<   2013年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧

 新約聖書の四つの福音書に共通して書かれているのがパンと魚の奇跡である。5千人の群衆に、5つのパンと2匹の魚を裂いて全員に配り、7つの籠にパン屑がいっぱいになったという話。配るたびに魚やパンが膨らんで増えたのか?マタイ伝ではその物語の後、イエスキリストは水上歩行している。物理法則無視の奇跡物語。何があったのだろう。聖書には気象現象、海の干満、星の運行も神の業として我々の常識を超えた現象が記載されている。私達は全ての因果関係を理解して行動している訳ではない。もし、古代人が現代のICチップとか、SDカードに膨大な情報が入っている事等を知ったら、一体どんな反応を示すだろうか。理解出来ないだろう。我々もそのメニズムを知らずに使っている。そうしたブラックボックスのうえに我々の生活は成り立っている。モーゼが二枚の岩に書かれた十戒をもってこれを民衆のよりどころとし民族の法、そして宝とした、その文字の力をユダヤの民は畏敬の念を持って崇拝したことを思い起こしてもらいたい。この奇跡物語への思いと信仰こそ、聖書を単なる道徳規範とせず、信仰の基盤とする基なのである。人は何かを信じて生きている。親が信じられるならそれも良いでしょう。友人も結構。お犬様、お狐さまを信じている人もいます。それでお金もちになれるのでしょう。それで満足するなら否定はしません。自由です。でも、 この奇跡信仰こそクリスチャンのエネルギーの源であると思う。輪廻転生、リーインカーネーションは仏教の信仰だが我々はきっぱり否定する。おやめなさい。あれは単なる偶然の産物です。人々に希望を失わせ、やる気を無くさせる理屈に過ぎない。スピリチュアルブーム?あれはそれを提唱する嘘つき名人を金儲け、豊かにするだけの事で全くの無駄です。江原啓之とか、占い師風丸山明宏を喜ばせたければどうぞ。キリスト教会の戦いはまさにそうしたインチキとの戦いでした。古代においてはグノーシス派、中世ヨーロッパではカタリ派、さらに土着の呪術との戦いでありました。魔女裁判もその行き過ぎた過ちでしたが。信仰はあくまでも個人の信条であり、これが一歩逸脱して社会性を帯びるとナチスのような悲惨な結果をもたらす。イデオロギーの社会化ほど恐ろしいもんはありません。信仰は個人の自由である事も現代の私達は知っている。テレビで八重の桜が人気ですが、新島襄も八重さんも、この奇跡を信じたのです。イエスキリストの復活を信じた。これはテレビには描かれていません。
  
 イエス様の奇跡物語で5000人の人々にたった5匹の魚と5個のパンで全員が満ち足りたという箇所がある。マルコ8章では4千人に8個のパンと僅かな魚、マタイ伝では5千人に8個のパンと2匹の魚となっていてその説明はかなり執拗である。このパンの奇跡は新約聖書の4福音書全てに書かれている。何かが起きた事は間違いない。イエスが奇術の技を持っていたという説もあるが、そうではない。一体何を示しているかを考えると、聖書の読み方も変わって来るだろう。その奇跡を分析する程つまらないことはない。

 荒れ野で大勢の群衆を前に、イエスは神の国を説いた。そのとき、現代とは違って。皆旅をして来る。場合によっては何日もかけて来る。そうした場合、近所の人は食料を必ずしも持っていないが、遠路の人は必ず持っている筈だ。ガリラヤ湖のほとりで魚は捕れるし、干した魚なども売っていたかもしれない。だから、イエスがそうした食事に対して、象徴的にパンと魚を皆の前で並べて示すとそれが食事の合図となり、皆が分け合って食べた結果、7篭ものパン屑が集まったのだろうと考える事ができる。しかし、教団にとっては、食事の支度をしなかったことがイエスに救われたため、その感動を伝えたのかもしれない。何だー結果オーライではないか。というとつまらん。そんなことはどうでも良い、素直に奇跡を受け入れればいい。でも、我々が信仰を持ってこの奇跡物語に接すると、何やら、自分にも当てはまる出来事がしばしばあるから不思議である。この敬和学園の設立の経緯を知ると、まさに2匹の魚とパンの奇跡を思い起こさせる。わずかな種から大きな結果が生まれることの譬えは聖書には多い。一粒の麦死なずば多くの実を結ばん。である。聖書には奇跡物語が多くあるが、それらを現代の目で分析しても始まらない。この奇跡物語においてむしろ注目すべきは5000人という数である。ガリラヤという田舎にこれだけの人々が集い、そして飢えなかった。そのことを象徴した物語である。むしろ、これを飲み込むー信仰することから全てが始まるのである。

 神は常に福音を証し、述べ伝える時に必要なものを備えて下さる。出エジプト記の砂漠で放浪中のユダヤの民の上に降らせたマナの雨然りであり、旧約聖書はそうした神の奇跡の歴史であった。神は全てを用意して下さる。神は信頼関係をもてば必ず、答えて下さるという事である。
 聖書の奇跡物語は一見荒唐無稽のような表現が現代人にはあるが、信仰生活 、教会生活を長い間送っているうちに、成る程と思うことがあり、聖書の読み方にもかかわって来る。福音派では聖書を文字どおり解釈する。歴史的な出来事と主張するが、中には象徴的な表現としたり旧約聖書には神話に起源を持つ物語もある。このパンの奇跡は、教会での集会などで、不足の物があったりしても何とか旨く治まることがある。全く、不思議な感じになることがある。当時も、そのようなことがあったに違いない。

 教会では聖餐式で小さなグラスで葡萄酒と二センチ角のパンでキリストの身体を象徴としていただく。カトリック教会は葡萄酒は神父が全てミサの後飲んでしまい、信徒は聖餅という丸いウエファース状のものパンの代わりに神父から頂く。キリスト教にとってこの儀式ー正餐は最も重要なサクラメントー秘蹟である。この扱い解釈をめぐって宗教改革の論争がおき、教会の分裂を決定したのである。パンと魚は後のパンと葡萄酒のもとになっている。

 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」
イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。
(マタイによる福音書:14章14節~21節
 このパンは食べ物であるが、同時に、当時、命の源として霊にも例えられる。そして、魚は教会ーイエスキリストである。
ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ
<イエス キリスト 神の 子 救い主>
この文章を構成する各単語の頭文字を順番に集めると、「ΙΧΘΥΣ」となり、これはギリシャ語で「魚」を意味する単語となるのだ。
曲線を重ねて魚を描く
ある人が、地面に何本かの直線や曲線をランダムに描くと、もう一人の人が、その中の曲線に線対称の曲線を交差させて、魚のマークをひそかに完成させる。こうして魚のマークを示すことは、すなわち「イエス・キリスト、神の子・救い主」という文章を示すことと同義であり、それは自らがキリスト教徒であることを相手に暗示する確かな意味合いを持った行為となるのだ。
 これは2000前のガリラヤという辺境の地で起きたのだから、大事件であった。そして、こうした集会は当時の為政者には脅威であった。この物語がバプテスマヨハネの処刑の後に出てくる。この世の民衆の期待において頂点であったイエスキリストに対して、ユダヤ教やローマ帝国、ヘロデ王にとっても耳に入り、イエスの名は知れ渡った。ここからイエスは十字架への道が始まるのである。
 この奇跡の物語は5000人に霊とキリストの心を与え、そして、さらに多くのパン屑ー喜びと満足を与えたとも受け止められる。象徴的な表現であろうか。いや、それは単なる推測であり、理屈である。そんなものではない。現実であった事を信仰することだ。聖書には、起きた出来事を解説するのはほとんどがパウロの手紙であるが、それはイエスの救済の意味を述べたもので、奇跡の因果関係を述べたものではない。勿論、聖書は科学の本ではない。神がその中心にあり、そこから人間に与えたその証、歴史、そして神と人のあるべき律法という形の定めを示している本ーdas Buch (ドイツ語で本=聖書)だからだ。

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by katoujun2549 | 2013-10-31 16:27 | Comments(0)
 新潟県に住み始めて1年半になろうとしている。新潟の人は謙虚で、あまりお国自慢をしない。鹿児島とか、岩手など辺境の地の人は、何だかお国自慢がお得意のような気がする。自慢をしなければ、無視されるという危機感があるのかもしれない。新潟は、素晴らしい観光のネタを沢山持っているのに、新潟県の人は、そうねー、新潟は何も無い。冬は雪が深いし、東京に意外と近いから地元よりは東京に行ってしまう。何と!新潟のためを思うヨソモノからすると、歯がゆい話。巨大マーケット東京に近いから、東京の人に来てもらいたい、東京の人が喜ぶものを何でも揃えようという気にならんのか。ターゲットは明らかに東京である。そして新潟は独立国になれるほど資源も多く、何でもあるのだ。
朱鷺メッセと夕日
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 新潟はロシアや朝鮮に近い。あの、北朝鮮のマンギョンボン号も新潟港から出ていた。新潟空港は立派な空港だ。でも、市内やこの新発田市には英文の案内、韓国語や中国語の案内を見たことがない。外国からの観光客は全く意識していない。県は口では観光観光といいながら何も実行していないに等しい。先月佐渡に行ったが、ホテルや旅館も国際レベルのものが少ない。むしろ、民宿の方が楽しい。佐渡は観光資源の宝庫である。行ってみると外国人が多い事に気がつく。良いものは誰でも分かるのである。
村上の笹川流れ
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佐渡の荒磯
朱鷺
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佐渡航路 カモメが旅情を盛り上げる
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 確かに、冬は大変だ。しかし、山間部には苗場、湯沢、赤倉と、スキー場や温泉が両方あるリゾート地がある。これを国際的に宣伝することも可能だ。今は、オーストラリアのスキーヤーが北海道のトマムリゾートに行く時代ではないか。冬は上中越は雪深い。半端ではない。でも、それなりに東京の人が腰を抜かす雪見ツアーだっていい。北海道のガリンコ船は流氷を見せるツアーだし、雪室に保存した米や野菜は味も良いし、お米がうまいのは誰でも知っている。そして、何処の町にも酒蔵があって、地酒の多さは日本有数。勿論、味がさっぱりし過ぎるとか、辛口端麗がお好みでは無い人には不満かもしれないが、このさっぱり味は女性や外国人には良い。勿論、山海の珍味は「安くて美味しい」。
新発田市「登喜和」の絶品寿司
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 自分が新発田に来て良いのは、癒しの町であることだ。高層の建築物は県立病院とダイヤマンションがあるだけで、あとは市役所の5階建てがせいぜいである。新潟はどこも道路がよく整備されていて全くの車社会。そして、東京では当たり前の危険なバイクは殆ど走っていない。バイクは冬走れないから乗る人が少ない。新発田から新潟は新新バイパスというのがあって、公団の高速道路ー日本海自動車道よりも車線が広く、新潟までスピード違反を覚悟すれば20分で行ける。
 新発田城
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福島潟の自然
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新発田市赤谷の加治川
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 物価は安く。今時の流行ものも、車で30分の新潟に行けば手に入る。歴史あるお城や、殿様の庭園、そして、山と海が美しい。佐渡や、村上に行けば美しい砂浜と、断崖絶壁の海岸もある。佐渡の二つ亀とか、村上の笹川流れである。そして、豊かな動植物。冬には白鳥や大ヒシクイが飛来し、その数は数千羽と脅威的である。新潟は何処に行っても自然の恵みに満ちあふれている。
 
 今の大学の上空に毎朝、白鳥の群が瓢湖の方向に飛来し、逆三角形の編隊が飛んで行く。だんだん編隊の数、規模も大きくなっていく。これが一段落すると、雷が鳴り、大雪の冬を迎える。春夏秋冬がはっきりしている。紅葉、そして、花の春が目を奪うし、フルーツの種類は多い。春はイチゴやリンゴ、梅雨時はサクランボ、夏は梨や桃とスイカ。秋は栗、ルレクチェ、梨、ブドウである。冬からイチゴ「越後姫」の季節が春まで続く。魚はノドグロ、タイ、アンコウ、甘エビ(南蛮海老)、ハタ、カンパチと寿司種には困らない。新潟は何も無いのではなく、何でもあるのだ。昔から石油も湧いたし、今はシェールガスとか、メタンハイドレードも可能性がある。
聖籠町のサクランボ
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村杉温泉
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月岡温泉と芸者の月岡音頭
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長岡花火大会日本一
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 これまでも、新潟は首都圏のバックアップ機能を担って来た。人もそうだし、物資でも支えて来た。この事実を新潟県の人は何故誇ら無いのだろうか。謙虚な人々である。鹿児島県の人は東京に来ると西郷さん以外に何も誇るモノが無いので、東京には無いものを口で自慢する。薩摩の黒豚はスーパーなどどこでもあるから言わない。火山灰は馬鹿にされるから言わない。自慢しても灰かぶりの田舎モノと思われるのがオチ。キビナゴの味がどうのとか、得意になって話すが、新潟の酒にくらべれば大してうまいものではない。それより、森以蔵とか、焼酎を高値で売りつけようとするアコギな商売に唖然とする。新潟の奥ゆかしさを学んで欲しい。新潟は交通面からも国際的である。ロシア、北朝鮮、韓国に船で行ける。そんな県は釜山に近い福岡県ぐらいだろう。新潟県は国際的な観光地、そして新潟市はインターナショナルな都市になる可能性に満ちている。e0195345_17432851.jpg
は柿の種のクオリティだ。亀田の柿の種はそのピーナッツとの配合も研究し尽くされて、食べだすと止まらない。スーパーのお菓子の棚にはせんべいと柿の種、あられで2列埋まっている。一袋600円とかで買える。チョコでくるんだものや抹茶風味とか研究も進んでいる。一箱で640円とか、さらにお手ごろ。自分もこの柿の種は好きなのである。その他、さらっと揚げたオカキや煎餅などとにかく種類が多い。
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では、何を見直すべきなのか。柿の種も、笹団子も確かに手ごろであるが、何と言っても単価が安い。そんなものの割にはやたら種類が多いし、土産物の真ん中にのさばっている。売れるからと言って、こんなに安いものを主力にするのは如何なものか。笹団子は中身は漉し餡か粒餡なのだが、袋に入っている数と包装、箱入りなどで差別化している。この笹団子を土産物として頂いた方で食べ比べる人は少ないから、そこの笹団子が美味いかは新潟の人しか知らず東京の人には全く区別がつかないだろう。笹団子キャラメルとか、フルーツゼリーも売っているが、何とも実物の笹団子の方が美味い。柿の種はこれも、パッケージと包装くらいしか差別化できない。せいぜい劇辛くらいであろう。新潟から東京に帰る旅行者はいろいろな種類がある柿の種に迷ってしまい、貴重な時間を失う。そして3件分買っても2000円以内で済むから、土産物には柿の種又は笹団子で済ませて安心して帰っていく。
 全くこれがいけないのである。要は、もっと高い純米大吟醸の日本酒とか、加島屋の高級鮭ほぐし瓶詰めや鮭茶漬二個入り5300円とかを買ってもらわねば、新潟の経済に貢献しないではないか。新潟の人は全く欲が無い。新潟名物は笹団子と柿の種と平気で自慢するが、その神経が理解できない。だから、新潟は貧乏なのだ。佐渡の銘酒北雪、純米大吟醸で1800mlで 3800円~5400円を買わせなければだめ。とにかく、駅の土産物屋でも安さを競った品揃えの過当競争で品数が多すぎて迷ってしまう。結局、時間が無くなって単価の安い柿の種が笹団子で落ち着いてしまう。もし、この2つが無ければ鮭茶と日本酒はもっと売れるはずである。こうしたマーケティングは全く出来ていない。おまけに、駅では産直の野菜まで売っているが、そんなものせいぜい500円、東京だって買えるのに、こんなもの買ったら手荷物が増えて、重たい日本酒なんぞ興味なくなってしまう。商売のセンスが無い。新発田も菓子は種類も多くて美味い店が多いが、パッケージは5年も同じである。やる気があるのか。いらいらするのである。笹団子と柿の種が新潟の売りである事は否定しないが、それでは新しい工夫の目が摘まれてしまう。欲がないのが新潟県民の美徳かなあと思うが、結構不満もたまっているぞ。柿の種と笹団子ばかり売れるようでは、残念だが金沢の商売上手にはかなわないのである。font>font>
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 10月7日月曜日の朝8時半、会議が始まったとき、正面の窓の外に白鳥の群が飛んでいるのが見えた。この日は晴天、そして真っ白い羽を懸命に羽ばたきながら南の方向に向かっている。おそらく、福島潟か、瓢湖の方角だろう。今年も白鳥が新潟に渡ってくる季節になった。その後、毎日不思議な事に朝の8時半ごろ、同じ時間に白鳥の群が前と同じ方角に飛んで行く。この群は恐らく、シベリアかカムチャッカ半島から飛んで来て、新発田の上空に到達した群。新聞では6日の瓢湖に初めて観察されたから、月曜日の朝に見たのは第二陣だったのだろう。昨年も今頃、事務所の上を嬉しそうな叫び声、やっと日本に着いたといわんばかりの声を上げて群は飛んで来た。長旅といっても、風に乗れば一日で到着するのかもしれない。とはいえ、海を渡る旅は危険に満ち、白鳥にとっても命がけのことである。この新発田上空というのは、ソ連の旅客機がウラジオストックあたりから来る時は上空を通過するから、シベリアからの最短距離をなす線上にあるのではないだろうか。翌週、福島潟に夕方行ってみると、30羽ほどの群が遠方の稲刈りの終わった田んぼの畝に体を寄せ合って落ち穂を食べていた。
聖籠町弁天潟の白鳥
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編隊で着水前の白鳥
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遠くからやって来た編隊
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 全く不思議な事である。千キロ以上離れたシベリアやカムチャッカから、この新潟の、点のような瓢湖や福島潟の位置がどうやって方角を過たずに飛んでこられるのか。日本に到着しても、瓢湖などはそれほど大きな水面ではない。それを上から見定めて飛んでくる。一帯誰がリードしてくるのか。数十羽の群が逆V字形の編隊で飛んでくるが、方向を誰が指示しているのだろうか。群の先頭は飛んでいる間に交代するのだそうだ。後の鳥は前の鳥の羽ばたく気流に乗る事が出来る。お互いに支えあいながら飛んでいる。絶妙な編隊飛行なのだそうだ。その渡りの生態は未だに解明されていない。最近、発信器をつけた白鳥が、GPSでその飛行経路を明らかにした。瓢湖に来る白鳥はシベリアとカムチャッカ半島からである。それ以外はよく分かっていない。冬の間、白鳥は近隣の水田の落穂拾いをする。数十羽が田んぼの畝の中におさまって集団で餌を漁る。勝手に群れを離れて他の畝にはいかない。臆病な鳥だが、中に見張りの役がいて、警戒を怠らない。近寄って写真を撮ろうとすると逃げてしまう。危ない経験をした場所は二度と近づかないそうだ。朝早く集団で飛び立ち、餌場を探して、夕方瓢湖などに戻ってくる。何か言語のようなものも合図として彼らは使うのか。それが自然の為せる技か、白鳥をみると神の節理としか思えない、不思議を感じる。

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 佐渡市のときの森公園の入り口の手前に山寺がある。真言宗のお寺「東光院」である。佐渡に息づく信仰の寺という印象である。道ばたの石仏、山門、塔頭、鐘楼やお堂など、なかなか風情があった。朱鷺の森公園に行くついでにお立ち寄りされることをお勧めします。
 9月の末、コスモスの花が美しく、離島の山寺もなかなかの風情。佐渡は歴史の島。古くから仏教の信仰厚かったことを窺い知ることができる。霊場として八十八カ所あり巡礼する人もいるのだろう。
 東光院は、弘仁元年(810年)に阿釈上人が開基したと伝えられている。山号の「龍亀山」は、鎌倉時代に佐渡に配流された順徳上皇が当地を訪れ、田園風景が亀甲のごとく明媚であったことからつけられたと伝えられている。由緒ある寺である。
 

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 ノーベル賞作家、ギュンターグラスの作品である。ナチスの「歓喜力行団」で活躍した旅客船「ヴィルヘルムグストロフ号事件」がテーマである。ギュンターグラスはブリキの太鼓で一躍世界に知られるようになった。自分は映画しか見ていない。奇妙な映画だった。東プロイセンの海辺の町に生まれた成長の止まった障害を抱えた少年の物語。ナチスの勃興に異常な興奮と警鐘のような太鼓を鳴らすシーンが印象的だった。又、近年、彼は元武装SS隊員だったことを告白し、非難を浴びていた。そのような意味からすると彼のナチス観はかなり本物だということである。ドイツはワイマール共和国から、カフカの小説「変身」に描かれたザムザ、さなぎから羽化した昆虫のように変質した。それがなぜ可能になったのか、ドイツ人が民主主義も社会主義もかなぐり捨て、国家社会主義ーナチスに共感したのか。ナチスは新しい社会を映画をはじめ、様々な仕掛けで演出した。ベルリンオリンピック、アウトバーンやフォルクスワーゲン、そしてこの歓喜力行団の船であった。ヨーロッパに根強い階級社会から抜け出す象徴が、等級の無い客船、グストロフ、そして親衛隊。ナチスは多くの底辺の人びとに、国家社会主義に未来があるかのごとく虚構を見せた。そして最後はあからさまになった出鱈目である。難民も軍人もいっしょくたに詰め込み、潜水艦対策も行わず、しかも、荒海を頼りに航行灯までつけて出港した。ベルリン攻防戦まで一直線に進んだナチスの崩壊を物語る断末魔が生まれた。日本も沖縄戦の前に対馬丸が米海軍の潜水艦に撃沈され1418人が犠牲になったが、ドイツの場合、犠牲者の数が突出している。ソ連海軍はサハリンからの避難民の船も無差別攻撃して、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった。ソ連の蛮行は許しがたい。戦争に正義など無いのである。

 大戦末期、ソ連軍は東プロイセンに侵攻し、ケーニヒスベルグなどから多くの難民がダンチヒ経由の船でドイツ本土に逃げようとした。そのときに、このグストロフ号は1万人ほどの難民を乗せ、ゴーテンハフェン港から航行の途中、ソ連潜水艦S13に発見され、3本の魚雷により沈没した。8千人を超える人々が凍てつくバルト海に沈んだ。その半数が子供だったといわれる。マイナス13度の真冬の海に沈んだ。水温は2度で、荒れた海面に沈んだ。タイタニックの比ではない、世界の海難史上最大の悲劇であった。タイタニックは大富豪や美女を乗せていたが、グストロフは疲れ切った難民、傷病兵、女子供、ナチスの海軍軍属であった。この船以外にもS31は2月にはシュトイベン号、4月にはゴヤ号と2隻の難民船を沈め、2万人以上の死者を出した。ところが、事件は東西冷戦下、ソ連によって封印された。撃沈戦果を出した船長は英雄の称号はもらえず、勲章だけを得た。あまりのひどさにソ連は封印したかったのだ。生き残った1200人ほどの人々の中に、妊婦もいた。救出時に産気づいて一人の男の子を出産した。その母親と、戦後成長して記者になったこの作品の語り部、そしてその子供が戦後3人三様の立場で、この船の遭難を語る。母親は東ドイツで指物師として戦後を生き、共産党政権下を巧みに生きる。遭難中に生まれた長男は、冴えない記者として西側に渡り、有能な妻に離婚される。長男はインターネット上で、ネオナチ的論陣をチャットする。それぞれが、戦中、戦後、現在を、行ったり来たり、蟹の横ばいのように真っすぐに真実に向かわず、過去を語って行く。ヒトラーが政権を取って、ドイツを掌握し、歓喜力行団のツアーで労働者を骨抜きにしていく。船名はスイスで暗殺されたナチス幹部の名前であった。当初はアドルフヒトラー号とする予定であったが、暗殺事件を巧みにプロパガンダに利用した。大戦末期ドイツ海軍は東プロイセンから250万人の難民を避難させることに成功したが、その陰に大きな犠牲が生まれていた。

 ソ連軍の東プロイセン侵攻は虐殺事件を生んだが、それから逃れようと200万人を超える難民が発生した。彼らは厳冬の逃避行中に女子供を含む多くが亡くなった。ようやく行き着いたドイツから船に乗ってさらに本土に行く途中に再び災難に出会ったのである。また、難民の多くがドレズデンに逃れたが、ここでも、イギリス空軍の爆撃を受け何万という死者を出した。ズデーテン地方のドイツ人も、終戦後チェコ人の迫害と逃避行で20万人と言われる多くの犠牲を生んだ。ドイツの大戦末期の犠牲者、特に民間人の死者は最後の1年間に急増した。ソ連兵の蛮行は今では知れ渡っているが、この船を撃沈した S13にはそれなりの正当性もあり、また、難民のみならず、傷病兵、軍人も乗せていたドイツ側にも非があった。潜水艦側も、船長が出航前の飲酒等の不始末を起こし、反逆罪で告訴されようとしたのを挽回しようと、積極的にドイツ避難船を攻撃したという。ギュンターグラスの視点は今になって明らかにされた第三帝国の崩壊の姿を明るみに照らし出している。

第二次大戦後ドイツ人で占領国などから追放されたドイツ民間人は1200万人でれそのうち200万人が死んだという。確かにナチスはホロコーストを生んだが、周辺諸国の報復もすざまじかった。だから、戦後ドイツの贖罪ばかりを追求することはできなかった。1986年に発表された調査 (Die deutschen Vertriebenen in Zahlen. Gerhard Reichling. 1986 ISBN 3-88557-046-7) によると、民族ドイツ人の追放は次の通りである。

1945年以前のドイツ東部から7,122,000人
グダニスク(ダンツィヒ)から279,000人
ポーランドから661,000人
チェコスロヴァキアから2,911,000人
バルト三国から165,000人
ソ連から90,000人
ハンガリーから199,000人
ルーマニアから228,000人
ユーゴスラビアから271,000人
追放された民族ドイツ人の総数は11,926,000人である。1950年には人口の自然増加によって12,400,000人になった


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 近年、大学では教育手法として「アクティブ・ラーニング」が盛んである。これは従来の座学ー教室での教師からの一方的な講義を受動的に受けることの限界を乗り越える手法として、あるいは新たな教育ニーズから生まれた。
 昔から、教師と生徒が質疑応答を軸に対話しながら議論を行ない、課題の掘り下げや問題の本質に迫るという手法はあった。これはソクラティックメソッドとして、行なわれて来た。また、企業の課題の絞り込みに使われて来たKJ法、メンバーが思う所を自由に発言し、アイデアを纏めて行くブレーンストーミングなど、講義形式から発展した様々な手法が取り入れられるようになった。かつては「実習」と言われた現場での体験や見学も、アクティブラーニングである。中学や高校でもこうした試みが行なわれ始めている。

 大学入学者が高校卒業生の半数を超える時代、東京都では70%に迫ろうとしている。高校生は「ゆとり教育」でかつての高度成長時代の学生と比べ、必修科目の減少、理数レベルの簡素化等で学力低下が心配されている。また、当時は大学進学者が20〜30%の時代であったから、それなりに選ばれた人材でもあった。今日においては LD (学習障害learninng disability)とか、ADHD (注意欠陥・多動性障害:Attention Defect/Hyperactivity Disorder)の問題を抱えた学生を高等教育の現場でいかに教育するかが課題となってくる。勿論、昔から、日本の大学にはアスベルガー症候群や発達障害の学生はいたし、教員も例外ではではなかった。鬱病や統合失調症は成人後発症する人も多いからである。
 近年、テレビなどで、熱血教室「サンデル博士のハーバード講義」「シーナアイエンガー教授のコロンビア大学の授業」なども放送され、アメリカの先進的、また、名講義が話題になる。だから、アクティブラーニングが新しい、課題解決手段のようにも思われる。しかし、前述したような高等教育に必要な基礎学力の不足した大学生にどれだけ効果があるのだろうか。問題を抱えた学生にはかえって負担になったり、彼らの病状を悪化させることにも注意が必要ではないだろうか。また、こうしたテレビで評判になる講義は、有名教授のもとに、多くのスタッフが関わり、準備の上に行なわれており、結果だけを見てすぐに導入出来るものではない。教員の過重な負担を引き起こす事にも注意が必要である。

 そもそも、日本の大学生には、こうした自己表現力を高める訓練を全くといっていいほど受けてこなかった。高校の授業は基本的には受け身でテストを軸に展開してきた。単一的な社会で人種問題、民族摩擦、多言語などの問題に触れる機会も少ない。東大生の知的水準は何処の国の大学生にもひけを取らないが、自己主張の方法、討論等になると、国際的にはあまり優れた結果が出せないと言われている。討論において論理の食い違いを起こさないよう自分の発言を話しながら検証したり、相手の主張に反論する言葉の選択、基本的マナー等事前に学んでおかなければならない事が結構多い。また、対人的なコミュニケーション能力や言葉使い、発声にいたるまで、客観的に自分を見つめ直す高度な知性も求められよう。だから、そもそも、障害のある学生にはハードルが高過ぎるのではないか。自分は、そうした問題を抱える学生には「個別に」丁寧に対応する事こそ求められ、コーチングやカウンセリングの技術が求められる。マスプロ教育にとって矛盾する家庭教師的な対応である。
 
 これを取り違え、学校の「新しい教育手法」を売り物にした中途半端な取り組みは、かえって混乱や害を引き起こすのではないだろうか。勿論、優秀な学生は、アクティブラーニングによって伸びるだろう。しかし、乗り切れなかった学生、また、かえって疎外感を味わう学生はますます取り残されて行くのではないかという懸念を抱いている。ただ、今日、大学も基礎演習やリカレント教育、障害学生支援センターの設置、カウンセラーの常置、図書館のラーニングコモンなど、学生を支援する組織的な対応が準備されるようになった。学生の悩みの一つである就職に関しても「キャリア開発」の単位化、キャリア開発、就職相談室などの人員充実などによっても、学習の支援という観点からこれからの大学は学生を支えていくことになる。そのポイントはあくまでも、学力ー学士力の増進であり、学習不振者の救済である。

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