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新発田市 自衛隊駐屯地で公開された135mm榴弾砲


集団的自衛権 right of collective selfdefense に関しては、自民、公明党による安全保障法制の協議会で議論が進んでいる。閣議決定で、憲法改正をせず、解釈によって、これまでの解釈を条件付きで変更し、集団的自衛権の行使ー武力行動が可能となる。3要件が合えば、自衛隊の自衛的措置としての武力行動が可能となる。日米安保条約では恐らく、他国の侵略があっても米軍は日本に多大の犠牲が出るまで出動してくれないだろう。そんな時、アメリカは何もしない訳ではない。何の為に、沖縄米軍があるのだろう。契約なのだから、彼らは見殺しにはしない。とはいえ、アメリカでも軍事行動には国民の理解が必要なのである。その為にも、集団的自衛権の発動も出来ない国にはアメリカは手を差し伸べないだろう。今回、マスコミを賑わせているのは、公明党が存在感を示そうと無意味な難癖をつけていることだ。マスコミも語句の付け足しにスッタモンダしてることを報道し、公明党の存在感を示そうとしている。とにかく、現政権は安倍という坊チャマと悪ガキ谷垣、バカ大将麻生のサンバカ政権だが、結構その裏で悪知恵の効いた連中が連中を操っている模様。アホノミックスを進める為にもこの憲法解釈の変更は必要なのだ。憲法第九条の抹殺作業をあきらめている訳ではない。かつて、小泉元総理にも色々参謀がいたが、その応用版で、官僚とか、電通のようなところも加わり知恵をつけている。尖閣諸島問題は、実はアメリカのローッキードF35を次期戦闘機に採用するためのCIAの謀略だったし、今回の集団的自衛権はTPP交渉妥結の為にアメリカのご機嫌取りということが背景にあるに違いない。日本はTPPにおいて岩盤規制、特に米を守りたい一心でアメリカに悪魔の契約を結ぼうと言う訳である。これは、アメリカの対中国戦略に組み込むと言う事でもある。こうした大きな政策決定は必ず裏があるのだ。このサンバカがいずれ、ヒトラー、ゲーリング、ゲッペルスという三悪に変化しない事を願うばかりである。大きな歴史の流れで言えば、アメリカの世界戦略に何とか日本を組み込み、日本を鳩山政権の時のように勝手に動かせないようにするアメリカの意思を感じなければならない。こうした地政学的、歴史観に基づく現実理解は絶対必要だ。クリミア半島のロシア化はこうした流れで簡単に読み取れるのと同じだ。

そもそも、現法の解釈で武力行使が許される場合というのは、1954年に吉田茂内閣が同年、自衛隊が発足した当時3要件を示したことによる。それは、①我が国に対する急迫不正の侵害、②他に、適当な手段が無い ③必要最小限にとどまる−場合に自衛権を行使する事が出来る。自国への攻撃が無くても他国への攻撃を実力で阻止する権利ー集団的自衛権行使は禁止されて来た。解釈による変更が正当な行為かというと、憲法65条の行政権は内閣に属すると定めてあるからである。今回、解釈変更の要点は「国民の生命や幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある→「恐れ」を明白な危険、とし、集団的自衛権の連携先を「他国」→我が国と密接な関係にある他国、「国民の権利を守る為に他に適当な手段が無い→我が国の存立を全うし、国民を守る為に適当な手段が無いと変更した。首相は憲法解釈は最高裁判所において最終的には確定すると言っているが、これは当たり前の事だ。そもそも、こうした解釈によって、憲法の基本的な役割が軽んじられるという危険があり、何故、今、こうした解釈を必要としているのか、国民的な議論が封じられたまま、進められていることに疑念が湧いて来る。近代の戦争は国境紛争を別にすると、集団的自衛権の行使から、大きな戦争につながっている。例えば、第一次世界大戦はサラエボでオーストリア皇太子夫妻が暗殺された報復に、オーストリアハンガリー帝国がセルビアを攻撃した。それに対して、ロシア、イギリス、フランスが参戦、ドイツがオーストリアに加担し、トルコも加わったた事からロシアは後戻り出来ず、凄惨な長期戦になった。第一次大戦ではアメリカや日本は漁父の利を得たのだが、集団的自衛権行使は湾岸戦争など大きな戦争につながる。憲法解釈だけで我が国は自衛官の生命の危機もある危険な行動を行なう事ができるのである。戦争は国家が行なう殺人行為だと言う事。勿論これは、その時の政権とか、国際情勢がどうかによって行使されることであって、軽々に行なわれる事ではない。しかし、我が国の政治家、過去の歴史から、周辺国や国民の間からも疑念が起きている。今、中国の海洋進出などから、アメリカと中国の覇権のはざまに我が国がいることから、何故、今なのかが説明されていない。そして安倍政権は執拗にこれを進めようとしている理由として、背景にTPPがあることをマスコミを使って隠蔽しているところが問題なのだ。
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   このロケット砲が目に入らんか


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新発田市あやめ園
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6月20日、オープンキャンパスで日曜出勤になったが、4時には家に帰る事ができた。
明るいうちに、市内の五十公野スポーツ公園のそばにある「菖蒲園」に行くことにした。60万本300種類の菖蒲が80%開花しているという。夕方だったが結構人が来ていた。イベントは時間が遅くなっていたので終わっており、舞台や露天の天幕が寂しく揺れていた。駐車場から5〜6分のところに「あやめ園」がある。山あいの細長い土地に「菖蒲田」が広がり、中に遊歩道が走っている。色とりどりの菖蒲が咲き誇っていた。菖蒲は英語で Irisである。

五十公野あやめ園の入り口にある升潟。奥に何と白鳥がいた。
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多くの種類の菖蒲が咲いている。ほぼ満開だ。
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300品種、60万本のあやめ(花菖蒲)。
五十公野公園内にある1.8ヘクタールの「あやめ園」は、県内随一のもので、毎年県内外から訪れる多くの人々の目を楽しませてくれています。
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これは五月晴と言う品種

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JCLP(japaneseCulture and Language Program)
プロジェクト
アメリカからの短期留学 
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 敬和学園大学では海外からの短期留学プログラムを実施している。毎年3週間だが、今年は2週間に短縮した。アメリカのテネシー州にあるリー大学というキリスト教系の大学から14人(2名教員)を受け入れた。田舎の中堅大学で、学生は5,000人いる。結構大きい学校である。キリストの教会というアメリカの教派が運営している大学である。テネシー州はナッシュビルという州都の町で開かれる大きな音楽フェスティバルで有名だが、最大の都市ははメンフィスである。ここで、エルビスプレスリーは生まれた。さらに、マルチンルーサーキングが暗殺されたところでも知られている。他にチャタヌガという町が紅蓮ミラーの曲でチャタヌガチュウチュウというのがあったことを思い出した。鉃道の要衝であろう。この州には鉃道王バンダービルトの造ったバンダービルト大学という有名校がある。14人の学生は日本語を学んだり、生け花、剣道、お茶、書道といった日本文化に触れ、新発田市を観光したり、新潟の風景や名物、食事を楽しんだりした。2日間のホームスティもあり、最後の Farewell Partyも大いに盛り上がった。

 新潟県でこうした親身の国際交流を長く続けている学校は少ないのではないだろうか。

このテネシー大学の学生の感心したことは、昼食時でも彼らだけで固まらず、積極的にガ日本人学生のテーブルに入り、親交の機会を造っていることである。彼らは大学の方針もあり、禁酒禁煙禁S禁Dだそうである。今回は黒人やメキシコ系の学生が少なかったが、現地には結構いるということだった。土地柄、アメリカの保守の原点の様な場所かもしれない。




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二宮邸の薔薇と福島潟

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五月の末、土曜日、新潟県聖籠町の二宮邸の薔薇を見、その後いつもの福島潟に行ってみた。昨年も二宮邸の薔薇は素晴らしかったが、今年も昨年同様美しかった。やや時機は後半にかかった感はあったが、大小、様々な種類の薔薇が咲き誇っている。バラ園としては小さな方で、例えば、千葉県の京成バラ園とか、神代植物公園のようなところは、他の植物や施設もある。この二宮邸は天神潟の水辺にある二宮邸のかつての豪農の屋敷という雰囲気を味わう事だが、入場者を楽しませるものが不足しているせいか、退屈する人もいるだろう。新発田や聖籠に住む人に取っては身近でお手軽な目の保養のために毎年楽しみな所である。今年は朝祷会の皆さんと一緒だった。その後福島潟に行った。聖籠インターから新新バイパスに乗り、豊栄インターから10分ほどで到着。この二つの訪問先は自分が新発田に来て2年になるがお気に入りの場所である。

福島潟は近年大きく埋め立てられ、写真の様なスケールと姿になったが、この福島潟以外に、新潟市周辺には鳥見潟とかいくつかの湖沼が残っている。

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新発田周辺ではかつて、紫雲寺潟というのもあり、江戸時代に米作農地拡大の為に大工事の後埋め立てられてしまった。信濃川阿賀野川の蛇行と日本海から吹き付ける季節風によって海側は砂丘になり、河川の出口が埋って海に出られなくなった水流が湖沼になるのである。これがしばしば洪水の原因となり、新潟の治水は頭痛の種であったが、これが米作に適していると見た江戸幕府や新発田藩がここを灌漑、開墾し一大穀倉地帯とした。今日も、日本各地では水害があるが、水田を拡大し、治水は江戸時代に殆ど完了し、日本の国土保全に大きな貢献をして来たのである。この福島潟と二宮邸とはこのことで結びつくのである。どの町にも水田耕作で成功し豪農になった家が残されている。阿賀では伊藤文吉邸、五十嵐邸、新発田では市島邸、聖籠町では二宮邸である。




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 日本でもカジノが検討されている。かつて、石原前都知事が湾岸の新都心に構想を持ち出したら、いろいろな方面から叩かれた。 衆院内閣委員会は17日の理事懇談会で、カジノを中心とした統合型リゾート施設(IR)の整備を政府に促す推進法案について、審議入りすることを決めた。政府・自民党は慎重姿勢の公明党に配慮し、今国会の成立を見送り衆院で継続審議の扱いにする方針だが、年内にも成立する公算が大きくなっている。日本の産業、重厚長大は発展途上国に座を明け渡してきた。新しい分野のイノベーションが求められる。しかし、遅々として進まない。iPS細胞を山中教授が造ってから、もう6年が経つが、未だに実用化されていない。医療や科学はご立派だが、時間がかかるのである。上から目線でいえばそうした産業が三本目の矢だといえる。それに対して、エンタテーメントは時間がかからない。漫画、アニメ、カラオケ、相撲、ラーメン、寿司など日本文化は世界に発信しているではないか。3本目の矢の方向は決まっている。こうした日本の世界パワーを活用するのである。その起爆剤がカジノである。
  
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 自分はかつて、カジノは都市の活性化に貢献すると考え、何とか日本にもカジノが出来ないかと考えた事があった。カジノ=賭博と考え、女性の識者などがヒステリックに攻撃しているのを見て、この人達は、カジノを見た事があるのだろうか。一体どんなことを認識し、リスクを判断しているのか不思議に思った。多分、カジノは巨大なパチンコ屋であり、そこではヤクザが跋扈し、賭博が公然と行なわれる魔窟のようなものとお考えなのだろう。ラスベガス、マカオ、シンガポールなど、巨大な施設が出来、夜の世界をイルミネーションが輝いている。こうした、不夜城の様な場所は日本では、銀座、新宿、六本木、地方では博多の中州、大阪の南やキタ、札幌のススキ野であろうか。そうした繁華街は健全で、カジノは不潔ということなのだろうか。新宿がいかに風俗の店とか、いかがわしい町であるかをご存じないのだろうか。カジノというのは実際はそうした既存の繁華街とは比較にならない洗練された、安全で、多くの人に愛される場所なのにである。
 反対グループの背景として、パチンコ業界がある。現在のパチンコはほとんど国際的にはスロットマシーン化した先端技術のようなパチンコ台でできあがっているのである。かつては30兆円産業だったが、今は縮小し、20兆円を切ったと言われている。しかし巨大な産業であることは依然として事実である。多くの腐敗や犠牲者がいることを見なければならない。カジノを法制化し、環境を整えると、こうした違法なパチンコや競輪、競馬、競艇などの賭博産業にも影響があるのだろうか。実は、自分はあまり無いと思っている。カジノを作るということは、日本に人工的な銀座や新宿が出来ると事だと思っている。カジノは競輪など、低所得者がそこにはまって財産を失うことは稀である。それはカジノには低所得者もいるし、カジノに嵌って依存症になる人は確かにいるので、その対策もきちんとしているのである。クレジットカードの信用から、また、依存症の判定がなされると入場出来ない仕組みもある。パチンコ依存症になっている人がどれだけいるのだろうか。競輪競馬も、もの凄い数であるにもかかわらず、対策もなされていないのとは対照的である。カジノは今後次期臨時国会でおそらく議論され、東京オリンピックを目処に実現されるであろう。国が国民に対して、常に学校教育の様な型にはまった文化を押し付ける時代には限界がある。既に若者の文化は学校教育を超えて来た。社会民主素主義的な教養文化は実は民衆はつまらないのである。カジノは日本の文化にも貢献する。例えば、どれだけ、日本の芸能人でトップは別だが、ダンサーやミュージシャンが食べて行けるのだろうか。エンタテイメント分野にカジノの果たす役割は大きい。セリーヌディオンのショーやシルクドソレイユの曲芸などはカジノで育って行った。日本はもっとエンタティメントに力を入れなければならない。かつて、歌舞伎も江戸では高級で、庶民の遊びでは無かった。もちろん、天井桟敷では楽しむ事が出来たが、日本の庶民のエンタテーメントはあまりにも貧しい。芸術家もエンタテーナー、映画関係者が貧困に喘いでいるようでは日本の国際社会における地位は上がらないだろう。カジノはそうした人々にも働き場を与えることができる。お金持ちは巧みに税金を払わないように逃げ回っている。日本は源泉徴収によって真面目な市民の納税率は非常に高い。カジノでお金持ちからたっぷり富を還流させ、そうした文化の貢献をしていただきたい。ヨーロッパのオペラとか、演劇、エンタテーメンととカジノの結びつきは太く、これは常識である。モンテカルロバレー団が何故世界有数のバレーなのか想像してもらいたい。経営をきちんとしなければ繁栄しないのは当たり前だが、東京や、大阪のみならず、裏日本、沖縄など地方を活性化させるにはカジノは実際多いの貢献するだろうと思われる。

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6月15日のサッカーワールドカップ、日本対コートジボワールについては全くがっくり。土曜日は仕事、学生が亡くなり、葬儀に出たので、気分が落ち込んだ。ゆっくり出来ず、翌日の日曜日は、何もしないで、休んで、サッカー観戦をして元気を付けようと、10時から教会にも行かずにテレビにかじりついた。立ち上がりの日本チームはまずまずの動きで、本田の見事の先制ゴールに湧いた。現地は雨で、湿度も高い。これは日本の選手は辛いだろうなあと思ったが、選手は対戦相手も条件は同じだから心配いらないという。日本選手の意地を見せてくれ、頼もしい限りだが、あのアフリカの高温多湿の空気に馴染んだ連中とはやはり、スタミナにおいても日本は不利だ。相手も条件は同じだというのは単なる精神論で、まったく先方が有利なのだ。後半開始となり、キャプテンが長谷部から遠藤に代わった。相手はエースのドロレバが投入される。彼が何故前半出てこなかったのかは、後半に彼の体力を温存し、一気に攻めようという戦略は見えていた。だから、遠藤はそれを見越したチームの動きを要求すべきだったが、全てが裏目に出た。ザッケローニの遠藤投入の判断は間違ってはいないが、ドロレバの登場に対しては無策だった。コートジボワールは俄然攻めの姿勢に転じることは目に見えていた。ドログバをマークすればいいと言う訳ではないのである。日本は体力と個人技能力においては日本を上回る敵に対して、パス回しで躱そうというのだが、ボールを保持出来ない。後半の2点失点も、同じパターンでしかも、2分のうちにやられてしまった。パスワークができず、防戦一方。敵の選手交代に対応出来なかった。悶々として時間が経つのを手をこまねくばかりの日本の姿に、見ている自分も気落ちしてしまい、終わった後、ベッドに寝込んでしまった。目が覚めるともう2時半、テレビをつけっぱなしにして、何だかNHK民謡大会の「よれよいよい!どんどんピー」とかやっている。ああ、終わってしまった。前日の気落ちに加えて、憂鬱な日曜日の午後、仕方が無いのでこのままでは気分が変わらんと思い、床屋に行って気分転換。それから、車で聖籠町のサクランボの実り具合を見に行った。もう木には赤い実がルビーのように実っていた。インター近くの無人販売所で、ポリケース一箱500円のサクランボが残っていた。箱が置いてあって、料金は個々に入れてくださいとある。のんびりした所だ。500円玉があったので、一つ買った。その後、聖籠のショッピングセンターPLANTで買い物をして帰った。まったくこの2日間落ち込む週末だった。家に帰っても、日本の先制キックを成功させたあ本田の名前も、ドロレバの名前も思い出せない。ひたすら、遠藤めーと思いつつ、スーパーで買ったエンドウ豆と空豆を冷蔵庫に入れたのであった。
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