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スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ著
「戦争は女の顔をしていない」群像社版
を読んで感じたこと

偶然この本を昨日読み終えたら、彼女のノーベル賞文学賞が決まった。著者はノーベル文学賞最有力候補に村上春樹と共に名前が上がっていたベラルーシの(首都ミンスク)の作家である。第二次世界大戦独ソ戦において100万人のロシア女性が最前線で戦った。その体験を手記にまとめたのがこの本である。10日前、新潟日報に大きく紹介されていたので、図書館に問い合わせたら、この本だけあった。恐らく、本屋では慌てているだろう。あまり売られていない。1948年生まれで彼女は戦争を体験していない。しかし、数百人の戦場に行った女性にインタビューし、その過酷な体験を次の世代に伝える役割を果たした。ソ連体制崩壊前、30年前にかかれたもので、彼女たちはただ激戦の様子を語るだけではなく、女性らしい感性で、戦場の色や感情、倒れて苦しむ馬や、衛生兵として負傷者を救出したり、死にゆくドイツ兵や捕虜のことを語っている。小説家の手法として膨大なインタビューをまとめた作品では村上春樹のアンダーグラウンドを思い起こさせる。これは地下鉄サリン事件の被害者を取材したものだ。戦争では何十万人と言う単位で犠牲が生まれる。しかし、それぞれに人生があり、悲しみも喜びもある。これを統計的数字から開放して、人々に語りかけるようにする。スターリンは「ひとりの死は悲劇だが、集団の死は統計だ」と言ったとか、ホロコーストの実行者アイヒマンが言ったとか諸説あるが、良くわからない。レマルクが長編黒いオベリスクという小説に「でも確かにそうですよ、一つだけならいつでも死だが、二百万となると常に統計なのだから・・・・と書いている。(Aber das ist wohl so, weil ein einzelner immer der Tod ist — und zweiMillionen immer nur eine Statistik)われわれ証言集ではその一人ひとりの体験がつづられる。言論統制の厳しい当時のソ連で、当初は放置されていたこの本は、彼女がチェルノブイリ原発事故被災者の証言集「チェリノブイリの祈り」を出した後評価が高まった。
 目撃した者、経験した者はその恐怖をかたり続けなければならない。統計的な数字に凍結された一人一人の死、生き様、物語を解凍し、再現する。原発事故で多くの動物が処分され、村や森が埋められた。これは戦争体験にも通じる。恐怖や友の死、死線を彷徨した体験は忘れられないが、語れない。
 自分も同世代として多くの人生の先輩から戦争中の話を聞いた。戦争の愚かさ、国家が語る戦争と犠牲になった人々、戦場で体験した恐怖、物言わぬ死者、犠牲になった子供や弱い立場の人々、馬や犬、魚に至る生とし生けるものの立場に立てば戦争は絶対悪である。政治や歴史のなかで無味乾燥に消毒済みとなった現実を真実の姿に再現することが証言であり、文学の力である。
 団塊の世代である昭和22年生まれは第二次大戦が終結して二年後に生まれた。戦中派が自分の親や叔父叔母の時代で、子供の頃、親類の集まりや、戦中派の教師などの大人達の会話から戦時中の体験を漏れ聞いたりした。自分の両親も戦中派だったが、子供に戦争中のことを敢えて語ろうとしない場合も多い。つらかった時代を忘れようと懸命に働き、高度成長を実現した世代は、辛かった時代を思い出したくない。戦争は不条理な体験を強いる。体験者も整理がつかないこともあるのではないだろうか。リベラルアーツ教育は教養教育と一言で言っても何のことか分からない。しかし、自分は、経済学、法学といった統計や規則を学ぶことから、もう一度人間のレベルに立って、心を持った一人ひとりを思って物を考えることだと思う。そこで隣人のこと、地域のこと、人を愛することから戦争とは無縁である。平和主義も生まれるのである。 
 この本で印象に残った部分は多々あるが、あるエピソードを紹介しよう。戦後も彼女たちは英雄的な体験しか話せなかった。しかし、彼女たちの心の闇を語らせることに成功した。壮絶な独ソ戦の戦場。これは沖縄でも同じだろうが。看護婦エリンスカヤの話。「戦闘を覚えているわ・・・、その時沢山のドイツ人捕虜を取った。中には負傷者がいて私は手当てをしてやったけど、負傷者は味方の青年たちと同じように呻いていました。ものすごい暑さだった。水を飲ませてやった。見通しの聞く場所で、銃撃に晒されていた。直ちに塹壕にたてこもって、カモフラージュせよとの命令。私たちは塹壕を掘り始めた。ドイツ人たちは見ている。私たちは身振りで彫るのを手伝えと命令した。何をしろと言われて、捕虜たちはパニックに陥ったわ。穴が掘りあがったら、その縁に自分たちは立たされ銃殺されるんだと思ったのね、覚悟をしていました。どんな恐怖にとらわれて穴を掘ったか見たものしか分かりません。あの顔を・・・私たちが手当てをしたり、水を飲ませてやったり、彼らが掘った塹壕に隠れろと言ったとき、彼らは我に返ることが出来ず、とどまっていました・・・一人のドイツ人は泣き出したほどです。もう若く無い人で隠そうともせず手放しで泣いていました。」「戦争の本って嫌い・・・、英雄たちが出てくる本…私たちは皆病人だった。咳をして、寝不足で、汚れきっていて、みすぼらしい身なり。たいていは植えていて、それでも勝利者」   


3:3 預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。  
 

 (エピソード1)                                                          自分の父親は戦時中、三井鉱山の社員で、召集も受け、徴兵検査の後九段の近衛師団に入営したが結核痕があったので即日帰郷となった。1945年に朝鮮で半年の兵役があっただけで戦地には行かなかった。父の会社には社宅があり、友人宅に遊びにいくと、戦地帰りの方もいて、将校だった人が多かった。短剣や将校用の装具、刀なども持っていて、子供ながらに、何で自分の父親は持っていなかったのか、気になってよく聞いたものだ。その父も朝鮮から引き上げる時には引き揚げ船が沈没しそうな海域を通ったり、友人が帰国直前に病死し、遺体を荼毘に付した時の辛い気持を語ったのは2004年に82歳で亡くなる1年前であった。軍人の勇ましい行進や戦闘シーンの陰に多くの不条理な悲劇が起きていた。日本が東京裁判で裁かれたことは戦勝国の横暴で、裁判の形をした見せしめに過ぎないとする論はあるが、あのナチスドイツと三国同盟を結んでしまったことは戦争犯罪の片棒を担いだとみなされても仕方が無い。ドイツのホロコーストの犯罪も全貌は不明なことが多い。強制収用所のことは歴史的に証拠の多い犯罪であるといわれている。しかし、膨大な事実を前に、ソビブル、ヘウムノ、トレブリンカのことはあまり分っていない。ニュースや映像には載らないむごたらしい話も含めてである。特に、第二次大戦以後も戦火は続き、朝鮮戦争、ベトナム、イランイラク戦争、バルカンの紛争、アフリカの内戦や中東戦争で軍事行動の周辺に何十万人もの市民の犠牲が生まれるようになった。多くの人々の死、離散、生活苦、自由の束縛など悲惨と苦難の時代を戦争は生み出してきた。戦後生まれだが、団塊の世代である自分の記憶にある戦争を描き出してみよう。戦場では不衛生、感染症などの病気、寒気、雨や雪も敵である。太平洋戦争でも、実際に戦場で戦死した軍人より、餓死、病死、輸送船の沈没による水死が多かった。亡くなった方々は無念であったろう。戦争では思いがけない死が迎えに来る。

(エピソード2) 
 自分が会社に入ったとき、人事部長のWさんは中国で終戦を迎えた。彼は杭州付近で駐屯し、中国人の民家で暮らしていた。その家の娘と恋愛関係になり、家族からも信頼されていたが、突然転戦命令が来て、移動となった。中国人の家族は自分の後を追い、1日かけて見送ってくれた。凄惨な話の多い中国だがそんな戦地もあった。ところが、ある日山地を行軍していると、銃声がして皆もの陰に隠れた。突然、斜面にいた自分に向かって石ころのようなものが投げ込まれ、コロコロころがって爆発、手榴弾だった。気がつくと腹から血が出ている。やられた、と思ったが身動きできず担架で病院に運ばれた。何週か治療で寝ていると、部隊が中国から離れ、船で出発して取り残された事が分かった。ついていないと嘆いたが、後にその船はフィリピンに向かい、途中で撃沈され、部隊は全滅した。運が良かったのである。戦場は理不尽がつきものである。戦争体験者は運が良かった人々に語られるのである。

                                                                  
3.世の中は詭弁や誤解にもとづく通説が満ちている。 
 人は毎日の生活はいちいち原点に戻るまで深く考えて行動しているわけではない。習慣や通説に従うことが多いだろう。そこを悪賢い政治家や経営者は利用してくる。政治家は人々の心を盗むのが上手である。彼らにかかると、人間の内面にある、暗いものもたちどころに説明のつくものになってしまう。恐ろしい事は偉大な事になる。
 聖戦という言葉はあるが、それは国家や為政者が民衆を巻き込むための方便に過ぎない。永遠のゼロが人気だったが、ドラマにおいて、血まみれになった兵士や黒焦げになった戦闘機搭乗員がいたのかは描かれない。武士道精神とか飛行機のメカニズム、マッチョな特攻に隠された真実は殆ど隠されて若者に訴えかけられる。
 詭弁に気をつけなければならない。リベラルアーツというのはまさにそれを見抜き、真実を見抜く力を養うことが目的である。その為には数学や音楽も学ばねばならない。積極的平和主義とは何だろうか。これは安部首相の方便だが、この言葉は軍事的均衡による平和主義ということで、この言葉が持つ本来の意味ではない。 日本において、「積極的平和主義」という言葉の初出は、国際政治学者で、日本国際フォーラム理事長の伊藤憲一『「二つの衝撃」と日本』(PHP研究所刊)の一節「消極的平和主義と積極的平和主義」(pp.117-120)であった。この著作で伊藤は次のように述べている。「わたくしは、憲法は日本の積極的な国際的貢献を禁じているどころか、むしろそれを求めていると考える。憲法はその第九条で「加害者にならない」ための禁欲的自己規制(すなわち消極的平和主義)を打ち出す一方で、前文のなかで「貢献者となる」ための利他的自己犠牲(すなわち積極的平和主義)を宣言している。憲法解釈のあるべき姿は、この両者の均衡と調和のなかにこそ求められるべきであろう。(p.118)」これが、何と野田政権から安部政権に移る間に今日安部首相が唱える形に変わってしまった。安倍政権が多用する「積極的平和主義」。実は平和学では「積極的平和」とは、有名なコンセプトで「積極的平和」とは、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」がない状態のことをいい、決して「テロとの戦い」に勝利して、脅威を取り除くようなことではない。この「積極的平和」を提唱したのは、平和学の第一人者で世界的に「平和学の父」と知られるヨハン・ガルトゥング博士である。彼は安部の積極的平和主義は自分の盗用であるといっている。積極的平和とは戦争によらない和平を前提とした平和のことである。実例ではかつて、キューバに侵攻しようとしたアメリカが、ローマ法王の仲介によって、カストロと和解することで平和を守るということであり、イランの核開発をIAEAの交渉とアメリカの譲歩によって止めさせることである。人は通説によって生活する。だから、世の中のずるい人は古典の名説を換骨奪胎して自分に都合よく解釈して人を説得する。
 カエサルのものはカエサルにというイエスの言葉は何もクリスチャンは政治には関わらず、愛と平和を語っていればよいということではない。新発田の生んだ大思想家大杉栄は海老名弾正が日露戦争を肯定したこと、また、カエサルのものはカエサルにという言葉にイエスの民衆に対する裏切りと断じて教会を去った。しかし、それは誤解である。当時のイエスの活動を何とか妨害しようとパリサイ派の祭司が仕組んだ問である。イエスに皇帝に税金を払うことの是非を問い、払うべきではないという当時のユダヤ人の心情に沿えばローマ帝国に反逆したことで告訴し、払えといえばユダヤ社会の心情に反したということで宗教指導者から葬り去ろうという陰謀でなされた質問に答えた知恵である。 何も政治に関わらなくともよいといっているわけではない。 似たような詭弁は多い。市場主義を肯定するために、利己心を持った人々の経済活動は神の見えざる手によって程よいバランスでよき方向に向かい均衡すると言う主張をアダムスミスの言葉として正当化しようとしたが、彼は全くそんなことを言っていない。むしろ経済活動は、道徳的行動であり、諸国民がWINWINの結果を相手の立場に立って達成することが善であると、道徳情操論という著書で語り、その各論として国富論を書いた。相手の富や資源を収奪し、貿易と輸出によって富を得ようという重商主義を批判したものであった。身近なところでは、胃がんになる確率は喫煙と飲酒だという通説があった。これはタバコを吸う人は飲酒をする人が多かったので、飲酒も原因になったのであって、飲酒はしてもタバコを吸わない人の胃がん確立はずっと低いのである。タバコを吸っている人は肺がんになりやすいというが、あの80歳の老人は毎日タバコを吸っているではないか。これはコホートによって分けた曝露試験によって証明される。ヘビースモウカーは80になるまでの間に肺がんとか動脈硬化で亡くなられてタバコを吸っている人は生き残りに過ぎないということだ。そのような誤った説明はバイアスがかかったデータ分析から生じるのであって、これは理科系の学生なら皆知っていることである。         
 
 多少脱線したが、世には詭弁家がうようよし、物事がゆがめられる。当時の宗教政策によって苦しむ人々をヨハネは救おうとし、イエスはそれをさらに推し進めた。ヨハネが荒野で呼ばわるものの声がする、「主の道を真っ直ぐにせよ」というのはまさにそうした当時の社会への警告なのである。私たちは平和や戦争を語るときはそうした世の荒波にさらされた荒野の叫びに耳を傾けること、それがリベラルアーツの知恵であると思う。平和について考えるとき国連を研究したり、戦記を読むこともある。しかし、紛争地帯にいた人間や難民の叫びが必ずあり、ここをを原点としなければならない。本学が一人ひとりの学生を大切にしようという努力の出発点である。先に触れた村上春樹のアンダーグラウンドにしても、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ著「戦争は女の顔をしていない」にしても、あなたがそこにいたらどうしますか?という問いかけを常に感じる。

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 今年の夏、村松浜漁港の防波堤で釣りをしたが、入れ食いのようにつれるのが「ヒイラギ」という平たい魚だった。「まながつお」を小型にした形だが、ぬるぬるしていて、本命のキスやメゴチが釣れなかったせいか、腹立たしげにリリースしていた。先週、粟島にアオリイカを求めて、エギと竿を買い込んで出かけたが、さっぱり、姿が見えない。ふと、釜谷の防波堤の船着場の下を見ると魚がうようよしているではないか。丁度サビキ仕掛けとエビえさを持っていたので、落としてみたら、すぐに釣れたのがベラなのであった。このべら、昔関西の料理屋で煮つけで出てきたがべラは結構美味かった。
べラ(キュウセン)
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関東では全く料理屋には出てこない。形が何ともぬるっとしていて良くない。結局、これもリリース。ベラの群れの下にはは豆アジが群れている。そこに落とし込む前に釣れてしまう。要するに餌取りの群れである。これを避けていかに本命を釣るかである。磯釣りでは、コマセを撒いて、そちらに餌取りを引き付けておいて、その隙に仕掛けを落とすらしい。

ヒイラギ
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先週の土曜日、近所のスーパー、チャレンジャの魚コーナーで、何と「ヒイラギ」が一皿300円で売っていた。大きなのはハナダイくらいある。自分が防波堤で釣ったものの倍くらいある大きさだった。店員に聞くと結構美味しいと言う。200円でいいから買ってくれというので頂いた。新しいうちにと、塩で洗いぬめりを取って南蛮漬けにしてみようかと、メリケン粉をつけてカラ揚げにしたが、これではつまらないので、出汁300CC、醤油大匙3、みりん1、酒2を用意し、中華風に葱とにんじんと生姜の千切りをいためて、調味液と一緒に煮てみた。これが何とも美味である。味も、実に品がよく身離れも良く、その日の夜、翌日の朝、翌々日の朝と頂いた。「ヒイラギ」の美味しさに驚いた次第。何故ヒイラギに人気がないかというと、小さい割りに小骨が硬いからで、から揚げにして丸ごと食べられないことが理由らしい。もったいない魚である。
ヒイラギの中華風煮物
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粟島の岸壁では翌日出直して、コマセ用にオキアミを買い、5本針のサビキで釣ったら20匹くらいつれて、今夜のおかずはこれで充分と持ち帰った。家に帰ってこれも片栗粉をまぶし、から揚げにして食べたが、ビールのつまみにぴったり。あっという間に平らげてしまった。

豆アジのから揚げ
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なぜ安部政権は集団的自衛権容認を急いだか

1.安保法成立後の与党の対応

 アベノミックスは第3の矢が打てない。アメリカの利上げでドルがアメリカに還流するとさらに円安になり、エネルギーや輸入原料、食料コストが上がり、今の安部政権を支えている大手企業の業績向上と株高の構図は成り立たなくなる。当面の原油安がどこまで続くかは分からないが、今の経済はそのお陰で何とか失速していない。これが上昇し始めたときが利上げの引き金だろう。しかし、アメリカとイランの和解が進めば、イラン原油が大量に市場に出てくる。このインパクトは大きく、長期的には原油は70ドル/BL以下に安定する。経済は戦争によっても潤うが、平和によって得るものは人間の命と富である。どちらが良いかは自明である。今回の違憲行動は野党の攻撃ターゲットとして参議院選挙までセクハラを受けた女の復讐のように、非難を受け、国会においては廃止法案が、さらに実施においては裁判に持ち込まれ、延々と公判が続けられる。恐らくこのことくらいは予測しているだろう。今の政権には相当な悪がいて知恵を絞っている。第3の矢はイノベーションや産業構造の転換による経済の再生であるが、容易ではない。何年もかかるし、今の教育制度ではイノベーションを起こす人材は生まれない。消費税2%増の期日も迫り、参議院選挙は来年の夏である。既に決まっている近い政治スケジュールが見えないわけが無い。いやその為に急いでいる。前回の参議院選挙で回避したように来年の参議院選挙では防衛問題は論点にしないように画策するはず。

2.国民の関心を安保からそらす

 アメリカは大統領選挙、そして、TPPが決着する。経済問題や消費税延期を種にはぐらかしにかかるに違いない。そして、いんちきな景気回復が図られる。集団的自衛権に関する法律は、外務省や防衛省の官僚が周到に計算し、勉強を重ねて作ったはずだ。現政権は憲法の改正をせずに、解釈を閣議決定で行い、法案を成立させようと言う手法を考案した。首相ブレーンの中にはナチスのやり口をまねようとする輩がいる。ナチスは全ての権限を総統に集中させ、議会を無力化した。そして、このとんでもない仕組みを国民はいつかなれてしまい、問題点を忘却するというヒトラーの「わが闘争」に書かれた手口を今回使おうとしている。そんなにうまくいくはずはないのだが。しかし、国民は経済がうまくいけば批判は収まるということもドイツではあったのだ。その仕組みの一つがベルリンオリンピックだった。2020年東京オリンピックは与党にとって重要な祭典である。来年、リオが終わればさあ東京だと大騒ぎ。これで官僚どもの作戦は軌道に乗る。

3.経済再生は軍事費から
 
 その主な狙いは立派な軍隊に成長した自衛隊の活用、そして、安部政権が1年前手がけた武器輸出3原則の緩和の実行である。経済の再生の切り札はこれである。アメリカと共同作戦を行なうには、アメリカが日本に合わせるわけが無い防衛資材、武器などの手直しである。特に電子機器とか装備品の共通化は急務だ。これによる波及効果は大きい。産業界は期待している。来年度の防衛予算も過去最高で、今回でこれは確定したようなもの。さらに経済界の期待も大きく、彼らの殆どが充分議論をしてもらいたいとか言っているが、結論は先に出ていて賛成なのである。景気のカンフル剤、いや覚醒剤として、早速この分野が水を得た魚のようになるだろう。来年度予算でも、防衛費は拡大の一方だが、これで予算は満額通るのだろう。予定の行動だ。南スーダンに派遣した自衛隊の駆けつけ警護に関する施行規則は早速作成される。安部の国会での事例説明にあったホルムズ海峡の機雷除去とか、半島有事の米韓による日本人婦女子を乗せた船の警護などは故意にありえない事例を出して、国会を紛糾させ、審議時間稼ぎをするための作戦だろう。

4.アメリカと歩調を合わせれば政権安泰

 何も失うことの無いアメリカは大喜びだ。いつの間にか、こうした防衛装備の一元管理のための防衛装備庁が10月1日から発足。ずいぶん手回しの良いことではないか。安部政権も安泰。憲法違反を訴訟にかけてきても、最高裁判決はいつ出るか分からない。そんなところは彼らは当然読み込み済み。悪賢い連中だ。普天間はのどに刺さった骨のごとく、痛い部分だが、いずれ、沖縄県知事は民生が疎かになり、政府の支援もなくなるから県職員からの支持を失う。失点があった時に攻撃すればそれで済む。とにかく、アメリカに逆らわないこと。これが日本の安全を脅かそうとも、政権安泰で自民党多数が維持できればよいという姿勢なのである。そんなにうまくいくのだろうか。国民は馬鹿なのだろうか。

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1.国防論議が足りない

 国家と国民の安全を無視し、政権維持のため、アメリカに媚びた安倍総理の責任は重い。今般の安倍政権の安保法案に関する憲法違反行為は断罪されるよう野党は総選挙か辞任に追い込むまで今後も追及し続けねばならない。国会での乱闘などもってのほかだ。これは、国民の審判が下されるべき事である。国防に関する議論が足りない。結論を先に言おう。日本は国防体制を見直す時期に来ている。違憲の自衛隊は解散すべし。専守防衛に徹した防衛隊に改組し、徴兵制を行なえるように、憲法第九条を変えるのではなく、憲法憲法18条を改正し、国防に従事することは苦役ではないことを明示する。これが結論だ。もう、アメリカに期待するのは止めよう。

2.今も多くの人が国のために犠牲なっている

 世の中ではわが子を殺すなとかいっているが、警察庁によれば、5年間で警察職員による殉職者数は20人から30人。交番や駐在所に奉職する「地域警察官・おまわりさん」に限っても、00年~05年で17人の殉職者が出ている。消防官は警察官よりもさらに多く消防職員の殉職者も同様であり、わが子を警察官にするなとか、消防士はだめとは言わないだろう。安部首相は「徴兵制度については認められない」とはっきり答弁しているが、これは間違い。国防は危険も伴うが国民の義務であり世界で認められているのである。 第18条を改正すべきである。今の自衛隊は集団的自衛権を志向する憲法違反の運営を止めるべきである。集団的自衛権は我が国においては憲法で禁じている。憲法の条文を見ながら考えてみよう。

3.憲法改正
 1.日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段として、永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達成するために陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない、国の交戦権はこれを認めない。 これに対して、国会の解釈において個別的自衛権は認められている。9条は日本が世界に誇る素晴らしい資産でありこれからも国是であリ続ける。しかし、内外の情勢は憲法制定時とは全く違っている。国連の活動としての部隊派遣と日米安保とは分離、国連の平和維持軍には協力すべきである。状況の変化に対して憲法は指一本も手をつけないと言うものではない。法的安定性とは別に状況の変化に対処することは矛盾しない。これだけでも、国防は可能だと思うが、現代の国際情勢は、一国だけで今や国は守れないというのが安部政権の解釈である。自分の国を独自で守れないような軍事力は無意味という感じがする。だいたい、抑止力としての戦力によって戦争を未然に防ごうという自民党の論理も軍事力による威嚇が禁止されている以上破綻しており、そんなことはできないではないか。アメリカの軍事力によって日本の防衛が成立していることは認める。しかし、アメリカは他国のために自国民が戦死することはしないと思うのが普通だ。ミサイルを飛ばすのはやってもらいたい。自分は一つの提案としてのようになることを日本は目指すべきである。それは軍隊無き国家コスタリカがモデルだ。すぐにでなくとも良い。ビジョンとしてである。コスタリカは軍隊はないが、軍事同盟は結んでいる。警察がその代わり有事の初期対応を担っている。日本はこの長い海岸線を守ることは出来ない。だから、核攻撃や、第一撃においては安保条約で米軍に対応をお願いする条約を結び、国民を総動員して上陸してきた敵を叩く。海上部隊は補給を絶って物資不足になった敵を孤立させ、後は国民の防衛部隊が皆殺しにすればよい。

4.戦力なき軍隊と言われた自衛隊は成長し、軍隊になっている

 何故今日政府が今回安保法案に躍起となっているかというと、自衛のための日本の軍事力は、世界一であるアメリカ軍と共同作戦を展開するところまで成長し、武力による威嚇が可能なレベルに達しているからである。そうなればアメリカはここまで軍事力として立派になった日本の自衛隊に対して、日本に肩代わりさせたいと思うのは自然なことである。量は少ないが、質が高い自衛隊とアメリカ軍との共同作戦において、武器の共通装備とか、産業ニーズも高まる。安部の意図の背景を何故突かないのか。安部はアメリカの要請に基づいて一生懸命になっている。これは訪米時、議会での演説でも明らかではないか。受け狙いの演説でスタンディングオベーションを何度も受けている。アメリカの国力が落ちたからではない。日本の軍事力が大きくなったからだ。それならばもう一度しぼませてしまえ。アメリカはそんな柔な国ではない。戦争能力は今なお世界一である。
 自衛隊の武力が凄いレベルになっていることは海上自衛隊の実力が世界有数であることで分かる。今の海上自衛隊は帝国海軍の伝統も受け継ぎ、日本近海に攻めてきた中国海軍などは相手ではない。ヘリ空母のいずも型、ひゅうが型などは今はヘリだけだが、国は既に次期戦闘機をF35に決めており、これは機種を変えれば垂直離着陸でき、今は出来ないが、ヘリ空母の耐火性能を改造して向上させれば立派な空母に変身できる。まさに連合艦隊の完成であり、政府は、改造できないとしているが、F35の製造元のアメリカは、そんなことは簡単にできることを知っている。陸上自衛隊が保有している10式戦車は国内に限ればM1以上に優秀な機種である。M1は確かに優れた戦車であっても、日本防衛には役に立たない。重過ぎて、日本の道路や橋が使えないことを鑑みれば、日本国内ではこれに代わる戦車はないだろう。対戦車ミサイルも100発100中の精度を誇っている。こんなところまで、成長した自衛隊は憲法第九条を骨抜きにする実質を持っており、既に憲法違反である。

5.今の時点で自衛隊は憲法違反
 
 結論として、自衛隊は憲法違反だし、集団的自衛権の議論になるのは間違いだから、一旦全て廃止にして、列島防衛に必要な武器以外はF35やオスプレイなど全部韓国に売ってしまえ。自主防衛にそんな高価でデリケートな兵器は使い物にならない。山だらけの日本では平地の戦車戦などはありえないから、10式の装甲を改善し、市街戦や山岳戦に耐えられるようにする。そして、自衛の戦力としてのモノを充実させる。ヘリや対戦車ミサイルと戦車は必要だ、そして、外国の軍隊が攻撃してきたら、個別的自衛権を行使するために、徴兵制を発動出来るようにすべきだ。国民は国を守るために命がけで戦う。コスタリカも軍隊はなくとも、その有事のための警察と最小の軍事力は持っている。イージス艦やヘリ空母は海上保安庁で管理する。


6.自衛隊は解散し再編すべきである

 憲法第九条の1,2はそのままに、有事の際には徴兵する条項を第3項に作成し、その代わり一旦自衛隊を解散する。肥大した組織は自力では縮小できないからだ。現職自衛官は武器の維持要員を除き予備役とし、徴兵時に必要な訓練教官を育成すればよい。これなら警察並みである。軍隊なき大国日本を世界に示し、世界をあっと言わせるのである。そのためには日米安保条約は必要だが、向こうから断ってくるかもしれない。そうすれば沖縄も引き上げてもらえないか?パナマやグレナダのように軍隊の無い国もあるが、これはアメリカの軍事基地がある。しかし、沖縄もあれほど巨大な基地を持つ根拠は無くなり、縮小されよう。まあ、その時は日本に軍事的主権は無くなるのである。それでよいのではないか。民主党も野党として、自民に対する真摯な国防論を展開してもらいたい。自民党の趣旨は、アメリカに従い、自己の政権を維持したいだけだ。そこを突くべきである。集団的自衛権でなくとも日本は自国を守れるという確信が野党の質問から出てこない。揚げ足取りや、安部政権の説明の稚拙さを叩くばかりでは前に進まないではないか。国民の支持は政権時の失政もあわせ批判が広がり、益々遠のくだろう。

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 ごめんなさい、好きな人がいたら。自分のこのCMが苦手で、見ると鳥肌が立ってしまう。とにかく訳が分からないくらいにガックリしてしまう。自分が変なのだろうと思っているのだが、いかがなんでしょうか。

 その一つが、森高千里のCMである。キッコーマンの「ウチのご飯」である。これを見ていると、がっくり来る。それは45歳になってもあのプロポーションを守り、良き妻?として江口洋介と幸せな家庭生活、2児の母であり、CMで稼ぎまくる姿へのヤキモチだろうか。自分は68才の爺さんだから、ヤキモチを焼く事は無い。何か変なのだ。それは、森高のあの幸せ一杯の笑顔の裏で稼ぎまくる打算の不気味さか。前から、彼女が作った歌詞とか、歌声を聞いて、自然な平和な女性をイメージできるのだが、莫大なCM料を稼ぎまくるに値するによる内容なのだろうか。「ウチのご飯」「何とかしてくれるウチのご飯」と連呼、たった3秒くらいなのだが、これで恐らく何千万円か手に入れているはずだ。(違っていたら失礼!)カッコいい夫を手に入れ、かわいい二児、子供、エステに行ってピカピカにして美しいのは当たり前。稼ぎまくるパワーに圧倒される。虫コナーズの主婦集団は弩迫力だが、あれも見苦しいね。20代のタレントがいくら稼いだってそりゃ結構。いつかは稼げなくなる。今のうちだよといって応援することもある。ところが、あの森高千里は45歳にもなって、私、変わらないのよ!と又登場して稼ぎまくるなんて酷すぎませんかね。私ってこんなに足もすらっとして、綺麗でしょ、歌もうまいしと見せつけて来る。しかもその歌と来たら、ハイテンポで、自分とは関係のない、平凡な家庭や、女性の日常をさらりと歌ったもので、何の挫折も哀感も感じない。世の中そんな綺麗ごとか、ムカーとしてはいけないのでしょうか。世の中癌で苦しんでいる主婦もいる。精神病や介護で大変な家庭、夢一杯に否応無しに飛び込んで来るCMに無能無才の家庭に恵まれない私はガクッと来るのです。

 もう一つ、我慢の出来ないCMが、シュミテクトなのだ。アイスなど冷たいものが歯にシミる。 それは知覚過敏かも。 シュミテクトならシミるのを防いで、気にならなくなるので食事もおいしく楽しめますという。歯周病を防げます、冷たいものを食べてもシミませんということだが、シミるようなら、アイスも食べられないのなら、歯磨きでごまかさずに早く歯医者に行けよと言いたくなる。西尾由佳理さんとか、大塚寧々さんなど、いかにも歯周病にはなりそうもない、すっきりした歯並びの清潔な感じのタレントが語る。きわめつけは久保ジュンだ。彼女は声も良くて、歯周病とは無縁な感じ。これも、皆、清楚な若妻が出て来る。キスしたくなるくらいに可愛いい。私、本当は歯槽膿漏で、口からは臭い息が出て、しかも、アイスを食べると痛くてシミるほどなんだったら、それなりの俳優を使ったらどうだ。そんな顔してないぞ、インチキめ。ダウンタウンの松本人志あたりが、臭い息でひげ面で歯がしみるといえば真に迫って来る。シュミテクトという発声のゴロも悪い。シミルという言葉に、シュミという語感が似ていて、シュミテクトというと本当に歯がシミて痛くなりそうになる。自分は歯周病ではありませんのでシミルという感じが分かりません。そういえば大塚寧々は離婚し、田辺誠一と再婚、今は幸せに大塚家具等のビューティフルな家族を演じている。西尾由佳理も、久保ジュンも寿退社の若妻、幸せな家庭主婦がイメージ出来る。そうか、自分の様な家庭崩壊、妻に先立たれ、子供も独立したオジンの寂しい独居老人のひがみなのだろうね。


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by katoujun2549 | 2015-09-13 15:46 | Comments(0)
 8月16日初めて日光に行った。前橋から1時間30分ほどで到着した。日光は金谷ホテルが有名である。ここのカレーライスをいただいた。古色蒼然とした歴史あるホテルだが、ここの軽食ラウンジは現代風の軽快な、どこにでもあるレストランのインテリアであった。カレーはイギリス風のチキンカレーで美味しかった。日光は古い観光地だが、あまり美味いものを食べに行くところではない。敢えて言えば、湯葉が名物で、これを使った蕎麦屋が沢山あった。華厳の滝、中禅寺湖を見物して4時ごろ宿に到着。宿泊したのはWEBで見つけた、小槌の宿鶴亀大吉という旅館であった。ここは東照宮の入り口に近く、翌日は雨だったので、位置的には正解であった。金谷ホテルは箱根の富士やホテルとも親戚で、明治以降、海外における日本のPRに大きな貢献をした。多くの著名人が宿泊したが、この金谷ホテルには明治学院の設立に貢献したヘボン博士が原点であったこともここに着て分かった。

金谷ホテルのカレー
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夕食は炭火会席
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魚は選択できる朝食
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一斉に飛び立つサギの群
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福島潟で見たオジロワシ
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カモの編隊
白鳥の群
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佐渡の朱鷺(トキ)
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 新潟県の自然は素晴らしい。北海道のような原野ではなく、住宅地に接しているようなところが野鳥の宝庫だったりする。例えば 福島潟は豊栄の住宅地に接しているし、瓢湖もそうである。越後平野の広大な田園そのものが巨大な干潟のようなものである。また、中越から山地も接しており、熊や猿が里に降りてきて騒動になる。今回、自分の勤務している学校のそばの川辺にある茂みに白鷺の群落―コロニーが発生した。
 夕方田んぼにやたら白鷺が多く飛んでいるので周辺を探してみたら、何百と言う鷺が木に留まっているではないか。普段はこのような群れは作らないのだが。
 
 壮観なのでiphoneで撮影した。福島潟には大鷺、小鷺、青鷺などが多く生息している。しかし、こんなに大きな群れは見たことが無かった。中鷺ではないかと思うが。ここで繁殖行動をするのだろう。鳥のラブホテルだろうか。近寄ると警戒していっせいにザーッというおとを立てて飛び立つ様は見事である。

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