<   2013年 08月 ( 11 )   > この月の画像一覧

古伊万里コレクション、サントリー美術館で展示された。e0195345_22464612.jpg 東北民藝館       新発田から東蒲原にかけて広い農地と山林を持ち、造り酒屋としても繁盛した新発田藩大庄屋格の豪農、山林地主、肥田野家の家具、調度品など一万点以上の骨とう民具を展示、収蔵。 収蔵品の中心は和箪笥類、六古窯の陶器、ひな飾りなど、その量は豪農50~60件分の数である。8月23日敬和学園の職員と共に訪問した。入場料は団体だったので1,000円を800円にしてくれた。一見古屋で普通の民家の入り口だが、中に入ると、民芸品が満載。凄い。この民芸館は個人の経営である。ご夫婦でやっているが、展示の方法、解説などがもう少し丁寧だといい。奥様が親切に説明してくれたが、学芸員のような人員がいて、展示物の保管など手を入れる必要がある。建物も農家の遺構が残され、立派な文化財である。しかし、野ざらしになったものや農具などの保存が問題。収蔵品は素晴らしいモノがあると思う。お宝鑑定団に出したいくらい。今のところ好事家のコレクションに終わってしまうが、その量はたいしたものである。市は支援し、きちんと、整理してもらいたい。庭園も百合の花が咲いていて美しかった。
 
囲炉裏のある部屋の飾りと神棚
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                                                                                                                                                 鎧櫃e0195345_22315277.jpge0195345_22303771.jpg
                                                                                                                                                                         雑然とした展示物だが、好奇心をそそるe0195345_22293511.jpg

 
 
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 暫くご無沙汰していた変な新幹線通販グッズ 、 目覚まし時計 。毎月上越線を1、2回往復するが、座席に置いてある通販カタログを楽しみに見ている。これで買った事は一度も無いのだが、時々、どんな人が買うのか、空想してしまうものが見つかる。今度は目覚まし時計である。

 陸上自衛隊起床ラッパ爆音目覚し時計という商品。7140円もする目覚し時計としては高級なもの。普通の目覚ましでは目の覚めない御仁向け。起床ラッパ、武装ヘリコプターH1S、榴弾砲H1-70の発射音、74式戦車の4種類から選べる。何とも物騒な目覚しだ。こんな音じゃないと目覚めないとは、お気の毒だが、世の中には2つ位の目覚しでは効かない人もいる。何デシベルあるんだろう。三つ目の目覚し時計にオススメの一品である。
 
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 今年の湯布院
駅前広場が即席映画館

「狐のくれた赤ん坊」
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 8月19日新潟から福岡直行便9時30発に乗り、福岡に行く。福岡とくれば、中野坂上プチ小西のシェフだった才田君ご夫妻のビストロサイダに寄らねばならない。猛暑の中地下鉄祇園から荷物を持って熱中症気味、お店に転がり込んでチキンコンフィで昼食。2時4分空港発の湯布院行き高速バスに乗って1時間40分で湯布院に到着。
 天神からの渋滞を避け、空港から乗るのが要領。猛暑のせいか、とにかく、九州の太陽は強烈である。湯布院の山々、森の緑色が強く目に入る。最近、叔父叔母が高齢なため、家が空屋になる事が多く、掃除が行き届いていない。エアコンが効いていないが、とにかく、掃除をしなければならない。汗だくになった。嬉しい事に風呂はお湯が絶えず流れている。隣の叔父が風呂の掃除をしてお湯を流してくれていたのだ。有り難いことである。湯布院のお湯は澄んでいるが、かたいい感じがする。温度が高いからだろう。とても温まる。

観光客で賑わう金鱗湖
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 昨年は9月だったが、今年は夏休み中のせいか、観光客が多い。特に、中国語が飛び交っているが、台湾とか東南アジアからの観光客が増えた印象である。22日までの短い滞在だったが、丁度ICUの教授をしている従兄弟と会う事が出来た。彼は、学生副部長をしていて、学生支援センターと寮を担当している。自分が今、敬和で課題にしていることと全く一致している。翌日の夕食は一緒にすることとし、当日は久しぶりに叔父と山形で買った出羽桜を傾け、大いに語り合う事が出来た。21日は丁度湯布院音楽祭であった。伊所夕食を食べた後、前夜祭の見物に湯布院駅前に出かけた。駅前広場にスクリーンを取り付け、無料の野外映画鑑賞を楽しむことができた。三隅研次監督 1971年作品 勝新太郎主演の「狐のくれた赤ん坊」という映画。勝新の熱演が凄かった。大谷直子など懐かしい俳優が出ていた。
この作品、1945年阪妻主演で制作され、さらに田宮高廣版もある。戦後、チャンバラ映画が難しかった頃、高廣の父・阪東妻三郎主演で、戦後時代劇映画の復活に華を添えた人情物語。勝新太郎の熱気あふれる演技が懐かしい。磯崎新が設計した湯布院駅の正面にスクリーンを張って、夕方から神楽だとか、焼き魚の串焼きなんかが振る舞われ、楽しいひとときが演出される。終わった後は公民館で、映画製作者とパーティが繰り広げられる。確か、1500円くらいで、映画が心底すくな人にはたまらないイベントだそうだ。宇崎竜童、阿木燿子、安藤サクラとかが来ているらしいが、疲れたので帰った。

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 農業生産と市場を結びつける仕組みとして、加工、製品化、消費者との結合を見据えながら生産物に付加価値を付ける。2次産業と3次産業の結合、2X3=6、6次化である。レストラン直結の取れたて無農薬野菜、畜産業農家の作ったチーズ、ハム、ベーコン、ヨーグルト、A4クラス高級ビーフ、生き魚、貝など流通マージンの省略分を品質の向上や価格に反映させ、生産者の所得向上に資する。

 特にTPPなどで厳しい国際競争に晒される米、畜産などはこの方向に新機軸を求められる。さらに、海外で作られる食材、酒などの分野も開拓されよう。産物、製品のみならず、観光、宿泊、移動なども国際競争下にある。日本のレストランなどもスペインのイベリコ豚、タスマニア島の牡蠣、米西海岸のカニやイクラ、ロブスターなども日本でお馴染み。今後日本発で世界に打ってでる日本酒、焼酎なども可能性がある。今や世界で人気のある寿司を見ると酢、日本酒、味噌、かつお節、醤油、塩なども含まれ、波及効果が見込まれる。スーパーには韓国のコチジャンやキムチもあるがこれらも、日本のこだわりの技術で逆輸出もある。焼肉などは実は日本から韓国に受け入れられ、無煙ロースターは日本が元祖である。国内に目を転じて見れば福岡名物の辛子明太子は北海道で作っている。原料を考えると不思議な事ではない。昨日は大分県から帰りましたが、新潟のスーパーでは大抵売っている枝豆は茹でたものが少しあるだけです。新鮮な朝採りの枝豆は一般家庭では高くて売れないが中州の料亭や飲み屋では売れます。腕の良い板前は良さを知っています。シャケやイクラもそうです。良い板前のいない冷凍で良いとこはかいません。国内でもその様な需給ギャップや未開拓市場は多い。市場情報をどう見るかです。しかし、敬和の街カフェや市の街起こしが何を狙い効果、業績を上げているのか今ひとつ明確ではありません。

 農業 生産 物流 市場 販売 消費者どの部分に焦点があり、どの様な人材育成に大学の資源が生かされて業績に結びつくかが分からない。大学が人づくりの仕組みであって生産の現場ではないことは明らか。我が校は国際的な視野があるなら誰が担うか、何を学び教えるか。

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by katoujun2549 | 2013-08-23 12:58 | Comments(0)
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 山形県天童市に行った。天童は将棋の駒作りで有名なところ。町の中を車で走ると幾つかの工房や将棋の駒を売っている店舗が目につく。人口5万人ほどの小さな町だが、市街地は電柱の地中化を行い、街灯も美しく、デザインの統一感が見られる。都市計画を整えようという意欲を感じる。ここは天童温泉もあり、温泉ホテルが建ち並ぶ地域もある。町のコンセプトが将棋と温泉で明確である。街作りで大切な事は、コンセプトが分かりやすく、差別化が他地域に対して比較優位に立つ事である。我が国では、温泉や風光明媚な景色、酒、城などは何処にでもある。田舎になればなるほど、郷土自慢が強く、おらが国さの◎◎である。こりゃあだめなのです。これらは昔の遺産とか、自然を食い物にしているんであって、何ら創意工夫が無い。ご当地グルメでも最悪なのが、××ラーメン、△△カレー、□□焼きそば。中身の材料は、いろいろあるだろう。イカスミだの、ウニだのカニ、アスパラなど。フカヒレラーメンなんかであれば凄いが。これでは似たようなものが至る所にあり、何処とも差がつかない。やっても無駄とは言わないがお疲れさま。

 昼食を食べ損なったので、ラーメン屋を探した。将棋村、将棋タワーという建物が目に入った。そこには土産物店と大きなラーメン店がある。優勝軒という店で、入ると「もりそば」と書いてある。店員は冷やし中華は売り切れですという。もりそばはありますというので、メニューを見ると、なあんだ、これはつけ麺ではないか。山形ではこれを「もりそば」というらしい。ここは、麺屋こうじグループというのがあって、東池袋の大勝軒で修行した人がやっているらしい。大勝軒の創業者は山岸さんという方で、この人がつけ麺を考案したと書いてある。あれっ?つけ麺の発祥の地は中野じゃなかったの。自分は中野に住んでいて、ここにはカツオ出汁風味のラーメン店「青葉」がある。中野には30軒以上のラーメン店が競い、かつての荻窪を凌ぐ勢いである。つけ麺の元祖は中野とばかり思っていた。地方都市に来ると、何だか、由来等を説明しなければならないのだ。なるほどと思いながら、「もりそば」を注文した。やはり、ラーメンのつけ麺じゃあないか。食べてみれば、結構いける。東京で食べるつけ麺なのであるが、こちらではいろいろ、ご丁寧に解説があるのが違う。餃子も頂き、お腹もいっぱいになったところで、隣の将棋タワーに行く。
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 将棋の駒の置物が並んでいる。左馬という置物を以前から欲しかったのでやや大きめのを買った。これは北海道の熊の彫り物と並ぶ、家庭の置物の定番である。馬という字が逆になって掘られている。どうも縁起がいいんだそうだ。様(左馬)になる。とか、馬の字が巾着のように締まっており、お金が逃げないとか、幸運のシンボルなんだそうである。縁起物なので、小さいのも2個買って、友達のお土産にした。お店の開業とか、商売繁盛のシンボルとして結構何処にでもあるが、天童が元祖である。
この由来は次の通り。
① 左馬は「馬」の字が逆さに書いてあります。「うま」を逆から読むと「まう」と読めます。「まう」という音は、昔からめでたい席で踊られる「舞い」を思い起こさせるため、「左馬」は福を招く縁起のよい駒とされています。
②「馬」の字の下の部分が財布のきんちゃくの形に似ています。きんちゃくは口がよく締まって入れたお金が逃げていかないため、古来から富のシンボルとされています。
③馬は人がひいていくものですが、その馬が逆になっているため、普通とは逆に馬が人をひいてくる(=招き入れる)ということから商売繁盛に繋がるとされています。
④馬は左側から乗るもので、右側から乗ると落ちてしまいます。そのようなことから、左馬を持つ人は競馬に強いといわれています。
以上
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by katoujun2549 | 2013-08-21 13:43 | Comments(0)
 地下鉄で空港から3駅目が祇園でそこから上呉服町まで歩いて10分。明治通りの交差点を右折して最初の信号を右の角2軒目がビストロサイダである。この日は南国の太陽が照りつけ、恐らく、路上は40度を超えている。頭がふらふらする暑さ。当方も年だから熱中症を心配しながら、汗だくになってお店に入った。

 相変らず、お店は昼の客で満杯。電話予約で1席用意してくれたので、ヘナっと席に着いた。お昼は800円の定食三種類。客の皆さん、ハンバーグを美味しそうに食べている。近所のサラリーマンにはすっかり定着したみたいだ。従業員も一人増えた。シェフは忙しそうに厨房で格闘中。奥様が注文を聞きに来た。先は発泡酒で喉を潤した。メインはいつもの鳥のコンフィ。たっぷりのサラダがついてコーヒー付き。これでは客が来ない方がおかしい。懐かしい中野坂上のプチ小西でお世話になった才田シェフの味だった。白ワインはソービニオンブランを飲んだ。

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 軍隊で親兄弟を戦死されたご家族の方々は、一番若い人でも既に67才である。自分が昭和47年に会社に入ったとき、朝、お茶を汲んで配ってくれるおばさんがいた。彼女は戦争未亡人であった。夫は結婚してすぐに戦艦大和に乗り込み、戦死されたが、そのときに子供を授かってしまった。多分、その時のお子さんは今68くらいになっているだろう。当時の企業はそのような戦争未亡人を雇用していた。自分はそのことに感銘し、企業にも人情があり、社会貢献している事を感じた。
靖国神社での小太刀の形奉納
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新潟に居を移してからは行けなくなったが、毎年、7月の靖国神社御魂祭りには、ここに祭られている武人達の霊を慰めるべく、武道の奉納、直心影流の形を奉納し、本殿でのお祓いも受けてきた。日本人として、国に準じた方々に祈りを捧げるのはこの靖国神社と千鳥ヶ淵以外には今は無いのだから当然である。しかし残念な事に、この神社は、過去において、政治に利用されてきた。そもそも、政治的に作られたのだから仕方が無い。
 
 靖国問題に関して、自分なりに提案したい。
神社は8.15をお休みにしてはいかがでしょうかと言いたいくらい。それができなければ、平和の日にして下さい。
 安倍首相は靖国神社に参拝すべきだ。しかし、それは8月15日にではない。例大祭に自費で行えばいいのである。一方、靖国神社はあの太平洋戦争において、神社が果した軍事国家への貢献を反省し、行動すべきである。靖国が平和の祈りの場として、特に、アジアの戦場で散った軍人のみならず、その国々で被害を受けた国民のためにも、鎮魂行事を行う。その時には、一般人の参賀はお断りし、神社に祀られている方々のご遺族だけをご招待、祈りの時をもうけ、これまでのように、政府の要人を特別扱いして優遇したり、過去の国家護持の夢を捨てる事である。それがこの神社の生き残る道である。結論として、8月15日は閉じ、本当にここで祭られている方々だけで平和の祈りの会を企画するのである。これを世界に発信する。

 靖国神社にそのご家族が御魂を祭られ、戦争の記憶を持つ方々は、既に70才の後半から、90才代である。靖国神社を支える人々の高齢化は著しい。今後、近い将来、神社を維持していくにはどうすればよい
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かが話題になる日が来る。45年前、この神社を国家護持しようという動きがあり、失敗した。今は一宗教法人であり、そのことが、A級戦犯ー日本を敗戦に陥れた張本人達をこの神社で祭るという暴挙を何とも防ぐことが出来なかった理由だろう。昭和天皇が、この件を批判されている。宗教法人らしく、活動すれば良い。
 この神社は、日本のアジアにおける戦争を肯定せざるを得ない宿命をもっている。最初に戊辰戦争の戦死者のうち、政府軍関係者を祭った。上野の山にこもった旧幕府関係者、彰義隊が官軍と戦った時の「政府軍」側の戦死者56名をはじめ、鳥羽伏見の戦いから函館戦争まで、3588柱を祭ったことが始まりである。大村益二郎の銅像が参道に建っている。東京招魂社という名前だった。その後、日本は国土を守るという目的のためにアジア補国で戦争を続けた。日本列島、国内での戦闘は沖縄以外は無かったのだから、眠っている「英霊」の多くはアジアの戦場で戦死された方々と国内の空襲で亡くなった軍関係者である。もちろん、広島長崎の被爆者や東京大空襲の犠牲者は含まれない。
 日清戦争以来、この神社は日本の戦争行為と深く関わり続けた。多くの若者が「靖国で会おう」と死地に赴いたのであり、またそうした戦争を肯定する役割を担い続けてきた。この神社を、明治以来の日本が取ったアジアにおける戦争行為と切り離しては語れない。戦場になった国の政府が日本の政府関係が参拝する度に批判するのは仕方がない。内政干渉だと怒る方がおかしい。一方、祭られた英霊のご遺族の方々や国民が参拝することも自然なことである。この神社は日本政府の戦争政策と一体であったし、今日に至るまで、政治的に利用されてきた。そのことが、神社の未来を暗く、複雑にしている。
このままでは世界の負の遺産登録されてしまう。昨日は韓国の議員達がこの靖国神社に抗議に来て追い返された。韓国は戦場になったわけでもない。全くの言いがかりである。また、例年のごとく、中国はどんなに名目を変えようとも、政府関係者が参拝したことを報じ、日本軍国主義の復活と結びつけて、国内を煽る。連中も自分たちの軍備増強や、選挙の人気取りにこの神社を利用しているのである。神社もこれとばかりに金儲け。本来、敗戦の日である8月15日に参拝する必要はない。この神社には年中行けるのだし、例大祭とか、御魂祭りとか、宗教法人としての正式な行事は他の日に行われているのである。要するに、この日に参拝する人々は何らかの政治的な意図を持った人々か、300万人もの日本人が亡くなった戦争に反省のない輩である。歴史に学ばない人を煽るのは止めよう。くそ暑い日に、お祭り騒ぎは無いだろう。もちろん、神社は静かに参拝者を受け入れたいだろうが、そうはいかない。この敗戦という痛々しい体験をこの神社はどう考えているのだろうか。自分は、靖国神社を否定も、肯定もしない。しかし、神社は玉串料をあてにしたり、利益のために8月15日を利用する愚は止めてもらいたい。むしろこの日は門を閉めて反省の日にしてもらいたい。これが自分の提案である。

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 8月10日(土)新潟東港沖の鯵釣りで30匹以上の釣果が新潟日報に出ていた。いつも、買い物に行く聖籠町蓮野のPLANTに行くつもりで、蓮野インターでバイパスを出て、車を走らせた。信号の手前隣に鈴木釣具屋があるので、ちょいと車を降りて、中に入ってみた。鯵釣りの調子はどうかと聞くと、これから、夜釣りの船が出ますという。何だか昔行った江ノ島の鯵釣りが懐かしくなって、興味が湧いてきた。そこで、道具については、クーラー、竿、竿掛けなどは有料(2000円)で貸してもらえるというし、仕掛け、錘り、雨カッパは買えばいい。乗船料は7000円。氷代と、あとは夜食のパンと飲み物を仕込んで、突然の釣行となった。東港の陸側一番奥の漁港に釣り船が停泊している。7時からの船大栄丸に乗った。土砂降りの夕立が降ってきて、しまったと思ったが、30分ほどで雨がやみ、東港沖の釣り場に到着。餌はサビキの擬餌針で、好みでイカの短冊をつける。久しぶりの釣りで、仕掛けをセットするのに手間取ったが、8時から開始。20分ほど当りが無い。自分の席は胴の間であった。艢(とも)のオッサンが、鯵を2匹同時に釣り上げた。しばらくすると、自分にもビクッと当りがあり。仕掛けを上げると鯵がついていた。25〜30センチほどの食べごろ。5匹くらい大鯵とか、サバも混じる。その後はバタバタと入れ食い状態になった。70匹ぐらい釣っただろうか。もう腰が痛くなって疲れた。最後の一時間は入れれば食いついてくる。時には2匹、3匹とかかってくる。納竿は12時。港に帰るともう1時。体はヘトヘトになった。でも、皆さん手を休めることなく、頑張っておられる。仕掛けを落として当りがあったら、追い食いを期待して3匹掛けとしたいが、お祭りがいやなので、上げたり下げたりする度に1匹づつ釣れる。こんなのは鯵釣りでは初めての経験だった。
e0195345_16411077.jpg家に帰って
満杯のクーラーを玄関に入れるのがやっと。体が臭いので、風呂に入ったが、寝たのは2時半ごろで、目が覚めると朝の8時になっていた。とにかく、ぐったり疲れただけではなく、腰が痛い。もう夜の釣りはひたすら疲れるという印象に終わった。でも、80匹以上の大釣りで、翌日釣果の処理に困った。痛い腰を我慢して、10匹づつビニール袋にいれ、氷を入れて近所の知人にお配りし、残りは日曜日の新発田教会の礼拝後、教会の皆さんに殆ど差し上げてしまった。

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ジプリ作品「風立ちぬ」

宮崎駿監督の作品を久しぶりに映画館で見た。千と千尋の神隠しと崖の上のポニョは何度も見たが、その後の作品はみる気にならなかった。Tジョイ新潟に行ったのは駐車場5時間無料で、メディアシップでの長岡花火ハイビジョン映像も見たかったからだ。上映時間のタイミングも良かった。
 歯の浮くようなスノビシュな作品であったが、正直なところ自分は結構これが好きなのです。この話は、零戦を設計した堀越二郎の航空機設計者としての苦闘と堀辰雄の小説、風立ちぬを合成したもの。戦前の日本の風景が宮崎調で丁寧に描かれている。戦後生まれの自分にはそうした風景の記憶は薄いが、地方都市に行くと,時々良く似た建物などが残っていた。動画ならではの表現力とアニメ技術が駆使されている。宮崎監督は自分より七歳年上。そうなるとこの映画のようなメンタリティになるのだろうか。全くのアナクロニズムだ。彼の作品は思い起こすと、アナクロで、新しいものは感じない。国籍不明の地中海風の街並とか、ヨーロッパ中世風ライフスタイルなど何だか分からないが、面白い。今回は怪しいまでに、大正ロマンと戦前風の日本の原風景である。
 しかし、彼の作品の風と雲、坂道とか森、汽車などの小道具が何とも言えないノスタルジーを湧き起こす。この作品で、主人公の実家が出てくるが、当時としては大地主の館である。新潟の地には一つの町に必ずこうした大地主の家がある。堀越二郎も、東京帝国大学に行ったほどの人物だから、故郷群馬でそのような家庭に育ったのだろう。妹が女医になったことからも、相当な資産家。しかし、当時はいきなり帝大には行かない。必ず高等学校にに行き、寮生活をし、実際の堀越は一高に行っている。彼は単なる夢想家ではなく、優等生である。実際彼は地元の中学で周囲の学生の出来が悪くて馴染めないと教師に愚痴を言うような所があったらしい。この映画は関東大震災が前半の山になっている。それから、軽井沢のブルジョワソサエティが描かれるが、万平ホテルだろうか。三菱重工のサラリーマンがそのような所で避暑生活をするのだろうか。ドラマのためとはいえずいぶん不自然な設定だ。疑惑の外国人が、ホテルで会議は踊るを歌ったりする、実際には奇妙な、通俗的な情景になる。ところが、宮崎駿の作品は、動画というインターフェイスで、ちぐはぐな世界を丸め込み、本当の現実を忘れさせ、宮崎ワールドに引き込んでしまう。

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by katoujun2549 | 2013-08-04 22:02 | Comments(0)
長岡大花火大会に今年も行ったぞ!日本三大花火は長岡、大曲、土浦だそうだが、中でも長岡はフェニックスがあるから1番、日本一ということ。隅田川の花火はこれに比べると線香花火だ。
昨年は信濃川左岸の宴会施設ベルナールの屋上から豪華弁当、ビールにデザート付の殿様気分の見物を楽しめた。今年は民衆的に無料の土手席からの見物となった。昨年は東京から長男と高速を飛ばして会場入りした。兎に角、花火見物は車は諦める事が鉄則だ。車を使うと必ず渋滞に巻き込まれ、その日の内には帰れない覚悟がいる。今年は3時43分の西新発田発、白新線で新潟に出て新幹線で長岡に行くこととした。4時45分の新潟発で長岡までは25分、満員で座れないが、楽しい時を思えば苦にはならない。駅からはシャトルバスで土手まですぐだ。そこからは土手沿いに自由席までひたすら10分歩いていく。こんな時は単独行の強みで、土手の空いた場所にちょいと場所を作って、草の上からゴロっとして見物すれば気楽なもの。昨年の豪華夕食は無くともおにぎりとお茶で充分。そもそも、花火何ざあ民衆的なイヴェントなのです。席はフェニックス会場となっている。土手の斜面が自分の席。横にならないと、斜面をずり落ちてしまう。すぐ下の席は、女子大生風の可愛い子グループが、シート席を作って開始時間を待っている。べちゃくちゃおしゃべり楽しそうだが、サキイカの袋に手をツッコンじゃあ、絶えず、むしゃむしゃ食べているので、エレガントじゃないなあ。やっぱり田舎風。
真正面に長岡花火のフェニックスが見える位置。これを見に皆さん来ている。流石にこれはど迫力だった。平原綾香の歌声と共に、どどど、打ち上げと仕掛け花火ののコラボだ。

長岡駅から大手大橋までの道路から大型の打ち上げ花火はよく見える。
5時頃までには土手は人で一杯。
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昨年の席とは信濃川を挟んで右岸の反対側。有料席と自由席の差は何かというと、スターマインの連続打ちが左側に見えるので、首を左に曲げなければならない。でも、超ワイドに横に展開する連続花火は真正面で見ることができた。昨年までフィナーレに近い時にクライマックスだっ
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たフェニックスは今年は8時30分に変わった。帰宅の見物客が一度に帰ると道路と駅が大混雑になるのを防ぐためである。確かにフェニックスを見たら帰り始める人がいる。目の前の膨大な何万という見物人が最後一斉に帰り出したら物凄いことになると自分もビビったので、名残惜しいが退散する事とした。駅までの道すがら大型の打ち上げ花火は道路からも良く見える。長岡駅から一直線に橋まで伸びてる道は人でイッパイ。でも、長岡の巨大花火は何も河原まで行かなくとも、町の中からも楽しめる。これも賑やかで良いもの。帰りも立ちんぼだったが、それほどの混雑ではなく11時には家に帰れた。新幹線から見た関越自動車道は渋滞の列。とにかく、長岡花火見物の教訓は1〜4 東京駅からも2時間で来れる。

 1.花火は庶民の楽しみ。無料で見るのが基本。
 2.車で会場に行くのは絶対避けたい。帰りに高速に乗るのが大変。
 3.フェニックスが終わったらすぐに帰路につく。駅まで歩く途中で、充分3尺玉も見える。
   長岡花火は大型なので、通路からもよく見える。特に、長岡駅から橋までの直線道路は見物席
 4、新幹線がお薦め。往復2,980円のチケットがある。

道路から帰りがけに見た正三尺玉
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 フェニックス これが横に5セット並ぶ 
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