<   2015年 02月 ( 12 )   > この月の画像一覧

1.複雑怪奇なISILを取り巻く情勢
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 今、イスラム国、ISILの拡大が問題になっている。実はこうした対テロ有志連合のISIL爆撃が有効に働いているかのごとき報道とは裏腹に、逆にアメリカなどが一方では支援しているという情報もある。これは奇怪な話である。実はアメリカはシリアを攻撃したいがロシアがこれを認めない。そこで、シリアのアサド政権打倒の為にISILを使っている。そして、最もISILに勇敢に戦っているクルド族に対しては支援もするが、ISILとの戦いで共倒れとなる事も狙っているのではないか。トルコなどはクルドの独立運動に頭を痛めており、ISILに加わる若者はトルコ経由で流入し、それを見て見ぬ振りをしているのではないかという疑惑もある。イラクのキルキークには最大の油田があるが、ここはクルドの部族自治エリアであり、クルド人が独立でもすると、この利権構造がとんでもない形になってしまう。エクソンなど大手石油資本はここから石油を買っておりアメリカも都合が悪い。イラクは当然、絶対に認めない。また、イスラエルが実は重要な役割を果たしている。アメリカの影でユダヤ人は政治経済に影響力を持っているが、彼らの支援するイスラエルの安全はシリアの弱体化で確保される。シリアは中東戦争における不倶戴天の敵。シリアはゴラン高原からはエルサレムまで一気に攻め上れる距離にあるからだ。中東戦争の重要な拠点であり、シリアの混乱はイスラエルの安全を意味するのである。また、ガザ地区のハマスを支援するイランも大敵で、このイランはスンニーのISILを嫌って、シーア派のイランは空爆に参加している。イスラエルに取って対イランにおいてもISILは重要な戦力なのである。だから、アメリカがシリアのISILを空爆するが、イラクのISILに支援物資を送っているという疑惑も生じている。とにかくこの地は連衡合従で、まるで春秋戦国の入り組んだ勢力関係になっていて、池上彰さんの解説のように分かりやすく説明し難い。この辺りを最も冷徹に情報を集めて分析できるのはイスラエルのみであろう。

2.若者がISILに流れて行くのは止められるのだろうか

 ISILにヨーロッパから若者が流れて行く原因が、失業問題とか、宗教対立やフセインイラクの崩壊などで説明されるが、実は原因はきわめて複雑で、どれも当てはまるが、それらはすべてではない。先進諸国も悩んでいる、実は国民国家という統治機構の限界に生じた諸問題の縮図であり、国内問題ならまだしも、外交、国際問題となると手が打てない。この悩みに、解決策は無い。むしろ、アジア諸国のほうが国家統治においてはうまくいっているのではないだろうか。アメリカ式を世界に押し付けた結果だという反省がアメリカに必要である。この混乱の原因は東西対立終焉後のアメリカの政策でもある。ウクライナやグルジアも同種の外交政策の結果ではないだろうか。
 今後、非人道的な支配が誰の手によって制御されるのか、先が見えない。アメリカも、ヨーロッパも対テロという点では一致するが、中国やロシアの民族問題が同時的に起きている状況では、先進諸国の足並みが軍事的にはそろわない。若者がイスラム国に走る原因は失業とか、貧困に原因があるというが、失業や貧困がなくなるわけは無いので、答えになっていない。宗教対立も、物質文明に対する疎外感など、解決できるわけが無いことで説明されても納得できないし何の役にも立たない。海外から流入する若者は、むしろ、9.11の時のように、中流層、富裕層も含めた若者であり、知識層も入っている。そうした分類では説明が出来ない。オウム事件のときもそうだったことを思い出すべきである。ということは、解決策はISILのような組織は生き残れないし、これに共鳴する人物も同様であることを世界の常識として示すことしかない。要は絶滅政策しか道は無いということだ。その手は軍事だけではなく兵糧を断つ事もあるだろう。
他国からISILに加わる若者は騙されているとはいえ、身の危険を承知である事は確かだし、これに加わる事はこれまでの社会にあっては自殺と同じである。自殺を無くす事が出来ない以上そうした場にこの武装集団が機能しない事が唯一の方策である。今日、NHKの土曜週刊ニュース番組、深読みでも取り上げられていたが、あの番組は深読みになっていない。明るい無辜な小野文惠アナウンサーがおとぼけぶりを発揮し、NHK好みの、お馬鹿な老人ホーム向け大衆迎合ムードを作っている。いつも出演キャスターに迎合したり、大衆的な純情意見を述べて反論されて喜ぶ。素人のど自慢じゃーないぞ。真面目にやれってんだ。ファンの方には申しわけ無いが、突然脱線してすみません。

3.中東の風土と日本の差

 申命記2:32~35
シホンは、われわれを迎え撃つため全軍を率いて出撃し、ヤハツで戦った。しかし、われわれの神ヤハウエが、かれをわれわれの前に渡したので、われわれはその子ら、その全軍を打ち破った。われわれはそのとき、その全ての町々を攻め取り、どの町も、男も、女も子供らもすべて聖絶し尽くし、誰も残さなかった。家畜だけをわれわれの分捕り品とし、われわれが攻め取った町々を戦利品とした。

 モーセが出エジプト後にカナンの諸都市を攻略した様子が描かれている旧約聖書申命記の一部である。このような記述が多くあり、当時の都市の攻略は文字通り理解すると絶滅戦だったようである。必ずしも、全員殺害したかどうかは聖絶という文字からは必ずしもそうではないという説もある。しかし、基本的には旧約聖書における他民族への戦いは奴隷に取る場合もあっただろうが絶滅戦であった。これは島国で他民族に支配された経験の少ない日本人には理解しにくいことである。確かに、70年前戦争に負け、アメリカに支配されたままではあるが、東西冷戦のお陰で、何とか日本の独立は守られ、国土も分断されなかった。窮屈ではあるが、この島国日本は有難い国だ。日本は戦後、アメリカが天皇制を形を変えて残すというマッカーサーの名統治のお陰で今日あるのです。カオスにならずに済んだ。平和ボケ万歳。font>
 

More山尾氏のブログ引用
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 3月14日の北陸新幹線の開通を待ち望む金沢に行って来た。金沢駅は超モダンな駅舎を建設中である。これまで、東京ー金沢は新幹線で越後湯沢か長岡で乗り換えねばならなかった。それが高崎から長野経由で2時間半で行けるのだから、金沢の人は嬉しいだろう。東京からは観光客、金沢から東京までグッと近づき、関西も狙える。その反対に、新潟市からの便は悪くなるであろう。というのは、上越、糸魚川あたりから、並行して走行するJRは廃止となりローカル線になるので、特急北越なども廃止になるのである。この新幹線に乗る為には高崎まで行き、長野経由で金沢というラインになる。金沢の便が良くなった分、新潟は吸収されるかは分からないが、不便になっただけ、そのリスクは減るかもしれない。
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金沢の賑わいを見ると新潟は駅前の再開発も含め、ペースを上げるべきだとは思う。福井から時間待ち2時間半もあったので、金沢を一時下車し、香林坊あたりまで出てみた。近江市場も昔よりは外観が整備された。春節のためか、やたら中国人観光客が多い。ここに来る中国人はかなりの日本旅行のベテランではないだろうか。駅ビルの土産物売り場ももの凄く賑わい、新潟と比べると品数も豊富である。また、観光都市だけあって、お菓子などの外装もシャレている。

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 日曜日の午後は二王子温泉に行ったが、この温泉、この辺りでは珍しく、湯の花が出て、お湯がゴミだらけのように見える。湯加減は丁度良く、ゆっくり長風呂が楽しめる。休憩所でゴロ寝して、新聞を見ると、映画欄にTジョイ万代でアメリカンスナイパー6時50分からとなっている。これから新潟に行って見ても無理の無い時間だなあと、思い立って行く事にした。この回、何と席はガラガラであった。
 この映画ではアメリカ=自由で豊な国?イラク=野蛮で貧しい国のイメージ、また、アメリカの作戦はテロリスト、武装集団との戦いでアメリカ兵=犠牲者、イラク人テロリストという構図をどう乗り越えるかであるが、残念ながら硬派のクリントイーストウッドではこれは無理であった。
 クリントイーストウッド監督で、アメリカでは評判と物議を起こした作品である。伝説のスナイパーの物語で、彼はアメリカではヒーローだ。イラクのファルージャ攻防戦の実態が生々しく描かれていた。アメリカ軍とザルカゥイに率いられた民兵グループとの戦いは今日のISILとの戦いの始まりを予感させる。いや、実は、このファルージャはイラクの国民を震え上がらせる為の皆殺し作戦だった。一体何の為の戦いだったのか。9.11の報復か、兵士達も大きな犠牲を払う価値を見いだせないまま倒れて行く。この映画は一見スナイパーを通した過酷な戦場と、米軍兵士の家族を描き、PTSD問題を世に示したように見えるが、これでは過去の二流戦争映画である。監督の狙いは、ファルージャ市街戦のイラク武装集団の抵抗の激しさ、残虐性、米軍の蛮行を描くことである。監督の意図はこれまでの大本営発表のような戦果の発表ではない、戦争のむごたらしさの告発にある。
 テキサスでカウボーイの荒馬乗りをやっていたクリス(ブラッドリー・クーパー)はネイビー・シールズに入隊し、結婚したが、イラク戦争に狙撃手として派遣された。160人の敵を倒し、狙撃精度の高さで多くの仲間を救ったクリスは ヒーローであった。一方、家族はクリスの無事を願い続けていた。家族との平穏な生活と、想像を絶する極限状況の戦地。愛する家族を国に残し、終わりのない戦争は幾度となく彼を戦場に向かわせる。彼は仲間の為に250人を超える戦果を上げた。その役割には疑問を持つ事は無かった。しかし、イラク4度にわたる、度重なる戦地への遠征は、クリスの心を序々に蝕んでゆく。PTSDとの戦いが始まった。しかし彼は、こうしたPTSDに悩む帰還兵士の相談中に撃たれて亡くなった。その犯人の裁判は今も続いている。アメリカ映画は必ず、未来を先取りしようとする。戦場シーンでは、エイブラム戦車や兵器が出てくるが、陸軍も協力しているのだろう。この映画を見て、アメリカ人はこうしたマッチョな人物が好きなのだなと思うと同時にまたISILとの戦争が始まると予感させる作品だ。これから又戦争を始めようという国、アメリカ人にとっては他人事ではない、切実な映画なのである。/font>

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福井の東尋坊を訪れた。天気は曇りで、折角2月の寒い時なので、雪の吹き付ける厳しい天気の中で荒れた日本海を見たかったが、当日は比較的穏やかな曇り空。それでも波が激しく岩礁に押し寄せていた。まるで、東映映画のオープニングタイトルシーンのような荒磯で記念撮影をした。記憶違いで、自分はこの東尋坊は能登半島だとばかり思っていたが、福井海岸であった。松本清張の推理小説、ゼロの焦点は能登のヤセの断崖だったらしいが、この東尋坊と混同していた。この海岸が舞台になっていた映画は他にもあったのだろう

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海岸から駐車場までの土産物店と食堂
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もの凄く多種類の海鮮丼が並んでいた。結構価格も高い。2500円〜3500円くらいはする。
町の中にあった魚店で、一匹1万円以上のタッグ付き越前蟹が売られていた。福井というのは近江商人と並ぶ関西圏の商人の供給源ではないか。なかなか商売熱心で、新潟県のようにのんびりしていない。東京でも、甲府とか群馬などから商売人が流れて来る。関西は岡山、徳島、近江、福井といった周辺県から来るがめつい商人が多い。
ガサ海老というご当地の特産の海老丼が、1600円だがとても美味しかった。この海老は日本海特産で他の地には出てこない。甘エビと同じところにいるが数が少ない。甘エビの旨味を増幅させた様な感じで満足度は高かった。
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 八つ目ウナギは新潟、山形、秋田、北海道で取れるが、円口類という魚とは別物の、2億年前からいる古代魚らしい。
冬になると川を海から遡上、阿賀野川で近年は僅かしか採れない。生態は分からない事が多い。一日の漁で2匹とか、全く採れない時もあるらしい。阿賀野川はダムとかによって生態系が変わってしまった。河口の松浜で売っていると聞いたが、新潟市内で今の時期だけ食べられるらしい。一度新潟にい間に食べてみたいものだと思っていたのでWEBで検索すると、新潟駅のそばの丸十という割烹のメニューにある事が分かり、行ってみた。
 結構高いのに驚いた。一皿6000円。貴重種だから仕方が無い。思い切って注文。出て来たのはぶつ切りになって醤油で甘辛く煮込んだもの。生姜おろしと一緒に頂く。これは臭みを消す為だろうが、それほど泥臭くは無い。一口食べてみると、何と、魚の味ではない。どちらかと言うと、肉なのである。思わず笑ってしまった。魚の格好だが、口はむしろミミズとかに近い様な気がする。そういえば、昔、オーストラリアの巨大ミミズをミンチにすると肉の味がすると聞いたことがあった。鰻という名前の通り、細長いのだが、骨は体内で分散して、軟骨がコリコリ感を出して、歯ごたえがあるが、噛み締めると肉っぽいのである。レバーの砂肝のようでもある。これを蒲焼きにしたら、鰻そっくりと言う人もいるのだろうが、全く異質な感じがした。これでうな重のように食べる気がしないが、確かに、酒のつまみにはなる。珍味と言って良いのではないだろうか。8年前に宮古島に行った時に「いらぶ汁」というのを食べたが、ウミヘビの煮付けで、あの時は海蛇なのに鶏肉とカツオの中間の様な魚っぽい味がした。それよりは獣っぽいのである。さすがに、料亭で美味しく調理してあったが、最初口にした時のモワッとした感触が何とも変だった。
栄誉価が高い分、舌に抵抗があるのかもしれない。たくさん食べたくなるようなものではないが、不思議な食体験であった。


醤油で甘辛く煮てある
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この成分を見るととても栄養分が高い。
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口の所が凄い
円口類というだけあってグロテスクな口である。ミミズとかゴカイの類ではないか。
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 武道の世界では「気」という要素をどう理解するべきかが、課題である。誰でも、生理的に電気的信号として神経系においても、また、それ以外にも、様々なパルスを発している。医学的に、心電図とか、脳波計などで計測することも出来る。また、体温など、赤外線も発しているし、手の平や皮膚感覚でそれを感知することが出来る。剣道は防具をつけているから、そうした微細な感覚は欠如してしまうのだろうか、いや、むしろ、隠しているからこそ眼や構え、竹刀の動き、感触などで捉えようと感覚が研ぎ澄まされるのだろうか。よく、気の力で相手が倒れたり、何かを感じたりする術も見たことがある。しかし、その程度で本物だとしても、それほど強力なパワーのようには見えない。
 稽古をしていて、そうした「気」を感じることが自分はうまく出来ない。いや、そうした気を感じてから動くのでは剣道は後れを取ってしまうのではないかとも思う。「気」というのは自分が感じるものではなく、相手がどう感じるかなのではないだろうか。自分が信仰するキリスト教においても、イエスの多くの奇跡が記録されている。触れただけで病気が治ったり、眼が見えるようになったり、皮膚病が治ったりしているのは一体何かというと、霊の力なのであるが、これはイエス様がそうした気の力を持っていたことを想像させてくれる。イエス様は荒野で修行したと新約聖書で書かれている。超自然的なパワーを人は身に付けることが出来るのだろうか。今回、住友海上の皆さんと小松警察所長の安江八段に稽古と第二道場での懇談を頂く機会があったが、安江先生のお話にはそのヒントがある。それは超自然的パワーではなくとも、誰でも身につけることが出来る気の話であった。
 それは全てにおいてプラス思考という行動の流れである。物事に前向きに取り組むことから生まれるパワーである。安江先生は1回であの難関の八段に合格された。その秘訣はいろいろお話になられたが、自分が一番感銘したのは、全てにおいて前向きに取り組む先生の行動であった。もちろん剣道を通じての話である。我々一般剣道愛好者にとっては剣道の稽古は時にはつらいと思うことがある。時間的、距離的制約、また、様々な役割や子供達の稽古相手になったり、道場に行けば自分の思うとおりになるようなことは少ない。稽古に行くということがプレッシャーになることも自分にはある。弱点である。それを転換しなければならない。
 防具を運ぶこと、着替えること、素振りをしたり、先生に挨拶をするといった事柄が道場に行くと待ち構えている。それは当たり前のことであるが、こうしたことを義務感とか、人から言われてやるようなことではいけない。鬱病や精神の病になる人は、そうしたことが重圧になって、頭にこびりついて寝床から出られない。気が抜けてしまった状態である。しかし、その逆に気を作るためにそうした予測されることに前向きに頭を切り替えてみてはどうなのであろうか。何事にも先んじる。稽古時間前に道場に行き、誰もいなければ鏡に向かって素振りをしたり、自分の構えを点検したり、やることはいくらでもある。よし、これを次にやっていこうとか、常に前をみながら、先先との稽古もお願いしていく。これが気であり、自分の稽古を導いていく。面をつけたら一番早く立ち上がって、その日の課題として、どのような先生と、どんな相手と稽古をし、その相手の癖や考え方を想定して頭に叩き込む。そして立ち会う時も気持ちが高揚したところで気合をかけること。そうすると、相手に何かが伝わる。それが「気」である。自分の気が相手を包み込むと相手は自分の動きに目が居ついてなかなか先が取れない。そうすれば地稽古もしめたものであろう。そこで相手からは何やら理解しがたい雰囲気が伝わってくるのではないだろうか。試合のときも、審査のときも、同様である。
 凡人はどうしても、方法論に耳を傾け、なにか良い方策があると得したような気になる。しかし、それは一時的なことで、到底、気とは無関係である。
 小松警察に伺ったときも、安江八段は、既に稽古着に着替えてお迎えくださり、道場に案内してくださった。
そこで既に我々は先をとられているのである。安江八段のお話を伺うと、審査に関しても、相手が問題なのではなく、自分自身の行動に関して、きちんとプログラムを作って、審査においても臆することなくそれを実行されているのである。先生は自分より下手の相手との稽古を大切にされている。自分より強い相手とは自信をなくすことが多い。特には叩き潰され、それに慣れてしまうと帰ってマイナスである。よく、大先生の追いかけグループがいるが、そのような人に強い人は見たことがない。自分より弱い人と稽古すると気は高まるのである。
 安江先生は八段審査のときは審査員に目を向けて頂く工夫をプログラムされている。稽古もそれを意識して組み立てたそうである。 まさに、剣道においてもPDCAサイクルが出来ている。相手においては常に先を取られ、気を取られ、後手に回って打ち込まれるのである。審査も、試合も、立ち会う時間はほんの3分とか試合でも5分。そこで勝負がつく。しかし、その前に勝負はついていると考えて行動することである。 そうした収穫をこの小松での武者修行で得たからには変わらねばならない。これからの稽古が楽しみである。自分はそうした剣道に対するある種の姿勢が気を作るのではないかと思っている。何も、電気的信号に基づいて稽古や試合をしているわけではないのである。さあ。やるぞーという気持ちが気を発し、相手に何かあると思わせるのである。そのような意味でなら気を高めた稽古と日常生活を組み立てたいし、武道に取り組む意味はまさにそこにあると思う。

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13日に小松に行き、15日に東尋坊などを見て福井の芦原温泉から金沢経由で新潟の新発田迄帰った。遠い!というのが素直な気分。西新発田を9:33に出て10:06新潟に着いた。写真は特急北越である。3月で廃止になる。新幹線を通すと並行路線はローカル線となり、JRから分離されるからだ。新潟は30年間で780億円の負担を免除してもらう代わりに最速線はノンストップになってしまった。新潟市から富山、金沢までのアクセスは悪くなる。新潟から上越妙高までは一旦高崎に戻るか、ローカル線で行くしかなくなる。

3月14日で廃止される特急北越
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新潟県の皆様、私を食べに来てくださいね
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新潟から金沢は北越4号で10:12に新潟を出て13:53金沢着3時間41分、金沢からは小松は32分かかる。小松には2時32分着いたから5時間かかった。帰りは芦原温泉14時16分に出て新発田には21:29着という遅さ。7時間以上かかった。帰りの特急北越が16時46分しかなく、金沢で途中下車した。




そこで目にしたのは北陸新幹線開通まで1カ月に迫り沸き立つ金沢であった。
北陸新幹線は新潟駅を通る事無く、最速の「かがやき」は糸魚川、妙高も飛ばし、新潟県内ノンストップで富山、金沢直行となった。新潟県は速達タイプの列車「かがやき」が県内に停車しないと不満たらたらである。
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金沢のはしゃぎっぷりがうらめしい。新しい大きなアトリウムのある新駅が輝いていた。
「かがやき」は東京・金沢間を最短のおよそ2時間半で結び、1日10往復するが、新潟県内の上越妙高駅と糸魚川駅には、停車しない。
新潟県や、沿線の上越市や糸魚川市などが、ほかの県と同じ程度の本数を停車させるようJRや国に要望していたが東京から2時間半にこだわったJRは新潟をすっ飛ばしてしまったのだ。もちろん遅い列車は糸魚川も上越妙高も停車するが、新潟駅は通らない。新潟の中心は新幹線の停まる長岡、上越、糸魚川になるのだろうか。そうは思わない。新幹線で発展した都市よりも、東京、福岡など、新幹線の基幹都市に吸い上げられるケースが多いのだ。また、東京に行くのが便利になるが、これからローカル線化する旧路線の柏崎や直江津、泊などは衰退の恐れがある。北陸3県が連合した経済圏ができていないつけがまわってきたのではないか。金沢の1人勝ち。一方、新潟駅の改築も遅々とした感じである。新潟県ののんびりした田舎風は好きだが、これでは貧乏な田舎から永遠に抜け出せない。

今、新潟から金沢、さらに福井まで行くのがいかに大変かを身をもって体験した旅であった。越前の三国温泉で写真の立派な「越前蟹」を頂いた。これは腕に黄色いタッグが付いており、三国産の証明書付きで、これは大
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きさによるが、一杯1万5千円から2万円はする。こんな立派な蟹は新潟では売っていない。越前ガニもみんなで食べるような時代が来ることを祈っている。新潟は豊かな田舎であって欲しい。

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 政府農協改革の方向は、単協が営農経済事業に専念し農業者のための組織としての機能を発揮するために単協が自立することがもっとも肝要なのだと強調する。が、実は安倍総理が機会を捉えてアピールしているのは「60年ぶり」のさらなる農協改革だ。総理は「現在の中央会制度とは異なる制度への移行」と度重ねて発言しているが、実は、これはJA解体への第一歩を意味している。中央会事業の根幹である監査権、一般社団法人化によってこの機能がなくなれば、中央会は一挙に無力化する。中央と地方の分断政策にこそ問題の本質をそらす意図がある それは、第1段階:JAの総合調整機能を果たしてきた中央会の無力化、第2段階:信用・共済事業のJAからの分離と事業連の会社化、第3段階:JAの解体、最終章:助けあいといった協同組合組織の壊滅化と競争原理一色の社会の実現といったものである。
 今、TPP交渉が山場であり、特に米の関税撤廃は難攻不落であったが、これを乗り越えるためには、政府の方針に沿わなければ、外堀を埋めるぞという脅しが必要でもある。岩盤規制といわれる部分に手をつけたことは評価できるが、安部政権のやり口は官僚統制を強めるもので、彼らの競争力強化というのは弱肉強食と責任の放棄であることが多い。要は、日本の農業を本当に強化できるかどうかにかかっている。いくら日本の農業を大規模化しようにも、国土の性格上、山間地も多く、そうは簡単にはいかない。むしろ地域の特性を生かした、それぞれの農業従事者の意欲を喚起し、戦略的な助言や情報提供が大事なのであるが、それが見えない。今農業特区は新潟市だけであるが、なぜこれを一箇所に縛る必要があるのだろうか。各県で作ればいいのではないか。TPPによる国際交渉は全国の米作農家に影響があるのに。
 日本の農産物は品質は良いが、国際評価は殆ど無いに等しいのは個別農家の努力が無いからだろうか。今年の米の輸出額は14億円しかない。日本の農産物の輸出は6117億円あって今年は11%も延びている。これらの輸出規模は先進国中最低で、この原因が全中、あるいは農家の後進性なのだろうか。政府はこれまで何をしてきたのだろうか。今後、TPPにおいて米は聖域ではなくなる。ならばこれを産業として守るには輸出しかない。その為には企業、大学、研究機関などが結集し、新しい品種の開発、日本食の普及、国際的に価格の高い品種の取り込みが残された手段ではないか。農業ドシロオトの自分でも分かる。世界で最も価格の高い米は日本の「うるち米」ではない。
「バスマティ(Basmati)」はインダス川両岸のパンジャブ地方(パキスタン北東部からインド北西部にまたがる地域)で栽培されている香り米。米粒は細長い形状で、炊飯するとさらに長くなるのが特徴。最高品質のバスマティは国際的に流通する米としては世界で最も高価な米といわれ、なかでもパキスタンから北インドのヒマラヤ山間部のデヘラードゥーン地方にかけて栽培されるスーパー・バースマティーと呼ばれる優良品種は、バスマティの中でも最も優れた品種である。平成元年度から6年度までの6年間にわたり実施された農林水産省の研究プロジェクト「需要拡大のための新形質水田作物の開発」(通称「スーパーライス計画」)では、バスマティを選抜した品種であるバスマティ370と日本晴を交配した品種「サリークィーン」も育成された。こうした品種を日本の優れた農業技術と意欲のある農家で栽培し、そしてこれを使った料理、さらに企業が世界に広げる仕組みづくを開発することこそ大切である。政府は情報収集や研究はするが、これらを農家に作らせ、所得になるような仕組みを起業と開発する努力をどこまでやっているのだろうか。日本の米が世界一美味いと言っているのは日本人、特にお役人だけである。
 先進国の中でも、オランダは九州ほどの面積しかないが、農産物、花やチーズ、園芸作物の輸出では世界有数である。これは国が英知を結集して国際競争力を強化した賜物なのである。もちろん、ヨーロッパという一大消費地を前にした立地やエネルギ−資源は日本とは違うから、農産物輸出大国になれと言っているのではない。オランダは花卉の一大市場を育成して来た。チューリップは歴史的産物である。今日本の政府が力を入れている日本の輸出農産物は、種類は増えたが、ドバイのスーパーでリンゴ1個1200円とかおばかな値段で当然売れない。それを品質の高い日本の農産物といって得意になっている官僚の自称成果を国民は怒りを持って改めさせ、彼らを処罰すべきだ。真に貢献する助言と規制改革こそが農業強化の方策である。 
 安部政権の狙いは実は、政府の統制機能の強化にあって、大学もCOCプラスとか餌を撒いて、大学の自治権を骨抜きにし、さらに岩盤のような農協を崩しにかかっている。政権の権力強化こそが目的であって、農業のためではないのである。もちろん、その狙いは憲法第9条の破壊である。

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地方創生を問う

 自分は新潟県新発田市に2年半前から住むようになった。新発田市にある敬和学園大学という学生600人ほどの小さな大学である。これまで、40年以上東京から離れたことがなかった身には地方都市のノンビリとした良さや、新潟県の暖かい人情に触れ、結構気に入っている。しかし、中心市街地の衰退や、地方私立大学の学生集めの困難に直面すると、安穏としていられない。今、新潟県では4000人を越える高校卒が東京などの大学に出て行き、帰ってこない。人口が減るわけである。今回の施策にも地方大学の強化が課題になっている。しかし、仕事がなければ卒業後の心配が若者を東京に向かわせるのはやむを得ない。首都圏の名門校に入る学生は少ない。どちらかというと、日東駒専クラスが多い。そうした大学にとって純朴なこの地の学生は伸びシロがあって喜ばれる。それでも、先は優等生でなければ一部上場企業には就職できない。それよりも、多少給与は低くとも、生活費も安く、都会よりは楽に暮らしていける新潟の大学の方が豊かな、しかも学習環境も良いのにと、悔しい気持ちになる。新潟には小さくとも堅実な企業は結構あるし、若い人なら、月5万円も払えば35年ローンで一戸建ても買えるのである。美しい自然も価値があると思う。難点は雪だが、意外と海岸に近い町は雪は降っても積もらない。また、地元の自治体の商工関係部門は企業誘致の力も方法も分からず、手軽なお祭りイベントで盛り上げようと、やたら若者を動員して「雑煮合戦」だとか、軽トラ市とか、新発田祭りなどに力を入れるが、これが人口流出を止めるとはとうてい思えない。
 そこに降って沸いた「地方創生」である。今の日本が直面しているTPP、増田レポートによる消滅都市問題、また、高齢社会、少子化、限界集落、空き屋問題など、現代の課題が直撃しているこの地にいるので今回の政策を直視しなければならない。地方創生に莫大な資金が投じられるような政府予算の公表が一体何をこの新潟の田舎町にもたらすのか、額面通りに受け止められない事も多々ある。
 以下に自分の考えを整理してみた。


1.地方創生の正体

 地方の時代とか、首都移転、分権化と掛け声は大きいものほど国の施策はうまくいかない。大体、経済効果が地方にまで及ぶというのは、現実としてはかなり難しい。空洞化や人口減少に悩む自治体が再生するならば、歴史的な特殊な出来事になるだろう。デフレの正体を書いた藻谷氏は、地方の若者人口の減少が消費減退につながったことを指摘した。人口論と地域経済の関係を明らかにしたところに彼の功績はある。藻谷氏は全国の中小都市を足でめぐってそれを明らかにし説得力のあるものにしたが、消費の減退原因は何も人口だけではない。今なお消費は低迷したまま。しかし、単に総人口だけをみても説明は不足である。人口の伸びと経済の発展は必ずしも結びつかない。メキシコとかアフリカ諸国など、そうでないところも多い。生産人口の伸びとか、経済構造、発展段階などの要素もある。工業国家と農業の割合の高い国の関係も課題だ。トルコや韓国は人口の伸び率も、GDPの伸びも大きいが、それぞれ固有の問題を抱えているし、経済規模が同等の場合で比較しなければならない。それぞれ統計的にバイアスがかかっていて判断が出来ない。高齢化は経済の発展を阻害するのかどうかということも、結論が出たわけではない。わが国が、世界有数の高齢化が急速にすすんだ国である。まさにわが国の課題として、高齢化と共に経済も発展させねばならない。そこで何が出来るかなのである。
 安倍政権は「少子高齢化」「平和」といった大きな理念的な政策目標に対して、言葉にとらわれて地方創生とか、マスコミ受けを狙うのはいいが、方法論は全くの中央官僚の作文を鵜呑みにして自分の知恵とか方法が表面的で本質に近づいていない。今回増田レポ−トが大きな影響があったが、人口論だけでは都市問題は語れない。要するに勉強不足、知恵不足なのである。これは、首相の故郷、長州の性癖である。明治維新も近代化も、王制復古迄はいいが、その実現方法が乱暴である。戊辰戦争、さらには後の軍国主義を台頭させてしまった。所詮、田舎者の浅知恵なのである。今年のNHK大河ドラマは見る気がしない。安倍政権ごますり番組「花燃ゆ」をNHKははじめている。最低の視聴率であるようだ。

2. 結果は見えるようだー生産性の向上こそ目標点だ

 今回の地方創生策は片山善博慶大教授(前鳥取県知事)の言うように、きわめて性急であり、ばら撒き的な策になるリスクをはらんでいる。地方自治体の官僚はいかに予算を多く取れるかに奔走し、東京のコンサルタントに作文を依頼しかねない。それでは実効性のあるいい計画は出来ない。いくら国費を投入しても、受け皿になる地方がアイデアを出し、それが経済効果として実現されなければアベノミクスの第三の矢にまではならない。今回の地方創生は、この半年くらいで成果が上がらない場合は、かえって悪性インフレを起こすおそれもある。地方創生といいながら、国は金を出すだけで規制とか条件を出すが、知恵は出さない。かつて、地方活性化のために、公共投資を大規模に行い、人の来ないリゾート施設や、熊や鹿のための高速道路、環境破壊するだけのダムや川の護岸工事など無駄を重ねた。この政治が再び復活し、新幹線の延伸など、地方を一層衰退に導くかもしれない。北陸新幹線で富山や金沢は栄えても、その間の村落は一層衰退する。人口移動は東京一極集中とはいえ、地方都市も集中している。新潟市は人が集まるが、周辺の都市は衰退が激しい事で分かる。本当に必要な、農業戸別保証、地方の私立大学などの教育投資、研究開発などには結果的にはお金が回ってこない。強いものが益々多くを得、弱いものが打ちひしがれる結果を招くのではないか。
 我が国の弱点は、生産性の低さではないか。何故、日本から製造業が出て行くのかというと、大規模製造業にとって人件費が高すぎ、生産性が低いし、円高で輸出競争力が低下したからである。円高が是正されても生産性の問題は残る。国の基盤をなす農業は高齢化と減反などの政策の失敗、合理化が進まないなどでこれも生産性が上がらず、対抗出来ない事もTPP合意のネックになっている。農地を集約するのもいいが、果たしてそれだけだろうか。山間部などは集約の余地も無い。また、先進国で一番低位なのがサービス業の生産性である。販売業も含め、ホテルや観光業などの事業効率も良くない。そうした産業に働く人をどう育てるかではないか。結論は教育にもっとお金を使えである。地方創生に限らず、行政の行うことは生産性や効率を阻害することの方が多い。予算を振り向けつつ、何かと介入してくる。減税策にしても、補助金においても、官僚は国民の税金を使うという大義名分の下に、自己保身も含め、条件をつけ、時にはコンペによって自分たちの裁量権を拡大しようとする。政治家は本来そのような官僚の横暴を抑え、使い勝手の良いものにするのが仕事だが、今の政権にはそれが機能しない。

3.地方創生は人づくりから

 地方で高齢者が住み良い社会にするためには福祉施設や病院も含め、サービス産業や販売業で働く人が重要なのである。富国強兵や高度成長の為に大学卒を促成栽培した。しかし、何も皆が帝国大学式の授業、カリキュラムではマスプロ授業の効果は知れたもの。流通業やサービス業の人作りとは何かである。簿記一級とか、公認会計士、弁護士はいらない。今の日本の教育では文系の専門家は英語の教員くらいしか育たない。他の資格は専門学校で充分。それより、常識的なものの考えが出来てリーダーシップのとれる人が必要だ。幅広い教養をみにつけ、常識程度の実務知識を学んでいれば、後は職を得てからの学びが大切だ。仕事に就けば学校の座学で学んだ事は殆ど役には立たない。更なる修行と、仮に学んでいなくても、その後の努力で何とかなる。

4.消費が伸びないから地方に期待かーニーズが大事
 
  ベアの低さとか、給与が上がらないことが消費低迷の原因であるかどうか疑問だ。昔のように食料や生活必需品などの商品は種類も多く、価格帯も幅があり、低所得でも飢えるようなことは無い。金がないから買わないとうより、買いたくなるもの、欲しくてたまらないものがない。むしろ、質の高い商品の消費が進まないということだろう。例えば、スーパーで500円のワインしか飲まない人と2000円のワインを買う人とは食生活が違う。高いワインを買う人は高級チーズも買う。食事内容も「タラちり」ではなく、海鮮鍋とか、すき焼きかもしれない。高級食材や高いレストランで家族で食事できる人との消費額は物すごく差があるはずだ。何も、ローレックスの時計が売れないというのではない。なぜ若い女性にルイヴィトンが売れたのかを考えてもらいたい。あの様な商品は本場では若者は買わない。日本では売れたのは市場を作ったからであり、所得が高いからではない。今の消費者が欲しがるような商品が生まれないということだ。高度成長期のように三種の神器といわれた商品、自動車、家電製品などで欲しいものはないし、高齢者が増えれば、彼らは衣類などは沢山保有し、何も異性交遊のためにおめかしする機会もないから服を買わない。たとえば、ネクタイだって、いろいろあるが、蝶ネクタイは普段はしないが、これは販売の努力をする人がいないからだ。また、和服なども売れないもののひとつだ。浴衣など、花火大会に若者が着るようになったが、それでもTシャツで充分という人が多い。地方都市ではやたらお祭りとか、人集めのイベントが盛んで、地方新聞はそうしたイベントが必ずニュースになるが、これらが一体消費にどう結びついているのか疑問だし、さらに人口増に結びつくわけが無い。
 話は変わるが、昔は盆踊りなどは貴重な男女交際の場で、その後子供が生まれたりした。都会で何故風俗産業が栄えるかというと、性行動に本来積極的な男がその相手に困るからである。江戸時代に吉原など遊郭が盛んだったのは、全国から男性が江戸に来るのだが、女性が少なく、単身赴任も多く、男性が性行為をする場が少なかったからだ。少子化というのは必ず性行為とリンクしていることを忘れてはならない。だから、今日、都会であれば、女性と出会う機会が多いかどうかの保証はないし、共稼ぎで、仕事もきつく、サービス残業が多ければ男女の出会いも減る。夫婦も夜の接点が無くなる。服は売れない、都会は車が無くても便利だし駐車場代が高すぎて車を買う気にならない。家は狭いから家具も電気製品も冷蔵庫やエアコン、炊飯器、掃除機があれば後は何とかなるし、日本製は丈夫で長持ちだ。何を言いたいかというと、人々のニーズに近づき、そこから出発しなければ子供もふえないし、消費も増えない。消費と出生増はよく似た性質があるのではないか。地方の人に子づくりの意欲と者を買う欲求を高めるにはどうしたらいいのかである。

5.人材(財)育成

 飽和した消費の力を回復するには人の力が必要だ。その為には人材を育成することであり、それはリーダーシップ、接客業や販売業が消費につながる企画や商品開発の力も発揮できる人材である。ローカルなグローバル人材も求められる。世界的に通用するスーパースタッフ、これは自然に生まれてくる一部の頭の良い人を育てるしかない。これはGDP上昇とは関係ない。GDPを上げるにはマジョリティの消費レベルを上げなければならない。だから、ここで求める国際人材は英語のできる警官とか、旅館の社員、タクシー運転手や銀行員、市役所の窓口などだ。レベルアップすべきはサービス業や販売業の人々ではないか。この分野の生産性をあらゆる面であげることだ。

6.国の本気度

  国は地方の創生を本気で行うなら、予算も大事だが、国が率先して行うべきことがある。これまでの試みの検証である。首都圏移転はできなかった。それはなぜなのか。できないなら次善の策はなかったのか。太平洋岸の地震ー東日本大震災に対する裏日本の活性化とバックアップ都市機能の拡充はどうだろうか。産業の労働力流動化も大切だが、派遣社員の待遇や労働条件の改善も必要だ。高齢者ばかりが地方に戻れば社会保障がパンクする。彼らを世話するのは若者になろう。地方への社会保障費の傾斜配分なども行なわねばならない。国の運営で困難なことはあらゆる課題が一緒に走っていることで、何処かを無視することは難しい。しかし、優先順位をつけ、それを国民の理解を得られよう説明できるかではないか。安部政権はいつもそれが足りない。紋切り型ではダメだ。安部は憲法改正議論に入りたくて仕方が無いが、まだまだそこまで国民には、いや、世界からも信頼されていない。

 今年は第二次大戦後70年である。日本はこれを機に変化し、社会は大きく循環した。ところが今やどうだろうか。国会議員に二世議員がやたら多い。今の自民党幹部に一体どれだけ二世議員がいるのだろうか。東京大学に行ける学生は、小学校からエリート教育を受けた恵まれた家庭の子供だ。AKBにはお嬢様はいないだろう。AKBは激烈な競争を強いられ、高卒にもなれない。今の社会はボトルネックだらけだ。これを改善し、淀んだ流れを回復させねば何をやってもエネルギーが生まれない。お嬢様は慶応や東大、上智や早稲田に行っている。最後に、言いたい。首都圏や都会にはそれぞれ違った役割がある。地方都市と首都、地方圏と首都圏、都市と農村、地域ごとに支援策を作り、後は地方に任せる。目標はそれぞれに人が、そして物や商品が循環する社会を作ることだ。子作りや教育は地方都市、若者は東京大阪に集まる。国際的に働くなら首都圏に行きたいのは自然だ。しかし、60才過ぎても働けるうちは故郷に戻ればいい。そして故郷のために働く。こうした循環を行いやすい仕組みを作ることで地方を創生してはどうだろうか。今の政府の政策は、地方中核都市を人口のプールにして、ミニ東京を全国に作るということのようだ。それはかえって、東京のように出生率を落としてしまうかもしれない。何も、金沢や新潟、各県の30万都市は困っていない。問題はそれ以下の中小都市なのだ。もちろん、そのときは 東京も変わって行かなければならない。そのためにも、人口の固定化を防ぐ仕組みを作っておかなければならない。今や東京は子供が減るという意味においてはブラックホールのようになりつつある。先は、地方が魅力的にならねばならない。地方に若者を定着させるための「ひと・まち・しごと」というコンセプトは良い計画だと思う。何も、国がする事は間違っているとは言わない。しかし、その着地点に至る道が重要なのである。その選択肢が何も語られないことが問題なのである。八田達夫氏はそのためには健保を国家管理として、自治体の高齢化に応じた配分を提言している。比率が一律で、住民負担が少子化の進んだ地方に重くのしかかって来る仕組みは現実的ではない。また、首都圏の大きな私大が10%も20%も定員を上回って学生を入学させる、ある種の不正を統制することも国の役割である。地方にアイデアを出させる事は大事だが、先例や過去の過ちを反省し、国の行なうべき事を率先垂範スべきである。

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by katoujun2549 | 2015-02-06 18:54 | Comments(0)
 赤瀬川原平さんが亡くなられた。彼は「老人力」という本で、高齢社会のウィットに富んだライフスタイルを世に出した。かつて、彼のデザイナーとしての特技を生かして、千円札を細密にコピーし、それを印刷したかどで逮捕され、偽札偽造の罪で有罪になったことがあった。マニアックなご性格と,とどまる事を知らないユーモアの持ち主であった。彼は、喫茶店で、わざと偽の千円札を床に落として、それを拾う人の行動を観察したりしているうちに、印刷迄していた事がばれて御用となった。その裁判は法定が爆笑の渦になったくらい「愉快」な意見が飛び交ったらしいが、詳細は知らない。しかし、偽札作りは重罪で、江戸時代なら獄門の刑である。マニアというのはある種の欠乏症である。彼の場合偽札を思い立ったのはお金が無くて困った記憶からだと思う。物に拘るばあいはそれが欠乏症になる。彼は写真機マニアでもあり、ライカ同盟という本を書き、ライカウィルス病と言う言葉も生んだ。今頃、銀座の松屋で開かれる世界のカメラ店は中古カメラマニアで溢れていた。ここに集まる中高年層のオジさんは、作品より、古いカメラのレンズの性能を楽しむのであって、作品を競うのではないのが特徴である。赤瀬川さんはその道の大家であった。こうした道具マニアは至る所に様々な形で存在する。マニアが病になるのは「金がない」「買えない」という事態に常時あり、欲しい目当てのものを思っただけでよだれが出て目がうるうるしてしまう。さらに現物を見た途端に身体が硬直し、その前にたたずんでしまうという症状である。中高年男性のマニアでカメラの次に多いのは時計ではないだろうか。

価格のワリには地味すぎるグランドセイコー:これで50万円はどうか?
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 昨年、自分も、仕事をしながらろくな時計を持っていない事に気がつき、奮発して時計を買った。セイコー、シチズンなど性能は素晴らしいが、デザインがどうも気に入らない。そこでオメガのコンステレーションというのを店員が薦めるので買ってしまった。これはまさにピンキリで、装飾によっては100万円以上のものがある。さらに、ローレックスとか、パテックフィリップ、カルチェ、オーディマピゲ、ピアジェ、パネライ、ヴァシュロン・コンスタンタンとか、世界の名だたるスイスを中心とした時計メーカーが豪華な1,000万円以上もする腕時計を売っている事に驚いた。今や、デジタル時代で、時計の精度を問題にすることは無くなった。仮に500円以下の時計でも、先は1年は殆ど狂わない。これはセイコーの生んだクォーツのお陰である。しかし、高級腕時計は今なお自動巻やゼンマイなのである。正確さよりクラフトマンシップを買われている。今、セイコーの高級機種で、グランドセイコーのスプリングドライブ、GPSで世界の時間が性格に衛星情報で動くソーラー電波時計のアストロンなど優秀なメカを持っている。これらはスイスを凌駕していると思う。セイコーの製品は日本人の几帳面な性質の反映で我々のライフスタイルそのもの
である。だから、国産の時計を尊重したい。しかし、世界のメーカはそれほど精度にはこだわっていない。そんなに正確な生活をしていないからそこまでの機能は不要なのである。それよりも何よりも材質とデザインであろう。日本人も定年後はのんびりと外国産の狂った時計で生活するのも乙ではないか。中でも、ローレックスは世界の時計界の王様である。確かに、ローレックスは用途に応じたダイバーウオッチ、サブマリーナとかヨットマスター、ディープシーなど素晴らしい。黒を基調として金などを使わずにステンレス製で安心と機能を感じる。デザインやアフターもブランド価値がある。しかし、他の豪華な機種は負け惜しみもあるが買えないし、魅力を感じない。あのゴツいデザインはいかにもローレックスですよという感じだし、ゴールドは成金的職業のオッサンが身につけているイメージが出てしまう。ただチェリーニは凄いが金だと自分には似合わない気がした。

お気に入りのローレックス、チェリー二
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これを着けてリゾート気分もよし
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 結局、オメガのコンステレーションというのを買った。店員はしきりに10万円高い金のはいったのを薦める。こちらは意固地になってシリーズで一番安いのにしてしまった。実はこれまで、腕時計をあまり買った事が無かった。大体、形見とか記念品で済ませていたのだ。ところが、後日ある銀行の支店長が来たが、その腕時計を見たら、同じコンステレーションで金が使ってある分10万円価格が高いものをつけているではないか。情けないが、内心、チェッと思った。物の魔力と言うのだろう。くだらないと思いつつ、自分の安物を見てニンマリされて、優越感をもたれる!という恐怖に襲われた。途端に次の金ばりのものが欲しくなった。いろいろネットで世界の時計を見てみると、あるわあるわ、凄いのが一杯ある。たかが時計ではない。スポーツカー並の何千万円というものがある。でも、基本的には、価格からも性能などをみてもロレックスは大した物なのだろう。しかし、自分は、やはりデザイン、風格、求めやすさなどからオメガに軍配を上げたい。何も高ければいいというのではない。そこで自分の次の目標はオメガデビルのコーアクシャル・パワーリザーブという製品に目をつけた。これはホワイトゴールドと金と両方のタイプがあるが、形、機能、気品と申し分が無い。勿論セイコーアストロンという高性能もあるが、この年になると時計には機能以外の要素、品格、質感も価値として考えたい。しかし、金だと100万円をこすので、そうは簡単に手が出ない。あくまでもよだれを垂らしながら、眺めるだけの時計病人になったという訳である。この時計の形、姿どうでしょうか、素晴らしいと思いませんか?e0195345_14552720.jpge0195345_1455497.jpg

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