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 末期癌の療法として、抗がん剤が標準治療になっている。初期の癌は手術で除去すれば、最近は延命率が飛躍的に向上している。といっても、すい臓がんや食道がんなどは再発したり、急性、進行性のものがあり、これらは治癒が難しい。厳しい世界である。しかし、最近の抗がん剤治療は、適切な抗がん剤が選択されると、かなり延命できる。癌が転移した3期、末期になると、完治は難しい。それでも、余命1年と言われ、ホスピスに行くことを勧められた人が5年も6年も頑張ることがある。ここマで頑張れば寛解ではないが、サバイバーの範囲である。自分の家内も末期がんだったが6年頑張ることができた。

 自分の家族―妻が癌で倒れたとき、7年前だが、今は多くの抗がん剤が認可されている。しかし、新しい薬が効くかというと必ずしもそうではない。たとえば、乳癌ならファルモルビシン系の昔から使われている抗がん剤が第一選択になる。また、放射線による「焼き固め」のような治療も末期がんで結構有効だ。ただ、乳癌の場合、昔は諦めていた進行性の癌が、HER2陽性という区分で、分子標的のハーセプチン(トラスツズマブ)とタイケルブの併用などで飛躍的に向上している。問題はこうした有効な抗がん剤治療が末期で転移が拡大した時にどこまで癌の拡大を抑えられるかである。癌細胞を軍勢と仮定すると、強大化してきた相手を抑えるために、新兵器を使っても対抗防御策が生まれる。毒ガスとか核兵器を使うと、後の始末が大変なことになる。強力な薬をもって対抗しようにも、体がもたない。あるいは、抗がん剤に耐性をもつ癌細胞に進化していくということがある。こうなると、何ともならず、抗がん剤治療はかえって体力を弱めるだけになる。あるいは、効果のない抗癌剤で癌細胞にはダメージがなく、体力は落ち、かえってその進行を早めることになってしまう。だから、ある時点では抗がん剤を止め、自然に任せた方が、あの近藤医師の言われるように、戦って自壊するよりは賢明であるという結果になる。緩和ケアの方が、体力を温存し、癌の肥大化を抑えることになるかもしれない。

 この見切りが難しいのである。抗癌剤の延命効果が6か月あればその抗がん剤は効くということになる。しかし、体力を消耗せず、QOLを落とさずに6か月延命できることもある。そうなると、苦しい思いはしないで、同じ効果が期待できる。これは医師もわからないことではないか。自己決定の範囲だろう。家内の場合、特に最後の一年はこれまでのゼローダが効かなくなってから、二種類チャレンジしたが、かなりQOLが落ちた。その事を考えると、抗がん剤に見切りをつけることも選択肢だと思う。これはあくまでも、本人の自己決定が重要であることは論を待たない。これも覚悟の問題だ。何もしないという緩和ケアもあるのだ。オキシコンチンなどの痛みを和らげる薬の使用に切り替えるということでもある。人間、死ぬということも一大事業だ。

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 世界の大学がランキングされる時代だが、日本の大学が世界基準上は極めて低いランクにある。この指標もいろいろあり、ENSPといった基準で日本の順位が高くなっているが、そこでは東京大学でも30位以下である。そもそも日本の大学は世界でも特殊な発展を遂げてきたことを考えると、比較しにくい事情がある。だから、総合評価よりは分野別の方がわかりやすいが、トップランクは少ない。勿論、学生の基礎能力からするとトップクラスの大学も多いとは思う。そうは言っても、ビジネスのグローバリゼーションとか、国際交流が出来る人材を育成しなければならない今日これでは言い訳にならない。特に市場経済の渦中にある企業などからは、大学に対する不信感は根強いものがある。何も、法律知識がないとか、経済が読めないということではない。読み書き能力、社会を見る力がない、礼儀知らずといった基本的な社会人能力についてである。「文系」とされる大学の改革は文科省からは緊急の課題となっている。海外の大学では普通だが日本で理解されない高等教育のコンセプトがリベラルアーツである。

1.リベラルアーツ
 リベラルアーツとはヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、実践的な知識・学問の基本と見なされた7科で、具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何・天文学・音楽の4科のことである。日本では戦後、エリート教育に偏った戦前教育の反省から、多くの国立大学が生まれ、1年〜2年を教養課程と位置づけたが、見事に失敗した。日本の戦前大学人はドイツに向いており、これを理解出来なかったのかもしれない。戦後になって、アメリカの大学に大学人が留学し始めたのはフルブライト給費生からはじまり、各大学がサバティカルで米国に留学しはじめたのは1960年代後半以降である。また、学生も、かつての高等学校の教養主義と勘違いした。4年間の学生生活で、2年を教養科目、そして残り2年の専門課程ではいずれも中途半端になる。教養課程を形骸化させようとしたところが多い。日本の大学には文科系部門として経済学部、法学部、商学部、文学部に加え、社会学、情報系、教育、福祉などの専門分野がある。この分類も、何のためなのだか分からない部分がある。例えば、何故、心理学が文学部の中にあるのか。心理学はむしろ、医学とか生理学の自然科学の中でとらえるのが世界標準であろう。社会科学的には社会心理学である。法律の勉強でも、経済を知らなくとも良い訳ではない。また、経済の発展が、近年の分子生物学や情報工学の進歩と関係があることは分かっていても、内容が分からないのでは話にならない。学際的な問題が多いのである。

 教養学部として、リベラルアーツの学部やこれを建学の精神とする大学がある。大学がヨーロッパで生まれた時、このリベラルーアーツを学ぶことから始まった。ボローニア大学、オックスフォード大学、パリ大学等である。日本では東京大学教養学部、国際基督教大学、聖心女子大、一橋大学の社会学部、桜美林大学、早稲田大学国際情報学部、玉川大学である。敬和学園大学も建学の精神としてリベラルアーツである。日本の大学、特に、「文系」はこれまでの、帝国大学的な学部編成から抜け出し、この方向に発展しようとしている。アメリカでは一般的に多く見られる大学の仕組みである。しかし、これらの大学でも真のリベラルアーツの仕組みを持っているのかと言うと、かなり疑問だ。それは日本の大学が、前述のごとく、世界とは全く異質の成長を遂げてきたからだ。これは日本がドイツの制度を取り入れて来たことに遠因があると思われる。ドイツでは一握りのエリートしか大学には行かない。意外にも、今も大学進学率は先進国の中では低い。かつての日本も大学に進学するのは若者の5%程度だった時代である。ドイツも,日本も、その目的は富国強兵である。一部のエリートが、軍隊のごとく国民を指導する社会である。ところが民主主義国家は、自由な大衆が主役である。そこで、戦後、アメリカ式の理念を形だけ取り込み、そのまま巨大化したことが混乱の原因ではないかと思う。日本ではアメリカの名門校、アイビーリーグ、UCB、スタンフォード大が有名だ。これらは移民の宗教的な必要性として、牧師の養成、すなわち神学校から発展している。これらの研究型大学の大学院にリベラルアーカレッジから進学するのである。

2.リベラルアーツ教育の成果は何か
 オリンピックの経済効果というテレビニュースが昨今報道されるが、果たしてそうだろうか。建設業、観光業やスポーツ用品メーカなど、一部の産業が潤うのは明らかだが、国家予算がからむ、公共投資等は総額が決まっているのだからそれほどではない。オリンピック関連に使えば他が減るだけである。また、テレビの買い替えなども、オリンピックが終わってしまえば逆に売れなくなる。オリンピックの後の景気の減退も気になる。何も経済学部で学ばなくとも、これくらいの経済感覚は社会では必要だ。マスコミの浮かれ情報を鵜呑みにしない程度の判断力を養って行けるかどうかである。健全な感覚を持った社会人をいかに養成するかが、リベラルアーツの目的である。きちんと資料にもとづき状況を分析判断し、地域や隣人を大切にする。発言すべき時には自分の主張をきちんと相手に伝える力量も必要で、これを育成する。ヘイトスピーチに見られような、ネット社会の情報の洪水に流されない。真の意味で人を愛し、国を愛し、郷土を大切にする人間を育てるということである。最近、経済産業省のキャリア官僚が、震災復興支援など不要だというブログで物議をかもした。言論は自由だが、立場上何が問題かというと、被災者に対する同情の念が飛んでしまっている事である。世の中にこのような事をいう人がいても仕方が無いが、少なくともリーダーの資格はない。そのような人間が、偏差値教育から生まれる。人の悩みや苦しみを理解出来る人を育成するリベラルアーツの目標はまさにその対局にある。
 
3.アメリカの大学
 アメリカには多くの優れたリベラルアーツの学校がある。今、NHKで八重の桜が放送されているが、あの、新島襄、内村鑑三などが出たのはアマースト大学といい、全米でもトップランクの学校である。日本人が大学という進学先を考える時、大学とは何かということを知らずに入ってしまう。特定分野の専門的な知識が求められる一方で、幅広い知識を身につけ、異なる考え方やアプローチ方法が理解できるような総合力が必要とされている。リベラルアーツはさまざまな学問領域を自由にそして積極的に学ぶことで、実社会で活躍し豊かな人生を送ることができる総合力のある人間の育成を目標としている。しかし、4年間でどこまでこうした課題をこなせるのかが問題である。昔のヨーロッパの大学では4年間では卒業できなかったのではないだろうか。神学校などは10年以上かかったし、医学部が6年というのもそのあたりに起源がある。しかし、それだけに、4年間という短期間でこなすには、きちんとしたプログラムが無ければならない。アメリカはそれをシステム化したものである。まさにそのシステムをいかに構築するかにリベラルアーツ大学のマネージメント目標がある。

敬和学園大が提携しているノースウエスタンカレッジ
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サンフランシスコのとある女子大の卒業式ー謝恩会が行われようとしている
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日本の大学がモデルにしたリベラルアーツの典型はアメリカの大学である。Wikipedia「リベラルアーツ大学」から引用して要約してみる。

 リベラル・アーツ・カレッジ(Liberal arts college、LAC)は、アメリカ合衆国において人文科学・自然科学・社会科学及び学際分野に渡る学術の基礎的な教育研究を行う四年制大学(主に学士課程)。全寮制少人数教育を特徴とする。ほとんどの場合、大学院を持たず、教授は学部学生の教育に専念する。ここが、研究を何か一段高いもの二思い込む日本の大学との違いである。
 もともと教会から発展したものが多く、エリート養成機関としての役割を担ってきた。
リベラルアーツは、西洋世界の学術・学問の基礎である。欧米の高等教育では、このリベラルアーツがすべてのアート(ヒューマニティーズ)とサイエンスの「入り口」と考えられており、これらの科目を履修した後にメジャー(専攻)を決めるシステムになっている。だから、医者になるためには、4年間のリベラルアーツ教育を受けることが必須である。アメリカにはもう一つ、コミュニティカレッジという仕組みがあり、しばしば論議の的となっている。ところが、日本では大学入学以前に志望学部(専攻)を決めて、入学試験を受けるかたちになっている。これでは、あべこべだ。

また、リベラルアーツを日本では「教養学」と訳す例が多い。また一部の大学では「一般教養」として学部名になっているところもある。しかし、「教養」という日本語の一般的な意味は、「社会生活を営むうえで必要な学術、文化、歴史、芸術などに関する広い知識」だろう。たとえば、あの人は「教養がある」と言ったときは、このような意味になると思う。

 とすると、リベラルアーツをより正確に日本語にすれば、「教養学」より、「基礎学問」のほうが最適ではなかろうか?もし、今後、日本の大学が本当にグローバル化したいなら、学問体系を欧米式に整え直すこと、本格的なリベラルアーツ教育を導入すること、そのうえで徹底して世界から留学生を集めることが必要だろう。もちろん、日本の大学教育のいいところは徹底して残すことも大事だ。

ー19世紀後半から20世紀前半ー
アメリカの大学はダイナミックな変化を遂げて来た。アメリカの技術産業の高まりとともに農業試験場や師範学校、工業技術学校や職業学校などが次々に州立大学になったり、あたらしく設立された。20世紀後半スプートニクショックによって大学院が増設され次第に大学院中心の研究型総合大学が増えていく。専攻の少なさや施設の未整備な部分を補うために周りの大学と協定を結んだり、単位互換などの取り組みやメディカルスクール進学課程や第二学士、副専攻などの取り組みを行っている。
現在ではお金持ちの子息のみならず、アッパーミドル階級の子息の進学先として定着している。
リベラル・アーツ・カレッジでは、少人数体制による教育が行われる。少人数指導の中で基礎的な教養を磨くとともに、物の考え方を養うことに重点を置いている点で、専門の学科や職業課程と対比される。州立大学や研究中心の総合大学では学部学生に対する教育がやや軽視され、大学院生のティーチングアシスタントなどが授業をしたり、大人数の講義が多くなる傾向がある。一方、リベラル・アーツ・カレッジでは、教授が直接少人数の学部学生を教育する。理工系を志す学生には学部学生のための研究プロジェクトに参加する機会も多い。一流のリベラル・アーツ・カレッジ卒業生は、その後、研究総合大学の大学院や専門職大学院、またはメディカル・スクールや、ロー・スクールへ進学することが多い。ほとんどのリベラル・アーツ・カレッジでは、学士課程教育のみを行い、大学院を持たない。
 学生たちは、人文科学・自然科学・社会科学にわたる諸分野のなかから様々な講座を履修し、専攻を選択する。実習が主体とならない講座では、多くの文献を短期間に読みこなし、それを元に少人数でプレゼンテーションや議論をするといった課題が多い。また、美術や音楽の本格的な実技講座が開講される大学も少なくない。リベラル・アーツ・カレッジの中には女子大学も存在し、ヒラリー・クリントンが卒業したウェルズリー大学もそのひとつである。

 リベラル・アーツカレッジは主に人口数千人から数万人の地方都市にあることが多い。また全寮制の場合も多い。毎日の学生生活のほとんど全てがキャンパス内で完結する。都会的な刺激が少ないため勉強に集中できる、などのメリットがある。また、様々な専攻・副専攻を履修することが可能なため、学生自身が自らの進路を考える機会を提供するという機能も果している。学生の親にとっても、都会より治安もよく、一日三食の食事が出され、看護師や警備員が在中している寮に生活するリベラル・アーツ・カレッジは、安心して子どもを任せられるとの評判がある。特に上流階級、アッパーミドル階級(日本で言う中産階級)の親は、子どもが自らの将来をゆっくり考えるために大自然の中で勉学に励むことが、社会へ出るための大切な訓練であるとして高く評価している人々が多い。名門リベラル・アーツ・カレッジでは同窓生のネットワークが発達しており、大学院修了後の就職活動や社会人になってからのビジネス・ネットワークに好影響を与える。
 
 このように、リベラル・アーツ・カレッジはアメリカにおける上流階級やアッパーミドル階級の価値観を大きく反映しており、実際に上流階級やアッパーミドルクラス出身の学生が多い。多くの大学は、広報活動や奨学金制度などを通じて、人種的マイノリティーを含む社会・経済的弱者層に属する学生の受け入れにも熱心である。奨学金を得ている学生が半数を超える学校もある。大学が社会の経済・産業との連続性から、その要請に応えて来たが、アメリカの企業は日本のように従業員を研修させたり、訓練させる事はしない。だから、仕事も一般常識も大学で教育すべきものである。この企業風土の違いが
大学の教育制度にも関連してくる。リベラルアーツが企業の中堅層に必要な知的基盤を形成しているということである。さらなる専門性、法律や経営、医療などは専門大学院に行く訳である。日本の場合はこれまで、若者の人間教育を家庭や企業が行なって来た。新入社員の教育として、OJTから始まり、酒の飲み方、日頃の教養、趣味の持ち方、麻雀やゴルフまで会社で学んだものである。しかし、我国も男女雇用機会均等法以降、両親が勤労者となるとそうはいかない。また、企業も、そんな余裕は無いし、海外に進出する企業、あるいは外国人を雇用する企業も増え、今日、やはりアメリカ型に移行せざるを得ない。リベラルアーツというコンセプトの役割は今後も日本社会にふさわしい形で進化して行く必要がある。

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佐渡紀行ー九月3連休(21〜23)に佐渡に行ってきました。
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フェリーをいつまでも追って来たカモメ
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トキ(朱鷺):朱鷺の森公園の見学棟で餌場に寄って来た朱鷺をマジックミラー越しに撮った
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大野亀付近の滝
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二つ亀:北側の最西端
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尖閣湾で頂いたサザエのつぼ焼き
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両津の魚春で食べたお寿司
カンパチ、タイ、甘エビ、ヒラマサ、サザエ、イクラ、赤身、卵やき、甘エビの卵
締て2500円、それにタコ刺身に鉄火巻きで全部で3500円でした。
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大野亀のレストハウスで食べた「岩もづく入り海藻ラーメン700円」腹ぺこだったので結構いけた。
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両津港の飲食街にあった食堂。「お酒はぬるめの燗がいいー」と八代亜紀調
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1. 佐渡という土地
新潟からフェリーで行った。カモメの見送りが凄かった。海老せんに釣られて何処までもついてくる。
朱鷺の養育ゲージ(30羽くらいいる)
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新潟県に来て感じたことだが、この地において佐渡は特別のところという思いを持つ人が多いことに気がついた。だから、一度は行くべきところと思っていた。佐渡航路で2時間半、シルバー割引で 車載料往復1万円となると現地でレンタカーを借りるより安い 。
佐渡は新潟県であるが、佐渡に住んでいる人は、ここは新潟とは違うという。独自の文化と歴史を持つだけではない。何かと新潟県に対する優位性を述べたがるようだ。新潟市は明治になって、県庁所在地であるし、越後平野の要として発展した。江戸時代までは北前船の寄港地としては佐渡の両津とか、金の産出地である相川、直江津からは小木港などが栄えていた。新潟市は天領だが立地上は北前船航路の避難港として、又、江戸までの街道の起点であった。しかし、高田藩、新発田藩、会津藩が山岳地に向かう街道筋を抑えており、街道筋が重要だった。新潟市が俄然重味を増したのは、戊辰戦争で、政府軍の基地となってからではないだろうか。確かに、佐渡の人が、自分達はむしろ関西圏にそのルーツがあると言いたがるのも分からないでもない。まあ、お国自慢の一つと思えばいいのだ。京都から順徳天皇が追放されて、佐渡に来たし、山形の本間家も元は京都から佐渡にやって来た一族だそうだ。佐渡には上方の文化として、世阿弥が能を伝えた。世阿弥も流罪になった事がある。佐渡は能楽が盛んで市内には三十を超える能楽堂があって、今も薪能などの催し物が盛んに行われる。日蓮もここにいたことがあり、日蓮宗の聖地の一つだ。福岡の大宰府のように、当時の中央からの左遷の地であった。まあ、彼らは、京都の高貴な血族であることを言いたいのだろう。歴史上の著名人は新潟より佐渡にいた時代もあったのだ。
 山椒大夫の物語では母子が直江津で生き別れになり、厨子王が安寿と奴隷になったのは丹後だが、後に高官となった厨子王は母を佐渡で発見した。荒海に囲まれた佐渡は脱出し難い、奴隷主にとっては好都合だったろう。戦国時代、城攻めで捕虜になった領民や領主の一族は奴隷になって売られた。我が国も江戸時代まで人身売買は盛んであった。佐渡には多くの奴隷出身者もおり、全国から集まってきたはずである。自分は奴隷の子孫でしたという佐渡人は聞いたことがないが、少なからずいたはずである。佐渡金山は開削は秀吉の時代、慶長からだで、戦国時代にはまだ開発されていなかった。ここに送られた無宿人は記録では1700人程で、しかも、多くは早死してしまったから彼らの末裔は少ないだろう。佐渡は朱鷺(トキ)、鬼太鼓、たらい舟、山海の珍味、多くの寺社仏閣、能楽、釣りの名所や絶景地といった観光資源豊かな地である。たった2泊では到底味わい尽くせない。
岩場の多い海は島の北側
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何と両津には加茂湖という湖があった。その北側にある両津やまきホテルに宿泊した
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朱鷺の舞う里
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金山の町、相川の街並。江戸時代から続く区画割りで間口が同じ幅の家が多い。
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2. 日本海
昔、東映の時代劇など最初に荒海の中に東映のマークが浮かび上がって、映画が始まった。この荒海は何処か、それは佐渡の荒海かと思いきや、あれは銚子犬吠埼の岩だそうだ。東尋坊という説もあるが、最近のものはCGなのだ。佐渡の北側の海岸を見るとそうした荒海を思わせる風景に満ち溢れている。佐渡の海は冬は近寄りがたいと思うのは偏見である。実は毎日そこで暮らしている人々がいて漁だってやっている。荒々しい岩場は侵食された佐渡の北側である。南側は山陰で北風が遮られ穏やかな海岸線である。今回、佐渡の北半分を1周することにし、宿は稲鯨という北側の西端にある敷島荘という民宿に泊まった。七浦海岸とか、金山の町、相川にも近い。稲鯨漁港を望む丘の上にある。到着したのは夜の七時半過ぎだった。風呂に入ってすぐ、食事になった。一人旅には嬉しい6畳一間の部屋。新鮮な刺身など、凝ったものではないが、豪華な内容であった。ここは団体客は少ない。家族連れが多く、子供客もいる。賑やかである。孤独が好きな静かな雰囲気にひたりたい人は向かないかもしれない。でも、今の豪華ホテルにはない、懐しい、若いころの貧乏旅行を思い出させてくれる。結構幸せな感じである。
 このあたりは最近映画になった「飛べダコタ」のモデルになった英国機が不時着したところ。また、昔、北朝鮮から帰って来た曽我ひとみさんとジェンキンスさんも佐渡におられる。今頃どうしているのだろうか。佐渡のどの辺りで拉致されたのか分からなかったが、今年曽我さんが集会で捜査強化の誓願を演台で呼びかけておられた。ネットでみると、彼は今、真野町の佐渡歴史伝説館で働いているらしい。ということは曽我ひとみさんも真野町のご出身で、たぶん拉致されたのは真野湾だろう。あの岩だらけの波の荒いところではない。両津の反対側、新潟に面したところで島影になる波も穏やかなところだ。北朝鮮のコマンドもさすがに、危ないところからは現れないのである。

敷島荘
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         敷島荘の夕食
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3. 島社会
 佐渡では犯罪は少ないのではないだろうか。船で逃げるしかないから、乗船場で張っていれば、犯人の逮捕につながる。映像も撮られるし、そこで場合によっては捕まえられる。 人口総数は住民登録に基づいているため、昼間の人口が夜間に比べて少ない「ドーナツ化現象」傾向の地域は、大きめの数字が出る。田舎の住人が都会に出てきて犯した犯罪は、都会の犯罪件数にカウントされる。また、都会に近い所は外からやって来た泥棒が仕出かせばそこでの件数となる。最上位(1位)は、湯沢町の2.346%で 2位は、新潟市中央区の1.864%です。 3位は、新潟市東区の1.269%です。佐渡は38自治体中33位0.305%である。最下位(38位)は、粟島浦村の0%。粟島村は納税率も全国一で全員納税である。島の社会は団結が固いが、それだけに監視社会的な窮屈な部分もあるに違いない。朝ドラの「あまちゃん」のような地域社会は、仲間に入れればいいが、さぞかし窮屈なコミュニティだろう。皆、近所に住み、出身学校も小中は一緒、高校も同じかもしれない。そんな中によそ者は入りにくいと同時に、中の人間もうんざりするのだ。
 佐渡の人口6万程度では自宅内の浮気行為すら、ばれるはずである。今の若者には自由度が低い。だから、まともな高校生は皆東京に進学して行く。島内の人であれば、恐らく、複雑な人間関係の結果とか、近所の人は皆知っているし、窃盗でもあれば大方犯人の見当がついてしまうだろう。面積は855.27km²で、592.26km²の淡路島よりは大きい。これは、島嶼部を除いた東京都(東京23区・多摩地域)の面積1791.47km²の約48%にあたり、また大阪府の面積1897.86km²の約45%。人口は6万人ほど。東京と比べると、何といっても人口が少ない。この6万人が、外部に通勤する事などは無いまま、毎日を過ごしている。おそらく、相当に狭い人間関係だろう。ハワイのマウイ島が1883.5 km2、人口11万人だからその半分という感じである。形は北と南の山岳地帯に分かれ、似た感じである。マウイも北のハナは岩礁地帯で細い海岸線の一本道を通って行く。勿論ハレアカラ山は富士山より高いから、佐渡の最高峰金北山1170mとはスケールが違う。規模はともかく原日本的風景の宝庫である。佐渡は歴史遺産をいたるところに残す地である。

4. 佐渡金山
 佐渡の金山が開かれたのは慶長で、豊臣秀吉が大判を造った時代。佐渡の割り戸という山頂に切り込みを入れたようになっている部分は金が露出していたところで、これを掘り下げた結果写真のような景観になった。巨大な金鉱脈だったと思われるが、当時はタガネだけで手彫りで岩を砕き、掘り進んだ。そのような工程では取れる量には限度があっただろう。江戸幕府末期には金の算出量が著しく減った。そこで維新後、明治政府はこれを三菱に売却。三菱金属はダイナマイトを使って猛烈な採取をした。そのため、戦争中の採掘量は膨大であった。この時代に採掘した量は江戸時代の比では無い。この時の金は大砲の砲金とか、軍需品に消えてしまった。乱掘がたたり、山は閉山になった。平成元年まで掘っていたというから凄いものだ。江戸時代のものはジオラマとか、人形で再現されている。ここは幕府も大事にしており、湿度の高い労働環境の悪い作業場だったが、強制労働ではなかった。鉱脈の探査とか、算出岩石の管理、計測、水利など特殊技術もあり、職人は大切に扱われていたと思われる。もちろん、無宿人も多く働いていただろう。300年の間、この金山の規模も、作業の方法、また、幕府の事務所(奉行所)、貨幣の鋳造所など、規模の拡大にともない、相川の方に移転して行った。当時の奉行所が再現されているが、観光コースになっていない。行ってみたら、当時の金の製造現場が実物大で見られるのだが。金の精錬方法等には皆さん興味は無いのだろう。鉱山の方の売店には金のネックレスとかインゴットが売られている。金は相場で価格が決まるから何処で買っても同じである。だから、わざわざ観光地で買う人はいない。とにかく、この辺りの山は江戸時代以来の金の採掘でまるで海綿のように穴だらけになっているはずである。写真のように閉ざされた坑口が至る所にある。観光資源として、あまり小さな、たぬき掘りの跡は危険と見て閉鎖したのだろう。

復元された奉行所
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金鉱山の侵入口
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至る所にこのような進入禁止の坑口がある
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山の頂上が割れているのは露天掘りの跡だというから凄い
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5. トキ・・・朱鷺
 新潟県の県の鳥はトキ(朱鷺)である。この種は、「キン」という名の一羽を最後に、我が国から消えた。同種が中国にいるので、輸入して今は孵化し、50羽くらいになったそうだ。朱鷺の森公園に行くと間近なマジックミラー窓の向こう側にいる朱鷺を間近に見ることができる。
 この「キン」は日本の野鳥でもっとも有名な鳥である。幼鳥の頃、人にも懐いて、手のひらからドジョウを食べた事もある。その後老衰で亡くなり、今は立派な石碑にその名が刻まれている。人間様でも珍しい立派な石碑だが、展示館にはその剝製、骨格がガラスケースに入って往時を偲ばせているが、これはやはり「鳥」というお立場上気の毒だが死後も活躍してもらっている訳である。今、孵化のために大きなゲージに30羽ほどが飼われている。山に近い、放鳥用の飼育ゲージにテンが侵入し、トキが9羽殺された被害を受けたニュースが2年ほど前にテレビに出ていた。トキはドジョウや小魚を餌に、山の奥まで飛んで行く。行動範囲は広く、結構民家近くにもやって来るそうだ。幼鳥はカラスやイタチなどに狙われる。トキ色というのは羽を広げた時に日の光が透けてピンクになる所の色合いを言うのだそうである。自分はてっきり目の周りの深紅の色を言うのかと思っていたから、そこが分かっただけでも収穫だった。トキもいずれは、ブロイラーのごとく何万羽も養殖され、佐渡では野生トキの公害がニュースになる時代も来るのだろうか。でも、ビオトープとか、天然の餌場を確保しなければならず、野生は無理であろう。ダチョウのように食用にされる、トキに取って悪夢のような時代が来るかもしれない。
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6. 佐渡の未来
 北陸新幹線が直江津経由、富山、金沢と通じると、この沿線は過疎化する恐れがある。また、上越新幹線は上客減が懸念されるが、これこそ、下越や佐渡は重点的に観光開発する必要がある。佐渡にはフェリや高速船で行くしか無いし、新潟が門戸となるからやはり佐渡を観光開発する事は必至だろう。空港もあるが、便数は拡大にも限度がある。また、それだけの資源がある。日本の文化と景観、史跡がコンパクトに存在する地域は珍しいのではないか。これまでの団体旅行中心から、宿泊施設も小型の丁寧な「おもてなし」ができる施設が必要になる。新発田の月岡温泉も、大型の旅館が団体客用に必死で営業している。しかし時代の流れは個人旅行に向かうだろう。その点、今回一日目に泊まった敷島荘のような民宿はこれからも良いだろう。一方、2日目に泊まった「両津やまきホテル」などは建物の補修も行き届いておらず、今が転機となるだろう。それなりに、従業員や修理費を節約して奮闘しているのは分かるが限界。もちろんアジア、欧米からのツアー客も狙い目である。それならもう少し設備投資が必要だろう。今回、島の周遊路で自転車でツアーを楽しむ外国人が結構いたのである。新潟はこれから、首都圏のバックアップ機能をより重要視されると思う。新潟の未来は佐渡と下越の発展次第ではないか。キーワードは観光、そして「おもてなし」である。

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 栃木県の馬頭という町に行った。大田原市の隣に位置する。新幹線だと那須塩原であるが、そこから車で30分位はかかる。この地は馬頭町と小川町が2005年に町村合併後那珂川町となったのである。那珂川の清流が流れている。馬頭高等学校という県立高校があり、アーチェリーの強い選手を出す。何故アーチェリーが盛んなのかというと、この地は何と、源平合戦の弓の名手で有名な、那須の与一が生まれたところなのである。まあ、直接的な関係があるかどうかは分らないが、今年も、馬頭高校はインターハイで男子団体が栃木県代表になっている。新潟から磐越道を通り、東北自動車道を約3時間半ひた走る。那珂川は鮎釣りで有名である。町の魚屋さんは鮎とか川魚が中心。そこで、また、意外なことだが、何と、河豚を養殖している。街には河豚料理のお店、寿司店が県道沿いに目立つ。神田城という堡塁があり、そのあたりで那須与一は生まれたらしい。扇の館というアンテナショップで1260円なりの河豚定食を食べた。河豚の唐揚げとか、お吸い物に

温泉河豚養殖場
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ささやかに河豚が入っている。河豚よりも炊き米ご飯がうまかった。この地域は本来、鮎料理が名物と見える。馬頭高校には水産科があり、いろいろな魚を養殖している。今回、校長先生に案内して頂いた。学校から車で5分ほどの所に養殖場と演習場がある。コンクリートのプールが幾つもあり、それぞれ違う種の魚が飼われていた。その中でも、チョウザメ、オイカワ、ナマズ、鰻などが高付加価値水産物の可能性を秘めている。チョウザメはキャビアが取れる。オイカワは川魚として、小魚だが、天ぷらにしたりする。川魚は味がさっぱりしている。

キャビアのもと、チョウザメの水槽を見学 黒いのはオイカワの群れ
 
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ウグイとか、イワナ、ヤマメ、鱒等と並んで食味が良い。馬頭というのは馬頭観音から由来し、名前から馬の守護にも関わり、この地が関東武士団を生んだであろうと推察する。馬の放牧が行われ、騎馬軍団を構成した関東武士団の故郷でもあっただろう。<馬頭/span>

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by katoujun2549 | 2013-09-14 21:18 | Comments(0)
 9月10日の夕方、帰宅しようと駐車場に行くと、遠くの畑に白い鳥が何羽も飛んでいる。見渡すと至る所に白鷺が細い首を出している。周囲の畑にも沢山来ている。普通は畑や田に一二羽来て、小魚とか虫を狙っている姿を見るのだが、こんなに沢山来ているのを見るのは初めてである。田んぼも、稲穂が頭を垂れ、既に稲刈りが始まっている。そのため、落ち穂とか、豆の畑に餌になる穀類が落ちており、それを狙って来ているのだろう。

白鷺が20羽以上の群れをなすのを見たのは初めて。
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何とも、風変わりなキャラが登場して、YOU-TUBEで話題になっている。寿司と猫という組み合わせがユニーク。猫ちゃんも可愛い。詳しくはhttp://nekozushi.com/app/をご覧ください。
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by katoujun2549 | 2013-09-10 18:57 | | Comments(0)
 マンオブスチール (Man of Steel)

これ、スーパマン映画なのだが、Man of Steelとは?今回のスーパーマンと来たら、steelどころではない。チタンでも耐えられないような高速飛行、破壊的なバイオレンスである。アイアンマンという映画もあるから、これと差別化するために、こんな英語を使ったのだろうが、全くスーパーマンをイメージ出来ない。鋼鉄ではとてもできないバイオレンスだから、題名で失敗。
クリストファーノーラン監督作品。 彼の作品は人間心理を探求した作風で有名。バットマン(ダークナイト、ダークナイトライジング)、インセプション、といった超過激アクション大作ですが、勧善懲悪な内容とは一線を画している。今回のマンオブスチールは、あの、スーパーマン映画なのだが、クリプトン星の滅亡にからんだ反対勢力側の将軍一派にもそれなりの正義があった。クリプトン星人は星から星へと宇宙を渡り歩いて行く中で、その星を自分達の生存に合わせた環境に改造する技術を持つに至った。ところが、最終的には、その方法に失敗し、自らの星を破壊してしまう。そこで、望みを託された赤ん坊が宇宙に放出されて地球に到達したのが「スーパーマン」である。これは、クリストファーリープ主演のスーパーマンも同様な筋書きだった。クリプトン星人が環境改造計画を持って地球を支配しとにようとしていたとは知らなかった。とにかく、過剰な破壊シーンが多い。敵と戦う中で、ビルは倒壊するし、あんなスーパーマンがいたら、街がメチャメチャになってしまうが、なんせ、地球が崩壊するかどうかの瀬戸際だから我慢しろということなのだ。アメリカ人の都市破壊に対する恐怖は、一度も戦争で都市が破壊された事が無いというところからきているのか。それにしても荒っぽい。そんな調子でシリアを爆撃しようと言うのだろうか。破壊されるビルや家の下には多くに人々が日常生活を送っている。そんな事はおかまいなしだ。
 クリプトン星人の念力パワーとか、弾丸のようなすっ飛びダイブなどが、猛烈な破壊力を生む。これで宇宙まで飛んで行く。これに対抗するのが、戦車だとか、F35戦闘機とかでは全く歯が立たないのに、けなげにも、人類はやたら機関銃とか、殆ど当たらない大砲で抵抗する。スーパーマンには通常兵器では対抗出来ない事になかなか気付かない。アメリカ軍の指揮官というのがいかにも頭の悪そうな黒人将軍。それに対してスーパーマンは白人の典型的な容貌で、まるで、ヒトラーの人種政策を宣伝するかのような配役であるが、彼は純粋の白人ではない。父親役はクリプトン星人がラッセルクロウ、育ての親はケビンコスナー、母親役はダイアンレインで豪華である。主役のスーパーマンは無名のヘンリーカビルである。
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1.日本の伝統ー手段の目的化
 日本の伝統として、茶道や剣道、「道」という概念がある。これは日本人の感性に馴染んでおり、武士道からはじまり、柔道、弓道、香道、さらには「英語道」といった言葉も生まれた。これらは、ある誤解の産物でもある。日本人は凝り性で、激しい競争から、いかに効率的に、人材を育成し、結果を出すか、課程を緻密に組み立てる。そこから出てくる人間関係や徒弟的階層にも仕組みが出来上がる。その結果、家元制度のような閉鎖的なギルド集団も生まれる。目的と手段の混同が、芸術的なまで昇華されたものもある。その代表格が茶道だろう。しかし、教育やビジネスといった国際的な基準が出来ている分野では、こうした傾向は百害あって一利無しではないだろうか。

2.英語力
 問題の英語力に関して考えてみよう。例えば、日本人は結構長い時間英語学習しているが何故英会話が出来る人が少なく、英語力が世界でも低いのだろうか。それは目的と手段を混同しているからだ。実際の英語でコミュニケーションをする訓練が圧倒的に不足している。英語をしゃべるという行為は何かの目的が無ければ訓練は無理である。それが無いのに、入試やTOEICといった能力チェックの手段で競わされる。目的は人と差を付ける事。本来、コミュニケーションの道具である言語の目的がどこかに消え、手段であるテストを目標にせざるを得ない。

3.資格、TOEIC
 例えば、近年、企業ではTOEICの点数を入社や昇格の基準にしているところが見受けられる。英検よりはきめが細かいだけにそうしたセクターには馴染むのだろう。能力の一部を表しているとは思うが、仮にTOEIC900 点だからといって、仕事ができるかと言えばそうでもない。このレベルでも会話は出来ない人が沢山いる。逆に、点は低くても立派に国際的な仕事をしている人はいる。特に、技術系の人は片言でも仕事ができる。スポーツ選手もそうだ。いや、アメリカの大学で専門知識を身につけるためにはそんな一部分の能力だけでは歯が立たない。このテストでは英語による自己表現は含まれない。国際交流で最も大切な部分が欠落している。何も国際活動やグローバルな交流に通訳を養成するためでは無いからだ。グローバルコミュニケーションの活性化という目的のための手段であるTOEICが目的になって終わってしまっている。こうした試験を目標にしていると、点を取った後はすぐに忘れてしまうものだ。

4大学受験
 入試もそうだ。センター試験や偏差値は大学入学の基準であろう。しかし、これは本来、高校側が自分の教育の成果を検証する事にこそ意味があるが、そうした制度が学生の目的になり、大学もこれを利用している。その結果、名だたる大学も、アスベルガー症候群や発達障害の学生が点数だけの評価で入学してくるために、後始末として、再教育やケアに苦慮している。高校側は、それぞれの学科で生徒がどれだけ向上し、また、途中でどのような指導をすればさらに学力が伸びるかという検討は殆ど行なわれない。この学生は大学受験でどの程度の大学に入る事が出来るかを予測し、それに一喜一憂しているだけである。学生の中に、出来る生徒と出来ない生徒の階層が出来たために、どれだけ若い学生の心を傷つけ、意欲を失わせているかに気づかない。それで発奮して向上心を燃やす事を期待するなら、全くの誤解だろう。やる気をなくす学生の方が圧倒的に多いはず。そのことが、LD(Learning Disorder)
とかADHD(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder)の原因2もなっているかもしれない。単なる身体上の不全かどうか分からない事の方が多いのではないか。

5.学力低下
 大学側も、難関試験を乗り越えて来た学生の学力の無さを嘆いている。大学の学問レベルと高校での大学受験で身に付けた知識とのギャップに悩むのである。リメディアル教育がどの大学でも必要になった。これをゆとり教育のせいにする向きもあるが、いかがなものだろうか。昔、自分の体験だが、大学受験浪人をしていたとき予備校では毎月模試があり、結果は公表されていた。順位は公表されていたが、恥を忍んで、とにかく毎月自分の勉強の進捗ぶりが分かるから我慢をしていた。これが無かったら浪人は乗り切れない。ここでは大学に入学したいという短期的な目標とテストという手段が一致している。ここではいかに多くの有名大学合格者が出るかが価値である。

6.大分県日田市「咸宜園」に学ぶ
 昔、江戸末期に広瀬淡窓という儒学者が豊後日田に咸宜園(かんぎえん)という塾を開き、大村益次郎や高野長英、上野彦馬、清浦奎吾を輩出した。この塾は、万民平等という理念で、女子も受け入れていた。全寮制であった。やはり、塾生を9段階に分け、毎月テストをしたという。それが、勉強の意欲をかき立て、また、都度面談指導を行なっていた。皆猛勉強をしたが、勉強の目標が明確で、苦しくもあったが当時としては画期的な手法で、学生は楽しんでもいたという。そこまで、丁寧にして初めて段階別のテストの効果が出るのである。それを、教師の怠慢か、分からないが、ただの評価で終わってしまうと、そうした段階別テストも効果として逆効果であったり、悪影響が残る結果になる。しかも、点だけを取ろうと躍起になる。そして、化け物のような特殊能力者が生まれる。目的と手段の混同が折角の試みを無意味にしかねない。そこに気づいて頂きたい。

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