<   2012年 10月 ( 8 )   > この月の画像一覧

 団塊の世代にとって、アメリカは輝いていた。ベトナム戦争で疲弊してはいたが、ビジネスは世界を制し、日本の目標だった。だから、大学を出てもその先、アメリカの有名校のビジネススクールに行くと世界が開けるという希望もあった。ところが、今や、スタンフォード大学にいる日本人は3人になったそうである。一方、中国人と韓国人は大挙してアメリカに留学している。日本人の国際感覚をもった、自立性、自律性ある人材、イノベ―テイブな能力のある、起業できる人材がいないというのだ。大所高所からそうのような御要望が出るのは仕方がない。日本の生きる道は世界に雄飛するしかない。世界を相手に出来るビジネスマン、世界で売れるユニクロのな商品か。なんせ日本は島国。英語を使わずとも生活できる。出来る事なら日本にいて暮らしたいと思うほど、居心地の良い国なのだ。それに引き換え、韓国はいつ北朝鮮に侵攻されるかわからないし、兵役もある。韓国の受験地獄は日本の比ではない。ソウル大学名の名門校に落ちた連中はアメリカの大学で再起を図るのである。中国では、ものすごい格差社会になって、豊かさを得るためには留学が最も有効だし、国内には国営大学しかないので、かなり画一的な教育がおこなわれる。国内の教育環境の悪さが両国ともアメリカへの留学生を増やしている。

 一方,企業としてみると、国際人材は何も日本人でなくともよい。むしろ、中国に行けば、中国人の親日派、彼らに日本語教育を施して取り込めばいいと思っている。何も、アメリカに留学して高給を要求する日本人の「国際人」を雇う必要はない。だから、大企業でもアメリカの名門校に若い社員を留学させる制度を持つところがあるが、彼らが帰ってきてその知識を活用する場がない場合も多い。30歳前後で留学して2年でMBAをとって、経営者並みの仕事が出来るほど、日本の市場は甘くない。日本の社会経済構造上の問題をMBAだからといって乗り越えられるわけではない。彼らが経営者になるためにはあと10年は地道な修業が必要である。これに耐えられない人は、結局その会社を飛び出していく。一部の成功者、楽天の三木谷氏のような自律性ある経営を出来る人はやはり少ない。結局、外資系企業などを渡り歩く。その学歴が評価される間であるが。日本が国際社会で生き残るためには、英語の能力はもっと向上させなければだめであることは当然である。ネイティブから学習する機会がもっとあってよい。短期留学でもかなり違うだろう。

 日本人がアメリカの大学に留学するには年間700万円はかかる。企業ならざっと年間一人1000万円である。これだけの出費に耐えられる家庭は少ない。また、企業も、業績の点で経費を割けなくなってきた。このことが原因であることがなぜわからないのだろう。実際、日本人で、アメリカのコミュニティカレッジとか、高校卒業後、何とかアメリカの大学に留学する人は、有名校でなければ結構いるのではないだろうか。かつては、政府の給費留学生とか、企業派遣の優雅な留学が行われ、留学生の質も、国公立、早慶などの有名校出身が多かったが、今は、結構草の根的にかなりの人たちが行っている。
文部科学省の言う国際的な人材とは一体何だろうか、これも意味が分からない。ノーベル賞を取るような科学者は昔から国際的な人だ。そした優秀な研究者は結構アメリカだけではなく、世界に留学の機会がある。要は、経営とか、創業などで企業業績を飛躍させるような人材ということだ。アップルのスティーブジョブズが引き合いに出されるが、彼は日本語なんぞ全くできないが、NTTやSONYの幹部と知り合いで、日本の携帯を見て、iPadを発明したという。マイクロソフトだってビルゲイツは日本語が出来ない。しかし、彼らは日本の市場をとらえ、世界有数の経営者でもある。
 イノベ―ティブな人材というのは留学で得られるものではない。教育で何処まで可能かも疑問だ。アメリカがそれほど独創的な国とも思えない。彼らは移民としてきた人を自由に学ばせ、ビジネスに取り込む仕組みが優れているのであって、その後は使い捨てにする。アインシュタインも彼の業績のほとんどはドイツで作られた。エジソンもフォードも企業化の天才であるが、発明家という点ではおヨーロッパにもご万といた。むしろ独創性はヨーロッパや中国が優れている。
ミュージカルひとつとっても、あれは殆どイギリスの作品(ロイドウェーバーのものばかり)で、アメリカ独自のものはむしろ少ない。自動車や航空機だってドイツ、フランスでも作られていた。工業化に成功した点を評価すべきだろうが、そうした名経営者も移民で母国の文化、特にユダヤの文化基盤に負うところが多い。アメリカ的なものとは一体何だろうか。独創性は生まれてから成人するまでの生長過程の中で育まれるのであって、学校で培われるだけではない。ハーバードやプリンストンでイノベーティブな結果を出すのは、ほとんどが科学系であろう。それはアメリカが国家を上げて世界中かラ人材を集めてその成果をかりとっているからで、アメリカ独自のものがどれだけあったのだろうか、そこから検証すべきだ。実は、たいしたことがないという説もある。アメリカが優れているのは、殺人、軍事技術だけである。

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 今、地方私立大学の40%が定員割れである。このことを、大学のせいにするのは簡単だ。大学は自らを魅力ある学校になるように改革し、学生を引きつければ、その問題は乗り越えられるはずだ。というのが、権力者の考えである。彼らは国公立大学を頂点とする優秀大学と、そのひな形のような私立大学でこの日本の高等教育を支えていけると思っているのだろうか。ダメな大学は統廃合というのは簡単だが、そこには多くの若者が夢を持って勉強していることを忘れてもらっては困る。企業のリストラとはそこが違うのである。しかし、今、こうした大学の教職員は、必死の努力をしている。当事者はとにかく、行政や学生のせいにすることをする暇もない。教職員は新入生の入学前教育からはじまり、5月に入るとオープンキャンパス、高校訪問、そして学生のキャリア教育と就活指導などに追われる。高校と違い、大学は地域貢献や、カリキュラム改革、授業の評価など多くの仕事が要求される。夏にはインターンシップ、その中で教育と研究をこなさなければならない。ほんの10年ほど前と今とでは様変わりである。

 少子化の今日、全国の高校は、希望校にlこだわらなければ、ほぼ全入である。このことを見越した国は、大学設置基準と認可の条件を緩和し、全国に新設大学が立て続けに設立された。平成10年以降180校も作られ、現在780校もある。新設校は1学年200人から300人の小規模校が多い。そして、定員に満たない学校はここに集中している。1学年600人以下の学校は全体の65%である。そして、残りの35%の大型校に学生が集中し始め、学力的に中位以上の学生はこの35%に集まる傾向である。これらは東京などの首都圏に集中している。今なお地方の若者は東京大阪に流出しているが、こうした東京の定員を超えた大学は、むしろ、定員を超えて学生を集め、学校経営の命である授業料などの収入を多く集めることができる。要するに、地方の学校は若者の流出と学生の質の低下、そして財務内容の悪化という三重苦の中で不利な戦いを強いられている。これを大学側の努力不足をあげつらって非難されてはかなわない。地方経済の衰退、都市の魅力の低下の中で、大学は若者の高等教育をきちんと受けさせて、就職などで社会に送り出すために懸命に学生を教育している。ところが、実は大学の先生は企業で必要なスキルを必ずしも身につけているわけではない。彼らは研究者であり、自分の専門分野の知識を切り売りしつつ、学生の教育を学力という点で後押ししているのである。中には全く金銭感覚のない人や、時間に無とん着だったり、挨拶の苦手な人もいる。そうした中で教職員の奮戦が続けられているのである。

地方私立大学の苦悩は、その都市経済の衰退と関連しているのに、地元の企業をはじめ、マスコミも大学という権威も教育内容も無視して、経営的な観点だけで勝手に大学をランクづけたり、差別的な「あほ馬鹿大学」とか言って批判するが、自分の会社だって明日はどうだかわからないのだ。就職先になる企業の経営者は、50歳以上だから、殆どが、昔の大学のイメージにとらわれている。大学進学率が20%だった40年前の学校である。もっとも戦前の大学生は同世代の10%にも満たなかった。比率だけで言えばエリートである。もっとも彼らがエリートとしての教育をどこまで身につけていたかは疑問で、その中でも旧帝大とか、一部の国公立大学と私立大学とは大きな差があった。では、そうした弱小大学は統廃合して規模の利益を得るようにすべきだろうか。世界の流れから見ると、これは全く時代に逆行した動きなのだ。大学進学率はOECD諸国のみならず、かんこくにも負けている。そして、高等教育に対する財政支出も最低である。GDP比ではOECD諸国の半分、韓国の0.6に対して、日本は0.5とこの点でも負けている。
 
 要するに、国は大学を作りっぱなしで後の仕組みを作っていない。この20年間増加の一方であった高等教育ニーズに「民活」とばかりに私立学校を増やしたあげく、放置しているのだろうか。文部科学省は、大学の評価と指導に熱心である。今年の私立大学補助金は3500億円で、全体の文科省予算5兆円の中では10%にも満たない。そして、大学の研究に対する科研費は東大が80%を握っている。
今や、わが国の高等教育は大きな曲がり角にきている。戦後、昭和40年代に、大学紛争があった。ベトナム戦争反戦運動、沖縄変換、そして成田空港闘争など、昭和40年代前半の大学は大きく揺れ、荒れた。学生運動は過激化し、赤軍事件、三菱重工爆破事件に見られる過激なテロも行われ、社会の批判も厳しく受け、大学における政治活動は沈滞する。当時の大学は旧態依然とした、大学での教育プログラム、保守的な教授陣、学校経営の不透明感などがやり玉にあげられた。戦前の一部エリートのものだった大学は大衆化し、マスプロ教育と言われ、だいがくきょういくに夢を抱いた学生に失望感をもたらした。その結果の学生一揆の様相を呈していた。あれから40年、時代は大きな変化を大学にもたらした。少子高齢化という社会変化はかつての団塊の世代に代表される、人口増と高学歴化による変化から、少子化と更なる高学歴化というこれまで体験したことのない現実に直面することになった。

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文部科学省は私立大学を何と思っているのか。やっと国立大学中心の大学観から脱皮して来たのだろうか。それなら有り難いのだが。
 10月4日 日本私立大学連盟主催 「国の補助金に関する協議会」に出席した。文部科学省の担当官から概算請求に関する説明があった。概算請求というのはあくまでも請求であって、後で民主党政権の仕分けなどでカットされる分が出て来る。しかし、今日、彼等の作った論理的に構築された請求を切り崩すだけの知識や現場の事を分っている人が少ない。だから、近年国家予算が抑えられない。省庁からの概算請求は常に膨張した形で出て来る。この予算の目玉は大学改革総合支援事業だ。200億円。文部科学省予算は5兆円。たったの0.5%、随分安い改革費ではないか。

「加速度的に知識基盤社会化する世界にあって、高等教育の8割を担う私立大学の「分厚い中間層」を支える土台として、そして、私学助成はこれを支える基盤的経費として相応しい効果を上げる必要があり、多様な特色の発揮と質的充実向けた支援、及びメリハリある配分を強化」というお題目で私立大学等改革総合支援事業が企画されているんだそうだ。説明会に行って文部官僚の説明を聞いた。

支援する改革取り組みの例として、教育の質を向上させる為に、教学システムの改革ー(FDの実質化、IR機能の整備、ナンバリング)、ポートフォリオによる支援、アクティブラーニング、高大連携や初年時教育による学力保証、図書館の24時間土日開館、優秀な学生への授業料免除、学内ワークスタディの充実といった内容である。これはまさに自分の学校でチャレンジはしているがなかなか効果が上がらない内容。来年からスタートするユニバーサルパスポートなんぞは補助を受けられるんだろうね。

地域の発展を重層的に支える大学づくりー街づくり、地域との共同研究、地域課題解決の為の教育プログラム、地域の文化スポーツ振興策との連携などによるとしているが、これも、本学が頑張っている。産業界とのミスマッチ解消、世界で活躍する人材育成のために、PBL・長期インターンシップ、企業との教育プログラムの共同策定、産業界との連携、海外派遣学生への奨学金、途上国の課題解決の為のプログラムなどと整理している。これらを「建学の精神・特色を生かした機能分化」として「大学教育質転換型」として250校、「地域特色型」150大学、「多様な連携型」100校を分類し、補助して頂けるという有り難い内容。何だか、これらは全て、我が敬和学園の為に用意されているようなものではないか。素晴しい。

 我々の関係する私学助成関係予算は全体で4,921億円で、403億円の増、8.9%増加の請求である。このうち、一般会計が4480億円。私立大学経常費補助が3,345億円である。一般補助(2,875億円)と特別補助、そして大震災被災地向け復興特別会計からなっているが、その内容の詳細はあまり説明が無く、大学改革実行プランに関する支援事業に関わる200億円の内容が説明された。この200億円は取り組み方から角度を変え、教育研究活性化や大学のガバナンス強化を通じて、大学教育の質的転換、地域の発展への寄与、産業界との連携につながる教育研究、大学改革の基盤充実を推進する内容への支援を目的とすることを強調したものであった。

といっても抽象的な整理であり、各大学のいかなる事例が支援を受けるものであるかに関しては何も情報は無くお題目ばかりである。この内訳として施設、装置30億円、設備費45億円、大学等経常費125億円となっている。大学改革実行プランというのは大学教育を質的に転換するという試みの事だが、そんな事が一体どうやったら出来るのだろうか。1年間でカリキュラムなどを改革して、頭の悪い学生を秀才にするプログラムということか。国際的な活躍をする人材を大学で育成しろだと?無理言っちゃいけない。大学の先生はビジネスのプロではない。そりゃ、かなりの人が海外の大学に留学している、しかし、その効果がどうだったのか、ビジネスに応用出来る分野なのか、全く不明な人が多い。自分の出来ない事は教えられません—ン。

特色を発揮して地域の発展を重層的に支える大学づくり。これは一体何なのだろうか。シャッター通りのうらぶれた商店街を蘇らせる企画か。それは大学のどのような学科であればできるのだろうか。商学部だろうか。大学は万能パワーの持ち主じゃないよ。何十年も商売やってた人がお手上げの商売を世の中を知らない学生や、大学の先生が出来てしまったら、商店主は首でも吊ってしまえ。シニア学生の育成?
私立学校に高い学資を中高年に出させて道楽のような勉強をさせたいのだろうか。多様な連携というのは企業や海外大学、大学間の連携ということだろうが、費用に対してどの程度支援があるのか、とにかく全く内容は分らない。4,921億円の私学助成予算のうち4%ほどの内容が説明されたのであるが、とにかく官僚の説明というのは分ったようで分らない。こうした予算の執行において、どんな企画に、いつまで、どこを窓口に相談すべきかが分らないと何も出来ない。それは大学で考えて下さいということ。政府予算というのは、実際分らないようにしか説明されないのだろう。これらの予算は前年度の実績と、何らかの陳情や関係各部署の申告に基づいて構成されているのであろうが、こうした予算を理解し、請求、執行に至るプロセスを具体的に実行出来る人は余程の経験者、時には、天下りの元官僚である。だから、補助金を積極的に得ようと思うと、文部省系のOBを事務長として受け入れるのである。

9月20日深夜、京都市左京区の路上で、同志社女子大学職員・荒川孝二さん(36)が刺殺された事件は、同じ同志社女子大学職員の天野祐一容疑者(59)が殺人容疑で逮捕されるという形になり、事件は解決した。彼は女子職員をストーカー行為で追い回し、その女子職員から相談を受けて注意した職員を刺殺するという、驚くべき行為であったが、その犯人のプロフィルを見てびっくり。天野祐一容疑者は、以前、文部省からヘッドハンティングされた同志社女子大学幹部職員。天野祐一容疑者は1981年、文部省採用のノンキャリア。文部省学校法人調査課課長補佐、大学入試センター事業部長、山形大学総務部長を歴任し、高等教育行政に精通。8年前から同志社女子大学に勤務し、企画部主幹、企画室長、入学センター次長を経て、2010年5月から教育・研究推進センター次長に就任し、研究費管理や学生アンケートの分析などを担当していた

なるほど、この何だか分らない文部省予算を獲得する為にはこうした人材
が必要で、自分のような門外漢がこの表や説明を受けてごそごそ動けるような内容ではないのである。


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 美女列伝
テレビなどでおなじみの女優達。最近老化のせいか、名前を忘れてしまう。そこで、WIKIPEDIAなどで
情報をいただき自分の感想も入れて整理しておこう。自分のお気に入りの女優である。

(榮倉奈々)
ジイジ~孫といた夏(2004年)がデビュー作だが
NHK朝の連続テレビ小説「瞳」(2008年3月 - 9月、NHK総合)一本木瞳 役でジャンプした。つまらないドラマであったが、明るいキャラで共感を呼んだのが救い。彼女が番組を支えた。夏うたドラマSP 幸せの贈り物泣かないと決めた日。蜜の味~A Taste Of Honey~(2011年10月 - 12月、フジテレビ)森本直子 役 ※菅野美穂とW主演アントキノイノチ~プロローグ~天国への引越し屋(2011年11月5日、TBS)久保田ゆき 役黒の女教師(2012年TBS)など役に恵まれてきた。最近はサントリービールのCM、それでいいのだ!で異彩を放っている。まるちゃんーきつねうどんのCMも明るい雰囲気で良い。

(上戸 彩)
CMクイーンである。ソフトバンクモバイルの常連で、色犬のお父さん、樋口可南子と共に存在感を示すとは大女優の片鱗もある。しかし、あと10年経ってどんな役がつくか、演じられるかが問題。今後の勉強次第である。もともと賢い人だが、勉強という地道な努力をどこまでするかであろう。
結婚が引退の花道になるとするとあまりにも惜しい。どうも、東中野の氷川神社の裏に住んでいるらしい。


(剛力彩芽)
幼い頃から目立つのが好きで、小学生になると「モデルになりたい」と両親に相談し、4年生の時に芸能事務所に入った。2002年の第8回全日本国民的美少女コンテストのオーディションにも参加していたが、2次選考で落選したという。
2008年2月から、ファッション雑誌『Seventeen』の専属モデルとして活動。2011年1月、フジテレビの月9ドラマ『大切なことはすべて君が教えてくれた』で月9ドラマに出演。同年7月にはテレビ東京の『IS~男でも女でもない性~』でテレビドラマ初主演[6]。『ミスタードーナツ』、『積水ハウス』、『ランチパック(山崎製パン)』、『au』など立て続けにCMに出演し、注目を集める。昨年から急速に伸びた成長株。クリーンな感じを当面どこまで貫けるかだ。

(貫地谷 しほり)—かんじや しほり、1985年生
本名同じ。東京都荒川区出身。アジア・ビジネス・パートナーズ所属。大妻女子大学文学部中退。東京都荒川区出身。風林火山では短いながら野性味ある役柄で迫力のある演技を見せた。売り込んでいる雰囲気がドラマの味わいを無くしたが、そんなことはお構いなしで存在感を示したところは立派。一時、駐車場に置いたワンボックスカーに寝泊まりしていたらしい。変な女という印象もあったが、今や売れっ子である。

(水沢あさみ)
茨城出身だが堀越学園卒業。自分の住んでいる中野の家は堀越の裏手にある。ということは水川あさみが家の側を通って学校に行っていた。無表情な演技だと整った顔立ち。エネオスのCMでゴリラと迷演技。でも、その真直ぐな性格、正直な感じが共感を呼んでいる。顔の形が非常に美系だと思うが、それを感じさせない朗らかな雰囲気が良い。NHKの番組にもよく出ている。育った家庭の良さも感じさせる。元気なよい奥さんになりそう。今は亡き家内がファンだった。遺産のつもりでこれからも応援したい。

(綾瀬はるか)
蓼丸綾というのが本名だそうだ。おっぱいバレーというビクッとするような題名の映画に主演。美人女優だが、マシュマロのような肌の持ち主に見える。ただの美肌ではなく、いかにもふんわり。

(菅野美穂)
大女優の雰囲気 昔、ちゅらさんで作家役をやっていた。曲げられない女 頑固で一徹な女の役がぴったり。何とヌード写真も撮っている。のびのびした自然児のようだが、頭の回転が良さそう。いつも明るい笑顔で、何を言われても泰然自若とした感じが大物の雰囲気。本当に曲げられない女なのだろう。どんな相手と結婚するのだろうか。彼女のパワーをコントロール出来る男性はいないと思う。

(篠原涼子)
結婚後夫の後押しも合って良い役をもらい、しかも立派にこなしている。出産後も輝きを失わない。地力があるのだろうか。元アイドルからの脱皮に成功した大した人物に成長した。年上の年齢差のある夫との結婚生活がどこまで上手くいくかだ。今後の成長が期待される。

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 今年の夏は暑い日が続いたが、10月も半ばになろうとしている今日この頃、やっと涼しくなって来た。新潟に来て4ヶ月になろうとしている。雪国だから涼しいと思いきや、何とも暑い。自分の住む新発田は下越で山形に近い。これまで日本の最高気温は、1933年山形市で記録した40.8℃であったが、2007年8月16日に埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で40.9℃を観測し、74年ぶりに国内最高気温が更新された。山形市は盆地でフェーン現象もある。新発田は海に近いから山形ほどではない。冬は雪と暗雲に悩まされる日々という。救いは6月のサクランボ、佐藤錦に始まり、夏は西瓜、枝豆、茄子に桃、豊富な魚、と日本酒である。新潟の夏は美味しい。この地に来ていつも、夕日の美しさに感激する。太平洋側には西の海に沈む夕日を見ることの出来る場所は無いのではないか。長崎や九州の西側まで行かなければ見えない。 ここでは海岸に行けば晴れている限り毎日見ることができる。そして、稲穂の揺れる大地に沈む夕日は圧巻、大陸的だ。

第二師団歩兵16連隊の兵舎
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「ここはお国を何百里、離れて遠おき満州の赤い夕日に照らされて、友は野末の石の下。」昔の軍歌だが、この歌を思わせるような見事な夕日。新発田には自衛隊の基地がある。終戦時まで精強で知られた第二師団16連隊が駐屯し、戦後、新発田城の敷地内に今なお軍事施設として残っている。この連隊は日清日露に始まり、ノモンハン、中国戦線、ガダルカナル島、インパールに至る日本の戦いを経験した。部隊の犠牲者は延べ6000人を超えている。連隊の人員が2000人とすれば3回ほど全滅した勘定で大変な犠牲であった。新発田の夕日を多くの兵士が故郷から遠く離れて心に思い描いたに違いない。

白新線佐々木駅からの夕日
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神に仕え、人に奉仕し、地域に貢献する人材育成という使命を建学の理念としているこの学校にきたのは初夏、それがもう秋になってしまった。下越の秋は一気に始まる。夕方に会議室で打ち合わせをしていると、外からキャホー、ヒュルルルという耳慣れない声が聞こえた。白鳥が渡って来たのだ。毎日のようにV字型の編隊を組んで、何十羽も海側からやってくる。瓢湖という大きな池が新発田市から車で30分程のところにあり、冬には6000羽ほどになる。白鳥の声は悲しげな響きであるが、長い旅の末に目的地にたどり着いた歓喜の声に違いない。干潟は他にもあるのだが、何千キロも遠いシベリアからあの小さな池の位置をどうして見つけられるのか、全く不思議である。

瓢湖の白鳥(阿賀野市のHPより)
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新潟県というのは19世紀の末までは日本で一番人口の多い県だった事を当地に来て知った。20世紀に入り、東京と大阪が新潟県から人間を吸収したかのように逆転した。そのせいか、新潟の教会の歴史は古く、東中通り教会は1875年に生まれている。新発田や村上、長岡も城下町である。浄土真宗のお寺が多い。伝道には苦労が耐えないが、ここの教会員の団結は硬い。23年前、この学園は新潟県の日本基督教団系の教会や信徒が寄付を募り、新発田市と聖籠町が土地を提供してくれたお陰で、設立された。文部省の許可を得るのに大変な苦労があったという。ところが、21世紀に入り、小泉政権の規制緩和策で大学の設立が容易になった。新潟は高等教育後進県で、今でも大学進学率は45%、全国で下から13番目である。そこで県は何とかしようと、その後雨後のタケノコのように私立、県立大学の設立を促進した。結果的に、半分の大学が定員割れとなった。国の助成は、地域格差とか、規模の格差には冷たい。
学生の集まらないような学校は無意味だから統合してしまえという訳。お金のことしか考えていない。
 私立学校というのは、建学の理念がある。それは、国の教育の及ばないところ、また、未来の日本を先取りする領域に向う。時には、政府批判にもなる内容が含まれる。新設校に国の教育標準である偏差値とか、文部省の全国の大学を統制しようとする概念を押し付けられてはたまらない。しかし、補助金も欲しい。日本の教育において国家が及ばないところを私学は支えている。これを住宅政策に例えればいかがだろうか。もし、日本の住宅が公営住宅だけだったら、住宅難は続き住まいの質は上がらなかっただろう。共産国家のようになる。医療もそうだ。県立病院は今や赤字でお荷物。国立病院、大学病院だけで日本の医療が支えられる訳が無い。日本医師会に代表される民間診療所があって初めて医療は回転する。それと教育はどう違うのか。

村上市瀬波海岸の夕日
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  >湯布院の金鱗湖
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ビストロ SAIDA
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中野坂上のプチ小西でシェフをしていた才田さんが福岡に店を出した。パティシェをやっていた奥様と博多の祇園に近い呉服町に店を出してもう2年になる。一度立ち寄りたかったが、なんせ、福岡、なかなか用事がない。9月の10日〜13日まで湯布院に行くついでに福岡に立ち寄る事ができた。湯布院まではバスで博多から2時間半、福岡空港から祇園までは15分くらいで行ける。雨が降っていたのでタクシーを使ったが BISTRO SAIDAはすぐに見つかった。5人がけカウンターと2人がけの席が6席と8人くらい座われるテーブルコーナーが一つあった。30人席でこじんまりしているが、いかにも料理にこだわったお店という感じ。お店は満席だったがたまたま1席空いたのでそこに座った。奥様が注文を取りに来た。奥様はパテシェで、昔ホームメイドのドーナッツを頂いたことがあった。その腕には定評があって安心して頂ける。ケーキも勿論自家製。シェフはカウンターの向こうにいて忙しそうだったが、笑顔が懐かしかった。お昼メニューで魚とチキンから選ぶようになっていた。自分はチキンのコンフィとグラスワインを注文。懐かしいプチ小西でも頂いたコンフィだった。

ビストロサイダ
TEL 092-282-3393〒812-0036
福岡県福岡市博多区
上呉服町11-17-102


ボリュームたっぷりのチキンコンフィとBISTRO SAIDA
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(勝手にhttp://f-lunch.jp/?p=2521から転載させていただきました。不都合でしたら消去します)

狭いお店だがいつもお客さんで満員の様子。料理の腕は全く心配無い。やはり美味い。小さなケーキもついてグラスワイン加え、全部で1200円。お店は繁盛で何よりである。SAIDAで1時間くらい過ごして、博多駅から湯布院までのバス旅となった。天気は生憎の曇空だが、2時間半で湯布院に到着。金鱗湖のそばにある家に行く。叔父叔母が老後を過ごしている。湯布院には40年以上前から母方の祖父祖母が終の住家としたところで墓もある。単なる田舎だったが日本有数の温泉地となった。金鱗湖の周辺は新しいカフェとか蕎麦屋ができて昔の素朴な風景が消えてしまった。しかし,何とそのカフェから見た亀の井方向の風景が、昔のままの景観だった。夕食は湯の岳庵にしようかと思ったが、やたらラーメンが食べたくなった。九州ラーメンの店を探したがどこにも無い。やっと1軒ラーメン天国というのがあったので仕方なく入ってメニューを見たらあの豚骨ラーメンの九州ラーメンが無いではないか。がっくりして塩ラーメンを注文した。食べてびっくり、何とこれはあの豚骨スープの九州ラーメンではないか。なるほど、九州に行ったら九州ラーメンとは書いていない。基本はこの豚骨スープであった。当たり前の事であった。チャーシュウも美味しく味わい一件落着した。
 

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 服部龍二著 「日中国交正常化 」 中公新書

 尖閣諸島の問題は容易には沈静化しない。その理由が本書で少しは分かるように思う。40年という歳月は社会の世代交代をも意味する。その世代交代の中で、歴史が継承されていない。当時の政治家がいかに言葉を選び、中国との交渉に当たったのか。今も変わらない問題を抱えている。それを忘れたかのような政治家とマスコミの無責任な言動が、この本を読むと分る。40年前から尖閣諸島の領有権は中国としては石油利権の問題として捉えていた。周恩来はこの問題をニ国間で解決するのは当時の限られた時間では無理とみて次世代の知恵に委ねるとい名セリフでパスした。当時は中国としてはソ連の脅威に晒され、そこで米中首脳会談そして日本との交渉へと進んだのである。中国もこの交渉は失敗が許されない状況であった。ソ連の脅威が薄れ、経済力も世界第二の大国となった今、中国は尖閣諸島の領有権を持ち出す好機と見た。彼等は国民教育も含め虎視眈々と布石を打っていた。

 この問題の大きな背景を見失うわけにはいかない。奇跡ともいえる成果をもたらした日中国交回復での時の運、そして人の縁も忘れることが出来ない。田中角栄と大平正芳、そして毛沢東と周恩来という首脳と多くの外務省官僚達が見事に役割をはたした。政治家が官僚を使いこなし、官僚も能力をふるに発揮した。素晴しい日本のパワーが開花したのだ。今はどうだろうか、人材がいない。歴史観もお粗末。この惨状である。
 この本で知ったのだが、当時、台湾との交渉が並行して行なわれ、特使であった椎名悦三郎一行は台湾のデモ隊に囲まれ、材木で車を壊されたり旗を奪われたりした。まさに官製デモであった。これと同じ事が今回も起きたが、マスコミは当時の台湾のことを一切説明しない。日本は中国との国交の代りに台湾を無視せざるを得なかったが、見事に民間ベースの交流は維持している。これはアメリカおも唸らせる外交工作であった。

 本書では当時のの姿がドキュメンタリーとして語られている。周恩来はこの条約を結ぶにあたり毛沢東との調整、当時は4人組も健在だったが上手にまとめた。その最大の恩義は賠償請求の放棄である。この本に登場する政治家、椎名悦三郎、竹下登、多くの外務官僚たちがもうこの世にはいない。あの台湾派だった青嵐会の中川や浜田幸一渡辺美智雄も世を去った。残っているのは、神の国発言の森喜朗、そして石原慎太郎が、軍国主義者として、当時の努力を踏みにじっている。彼等がどれだけ中国を相手に苦しい交渉をして来たか。井戸を掘った人々の苦労を偲ばねばならない。日本は中国との関係を無視しては生きて行けない経済になっている。いくら、ミャンマー、インド、ベトナムといってもまだまだ限界があるのだ。もちろん中国がダメなら地政学的には不利な方向で頑張らねばならないだろう。当時、一番の難題は台湾の位置づけをどうするかであった。尖閣問題を考える上で、今後の台湾との関係と、ロシアとの北方領土が中国の態度を決定するだろう。これらを上手くやるほど彼等は動きにくくなると思う。このあたりに鍵があろう。小を捨てて大を取る工夫である。日中国交回復時に取り残した台湾との関係をどう処理するかが尖閣列島に関しても言えるのではないか。台湾は当面は領有権よりも漁業権を主張しているだけのようにもみえる。彼等の漁業権を認めて味方に取り込む事も作戦上悪くない。これを領有権の放棄と見るのか、マスコミの見識も求められよう。


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  我が国の東大や国立大学の学生のレベルは国際的に見てもアメリカとそれほど違わない。早慶明上智立教青学クラスはある程度の学力が確保出来る。このあたりを限界に私立大学ではとんでもないことが起きている。大学生の「平均」学力の低下である。もちろんどんな学校にも素晴しい学生はいる。しかし、数として膨大なマジョリティと底辺が問題なのだ。 大学教育に今起きている異変、地方では常識なのだが、約半数の大学が定員割れである。これは文部省の政策でもある。今や大学の自治何ぞは死語である。補助金を盾に、文部科学省好みの大学像で牽引しようとする。私立学校というのは独自の建学の理念があるのだから余計な目標設定は困るのだが。大学評価とか、情報公開などの効果は出ており、かつての理事長や一部幹部の私立学校の私物化といった問題は減少しつつあるのだろう。それに代わって教育の内容に国家がお節介な提言をやたらして来る。文科省はどこまで気づいているのか、現場の実態を把握しているのだろうか。ゆとり教育にはじまり、イジメ、新設大学の申請基準の緩和など、つけが回って来ている。教育を統計的に処理したり、国家が一元的に管理すると弊害が大きいことに官僚は気がつかない。そもそも、新潟のような地域で英語を上達させることには無理がある。東京にいった方が効率的だ。しかし、行けない人がいる。公立は統計的に考えて無理して英文科などを作る必要はない。しかし、私立はその行けない人を大事にしようというのだ。そこに私立の役割がある。国立大学を頂点にしたピラミッドを作ろうとすることは間違いである。
 
 東京にいただけでは信じられないことが起きている。地方の大学生の学力低下である。大学入学者を選別する機能が消えた学校が多い。入学定員を満たないという結果によって大学が弱体化する。このことが地方の大学においては深刻な問題となっている。大学経営の評価とか、補助金の交付基準上は質の問題は学生数の充足の次にくることとなっているのが現実である。今や高等学校はほぼ全入に近い。だから高校生の学力は急速に低下し約半数の高校生が大学に行く。新潟県では45%で全 国レベルでは下位の方である。そこに入試というものが努力目標になる学生とそうでなくなった学生の差は大きい。選抜入試を経験したことのない学生が大学に入って来る。学力は推して知るべしなのである。形としての試験はあるがその垣根は極めて低い。かつては受験勉強の弊害を乗り越えて特別の才能や能力を評価しようというAO入試が低学力の温床となっているのである。

 自分が低学力であることすら気がつかない。さらに、親も含めて自分がだめなのは教師のせいだと思う。定員割れになるととにかく私立学校は財務的な面での困難に見舞われる。そこで設備投資も、教師の待遇、募集にも困難がともなう。しかし、数にこだわって、選別ができないと教師の要求に答えられない学生が増え、教育の現場は効率も落ち、学生の学習効果も無くなるという矛盾した現実が待っている。彼等は新聞もろくに読まないし、掛け算の九九もまともではない。それが何で大学生なのか。こうした問題学生の親も変な人がいて、モンスターペアレントもいる。自分はある出来の悪い学生のインターンシップを断った職員を首にしろと親から脅迫されている。何度も脅迫状が来るのだ。そんな学生を企業に送ると次から声がかからなくなる。防衛的措置だが、何で親が出て来るのか、信じられん。ところが、こうした苦労を知らん顔して文部省はこれを中間層として教育効果を上げろという。日本の大学進学率がOECD諸国と比較して低下、落ちているというのである。これは統計的に見ているのだが、その質に関するデータは不足気味である。そんな中で尻を叩かれる教師の苦労は推して知るべしである。
 
 一方、大学ではいくら学生数の不足をカヴァーすることが第一といっても学力低下を防止する入試基準を決めておかないと学力低下に歯止めが無くなる。特にAOとかスポーツ推薦が問題となる。彼等は入った大学の単位を取らねば卒業出来ないが、最低の点数、あるいはカンニングなどで要領よくクリアして行く。何度も言うが、量の拡大と質の問題は相反し、表裏一体である。この基準は常に見直す必要がある。量と質の問題は一体のものとして議論し、原則を決めなければ、禍根を残すことになる。常に中間層を厚くする努力ということである。こうした大学生は家庭教育からなっていない。大学の数年で矯正する事は難しい。結局、社会に出て自分の無力を悟り、自分で克服しなければならないということである。その最初の関門が就活である。


 数を確保するために質の ことが後回しになると、学校のブランド力が落ちてくる。そしてこれは学生自信が就活で苦労することになる。定員割れの学校では就職で採用率がおちるということである。今度は入学志願者の減少にすぐに反映される。地方の私立大学は学生の頭数を揃えるために奨学金、AO、スポーツ推薦などのあの手この手で工夫するのであるが、日本の高等教育の基盤をなす大学の質的減退の惨状は恐るべきものであるというのがこの地に来て3ヶ月の印象である。
 大学も市場社会の論理下にあるから大学間の競争も激化する。彼等の学力低下の原因は小学校教育から端を発している。積年の低学力を4年でカヴァーするのは容易ではない。学生の量と質は学習時間と相関性がある。初等教育、中等教育、高等教育の接続の悪さが問題となっている。また、大学生の就活においても、問題が多い。認識不足から来る混乱だから始末に負えない。今のエグゼクテヴは小学生の半分が大学生になるという現実が理解できていない。企業に余裕が無い。教育界が大事にしてきた価値—考える力、書くことは考えること、共同的な学びーは企業から軽視されてきた。これからの日本人に要求される「人材」はイノべーテイヴな人材、諸外国の人々とコラボレーション出来る語学力、異文化理解、国際人材が求められる。また、国内 的には世代や立場を超えてコミュニケーションできる人材である。ところが、高等教育のニーズに対して日本は大学入学者が減少している。一学年120万人の高校生が知力と意欲を持った人材に育っているかどうか。また、期待に対して大学が学生を知的に鍛えておらず、特に社会科学系学部を中心に学修時間が少ない。これは以前からだが、教育がプログラムとして機能していない。さらに企業が教養を身につけた汎用性のある学生を採用しない。学習の結果、教育成果を測ることが企業では出来ない。この国は企業も、政治も機能していない。次は教育になったら一体どうなるのか。最後に申し上げたいのは、私学助成は、地域という概念を入れるべきだと言う事。東京の大学というだけで学生が集まる。それに対して、どんなに教師、職員が奮闘し、新しい教育システムを開発しようとも、若者がいないところに大学を設立したことは意味が無かったのだろうか。宮崎国際大学は英語教育に力を入れ、オールイングリッシュで講義をしている。
私立で授業料が高いせいか、定員割れである。また、この方式は今やICUの専売特許では無くなった。秋田にある国際教養大学は公立で大盛況だ。全寮制で徹底した国際化を目指している。全国から学生を選べるのである。これは国の支援の差でもある。地域のニーズにもとずき、国も関わってつくられたということに国も頬被りしてはいけないのではないか。地域格差を補助金においては反映すべきである。


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by katoujun2549 | 2012-10-05 00:02 | 教育