<   2014年 12月 ( 9 )   > この月の画像一覧


1.2015年は幸せな世だろうか
 安倍政権が年末選挙で圧勝、長期政権への道が開けた。これまで、安倍第一次内閣以降、毎年の様に政権交代が6年も続き、国際的な政治評価はガタ落ち、同盟国アメリカからもまともに相手にされず、韓国と中国からは馬鹿にされ、デフレからも脱出出来なかった。黒田緩和によってようやく、デフレから抜け出しつつあるが、今度は、スタググフレーション(不況下のインフレ)の懸念が増しつつある。弱いものはさらに弱る。皆が一緒に栄え、成長する時代はもう来ないかもしれない。分断の時代が始まる。世代間、地域間、企業間に格差が広がるからだ。

2.政権交代と軍備
 民主党のテイタラクは安倍政権独走への道を開いてしまった。民主主義の発展においては好ましい事ではないが、これまでの遅れを取り戻すには良い機会である。特定秘密保護法、集団的自衛権、武器輸出三原則の緩和など、日本の軍事力への道筋が出来て来た。日本は軍事国家にはならない。とはいえ、危うい部分もある。日本は地理的には大陸の入り口に当たり、また、海上交通依存度が高いので、限りなく海軍力を必要としている。この1世紀の間、空母を含む連合艦隊で戦ったのはアメリカと日本だけである。日本は戦後、海軍の生き残りで海上自衛隊を再興し、日本海軍の伝統を継承し、極めて優秀である。戦争に巻き込まれるリスクは高い。
 我が国は平和国家として世界の優等生であったが、70年間、世界では戦乱は絶えなかった。日本が憲法第9条によって得た利益と信用は計り知れない。それを改正したがっている安倍総理の魂胆は見え透いている。東西冷戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イランイラク戦争、さらにアフリカの内戦と今日もアフガニスタン、シリア内戦、イラクとイスラム国内戦と続いている。その間、核兵器も含め、人類を何度も絶滅させることの出来る軍備が世界に蓄積されてきた。しかし、ハイテク兵器やロボット兵器など軍事技術は独自に進歩を続けている。21世紀に入ってからの戦争は、かつての国民国家の対立の構図より、民族対立や宗教紛争を原因とした代理戦争、むしろCivilWarの様相である。対テロ戦争も含め、その根本には貧困とか言論の自由、失業といった社会経済事情が渦巻いている。そこに資源とか大国の利害がからみ、状況把握が極めて困難な時代になった。こうした中で、情勢を分析するその国のインテリジェンスが不可欠になる。しかし、我が国ではそんな能力は無い。資源も、情報も他国頼みなのである。我が国は戦争でも経済、政治でも、アメリカの情報に頼らざるを得ない、情けない国家である。どうせそうなら、アメリカがやって欲しいという事だけやればいいのだ。日本が国防に無力な原因は世界の実態から平和を盾に距離を置いて来た、ある種の無菌状態が、危機対応能力を限りなく0に近づけて来た。国防という側面から臨戦態勢にあるのはイスラエルである。この国は周りが丸焼けとなろうとも、自国の安全が確保出来れば良いといエゴイズムを持っている。イスラエルにとっては平和は作られているもので、少しでも手を抜くと消えてしまう。日本は国防上の課題はイスラエルに学ぶといいだろう。畳の上の水泳と真剣勝負の差はあるが。

3.借金大王
 日本政府の借金は1177兆円、GDPの243%にも上り、財政再建が急務であると朝日新聞は叫ぶ。確かに節約や構造改革は必要である。しかし、その構造的な課題がどうなっているかは明らかにしていない。というのは、日本政府の負債は、大量の国際を政府が日銀に引き取らせており、この分は割り引かねばならないし、政府関係外郭団体にも分散しており、純粋の負債はGDPの80%程度であるという計算もある。確かに社会保障費はうなぎ上りで、対応は必要だが、負債を多めに喧伝して、増税の根拠にしようとする財務官僚の思惑も入っている。日本の国債の引き受け手が国内金融機関であり、対外債務ではないから幾らでも公共投資をやっても平気だという理屈は、日本の経済が国際的信用を生んでいる現実を無視している。国際的な信用なども含め、わが国が今も経済が順調で、危機からは遠いという評価が前提であって、これが一度危うくなれば、国債評価が下がり、金利上昇によって巨大な負債を抱える政府は途端に苦境に陥るのである。戦争にでも手を出せば一巻の終わりである。あくまでも金融の世界は、日本の産業が健全で順調に成長する力があることが前提なのである。戦争というのは一見経済にはプラスである。莫大な公共投資である。しかし、若者の血という途方も無い負債を残す。

4.第三の矢はどうなるか
 では、アベノミクスの第三の矢が地方創生、国土強靭化による公共投資で推進出来るのかは、あくまでも、その実行内容による。特に、2014年補正で地方創生の1,000億円の追加補助が行なわれれるというが、その内容で、景気の循環に貢献するかどうかである。これが、土木や福祉のばらまきになっては砂漠に水を撒いたようになってしまうだろう。アベノミクスの効果は、円安と金融緩和で日本の産業に新たな循環が生まれ、若い人の消費が拡大する事で真の経済再生が始まるかであって、一部の大企業や、資産家がもうけるだけでは改善されない。輸出企業、大企業は蓄積した資産を国内経済の循環には使わず、さらなる対外投資、企業買収等に使ってしまう。株で儲けた人は、時計とか、宝石、ペルシャ絨毯に使うほかは、更なる株の購入や、土地建物に向かって、インフレを加速させ、所得が目減りした庶民の消費は拡大しない。自分は一番効果が上がるのは人づくり、街づくり、教育ー特に大学への投資だと思う。日本の高等教育予算は先進国の中では極端に低い。大学は4年くらいで学生は育ち、就職すれば初年度から消費に向かい、さらに、数年で生産性向上に寄与する。iPS細胞も大きな発見だが、産業化に結びつくには長い時間がかかる。3年で効果が出る施策であるべきだ<。TPPは構造改革に結びつくが、失うものも大きい。

5.TPP
 来年はTPP交渉がまとまるだろう。そもそも、日本が聖域としている米や牛などは守りきれない。というより、TPPが無くとも、後継者がいなくなり衰退してしまうだろう。TPPという厳しい現実は日本が工業国としての存在を守る為のもので国内産業である農業や規制に守られた医療等を犠牲にする。犠牲こそ、日本人の知恵を働かせる。この知恵によって克服出来る。かつて、アメリカが自動車の市場として期待していた日本市場を全く理解出来ず、逆にアメリカが攻め込まれてしまったことを思い起こして欲しい。日本の底力を示すべきであろう。何事も、メリット、デメリットがあるが、最初から儲かる話なんぞ無い。交渉というのは互いがイーブンになった時点で成立する。だから、決まった時が出発点でこの時点から経済の問題は出発する。わが国は、必ず克服するだろう。
 今、新潟県を始め、「特区」による保護事業が始まろうとしている。しかし、こうした規制緩和措置中心の方法では何も成功しないだろう。人間は競争や批判を乗り越えてこそ新しい世界が切り開ける、おそらく、特区の中だけでしか市場も開拓出来ないで終わるのではないだろうか。TPPという農業に厳しい国債競争から抜け出して来た事業こそが全日本に、あるいは世界に受け入れられるのではないか。今行なわれている、8,000億円以上の上る農業戸別所得保証制度は選挙の票の為に出来た制度で、欧米の様な農業の産業化を促進していない。農業において自分で消費するしかない米作りにも補助が行なわれている。事業として農業に創意工夫をしている専業農家は、多くが年収2,000万円以上を達成しているという。彼らの作る農産物は市場の情報をとらえ、気候や土地の風土に対応した創意工夫溢れるものである。これらが、日本の国内市場も分からないアメリカや海外のものに負ける訳がない。先は輸入攻勢をしてきた、農産物の中で、市場のニーズから外れたものから淘汰されて駆逐、その後、これらを送り込んだ産地目指して逆に殴り込みをかけるのである。農産物の消費者と直結した日本人のきめ細かい嗜好、サービス、アフターケアを織り込んだ商品展開をすれば負ける訳が無い。6次化の成功が不可欠である。日本人の底力は海外で発揮される。特区の中で甘やかされた事業は世界では通用しない。日本酒、日本食、寿司、蕎麦、B級グルメなどは世界で通用する。例えば、本当に美味しい日本酒はやはりアメリカやシンガポールでは作れない。特に、発酵食品は風土の制約がある。先は多くの外国人を日本に旅行に来てもらい、日本の本当の良さを知ってもらう。日本の農産物活用しグルメを見つけるべきだ。松茸などは全く理解されない味覚だろう。それより、B旧グルメが良い。タコ焼き、お好み焼き、焼きそばなどは大いに可能性がある。そのうち、韓国人などがインチキの日本文化で儲けている事業を駆逐して、本物を現地で展開する。こうした戦略的な手順が必要である。気候風土の違いから変質してしまう。スペインのイベリコ豚などは生ハムで売れるようになったし、フォアグラ何ぞは肝硬変になったガチョウのレバーではないか。フランス料理の普及と合わせて世界の市場で取引されている。日本はどうでしょうか、トンカツ用の豚にはトンカツの世界制覇が必要だが世界で有名なウィンナシュニッツル遥かにうまい。カツサンドなんて日本だけしか無いだろう。おにぎり、お茶漬けには魚沼の米でいけるだろう。日本のイチゴは実にうまい。マレーシアでニュージーランド産の形の美しいいちごがあったので食べたら味がしなかった。輸送と保存方法の開発がひるようになるが、これが成功すれば世界で売れる。

6. 恐怖のばい菌
 この100年間の医療の進歩は著しいように見える。ところが、癌は未だに治療が難しい。胃ガンは減っているが、これは実は電気冷蔵庫の普及が寄与している。塩分を使った保存食の摂取量が減ったからである。今でも塩辛いものが好きな人に食道がんや胃ガンが多い。秋田県や奈良県は胃ガンの多発県だ。エボラ出血熱、デング熱、新型インフルエンザにはじまり、従来克服したかのように見えた病気が復活する。ストマイの効かない結核、耐性菌、マラリアなどである。21世紀はかつて、ペストや天然痘に人類が怯えた時代があったが、病気との戦いが再び始まる。iPS細胞の発見やゲノム解析等医学の進歩は病気の克服をどこまで達成したのだろうか。実は、殆ど人間は病の原因に勝利していない。せいぜい、天然痘とか、ポリオなどは克服した。数多ある病のうち、完全制覇したのはほんの僅かなのである。確かに、人間の寿命は延びた。特に幼児死亡率は大きく改善された。伝染病等も衛生環境の改善、ワクチンや手当ての進歩は大きい。しかし、病原菌には数件しか勝利していないのである。2015年はこうした人類が取りこぼした病に関して、事件も発生するであろう。

7.領土問題
 尖閣諸島や竹島問題が今年は沈静化するだろう。先は尖閣諸島問題はCIAが、アメリカの防衛産業と結託して起した事から始まった。竹島とは意味が違う。このことを見抜けなかった、当時の脆弱な民主党政権の迷走を狙ったのが中国の攻撃であった。日本はこのお陰でオスプレイや欠陥戦闘機F35を買うはめになった。アメリカはニンマリだ。さらに普天間の辺野古移転はフィックスされてしまった。中国の対応は野田政権の尖閣諸島国有化という勇み足によって態度を硬化させた。アメリカはしてやったり、中国に関する日本の不幸はアメリカの幸せ。中国や韓国は慰安婦問題や日本の歴史修正主義を批判するという安倍政権を攻撃するメニューを提供している。今年は中国も韓国も自国内の経済問題に追われそれどころではなくなって来る。それより、国内問題の行き詰まりを領土拡張でそらそうとするために、悪のりしてくるであろうロシアが危ない。北方領土は解決の方向どころか、ロシアの脅威が増すのではないだろうか。

8.中東情勢とイスラム国
 急速に発展を続けるテロ国家イスラム国とシリア内戦は国際情勢を左右する。シリアのアサド政権もイスラム国も当面は安泰だろう。世界はこの地域を統治する方法を見いだせない。将来はこれらの国がイスラエルとどう対応するかによって決まる。マキャベリズムの権化の様なイスラエルは自国に安全が確保されている限りは動かない。この国が動くのはヒズポラとISISが結託した時だろう。むしろ、イランとトルコが先に動く。イランはアメリカとの関係改善のためにイスラム国への対抗勢力として/アピールする。イスラム国はイラクのキルキークなどの油田地帯を狙っており、このクルド族と対立関係にある。イランやトルコには多くのクルド人がおり、その独立運動に神経を尖らせている。親米国であるトルコと、アメリカとの関係が微妙なイランはイスラム国を叩く事で自らのシリアとイラクに対する支配力を高めようとする。既にイランは爆撃に参加した。これはササン朝ペルシャとオスマン帝国の栄光を夢見る国家の地政学的宿命である。中東に第二の北朝鮮が生まれ、どうすることも出来ない。世界の注目がイスラム国に集まって、さらに脅威とならない限りアメリカもイスラエルもじっとして動かない。このイスラム国への世界の対応がテロ問題への処方箋となる。

9.アメリカと日本
日本の宗主国はアメリカであることを忘れては全てが上手くいかない。彼らを舐めてはいけない。マスコミは口先だけは常に権力を叩く。しかし、裏では結託している。マスコミの報道は常に、アメリカの病理や失敗例をあげつらう。その実例が黒人問題だ。この問題は建国以来の問題で、何も今にはじまったことではないし、解決もできない。国家というのは矛盾を抱えている。全ての国民が一致したら怖い事の方が多い。戦争が良い例だ。失うものが大きすぎる。アメリカは戦争が無ければ、無限に成長できる可能性を秘めている。オバマはレームダックで良い。アメリカ人は不満だろうが、大統領は戦争指導者であることが一番支持を得られる。それが出来ない好戦国アメリカは後2年は戦争でができない。尊敬されないオバマの為に死ぬ兵隊はいないだろう。アメリカは暫く平和であることが世界の幸せ。誰もアメリカに世界の警官になる事を頼んでいない。アメリカの経済は何も国民全体を幸せにする為にある訳ではない。しかし、イノベーションは常に生まれ、これまでの軍事技術からの応用や産業が生まれ、21世紀をリードするだろう。経済の活性化を冷やすため、FRBは利下げをするから、日本の円安は続く。

10.中国は動くか
世界に迷惑を撒き散らして知らん顔の国だ。この国の不動産不況が経済に影響する事はわずかだろう。日本の常識ではこの国は理解出来ない。中国には土地はそもそも限られた資産ではない。中国の資産は膨大な数の人民である。人が腐敗したため国が滅びた歴史を繰りかえしてきた。
 今の中国にはイノベーションは無いが、コピーは多い。何でも最初はコピーだ。中国は未だ可能性を秘めている。人権抑圧何のその。昔から、この国にそんなものはない。弱肉強食、膨大な欲望がある。彼らの欲望はサイや象を絶滅に追い込む。赤サンゴも良い例。しかし、共産党政府はこれら人民の欲望を抑制する力がある。中国という国民国家は完成しなくとも、どこからも侵略されない国、迫害されない中国人であれば彼らは幸せを掴める。バイタリティーある国民だから、21世紀後半迄、世界の市場になり続ける。ホビットの冒険で巨大なドラゴンが出て来るが、中国という国はまさにあれだ。莫大な富を守る龍が共産党である。刺激してはいけない。眠らせておけば良い。寝相は悪いから、時々寝床を整える必要はある。
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ナイトメアビフォークリスマス(1993年公開)はミュージカルアニメーション映画。ストップモーションアニメで原案・原作ティム・バートン、さらにコープスブライドと続くのだが、ウォレスとグルミット はクレイアートアニメの傑作である。クリスマスの夜はこれを見ると何だか幸せな気分になる。最初に見たのは随分昔だ。家内が生きていたころ、子供が2人まだ家庭にいた時代を思い出す。何ともほのぼのとした感じが大好きである。ここにはイギリス人のある種憧れの生活がある。独立自営の生活か、平凡な生活から様々な発明、そして大騒動がおこる。このウォ−レスの独身生活はMr.ビーン(ローワン・アトキンソン主演)のコメディにあるライフスタイルにも通じている。
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 最初に見たのがペンギンに気をつけろ!だ。原題は『The Wrong Trousers』。下宿人を装ってウォレスの家にやってきたペンギンのマッグロウの正体は指名手配の泥棒だった。スリリングなクライマックスのサスペンスコメディー。1992年2月制作1993年シカゴ映画祭グランプリ、1994年アカデミー賞短編アニメーション部門最優秀賞受賞、1994年ザグレブ映画祭グランプリと国際的な評価も高い。バットマンの2作目もペンギンマンがペンギンを使って悪事を働く。あの可愛いペンギンが悪役というのも何とも面白い。たしかに、あの目の辺りがアイマスクを付けているギャングのイメージに合っている。
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この作品のメインキャラクターをご紹介しよう。Wikipediaからの引用ですが、ご了承ください。
『ウォレスとグルミット』(Wallace and Gromit) は英国のイングランドにあるアードマン・アニメーションズのニック・パークが制作したクレイアニメ作品である。未(ひつじ)年にふさわしいキャラだと思う。というのはそこに、いつも登場するのが羊のショーン。ウォレスとグルミットの物語に重要な役割を演じて来た。
 ウオレスは西ワラビー通り62番地に住む少々とぼけた自称天才発明家。寝つきがよく、宙づりにされても決して起きない。お茶とボルドーワインを好み、新聞はモーニングポストとイブニングポストを購読している。かなりの楽天家でチーズが大好物。野菜が大の苦手。

 グルミットはウォレスの永遠のパートナーのビーグル犬。しっかり者で言葉は話さないものの、字が読め、表情やジェスチャーで話を伝える。キャラクター。コーンフレークが好物。編み物が得意で、機械工学に通じる。愛読書は、「犬でもわかる電子工学」ドッグワーツ大学卒(ハリー・ポッターの魔法学校「ホグワーツ」に引っ掛けたもの)。
 ショーン
なんでも食べる大食漢の羊。間違ってウォレスに刈られてしまった自分の毛で作られた服を着ている。体は小さいが、勇気は人一倍。「ウォレスとグルミット、危機一髪」・「ウォレスとグルミットのおすすめ生活」、主人公として「ひつじのショーン」に登場。
この羊のショーンが何とものどかで、かつ、様々な被害にもあう所が面白い。

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銀座2丁目のクリスマスイルミネーション
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毎年、銀座はクリスマスイルミネーションが美しい皆、第一級のデザイナーが腕を競っている。
朱鷺メッセのイルミネーション
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朱鷺メッセの信濃川沿いの通路はこのようなイルミネーションが美しい

朱鷺メッセから見た新潟市
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北側の新潟市内の冬景色 新潟市内はあまり雪の積もらないところ。長岡や津南町、十日町などの積雪は半端ではない。しかし、海側は雪は降るが、積もる量は少ない。今年は異例なのだそうである。
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エボラ

 エボラ出血熱の起源ー最初の事例は既に1976年にスーダンで見つかっており、この感染者の男性の出身地付近である、当時のザイールのエボラ川からこのウイルスの名前はエボラウイルスと名づけられ、病気もエボラ出血熱と名づけられた。過去何度か感染と流行の兆しが見られたが今回ほど大きな広がりを見るに至ったことは21世紀の大事件であった。2014年の流行の端緒となったのはギニアの子供で、その病気を癒す祈祷師が感染して死亡。その埋葬に立ち会って感染した患者のウイルスの解析から、祈祷師はギニアで流行し始めていた2種類のウイルスにかかり、これがシエラレオネ流行のルーツになっていることも明らかになった。インフルエンザもそうだが、ウイルスはヒトからヒトへの流行が始まると、ウイルスの変異速度は増大し、ウイルスを形作るタンパク質の要素となるアミノ酸の変化につながる遺伝子変異も多く起こる。ウイルスの性質が次々と変わっていく。この、ウイルスの正体は少しづつ分かってきた。当初はウィルスの変異から、アメリカの生物化学兵器の研究から生み出されたのではないかという疑いもあった。そもそも、中央アフリカでは猿の内臓、コウモリ、蛇などを干してその肉を食べる習慣があった。最初はそうした野生の生物から感染したとみられるが、これは仮説である。
 今回の流行の発生源は、リベリア、シエラレオネ両国との国境に接するギニア南部のゲケドゥ県の村落とみられている。注目すべきは、この地域では食用のためのコウモリ猟が盛んであることだ。今回の流行の最初の感染患者とみられている2歳男児の家族は、食用コウモリの狩猟に従事していた。
 一旦感染力を増したウィルスは西アフリカの奥地、特に医師のいない地域で拡大し、都市に流れ込んできた。これらの感染地の政府支配の及ばない地域は内戦もあり、防染の施策を取りにくくこの事が感染拡大の原因にもなった。かつて、ドイツで30年戦争が起きたとき、ペストが大流行したのと同様の事情があるようにも見える。ゴリラやチンパンジー等の霊長類が人への感染源になっているが、ウイルスの保有宿主ではなく、人間と同様に偶発的に終末宿主になったと考えられている。エボラは2007年にフィリピンでも豚や猿が感染したことが報告されている。

2008年のコンゴ民主共和国での流行では、32人が感染し14人が死亡した(死亡率44%)。2011年から2012年にかけてウガンダで流行し32人が感染し22人の死亡が報告された。

2014年2月からギニア、シエラレオネおよびリベリアにおいて、エボラ・ザイールが流行し、さらに、2014年8月24日、コンゴ民主共和国(旧ザイール)政府は、ギニアなどで流行中のものとは違うエボラ・ウイルスで、24人が感染し、13人が死亡したと発表した。そのうち確定例は2例だが、異なる種類だという。

2014年9月18日、国連安全保障理事会はエボラに関する緊急会合を開き、決議2177号を出した。 2014年9月21日現在WHO発表、感染5カ国合計・・・・感染者15,936名、死亡者5,689名。WHOは未報告例が多いことを認め、CDCは実数は約2.5倍(1.5-2万)であろうと推定している。

2014年9月末、国連総会が開かれ、エボラは2大議題の一つとなった。

今回、アメリカに帰国した感染者のうち、医療従事者は回復し、きちんと早期に対応すれば完治することも可能である事が見えてきた。日本の富士フィルムの関連企業、富山化学のインフルエンザ治療薬アビガンが効果があるとして、未承認薬であるが使用され始めた。また、回復者の血液による免疫療法やワクチンも開発されている。アフリカの中には感染者が出ていない国や、入国のチェック体制がしっかりした国も多く、アフリカ全般に起きていることではない。課題はそうしたチェック体制や、医療の受け入れなど一国の政治力の問題でもある。国連世界食糧計画(WFP)などは17日、エボラ出血熱の感染が集中している西アフリカのギニア、リベリア、シエラレオネで、食料事情が大幅に改善しない限り、2015年3月までに100万人以上が深刻な食料不足に陥る恐れがあると訴えた。かつて、マラリア、天然痘、ペスト、コレラなど文明に深刻な影響を与え、帝国が崩壊したりする原因にもなった。今日においては、国民国家のリスク管理、統治力、存在意義が問われている。統治機能がしっかりした国ではパンデミックにはならない。エボラはイスラム過激派と同様、国境を簡単にすり抜け、社会を破壊していく。アフリカの食糧事情、政治の空白、医療の遅れや教育の貧困など様々な問題の故に起きた災禍である。


 


 

 


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 ジャーナリストの池上彰さんと元外交官・作家の佐藤優さん。『新・戦争論』を読んだが、お二人の国際政治知識の幅の広さに驚いた。戦争論と言うより、今日の国際問題を分かりやすく解説してくれる。佐藤さんは大変な読書家で、ムショにいた時を使って猛勉強をされたから、単なる情報通だけではなく、東西の古典にも詳しい。池上さんは一般情報、新聞雑誌等を丹念に整理し、分析する事で相当の知識が得られるという。佐藤さんは、同志社大学の神学部で学ばれただけあって、今の評論家には無い、宗教の視点をきちんと押さえている。これがなければ、イランやイスラム国の問題は分からない。一方、池上さんの手法は、かつて、スターリンが世界の情報は新聞から得られると、各国の大使館員の仕事は新聞の切り抜きとそこでの情報をくまなく拾う事で、むしろ、特殊なスパイ情報よりも有益であると言っていた事にも通じる。
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尖閣諸島、北朝鮮、イスラム国、オバマ大統領のレームダック化、イングランドとスコットランド、ベルギーの問題など民族問題も含め、今日の世界の課題が第一級のジャーナリストによって分かりやすく語られているのは有り難い事である。新聞情報、政府発表には無い独自の視点である。というより、新聞も、政府ももう少し歴史に学んだり、独自の分析とか、国民に分かりやすい説明があっても良いし、一国の総理大臣や政治家が見識を示してもらいたい。
 ロシアのウクライナに対する強硬な態度をなぜ取るのか。ウクライナの複雑な民族事情等、流石、佐藤優氏のロシア通の見識が光っていた。
 中国が海軍力を増強して空母を軸に外洋艦隊を編制している事の脅威を国は声だかに言うが、実態として、あの空母は張り子の虎である。ロシアはカタパルト技術が無く、空母は先端が上に上がっていることで揚力をつけて戦闘機は出撃するのだが、ここに無理があって、何度も事故を起こしているのだそうだ。さらに、たった一隻の空母では
単なる大きな標的に過ぎない。数隻の空母が連携し、敵の航空攻撃を牽制しながら周辺には空母を守る艦隊が無ければ全く機能しない。
 さらに、中国が開発したステルス戦闘機は価格が高く、また、メンテナンスのシステムも無いから世界でこれを買う国は無い。結局莫大な無駄遣いなのである。航空機と艦隊の運用で戦闘した経験があるのは世界の歴史では日本とアメリカだけである。日本の自衛隊とアメリカ海軍が連携したら敵うものは無いのである。特に、日本の対潜水艦技術は世界一である。こんなエピソードも交えながら、北朝鮮の拉致問題にも触れている。彼らの視点は、日韓基本条約に遡って、在日朝鮮人の北朝鮮帰還や帰還者の高齢化によって、日本に対して、彼らの帰国を交渉カードに使う可能性等、東西ドイツの歴史を引き合いにして説明、北朝鮮はそうした過去の事例に基づき、巧みに外交交渉を行なってくる。まさに世界は地理的にも歴史的にも繋がっているのである。

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 イエスのガリラヤ伝道に見られる様々な奇跡物語は、イスラエルにおいては必ずしもイエスだけのものではなかったと自分は思っている。史的イエスの問題としても、イスラエルの危機的状況の中から、バプテスマのヨハネなど多くの伝道者や奇跡物語などの記録が残されている。イエスの記録は福音書以外には無い。当時の状況はユダヤ戦記を書いたヨセフスの詳細な記録がある。       

 しかし、イエスの神は愛であるとか、死人の復活といった考え方は衝撃的だった。イエスの思想は伝統的なイスラエルのパリサイ派やサドカイ派の考え、さらには、ゼロテとか、熱心党などの政治集団とも違った。当時のユダヤ人の社会状況に対する宗教的な風潮はこれまでの律法とか、礼拝を厳格化し、ローマ帝国の支配状況にユダヤ人の自覚を促す民族的な先鋭化するものだったようだ。ところが、イエスはガリラヤの土着的な考え方を柔軟に取りこんできた。その柔軟性に注目したい。キリスト教が2000年にわたり社会に受け入れられたのは、まさに、その点にある。聖書は常にその様に読まれ、解釈されてきた。カルトとか、イエスを神性と人間性を切り離したりするとたちどころに色褪せたものになる。イエスの行動はむしろおおらかで、常にその目は民衆を向いていた。だから、聖書の記録されているイエスの言行は度々、既存の権威、通説、通念に挑戦的に表現される。革命家、改革者イエスの姿である。

 今日、キリスト教は世界人口の3割以上22億人が信仰している宗教だが、なぜそこまで広がったかの理由がそこにある。中世の異端審問とか、魔女裁判の暗黒時代をキリスト教的な非妥協性を指摘する人がいるが、全くの間違いである。クリスチャン、特にプロテスタントは聖書を読み、解釈し、現在の自分にその言葉を生かそうとして来た。先日、東京ではハロウィンで大騒ぎだったが、クリスマスだって、ローマ帝国の皇帝のお祭り、太陽祭りを取り込んで、実は何時かは不明のキリストの誕生日にしたのである。こうした柔軟性こそキリスト教の本質なのだと思う。日本のキリスト教信徒の中で、ユダヤ的なものだけをキリスト教信仰の規範に取り込もうとしたり、欧米の教会の習慣を正統であるかのように主張するのは間違いである。既に日本のキリスト教会も日本的なのである。
フロムは愛について、その著作「the art of loving 」の中で次のように語っている。愛は技術である。そして愛は学ぶ事が大切であるという。誰しもが愛されたいと望むと言う前提はあってよいだろう。しかし、一生懸命に努力しても愛されない人はいる。また、もって生まれた天性のように愛され、人気を得る人もいる。愛は本来人間がもって生まれた才能なのだろうか。E.フロムはこれに対して反論する。
1.愛について学ぶことはないと考える第一の理由は、たいていの人は愛の問題を、「愛する能力」の問題ではなく、「愛される」という問題として捉えているからだ。
つまり人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるかということなのだ。
2.愛について学ぶことはないと考える第二の理由は、愛の問題は「対象」の問題であって、「能力」の問題ではない、という思い込みである。
愛することは簡単だが、ふさわしい相手をみつけることはむずかしい、人びとはそんなふうに考えている。
3.愛について学ぶことはないと考える第三の理由は、恋に「落ちる」という最初の体験と、愛のなかに「とどまっている」という持続的な状態とを、混同していることである。
4.愛の失敗を克服するただ一つの方法は、愛の意味を学ぶこと、その第一歩は、生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であるということを知ることである。
愛の技術を習得するには理論に精通し、その習練に励み、その技術を習得することが究極の関心事にならなければならない。
5. 利己的な人は、自分を愛しすぎるのではなく、愛さなすぎるのである。いや実際のところ、彼は自分を憎んでいるのだ。

この本には愛に関する名言が満ちあふれている。
我々は人間として愛を語るにはあまりにも日常の雑事に追われ、また、弱く、自分の心を制御する能力に欠けている。時として、自らの愛の無さ、相手を知らずに傷つけてしまい、後からそれを知って愕然とする。そして愛することが出来ない自分に絶望する。その時にどうすればよいのか。フロムの見事な分析では解決しない。
 
 フロムはネオフロイト学派の心理学者、社会学者である。極めて明晰な理論で愛を語り、分析している。彼はフロイトの精神分析学を発展させた。フロイトの生理学的洞察から実存的次元へと移し変え、深めていったといってよい。
 しかし、自分はフロムの洞察にも限界があるような気がする。彼の述べる愛には限界があるということだ。人間の愛は裏切る事もある。愛せない自分、愛されない自分の悩みは続くのである。また、どんなに理論を学んでも、実践しなければ能力はつかないだろう。いくらピアノの演奏を聴いても、評論を読んでも、実際にドレミファと鍵盤を叩いてみなければ弾けるようにはならない。この本は必ずしも愛の指南はしてくれないのである。この時に一体どうしたら良いかの示唆はこの本から得られたなら幸いである。 
  誰からも愛されないのに人を愛することが出来るだろうか。これは人間同士の愛する、愛されるということであって、キリスト教の聖書に書いてあるアガペーとは違うのだろう。彼は第二章愛の理論で、愛の対象として、兄弟愛、母性愛、異性愛、自己愛、神への愛と分類し分析している。神の愛とは何か。最後の神の愛を至上のものとするキリスト教では神は愛であるという。イエスキリストは真の愛の人であり、自らを犠牲にして神と人との和解を示された。そして十字架の死と復活。愛されなかった自分、そして裏切られ捨てられた自分は他人をそれでも愛することが可能だろうか。愛について語るには、更なる状況を設定しなければならない。

  人間は他人を愛することが出来るだろうかという問いがキリスト教の本質的な命題である。その領域にどうした至ることが出来るのだろうか。

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 韓国の朴大統領が習近平にやたらにじり寄る光景をニュースで見せつけられると、ああ、韓国は昔の中国との事大主義的な関係を望んでいる様にも見える。彼女は何故か反日的なポーズで国内の人気を取ろうとするが、最近の愛人問題や親族のスキャンダルで自壊しつつある。しかし、韓国はどうしても、中国の勢力を無視出来ない歴史的地政的関係にある。ところが、北朝鮮は昔から、歴史的には高句麗とか、渤海の時代から中国とはむしろ対抗する位置にあった。北は中国の圧力に対して核をもっていることでバランスを取りたいのではないか。アメリカに届くミサイルを持つという威信も必要で、これは中国からの圧力に対しても有効なのだ。
 池上彰と佐藤優の対談集「新戦争論」を読むと、忘れていた日本と韓国、さらに北朝鮮が見えて来て、なるほど、と思う。韓国は朝鮮戦争で中国軍の侵攻を受けて、38度線に押し戻され、国土を戦場とされたにもかかわらずである。朝鮮半島では全く戦争をしていない日本には戦勝国の連合国の威を借りて、自らも戦勝国と主張したいのだろう。サンフランシスコ講和条約では戦勝国の一員に入ろうとして拒否されたのであった。北朝鮮への我が国の姿勢を鑑みると、1965年の日韓基本条約時あたりに遡って考えなければならない。韓国はその賠償金を使って、国づくりは大きく速度を増した。ところが北朝鮮は戦前日本が残したインフラが相当に多かったにもかかわらず、次の発展に結びつける事が出来なかった。彼らは急成長の韓国に対して、監視を強め、韓国へのスパイ活動を拡大するため、日本人を拉致し、日本人を装った北朝鮮のスパイを育成する必要があった。日本人拉致事件が始まった。これを企画指導したのが金正日であった。
 今年になって国は拉致被害者の帰国活動に進展があるかのように見えたが今だに報告が無い。しかし、北朝鮮側は更なる日本への攻撃を考えている。そもそも日本と北朝鮮との関連は昭和39年にはじまった在日朝鮮人の北朝鮮帰国から始めねばならない。そのことを、マスコミ等もすっかり忘れているのではないかと思ってしまう。今、北では2万人といわれる帰還者の高齢化が重荷となっており、彼らを日本に帰したい。彼らの中には亡くなった方々も多い。日本人の遺骨調査と言うのは実はこれらも含めての事だ。拉致された方々等は調査する必要は無く、厳格に管理されている。北は交渉カードが欲しい。日本にとっては彼らが戻る事はたまらない負担だ。とにかく、北は今の金詰まり状態から抜け出したい。甘言に乗って、送金規制を緩めた安倍外交は失敗なのである。何も得ていない。
 最近の大きな動きは金正恩による張成沢の残虐な粛正である。彼は核開発には反対であり、さらにナンバー2として金正恩の地位を脅かす存在であった。また、デノミ政策の失敗においても、担当者を処刑している。将軍様は失敗してはならないのである。張の処刑も金正恩が次の体制作りの重要なステップであり、拉致事件もこれまでの体制の誤りとして解決に向かうためにも、金正日の事業だったことを誤魔化す手段だったのかもしれない。そうして、軍の派閥を調整し、軍の過激なグループを基盤に内政改革を進めたいのであろう。親中だった張の抹殺は中国との対立を生んでいる。これはもともと、中国にも警戒感の強い金正恩の政治行動なのである。金とそのバックにいる軍閥は張が中国をバックに金に圧力を加えること、さらには転覆を謀ることを恐れた。その後に一体どんなプログラムを企んでいるのだろうか。拉致事件への甘言はその一環であろう。
 マスコミはもっと北朝鮮のことを知っていなければならない。北は独裁国家だから、5カ年計画とか、長期的な戦略を立てるのが得意である。その結果、時間のかかるミサイルも開発できた。韓国のオリンピックを妨害するために、ラングーン爆破事件、そして大韓航空爆破事件など4~5年毎におきている。何も、ソ連の支援がなくとも、科学技術も真似できる程度はある。また、NHKは還流ドラマのでたらめな歴史で韓国をすばらしい文明国のように描くのはやめてもらいたい。むしろ、平城を中心とした北朝鮮の王朝のほうが朝鮮半島では主流で、食事なども美味しい。宮廷料理なども北には残っており、グルメなのだ。もちろん、辺境の地には飢えた庶民が多いのである。一家は金正日も含め、みなデブでいかにも美食家ではないか。美食家で栄養が良いのがあの国では美なのである。
 黒めがねの日本人料理人が金正恩と仲良しだったことが報道されていた。10年以上にわたり、金一家の料理人として仕えた藤本氏である。 金一家が日本のモノが大好きで、特に、寿司、天ぷら、すき焼きなど大好物だったことを伝えてくれた。金正日は焼きトウモロコシが大好きで、それに朝鮮製の醤油を使ったら、焼きトウモロコシにはキッコーマンがいいと言ったとか。藤本氏には金正恩は彼が子供の頃から遊び相手をしてくれた事を感謝しているのだそうである。北朝鮮はそのような顔もあるが、拉致事件や砲撃など恐ろしい一面も持っている。そのしたたかさを日本は軽く見てはいけない。これだけ、一部の国民が飢え、軍事費が民政を圧迫しても維持できている。思い返せば戦前の日本もそうだったのではないだろうか。韓国では考えらない忍耐力ではないか。
 
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日本を離れる金王朝の調理人、藤本氏


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 アメリカ映画は4〜5年に一度くらいのペースで戦争映画大作を作ることになっているのだろうか。実際の戦闘の凄さを観客に見せつけたいというディテールにこだわった作品が時々作られる。今回は実際のティーガーも実物で登場。世界で動くのは7台だそうだが、戦車ファンにはたまらんだろう。
  イラク戦争を描いた2010年ハートロッカー以来だ。その前は、クリントイーストウッド監督の硫黄島からの手紙(2006年)、ポランスキー監督の戦場のピアニスト(2003年)、さらに1999年はスピルバーグ監督のプライベートライアン。今度のフュリーはデヴィッド・エアー監督作品。
 今回はやたらブラッドピッドが格好いい。戦車長ウオータデイ、クールな戦闘のプロを演じている。戦車フューリー(Fury)を軸に300人のドイツ軍を相手に、大立ち回りである。これは全くのフィクションである。実際は逆の事があったのではないか。物語は何だか、1日で起きた出来事の様な感じだが、アメリカ兵はそんなには働かない。無理な事だが、あったかの様に描かれればそれは成功である。戦車兵を描いた映画はアメリカ映画では少ない。サハラ戦車隊という映画があったが。おそらく、戦車はアメリカ軍では大戦の主役ではなかったのではないだろうか。この映画でも、当時、アメリカのシャーマン戦車より、独ソ戦でソ連のT34と死闘を繰り広げたティーガーの方が性能が良かったとみられる。冒頭で解説があって、シャーマンは散々ティーガーにやられた。航空戦力に勝り、制空権をもったアメリカは徹底的にドイツ戦車を叩いた。戦車というのは全く空からの攻撃には歯が立たない。昔、バルジ大作戦という映画では米軍戦車がドイツ戦車を制圧するが、実際はドイツ軍は燃料切れと航空攻撃で敗れたのだと思う。この映画では、戦車に轢かれてノシイカになった人間とか、戦場での処刑、吹き飛ばされた人間の顔とか、リアルで、特に飛び交う戦車砲弾とか機銃弾が曳光弾で凄い迫力。グロ大好きな方にはお勧めである。
 
 この映画で興味深いのは、キリスト教的な台詞が多いことである。主役のブラピ演じる戦車長は戦争屋のように最初は描かれるが、最後はえらく聖書の知識があって、イザヤ書などを諳んじていたりする。イザヤ書6章、イザヤが神に遣わされる部分。ブラピの戦車の名前がフューリーである。戦場の不条理に対して怒りとしかいえない感情が支配するのが現実ということだろうか。実際の戦争とはこのようなものだというのをこれでもかと見せつける。正義とは何か。理想は平和だが歴史は残酷だという
ウォーダディーの台詞も印象的だが、エアー監督のこの映画での主張はかなり宗教的である。戦争という極限状態の中で個人の信仰と殺戮をどう位置づけるのか。そこに監督の問題意識がある。脚本では、とにかく、この戦車兵にキリスト教が染みこんだようなのであった。制作者は何とブラッドピットである。これは多分、アカデミー賞ねらいなのだと思う。アメリカ人のキリスト教は正統派の証なのである。とにかく、この映画の宗教度は異常なほどだ。
 
 新兵ノーマンがブラピ演じるのウォーダディーの戦車に配属になる。青臭い若者で、古参の兵から、からかわれ、その中で、お前の宗派は何だとか、洗礼は受けたのかなどという会話で始まる。また、同僚古参兵の中にも信心深いものがいて、ドイツ人家庭の部屋で食事をするときにお祈りをするシーンもある。彼は戦争における自分の良心と敵を殺す行為に悩むが、次第に戦闘マシンとなってゆく。最後の戦闘で車中で宗教論が出てくるのにはいささか驚いた。1945年4月、ドイツへ侵攻する連合軍の米兵ウォーダディーは、自ら「フューリー」と命名したシャーマンM4中戦車に乗り、戦いを続けていた。ウォーダディーと3人の仲間に新兵のノーマンも加わり、5人となった部隊は絆を深めていくが、進軍中にドイツ軍の攻撃を受け、他部隊がほぼ全滅。なんとか生き残ったウォーダディーの部隊にも、過酷なミッションが下される。十字路での戦闘にはSSを含む300人の大部隊と遭遇する。戦車Furyを中心に、壮絶なバトルが繰り広げられる。最後は十字路を軸に戦車を中心に、ドイツ兵の死体の山が十字架のようなかたちで散乱する。中にはこれはありえねーというようなシーンもあるが、迫力ある戦闘シーンで引きつける効果はさすが。映画の魔術上はよく出来ている。
 
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新潟県高校事情


 新潟県の大学進学率は近年向上して来たが、自分のように東京から来た人間からみて地方とはこんなものか、と驚く事がある。それは高校生の大学受験事情である。自分の子供は受験時代を12年以上前に終えた。でも、記憶をたどってみると、東京は選択肢が多く、学生の進路に関しては特定の進学校以外はかなり自由ではないだろうか。しかし、新潟は何だか自分達団塊世代受験生の時代が戻ったかの様な様相なのである。要は県民の大学進学率の低さからきているかも知れないのだが、官尊民卑、国公立が大学で、高校も県立名門校にこだわるのである。高校の教員達の大学観、所得の低い県民の多い新潟の教育価値観と専門学校進学層、学歴無視の層が重なっている。そこに、商売上手なNSGグループの専門学校群が大学進学を諦めた高校生の救いの道になっている。

 東京から2時間の大きな県で、新潟市という80万人都市をかかえ、大学進学率は45%、大学生の40%が東京に流出する。毎年アバウトだが、高校卒業生は2万人、大学には9千人行く。東京には3,600人、新潟大学に2,000人、他の公立大に2,000人、私大は新潟国際情報大、新潟薬科大、新潟青陵大、長岡大が定員を満たしており、残りの600人くらいを新潟経営、新潟産業大、新潟経営大、そして敬和学園大で共食い状態で争奪している状況である。

 新潟県の高校は県立は自由学区制だから、かつての名門高校は新潟高校を中心に分化し、下越で村上高校や村上中等学校、新潟よりの新発田高校、新津高校などは学生の学力低下、定員割れの危機に見舞われている。学区制を廃止した結果当然の帰結であるが、その内容を見てみると理解出来る。それは、新潟市に高校生は集中して行くのである。

 かつて、東京都では学校郡が高校勢力地図を塗り替えた。日比谷、西、小石川、戸山、新宿などの受験上位校は軒並み学生の質ー学力レベルが落ちた。東京都が学校郡にしたとき、新潟とは逆の事があって、私立高校に優秀な学生が流れ、今日の受験戦線の地図が出来上がった。学生のみならず、受験対策に力のある教員も移動して行った。というより、受験対策に手腕のある教員はどこにでもいる訳ではない。優れた教員が学校群制に嫌気をさし、有名私立に引き抜かれた。その事を知っているのは保護者なのである。そこで、都内の私立は優秀な教員を取り合ったのである。結果は開成や麻布、櫻蔭をはじめとする私立校受験校の躍進と、都立高校の凋落である。

 新潟は選択肢が少ないから、もっと極端に下越地方は新潟高校一極集中である。そして、県立高校の受験指導はひたすら、国公立大に何人入ったかが業績評価の中心で、東京を含めた私立には目が向いていない。もちろん公立に行ける高校生は一握りである。そのために、相当なエネルギーを使っている。ところが、そんなところに進学出来る学生は少数派で、実際は東京の私立と県内私立に行く学生が多い。恐らく、新潟県の高校から東京の早稲田、慶応、上智クラスの一流私学にはあまりいかず、明治、法政、日東駒専クラスに行く学生が優秀な学生である。他の東洋、神奈川、東海、さらに大東文化、創価大なども多い。これらの学校は受験対応は国公立とは全く違う。大体、努力を要する数学の試験は無いし、受験科目数も2~3科目、AOや推薦入試で入って行く学生もいる。そうした中で、高校の選別は、上位受験校、下位就職や専門学校志向の高校と、東京を含めた私立に行き易い学校とに分化している。

 県立高校の方針はとにかく、国公立に何人その高校に入ったかが業績の象徴になって、進路指導や教員の考課にも繋がる事である。また、彼らは名前に拘る。私立なら早慶である。しかし、彼らは実態をしらない。東京の私立6大学は定員オーバーで教育力は落ちているのである。さらに新潟の先生は女子の場合、津田塾とか東京女子大は名門だと思っているが、近年、これらのブランドを高めたのは、本来、東京であれば、東大、一橋に行く力のある学生が女子大に行ったこと。今は、彼女たちは共学志向で、トップクラスは東大、次は一橋、早慶かICU,東京外大、上智など行くから、東京の女子大は歯が抜けたようにトップ学生の学力は落ちている。これは津田や東京女子大の先生から聞いた話である。頂点が減っただけでマジョリティはそれほど変わらないかもしれない。優秀な女子が回って来た分東大以外のレベルも上がったのである。しかし、おそらく、新潟の高校の先生は女性でこれらに合格すれば鼻が高いのではないだろうか。実態が分からないで喜んでいる、滑稽な感じなのである。

 国公立に学生を送るにはある種の受験指導が不可欠で、これが無ければトップ校は無理だし、地方大学でも受験対策は必要である。そこで、受験校の高校でも、そうしたことが得意な教員は少ないし、公立志向の学生は新潟高校がほぼ全員でも、残りの学校は半分くらいだと思う。ということは、大半の学生は結果としては私立に流れる訳で、その対応に関してはあまり面倒見が良く無いと思われる。従って、優秀な学生は皆新潟高校か、長岡高校、高田高校に行き、かつての名門校、新発田高校、村上高校、新津高校等は優秀な学生を集める事に苦労している。

 その反面、新潟商業や北越高校、東京学館、日本文理などは学生が集まっている。新潟市内の高校に周辺から集まる傾向は続いており、新潟南高校、新潟中央高校等もその恩恵を受けている。一方、私立で名門校志向だった明訓高校等は方向が定まっていない感じを受けた。

 敬和高校は、そうした私立志向の高校生を受け止め、近年、学生を集める事にはかなりの成果が上がっている。敬和は全国のミッションスクールと提携し、推薦入学の枠がある。特に、名門校のICU,同志社、青山学院、明治学院、立教等も含まれるから、普通の子でも頑張れば現役で推薦を受けられる。一方、かつての名門校は過去の栄光を守る為に、レベルの下がった学生を叱咤激励し、かつ、大した成果は無いのが現実なのである。保護者の方には悪いが、お受験というのは一種の才能でもあり、DNAも関係している。自分も長男から、勉強がうまく行かないのは頭が悪いせいで、自分を見ながら、成績が上がらない理由だと、自分を見て宣った。苦笑いした。それは仕方が無い。申し訳ないとは言わなかったが、黙ってしまった。高校に入ってランクアップはよほどポテンシャルを余した学生ならともかく、ワンランクか、1.5ランク上げる事が出来れば成功だと思えば良い。仮に、それで上がらなくても、人生色々、社会人になってからの努力が大事である。

 その証拠に、実は自分の長男も三流私立高校に行ってはいたが、何とか国立大学には入ったし、さらに司法試験にも合格して、司法修習に汗を流している。自慢で終わってすみません要はどこまで努力したかである。


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