宿泊はロッジ遊山という山荘風の民宿でした。豪華ではありませんが、夕食の料理や、朝食など満足でしたし、布団も丁度良かったのでお勧めです。
 朝から快晴で、ロッジのマイクロバスで、イモリ池から関所、池の平周辺を散策しました。妙高は昔からの宿場で北国街道の関所がありました。その関所が再現されていました。高田藩が管理を任されており、佐渡の金山の金塊はここを通過して江戸まで届けられたのです。昔は、新潟よりも北前船は佐渡を拠点としており、
この北国街道は中山道に通じる要所だったのです。それにしても、下越の新発田から、妙高までは3時間、約300KMあり、遠いという感じがします。帰りは最近開通した上越妙高から北陸新幹線で帰りましたが、妙高から液までは車で40分は充分かかり、ずいぶん遠いし、駅周辺もガランとして淋しい環境でした。
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朝の妙高山はとても美しく、紅葉が始まっていました。

      イモリ池と妙高山
 
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     ロッジ遊山
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 今回TPPが合意したが、今後も前途は多難だ。先は、批准できるかどうか。アメリカが批准を大統領選挙前に行なえるかどうかも大きなポイントだが、オバマ大統領は共和党の支援を受けてでも議会を通したいだろう。ヒラリークリントンが態度を一変させ、反対に回っている。大統領選挙前に、一部の労働組合票が欲しいために方針変更したことがかえって批判対象になっているが、彼女が徹底抗戦するかは分からない。日本の場合は、これまた、安部政権は多数の論理で押し切るに違いない。TPPは多国間の実施期間が5年とか10年という期間条件が交渉材料になったので効果が出るのは10年以上先になるのかもしれない。経済は5年は先読みするから、数年後に産業面では影響が出てくる。今後日本の経済に、ジワリと効果?を発揮するのに10年はかかるだろう。多くの犠牲が出ることだろう。それだけ大きな出来事であることを国はどこまで自覚しているのだろうか。市場社会の社会構造が高齢化、国際関係の変化などで大きく変わる中、農業や既成の産業に改革や変化が出るのは必然であり、その一つがTPPであろう。国という枠をどこまで打ち破れるか。集団的自衛権問題もそのうちの一つの課題だ。
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産業遺産となった三井三池の竪抗

 自分は、かつて、三井鉱山という会社に父親が勤務し、副社長もしていたことから、子供のころから、一つの産業が崩壊していく様を生活体験とともに傍観してきた。自分の今は亡き家内の実家も、かつては一部上場の雄別炭鉱といいう三菱系の石炭会社役員で、石炭産業の崩壊は悲しい思い出であった。石炭事業はマンパワーを必要とし、また、関連産業が化学工業、土木や建築、生活消費部門、鉄道などに至る裾野の広い産業であった。昭和30年後半から石炭産業合理化政策によって非効率的炭鉱は廃業し、優良な鉱山だけを残そうとしたが、結局、エネルギー革命と環境問題から日本の石炭は高度成長のお荷物になり、今は太平洋炭鉱の鉱山を引き継いだ釧路コールマインだけが残っている。一つの産業が消滅した。この産業が消滅するということは地域共同体、地方自治体の消滅ということも引き起こすことが北炭夕張閉山後の夕張市の財政破綻でも明らかである。自分の義父の経営していた雄別も今は原野である。TPPもこのような日本の畜産とか、小麦などの生産、農業の一部が消滅する事態が予測される。石炭産業の場合、あの三池という優良炭鉱を抱えていた三井鉱山が消滅したが、他鉱山が昭和40年代に消えた後30年以上も頑張っていた。企業は生き物であり、人間が支えているわけで、この間、三井鉱山に勤務していた父をはじめ、多くの社員は孤軍奮闘し矢尽き、刀折れた。会社を支えるために、世の中が好景気に沸くときも、じっと安い給料に耐えて家族ともども奮闘していたのである。今から10年前に、栄光の三井という名前とともに消滅した。これは日本だけではなく、イギリスでも、サッチャー政権がイギリスの炭鉱を閉山した。これは産業政策というより、サッチャーイズムを貫徹するために強固な労働組合を持つ炭鉱を叩き、社会保障を切り崩し、イギリスを産業資本から商業資本、金融資本の国に転換する政策の中で行なわれたことであった。その象徴が石炭産業の解体であった。日本は技術立国として高度成長、自動車やエレクトロニクスによる産業転換に成功した。石炭産業だけではなく、アルミニウム精錬事業は完全に消滅、麦生産農業も消えようとしている。思うに、三井鉱山ほどの企業が再建できなかったのは成り立たないであろうアルミ事業に生き残りをかけたことがボディブローになったのだと思う。これは当時の通産の政策ミスである。そして、採炭効率の良い三池炭が売れなくなったのはNOXの多い炭質が環境問題に対応できなかったから、これがノックアウトになった。何事も、ダブルパンチというのは効くのだ。
 恐らく、酪農、一部の漁業も後継者が無くなり国の補助がなくなれば消滅するであろう。牛や畠が消えるとともに人も消えるのである。消される人の立場にたった政策はお先真っ暗である。

今は消滅した雄別炭鉱の株券
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 その代わりに何が勃興するのだろうか。高齢社会を支える産業として、製薬、医療機器、食品などが残された道であろう。アメリカの鉄鋼業が外資に買収されたが、日本の素材産業もいずれ資源国の新興企業に身売りする日も予測される。アメリカの産業が辿った道を日本も追う運命にある。自分は目の黒いうちに、水素エネルギーとか、核融合技術が進み、石炭を駆逐した石油産業などの化石エネルギー産業が解体される日を待ち望んでいる。

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糸魚川から塩尻に行く途中、千曲市の一角に姥捨というところがある。その名前には驚く。ここのおばあさんは毎日どんな暮らしをしているのだろうか。姥捨ては何となくありそうな話という感じ。実は全国探してもこのことに関する記録は無いそうだ。楢山節考という映画があった。このような話は、実は共産党が好きな話だ。江戸時代は農民が搾取され、貧乏にあえいでいた。大切な母親が年を取れば食い扶持の維持のために捨てなければならない。幕府や為政者の横暴に対して農民は戦えである。しかし、実は、江戸時代の農民の暮らしは結構豊かだったこともあった。もちろん、東北などは飢饉で餓死者が何万も出たという記録がある。しかし、19世紀までのヨーロッパではそんな話はざらであった。アイルランドのジャガイモ飢饉というのが有名である。何十万人も死んでいる。日本は実は豊かだったのではないか。その証拠が、軽井沢の日本のポンペイと言われる浅間山火山の噴火で壊滅した妻恋の鎌原村。災害当時の人口は570人で、477名が死に、生存者は93名(鎌原観音堂奉仕会調べ)だったと推測されています。鎌原村には観音堂があり、ここに参拝していた人、必死に逃げ登った人は幸いにして九死に一生を得ています。当時50段の石段があったのですが、現在はすっかり埋まって15段だけ残っています。昭和54年の調査で、埋没した石段の最下部で女性2名の遺体が発見されています。若い女性が年配の女性を背負うような格好で見つかり、娘が母を背負って逃げる途中で火砕流に襲われたものだと推測されています。村の発掘では多くの農家の茶碗や日常品が発掘され、中には金蒔絵のお椀なども出土している。年寄りは大切にされ、背負って逃げようとした。
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姥捨てという地名と姥捨て山と言う山もある。ではその辺りにお婆さんの骨がゴロゴロ出てきたということは聞いた事が無い。それよりも、江戸時代は、親が野原に赤ん坊を放置したり、子供を捨てたという話は結構あった。口減らしが横行した。松尾芭蕉の奥の細道にも書かれている。生類憐れみの令はそうした風潮が蔓延した時代があったことへの対策。生き物を大切にするという習慣を将軍綱吉の母親が世に強要し、犬をいじめて死罪になった子供が出た。むしろ子供の命が粗末にされていたことが真実。間引きなどは日常茶飯事だった。
自分の推測だが、実は年長者は大切にされていて、姥捨てはありえないことを逆手にとって年寄りの悲劇として物語が創作されたのではないか。認知症になった老人は捨てたくなるケースもあったろう。それを自己防衛するために、賢い老人がそのような伝説を作ったのではないだろうか。これも推測に域を出ませんが。

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         リベラルアーツと大学

 大学で何を学ぶかということは、学生にとっても、教育する立場からも大きな問題である。特に、大学は教育機関というより研究の場という観念が教員の側からは強いだろう。日本の大学は国立大学を中心に、大学院や研究所が付属しており、多くの研究者を擁している。リベラルアーツという概念は、かつては大学に一般教養という仕組みがGHQから組み込まれ、専門科目に向けての学習の障害であるかの様な扱いを受けていた。

 しかし、受験勉強偏重の高校教育においては、一部の心ある教員の努力と優秀な学生によってしか、大学の研究に向かう基礎的な学力、思考力を養う学習は行なわれていなかった。一般教養をただ、暗記や教科書の購読による学習とすれば研究に向けての準備にもならず、無駄といわれざるをえ無かっただろう。しかし、大学で文学や哲学を学ぶ事は経済学や法律学を学ぶ学生に取って、また、理系の学生にとっても有用である。というより、今の大学生にとって必須であるということである。

 自分は今新潟県の小さな私立大学に籍をおいているが、この県の教育環境は他県、特に東京とは違い、大学進学者の高卒者に対する比率が低い。今でも50%を切っている。その原因として新潟県は実学志向であるという通念もあり、また、専門学校に行く学生も多いのが現実であるからだ。新潟ではNSGグループという専門学校経営企業が幅を利かせていて、新潟駅にも交流の場を持っており、また、新潟医療福祉大学はそのグループの一つで巧みな経営を行なっている。学生募集が上手で学生を引き寄せ、「実学志向」という新潟の土壌に合っているかのように見える。しかし、実態は、あまり勉強の得意でない学生の吹きだまりでもある。もちろん、中には優秀な学生も行くので、一流企業に就職する人もいるが、中退する学生が多く、結果的にフリーター予備軍である。これは日本が向かう方向とは別の動きである。もちろん、この専門学校群が無ければ、高卒者の進学率も上がらないし、東京の専門学校に吸い取られるだけかもしれない。若者の教育と故郷離れ防止に貢献している。新潟の高等教育に対する期待度が薄いのは、学習意欲の問題より、家庭の所得が私立大学に進学させるだけのレベルに無い事が大きな原因。さらに、親は高卒が多いので、大学教育に対する理解が無い。文学だとか政治を勉強して何になるのだという感覚が強い。これは全国的に見ても、親の学歴と子供の進学に関する相関性は高いことから読み取れる。今、諸物価が20年のデフレによって低迷しているが、大学の授業料は下がっていない。年間100万円はかかるし、生活費や部活、本代など諸経費を入れれば50万円以上余計だし、新潟県内でも、遠隔地ならばアパート代も入れれば200万円である。これは夫婦共稼ぎでなければ支えられない。10万円でも安ければ専門学校に流れるのである。
 高校までの勉強と大学における学問と決定的に違うのは、大学で古典の本やテキストを読む上で、その背景や歴史、現代における意味等、様々な角度から知の光を当て、ものを考えるということである。本を読めばいいというのではない。統計や抽象的な理論の背後を探る事や自分の考えをまとめることなど、領域が広い。大学院になればさらに自分のテーマを掘り下げて行く。こうした体験は、社会に出ても同じ事である。野球の一流選手は高卒が多いが、彼らも、自分の領域で成績を上げ、ファンにサービスし、心身の健康を守って行く為に努力をし、立派な考えを持っている。イチローや松井秀喜など英語だって話せるようになっている。大学を出なくても一筋に極めれば相当な所に行きつくのである。では、大学に行かなくても良いと言うのではない。何もイチローや松井のようにならなくとも、4年間大学に行けば見識のある人物に成長できるのである。もちろん時間効率もよいのだが、その代わり授業料を払うということにはなる。
 大学不要論は例外的な成功事例を挙げて反論しているだけである。リベラルアーツの学びというのは大学院も目指すような研究者や社会人としての基礎的な力を付ける教養を学ぶのである。そして、常に、課題の原点に密着し、上から目線ではなく、当事者意識を持って現実から出発することが学びの姿勢だと思う。


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by katoujun2549 | 2015-10-13 14:01 | Comments(0)

10 月10日土曜日、新潟の芸術の祭典、水と土の芸術祭のベースキャンプになっている、新潟市中央区の双葉中学校校舎に行った。新潟市立美術館前の駐車場に車を置き、坂道を重い足取りで登ったところに中学校はあった。“私たちはどこから来て、どこへ行くのか ~新潟の水と土から、過去と現在(いま)を見つめ、未来を考える~”を基本理念とし、2009年から開催、今回第3回を迎える2015年は、水と土の象徴である「潟」を中心に、市内各所で作品展示、パフォーマンス、ワークショップ、シンポジウムなど様々なプログラムを展開している。


国内外から参加する数々の著名なアーティストに加えて、市民や地域が主体となり参加することで、新潟市全域を芸術の場として見所のある展示が行われている。特に、ベースキャンプの双葉中学は今年3月に廃校になった。


その中学校校舎を活用し、東京芸大教授の日比野克彦氏や新発田の吉原悠博氏の展示があるので以前から行きたかったのであった。日比野氏は、以前、日本橋の再生プロジェクトで、ホンバというグリーンアートでお世話になった方で、今回はヘチマや朝顔の棚を作って、中学校の入り口に展示されていた。また、吉原氏は新潟の原発や電力が東京に従属した形で地域とは無縁の関係を鋭く、また、地道な取材で構成された展示を行っていた。培養都市COLONYという一室を暗室にして、送電鉄塔をモチーフに光で浮かび上がらせ、前平山県知事と石原東京都知事との対話をパネルに説明分を乗せた展示であった。吉原氏はこの作品の前に、新潟から東京までの送電線を辿った道を2年間を要して踏破されたという。彼の展示の背景にむしろ迫力がある。また、韓国の作家等の展示もありり多彩な内容であった。

韓国の作家による陶器のモニュメント


特に、今年は「潟」がテーマで、福島潟や鳥屋野潟などにもモニュメンタルな作品が展示された。街と芸術は密接な関係があり、街に命を与えるものである事が、ギリシャや、ローマの街にある多くの芸術品の存在で明らかである。日本も、街づくりにおいて、くだらないB級グルメ祭りとかでは無く、映像や、モニュメントなどによる展示にてよって都市景観に意味を持たせる工夫があれば、死んだ様な街も息を吹き返すのである。

 

日比野克彦氏作

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