<   2013年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧

 ワイナリーとフレンチレストラン「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイナリー」のオーナー。こんな生活は誰もが描く夢である。お金が出来た芸能人とか、スポーツ選手が飛びつく話だが、あまり成功しないだろう。こうしたビジネスの厳しさは中途半端ではないからだ。全身全霊で打ち込まねばならない。著者はそうして成功させた。そしてこの本を書いた。玉村氏は何も、全くの無知の素人からレストランを始めた訳ではない。彼はフランス文学を学び、パリに留学した文化人である。しかし、ビジネスには素人であった。 里山の森の一角に個人で立ち上げたワイナリーとレストランが大成功した。その道のプロの誰もが無謀だと断言した理由は、その店の立地の悪さであろう。しかし、フランスにはこうした所に三ツ星のレストランが存在する。素人ビジネスとはいえ、全く日本には無かったコンセプトのお店をクリエイトしたのである。何故客を呼び寄せ成功に導かれていったのか?彼も、当初東京で小物を売る店を経営し、失敗している。ビジネス上の計算は本当に無かったのだろうか。ビジネスはやはり採算である。当時の失敗から、仕入れ、コスト意識と言った商売の基本を身につけたのであろう。やりたいことのコンセプトが明快であっても、これだけでは成功しない。里山の自然の恵みとともにある仕事をやりながら暮らしを成り立たせる、それが里山ビジネス。彼のコンセプトでユ二ークなのは拡大しないで持続するということであろう。そのためにはやはり、ある程度の利益を得なければならない。愚直で偽りのない生活とビジネスとは両立することを証明している。
 
 ワイン栽培は、日本のような風土では本当に大変な作業である。フランスやイタリア等、ワイン文化は単なる消費者のみならず、産業構造が出来上がっている。そして、ワイン作りには初期資本が5000万円以上無ければできない。酒造には様々な規制がかかっている。この本でも、様々な規制を乗り越え工夫した奮闘の跡が見られる。新潟では「深雪花」とか、カーブドッチのワイナリーなどワイン作りも近年盛んになってきたが、全て自家原料で作っているのだろうか。自分は、最近、地場産愛用を心がけているが、やはり、若い感じがして、時々フランスやイタリアの銘柄を飲みたくなる。そんな時には中野のプチ小西に行って旧交を温めている。

 今、大都市のみならず、地方都市の郊外にある中山間地が過疎化し、崩壊の危機にある。ではどこでも、里村氏のようなスタイルで取り組んだら成功するだろうか。新発田市も中心市街地が衰退し、シャッター通りである。これをシャッター通りになった店の人達に元に戻せと言ってもそれは無理だ。そうなった原因は彼らにもあるからだ。もちろん、交通網の変化、大規模店の進出も大きな原因だが、これはもうどうしようもない、所期条件である。そこで、中山間地の農産物の6次化というコンセプトが生まれた。安倍政権もしきりにTPP対応策として提唱している。中山間地の休耕地を使って、蕎麦、野菜などを市街地のレストランに直接買ってもらい、レストランは新鮮な取り立て野菜の、オーガニックなどの付加価値をつけてレシピも開発する。その土地ならではのライフスタイル、その土地でなければできないものは何か、そこに行かなければ食べられない料理などで観光を組み立てる。農業高校や、大学が市場を調査したり、マーケットの動向を情報収集するなど、高齢化した中山間地の農家の出来ない事をサポートする。もちろん、農協も関心を持っている。

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 参議院選挙で圧勝、ねじれ解消で安倍政権はわが世の春を迎える。そこで、さっそく、中国との関係改善が進むかのような報道が期待も込め、なされるが、現実は甘くない。中国政府は現政権においてはガンとして動かない。勿論企業レベルでは中国側もジリジリしているだろう。もう一度歴史認識を整理しなければならないのは日本側である。安倍晋三のアキレス腱は実は中国との関係である。安倍首相が誕生したとき、中国も、韓国も、右翼政権という今の日本人には違和感のある安倍批判が出ました。我々は、また、尖閣諸島の事だろうと嫌な気分になる。しかし、彼らが思う所はまた別の事なのです。歴史認識を繰り返して日本に求める彼らの思いは日本のマスコミの迷惑顔が見当はずれであることに注目すべきです。日中国交回復は佐藤政権では全く進展しなかったことを思い起こしてもらいたい。その理由は何か。それはあの岸伸介と並ぶ佐藤栄作、さらにその親族である安倍家に対する拒否反応である。彼らは中国にとって不倶戴天の敵ではなかったか、なのである。中国が家系を考慮する民族であることを忘れてはいけない。今でも孔子の子孫が中国にはいるのである。これを抜きに中国の関係を語るわけにはいかないことをなぜかマスコミは報道しない。
 
 先般、憲法改正ナチス真似ウッカリ発言で物議を醸している麻生太郎も福岡の麻生炭坑の経営者の親族で、この炭坑も徴用工で戦争中大儲けをした会社。太平洋戦争中に日本に徴用された韓国人労働者や遺族が日本企業を訴えた韓国の裁判では、韓国の最高裁判所が去年、「個人の請求権は消滅していない」とする初めての判断を示し、ソウルなどの高等裁判所で行われたやり直しの裁判では、新日鉄住金と三菱重工業に損害賠償を命じる判決を出している。日本にしてみれば、当時は日本人も動員されていた。内国人と同様、朝鮮人も動員されたが、これも彼らにしてみれば今は「強制」というのだろう。国際条約(日韓条約)無視の出鱈目だが、これがまかり通るかどうかは日本の態度にも関係する。

 故岸信介元首相は、父親が婿養子で、次男の岸信介元首相が父親の実家の跡を継ぐため岸家に養子に入ったのです。(佐藤栄作元首相は三男)ちなみに、岸信介元首相の娘は、安部晋太郎元衆議院議員と結婚し安倍普三首相の母、岸信介元首相の長男の岸信和氏に子供がなかったため、安部首相の弟が岸家に養子になった。安倍首相は大変なお坊ちゃまなのです。お坊ちゃまの特徴は人の痛みに鈍感ということである。彼が中国や朝鮮が何で自分を敵視するのか未だに理解できていないかもしれない。何を今更、血筋が何だとか関係ねーだろと言いたいと思うが、どっこいそうはいかない。中国人はしつこい,というより、3000年の歴史を持つ彼らにとって70年前は昨日と同じなのである。

 岸信介はなぜ戦犯となったのか。それは彼は商工官僚として中国で行ったファシスト的な行為の結果である。彼は、大戦末期、非人道的な労働力駆り出しを中国や朝鮮で行い、多くの中国人を死に至らしめた。勿論要請したのは戦争中労働力不足に悩んだ満州の企業(鹿島組:鹿島建設や日本産業:日産)である。しかし、これを軍や警察まで動員して画策したのが当時の岸である。直接やった訳ではないとうそぶくあの出っ歯顔がふてぶてしい。被害にあった人々はこれを忘れない。満州で彼が行なった悪行、ナチス並みの強制労働を満州で行なっていた。韓国での慰安婦問題も確かに、軍が慰安婦を駆り集めたという証拠もなかったし、実際には行わなかったかもしれない。韓国はこの際関係ないだろうと思うのは日本人がわの論理。大戦末期、岸はウサギ狩りと称して、片っ端から中国人の家庭から軍の力も使って若い労働力を駆り集め、撫順炭鉱や鞍山鉱山、土木労働に送り、多くの死者を過酷な労働環境で出した。岸は商工大臣として辣腕をふるい、満州で特殊工人を奴隷のように使った手口をその地位を利用しておこなった。1944年、「華人労務者内地移入ノ促進二関スル件」という閣議決定を行い、日本への中国人強制連行を開始、総計4万人の中国人が日本各地でタコ部屋に押し込められ、そのうち、7000人が殺された。このことはILOからも指摘され、一時はニュースになったが今は忘れられている。なぜかマスコミは今の時点では報じない。この強制連行は既に満州で岸が主導しておこなったことの延長である。岸は、直接ではないが、731部隊の生体実験も容認し、八路軍兵士、抗日戦の闘志やゲリラを死のタコ部屋で働かせた。このデータなどをアメリカに渡し、岸は死刑を免れたという説もある。満州の強制労働の主役は鹿島建設である。今の鹿島建設はこれを行ったため、この犯罪行為を認め、謝罪している。鹿島建設など、一部の勢力はこれが無かったかのごとくやりすごそうとする。満州ではもっと多くの中国人が死んでいる。いくら頭隠しても、尻隠せずなのである。その張本人が岸であるから、その一族である安倍晋三は許しがたい存在なのである。いわば、ドイツのゲッペルスか、アルベルトシュペアの子孫という感じで見ていることを誰も言わない。これで彼らは慰安婦の問題も、安倍という右翼一家のおかげでいっしょくたにしてしまう。中国も日本が右翼的な人物をリーダーに選んだと思うはずである。朝鮮の従軍慰安婦問題は、賠償責任を逃れた日本政府に対する強制労働も含む屈辱を晴らしたいという事なのである。
 岸信介の手によって行なわれた奴隷労働の結果、花岡事件という悲惨な出来事があった。
 44年8月以降、鹿島組花岡出張所に強制連行された986人の中国人は、主に花岡川の付替工事に従事させられた。彼らは「中山寮」という名の強制収容所に入れられ、粗悪で少量の食料と過酷な労働、補導員と呼ばれた鹿島組職員の虐待の中で次々と殺されていった。
 45年6月30日、耿諄大隊長を中心とする彼らは、民族と人間の尊厳を守るためについに死を賭して蜂起し、日本人監督4名と日本人の手先となった中国人1名を殺害して中山寮から逃亡した。しかし直ちに鎮圧されて再び捕らえられ、共楽館に集められて凄まじい拷問にさらされ、蜂起の後の3日間で実に100名を超える人々が虐殺された。敗戦後の45年9月にまで及ぶ強制労働によって、最終的に鹿島組花岡出張所に強制連行された986名のうち418名が殺された。
花岡への連行者986名の年齢構成と死亡者の年齢構成をみると、
 15歳以上20歳未満 連行者数 50人 内死亡者数 5人
 20歳以上40歳未満 連行者数596人 内死亡者数209人
 40歳以上67歳   連行者数340人 内死亡者数209人
 (閣議決定によれば、年齢は「概ね40歳以下」となっているが、41歳以上が307名、全体の約30%を占めている。手当たり次第の連行であることがわかる。41歳以上の62%が死亡している。)
 (なお、135事業所総計では、連行者数38,935人 内死亡者数6,830人 死亡者比率17.5%)
 この事件で鹿島建設からBC級戦犯が逮捕され、一人が絞首刑、2人が終身刑となった。
 かつて、日米安保改訂のときなぜあれほどの騒動になったかというと、岸がアメリカの傀儡であることと、戦中派が社会の中核だった当時、戦前の荒っぽい満州での活動と右翼思想に対する岸の事は国民が知っていた。岸が満州で行なった国家犯罪は、手下だった児玉とか、笹川、小佐野といった闇の世界の黒幕として岸が冷徹なリーダーシップを発揮し、人身売買、麻薬、戦時貴金属徴収などの裏ビジネスで戦費を稼ごうとした。岸に言わせればお国のため。自分は手を汚していない。中国の一連の行動はこうした過去に対する拒否反応である。岸が総理大臣になったとき、警職法を改正しようとして大騒動になった。彼はうかつにも、ファシストの牙をむいた。国民は彼がA級戦犯だったことを思い出した。彼が北一輝を崇拝していた骨の髄まで右翼だったことは10年やそこらでそう変わるものではない。岸は一族の思想的中核である。彼に比べれば安倍総理は赤ちゃんみたいなもの。でも、血はあらそえません。岸がかつての野蛮な行為を指摘されても、知らぬ存ぜぬで通したやり口は、今の安倍首相の従軍慰安婦や靖国参拝への態度とそっくりです。安倍政権になって憲法改正に関して、95条を改正することから手を付けようとしています。これは岸のやった手口そっくりである。

 岸はある談話で次のように言っています。彼に取って議会何ぞは関係ない。これもナチスと同じ。
例えば、右すれば法律に違反し、左すれば法律に適うが結果がうまくいかんという場合、純粋な官僚である以上は左をとって几帳面にやっていかなければならんのです。
満州から帰ってきたときには、どうもそれを逸脱して右の方に行きかねない状態であったと思うんです。満州では、こういう場合には結果のいいほうを選んでいたからね。よい結果を得るためには法律を改正しようではないか。つまりこれは勝手にできたわけだ。事実上国会なんていうのはないからね。
しかし法律改正をするまでは、悪い結果の道をとるかといえばそれはとらない。法律が悪ければ法律を変えようではないか。
(*岸はここで、「いい」「悪い」という価値基準をすでに含んだ言葉を使っている。この場合の価値基準は「満州国」であり、従って「満州国」にとって「いい」「悪い」という文脈になる。)
こういうやり方を満州ではとってきたんです。』
参照:www.inaco.co.jp/isaac/back/023-9/023-9-3.htm‎ 田母神論文に見る岸信介の亡霊より
 いみじくも、先般麻生副総理が、ナチスを例に取った不適切発言も関係があるかもしれない。麻生もかつて、中国人労働者を麻生炭坑に送り込み、戦時にも利益を上げた一族である。
  アメリカとって、A級戦犯から解放した恩義のために、岸は御しやすいとみた。アメリカが総理になる道を後押ししたことを国民は感じていた。そんな岸と佐藤栄作が主導した日本と国交を回復するわけがない。日本と国交回復を願っていたのはソ連との対立に困っていた中国。それでも、中国はじっと我慢をして、佐藤政権が交代するのを待っていた。中国と台湾の扱いで国内がもめていることで待っててくれていた訳ではない。田中角栄など当初はどうでもよかったのであるが、池田勇人以来の外交努力の中心であった大平正芳の功績で見事に成果を残した。田中角栄は満州での兵役を経験し、いかに酷い事を当時の日本軍が行なっていたかを実際に見て知っていた。国交回復の時に彼らは中国との交渉をguilty conscious というコンセプトをもってのぞんだ。交渉相手の周恩来はそのことをしっかり見ていた。それで、素晴らしい功績を残すことができた。民主党政権も、安倍も全く過去のことをノーテンキにもういいじゃないかと勝手に思い込んで交渉するから上手く行かない。

 安倍の叔父である、岸は、満州を支配したが、その手法は、ナチスドイツの物まねなのである。ナチスの強制労働政策は、シュペアーなどが首謀し、ドイツが占領した国から、ユダヤ人のみならず、オランダやフランスの占領地からも労働力をかき集め、多くを死に至らしめた。こうしたナチのやり方に心酔し、満州を支配し、名をあげたのが岸信介である。これを中国は忘れるわけがない。ユダヤ人がアウシュビッツを忘れないのと同じである。東京裁判では日本の人道に対する罪が問われた。何も日本はナチスと同じではなかったのに同列に扱われた。とんでもない誤解と戦勝国の身勝手を東京裁判批判をする人々は口にする。しかし、この岸のやり口に限っては、ナチスと同列であった。甘粕はゲッペルスを真似、岸はシュペアーに相当する。安倍は岸の一族、その流れを汲む者と警戒している。安倍が憲法改正とか、国防軍といった構想を口にすると、彼らの感情は逆なでされる。一体何で、かれらが反発するのか、マスコミはきちんと解説してもらいたい。今の時点では尖閣列島は口実だということ。中国も、血統を理由に外交することが世界の常識ではないことを知っている。しかし、そのままでは耐えられないのである。理由をマスコミはなぜか語らない。安倍自身が、自分には身の覚えのないことだとおめでたいご性格から、平気で強気の発言をしたがるが、どっこい彼らは別の見方をしている。この課題をどうクリアーするのか。今後の動向を中国、韓国と両にらみで観察したい。

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果物の宝石、「さくらんぼ」
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6月の中旬になると、新潟県は果物の季節となる。
(サクランボ)
 先は聖籠町の「さくらんぼ」が出回る。新潟市の隣にあり、新発田市と接している聖籠町は農業の町。新潟東港を域内に擁しているため、周辺の自治体からは金持ち町として垂涎の的である。聖籠町の農家は果樹園を持っている。特に6月になるとサクランボ狩りの季節となる。「佐藤錦」や「香夏錦」「紅秀峰」「ナポレオン」など5種類が栽培されている。もちろん、佐藤錦は山形が有名である。しかし、この山形のさくらんぼは、かつて新発田市から苗を持って行き、品種を改良して佐藤錦を生み出した。いろいろな種類があるが、佐藤錦は確かに甘くおいしい。20年前、初めてカナダに行ったとき、バンクーバーで豊かなサクランボに驚いた。アメリカンチェリーも、普通のサクランボも同じくらいの価格で、一袋400円くらい(3.98ドル)という感じで、おなかがいっぱいなるくらい入っている。500gくらいあるのではないか。しかし、山形の佐藤錦は甘く、粒も美しい。当時、あんなにきれいに箱に入っていなくとも値段が5分の1くらいだったから、日本のサクランボは馬鹿馬鹿しくて食べる気にもならなかった。こんなもん食わずとも、他に果物はいくらでもある。ところが、いざ、新発田に来ると、聖籠のさくらんぼが、佐藤錦など東京の半値だからやはりうれしくなって食べてしまう。果物はそもそも、美味しい時期には期間があって、サクランボは大体3週間くらいで終わってしまう。だから、いくら食べたくても限度がある。聖籠町のさくらんぼは、「サクランボ狩り」をして観光客やインターを使った新潟県からの客を引き付けている。新潟県で90%が消費されてしまう。だから、山形のように全国的な販売はされないのである。
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(桃)
 これから、楽しみなのが、桃である。もちろん山梨の桃が多く出ているが、7月になると新潟産の大きな果実が出てくる。これが実に旨い。桃は大きいほうが果実部分が多くうまい。種の大きさは一緒だから大きな桃の方が果実の量も多い。値段も上がるが、これも美味しいのは7月から八月上旬まで。八月になるとなぜか、桃の薄皮が剥きにくくなってくる。桃はやはり、卑猥なくらい、あの薄皮が女性の下着をはがすようにそろりと剥けたところをガブリと食いつく、いやらしいほど美味だ。
(スイカ)
 七月になると、スイカが出てくる。スイカは先は小玉スイカが実に甘い。大型のものは最初は日照りが梅雨で足りないせいか、あまり甘くない。しかし、小玉スイカは甘みもある。八月になると大型のものが店舗に出回る。東京にいたときはスイカを一個のまま買うことは無かった。結構高いのと重くてかさばるし、ジュースなどが安いから食べる気がしなかった。ところが新潟に来ると、スイカはまあ東京より4割がた安いのである。しかも実に旨い。
(梨)
 さらに、八月からは梨も出てくる。東京や市川でも幸水とか長十郎など梨は美味しいところが結構ある。なしの季節は結構期間が長い。山形の洋ナシ、ラフランスが有名だ。新潟でもこれはできるが、なんといっても果物の王様といってもよいのが、ルレクチェである。ジューシー、甘み、歯ごたえと3拍子揃った果物の王様だ。一個500円とか大きいと1000円するが、これは9月に収穫したものを1ッか月以上寝かせて熟成させるから、12月ごろまで楽しめる。9月に入ると聖籠町のブドウ園がぶどう狩りへと観光客を誘う。これも安くておいしい。
とにかく、新潟の夏は東京に負けず劣らずクソ熱いが、フルーツなど美味しいものが安くて豊かに出回る分居心地が良いのである。とにかく、夕方スーパーに行って、昨日はサクランボ、今日は桃、。明日はスイカ、あさっては梨とかブドウ。最後はレルクチェで締めくくる。村上の笹川流れの方からはイワガキがやってくる。一個500くらいから700円くらいで高いが、これ一個で満足。新潟の夏はグルメで楽しく乗り切れるのである。
 

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 日本のキリスト教人口は100万人くらいだろうか。そのうち、プロテスタント系の教会員は20万人ともいわれ、40万人といわれる共産党員の数より少ない。圧倒的に多いのはカトリックである。カトリックは聖職者も入れて452千人います。ふしぎにも共産党員数と同じくらいの数です。ついでですが、赤旗を取っている人は260万人くらいだそうで、シンパは6倍以上いる。今、日本人の女性で結婚式をキリスト教式でおこないたいと考える人が80%もいます。そうした意味で、洗礼は受けていないがキリスト教に共感を持っている人は600万人ぐらいいると思います。しかし、教会の日曜礼拝に行くというキリスト教徒の条件を満たす人は実に少ない。全部合わせても人口の1%はいないのです。かつて、1世紀前、賀川豊彦が日本でクリスチャン100万人を目標としようと言った事があり、あたかも、達成したかのように言う人がいますが、当時の人口からすると1%を超えようということで、その目標は全く達成出来ていません。こうした実態に対して、特にプロテスタント教会も、その中心と自認する東京神学大学もあまり反省の態度が見られないのが残念です。その原因は何かを考えてみたい。自分の行っている教会、そして、新潟の「老舗」教会は近年高齢化が著しく、特に大学生の礼拝参加者は殆ど消えてしまったと言っていいくらいです。しかし、こうした現実に対して、教団では真剣な議論が起きたという情報は自分には聞こえてこない。不思議な事です。
 自分は、団塊の世代として、大学生が急に教会に来なくなった時代を眺めてきたつもりです。我々の仲間が次々と教会を去って行った。我々の後に若者が続かなかったということは自分達にも責任の一端はあると自戒することも多いのです。高度成長時代に大学生になり、マスプロ教育に失望、さらにベトナム戦争や旧態依然とした大学経営に失望した学生は反乱を起こしましたが、教会はそうした若者の悩みに答える事が出来なかった。多くの学生が教会を去ったという失敗に対して教会は無能でした。去る者後を追わずというのは上昇時にしかあてはまらない。そんな事態ではない。
 団塊の世代が学園紛争をはじめとする状況の変化に4年間まともな勉強ができず、社会の矛盾に悩んでいた。大学生が教会に行かなくなった事は、大学生の期待に教会が答えてこなかったことにある。そうした若者の苦悩に答えるメッセージが聖書には多く含まれているにもかかわらずである。高度成長やオイルショックに企業に入って必死に働いた結果、日本は見事に乗り切り、経済大国になった。当時の大学生は、今のように世代人口の20%以下でしたから、今日のように高校生の50%が大学に行く時代とは違います。今の方が大学生の数は遥かに多い。それでも教会に若者の足が向かない。一方、お隣の韓国は4人に一人がクリスチャンです。今の教会も、そうした新しい若者の動向にも対応しません。無関心とは言いませんが、手をこまねいていることが多いのではないでしょうか。
 東京神学大学というプロテスタントの牧師を養成する学校があり、長い間学長を務められた故松永希久夫先生のキリスト論を読んでみたのですが、そこにヒントがあるような気がしたので書いてみました。先生はこうした教会の危機に対して、キリスト論、教会論を基盤にした教会形成ープラットフォームを呼びかけており、なるほどと思う所が多い。
 松永先生は、近代以降、イエス理解が多様化する中でイエスを
①体制の否定者 改革者 =ローマ帝国ー政治経済の体制否定者、革命拠点としての教会形成
②社会福祉家 人道主義ヒューマニスト 自己犠牲ー社会福祉センター
という整理をし、これらは教会の本来の姿としては除外する印象があります。
 さらに結論としてあるべき姿である
③信仰告白にもとづく教会形成におけるイエス
 罪の贖い主 復活のイエスによって新しい命を与えられる。イエスキリストへの感謝と賛美による教会形成といった整理をされています。

そうした基盤をもった教会から新しい民の出現を待ち望むということでしょう。さらに、我々がその未来に相応しいものとして召されている。そして、教会は古里であり、今を生かされている感謝の場として礼拝があり、そうした内容を説教において心を一つにする信徒の群れによって、教会が形成されていく。このことは、まさに望ましい姿であって、誰も否定しないと思う。しかし、自分は、何か物足りなさを感じてしまう。それは何かというと、聖書は①も②も③もイエスは訴えているのであって、全てが結びついているという視点を失ったら、世の中と隔絶してしまうのではないか。何も、教会は社会改革の拠点でもないし福祉センターでもない。でも、その顔は保っていなければならない。③だけでは社会に対して何のインパクトも与えられない講座的な関係でしかない。教会の形は礼拝全体によって整えられる。そこで、最もインパクトのあるものはやはり説教でしょう。その説教において、教会員の置かれている環境に関して全く関わらない牧師の説教が霊的な力を持つことはできないと思うのです。それは、牧界活動によって養われる。そのことに全く触れない理論であるならば、その結果はむなしい。松永先生の理論は立派だが、伝道という視点、牧会で信徒の声を聞くという観点が全く欠けている。学問の中の世界ではないかと思う。団塊の世代の若者が問題にしたのは、ベトナムで多くの人々が戦火で苦しんでいるのに、経済理論も文学も古典を学んでいればいいのか、そして、社会に入れば産業や企業活動でベトナム特需に組み込まれ、戦争に加担して行くことの空しさに悩んでいた。親達は一流会社に入ればそれで満足だったが、学生は満たされなかった。教会はそうしたアンバランスに何も答えなかった。教団は昔の戦争責任告白をすれば免罪かもしれないが、沖縄ではB52爆撃機が発着していた時代。当時、松永先生の説教を聞いているとまるで、別世界の出来事みたいに聞こえたものです。その傾向は今の東京神学大学の教育に残っているのではないか。それでは若者を引きつける何かは生まれない。

 ①→②→③という整理においてイエスが演繹的に結論として教会形成をしたという福音書の記述はない。新約聖書の半分はイエスの言行録であるが、残りの半分は使徒達の教会形成に向けての活動の記録です。そこには様々な問題を抱えた民衆の実態をうかがい知ることができます。イエスも、使徒たちもそうした現実を前に、様々なメッセージを語っているところを見なければ、聖書も空しい。そこには改革者としてのイエスもあり、ヒューマニストとしてのイエスも見えている。それらは、信徒の告白、証し、教会に対する訴えによって形作られている。それらに対して牧師は敏感でなければならない。そうした当たり前の視点を失った聖職者が最近増えている。これが現代の教会において若い人の慰めに繋がっていないからこそ、彼らは教会に来ない。この現実に対して東京神学大学は牧師を養成するうえで配慮しているようには見えない。信徒からは見えない神学理論、説教づくりの方法を教えているのではないかと思ってしまう。マニュアルによって出来た説教では人の心を打てない。世の中に関心のない牧師がいかに多いことだろうか。何も社会改革者になれとか、ヒューマニストであってほしいとか言っているのではない。牧師だからといって必ずしも一般信徒より信仰が強いとも思わない。彼らは職業上信徒よりは神学的な訓練を受けているし、知識も多いかもしれないが、それ以上のものではない。少なくとも、一般信徒が持っている世間常識、謙虚さ、コミュニケーション能力は持っていてほしいと思う。ところが、それが神学校ではまったく鍛えられていない感じがする。要するに、牧会に向けての準備ができていないのである。それでは若い人の心をとらえる教会になっていかないのは当然でしょう。牧師は羊飼いに例えれば、羊の気持ちをわからずに、指示ばかりしている。それでは羊はいうことを聞かない。羊飼いは羊を愛している。管理の対象だけではない。ところが、信者を管理しようとする牧師が多い。牧師のリーダーシップは何も地位で生まれるわけではない。信者の尊敬を人間として得られなければ信者は動かない。巧みな羊飼いは何もせずとも、彼らの気持ちをとらえた、ちょっとした合図で羊達はひとりでに群れをつくり、自分たちで小屋に帰っていく。

 いや、何もすべてを牧師のせいにするつもりはない。教会の構成員である信徒が、イエスキリストの使徒として、福音書に描かれているように野に出て福音を述べ伝える努力をしなければ同じことであると思う。何も、職場で伝道しろと言っているのではない。自分がよりどころとしている福音をためらいことなく世に訴える、あるいは告白する機会はどこにでもある。家庭でもいいし、友人関係、されには自分がキリスト教徒であることを隠さずに、イエスの復活と聖霊の働きが世に存在し、それによって生きていることを周囲に分かってもらえればいいのである。そうした信徒の日常の戦いを牧師が知り、説教において応答していけば、礼拝はもっと聖霊の導きが豊かになる。言い換えれば情熱を伝えることができるし、感動をもって礼拝参加することができる。それができるならば、これまでの努力も花開くのではないかと思うのである。今は、木を見て森を見ず、葉を見て木が見えない。そして、一所懸命育てているが一向に実を結んでいない。それがプロテスタント諸教会である。

 カトリックの場合、ローマ教皇がすべての権能を持っており、そのメッセージは信徒の手の届かないところから発してくるのですが、全世界に張り巡らされているネットワークにより、その対応は驚くほど現実的である。そして、そのメッセージも多くの信徒が直面している諸問題を逃しません。神父たちも礼拝においてはさらにわかりやすく噛み砕いた説教をします。昔、カトリックの説教はラテン語で行われ、信者は何を言っているのか理解出なかったが、その代わり、神父は信徒にじかに向かい合い、信徒の抱えている問題に取り組んできたのです。教育の世界でそれは良くわかります。カトリックのミッションスクールは受験校が多く、多くが有名校である。偏差値も高い。一方、プロテスタント系は人間教育を言い訳にして、学力の向上に対して不熱心な学校が多い。それも彼らの二千年の教会形成の成果ではないかと思う。それに対するプロテスタント諸教会はこれからの教会のあり方に関して転換期を迎えているのではないかと思う次第です。

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自分は今、新潟の新発田市にあるローカルな学校に去年から勤務しています。24年前、新潟県は大学進学率が全国下から2番目、次男や女性は高等教育不要、専門学校がせいぜいという、後進県でした。故稲葉修先生が、設立に苦労していた学校を助けて下さり、その際、新発田市と聖籠町は23億円も負担してくれたお蔭で設立できたのです。あれだけ、苦労して大学ができたのだが、その後、認可基準は大幅に緩和され、雨後の竹の子のように大量に私立大学が出来たため、新潟県の大学は定員割れが続出しました。昨年、田中真紀子が前文部大臣として騒動を起こしました。これは新潟県に限っては後の祭りですが、意見として正しい。あれは、秋田や愛知県の学校認可だったから、奇妙なことになったが、大学過当競争の新潟県では理解しやすかったのです。

教育界という慣れぬ世界に身を置く身分ですが、不条理な話に驚いたり、新鮮な体験の日々を過ごしております。この際、愚痴ですが、いくつか書かせてください。国は大学4年間では無理なのに国際競争に勝つ人材を作れとか言います。英語も喋れなかった自分の学生時代を振り返ってもらいたい。高級役人は国民の金で海外のエリート校に行って満足しているが、本当は現地の学生と対等に卒業しているわけでもない。しかも、海外に人脈のある人がどれだけいるのだろうか。外務省ですら。アメリカのおこぼれ情報で食っているだけですよね。そもそも立地や授業料に優位な国立、規模や伝統に差がある大学を結果だけ見て差別化している理不尽。原則も作らずに競争原理で選別しようとしたり、企業経営者も大学教育は役に立たないとか勝手なことを言います。大学教育を受けた知的資産を活用できない企業には非は無いのか、人を育てる気もないのかと言いたくなる。就活にしても、学生はご苦労様で、キャリア支援は大切な仕事になったが、大学は職業斡旋機関ではない。

 大学は淘汰の時代などとマスコミは平気で言う。乱脈融資でつぶれた興銀や長銀じゃあるまいし、合併したり、淘汰された大学の学生や卒業生のことを考えてもらいたい。会社と学校は違うことを考えたこともない財界人が偉そうに競争原理発言をする。自分の学生時代がつまらなかった恨みを晴らしているのでしょう。600校以上ある大学のうち、首都圏にあるエリート校は別にして、殆どの私学は、どちらかというと高校では成績の優れなかった層が来るのです。出来の良かった学生のうち、授業料の安い国立大学に行けるのはわずかです。国立大学に行く学生の家庭はむしろ私立よりも年収は上位だという説もある。東大や京大の学生の家庭は皆上位層です。高等教育の担い手は今やゆとり教育のお陰で生まれた出来の悪い高校生を一手に引き受けている私立大学ではないか。そういえば、昔、不動産業は住宅供給者として欠陥住宅の元凶のように言われ、監督されたが、不動産会社の供給がなければ住宅難は解消されなかった。日本人の教育への考えはマスコミも含め、やはり、官僚的上から目線でしかない。現実の本当の姿を見ないで好きなことを言っているだけです。

 教育というのはタダでは出来ない。ところが、高校まで公立学校があるから、保護者も高い学資を払う覚悟が無い方もおられる。びっくりするのは車を買ったので授業料を延納したいと平気で言ってくる保護者がいる。文句ばかりで、何らかの打開策は無いのか。それは簡単である。国は教育については国の根幹と考え、私立学校に入りたいという向学心のある学生に学校を通して給付型の奨学金を出すことにつきる。実際、大学進学をあきらめた高校生のうち、25%は上位4分の1以上の学力があるという調査結果もある。とにかく、日本人は金は出さないくせに、文句を言えるという環境にどっぷりつかってきた。日本は今こそ教育投資を出発点に再生すべきである。OECD諸国並みに教育予算を充実させ、新規設備投資は学校を中心に優遇し、建築業者を喜ばせる事である。道路やダムではない。経済再生は人作りからという定石から進めればいいのである。そのために、教育に競争が無くてもいいとは言わない。少なくとも、貧富の差を補うように、平等な競争を準備し、給付型の奨学金を拡大することである。公的な貸与型の奨学金は債権回収に苦労しているが、それによって、回収コストもいらなくなるだろう。まあ、そうした給付は世界では常識であるが、非常識な日本人はすぐにばらまきと言って非難するに違いありませんがね。

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今年、7月にロンドンの大学から5人の学生剣士が母校を訪問し、盛大な歓迎会を行うことができた。これは2年前の苦労が実り、交換事業のサイクルになったということで、昨年のロンドン遠征は成功したということになる。一言で学生の海外遠征といってもなんせ金のない連中だけに、事を運ぶのは容易ではない。

2010年、11月に剣友会幹事長より、大学同窓会の委員をしているM証券のM社長から、空手部がやっているように、剣道部も海外遠征に行くべきだと言われた。理由は体育会の遠征には同窓会から×万円くらいの補助が付くから逃す手はないということだった。幹事のO君は、なぜかビビッて、自分に対応してもらいたいというので、自分は家庭の事情(家内の病気のこと)もあり、嫌だったが対応することとした。幹事長はM君は30万円、自分も寄付するといって下さった。同窓会の手続きが迫っているから迅速に計画を進めてもらいたいと言われた。T先輩は寄付のことに関しては実に立派だ。やっと剣道部誌「士魂」の編集が終わりほっとしたのに、矢継ぎ早のご要望に辟易した。丁度、関西支部の方からも、M先輩とK君も是非と言うので、相当なプレッシャーを感じた。翌年1月の新年幹事会のときは大阪の連中はイケイケムード。 学生がまとまって海外に出かけられるタイミングが難しい。今の学生は7月に前期試験があって大変だというと、皆で勉強合宿して乗り切れとか勝手なことを言う。特に、ある先輩は断定的な考え方をする方、高齢で誤解もしやすいし、独善的な印象があり、困ったなあと思った。何が大変かというと、事は学生から発したことではなく、OBから提案する形だから、先は学生を説得しなければならない。何時、何処にいくのか、いろいろな案が出てくるだろうから、これを一本化しなければ実現しない。また、行ってそれなりの意義も必要だ。一体誰が引率するのだろうか。不安な要素は山ほどある。

丁度、H君がロンドンに赴任していた時の人脈があるので彼なら責任をもってフォロー してくれるだろうと思った。(実は彼は年末に転職し、それどころではなくなった。先輩は口先男が多い)また、師範が英国剣道連盟から毎年指導者として迎えられていること、また、、自分の行っていた道場館長も英国はグラスゴーやリバプールなど、先生がフォローしきれない都市の剣道指導を受け持っていたことから、イギリスにターゲットを絞った。Y君のサンフランシスコ案もあったが、ロンドンのインペリアルカレッジ中心に交流する事とした。

 こうした時に、先輩は金を出してくれてあまり口を出さなかったのはありがたかった。口を出すが、金は出さない輩が多いのだが。計画において、有力な現地受け皿があるかどうかは大きな選定要素である。「毒を食えば皿まで」と同窓会支援要請の手続きから、学生への説得(母校剣道部に行かねばならない)など、何度か足を運びながら、学生も、やっとメリットを感じて賛同してくれた。最初は頼りなかったキャプテンも出資をしてくれる同窓会に説明に同行してくれ、積極的になった。

普通のツアーの半額でロンドンに行けるとなれば大喜びだと思ったが、そうではないのだ。何度か話してみると分かってきた。とにかく、学生には金が無い人がいて、そうした連中が消極的。学生も仲間に気を遣い本音を言わない。友情が壁となっている。また、我々の時代と違い、彼らは海外には自分で行きたいし、剣道を海外でする意義を感じない。インペリアルカレッジが大変な名門校であること、また、丁度自分の知り合いの息子さんがインペリアルに研究生で留学していることも知り、ロンドンを強く押し、学生のコンセンサス、さらに幹事会でも賛同を得た。当時は7月に2年から4年まで30人くらいを想定した。航空券の手配など、どうするか、就活などによるキャンセルのことなど、心配の種がつきない。2,011年2月には同窓会に計画書を提出した。補助金額の計算書とか、収支計画が必要でこれも自分が作った。

 ところが、3.11の大震災。計画は中止となった。如水会には既に手続きをしたので、3月には次年度の予算を取ってしまった後だから同窓会からは必ず実行してくれと言われた。その結果、思案し、6月の幹事会で、2年生を中心に2012年2月に実行することで、年度内実現を図った。これは妙案だと、自画自賛している。というのは4年が行ってもすぐ卒業だし、今の学生は3年生1月から就活でそれどころではない。2月であれば気候は悪いが航空券も安い。先方も春休みだ。学生も10万円~15万円あれば行けるのだからメリットがある。10月ロンドン無名士道場の師範とYさんが昇段審査に来日するという情報を得新宿体育館で稽古し、その後の懇親会で学生の受皿となることをお願いした。

 これで、12月に2012年2月の計画を確定することができた。Yさんは見事6段に合格された。格安な宿舎の手配など、お世話になった。ロンドンはホテル代が高く、ユースホステルは満員で取れず、なかなか宿が取れずに苦労した。これが震災で中止にならなかったら、あの全英オープンやウインブルドンテニスでロンドンは7月の宿は本当に取れないから、6月末の遠征という当初計画を後から考えるとぞっとする。

 12月に入り、自分も責任上同行したかったが、家内の具合が悪く、3月までもたないかもしれない
と思い、参加をしないこととした。ところが、幹事長も、H君も仕事の関係という事で同行してくれない。C君は、Mさんが行くなら自分は行かないとごねだす始末。運よく、Mさんは彼の事情で行かないことになって、一件落着である。結局C先輩の引率という形が取れて感謝。また、学生が剣道だけして、大学にも行かないのは意義が無い。インペリアル カレッジとの関係がうまくいかないと連絡が来た。向こうの学校は日本の大学と違いセキュリティも厳しく、簡単に見学させてくれない。一橋は担当教官などアカデミズムの方面からご縁があるのかと思いきや、頼りになる人は全く無かった。Yさんや先方剣道部の学部学生では話にならない。そこで、自分の友人のNさんのご子息が東大から留学していたので彼に案内を頼んだ。さらに、現地には剣友会員で三菱商事や三井物産に行った先輩も協力をしてくれることになり、次第に形が整ってきた。師範を同行させるかどうかも大変な要素だが、先生は体調を崩され、行けないことになった。

 今はネットで航空券が安く買えるが、学生は一部の連中を除き大体海外旅行などに行き慣れていない。それが普通。だから団体も用意しなければならない。結局、団体での航空券は半分くらいで、あとは、結構ヨーロッパの他都市を回ったり、財布をすられた人もいたが、二月のツアーは何とか予定通り出発出来た。結果的に成功に終わった。悲しい事に、自分は家内の病状が悪化、妻はあの世に行ってしまった。無理して同行し、ロンドンに行っていたら急きょ帰国することになっただろう。葬式を3月1日に行い、まったく、止めてよかったと思った。これも神様のお導きである。ロンドン遠征の目的は交流にある。だから、押し掛けて行っただけでは意味が無い。先方からも来てくれて、始めて交流が始まるのである。嬉しい事に今月5名のインペリアルの学生が来日してくれた。大学で歓迎会を開く事が出来た。大学も、剣道部が、何故、こんなイギリスの名門校と交流出来たのかとびっくりしていた。

 今般、先方から来日し、交流が進んだことは、本当に自分の苦労の甲斐があったことと嬉しく思っている。言うのは簡単だが、ここまで運ぶのは本当に大変であった。振り返ると嫌な思い出であるが、今度行くときはぜひ同行したい。

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ホロコーストと“ミルトンメルツァー”の「ネバートゥフォゲット」(新樹社)を読んで。

 ナチスのホロコーストでいつも疑問に思うのが、何故、ユダヤ人はあれほどまでに、ナチスの攻撃に無抵抗だったのか。まるで、屠殺場に向かう家畜のように死に向かっていったのか。それはナチスによって巧妙に仕掛けられた罠があってなされたことである。ナチスが政権を取ってから様々な試行錯誤を経て、作り上げた殺人システムが機能したのである。この実態を平易な表現で、子供たちに聞かせるように語り継いでいる。ユダヤ人をゲットーに閉じ込め、飢餓に陥れる。絶滅収容所に送り込むためには、飢えた人々にパンを支給する事を餌に集合させ、そこから一網打尽に皆を輸送ルートに乗せて行く。巧妙な仕掛けなのである。アウシュビッツに到着しても、まさか、着いたらすぐに選別され、あっという間にガス室に送り込まれるとは誰も思わないだろう。人間は環境を変えられると判断力が低下する。そこを突いて行く。
 
 アウシュビッツの死体焼却場(クレマトリウム)は1944年に破壊され、証拠隠滅された。しかし、だからといって、ガス室がなかったとかホローコーストを否定する事にはならない。多くの証拠が有り余るほど存在する。
 
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 もし、ヒットラーがいなかったら、20世紀の戦争における死者の数は大きく減り、1千万人以上が死なずにすんだろう。というのは全く見当違いの推論である。そもそも、戦争の原因はほとんど、ヒットラーにあるからだ。日本でも、日独伊三国同盟がなければ太平洋戦争は起きなかっただろう。もちろん、もし、スターリンがいなければ、当時のソ連における多くの犠牲者は何千万人という単位で減る。スターリンは国内の粛清と経済政策の失敗による飢餓、民族強制移住だけで1000万以上は殺している。ヒットラー以上の殺人者はスターリンである。しかし、とにかく、20世紀最大の悪役は彼としてもいいだろう。数百万というユダヤ人の死者はヒットラーに責任がある。彼は、あの、偏執狂的な反ユダヤ思想の原点であるし、これを画策したのも彼だからだ。しかも、その反ユダヤ思想というのが、全くの誤解による、いい加減な産物だ。でたらめな人種理論により、ユダヤ人のみならず、ロマやロシア人など、当時のドイツ人から異質と思われる人々が抹殺の道をたどらざるを得なかった。この点、これほどの徹底した殺戮が行われたのは人類の歴史に例を見なかったのである。
 
 この20世紀最大の悲劇を、実にコンパクトにまとめたものが、この「ネヴァー・トゥ・フォアゲット(Never to Forget)ミルトン・メルツァー著」である。これまで、ドイツのナチスと世界大戦時の蛮行に関しては多くの研究があり、ここで取り上げるまでもない。しかし、この著者は、当時の人々、ユダヤ人やその子供たちに視点を置いて、ナチス政権がどのようにドイツを支配し、ユダヤ人迫害が始まったのか、そしてこれらは一般市民の中でどう受け取られていたのかを語っている。だから、この著書のなかで、当時の人びとの証言が多く含まれている。家庭の中、あるいは収容所の経験者、さらにそこでの子供たちの姿、ゲットーの中の生活など、あの大戦での死者の立場ですべてが語られる。もちろん証言をするのは生き残りの人びとである。ナチスによる、ユダヤ人絶滅計画の全貌が、これほど分かりやすく、歴史のまっとうな解釈により説明された著書は類を見ないだろ。夜と霧、ルドルフ・ヘスのアウシュビッツ収容所の告白記など、多くの著作や映像、さらに、シンドラーのリストなどの映画も製作された。しかし、その巨大な実像は未だに解き明かされたとは言えない。この本では、あのコルチャック先生とその孤児たちが収容所に向かう情景が描かれている。胸を締め付けられる光景が表現されている。

 ホロコーストは前段階がある。ユダヤ人の追放や差別からはじまり、水晶の夜事件、ドイツ軍のポーランド侵攻、そして、独ソ戦におけるキエフや各都市でのアインザッツグルッペンの殺戮、さらに収容所列島の発展の経緯など、ナチスのユダヤ人絶滅の作業は様々な変遷と時間的経過を経ている。そして、その実行状況は必ずしも一貫していない。それだけに、歴史の中で多くの謎が含まれる。そこを突いて、ホロコーストは無かったとか、ガス殺は無かったといった、いい加減な批判や反論がなされる。ホロコーストを知らなかった人々がその実態を知ることは容易ではない。ドイツ国民もそれを知らない世代が増えている。二十世紀は戦争の世紀といわれる。第一次、第二次世界大戦、ロシア革命、中国革命、その他諸紛争を入れて2億人以上が殺戮された稀有な世界史的な出来事があった。ものすごい数である。これだけの人びとの人生が、そして生活が奪われ、後世の人はそれを語り継がれるべきだとすれば、途方もない作業があるだろう。しかし、その仕事こそ、二度と悲劇が生まれないようにする方法なのである。死者の数が単なる統計で思い起こされるようになったとき、その悲劇は再び繰り返されるからである。

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 新潟の女池インター近くにある、ユナイテッドシネマズで華麗なるギャツビー2Dが15時20分の回ということで,これは20分待ちでラッキー、これを見る事にした。最初T・ジョイ万代に行ったら18時30分の回しかないではないか。それでは「奇跡のリンゴ」にしようかと思ったがこれも時間が合わない。そもそも、調べずに来たのが悪いんだが、それにしても、今の映画館、昼間の回はオコチャマ向け、夏休みモードなのです。以前、ロバートレッドフォードとミアファローのを見たが、あまり後味が良くなかった記憶がある。正真正銘のラブストーリーなんだが、女ばかりが得をする話だったような気がした。フィッツジェラルドの名作小説で、村上春樹が翻訳しているし、原文も読もうとチャレンジしたことがある。この作品、何故か3Dがおすすめ。確かに遠近感を効かせた効果はすばらしいだろう。今回は2Dだが。まあ、ドロドロした話のはずが、さっぱりとした出来になっている。これはデカプリオとトビーマクガイアの好演の結果かもしれない。映画はデイジーとギャツビーの仲立ちをしたトビーマクガイア演じるキャラウエイの語りで始まるが、これは小説通り。デイジーの夫のトムブキャナンとギャツビーの口論シーンなども小説の台詞通りに描かれている。原作に忠実である。

 まあ、女性好みのストーリーなんですね。当然のことながら女性観客は自分とデイジーを重ね合わせるでしょう。男どもは皆女狂いの大金持ち、とにかくチヤホヤなんです。女性の最高の幸せは、このチヤホヤされる事なんですよ。きっと。自分を一筋に愛してくれる王子様がいれば最高。この映画もその類い。だから、映画館でもこのチヤホヤ係のボーイフレンドを連れたアベックが多い。ニューヨークのロードアイランドあたりの、海沿いにあるバンダービルトなどの大金持ちの豪邸がある一帯のお話。時は禁酒法時代、バブルに湧いた時代の成り上がり青年、ギャツビーは豪華パーティを繰り広げるが、それは対岸に住んでいる昔の恋人、良家の出身、ディジーといつの日か会いたいがため。究極のストーカーか。ついに、人妻となった対岸のやはり豪邸に住むエリート男の妻となったデイジーと出会う。この豪邸に行く途中には、石炭殻の廃棄場とスラムがあり、デイジーの夫はそこのガソリンスタンド屋の妻と不倫関係にある。男は勝手なもので、良家の子女では飽き足らなくなる。しっかり、当時の貧困地帯にいる気の毒な女性にも光を当て、豪華成金生活三昧の物語から一線を画し、インテリ女性の正義漢を満足させてくれる。あの、タイタニックでもそうだが
アールデコのデザインがいい
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、デカプリオは金持ち女に尽くす成り上がり男の役をさせたら右に出るものはいない。

 今回は物語をエール大学出の証券マン、ニック・キャラウェイ に語らせている。デカプリオはギャツビーを意外にも好演している。それにしても、あのアメリカ人のどんちゃん騒ぎは凄いね。ヨーロッパのメリーウィドウのカンカン踊りや、オペラ座の怪人の仮面舞踏会シーンも一種のどんちゃん騒ぎだが、やはり文化とか、気品を感じる。とにかく、ローリング20の禁酒法バブル成金だからか、黒人も一緒になって大騒ぎ。そんなド派手乱痴気騒ぎを描きたかったのか。3Dで見たかった。豪邸とか、海を越えた対岸の距離感も3Dで迫力があるだろう。大乱痴気パーティシーンに唖然。女もあんな形で乱れたいのだろう。日本のインテリ女性は特に憧れる、一緒の不倫ものだが、女性は仕方なく流されて、悲劇の主人公になっている。夫の貧乏人の不倫相手を車ではね飛ばして殺したあげく、自分の不倫相手ーギャツビーにはひき逃げの疑惑を肩代わりしてもらって、その殺された女の夫に復習の銃弾で始末。さらに女の夫も拳銃自殺でけりがついて一件落着で、傷心のまま、金持ちの夫と海外にトンズラあそばすのである。そもそも、夫の不倫相手が、夫婦喧嘩のあげく、向こうから車に飛び込んでくるんだからね。けしからんストーリーの割に映像が素晴らしく、見応えがあったが、とにかくこの筋書きの後味は良くない。それでも、女性は結構胸がすーっとするんではないか。猛烈な、究極のフェミニズム映画なんだろうか。不倫をしたギャツビーは死をもって裁かれたのに、デイジーは傷心で去る。デイジーに感情移入している女性観客は満足でしょうね。多分、さっさと気分転換。女の薄情さよ。
人を跳ねてひき逃げしておいておいて何だ。後味の悪さはそこにある。不公平なんですよ。なるほど、これは極めて道徳的な小説なのだ。ドライサーの小説、アメリカの悲劇も「陽の当たる場所」という映画になった。あれも成り上がりの青年の物語。モンゴメリークリフトが好演した。ところが、この5代目,Great Gyatsbyは大エンタテイメント恋愛映画に仕立てられ、そんな道徳性は感じられない。作者フィッツジェラルドの原作の狙いは当時の現実、禁酒法時代と不平等の告発にあるのだろう。そこにギャツビーの純粋な愛とを対比させたのである。
だから、神よ、デイジーをムショにぶち込みたまえ!
デカプリオはいい仕事した
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ミスベーカー役のElizabeth Debickiは初演だそうだが大物の風格、いや、大柄か。
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  遠藤周作の「沈黙」に続く作品で、野間文芸賞を受賞した。沈黙があまりにも有名でその陰に隠れているが、内容は沈黙に並び立つ優れた作品だと思う。日本人とキリスト教という課題を海外の視点から語っている。かつて歴史に埋もれていた支倉常長の7年にわたる長い旅の記録である。資料は殆ど無い中、遠藤は自らの渡欧体験や海外取材で優れた描写を行なっている。

 明治になって、岩倉使節団がヨーロッパを訪れたとき、ヴェネチアで支倉が訪問していた事を知り驚愕したという記録がある。ローマ法王に謁見し、拝領した当時の法衣や教皇の肖像画、短剣が仙台に残されている。また、彼の肖像画はベネチアで発見されたのである。今年、仙台では東日本大震災で破損した復元船の改修と記念館の再開が渡欧250周年記念に併せて行なわれる。

ローマ法王に謁見した時の支倉常長像
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震災前のサンファンバウティスタ号;流石に大きい。日本でこれだけの船が建造された事が凄い。しかも、5ヶ月で完成し、スペイン人もびっくり。
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スペイン側の記録にある支倉常長の雰囲気を表していると言われる肖像画

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東日本大震災により損壊した記念館とサンファンバウティスタ号の補修工事が進んでいる
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 支倉常長の渡欧と信仰の物語であるが、この物語はべラスコという日本宣教に情熱を燃やす神父の語りによって構成される。侍(長谷倉殿)と表現される彼は伊達藩の支倉常長のことである。支倉常長は太平洋をサンファンバウティスタ号に乗って、メキシコを横断し、大西洋をわたってスペインに行き、さらにローマ法王に謁見している。彼が、日本に帰国した時は既に禁教令が出され、鎖国に向けて日本が進んでいた時であった。なぜ彼はこれほどまでの大旅行を行い、何を見、異国の地で何を考えたのか。作家の想像力を大いに刺激する歴史的な出来事であった。この物語は、どんな事情で支倉達の大旅行が7年もかかったのかを語る。彼らを待ち受けたスペインや修道会の日本に対する宣教の方針転換の時期であり、語るポーロ会(フランチェスコ会)のべラスコ修道士と彼に敵対するペテロ会(イエズス会)のヴァレンテ神父との対決に物語が進む。支倉一行は仙台藩の家臣に過ぎない。幕府が公式の使節として派遣したわけではない。しかも、幕府はキリスト教を禁止する方向にあるというのが反対派の見解である。当時は既にキリスト教が秀吉によって禁教令をだされ、殉教も始まっていた。宣教と国交ー貿易とを一体にして国交を進めるスペインの外交は、日本に対して後退期に入っていた。日本の宣教が失敗であったとされると、支倉達がスペイン国王に謁見する理由がなくなる。そこで、使節一行は洗礼を受けるのである。使節団を案内したバレンンテ神父の勝利である。彼らはスペイン国王に会うことができる。しかし、同時に、仙台藩でもキリスト教の迫害と殉教者がでたという情報が伝えられる。

 支倉達の改宗はいかなるものだったのか、という疑問が次に起きてくる。彼らのスペイン国王との謁見を実現するために、敢えて信じたくもないキリスト教の洗礼を受けたのだろうか。さらに、支倉はローマ法王に謁見することで事態を打開しようとする。しかし、1612年の禁教令により、日本はキリスト教の宣教を禁じた。ローマ法王庁も、スペインも、支倉達の国交に向けた外交交渉を行う理由を失った。彼らの渡欧の目的は失敗であった。しかし、最後に法王は支倉達一行と謁見を行う。そして、彼らは伊達公の書状を読み上げることに成功する。
 「宗教に現世の利益だけを求める日本人。彼らを見るたびに私はあの国には基督教のいう永遠とか魂の救いとかを求める本当の宗教は生まれないと考えてきた。」「日本人たちは、奇跡物語や自分たちのどうにもならない業の話には心ひかれるが、キリスト教の本質である復活や自分のすべてを犠牲にする愛について語ると、とたんに納得できぬ興ざめた顔をすることを私は長い経験で知っているからである。」これはあくまでも遠藤のキリスト教と日本人というテーマである。

 支倉は日本に帰国後信仰を捨てたということになっているが、史実はどうも違うようだ。彼の女婿や下僕等、周囲の人々がキリシタンとして殉教しているのである。彼だけが棄教したとは思えない。彼は日本に帰国後2年で病死している。遠藤は、イエスキリストの受容、さらにキリスト教の信仰が日本という土壌に馴染まない理由をこの作品の登場人物の思考を自身に重ねて語っている。しかし、史実は必ずしもそうではないようだ。常長の子常頼は1640年、禁教令を破り、斬罪に処される。召使い3人と弟常道がキリシタンであったことの責任を問われたもので、召使い3人も殉教。また、支倉の旅の報告は伊達藩から幕府に対しなされており、闇に葬られたわけではない。支倉の信仰にしても、当時の日本の対応にしても、遠藤の描く日本は矮小な感じがするのが残念である。遠藤自身の問題意識を超えた所に支倉の真実はある。
<2013-07-09 16:10/span>

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 イエスキリストは十字架に死して三日目に蘇り、その後多くの使徒たちの前に復活されたその体を示されたのみならず、共に食べ、語ったのである。そして、この後、離散した使徒たちは再び伝道の旅を行い、そのほとんどが殉教していった。これを事実とすると、復活という出来事は現実との接点をもつことになる。十二使徒だけではない、その後、ステパノやパウロも殉教していった。全く架空のことがこれほどの現実をもたらすものだろうか。ヤコブの殉教はユダヤ人史家、ヨセフスの記録にもあるから確かだろう。また、ペテロ、パウロなども実在し、殉教している。この歴史的な出来事は使徒行伝や新約聖書外伝に記されており、その時代の、原始キリスト教時代の存在は事実であるから、一連の出来事を空想の産物とすることはむしろ不自然である。聖書の記述はその一コマごとに切り離して解釈すると矛盾があり本質を見失う。旧約聖書の死人の蘇り、イエスの述べ伝えた復活とご自身の蘇り、さらにパウロの体験は全体としてとらえなければならない。古代ユダヤ教の呪術的復活の伝承はイエスによって新しい力を得、衝撃的に乗り越えられた。そして、パウロと使徒達の宣教、さらに殉教によって教会形成という新たな歴史的な歩みを始めたのである。

 ユダヤ教では死人の復活はないという。サドカイ派とのイエスの問答(マタイ22章23~32)にある。「復活の時には、めとることとも嫁ぐこともなく、天使のようになることもないのだ。」でも、旧約聖書列王記にはエリシアという預言者が死んだ子供を生き返らせている。(列王記下4-20~37、8-5)また、エリシアの墓に置かれた死体が生き返ったという記載がある。これは一体何か。昔の人は、仮死状態も死んだとしているのだろうか。この箇所は当時のユダヤにおいて、復活の信仰があったのではなく。こうした記述によって神の力を語っていると考えた方が良い。ラザロの場合、死んで腐敗まで始まっていた。気をつけなければならないのは、当然の事だが、聖書は信仰の書であって、何も医学やノンフィクションものではない。奇跡物語も信仰を持ってはじめて読む事が出来る。イエスが十字架の苦しみをかけて伝えようとしたことは、復活であるが、これは世界の終り、終末における復活のことである。イエスは宣教の中でラザロらを蘇らせた。ご自身の神性を示す行為である。イエスが十字架の後に示した奇跡である復活とは意味が違う。復活した体とは一体どうなるのだろうか。元の体にもどるのだろうか、あるいは霊魂のようになるのだろうか。聖書にあるように、まるで、透明人間か、魔術のようにドアをすり抜けたのか。聖書の復活の記述はそれを信仰した人の心の中で生じた事は確かである。物理的にどうのこうのではない。

 新約聖書ではもちろん、百卒長の中風の僕を癒し(マタイ8-5)、さらにナインの寡婦の子供を生き返らせ(ルカ7-11~15)、ラザロの復活の物語(ヨハネ11章1~45)など死人をイエスは生き返らせている。また、イエスが十字架にかけられ、いきを引き取られた時「幕が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そしてイエスの復活の後、墓から出てきて、聖なる都に入り、多くの人々に現れた」(マタイ27章52~53)

 死人の復活はあるというのが、聖書の記述である。近代合理主義、あるいは自然科学では到底理解できない世界。しかし、復活の思想は、世界で受け入れられ、キリスト教の2000年の歴史を形成してきた。遠藤周作は小説「侍」の中で、宣教師べラスコの言葉でこう述べている。「宗教に現世の利益だけを求める日本人。彼らを見るたびに私はあの国には基督教のいう永遠とか魂の救いとかを求める本当の宗教は生まれないと考えてきた。」「日本人たちは、奇跡物語や自分たちのどうにもならない業の話には心ひかれるが、キリスト教の本質である復活や自分のすべてを犠牲にする愛について語ると、とたんに納得できぬ興ざめた顔をすることを私は長い経験で知っているからである。」我々は、聖書を今日、本屋で売っている様々な本と同様に読む事が出来る。しかし、約2,000年前に書かれた文書であるという事、また、聖書は皆に読まれるように書かれていた訳でもない。様々な証言や記録を、その信憑性に応じて編纂したもので、4福音書の記述は一つの事柄について異なる表現や記述となっている。この部分に研究の余地が多い。「イエスの復活とその福音」(レオンデュフール著:心境出版 三保元訳)ではその言語的差異、福音書、パウロの表現等詳細な比較検討を行っている。

 復活信仰は我々の文化的習慣と相容れない部分があるのだろうか。しかし、宗教というのはそもそも、そのような不合理な部分を敢て横において、「信仰」という価値観に従って生きるという事である。一人の人間の人生は多様である。生まれて間もない時に亡くなる子供もあれば、戦争で亡くなる人もいる。癌で病死することもある。人間の生というのは、生まれた人の数だけあり、合理的な整理は難しい。人生に関しては人間は明日を予測する事も出来ない。ひたすら、後ろー過去ーを見ながらその軌跡をたどるしかない。キルケゴールはそれを後ろ向きにオールをこぐボートに例えている。科学では分析する事は出来ない領域だ。もちろん、人間存在を行動面から経済活動や政治、医学、生理学などの視点から理解する事は長い間行なわれてきた。しかし、人間が何処から生まれ、何処に向かうのかを問うことは極めて哲学的な問題である。そしてこの部分に関わるのが宗教であり、そこから答えが出されてきた。この復活という考え方を受け入れるかどうかは、宗教的な行動を受け入れるかどうかの問題である。

 イエスの時代、今よりずっと死は人々と近いところにあった。疫病、戦争、処刑、そして幼児の死。彼らは死をどう受け入れるかについて、我々よりはるかに真剣であった。真剣であるがゆえに復活という概念も真実味をおびてくる、しかし、実際にそれを目撃したり、体験したりした人は聖書に記されたこと以外は見当たらない。ということは、復活は何らかの象徴として受け留められたのではないか。生と死、永遠と有限を橋渡しするものである。復活はイエスキリストで終わった。もしこれが、後の世でどこかの聖人によって度々おこるようなことでは意味を失ってしまう。信仰という点からいえば、復活とは何かを分析することは意味がない。この不思議な、歴史的な事象を信じることによって何が生まれるのかである。そこから何らかの力が生まれるのであればそれで充分である。

 旧約聖書がユダヤ人の歴史であるように新約聖書はキリスト者の人生を導く。人生を蘇らせることは実際に起きてきた。信仰によるrebirth、生まれ変わりである。パウロはエマオの途上で復活したイエスに出合った。このパウロなしにはキリスト教は形成されなかった。そしてパウロによって教会によって信仰が継承され、復活が語られ、体験される。そうでなければ原始キリスト教で終わっただろう。パウロの教会形成、さらに教団の基盤が彼によって出来上がった。イエスキリストの十字架の死によって、イエスの使徒たちの教団は解体された。しかし、イエスの復活によって再び生まれ変わり、使徒行伝にある伝道活動が生まれた。さらにパウロが新しいイエスとの出会いを体験し、キリスト教のさらなる発展の礎を築いた。私たちの信仰も、使徒たちの体験、そしてパウロの導きによって生れ、理解される。それは、使徒たちの経験した、実体験としての復活ではないかもしれないが、一人一人に与えられたイエスとの出会いがある。このことは死に打ち勝つ永遠の世界があることを知らせてくれる。これ以上の福音はあるだろうか。

自分は気がついた時は自分だった。そしてどこに行くのだろうか。復活というのはその自分の復活でなければならない。何だか分からない「霊」なる姿になるのだろうか。自分の今はいない父や母
、そして妻と再び会いたい。その時の自分は何か。でも、それは幸せな自分でなければならない。惨めな自分が復活する人はどうだろうか。天国というのはそのような自分が永遠に続く事だろう。では苦難や惨めな境遇で亡くなった人々はどうだろうか。その人々は全く別の新しい世界を望むだろう。それに対して神はどのように裁かれるのだろうか。

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