<   2015年 05月 ( 10 )   > この月の画像一覧

29日から31日日本武道館で開会された第16回 WKC世界剣道選手権を見に行った。武道館に8時50分に到着.昨年マレーシアに行って稽古したクアラルンプールのチームで構成された、チームのサポーターとして、秩父の合宿にも参加した。
マレーシアチームからチケットは手に入れる事が出来た。長々と退屈なスピーチが続いた後、高校生の太鼓が演奏された。ピッタリ息の合ったパフォーマンスに感謝。我マレーシアチームは予選リーグで全員敗退。
e0195345_19221366.jpg
個人戦は兵庫県警の網代6段が昨年の全日本覇者竹之内を破り優勝した。見事な小手。準決勝で対戦した韓国選手は2mの長身で、何本かは危うい場面があったが、延長戦で、見事な面が決まった。イタリアやハンガリーなどの新しい強豪が生まれている感じがした。今回の大会はこれまでの最高の56ヶ国を集めた盛大なものになった。中でも、選手の巨大化には驚く。ヨーロッパの東欧などの2mもある選手が、今の日本の剣道の基本を守り、闘う姿は壮観だ。しかし、この事に疑問もある。真っ直ぐな面を尊ぶのは良いが、合面で、ガチンコ勝負なら大型の選手が得。韓国のMジャン選手は2mもあり180cmの網代選手が小さく見えた。面偏重の日本人選手の弱点を突いてあのような選手を鍛え上げ、送り込んで日本を凹ます彼らの意図が見える。武道の良さは理にかなっていれば、体格は問題にならない事を見せる事。柔道はとっくに体重制になりつまらなくなった。しかし今回網代選手は巨漢の相手に見事な面を決め、日本武道の健在ぶりを示してくれた。決勝も大型の竹之内選手をコテにしずめた。しかし、殆ど小手しか技が出ないのが、今の試合実態であり、突は1本で勝ちとか、逆胴、逆ゴテはなかなか一本にならない。きちんと気剣体一致して当たれば1ポイントとして良い。中でも、選手の巨大化には驚く。、決勝も大型の竹之内選手をコテにしずめた。しかし、殆ど小手しかてがないのが、今の試合実態であり、突や逆胴もポイントになるルールがあって良い。きちんと気剣体一致で当たれば1ポイントと2ポイントで1本になるルールがあって良い。女子も男子も決勝は韓国勢となる。やはり、韓国のパワー剣道に対しては油断がきんもつ。大した技はないが、鍔迫り合いから分けぎわに必ず攻めてくる。相手の鍔元を抑え込んで、分かれようとする時に打ち込んでくる。あの鍔迫りを外国人の審判は反則にしない。今回の韓国戦でも次鋒の勝見選手が引っかかった。さすがに安藤や正代は上手く対応した。2ー1、2分けで極どかったか、1点差を上手く逃げきり、危なげはなかった。かなり必死に勝ち取った感じはある。今の韓国との実力差を反映した試合だった。後日談だが、韓国では、決勝戦の審判が、公平でないとクレームをつけている。見た限りでは、逆に、韓国の選手の鍔ゼリの解消に乗じた卑怯な技が目立ったのに、何故審判は注意しないのかと思ったくらい。韓国人はいつも不正工作がお得意だから、そのように言うのだろう。三等民族の悲しさ。
e0195345_19260843.jpg
e0195345_2219231.jpg
e0195345_22181778.jpg

[PR]
e0195345_139795.jpg
久方ぶりに上越新幹線で発見した奇妙な通販商品。大声で、この壺に向かって叫んだり、喚き散らしても音が小さくなるという代物。こんなものに5千円も出す人の気が知れないという人もいるだろう。癒される人もいるのだから、他人の趣味を貶すのはやめたい。これに録音機能が無いのは残念。うっかりスイッチが入って喚き散らした悪口が、一気に放出すると大変だからだろう。

[PR]
北陸かに考

福井県の三国温泉で越前ガニを堪能した。松葉ガニあるいはズワイガニともいう。とにかく、でかい。お値段も高い。一匹1万円とか1万五千円する。香箱カニといってメスの越前ガニの抱卵したものも美味である。香箱ガニとは北陸地方で獲れる雌のズワイガニのこと。雄のズワイガニと比べ小ぶりな外見の中には、茶色の外子(そとこ)と呼ばれるつぶつぶの卵、そして
e0195345_0413539.jpg
味噌の部分であるオレンジ色の内子(うちこ)を持つ。小さな分だけ味わいは濃厚で旨味もたっぷり。地元での人気も高いのだとか、そして、松葉カニの足には黄色いプラスチックのタッグが付いておりう、産地の保証つきである。金沢市の近江市場でも、能登や三国など産地を証明するタッグで判別する。もちろん、近江市場では3匹で2万円とか、観光用で発泡スチロールにパッキングして宅急便で家に送ってくれる。地元の人はこんなに高いものは食べない。
同様のカニで紅ズワイガニというのもあるが、若干味が落ちるのでかなり安い。10分の1くらい違うのではないか。ゴールデンウィークで山北の鮮魚センターで大きな紅ズワイを1匹2,500円を買った。翌日頂いたが、やはり、越前ガニにはかなわない。
e0195345_1312750.jpg
自分のいる新潟では、松葉ガニでも2千円以上のものはスーパーには無い。かなり小ぶりのものなら千円以下で売っている。もちろん紅ズワイはもっと安い。このあたりが、金沢や福井の商人の実力差が出ている。新潟は実用品一点張りで高いものは売れないのだろう。先日スーパーで岩船産1600円の毛がにが850円で夕方の値引きセールで出ていたので買っていただいた。立派な毛ガニだ。これが函館とか、北海道では4000円くらいはするだろう。
新潟のスーパーで850円で買った佐渡産毛ガニ
e0195345_132493.jpg
新潟でも毛ガニは出るが、大きなものは少ない。
カニに関しては自分はガザミというワタリガ二のほうが好きだ。東京湾などの海辺を夜になると表層まで泳いでくる。この江戸前のものがうまい。カニは身が白く淡白である。そして生息地の水質の影響を受けやすいのではないか。以前、伊勢湾の篠島という知多半島のにある島の民宿で大きな渡り蟹を食べたが、あまり美味いと思わなかった。東京湾の江戸前のワタリガニはその点小ぶりだが、身がしっかり入っていて足の部分だけではなく、甲羅の中の足の付け根、胸部分の身も割り箸でつつくと簡単にほぐれて取れる。至福のひと時で、黙って食べてしまう。茹で方にもよるが、塩味を効かせて日本酒なども入れると味が良くなるだろう。
 海外では、中国の上海蟹が有名だが、東京で何度か頂いたが、美味いと思ったことが無い。本場では違うのだろうか。
e0195345_1182067.jpg
カナダのバンクーバーやサンフランシスコなどウエストコーストではダンジネスクラブという毛ガニよりは甲羅がツルリとしていて、大きなものは一抱えもある立派なカニで、味はワタリを大味にしたものが、よく売られている。カニ専門店もあって、木槌で新聞紙の上でたたいて身を溶かしバターとレモンで頂く。分量が多く一匹食べておなかが一杯になる。アメリカ人はわいわい言いながら、甲羅や足を叩き割って食べていた。お国自慢のカニはどこにでもいるのだろう。開高健が昔、ブラジルの沼地にいいるカニが絶品でこればかりを満腹するまで食べたと「オーパ」だったか紀行文に書いていた。これこそ最高の贅沢といっていた。好きなものを食べたいだけ頂くのが最高の美食なんだそうだ。でも彼はずいぶん早くお亡くなりになった。何でも偏食は体に悪いのである。

[PR]
by katoujun2549 | 2015-05-28 11:02 | Comments(0)
[#IMAGE|e0195345_1765019.jpg|201505/25/45/|mid|320|240#
猫の凄い能力
e0195345_1795734.jpg

11年前、2階の窓辺で子猫の鳴き声がするので窓を開けたら入ってきたのが、我が家の猫ちゃん、キャー子。猫を飼ったのは始めてで、猫の襟首をつかんだり、犬のつもりでしつけようとしたのが反感を買った。猫というのはいつまでも昔のことを覚えているみたいだ。長女が一生懸命研究し、何とか、そろそろ12歳になろうとしている。これまで、犬しか飼ったことがなかったから、猫の習性に関しては無知だった自分は、猫の目からは、嫌なやつと思われたみたいで、なかなかなつかない。長女も結婚し、家内が病に倒れた後は6年間、自分が餌、トイレ、毛のブラッシング、マッサージなど結構サービスしたと思うが、あまり感謝の念もない感じにがっかり。むしろ、当時寝たきりの家内のベッドに入り込んで甘えたり、長男の寝床にもぐりこんだり、可愛いところは全て自分以外を相手にしており、どうも、自分を下男とでも思っているのではないかと腹立たしくもなった。名前を呼んでも寄ってこないから、一旦外に出るとなかなか、帰ってこない。かつては野良生活もしていたのだから、仕方が無いかとも思った。家内が危篤になったとき、救急車で病院に運んだが、救急隊員が家に入ってきたのに怯えて、家を飛び出したが、3ヶ月ぐらい家の周りにいて帰ってこなかった。雪の日も、雨の日もだから、相当にこたえたらしい。元に戻るようになったとき、長女が、家内の声が録音された携帯で家内の声を再現すると、丁度その時は皆2階にいて、猫は1階にいたのだが、えらい勢いで、二階に上がってきて、声の主を探すようなしぐさで、部屋の隅々を探し回っていた。その姿を見て、呼んでも来ないのは故意であって、ちゃんと分かっているし、猫はえらく耳がよいということも知った。
子供のときから育てていれば、20%以上の猫は呼ぶと来るそうだが、うちのキャー子はそうではなかった。猫というのは人間の愛情にはとても敏感である。小動物だからということもあろうが、愛玩動物とはよくいったもので彼らは人間の愛情にとても敏感なのだ。そして超能力の源泉は優れた聴覚にある。
つい最近だが、今年から長男が群馬県前橋市の裁判所に司法修習生として赴任し、キャーコも一緒に住むことになり、ついていった。猫は転居すると帰巣本能から、前の家に戻ろうとして、転居先には帰らないとか、ショックで病気になると聞いたが、全くその気配は無く、新居での生活をエンジョイしている。長男には毎日 Face time でキャー子の姿を画像で送ってもらっている。その時、自分の声が携帯から聞こえるのを知ってか、じっと寝ていたのが急にそわそわしたり、長男の携帯を覗き込んできたり、どうも、自分の声がわかっているようなのだ。これも最近の発見であった。
e0195345_17173838.jpg

[PR]
by katoujun2549 | 2015-05-25 11:27 | | Comments(0)
 オウム真理教事件で逮捕され、サリン実行犯のうちただ1人だけ死刑を免れ、無期懲役になったのが林郁夫でした。彼は慶応大学病院の心臓外科医でした。他の被告同様、何故彼がオウムに入信したかは謎です。彼は同じく医師の妻と子供を伴い、全財産を寄付して麻原の元に飛び込んだ。優秀な心臓外科医として、彼は様々な生命の神秘を体験したという。自分が完璧に成功したと思った患者が亡くなったり、その逆もあり医療はどうして無力なのかに悩んでいたという。人並みはずれて仕事熱心で突き詰める性格の彼が何らかの心理的トリックに嵌ったとしか思えません。
 しかし、自分も、社会人として東京医科歯科大学の医学部で介護と住宅の研究をしていたときに、多くの医師と接したが、彼らも同様の悩みを抱えていました。人間の身体は分からないことだらけである。常識も覆ることが多い。基本的とも言える現象が説明できない。例えば、偽薬(プラセーボ)が効いてしまう。何故、脳には薬が回らないのか。脳血管関門の存在がその理由だが詳しくは不明である。だから脳の薬は開発が難しい。薬、抗がん剤なども結果的に効いたので使っており、何故効くかは推定しているだけのものが多い。実際ペニシリンや抗がん剤なども偶然見つかったもの。完全に制圧した伝染病は天然痘とポリオなど数えるほどです。結核もマラリアも、新種が出来て、これまでの抗生物質が効かなくなってしまう。先進国では病気にかかりにくくなっているのも確かで、胃がんは冷蔵庫の普及、増加率と減少率が一致しています。それは保存のための塩分が食物から減少したからで医療行為で減ったのかは不明です。結核も、栄養状態がよいと感染はしにくく昔は隔離されたライ病も今は完全治癒できる。確かに進歩しているがそれは医療外の成果もある。癌の新しい分子レベルの治療法などが発見されたことが新聞では発表されるが、治療に結びつくのは10年後だったりする。今なお、20年も前に始まった抗がん剤が一番効いたりします。次から次ぎへと新薬が出る。抗がん剤は25%効けば承認されるから、新薬ほど効かないという見方もあります。20%が効くという意味で、治るという意味ではない。80%の人は全く効かず、副作用だけが残る。高齢者の場合は老化により様々な疾病にかかるが、動脈硬化、リウマチ、腰痛、癌、認知症などはほとんど治らないと考えたほうが良いでしょう。もちろん改善や現状維持はあるが、完治は難しい。病院での治療の常識も時代によって変化している。かつて、お産などは痛くて当たり前で、女性には我慢を強いたが、最近の周産期病室はまるでホテルのように立派。痛みを極力短くする工夫もなされてきた。癌の治療でもオピオイド系の麻薬を使った緩和ケアは常識となり、癌も昔のように疼痛で苦しみぬくことは稀になった。こうした、麻酔で苦痛を和らげたり、治療環境においては格段の進歩となっている。また、切断された体をつなげたり、心臓や脳の外科手術、臓器移植は昔では考えられない大進歩を遂げている。ところが、慢性病やインフルエンザ、昨年のエボラなど、現代医療では歯が立たない病気も多く存在する。病気になったときに感じるのだが、特に癌の場合は、一体何故自分だけが癌にならざるを得なかったのかとひとり悩むことが多い。病気は誰かのせいでなるものではない。もちろん、ストレスや伝染病の感染は大きな原因ではあるが、防衛することもある。しかし、癌は発見されたときは進行していることもあり、手術で除去したり、抗がん剤で消えても再発の恐怖は残ります。病と心は表裏一体。女性の場合、癌と宣告されて夫から離婚を申し立てられる場合が結構あります。ほんの10年前までは、癌になることを告知するかどうかが大問題でしたが、今は医師はためらわずに診断結果を伝えるようになりました。
病気というのは患者本人の治癒への意欲とか、周囲の思いやり、治療環境、病室なども大事な要素です。自分は在宅治療の場合の住宅改造のありかたで、論文を出し、修士をいただきました。2000年前、聖書ではイエス様が多くの病人を治癒させたことが記録されています。このヨハネによる福音書9章1~7はシロアムの池というところで、イエスが盲人の目を見えるようにされた奇跡物語です。このヨハネ伝には5章でベテスダの池でも38年間病気に苦しんでいる男を癒されたことが書かれています。この箇所と、シロアムの池の違いは、生まれながらの盲人をイエスが癒されたというところが違っています。昔は病気や不幸は何かの罪の結果であると思われていたのです。日本でも、何か悪いこと、病気などでも因果応報という考えがあります。イエスはこのことをキッパリと否定されています。38年間闘病していた人は、病気になる前は何か罪の行為をしたのではないかと決め付けられたが、イエスはそれを直された。この9章では生まれながらですから、何か罪の行為をしたわけではない。そこにイエス様の奇跡が働いた。
 
1 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 2 弟子たちがイエスに尋ねて言った、「ラビ、この人が盲目で生まれたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか、それとも彼の両親ですか」。 3 イエスはお答えになった、「この人が罪を犯したからではなく、また両親が罪を犯したからでもない。それは、この人に神の業が現れるためである。
イエスはビックリするような方法で、目の見えない男を治されました。これは普通は信じられないことでしょう。この奇跡物語でもうひとつ聖書が語りたかったのは、イエス様がユダヤ人達の反感をさらに高めていく姿です。この9章の後半はイエス様が奇跡を行なったのが安息日であり、ユダヤ教の禁を破ったことから、パリサイ派の人々がイエスが神の子であることを否定し、イエスへの攻撃度合いを強めていった様子が描かれていることです。ベテスダの池の病人を癒されたのも安息日。イエスは、ユダヤ教の規則を乗り越え、苦しんでいる病人や盲人を救う行為を行ないました。多くの奇跡でご自身が神の栄光をあらわす力があることを示されました。
4 わたしたちは、わたしを遣わされた方の業を、まだ日があるうちに行わなければならない。だれも働くことができない夜が来る。 5 わたしは、世にいる限り、世の光である」。 6 こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で泥を作り、その泥を彼の両目に塗られた。 7 そして彼に言われた、「シロアム―遣わされたという意味―の池に行って洗いなさい」。そこで、その人は行って洗い、見えるようになって帰ってきた。
(ヨハネ9章8~16)
 14 イエスが泥を作り、その人の目を開かれたのは安息日であった。 15 そこで、ファリサイ派の人々は再びその人に、どうして見えるようになったのかと尋ねた。その人は彼らに言った、「あの方が泥をわたしの目に塗り、わたしが洗うと見えるようになったのです」。 16 そこで、ファリサイ派の中のある人たちは、「その人は、安息日を守っていないのだから、神のもとから来た人ではない」と言い、他の人たちは、「罪のある人がどうしてこのようなしるしを行うことができようか」と言った。こうして、彼らの間で意見が分かれた。

この言葉にあるように、私たちは様々な事柄を知ることが無く、特に若いころは盲目の状態にあります。それを象徴するようにイエスキリストは世の光であるとして、シロアムの池に行って洗いなさいと盲人を遣わされ、見えるようにされたのです。ところが、周囲の人々はそのことよりも、規則として安息日に奇跡の業を行なったことを根拠にイエスを否定しようとしました。
イエスキリストの奇跡の業には盲人を見えるようにしたり、足の悪い人を歩けるようにしたり、精神を病んだ人を正気にさせたりする医療の業が多くあります。こうした奇跡の行為は、イエスキリストだけではなく、当時の宗教指導者がしばしば行なっていたという説もあります。しかし、福音書に書かれていることはそれよりももうひとつ、この行為を行なったイエスが力を見せつけるためでしょうか。奇跡の目的は、この世界が神の支配にあって、そこをイエス様が規則を超えて、苦しんでいる人のために行なったことに意義があるのではないでしょうか。自分はこの奇跡を信じています。イエスはこの奇跡によって神の存在を見せ、人々は信じたのか。イエス様の十字架への道を考えると人々は離反した。聖書が言いたいのはそうではない。イエスは復活されて神の子であることを証明された。それを信じるから、この不思議な出来ごとも信じている。復活という信仰を前に、あらゆる奇跡の記録が、福音書においてもインパクトが弱くなる。まるで、太陽光線の中では電灯も光が消えてしまうのと同じである。

[PR]
 安部政権の平和?有事?軍事法制整備に向けて、積極的平和主義というスローガンと実際には戦闘に参加するリスクが高まり、かつ憲法の精神を逸脱した閣議決定との不整合に鈍感な姿勢の根は何処にあるのか。これはひとえに、内閣内部の歴史観の不一致、安部総理の教養の貧しさ、麻生副総理の歴史認識に起因していることではないだろうか。第二次世界大戦における日本の敗北と広島・長崎への原爆投下は日本の平和国家に向けての再建と、過去への深い反省をもたらした。そもそも、明治維新とは何であったのか。安部晋三首相は長州出身だから、維新の中心であった故郷への誇りをもち、吉田松陰などの世界観の影響を受けているに違いない。維新が薩長の若者たちによって推進されたことは歴史的事実だが、その成功が日本人の力によってのみ成し遂げられたわけではない。英国のロスチャイルドやアメリカのモルガンなどの金融資本が背景にあり、日本を属国にしようと企んでいた。グラバーなどは南北戦争で不要になった武器を日本に持ち込んで大もうけをした。そこを維新の指導者たちは良くわかっていた。特に、キリスト教に関しては、警戒心を怠らず、天皇を中心とした国家神道をもって、日本人が精神的、文化的に支配されないように心がけていた。条約改正というハードルがあり、これを跳ね除けるためには欧米の文化も吸収し、鹿鳴館なども作ったり、ミッションスクールを受け入れざるを得なかった。日露戦争までは、アメリカとイギリスの支援があって初めてアジアの近代国家足りえたのが当時の日本であった。アメリカとイギリスは日本を植民地には出来ないと諦めた。それは極東の島国にそれほど魅力を感じなかったのもあるだろう。アメリカはフィリピンの支配と中国市場に魅力を感じていた。しかし、対ロシアけん制の地政学的価値を認めていた。維新の前1855年にはイギリスはロシアとクリミア戦争で戦っており、ロシアの南進にはデリケートになっていた。ロシアはプチャーチンが日本に開国を求め、通商条約を結んだ。アメリカは南北戦争、ロシアとイギリスはクリミア戦争という19世紀では唯一の戦争が対外政策にも影響した。明治維新が日本人の力によって成し遂げられたかのような歴史認識は間違っている。欧米のバックアップがあったからこそ、薩長は巨大な幕府に打ち勝つことが出来た。明治のリーダーたちはこのことを良くわかっていた。ところが、日露戦争後、思い上がった軍部と政治家が日本の偉大さを強調し、中国や朝鮮を蔑視しはじめた。このあたりから日本は常識を逸脱し、さらにはナチスと手を組むに至った。とにかく、ナチスドイツ、ファシストのイタリアと三国同盟で手を組んでしまったからには当時の人種政策とか、対中国政策では東京裁判で断罪されるほどの内容があったのではないか。日本はヒトラーユーゲントを日本に招待したり、犯罪的な人種政策を知らなかったはずもない。日本も中国では酷いことをしていた。そうした事に反省を込めた歴史認識が今の政権にはあるのだろうか。日本の破滅の原点がとうじの歴史認識にあったということなのである。村山談話で謝っているのだからもう謝らなくてもいいというのは損な態度である。日本の歴史は国際社会の中で位置づけられ、また、意味をもつ。安部政権は戦後70年の日本の成長が日本人独自が成し遂げたとは思っていない。アメリカのお陰で平和も、復興も成し遂げられたと思っている。そこが問題なのだ。だからアメリカの戦争政策に寄り添おうとする。ありゃ、戦前と逆ではないか。そうではない。日本の復興はアメリカの助けもあったが、我が日本国民の必死の努力が大きかったのだ。しかも、平和への強い願いと決意が、東南アジア諸国の共感を得て、軍備に費用をかけることなく、民生経済によって成し遂げた。安部お坊っちゃま政権は、謝ったり、反省することが大嫌い。談話を引き継ぐというより、新しい見解を出そうとしている。反省の無い見解しか期待できないだろう。
[PR]

e0195345_14115321.jpg
 ゴールデンウィーク最後の5日、6日は新潟県村上市の北の海上に浮かぶ小さな島、粟島に行きました。午前10時のフェリーに乗船、1時間45分で内浦港に到着した。民宿三吉が迎えに来てくれた。といっても、歩いて行ける距離だが、港に面した西の端にある。あわしま食堂で昼食を食べた。いなだの刺身と煮付け、漬け物とみそ汁がついて1000円。期待しなければ素朴な人情、親しみやすさなど、感動する事もあるから不思議である。ここの土産物店「ばっけ屋」で町おこしのために、商社マンから転じ、村長のフトコロ刀として活躍しているT さんにお目にかかってお話を聞いた。軽自動車をお借りし、島を巡ってみる事にした。島の北側は風雪に浸蝕され、断崖と岩礁が連なる素晴らしい景色である。釜谷港にほど近い、キャンプ場に行った。ここでタープを張って夕日を眺め、一服した。大自然を独り占めにした感覚だが、誰もいないのは寂しい感じでもある。夏には一度海水浴にきて見たいし、磯釣りにも挑戦したい。
 この島は民宿と漁業で貨幣経済が回っているのだろうか。物々交換も盛んである。漁業は定置網と刺し網漁である。島には商店らしきものがない。勿論コンビニも無い。不思議なことに魚屋や八百屋が無い。野菜は地縁社会で物々交換されていて、これで生活が営まれ、港には市場もあるが、わずかな漁獲が浜値ともいう価格で取引が行われる。定置網の漁獲は山北などの市場で取引され出荷されている。この村には警官は夏の間2ヶ月しかいない。冬は海は荒れ、2mの波高で船は動かない。一週間も閉ざされると孤島である。急救患者はヘリで村上に運ばれる。
 翌日は内浦港から島を一周する観光船で島を外側から眺めるツアーをした。自分は佐渡や笹川流れ等こうした周遊船に乗って見物しても、岩場などは平面的にしか見えないし、期待が裏切られる事が多かったが、ここは違った。素晴らしい風景であった。直感的に感じたのは、ここはカヤッククルージングのメッカになりうるということであった。ただし、海はお天気次第、風があれば危険な場所である。
 お昼は港の脇にある喫茶店「そそど」でフィッシュカレーを頂いた。800円であるが、ココナッツの入ったタイ風の味付けが新鮮であった。2時の高速船で島を去ったが、林さん、村役場の佐久間さんが手を振って見送ってくださった。高速船3750円はフェリーより2000円近く高いが、55分で岩船に到着した。

そそどのカレー
e0195345_14362019.jpg
高速船きらら
e0195345_14122172.jpg
font>


e0195345_0594179.jpg
e0195345_059932.jpg
e0195345_0553946.jpg
e0195345_0542626.jpg
e0195345_0534840.jpg

[PR]
富岡製糸工場
e0195345_22142143.jpg
入場券を買うのになんでこんなにならばにゃならんのか?中は広いんだからな。要は券売の人数が少ないのです。正面の入口には富岡製糸工場の象徴、繭倉庫があり、これを抜けるともう一つ同じ倉庫が正面にある。200円払うとガイドツアー(40分)に参加できるので加わった。別の倉庫棟は改修中で入れない。
e0195345_22154594.jpg

糸繰り機がそのまま残されている
e0195345_028721.jpg

建設されたのが明治5年というから、この煉瓦造りの建物は日本最古の洋風建築だ。今は歴史展示と売店がある。日本ではレンガも無い時代、建築も初めてづくしの中、よくぞ、ここまで作ったなぁ、指導者のフランス人技師ブリュナも立派だが、日本人の職人も偉大だ。アジアの片隅で、見事に産業革命を成し遂げた、その遺構は、韮山の反射炉、長崎造船所のクレーン、松下村塾など世界遺産に登録されようとしており、絹織物を大量生産して、明治政府の富国強兵を支えたこの富岡はまさに先鞭である。繭のフランス式繰糸機と作業場、外国人技師や指導者の宿舎、診療所、女工の宿舎などの建物があるが、実際は、乾燥所、蒸気釜所などの製造工程がらみの設備もあって、もっと学問的、体系的な展示が整備されると、さらに充実していくだろう。ここに来るまで、知らなかったことだが、官営の工場は、後に三井財閥に払下げられ、40年以上三井が経営していた。また、製糸工場の女工の待遇は当時の破格の給与と福利厚生が整っていた。女工哀史で知られる物語はずっと後のことで、しかも、タチの悪い企業を共産主義者がブロパガンダに利用した事がわかる。
e0195345_6312742.jpg
お雇い仏人技術者宿舎は300坪もあった
e0195345_6285918.jpg
繭と絹糸(左の繭は江戸時代の繭、右は改良された現代繭)
e0195345_6252184.jpg
ガイドが施設を説明

残念なのは、世界遺産に乗って一儲けを企む群馬の田舎商売人が、我れ先に沿道に土産物屋や飲食店を雨後のタケノコのように店開きし、饅頭やアイスを売っている事。もっとシルクや、明治を統一イメージに、町興しするようにならなければ、国際的な観光には耐えられない。製糸工場の技師はフランス人達なんだから、フランスと姉妹都市になったり、ワインやチーズなど、品揃えを研究したらよい。昨年登録したばかりで、観光インフラはこれからというところ。日本人はとにかく、名所には饅頭とくる。まあ、アメリカでは、やたら、Tシャツや、野球帽を売りたがるのと同じ。ここに来る外国人は東南アジアや中国が多くなりそう。

[PR]
加茂水族館 鶴岡市

クラゲの宇宙に感動
e0195345_1173370.jpg
e0195345_1164133.jpg
e0195345_1161068.jpg
e0195345_1154218.jpg
e0195345_2053117.jpg
e0195345_2224357.jpg
e0195345_2224145.jpg

山形県鶴岡市の加茂水族館はクラゲの展示で有名。今回の鶴岡行で先はここを訪問する事にした。水族館から車で10分ほどの進入路付近が第2駐車場になっており、そこに長い列が見えたので聞いてみると、シャトルバスで行くんだそうである。多分、館の駐車場は満員で入れないのだろう。自分達もこれで行く事にしたのだが、待てどもナカナカ来ない。3台で回しているのだが、途中で渋滞している様なのだ。1時間ほど並んでやっと乗る事が出来たが、どうも、水族館に近づくにつれて渋滞が酷い。鶴岡駅前のルートインホテルを出たのが10時前だから、2時間かかった。さらに、水族館に入館するまでに30分待ち。しまった、休日は子供のいくところは行ってはならないという事た。
e0195345_2221748.jpg
それだけの価値はあるんだろうなと恨み節で入って行く。小さな水族館だが、流石にここのクラゲコレクションは世界有数との事はある。水槽は1m四方くらいの大きさで小さいが、その種類は多く、数がもの凄い。大体、クラゲを光を当てて横から見る機会なんぞ無いから、初めて見るクラゲの造形美に魅了される。規則正しいリズムで発光しているのもある。神は一体何を創造されたのか。生命体の根源がここにあるのか。ここの水族館はただ集めるだけではなく、養殖で増殖している。くらげの中には他のクラゲを食べる奴もいる。電気くらげの仲間か、極細のビーフンかシラタキみたいな触手をただよわせ、さわった小魚何かを、捕食するらしい。地雷とか、機雷なとの兵器に応用したくなるメカニズム。あんな血も涙もない寒天野郎のワナにかかるなんてゴメンだが、昔、海水浴に行くと、ヒモみたいなものに触り、線状に痛みが走った。水から上がるとミミズ腫れになった海水浴の記憶がよみがえって来た。有難くもない、何の役にも立たない生き物だ。発光現象でノーベル賞を取った下村博士も来ている。そんなクラゲを大人気に仕立てた加茂水族館はたいしたもの。コース最後の展示は巨大水槽の中でクラゲの群舞で終わった。圧巻である。
e0195345_22221857.jpg

[PR]
e0195345_18279.jpg
 連休が始まり、山形県鶴岡市に行った。鶴岡にはアルケッチャーノという有名なイタリアンレストランがある。奥田シェフで全国的に有名だが、評判は賛否ある。立地は悪いが、地産の旬の食材を使い、季節を生かした最高の料理作品に仕上げる手法の草分けである。3日前に予約を入れたが、既に昼も、ディナーも満席で諦めた。宿泊地の鶴岡駅前のルートインが予約出来た。鶴岡の夜は日本海の美味しい魚介類で、日本酒という組み合わせもあるが、この日はイタリアンにこだわった。アルケッチャーノという名店があるなら、きっとこの街には美味しいイタリアンがあるに違いないと読んだ。鶴岡駅にほど近いジュールファーストという店を見つけた。ここは宿泊したホテルの第二駐車場の前にあった。webで見ると格式張らない、アットホームな店で、マズマズの評判。予約をした。

イサキのカルパッチョ
e0195345_0193324.jpg

e0195345_0221049.jpg

カワハギのカルパッチョ

季節野菜の温製
e0195345_0232655.jpg

クロソイのソテー
e0195345_024128.jpg


 鶴岡の家族連れなど、店の中は満席で、予約して良かった。全く飾らない、お店は2階にあり、階段を上がって奥の部屋は和室という変わった作り。元は居酒屋かもしれない。シエフはナカナカのイケメン。手始めにイサキとカワハギのカルパッチョ。美味い。次は野菜の温製だが、コゴミ、ウルイなどの山菜を組み合わせて,東北らしい新鮮さ。鴨肉が入っている。このあたりがアルケッチャーノを生んだ山形の風土だ。メインはクロソイのソテー。タケノコも使って、季節感が満開でグー。〆はガサ海老のスパゲッティー。ガサ海老は日本海側で、甘エビの漁でついでに取れる海老で、甘エビ以上の美味さだが、色が黒く、甘エビの様な赤ではないため、また、足が早く、あまり流通していない。福井の三国でガサ海老丼を頂いたが実に濃厚で美味かった。この海老の旨味を濃縮したソースで和えたスパゲッティーは実に豪華、芳醇な味であった。店の選択は当りー!ブオノー!スパークリングワインのミニボトルで乾杯して、3人で8,000円というコストパフォーマンスに大満足。これはアルケッチャーノの1人分ではないか。地元のお客さんでいつも満員になる訳だ。


[PR]