<   2014年 01月 ( 14 )   > この月の画像一覧

 2日前から、身体がだるくなった。咳が止まらなくなった。静かに寝ていると、胸の中で、ひゅーひゅーという音がする。朝も食欲がない。いつもは8時半に事務所に行くのだが、9時になってしまった。昨日は理事会なので頑張ったつもりだが、会議で発言中、何だか舌が回らなくなった。変だなあ、と思いながら事務室の席に帰ると、指とか関節が痛くなってきた。これは熱があるのかな?風邪かも知れないと、帰り際に明日は風邪で休むかも知れないと言い残して帰った。今日は新発田剣道連盟の稽古日だが、これは無理と思い休んでしまった。
 部屋に入って体温計で測ると、やっぱり7度3分と熱がある。咳も出て苦しいので、夜中も何度か目が覚め、トイレに行く。翌朝、蒲団から出ることができない。身体がだるくて、朝食を食べる元気が出ないまま、9時過ぎまで寝てしまった。とにかく、病院に行こうと思うが、気持ちが焦るばかりで、だるくて動く気がしない。11時頃になって、何とか車を運転して、いつもの山田クリニックに行った。待合室の中は人でいっぱいで、席が空いていない。看護師さんが体温計をくれて熱を測ってくださいというので、その通りにしたが、体温計を見てびっくり。7度8分もある。休養したのに変だ。待合い時間が長くかかると思いきや、すぐに呼ばれて、別室につれて行かれた。熱が高いのでインフルエンザかも知れませんから、検査させてくださいと細い綿棒を鼻につっこまれた。他の患者とは別の部屋に連れて行かれて、ベッドに横になってくださいという。
 身体がだるかったのでそのまま横になった。しばらくすると、A型のインフルエンザでしたと看護師さんがやってきて、熱冷ましのお注射をケツに打たれてしまった。昔、子供の頃、風邪で往診にきた医者が、おしりを出してくださいといって打たれたあの痛い奴だ。処方箋をもらって、薬局でリレンザ、咳止めのコデインリン、解熱鎮痛剤のカロナールを受けとって家に戻る。
 昔、インフルエンザにかかった時飲んだのはタミフルだった。リレンザは吸引具を使って吸い込むので、何だか不安だったが、すぐに慣れた。どうも、最近、タミフル耐性のあるインフルエンザが登場し、タミフルは効かないこともあるらしい。今日から5日間、外に出ずに部屋で謹慎となる。しばらく買い物に行けないので、ウオロクで弁当だとか、冷凍餃子、ミカン、映画のDVDなどを仕込んで帰宅した。帰ると、学校の看護師の篠原さんから電話がかかってきた。心配して、電話をくれたのである。ありがたいことだ。

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名画の条件は、別の映画のオマージュになるかどうかだ。エイゼンシュタインの戦艦ポチョムキンでは、あの有名なオデッサの階段シーンで、乳母車が落ちて行く場面、これはブライアン・デ・パルマBrian De Palma監督のアンタッチャブルでシカゴ駅の銃撃戦シーンに使われた。あまりにも有名な映画なのでパロディとでも言える。この映画はパクリが多い。拳銃を投げて受け取るシーンはリオブラボーを使っている。ヒッチコック監督のサイコもよく使われる。宮崎駿が影響を受けた映画が、ソ連映画G.チェフライ監督の「誓いの休暇」だ。このひ青空と雲をバックに、若い二人が寄り添うシーンはまさに、そのオマージュである。そして
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プライベートライアンのワンシーン、冒頭に展開された激戦のオマハ海岸のアクションシーンが終わり、そこで倒れたライアン兄弟の死を田舎の母親に軍の将校が伝えに行く時のシーン。白黒の、誓いの休暇では、地平線の彼方に息子は去って行ってもう帰る事がなかったという母の思いを、果てしなく続く道で表現した。そのチェフライ監督の手法をスピルバーグは相当のこだわりをもってパクったってことでしょうか。田舎の一軒家、果てしない道を描いている。これも、誓いの休暇のオマージュである。近いの休暇はБаллада о солдате/Ballard of a Soldier で全編you-tübeで見ることができます。
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 戦争を描いた映画は、名作の座を得るためには、何らかの本質に迫っていなければならない。それは戦争というものが、いかに不条理で、倒錯的で、非人間的であるかということである。あのベトナム戦争を描いたコッポラの地獄の黙示録はその異常性を充分に堪能させてくれる。宮崎駿が最も影響を受けたのがソ連映画の名作、誓いの休暇。グレゴリーチェフライ監督の1958年作品。少年兵士と少女の純愛が軸であるが、その中では、戦場の兵士の妻の不倫が描かれる。主人公の兵士は最前線で老人兵士とドイツ軍と対峙し、対戦車銃で二両の戦車を撃破してしまう。これもあり得ない異常な出来事である。ダークブルーも、バトルオブブリテンでスピットファイヤーに乗ってドイツ空軍と戦うチェコパイロットという摩訶不思議な設定である。アブノーマルな世界がこうした戦争ものには不可欠である。永遠のゼロも、最初は卑怯者と言われた名パイロットの回想で物語が展開される。このあたりが引きつける。零戦の見事な飛翔と青い空が戦場の異常性に対比される。しかし、あの、風立ちぬはあまりにもノーマルな世界で危機感が出てこない。結核療養の若き資産家の女性と、エリート飛行機設計者のドラマである。なんだか戦時中の異常な感じが出てこない。
 第二次大戦末期の日本軍の特攻で海軍は4100人以上が犠牲になった。陸軍は1600人であった。陸軍海軍の特攻は今日も、その犠牲的精神への哀悼の国民感情は尊重したい。さらに、作戦立案を行った軍部の無責任な作戦を批判すべきだし、軍のホンチャン組ー陸士海兵出身者の戦死者は少なかったことも付け加えたい。学徒兵と予科練がやたら駆り出されていた。このシーンは永遠のゼロでも描かれた。大体、特攻機が片道燃料というのも、真実ではない。そんなことをしたら、途中で迎撃されたときに逃げられなくなってしまう。陸軍は、出撃した半数は目的地に行けずに戻ってきて、搭乗員は福岡市の振武寮という宿舎に隠ぺいされていた。海軍は、さすがに、海上航行の技術が優れていたので、片道で突っ込んでいった。また、沖縄戦あたりでは特攻は志願ではなく、指名であったという。通説とはだいぶ違う。
 そして当時の異常な社会心理状態は、実態の解明が終わっていない。特攻に関する検証も中途半端、真実を究明しきれていない。関係者は既に高齢化し、証言も取りにくい状況である。 
 
 バトルオブブリテンではドイツは1000機以上の爆撃機を失った。ダークブルーはその当時を描いている。しかし、1,000機ほどの戦闘機を失ったイギリスの方が戦闘機の消耗は激しかった。これまで、空軍の戦闘を描いた第二次大戦映画には「頭上の敵機」「マルタ島攻防戦」といった名作がある。「空軍大戦略」は典型的な歴史もの戦争映画。「メンフスベル」は一種の青春映画だ。大戦中B17によるドイツ本土爆撃は4,500機の損失と、10000人以上の搭乗員を失った。爆撃機は編隊では対空砲火の餌食だし、ばらばらでは戦闘機には到底叶わない。多くの犠牲を生むのであるが、爆撃された非戦闘員の犠牲は比較にならない。
 ちなみに、対日戦でのB-29の喪失数は714機、延べ出撃数33,000機で、出撃に対する損失率は2.2%程度。ただし投入した機体数に対する損失率は15%を超える。戦死または行方不明となった搭乗員は合計3,041名である。
 今回、永遠の0に対して、宮崎駿氏が戦争オタクとして異議をとなえているらしい。多分、ゼロ戦がムスタング(P51)を撃墜したシーンだと思う。既に格段の性能差があったが、何も、戦闘中はフル駆動する時ばかりではない。零戦の旋回能力は図抜けていた。ムスタングに勝つ事等はめったになかった。だが、実際にあったことである。ムスタングの性能はゼロ戦を凌いでいたが、状況によってはあり得た。疾風などもB29を撃墜している。自分も、あの映像はあり得ないと思ったが、実際に記録がある。また、戦後、紫電改など、後半の馬力のある戦闘機に米軍の質の良い航空燃料を使って実験したところ驚くような性能を発揮したという記録もある。ナチスドイツがバトルオブブリテンでゼロ戦を使っていたら勝利していたのではないか。航行距離はドイツのユンカースやメッサーシュミットよりはるかに長くかったから、零戦は空戦には抜群の能力を発揮した。ドイツなら、操縦士の防弾、燃料の防御にも新機軸を発揮したはずである。当時、ドイツ空軍はイギリス上空では燃料切れで長時間戦えなかったのであった。今の基準では迎撃戦闘機だったのだろう。日本の特効では飛行機も整備士の技術不足や部品の不良などで、途中で飛行機が不時着することも頻繁にあったという。
 永遠のゼロも、宮崎作品、風立ちぬも、純愛ものだが、ダークブルーはやや不倫ものであった。その違いが面白かった。英霊は純粋でなければならなかったのである。戦争映画というのは不条理な出来事が積み重なっているところが描かれないといけない。その点、宮崎作品は今一つ食い込んでいない。font>

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 2日間にわたるセンター試験が終わった。受験生諸君!もう少しで頂上だ。ここで気を抜かないことが成功の道だ。トップ校を狙っている皆様、これからの1ヶ月の過ごし方で勝負が決まる。これまでの、模擬テストの間違いを再チェックすることは絶対に必要だし、効率的な勉強法である。もちろん、センター試験の反省も抜かりなくやろう。受験勉強の計画を立てたのは昔のことかもしれない。そして実行してきた。そしてこれまでの失敗を見直す。そして、そこから更に難易度の高いレベルに挑戦する。PDCA法というのはこれからの人生にとっても有効なメソッドである。Plan,Do,Check,Actionという手順はこれからも、年齢相応に、社会人になっても有効である。これがなかなか出来ないのである。①Plan:まず目標を設定し、それを具体的な行動計画に落とし込む。 ②Do:組織構造と役割を決めて人員を配置し、組織構成員の動機づけを図りながら、具体的な行動を指揮・命令する。 ③Check:途中で成果を測定・評価する。 ④Action:必要に応じて修正を加える。 一連のサイクルが終わったら、反省点を踏まえて再計画へのプロセスへ入り、次期も新たなPDCAサイクルを進める。このサイクルは企業活動の業務点検の常道とされている。受験生諸君、使わない手はない。

母校の先生に見送られ、試験場に
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終わってホットしたひと時。チャーターバスに乗って帰宅。お父さんお母さんが待っている。
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先週の土日は大学は緊張の空気が張っている。受験生諸君も大変だが、会場になった大学は教職員が動員され、準備と当日の試験監督を行なう。土曜日の英語リスニングで頂点に達する。ハイエナのように新聞記者が何か起きなかったか、耳をそばだて、問い合わせてくるのである。下越地方は羽越線で架線事故があり、列車が45分遅れたようだが、我が大学では受験生の遅刻は無かったのが有り難い。いつも、この時期は雪のトラブルがあるが、今回は天気予報は外れで、困難な状況も無かったのである。
皆、ホットした。日曜日の理数テストを終了。ご苦労様でした。昨年は初体験だった自分は、何とストレスのせいか、大腸の憩室から出血、1月末に入院してしまったことを思い出した次第。

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 永遠の0を見た。久しぶりに中身のある日本映画だった。戦争映画、特に航空ものとしては日本映画の最高傑作だ。とにかく、近年、映画は乱作気味で、内容の無い作品がやたら作られている。時代劇も勝手な監督の解釈で、時代考証もへったくれも無い。その方が費用がかからないからだ。俳優のレベルの低さは驚くべきである。役者は金儲けばかりが気になって演技の訓練不足のため、台詞の発声がなっていない。全般的に声がうわずって聞き取りにくい。ファッションモデル上がり、歌手あがり、テレビタレント上がりが映画に出るからだ。日本映画の質は急降下。

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 この作品では、三浦春馬と井上真央といった若手も精一杯の演技だ。そこを風吹ジュン、吹石一恵などの渋いベテラン俳優がしっかり脇を固めている。父親役、夏八木勲は惜しい事に昨年亡くなった。劇中、三浦のインタヴューする相手は平幹二朗、山本学など皆ベテラン俳優であった。宮部を演じる岡田は今年の大河ドラマ、黒田勘兵衛の主役である。演技の良い作品は見ていて気持ちがよい。5年ほど前に小説を読んだが、かなり忘れていた。映画を見ながら、ああ、そうだったかと思い出した。自分は、門田隆将さんと、特攻の研究の経験がある。そして、「蒼海に消ゆ」というノンフィクション作品を世に出す貴重な経験をすることができた。興味を持ってこの作品を読んだし、映画も見た。特に、空戦のところや空母からの出撃シーンは見事である。時代考証もきちんとしている。あの宮部久蔵のようなパイロットはいたのではないか。自分が本を読んだ限りでは、過去の特攻に関する資料には、実にウソが多い。それは死んだ仲間、そして上官などに配慮するからである。特攻で戦死した将兵は皆苦悩し、疑問を持ち、そして堂々と任務を遂行した。しかし、彼らが死に直面し、どんなに恐れ、その行動の意味を求めていたかは、聞けわだつみの声といった遺書では伝わって来ない。この作品でもそこが弱い。最後は三浦の慟哭で終わるが、自分の祖父の事で、そんなに興奮するのだろうか。もっと、余韻のある演技が出来なかったのだろうか。小説ではやはり、最後に宮部が空母に突入する所で終わる。
封切りして時間が経っている割には、館内70%くらいの混み具合であった。
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 その後、サンドラブロック、ジョージクルーニーのゼログラビティを見た。宇宙空間でハップル望遠鏡の修理の為に宇宙空間で作業中、宇宙のゴミ(ロシアの衛星の破片)に襲われ、スペースシャトルや宇宙ステーションが破壊される話。そこで、残された二人が生還に向けて必至になる。ジョージクルーニーが、そんな時でも平静さを保って堂々と死んで行き、女性宇宙飛行士のサンドラブロックがドジばかりで、いらつく。ところがある時点から人が変わったように、スーパウーマンに転じてしまう所が不自然である。何と、中国の宇宙ステーションも操縦してしまう。あの女優はやはり大根役者なのだろう。そのレベルの映画にぴったりで、時々宇宙服を脱いでお色気を発揮する。しかし、おっぱいは絶対に見せないのがケチ。ギャラが問題なのか。無重力空間のトラブルがテーマ。ネタバレだが、サンドラブロックだけが無事地上に生還する。無重力の感覚、どうにもならない力学的な作用が実に巧みに特殊撮影で表現されていて、ゼログラビティの怖さが伝わってくる。宇宙空間は真空だし、無音のはずだが、音楽だとか、破壊音がガンガン鳴ってくる。これは変。本題は単なるグラビティなのだが。自分が本当に宇宙遊泳している気分になる。ドラマ性はあまり感じない。主人公が死んでは話にならないドラマであることが途中で分かってしまう。永遠のゼロがまさにドラマそのものに対して全くの映像トリック映画であった。むしろ見事な特撮映像に満ちているこの映画のメイキングを見たいものだ。

 ゼロ戦ものでは宮崎駿の「風立ちぬ」を見たが、これは戦争体験として、また、零戦製造秘話ものだ。宮崎駿の飛行機への情熱は伝わったが、作品のドラマ性は通俗的だった。結核療養中の女性とエリート技術者の悲恋ものではないか。良かったのは絵が奇麗で凝っていたことくらいだ。主人公の恋愛物語も、まるで明治の尾崎紅葉、ホトトギス、新派の芝居みたいだった。この3作品を比べると、今回の永遠のゼロの出来は非常に良い。宮崎駿がこの永遠の0にいちゃもんをつけている。何を言ってんだろう、風立ちぬの話はドラマとしては漫画ではないか。宮崎が奴隷のように使ったアーチスト達の絵から生まれた宮崎ワールド。そこでしか成り立たない荒唐無稽なドラマこそ、彼の真骨頂である。

 三作の主役は、永遠の0が天才パイロット宮部久蔵、ゼログラビティは何と重力(gravity)、そして風立ちぬは画面には出てこないが、これを最後の作品にすると目立って不思議がられた飛行機オタクの宮崎駿である。

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 「城下町しばた全国雑煮合戦」が12日、新潟県新発田市のカルチャーセンターで開かれた。約2万人の来場者があったようだ。新発田商工会議所青年部が2005年から毎年開催してきた。教会に行った後、車で会場のカルチャーセンターに行ったら、案の定駐車場が無い。こういう時に限って、警察が張り切る。変な所に駐車して違反切符切られては適わんから、寺町まで行って、15分ほど雪の中を歩いて会場に行った。駐車場は、何カ所か空いているのに、入り口と出口の整理員の連絡が悪くて、空いているのに中に入れようとしない。町のこうした係の人はいつもそうだが、係同士の連絡を取り合って親切にする気はない。合理的にものを進めようとする感覚に乏しいか、単なる気が利かないだけなのか。
 
 10回目となる今回は、8道県から50の店や団体が出店。トマトと魚介類、広島カキ、山形は米沢など、それぞれが地元ならではの食材を用いた創作雑煮が出ている。屋台のテントが広場いっぱいに張られている。入り口に近い所で新発田建設の渡辺社長が防寒具に身を固めて、河豚雑煮を呼び込んでいたのでこれを頂いた。もう1杯はかに蛤雑煮を頂いた。一杯500円はどうだろうか、高いような気もするが、質を落とさない為にはこれくらいでもいいだろう。それだけに内容のある雑煮が多かった。優勝はモチ豚雑煮、二位が自分も頂いたカニ雑煮だった。

 雪も降っているので、体育館で頂いた。外で立ち食いしている人も沢山いたが、寒くてたまらないので、中で椅子に座って食べた。両方、なかなか美味かった。新発田の家庭の雑煮は、「のっぺ」を雑煮の具にしたような、具沢山で、鮭が入ったものらしい。体育館の中では、女子大生などがステージに座ってインタビューを受けていた。雑煮合戦看板娘が選ばれるとのこと。司会をしている人がどうも見た事ある顔だなあと思いきや、あれはいつもの寿司屋、登喜和の兄ちゃんではないか。

 最後は餅撒きで終わる。中野の宝泉寺でもやってた、節分でおなじみの、ステージから餅やらお菓子を放り投げて皆でつかみ取りする。そのような時に、えらく張り切って、わんさとお菓子やら、餅を一抱えもゲットする人がいる。何事も要領の良い奴がいるものだ。そんな能力というのは、捕虜収容所なんかで発揮されるのだろう。焦らずとも、自分の所にお餅の小さな袋とお菓子が飛んで来てゲット。そんなに欲しいと思わない袋菓子がいくつもあったが、もうそれで充分であった。

 雪の中、ボランティアの皆さんはご苦労様である。何で、新発田が雑煮なのか分からないが、これだけ人が集まるという事が大事なのだろう。堅苦しい理屈は抜きにして、全国から、また、新潟からもこれだけの人が集まるイベントは新発田では無いだろうからね。新発田は、下越の都市の中心であることを世に知らしめることが大事だと思う。

>雨まじりの雪の中、テントが並ぶe0195345_22463791.jpg









諏訪神社の木遣り

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 大学の学生寮建設が一種のブームになっている。その先端が、早稲田大学中野国際寮である。中野に収容人員1,000人という巨大な国際寮が完成する。昔から、国立大学には学生寮があった。というより、旧制高等学校生は寮生にならねばならなかった。そこで、一般教養から、友情、さらにはインテリジェンスを競い合うことも行われ、切磋琢磨した。カントやヘーゲルの本が棚にないと馬鹿にされたのである。「ああ玉杯に花受けて・・・」というのは第一高等学校の寮歌である。当時高等学校には同世代の2%位の少数しか行けなかったから、全くのエリートであった。寮歌、ストーム、左翼思想などの学生文化が花開いた。寮はその学校の伝統を形成した。寮生活が大学生の人格形成や学生同士の交流、学業の発展に貢献することが認められている。ところが、かつて、50年前、学生運動が盛んな頃、自治を盾に学生寮は左翼運動の拠点になっていた。一高の寮は取り壊しの立ち退きにも大学は往生した。このことから、学校側は寮の建設に消極的であった。しかし、近年、大学生の海外留学が長い不況もあり、人気がない。国際化、グローバル化を進めねばならない大学にとって、いかに国際交流機会を増やすかが大きな課題だが、この国際寮による共同生活でそこが補えるという狙いである。生活を共にするということがどれだけ人間の根源的な連帯感や心の交流に寄与するかは分かっている。そもそも、アメリカやヨーロッパでは大学はカレッジの集合体である。特に、リベラルアーツカレッジでは都会から離れた場所にあるものが多く、必ず学生寮がある。小平にある津田塾大学の寮は歴史も古く、リベラルアーツ女子教育の伝統を守っている。イギリスでは中学から寮生活をするし、オックスフォードやケンブリッジでもカレッジ毎に学生寮もっており、学生生活の中心なのである。それを理解せず、予備知識もなく、学生寮は無意味だとか、堅苦しいと言っている人の気がしれない。寮がある事は一流の学校ということと同義だ。特に近年、平成に入り、やたら生まれた新設私立大学は、金儲けに気を取られ、こうした施設を作る余裕も無いし、経営者も、教員も三流だから、寮生活が何であるかを全く分かっていない。秋田の国際教養大学は流石にそこに着目して全寮制になった。見事に学生の教育システムと連動し効果を上げた。流石である。
 
 寮は人気がないという人もいる。一人部屋でなければだめだという意見もある。しかし、それは自分の体験とか、ほんの限られた事例でものを言っているに過ぎない。一戸建てに住む事とマンションに住むこととは比較しにくいのと同じである。一人一部屋は住むには良いが、個人主義を助長し、仲間づくりには向かない。ICUは寮生活を教育の一環として素晴らしい仕組みをもっている。御茶ノ水女子大は海外の寮を調査し、二人部屋と一人部屋を組み合わせた新寮を建設した。だめな例を挙げてだめだというのは変だ。立派な成果を上げている学校はたくさんある。早稲田大学の東伏見の寮は賃料も5万円くらいで一人部屋と二人部屋がある。他にもいくつかの学寮があるのだが、人気の無い寮もある。その個室は実に間口が小さく、独房のような形で嫌悪感すらある。学生寮こそトレンディでライフスタイルの変化に敏感なのである。 とはいえ、学生にも財政事情があり、お金持ちの子弟ばかりの民間寮もあるが、大学の寮は何処の寮も5万円以下の賃料である。だいたい5万円で冷暖房完備、あらゆる機器が備え付けで至れりつくせりである。早大国際寮は何と6万円。こうした寮なら二人部屋も可能である。寮監や食事のつくとこもある。条件が一つではないから比較しにくい。

 新潟県に学生寮をもつのは新潟大、上越教育大、長岡科学技術大学であり、私学では日本歯科大学だけである。新潟大学の五十嵐寮では大体、寮費は10,000円を切る低価格である。しかし、どうも人気がなく、もっと費用のかさむアパートに住みたがるようだ。安さだけが取り柄という寮は貧乏学生の巣になって、何とも格好が悪い。要するに、今の学生は住まいに困っているのではなく、価値ある時間の過ごし方をしたいことがわかる。事情はそれぞれあり、そうした背景もつかまねば実態はわからない。日本歯科大は3万5千円/月であり、女子寮になっている。冷暖房完備、キッチンや談話コーナーもあり、人気がある。新潟県は学生の半数が他県、特に首都圏に出てしまう。これを嘆く向きもあるが、新潟県下で学生寮を持つ学校は極めて少なく、質も良くない。東京の大学も、アパート代が高いこともあるが、名のある学校はきちんと学生寮を準備し、全国から学生を集める仕組みができている。それを怠って、新潟から学生が出ていくと嘆くのは情けない話である。キャンパスの質など、新潟の大学はもっと学生本位で考えなければ到底首都圏の学校には太刀打ちできない。
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by katoujun2549 | 2014-01-09 23:08 | Comments(0)

 新潟県新発田市はかつては陸軍16連隊の軍都であった。今も自衛隊が駐屯している。だから、中心市街地には飲み屋も多いし、料理屋も結構歴史の古い店がある。石川小路の島やとか、北辰館など老舗の料理屋があって、まあ、味もなかなか良い。料理とくれば当然お酒である。新発田のメインは何と言っても菊水酒造である。全国展開し、ローソンなどでも、一番搾りとか、缶入りの辛口淡麗が味わえる。しかし、驚いたことに、新発田でこれを飲むと味が違う。おそらく、出来て発酵後、輸送や倉庫に眠っている時間が短いせいだろう。当然だが、旨い。中でも、自分が愛飲しているのは無冠帝という吟醸生酒である。最近、菊水酒造はビジネスに熱心で、同社は世界に打って出る努力もしている。工場も郊外に増設し、若い高澤社長の指揮下、会社の勢いも良い。もう一つの老舗が市島酒造である。王紋、夢、とかなかなかいける。市島酒造も頑張っている。自分は菊水以外では、金升酒造の藍ラベルというのが好きである。また、加治川の紫雲寺というところには控えめだが、ふじの井酒造があってこれもなかなか良い。この町では至る所で旨い酒が造られている。

 下越地方には津川の美酒、麒麟山がある。そして、阿賀野市には金鵄杯酒造の雪影とか越後杜氏といった銘酒がある。長岡は八海山、そして千寿万寿である。さらに、北に行くと村上市の銘酒、〆張り鶴、太洋酒造の太平盛りが控えている。一歩県を出ると山形で、ここの出羽桜などは味が全く違う。こくのある甘口なのである。これがまたいけるのである。雪の日に、出羽桜の熱燗をちびりちびりとのみながら、鮭の筋子だの、正月料理の残りの数の子なんぞをつまみに、炬燵で過ごすのは至福のひとときである。新潟県には何と80ほどの酒蔵があるようだ。酒造組合だけで26社あった。毎年、新潟市の朱鷺メッセで開かれる酒の陣では、救急車が待機し、酔っ払い天国と地獄が生まれるという塩梅。とにかく、この地では酒が飲めない人は気の毒である。会議があっても、終わり頃になるとみな結論などどうでも良くなって、酒の席に移るとみんなにこにこ。最後はすっかり忘れて手締めでお開きなのである。
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 さすがに、新発田は酒の町というキャッチフレーズは出しにくいと見えて、今年の市長の新年挨拶は、かつての新発田藩にならい、教育の町にしたいのだそうだ。自分は堂々と、「飲んべい」の町、ノンベイタウンといでも言えばいいのにと心で思ったが、これはヨソモノの無責任だろうね。
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 今の政治家が中国や韓国、さらに東南アジアとの外交において気になる事は、戦場になった国々の国民の悲惨な過去に向き合おうとしない事なのである。日中国交回復時の田中角栄や大平正芳が、どれだけそうした国民感情を配慮したかをすっかり忘れてしまったか、もう70年以上経ったのだからいい加減にしろといったことを宣う輩が多い。戦争の犠牲者の遺恨は100年たっても消えないということを知らないのだろう。石原慎太郎をはじめとする、かつての戦後民主主義を批判してきた層である。要は懲りない面々である。こうした連中が安倍政権を支えているからには当然そうした影響を受けて、人柄の良い安倍総理はその気になって靖国神社に行く。天皇陛下も行かない所にである。自分は天皇の代わりに参拝しているとでも思っているのだろうか。

 株価はリーマンショック前の状態に戻り、多くの投資家、さらに年金基金等も大喜びである。株式投資は何も金持ち階級が占有していうる訳ではない。国民全体の利益に関わる事である。世界の投資家から一時は見放された日本の経済に明るさが蘇って来た。安倍政権の経済政策は今の所順調で、消費税施行後の落ち込みを乗り越えるかどうか、更なる成長への新機軸が待たれるのだが、この問題は、国防産業の活性化という方向で決まった路線であるかもしれない。このステップは実はナチスが通った道とそっくりなのである。シャハトという名財務大臣の巧みな財政政策で、ドイツは超インフレから蘇り、ベルリンオリンピックを開き、世界に冠たるドイツという思い上がりが生まれた。日本も6年後は二度目のの東京オリンピックである。ほぼ、一党独裁に近づいた自民党が、これからどのように変態し、別の生き物に生まれ変わるのかである。あの時代とは違うとはいえ、何だか不気味な道なのである。まさか、あの人の良さそうな安倍首相がヒトラーと同じと思う人はいないだろう。人々を奈落の底に突き落とす「怪物」、戦争や軍人の野心は未だ生まれていないだろう。しかし、どうだろうか、あと20年もすれば、今の子供達、あるいは青年達が社会の指導的立場を得るようになった頃を考えての事である。怪物は未だ卵の状態である。怪物とはあのナチスのような個人とか集団とは限らない。でも、卵のうちからつぶしておかねばならない。毒蛇は子供でも危険である。2.26の青年将校達は20才代ではなかったか。反省の足りないのみならず、頭の弱い麻生副総理あたりが、ご長老になって黒幕としてそうした若い人々を戦争への道に導くことは無いと言い切れるだろうか。今でも、竹島、尖閣諸島での韓国や中国を泥棒呼ばわりしたり、特定秘密保護法を推進したりする勢力、武器輸出三原則をなし崩しにしようという三菱重工を中心とする武器産業の面々、靖国神社が何であるかを忘れた若者達の動向をうかがっている人々、要するに、人の生き血を吸う連中はまるで森の中にいるヒルのごとく日本に密かに群れている。

政治家や官僚は言葉を巧みにあやつり、国民をたぶらかす達人である。積極的平和主義という理論はまさに、今日的問題意識から生まれたものである。核を持った北朝鮮、海洋進出に熱心な中国、反日を国の統治に利用する韓国といった勢力を周囲に控えた日本において、直接的武力衝突のリスクは高い。一体そんな事があり得るだろうかと思うのだが、それは今の感覚で未来を考え、歴史を読む誤解である。環境が変わればものの見方や世論は変わる。今のマスコミがどんな形で情報管理されているのだろうか。不明な点が多い。
 何も、中国や北朝鮮が上陸用舟艇を連ねて日本に侵攻してくるなどという想定は荒唐無稽だ。そこに至らないレベルでの紛争のことが問題なのだ。集団的自衛権に関しても、曖昧な事態が発生した場合の対応を迫られるのである。しかし、ここに危険な罠がある。全ての戦争はそこから始まるのである。第一次世界大戦は1ヶ月で終わるだろうと言われたし、第二次世界大戦はドイツのラインラント侵攻、ズデーテン侵攻から始まったのであって、ポーランド侵攻からではない。今とは違うとはいえ、歴史に学ばねばならない。

何故、こんなことを心配するかというと、日本は第二次大戦のもたらした結果に何故なったのか、何が悪かったのか、国家的理論的な体制ができていない。アジアの諸国から講義されると謝罪するばかり。相手の理不尽な主張に向き合ってこなかったばかりではない。自国の戦争行為の内容にも向かい合ってこなかった。そんな国が、今更強気になって何なのか。周囲から何だか分からないから孤立するばかりではないか。ドイツではハーケンクロイツのマークを掲げる事、強制収容所での民族絶滅が試みられた事を否定する事も犯罪である。そのかわり、東西冷戦を逆手に取って、しっかり国防軍を再建した。日本には今も、過去引き起こした周辺国への悲惨な結果に対して無神経な人が多い。そして、大きな国防領域、貿易航路などを武力で守るにはあまりにも出費が大きい。軍事化は日本破滅の道に通じているのである。また、アメリカが今、戦争を控えている状態に対して、その代わりの盾を日本に求めていること。日本はアメリカの防波堤であるという実態。過去の歴史認識。一旦縦割りにものが決まると全体を考えない官僚達が健在であることなど、リスク要因があまりにも多いことを心配している。これらに言及もせずに、NSCとか、靖国とか言ってもごもっともとは到底言える政治状態ではないのである。

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 新年初出勤である。会社なら、お神酒で乾杯という所だが、本学はミッションスクールでそうはいかない。朝から学生がカウンターにやってくるから、酒臭いと問題。そこで、自分が、聖書の酒に関する部分を読み、若干のコメントをして言葉の酒を振る舞わさせて頂いた。以下がその内容である.
酒は話だけ?と、がっかりした職員もいたかも。たまには職場で乾杯もしてみたいです。 

ヨハネによる福音書2章 ーカナの婚礼ー

 三日目にガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません。」しかし、母は召使いたちに「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに使う石の水瓶が6つ置いてあった。いずれも二ないし三メトテレス入のものである。イエス様は手伝いの人達に言われました。「水がめに水を満たしなさい。」イエスが「水がめに水をいっぱいいれなさい」と言われると、召使い達は、かめの縁まで水を満たした。イエスは「さあ、それを汲んで宴会の世話役の所へ持って行きなさい」と言われた。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒が何処から来たのか、水を汲んだ召使い達は何処から来たのか知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いが回ったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行なって、その栄光を現された。それで、弟子達はイエスを信じた。
 
  召使い達はイエス様の言葉に従った。彼らはマリヤから言われたことを覚えました。 彼らの心の水瓶の中には、主の御言葉が縁まで一杯に満たされ、満ち溢れていました。 
 さらにイエス様は言われました。「さあ、今くみなさい。 そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」 手伝いの人々は自分達が汲んで来たものが何であるか、ただの水であることを良く知っていました。 しかし彼らは従いました。まるで、神の御心に従ったキリストのように、彼らはイエス様の言葉について行きました。
 
ヒエロニスム・ボスの作品 カナの婚礼
 
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 「持って行きなさい。」という言葉を聞いたすぐ直後に、 「彼らは持っていった」とあります。その時、不思議なことが起こっていました。 
 そう…、水はぶどう酒に変化していました。 宴会の世話役のところに運ばれたものは、すでに、ぶどう酒でした。 それは、常識を超えたぶどう酒、私たちの理性の領域を超えたぶどう酒、 この世のものではない、神から来るぶどう酒…。 

 宴会の世話役はぶどう酒になった水を味わってみて、花婿に言いました。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、 悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」  新年にあたり、聖書の言葉を贈ります。今年も、様々なご苦労、試練、至らないこともあるでしょう。しかし、イエス様が水をぶどう酒に換えたようなことが必ず起きることを信じます。酒を水のように飲もうという事ではありません。ぶどう酒とは私達の心の元気とも言えます。万物の根源である水、そして パンとぶどう酒は象徴です。

何が私達を元気にさせるのでしょうか。水を葡萄酒のように変える力とは何かです。媼生私達の人生には毎日の日々に追われ、味わいの無い水のような生活があります。この物語はイエスの行なったしるしという事です。聖書は私達の心の世界を語っています。私達の心が水からワインとなって力を発揮することを願います。今年一年、皆様の日々が水のように満たされています。そして、それがイエスキリストを信じる事によって、いつの日かぶどう酒に変えられ、さらなる、よき働きをされることを祈り願っております。

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