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 7月5日(日)に村上市内を通り、村上大祭を垣間みた。粟島からの帰り、岩船港からは10分ほどの村上市内に行き、村上大祭の様子を見る事になった。市内迄10分くらいである。駅周辺は思いのほか静かで、浴衣を着た若い女性が散見される程度であった。市役所の奥には屋台が並び、賑やかな感じだが、当然ながら車は入れない。高速の村上インタ-迄の間に、山車が町内に控え、その上で笛や太鼓を鳴らしているのも見る事が出来た。村上の「おしゃぎり」という山車は、その大きさや、煌びやかな美しさで有名である。山車は19台ほど出る。江戸時代のお祭りは、どこでも、特に城下町などはこうした山車が出るお祭りが多かった。江戸の神田明神の祭りは、江戸城のお膝元だが、かつては山車の数も多く、有名だった。ところが町会で維持出来なくなった時代、恐らく幕末だが、これらは川越町に移ってしまった。江戸は火事や地震などで地域コミュニティが時々崩壊してしまう。そうした事情があったのだろう。
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 村上大祭の山車は老若男女がそろって町中を引き回す。だんじりとか、新発田の台輪の様な激しさは無く、ゆったりとした美しい山車である。これが現代の若者、特に子供や女性に受けている。日本の祭りはどこでも祭りを担うヒト不足に悩んでいるが、それは若者、男性だけといった制約を外せばこれらを担う人の数も増える。その象徴的な成功例がこの村上大祭であろう。
 
 
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村上市HPより

羽黒神社の遷宮をお祝いして、大町の人たちが大八車に太鼓を積んで町じゅうを練り回したのが、村上大祭の始まりと伝えられています。江戸時代には旧暦の6月6日・7日に行われていましたが、明治以降は新暦の7月6日・7日となり現在に続いています。

祭の行列は、先太鼓・庄内町笠鉾・荒馬14騎・社名旗・四神旗・五色旗・神職・神輿三基・神馬・各町しゃぎり19台と続く行列を構成していました。荒馬14騎は、戦国時代の村上城主本庄繁長が、庄内での戦いで勝利をおさめ凱旋したときの様子を模したもので、このとき羽黒三社権現の分霊を勧請し、はじめ庄内町に神社を建立したことに由来しています。写真2枚と大祭の由来:村上市HPより


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夜の大祭は美しく、盛り上がる。
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19台の「おしゃぎり」

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by katoujun2549 | 2014-07-18 16:05 | Comments(0)
1.日本の高等教育が世界から遅れた原因は貧しい政策である

 日本の教育に対する国の予算はOECD諸国の中では最低部類である。GDP比では韓国より低い。そして、文部科学省は僅かな補助金を裁量できるために、大学の学長を呼びつけたり、説明会では大きな会場のひな壇に陣取って、居丈高に説明会などを行い、権力を見せつける。力が無い者の空威張りといえよう。そして、競争的資金とか、大学間で競争させて、いかに競争原理を生かして、予算資金を公正に振り分けているかを世間に見せかける。特に、学生募集の困難な状況に、地方私立大学は多くの犠牲を払って来た。研究費の減少、低い賃金、定員割れの為に入学学生の学力が落ちれば、教育の労力は倍増する。そこに科研費などの競争的資金の制度で教員にプレッシャーを与える。弱い者苛めである。しかし、こうした厳しい環境で、日本の初等、中等教育は頑張って来た。問題は高等教育である。
 今や、高校は全入時代である。だから、授業料に関しては私立も公立も差は少なくなり、国と、県の補助金で支えられている。新潟県では毎年、大凡、2万人の高校生が卒業し、9,000人が大学に進学するが、そのうち、半分は首都圏と関西圏の大学に行く。そして、彼らは、大学を卒業しても新潟に戻らない。新潟県では人口減に悩み、出生率の低下を押さえる為に、婚活など、泉田知事の肝入れで様々なアイデアを実行しているが、空しい結果である。それはこの4,500人の若者流出を押さえない限り、無理である。こうした若者がやがて結婚し、子供を2人以上持つならば人口は増えるし、さらに他県から配偶者を迎えればさらに増えるが、貴重な人材を失っているからである。若者が減れば子供の数も減る。

2.国家の未来は教育から

 OECD諸国が教育予算を確保する事に熱心なのはそれが国の将来を決める重要な事だからだ。財政再建もままならず、未来への投資が貧困な国では分かり難いのである。日本は都市の形成にしても将来のビジョンがお粗末である。企業は結構長期計画を持っているのと対照的だ。
 教育は未来の社会形成の投資である。特に、大学教育は4年間で社会人になって生産人口に繰り込まれるから、かなり回収は早い。企業の設備投資よりは早いのである。iPS細胞の成功から7年経つが実用レベルには後5年はかかるだろう。それに比べて、教育は回収が早い。私立大学の学費を毎年100万円、生活費を100万円とすると4年間で800万円だが、これくらいは企業に入って産業力で見れば2〜3年で回収するのではないか。何故、日本の教育予算が貧しいかというと、財源が無いからだ。国の全体予算から回って配分された分で食いつないでいる。他の省庁のように、新しい産業を興したり、税収が上がるような企画をすることが出来ない。消費税などの上乗せを文科省から要望する努力もしていない。彼らの怠慢が、結局教育の貧困を招いている。

3.地方都市の生活は豊かである

 新潟の大学は筆頭が新潟大学だ。地方大学としては偏差値はまあ、まあである。この大学の4割は他県から来るから、人口面では貢献している。しかし、この大学の県内高校生受験者は殆ど東京の大学と併願している。さらに、新潟大学以外の私大は県内大学の併願が殆どであって、県内私大と新潟大学を併願し、私立を滑り止めにしている学生が殆どいない。その結果、4,000人が流出して行くのである。県内私立は4校が定員割れ、赤字である。新潟大学以外では2000人が競争し、定員割れの大学の入学者は500人くらいだから、大凡、1000人くらいを対象に、特に、ボーダーの300人程度を取り合っているのである。県内私大の共食い状態なのである。実に貧しい戦いである。県外流出の若者の1割、400人が新潟県にとどまれば、定員割れは解消する。高校の進路指導教員が故郷を大切にして、故郷にとどまる若者を大切に考えれば解決するのである。県下の私大は何とか、高校生や、高校教員に働きかけ、郷土の為に頑張る人材を育て、これを誇りとすべきなのに、東京のブランド校に何人は言ったかを自慢し合っている。東京に出て私立大学に入れば毎年100万円は余計に費用がかかる。4年で400万円である。特に、国際学部の様な語学力を要する学部は東京に人気があるが、実際は東京で語学を磨く機会はそれほど無い。バイトや生活費、住居費で追われ、誘惑も大きいから勉強する時間が無いのが実態。地方都市には意外と外国人も多い。彼らは日本の良さは都会ではなく地方であることを知っている。学生も地方なら、生活費は保護者負担だし、食費なども前の日の残りを弁当にすれば殆どかからない。毎年、100万円かけて、3ヶ月英語研修に行く事も可能だし、単位もくれる。ダブルスクールだって行けるから、地方の方が勉強には適している。意外と、就職率も悪く無い。東京に本社を持つ有名企業は何十倍という競争率で、東大、一橋、早慶六大学、上智、日大以外は先は一流企業は無理である。地方企業は少人数だが、結構堅実な会社が沢山ある。通勤地獄は無いし、所得は100万円低くても生活費が安く、車通勤も可能だ。夜は家族団らんの食事をとって、近所の友人とも飲み会ができる。休日には30分もドライブすればゴルフや海山の自然が待っている。東京でもディズニーランドに毎週行く人はいない。新幹線に乗って行けば充分である。昔、芥川龍之介の小説で芋粥という物語があった。人間の欲望は達成すると空しいというテーマだが、そこで描かれているのは豊かな地方生活だ。宮廷では憧れの芋粥が、地用では大鍋に溢れている。まさに、これを思い出す。京都の貧乏貴族が田舎に帰った武将である部下の家に立ち寄ってみれば、豊かな食卓とゆとりある生活に驚く話だ。地方の高校教員は結構そうした生活を満喫している。それを高校生に勧めて欲しい。自分の豊かなライフスタイルに自信を持って欲しい。足りないのは情報と都会の喧噪だけである。これらは何も無くても生きて行けるのだ。新潟良いとこ、東京に行く事無い。地元に帰ろう。

4.地方再生は若者を外に出さない事から始めるべきである

地方再生は国家的重要課題、その為に、企業誘致や公共投資が行なわれて来たが、東京一極集中と地方衰退の流れは止まらない。その原因は、地方に金やモノの流れを期待するばかりで、それがヒトの流れを変える事が出来ないからである。若者の流出を止めなければだめである。若者が流出すれば、消費は上がらない。第三次産業が伸びなければ雇用機会も増えない。地方の大学が魅力的にならなければ若者は故郷にはとどまらない。故郷にいる事が落ちこぼれの印象も与え、彼らの希望も、プライドも打ち砕く。人手不足になりつつある今こそ、地方の高等教育は相対的なコストの安さ、恵まれた生活環境を利点として、比較優位に立っている。そうなれば、人材を必要とする企業も進出して来るだろう。(7/18日経コラム大機小機参照)

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今年もロンドンのロイヤルアルバートホールを中心に行なわれる音楽祭、プロムス(PROMS)が始まる。プロムナードコンサートの略である。このイベントは8週間にわたり、クラシックのコンサートが繰り広げられる。イギリス市民が、気軽に、安い料金で音楽を楽しめるように、BBCが中心に企画してきた。最終日には国歌「God Save the Queen」やエルガー作曲威風堂々、Britaniaなどの愛国歌が歌われ、おおいに盛り上がる。

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入場料は4ポンド、800円ほどで安いが、立ち見席である。ヨーロッパでオペラやコンサートは煌びやかに着飾った紳士淑女の社交場というイメージだが、これは服装は自由で、始まる迄ゴロゴロしたり,ものを食べたりもしている。ロイヤルアルバートホールは6,000人は収容出来る大きなホールで、最終日は全員で国家を歌ったり、大賑わいである。これはNHKBSなどでも毎年放送され、その盛り上がり方をうらやましく思う。入場料が安いために、演奏が良く無ければ、観客はさっさと出て行ってしまうから、演奏家も一生懸命である。公演は毎日のように行われ、ライプチッヒゲバントハウスのような著名なオーケストラから、市民の交響楽団まで多種多様である。自分はバロックファンなので、イギリスを代表するコーラスグループ、the Sixteen (ハリークリストファー指揮)のバロックを楽しみにしている。2009年のPROMSではヘンデルだった。バロックはやはり、コーラスのレベルが良くないと疲れることに気がついた。このシックスティーンの歌唱力は世界的に定評があり、you-tubeでも見ることが出来る。歌手たちも美男美女である。この公演はDVDで市販されている。http://www.cduniverse.com/productinfo.asp?pid=8206811



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by katoujun2549 | 2014-07-14 18:10 | Comments(0)
 新潟県粟島浦村訪問記
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 村上の瀬波温泉から日本海を眺めると、遠くに小さな島が見える。それが粟島である。新発田から30分の岩船港からフェリーで1時間半ほどである。新発田からは2時間かかる。遠いが、新潟県の大きな島、佐渡島に行こうとすれば、新発田からは新潟港までの時間を加え、さらにフェリーの待ち時間、両津港から目的地に行く時間を加えなければならない。おそらく、時間距離は2時間以上近いだろう。丁度、糸魚川とか、上越との交流に近いかもしれない。7月5日土曜日は梅雨時には珍しく晴天であった。海も穏やかで快適な船旅であった。
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 10時半岩船発のフェリーで粟島港に着くと、丁度昼食時となった。粟島汽船のビルの2階が食堂になっており、そこで1200円の鮪丼をいただく。粟島沖では本鮪が採れるのである。メジ鮪だが、さっぱりとした味で美味であった。粟島の名物は「わっぱ煮」である。ワッパに味噌と魚を入れて、真っ赤に焼けた石を入れてぐらぐらに煮立った「うしお汁」を頂く。野趣に富んだ汁を食べに来る観光客も多い。今回は翌日のお昼にこれを頂くことにして、先は鮪で感動した。 この島の歴史は古く、大和朝廷の蝦夷征討によって土地を追われた蝦夷が東海岸の内浦で住み着いたが、なんと、北九州の松浦党が蝦夷を西海岸に追い払い、さらに越前の本保氏が東海岸に上陸し、松浦党も西海岸に追われた。蝦夷は絶滅し、西の松浦氏が今の釜谷地区集落を形成し、東は本保一族が支配した。そんな関係で、釜谷地区と内浦地区とは方言が違うのだそうである。この日お目にかかった村長の名前は本保さんというから、その末裔に違いない。役場とその周辺にはこの同名の方が今も多い。
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ぐらぐらに煮立ったワッパ煮汁
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 この地を一言で言えば、「魚」しかいない島なのである。すべてが魚を中心に回っているという感じである。現金収入、経済、観光、民宿など、魚ー海の幸が無ければ成り立たない。この島に来るのはほとんどが釣り客である。磯釣りで鯛やヒラメが釣れ、しかも形が良いので、新潟のみならず、全国から粟島の魚は狙われている。それでも豊富な漁業資源。夏休みになると海水浴やキャンプの家族連れが増える。人口は公表438人である。高齢化が進み、殆どが半農半漁で民宿の経営などで生計を立てている。かつて、新潟地震のときの震源がこの島の付近の海底で、この島も、1.5mも隆起し、その為に水耕栽培が出来なくなった。半農といっても、野菜中心である。この島はジャガイモ、大豆が美味い。そして驚いたことに、お店がほとんど見当たらない。民宿の魚はその日のうちに取れたもので、野菜などは近所の農家が分けてくれる。たぶん、交換経済のような形なのであろう。だから、現金収入は民宿と定置網の魚を本土に売った分くらいなのである。島内にはスーパーもコンビ二も無い。粟島の役場の方々も朝は3時4時に起きて網を上げて魚を売り、そして勤務している。夕方からは自宅で宴会をして寝てしまう。民宿ばかりで、この村に欲しいのはホテルなのだそうである。港のみやげ物売り場に売っているものは「タラの干物」を中心に魚の干物と名産の大豆、竹炭製品で、工芸品は蔓草を編んだ籠くらいで、売り物が少ない。ところが、最近、海辺に牧場と馬場ができた。この粟島はかつて馬の放牧地でもあったらしく。原産種の日本馬がいた。皇居にある楠正成の像の馬はここの馬がモデルだそうだ。港の売店では他から土産物用の商品を持ってきて売ろうという商売気は無いから品数が少ない。市の嘱託の林さんが一人でこの店を切り盛りしている。シーズン中は休みが取れないので好きなゴルフにも行けないとぼやいていた。

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 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することである。(ヘブライ人への手紙11:1)。

 復活を現代の我々が信じるには大きな壁を乗り越えなければならない。科学の垣根は高い。しかし、奇跡や霊の働きのことがキリスト教2000年の歴史を築いて来たことも確かである。そして我々がそれを受け止めるには聖書を読むしかないのだろうか。

 あの使徒達ですら、キリストの蘇りの姿に向かい合っても、手を傷跡に触れるまで分からなかった。自分はこのことを信仰する者であるが、これがどのような事実であり、どう受け止めるかを一生かかって追い求める事なのだと思っている。

 使徒達、そして多くのクリスチャンが、この信仰を守り殉教し、迫害を受けてきた。それが消えるどころか、ますます力を増したのだから大変な事である。信仰は個人の自覚において継承されてきたが、それは教会において育まれ、伝承されてきた。教会無くしては、初期の信徒達の命がけの信仰は引き継がれなかった。


 死人の復活はあるというのが、聖書の記述である。近代合理主義、あるいは自然科学では到底理解できない世界。しかし、復活の思想は、世界で受け入れられ、キリスト教の2000年の歴史を形成してきた。遠藤周作は小説「侍」の中で、宣教師べラスコの言葉でこう述べている。「宗教に現世の利益だけを求める日本人。彼らを見るたびに私はあの国には基督教のいう永遠とか魂の救いとかを求める本当の宗教は生まれないと考えてきた。」「日本人たちは、奇跡物語や自分たちのどうにもならない業の話には心ひかれるが、キリスト教の本質である復活や自分のすべてを犠牲にする愛について語ると、とたんに納得できぬ興ざめた顔をすることを私は長い経験で知っているからである。」我々は、聖書を今日、本屋で売っている様々な本と同様に読む事が出来る。しかし、約2,000年前に書かれた文書であるという事、また、聖書は皆に読まれるように書かれていた訳でもない。様々な証言や記録を、その信憑性に応じて編纂したもので、4福音書の記述は一つの事柄について異なる表現や記述となっている。この部分に研究の余地が多い。「イエスの復活とその福音」(レオンデュフール著:心境出版 三保元訳)ではその言語的差異、福音書、パウロの表現等詳細な比較検討を行っている。


 復活信仰は我々の文化的習慣と相容れない部分があるのだろうか。しかし、宗教というのはそもそも、そのような不合理な部分を敢て横において、「信仰」という価値観に従って生きるという事である。一人の人間の人生は多様である。生まれて間もない時に亡くなる子供もあれば、戦争で亡くなる人もいる。癌で病死することもある。人間の生というのは、生まれた人の数だけあり、合理的な整理は難しい。人生に関しては人間は明日を予測する事も出来ない。ひたすら、後ろー過去ーを見ながらその軌跡をたどるしかない。キルケゴールはそれを後ろ向きにオールをこぐボートに例えている。科学では分析する事は出来ない領域だ。もちろん、人間存在を行動面から経済活動や政治、医学、生理学などの視点から理解する事は長い間行なわれてきた。しかし、人間が何処から生まれ、何処に向かうのかを問うことは極めて哲学的な問題である。そしてこの部分に関わるのが宗教であり、そこから答えが出されてきた。この復活という考え方を受け入れるかどうかは、宗教的な行動を受け入れるかどうかの問題である。


 イエスの時代、今よりずっと死は人々と近いところにあった。疫病、戦争、処刑、そして幼児の死。彼らは死をどう受け入れるかについて、我々よりはるかに真剣であった。真剣であるがゆえに復活という概念も真実味をおびてくる、しかし、実際にそれを目撃したり、体験したりした人は聖書に記されたこと以外は見当たらない。ということは、復活は何らかの象徴として受け留められたのではないか。いや、メタファーではない。生と死は現実なのである。生と死、永遠と有限を橋渡しするものである。復活はイエスキリストで終わったのか。もしこれが、後の世でどこかの聖人によって度々おこるようなことでは意味を失ってしまう。信仰という点からいえば、復活とは何かを分析することは意味がない。この不思議な、歴史的な事象を信じることによって何が生まれるのかである。そこから何らかの力が生まれるのであればそれで充分である。


 旧約聖書がユダヤ人の歴史であるように新約聖書はキリスト者の人生を導く。人生を蘇らせることは実際に起きてきた。信仰によるrebirth、生まれ変わりである。パウロはエマオの途上で復活したイエスに出合った。このパウロなしにはキリスト教は形成されなかった。そしてパウロによって教会によって信仰が継承され、復活が語られ、体験される。そうでなければ原始キリスト教で終わっただろう。パウロの教会形成、さらに教団の基盤が彼によって出来上がった。イエスキリストの十字架の死によって、イエスの使徒たちの教団は解体された。しかし、イエスの復活によって再び生まれ変わり、使徒行伝にある伝道活動が生まれた。さらにパウロが新しいイエスとの出会いを体験し、キリスト教のさらなる発展の礎を築いた。私たちの信仰も、使徒たちの体験、そしてパウロの導きによって生れ、理解される。それは、使徒たちの経験した、実体験としての復活ではないかもしれないが、一人一人に与えられたイエスとの出会いがある。このことは死に打ち勝つ永遠の世界があることを知らせてくれる。これ以上の福音はあるだろうか。


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ブラックスワンのダーレンアロノフスキー監督作品 「ノア・約束の地」
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をT・ジョイ万代で見た。日曜日夕方7時からの上映で、館内には観客は5人ほどしかいなかった。ノアの箱船の話は昔、旧約聖書物語「創世記」で映画化されていた。今回は、最新のCG技術を駆使したもの凄い映像だった。圧巻は箱船が出来て、鳥や動物、地を這う生き物が箱船に集結するシーンであった。このシーンにつきるのではないか。後の洪水のシーンは破壊力が凄すぎてついて行けなかった。この作品のロケ地はどこだろうか。原始的な風景が目を奪った。北極圏とか、アイスランドの風景のようである。
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 館内、日曜の夕方とあって観客が少ない割には内容は良かったと思う。ダーレンアロノフスキー監督の創世記解釈は興味深いものがあった。初めに光りあれ!と神は世界を創造された。天と地、そして水の世界、さらに、動植物をこの世にもたらした。アダムとイブの物語、カインによるアベル殺し等のシーンが早回しで、ノアの心象風景として映し出される。そして、奇妙な岩男がケッサクであった。あれは何だ?天使なのだろう。旧約聖書には「6−4 地上にはネフィリムがいた。これは神の子らが人の娘達の所に入って生ませた者であり、大昔の名高い英雄達であった」とだけ書かれている。ところが、こうした天使の仲間が、この映画では「岩男」になってノアの箱船の建造を助けたり、カインの末裔の人間達の総攻撃を防ぎ、大暴れする。アロノフスキー監督の空想力の産物だが、独創性に脱帽。また、ノアが、人類全体を滅亡させようという神の意思を実行させようと、養女嫁の生んだ双子の娘を殺そうとするシーンは、聖書には全く書かれていない、創作である。大体、創世記には、このようなストーリーは全く無い。ノアが神に忠実な僕であったことから、箱船を造り、一族だけが生き残ったことしか、書かれていない。
 とはいえ、こうした登場人物、怪物が監督の創造した神話の世界で大活躍するところが今回の創世記物語のミソである。主演はラッセルクロウとジェニファーコネリーが渋い演技で物語に現実感をもたらし、全体を支えている。アンソニーホプキンスが祖父役で、俳優陣は豪華。なかでも、ハリーポッターでハーマイオーニ役を演じた「エマ・ワトソン」が、ノアの養女を演じ、その成長ぶりが見もの。将来、大女優になりそうで楽しみである。
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by katoujun2549 | 2014-07-02 10:42 | Comments(0)