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013.gif1月19日と20日はセンター試験、世の受験生は今年の最初の試練であった。しかし、大学関係者も大変なのである。東京で開かれる試験実施要領や注意事項の研修会に行くことから、学内の説明会、前日からの準備、段取りに入試担当者達と教員、職員等学校を総動員して対応する。この仕事はマニュアル通り一部の間違いも許されない。100点満点が当然と見なされる。特に北国は雪という不確定性を抱え、列車の遅延対策、さらにはエアコンも完璧でなければならない。
今回は長崎の活水女子大で問題用紙が途中退出の受験生に持ち出されて予備校に渡され、監督者がチェックミスを問われ、記者会見に及ぶという事件となった。悪意の行為に対してまで監視するのは大変だ。

JWSSニュースによると 19日の大学入試センター試験で、活水(かっすい)女子大(長崎市)会場の女性受験生(19)が試験時間中に問題冊子を持ち出し、自分が通う予備校の関係者に渡していたことがわかった。試験時間中の問題冊子の持ち出しが発覚するのは初めて。大学入試センターは20日に会見して謝罪した。

 センターと大学によると、地理歴史・公民の試験開始から約30分後の19日午前10時ごろ、5階の教室にいた受験生が一時退出を希望し、問題冊子を手に持って室外に出た。冊子は机の上に置いていく決まりだが、6人いた監督者らは見逃した。付き添い役の係員も、受験生が「もう大丈夫」と言ったため、途中で付き添いをやめた。受験生はその直後、大学の門の付近で予備校関係者に冊子を手渡したという。机に問題冊子が残っていないことに気づいた大学側は、約20分後に1階の自習室にいた受験生を発見。事情を聴いたところ、事前に予備校側から依頼があったことを認めた。大学側は業務妨害の疑いもあるとして長崎県警に通報。予備校関係者は県警に「早く入手して模範解答をつくりたかった。不正をしてまで持ち出すことは頼んでいない」と話したという。

こんな作為にあっては大学は敵わない。問題冊子保有を見逃したことが第一問題だが、予備校側と入念な打ち合わせをしたはずである。センター試験が今や大学入試の重要な選別手段になって、高校生の学習目標として占める位置は大きい。高校教師は本来的な学生の学力向上や自分の教育手法を駆使して授業を進めるべきだが、高校全入時代においては学生のレベルがまちまちで、知的好奇心に訴えるのは無理だと思っているだろう。こうしたテストや偏差値の高い難関校を学習目標にすることが学生と保護者の人気を得る近道だと思っている。保護者と学生、教師も選抜されるということが何よりの喜びである。
アメリカでワーキングプーアが生まれる理由は専門家の供給過剰である。
センター試験と偏差値が支配する今の高校教育だが、これが一体社会に出て何の役に立つのか。文系では私立と国立の大きな差は科目数の多さと数学である。この点国立出身者は基礎学力と忍耐力は学習という点ではしっかりしている。東大、京大、一橋あたりの超難関校受験生はセンター試験は85〜95%取るから、ここはあまり差がつかない。しかし、彼らも含めてこの能力は人間の能力の一部である。100m10秒で走る能力のようなもの。受験生は塾や予備校、家庭教師など、一種の投資をして対応している。その証拠に、難関校子弟の家庭の所得は高い。対策スキルの差である。しかし、このセンター試験があるお陰で日本人の学力は守られている。日本で全国的な学力判定の機会は今や大学受験だけである。わが国の公平な選抜機能はあまりにも少ない。大学入試もAOや推薦入試が横行している。就活がなかったら、日本の若者は腑抜けになってしまうだろう。しかし、その後の勉強が問題である。大学での学習でも、又、社会人になれば別の能力が要求される。歴史の年号を暗記したり、英語の穴埋め問題には意味がない。要は受験のための教育は教育ではない。単なる受験対策。自分の進むみちを自分で決め、学ぶ姿勢と方法を身につければ困難を乗り越えられる。可愛げのある人物、応援したくなる人物に育てる学問こそ求められる。リベラルアーツの目標はまさにそこにある。瀧本哲史 氏(エンジェル投資京大客員准教授)によると、アメリカの教育の優れた点はリベラルアーツ教育を経て専門分野に進むことだという。わが国もこれに習おうとしたが失敗した。それは具体的な教育技術を無視して、学部教育の延長線で行おうとしたからだ。国立大学の教養部では座学を中心に、教師によっては新入生にいきなり自分の研究中のノートをそのまま講義に使うような横着な授業をした。これでは高校生からいきなり専門分野の課題を叩き込まれたようなもので消化不良を起こしてしまう。勉強嫌いの量産である。それでも学生が文句を言わなかったのは難関校の学生の見栄やプライドのためである。だから、一般には普通の学校では教師は飽きさせないよう落語漫談的講義となってしまうけいこうもあった。これではレベルが上がらない。
教養の本質は知識の深さではない。世の中には多様な意見が存在することを認め、俯瞰して比較し、その中からよく選択した上で、主体的な判断をするための考え方を身に付けることである。

現代は全員が賛同する正解はない。先が見えないから自分で課題を設定して問題を解決できるリーダーが求められる。
より高度で進んだ専門知識は大学よりビジネス現場にある。少人数での議論、文章を書くトレーニングが必要で手間がかかえうのである。
IQ と心の知能指数(情動指数、Emotionally Intelligence Quotient)のバランスが大事な要素である。これは必ずしも学力に比例しない。

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 村上ビーフは最高

新潟に来て、美味しい食べ物に多く出会ったが、村上牛の素晴らしさをご紹介しよう。
山形には庄内牛というのがあるが、村上牛はその上を行く。村上市はあの塩引き鮭でも有名だが、北限のお茶と言われている村上茶も素晴らしい。日本酒は〆張鶴だが、新発田の菊水や王紋との差は好みの差だ。だから、この村上牛、お茶、鮭を下越の三大美味と言いたい。その村上牛はどこが凄いか。村上牛は村上、岩船、胎内市で飼育された格付け等級A4、B4以上のもの。村上に行ったとき、「やま新」という肉店が老舗の雰囲気だったので入ってみた。そこではA5クラス、100g、3,000円もするレベルも売っている。これに匹敵するのは最高級の神戸牛くらいである。最近評判の仙台牛A5でもこんなにはしない。もちろんA5もピンキリだが。自分はA4レベルで我慢をして200gのステーキ用を切ってもらった。4,000円くらいだったが、とにかく、どんな味かを知りたかった。家に帰って、フライパンで焼いて頂いた。その、とろける舌触り、頭の底の部分をぐっと刺激するような牛肉の味にしびれた。村上の北では山形牛、庄内牛というのがあるが、それより美味い。さらに、自分は昔、四日市、桑名で仕事をしていたときに食べに行った柿安、松坂の和田金、牛銀のビーフを凌ぐのではないかと思った。その理由は松坂牛は確かに濃厚な味で、ずしんとしたしっかりした味だが、これを食べると、暫くは牛肉を食べる気がしなくなる。いつまでも余韻が残っている。村上牛は、数日経つとまた食べたくなるのだ。そえれだけ、脂が軽い感じで、室温でも油がとろけてくるー低温で柔らかくなるのである。もちろん見た目の美しさは松坂にひけを取らない。価格的にも
和田金はステーキ肉は100gで2200円だから、村上牛の最高級A5ははるかに高く、3,000円だ。ということは価格的にも日本一の牛肉なのではないか。一方、「庄内牛」は、現在、鶴岡市周辺の7農家と全農山形県本部1農場、計8農場で生産している。これもなかなか美味しく、価格100g1,500円ほどであり、お手頃価格なのは好感が持てる。しかし、食味、色、さしの美しさは村上の比ではない。格が違うという印象である。群馬牛というのも売っていたが、肉の色が全然違うし、味はそれといった印象がない。
話は戻るが、あの「やま新」のステーキ肉は塩胡椒で充分美味い。店では、他に、村上牛の入ったコロッケとかハンバーグ、串焼き、肉まんまで売っている。ところが、その評判はいまいちなのだ。これは村上牛にとっては残念なことだ。これらは調理の腕も関わるからである。実は村上牛は、料亭「能登新」でもいただいた。ついでにハンバーグも注文したが、その美味なること絶品、これはコックの腕の違いだ。しかも、1人前1,200円と超格安。是非村上にお出かけの際にご賞味ください。友人も感激して、生のハンバーグを発泡スチロールの箱に保冷材と一緒に東京までお土産に持って帰った。

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 瓢湖に行ったとき、頭上を飛んでいた白鳥をi-phone で撮ったもの。「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」。これは、中国唐代の詩人白楽天(772-846年)の長編叙事詩「長恨歌」の中の有名な一節で、安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗皇帝が最愛の楊貴妃に語ったと詠われているものである。そんな雰囲気の、飛翔に感動した。
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by katoujun2549 | 2013-01-18 16:03 | | Comments(0)
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編隊を組んで着水してくる
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 新潟県阿賀野市にある瓢湖は白鳥の飛来地で有名である。観光名所になっていて、五頭温泉あたりからは毎朝、白鳥ツアーバスが出ている。早朝、夜明けとともにえさ場に食料を求めて飛び立つ姿を見ようというのである。飛び立つときは水面を羽ばたきながら力強く飛び立つ姿が勇ましい。しかし、白鳥が帰巣のために夕方帰ってくる姿は自分はさらに美を感じる。自分の降り立つ位置を確かめるように、羽ばたかずに滑空し、水面に着陸する姿は優雅である。羽のみならず、水かきのある足や首など体全体を使って滑るように水面に向かって、時には編隊を崩すことなく着水する。朝の出立時は、水面から順次飛び立つので写真に撮りやすい。ところが、帰巣時はどこから飛んでくるか分からないし、夕方で太陽光が乏しく、また、天気が悪いと光線が不足して撮影できないときもある。
 
瓢湖に戻ってくる姿は優雅だ。羽ばたかずに滑空している。
何処からともなく飛来して水面の空いた所を狙ってくるe0195345_1147240.jpge0195345_11463045.jpg滑空する姿は実に優雅e0195345_11452193.jpge0195345_11443760.jpg白鳥の家族ー黒い羽根のあるのは子供の白鳥で、青年期
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by katoujun2549 | 2013-01-15 11:48 | | Comments(0)
 
練馬インター付近の状況
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長岡方面の関越高速自動車道路
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 今日の東京は10年ぶりの大雪に見舞われた。天気予報でも午前中から雪となっていた。ところが、雪の予報というのは全く当てにならないことが多い。雪が雨に変わったり、雪が雪をよぶ形で、予想外の大雪となることもある。今回は、その後者で、中野では9時30分頃から降り始め、凄いことになった。14日は中野から 新潟に帰る日で、お昼頃車で出るつもりだったが、予想を超えた積雪になりそうだったので、10時30分に中野を立った。首都高速が雪に弱いのは今回に始まったことではない。いつ高速が閉鎖になるか分からない。新潟から関越自動車道で上京するときは4時間かかった。結構なスピードで帰ってきたが、今度はそうはいかない。夜になる前に着きたい。関越に練馬インターで乗ることにしたが、そこに行くまで渋滞が始まっていた。何とか高速に乗れた。練馬からの入り口は後で閉鎖されたらしい。道路上の積雪が凄い。轍の跡に沿って雪が山盛りになっている。これを踏むとハンドルを取られそうになる。自分の愛車は当然寒冷地仕様でタイヤもスタッドレスだから何とか行けるが、周囲の練馬ナンバー、所沢ナンバーはどうだろう。横の車がスリップして飛んできたらどうしようと、心配しながら東京、埼玉を脱出した。

 高崎あたりから雨になったが、関越トンネルを越えるとやはり、豪雪地帯。ものすごい雪だ。しかし、ここまで来ると皆雪道には慣れた車ばかりとなる。周囲の車も長野ナンバー、長岡ナンバーだ。道路は除雪の跡があり、轍の跡と雪の堆積は路上に少ない。とにかく、この雪の土手が怖い。これを踏むとザーという音と共にハンドルが取られそうになるのだ。雪に乗った片方の車輪が空転するのだろうか、急に方向がぶれる。その時うっかりすると、横の雪の土手に飛び込んでしまう。これはスタッドレスでも、要注意である。一台身動きできなくなってドライバーが呆然と立っているのを横目にひたすら走る。新潟市内に入ると、雪は消えた。新発田に近づくと、又雪が降ってきた。新発田に着いたのは4時過ぎ、途中休憩は1時間した。何と今日は5時間半かかったことになる。テレビニュースでは東京はお昼頃に大混乱だったようだ。早めに出たのが正解。
 

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by katoujun2549 | 2013-01-14 23:52 | Comments(0)
 
 何故一番でなければならないのですか?二番ではいけないんでしょうか?これは蓮坊の愚問。二番を目指しては二番も取れないということがわからない。事の重大さもわきまえずに、一国の大統領にtrust me!、菅直人曰、「この国をダメにしたのは誰か?」すかさず聴衆が、「それはお前だ!」これは本当にあった話。そして、無罪とはいえ黒い男小澤一郎のドタバタ。

 民主党政権の3年間は一体何だったのか。日本の民主主義が二大政党制という水準には全く到達していなかった。寄せ集め野党、民主党にまともなことが出来る訳が無い。にもかかわらず、財務省官僚の傀儡、野田に消費税という重大な事が決められてしまった。日本維新の会と民主党内部の分裂に自民党は漁父の利を得た形であった。石原慎太郎の論調というのは、常に敵を作って自分の論理を正当化し、支持を得ようとすることである。これは維新の会の橋下も同じだ。日本国憲法を最悪と敵視、官僚は日本を滅ぼす、銀行といった産業界の頂点を攻撃するといった形で舌鋒はするどいが、大した政策遂行能力が無いことは民主党と同じ、一種のポピュリズム、マスコミを利用し、受け狙いの危険な政策を振り回すことである。今後の野党は民主党を中心には展開しない。あの泣き虫代表海江田がいくら泣いても無駄。歴史の歯車はギアが変わった。野党議員も、いずれは政権を取るだろうと思うから、議員はついて来るのである。敗軍の民主党について来る者はいない。さらに分裂し、政党としての形を取れなくなり、支持母体に対応した複数党に分裂するはず。野党は当面、勢いのある日本維新の会、みんなの党あたりを軸に展開して行くと思う。とにかく、今後の政治は国会の議論、さらには参議院選挙で決まる。

 では、自民党、公明党の体制は世界の動きに間違いなく対応、そして産業の再生を達成出来るだろうか。自分は悲観的である。日本という国は世界の情報を持っていない。一部の企業はそれなりに対応しているが、政府はそうではない。外務省の情報網、あるいはJETROはどうだろうか。そして、 政治家達の最大の狙いは何か。国際情勢分析や海外との折衝に自信のある政治家は少ないし、そのことを一番知っているのは彼等である。彼等が狙っているのはそんなものではない。それは憲法改正である。彼等は歴史に名を残す事が最大の願望である。その最も大きな仕事として憲法改正の立役者になる事であろう。狙いは憲法第九条の骨抜き、国防軍の創設。そのために、日本の防衛予算を捻出し、公共事業をてこにデフレ脱却、景気回復という悪魔のシナリオを描いている。これはまさにかつて、ヒットラーが行なった政策と同じである。ヒトラーがユダヤ人、共産党をターゲットに国民の関心を惹き付け、領土問題(、ズデーテン、ポーランド回廊、チェコ問題)を軍事手段で解決しようとしたことを思い出してもらいたい。歴史に学んでほしい。今度の政権の前に立ちふさがっている難問、領土問題、デフレ、原発ーエネルギー政策は避けて通れない。これらは国内政治に大きな影響を与える国際問題である。さらに消費税と少子高齢化問題、地域経済格差、教育の再生、大震災復興、といった課題は必ずや解決すべきことで、すべて国内で取り組む事である。これが出来なければ日本は終わりである。
 安倍、谷垣、麻生というボンクラ政治家、無能なリーダーに率いられた自公が日本に良い結果をもたらすことができるとはどうしても思えないのである。連中にデフレ解消、インフレターゲットの2%が守れるだろうか。彼等に共通しているのは、人柄の良さに対してリーダーシップの貧しさである。経験はあるが、学識(国際的レベルの語学力、世界観、経営力)が無い。おそらくは、国際情報を自分で一次情報として得る能力は殆ど無い。例えば、IMF総裁に直接電話をして金融情勢を自分で判断出来る人たちではない。これは多分韓国の朴 槿惠(パク・クンヘ)、北朝鮮の金正恩にも劣るだろう。
 とにかく、民主党が真っ当なことができなかった。経済界や官僚との連携をずたずたにして、自分達すら団結出来ないで、何が出来るか。反省しているうちに自壊するだろう。今回の新政権が、安倍のミックスという経済政策と経済諮問会議の再建、経済再生会議の設置を掲げたことは評価出来るが、やはり結果がどう出るかである。暗黒の民主党政権が崩壊したのは喜ばしい事で、それよりは3年前の体制の方がましだったということで、株価も上がった。マインドが上がるという事は経済にとっても良い事で、今回の成果はこれだけである。
2%のインフレ目標は達成される。日銀への恫喝と国土強靭化という名目で13兆円も公共投資が行われれば、一時的には景気は回復、さらに物価も上がる。国民が浮かれたところを狙って憲法改正。そこから始まる悪夢ーさらなるインフレ=悪性インフレを抑制できるのだろうか。今回、金融緩和と同時に、財政難にもかかわらす、公共投資を大規模に行うことだ。政府の構造改革もできていない。そんな中で、国の財政規律は守れるのだろうか。日銀を政府の言いなりにした後は責任を持って日銀の中立性を取り戻せるのだろうか。再び日銀が政府に手なずけられた財務官僚の定席にならないという保証はない。

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 映画 「ホビットの思いがけない冒険」を見た。映画の題名が残念。「ロード・オブ・ザ・リングー旅の仲間」の前章となるJ・R・R・トールキン著「ホビットの冒険」を映画化した3部作の第1部。これはロードオブザリングのフロドの父親、ビルボ・バギンスの物語だ。あのロードオブザリングの第一作目で、父親が指輪を持つに至った経緯が、この作品で明らかになった。これはまさに指輪物語ではないか。このホビットの思いがけない冒険という題名は何だか幼稚園生が見るような、おとぎ話としか思えない。今回は3D。魔法使いガンダルフ、あのゴラム「僕のいとおしいしと(my precioussss)」が出てくるではないか。あいつが指輪を落としちまう。

 3時間の超大作で、ほとんどロードオブザリングの導入部となっている。あの、ドワーフの王国が、ドラゴンの攻撃によって壊滅し、その生き残りが王国を再興しようと出た旅の道連れにバギンズが取り込まれてしまう。この物語、また、次作が作られる。相変わらずCGを駆使した超迫力映像がこれでもかと続く。第1作目と似た展開である。エルフの裂谷も、王女様も出てくる。ロードオブザリングファンに取っては待ちに待った作品なのだ。

 「ロード・オブ・ザ・リング」より60年前の中つ国(ミドル・アース)を舞台に、指輪の前所有者であるホビット族のビルボ・バギンズが繰り広げる冒険を描く。ドラゴンに支配されたエレボールのドワーフ王国の再建をかけ、旅へ出ることになったビルボは、戦士トーリン・オーケンシールドら13人のドワーフとともに、ゴブリン、オーク、危険が待ち受ける荒野を進む。やがて旅の途中でゴラムと出会ったビルボは、中つ国の運命と深く結びついた指輪を手に入れ……。若きビルボを演じるのは、英国の新鋭マーティン・フリーマン。ガンダルフ役のイアン・マッケラン、ゴラム役のアンディ・サーキスら「ロード・オブ・ザ・リング」でもおなじみのキャストが再登場。不死の種族エルフの王妃ガラドリエルとしてケイト・ブランシェットも出ている。あれから彼女は大女優に成長。監督も「ロード・オブ・ザ・リング」3部作のピーター・ジャクソンが務める。
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この『ホビットの冒険』が3部作として、2012年から2014年の公開に向けて製作中である。
『ホビット 思いがけない冒険』(2012年)
『ホビット スマウグの荒らし場』(2013年)
『ホビット ゆきて帰りし物語』(2014年)


ロードオブザリング登場人物Wikipediaより抜粋
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 年末封切りの「レ・ミゼラブル」を見ました。万代の映画館に車で行ったのですが、新潟では駐車券5時間有効のものをもらって安心して見ることができる。車社会です。帰りはすごい吹雪でした。
 あの大ヒットミュージカルを『英国王のスピーチ』を手がけた名匠トム・フーパー監督が映画化。フランス人ではない。そして、あの「悪魔のいけにえ」監督トビーフーパーじゃないよ。ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、アマンダ・セイフライドら豪華キャストが、演技だけでなく『夢やぶれて』『ワン・デイ・モア』など数々の名曲も披露する。フーパー監督のスピード感ある編集にも脱帽。オープニングのシーン、造船所で囚人たちが船を引き上げようとする群衆シーン、水に落ちたフランス国旗を描写、ジャンバルジャンがその国旗の柱を無双の力で持ち上げる姿がフランスにとってどんな意味があったのでしょうか。ナポレオン(三世)戦争後、プロイセンに負けて疲弊したフランスの再生を予感させる象徴でしょうか。そのイントロは素晴らしかった。映像の迫力と俳優たちの熱演で、何度も映画化されたこの作品を、新しい気持ちで楽しむことが出来ました。凄いと思ったのは、劇中のミュージカル部分ー歌を歌っているのがその出演俳優で、胸の底から叫ぶような歌声が、ただ美しいというのではなく、演技と一体になっている点です。これまでのミュージカル映画は、歌をふき替えていたのが、今回は俳優がその演技の中で歌っている。ラッセルクローが、パリの下水橋の上で最後に歌い飛び込むシーンは圧巻。19世紀のパリにはまだ城壁が残っていたことなど、時代考証も素晴らしい。ラッセルクロウのシャベール警部が熱演でしたし、ミュージカルという音楽的にも素晴らしい内容が、全体のトーンを美しい作品に仕上げています。厳しい時代、惨めな産業革命時の荒廃した庶民生活の描写は目を背けたくなるほどです。しかし、パリコンミューンが人権や平等、権力者の暴政から新しい時代を切り開いた歴史を知らしめてくれる。あのパリコンミューンの失敗が、大衆とは離れた一部のインテリの一揆行動ではなく、プロレタリアートによる政権樹立の萌芽となった。マルクスもエンゲルスもこの1871年のプロレタリアート政権の誕生を賛美した。そして軍事力が乏しかったことが、敗北の原因だったことは、レーニンが批判し、さらにはロシア革命の成功への教訓となった。

後日談だがこの映画は1月末で341万人を動員オペラ座の怪人を超えて41億円を売り上げた。ミュージカル映画の新記録となった。

 この映画の最後は、そのパリコンミューンの凱歌でで終わっています。なぜ、あの失敗した蜂起がそれほど讃えられるのでしょうか。チャールズディケンスのオリバーツゥイストも19世紀にはびこる貧困と児童虐待の実態を暴いています。人権や福祉といった概念が無かったイギリスやフランスではあのようなひどいことが行われていた。ビクトルユーゴはキリスト教の「罪」や「赦し」「愛」とは何かというテーマを利用して、当時の社会の腐敗、不合理を訴えたのです。これはディケンスと同じです。世界中の労働運動や解放闘争で歌い継がれることになる「インターナショナル」はパリ・コミューンの歴史的勝利と敗北のなかで誕生した。労働者の自由、平等、福祉はこの戦いから生まれたと言っても良いでしょう。
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ランポンノー通りのバリケードが陥落した二日後の5月30日、マルクスはインターナショナル総評議会において『フランスの内乱』を読み上げた。

「それは、起死回生を狙ったルイ・ボナパルトの対プロイセン戦争の敗北が引き起こしたフランス・パリ民衆の蜂起の力によって成立した第三共和制を簒奪したフランス共和派やボナパルト派の売国的立ち振る舞いや動揺を批判する一方で、史上初のプロレタリア独裁、短期間とはいえ樹立したパリ・プロレタリアートの偉業をたたえ、その敗北に対してヨーロッパ全土の封建派とブルジョア派から投げつけられた悪罵に対してパリ・コミューンの歴史的意義を断固と防衛したものであった。」

一方、ドイツではビスマルクによる社会政策が整備され、さらにはベルリンにはユダヤ人が多く集まり、自由な都市生活が建設されつつありました。フランスは独仏戦争でドイツとの戦いに敗れてしまいます。その敗北に関してはこの映画では語られていません。フランスがドイツに敗北し、もっとも惨めだった時代のことをユーゴはレミゼラブルとして描いたのです。




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 1月に入るとセンター試験が行われるから、高校生、受験生は今必死である。日本の教育において客観的な学力判定は各大学の入試とこのセンター試験だけだ。大学生の学力を全国レベルで判定する試験は存在しない。大学生が就職試験時に測られる学力はSPIという択一式の高校生までの学力と読力、計算力のスピードを測定するテストだけで、後は面接で学生の社会性、意欲、対人能力を順位づけされて選考される。キャリア形成はそうした学生の適性、希望を早くから方向付けることが私立大学のサポート業務になっている。だから、センター試験が重要な選抜機能である事を否定する事は出来ない。しかし、近年、AOや推薦という制度でセンター試験をすり抜けた学生も大学生になる。

 大学の実力はその教育システムの善し悪しではなく、いかに偏差値の高い学生が集まっているかである。情けない話である。そこに、世間の関心は集まり、その意味で評価の高い国公立大学と、東京、大阪の大都市にある私立大学に集中する。この偏差値は確かに高校教育の結果を一面的には示している。高校教師の評価にもつながるのだろう。ところが、トップ校に入るのには家庭での学習や予備校、塾、家庭教師などのサブシステムが絶対的に必要で、高校教師の実力ではないのである。さらにおかしいのは、東大や京大、一橋といった高偏差値校には特定の高校が大量に入学する。これらは旧国立大学で、国民の税金で作られた学校である。国民の一部の恵まれた環境の学生が著しく有利になるような学校から独占的に入学者を受け入れるような仕組みは不公平と誰も思わない。それどころか、大学入学ランキングが週刊誌で特集され、偏差値教育だけの評価が社会的正義であるかのごとく公表される。本来、ジャーナリズムは、そうした偏差値の化け物のような学生が、社会に出てどんな活躍をしているのか、また、低偏差値でも頑張っている大学や、卒業後の苦労、さらには成功例などを研究すべきではないのか。少なくとも上位20%を除いた80%の大卒によって日本の産業界は維持されているのではないのだろうか。さらに、高校教師は世評を気にして、教育の目的がそうした指標で事足りて、自分たちの評価であるかのような錯覚を持っていることがどれだけ、日本の高等教育の障害になっているか。高校教師は、大学でどんな勉強が行われ、教育力の有る学校がどこであるかという情報をあまり持っていない。教え子たちが大学でどんな成績なのか知らないだろう。さらにキャリア形成に関する関心も意欲も無い。そんな実態と乖離した教育観、教育政策を取っているのは日本だけではないか。教育の意味をよく理解して、受験と学校選択に親身の助言ができる教師はおそらく異分子として学校では嫌われてしまうだろう。特に、あの先生は受験に熱心で、偏差値の高い生徒を送り込む名伯楽といった職人のような教師が高校でははばを効かせているに違いない。
 教育の公平性というのはなかなか判定が難しく、アメリカでは特に人種問題が絡むだけに、その扱いは慎重である。高校教師はそこにも配慮しなければならない。我が国の高等教育が常に良い結果を出せないのは、そうした公平性とか、定員オーバーで学生を入学させ、マスプロ教育で経営効率を上げている大学を見過ごし、地域や少数の、真剣に教育に取り組んでいる学校を見ない高校教師、マスコミ、父兄の無理解が原因である。偏差値に踊らされて、東京の大学に子供を送ろうとしている父兄の皆様、目を覚ましなさい。東京の国立大学は東大と一橋、お茶の水に東京外語大、東京農工大、電通大だけでしょう、全部合わせても1万人はいない。早稲田の一学年の方が多いでしょう。その他の私立に皆行くしか無い。そしてその私立に子供を入れている皆さんは、東大や一橋の生徒を養うために税金と、自分の子供の授業料の両方を負担しているんですよ。不公平とは思いませんか。これ全て偏差値でできあがった仕組みなんです。優秀な友達がいるからといって自分の子供が同じように勉強しているとは限りません。高偏差値大学でも勉強しない学生は沢山いる。そうした連中も入社試験では結構要領よく一流会社に入っていく。しかし、学暦は立派でも、仕事で本当に会社に貢献しているのでしょうか。新しいアイデアを出して会社を成長させているかどうか。中には、自分はそんな事で自分を売る必要は無い。勉強ができるし学歴も立派だから何もそんなに努力しなくても、人並みにこなせばいいと思っている。あるいは、人の批判ばかりして足を引っ張るタイプもいます。そんな連中ばかりが集まって日本の経済界が出来ているとすると、多様な人材を認めながら目的を達成する国際性ということにも疑問が生じます。何が国際性か、英語力だけが能力ではないのです。だめなのは、偏差値社会で勝手にヒエラルキーを作ろうとする日本の社会構造にあるのです。

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ささやかなおせち料理をつくり、
今日はお昼ごろ起き、雑煮と日本酒で一杯、お餅もいただきました。東京での正月は、昨年のことを思い出すので、帰るのはやめて、新発田で過ごすことにしました。
瓢湖の白鳥を見に行きました。[#IMAGE|e0195345_1010387.jpg|201301/14/45/|mid|640|480#新発田のアパートで揃えたおせち。炒り鳥は自家製
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年末の政権交代は、経済に取って良い事のように思えますが、楽観はできません。実際は新しい閣僚が決まった他は何も変わっていないのですから。お金は余っているのに、企業の投資意欲が減退している。これを活性化するには地方の産業育成、少子化対策、技術革新への投資、高等教育の支援という大きな課題をクリアしなければなりません。悪性の糖尿病が手術で治らないのと同じです。もちろん、腐ったり、害をなす部分は切除しなければ場ならないのだが、我が国の場合、それは頭とか、手術できないところだから困るのです。デフレ脱却の具体策は金融政策だけでは無理です。自民党は日銀の独立性を責め立て、紙幣の増刷とか、金融緩和を強引に進めようとしています。我が国の少子高齢化、地方との格差など、社会の公平性が放置されて、金融政策が独走すると、悪性インフレがその先に待っている。日本が2%とか、インフレ目標をコントロールできるかどうか、容易な事ではないでしょう。
そんな微妙なコントロールが出来る国なら、こんなことにはなっていない。アメリカとは違いシステムの効かない国なのですから。先進諸国が今、未知の領域に入っており、何が起きるかわからない。
戦争とか天変地変が諸外国で起きたときに全てがひっくり返ってしまう。領土問題は先は北方領土から解決すべきです。二島返還で解決し、ロシアとの国交と経済交流が打開の道でしょう。イルクーツク宣言を確認すればいい。韓国と中国はパス。竹島や尖閣はあまりにも難問で石原などのやり口は危険すぎます。石原は過激なことを言って自分の息子を総理大臣にしたいだけの男です。自民党がやりたい放題をするリスクがあります。そもそも、日本というのはブレーキの利きが悪い社会構造を持っている。中央銀行の独立性を干渉する真の狙いは、軍事力の強化であると見ている。デフレ脱却を大義名分に、活路を軍事予算の拡充とその投資による経済改善を狙っている。このことは、過去の歴史、ヒトラーがドイツで行った事です。ヒトラーはシャハトを更迭し、ゲーリングを財務大臣とした。その結果、坂道を転がるようにドイツは軍事国家の道を直進した。小生のブログをご高覧ください。
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民主党政権は、何をするにしても、政権内部の足並みが揃わず、かつての政権交代を超える指導理念が無かったことが致命的です。原発一つとっても、エネルギー政策の前に原発賛成反対だけがマスコミを賑わせるのです。とにかく日本のマスコミは変です。そして民主党はマスコミのおかげで政権交代できたわけですから、その実力は推して知るべし。維新の会は地方自治を強化する方向でよい方向を目指しているように見えますが、問題は歴史認識とか、国際感覚が乏しいまま国政をかき混ぜる恐れがあるのです。橋本の政治手法は右傾ポピュリズムで、民主党と同じ。政治の貧困に対し、企業は懸命に生き延びようと努力している。自分のいる地方大学、医療界、サービス業など、皆まじめに苦境から脱しようと喘いでいます。とにかく、地方経済がデフレの影響でパッとせず。収入が伸びないため、地方私立大学に子弟を送る親たちは苦しんでいます。政治家の体たらく(田中眞紀子の大学認可騒動)官僚の傲慢さに比べ、国民は立派です。しかし、いつも損をするのが国民でもある。

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by katoujun2549 | 2013-01-02 17:17 | Comments(0)