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 中国共産党 支配者達の秘密の世界 
  リチャー・ドマクレガー著 草思社

 政府と軍、国営企業、企業、報道など中国共産党は細胞を巡らせ、神経のようなネットワークを形成、中国という広大な地域、民族、都市を支配してきた。その秘密に覆われた構造を長い間
中国報道に携わってきた リチャード・マグレガー氏が明らかにする。氏は多くの中国の要人と直接接触し、また、現地の情報に基づく様々なケースを集め、分析の要点を外さない。こうした、実体験と、様々な分野に長い間関わってきた記者の目で見た「中国モデル」の実態である。日本では、こうした分析的かつ、実際の調査を積み重ねた中国関連図書は少ない。過大にそのパワーを喧伝したり、また、その脅威を恐ろしげに表現したものなど、極端な作品が多く、客観性にかけるものがある。本書はエコノミストやフィナンシャルタイムスの推薦図書になっている。

 共産党における支配体制がどのようなものであるか、汚職は何故どのように行なわれ、今はどうなっているのか。様々なエピソードからその実態を明らかにする。自分は中国には旅行経験も無ければ、これまで殆ど中国の文学も、紀行文も読んだことが無かった。大好きな、麻簿豆腐にはじまる中華料理の知識は豊富だが。これも、せいぜい、中華街に行ったくらい。改革開放政策後、特に天安門事件以後、日本の衰退に反比例して急速に発展した中国。その実情に関しては全く分っていない。上海のみならず、至る所の都市に高層ビルが聳え、高級な施設やレストランが生まれる。

 環境問題で地道な調査を行なって、政府に警鐘を鳴らした活動家が、逮捕され、有罪になって投獄された。太湖の水質汚染はその後緑藻の大量発生で国際的にも注目された。地方の不正を訴えて陳情した為に、見せしめの刑に処される人、マカオのカジノで一晩で何百万円も使う共産党幹部の子弟など、不条理な国でなぜそんなパワーが生まれるのか。伝統的な官僚制のなせるわざか。日本人の理解を超えた世界の根源が共産党という支配構造だ。面白い逸話がある。党の幹部に、中国共産党の仕組みと、カトリックのバチカンを比較すると、極めて類似している。党中央委員会の内部は全く秘密主義、トップダウンの縦割り組織などそれぞれの重要部局など、そっくりなのである。そこで、党幹部は、このことを否定しなかった。ただし、「バチカンは神に仕えているが、我々が仕えるのは悪魔なんだがね」と言ってのけた。
 今やロシアを越える予算を誇る人民解放軍。宇宙開発からステルス戦闘機、空母など、世界が軍備を自制している中で、奔放な増強を続け、領土問題で脅威となっている。何故だ。春節を機に観光旅行だろうか、お金持ちそうな中国人が東京駅に家族連れで来ている。彼等は一体何をしている人か、それに対して、地方と都市部の格差、汚職、死刑、臓器売買、環境汚染など暗い話題も多い。これからも、アメリカ以上に貿易でも日本は中国に依存しなければならないのに、その知識は乏しい。先は様々な疑問の原点と思われる共産党が今までどんな形で中国を支配してきたかを、本書は解き明かしてくれる。

 

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 イランの不倶戴天の敵はアメリカである。イギリスも連座しているため、昨年イギリスも大使館を攻撃され、大使を引き上げた。これは戦争一歩手前ということである。アメリカはこの理由を自国民には頬被りしている。アメリカはホメイニ革命の時に大使館を占拠され、大使館員が拘束され、散々な目にあった。これ自体は国際的なルールを逸脱した行為で認められない。しかし。それまでに行なった米英のイランに対する干渉は、イランに同情すべきものである。

 イランのアフマディネジャッド大統領の特異な行動は国際世論の顰蹙を度々招いている。しかし、イランの近代以降の歴史を見ると、やむを得ない事情もある。イランは地主階級を中心に、一部の階層が国を支配して来た。例えば、宗教指導者などは地主階級で、大金持ちが多い。ラフサンジャニとか多くの宗教指導者は地主階級でホメイニ革命以降も国を支配している。そこで、一般国民の上昇意欲を満足させるのが革命防衛隊である。そのリーダーが今の大統領である。かつて、階級社会でユンカーや貴族が支配していたドイツでナチスが台頭したことと同じ歴史を辿っている。

 1950年代はじめ首相モサデグは国民の圧倒的支持を集めて、石油の国有化を断行する(石油国有化運動)が、モサデグは1953年米英の情報部による周到な計画(アイアス作戦)によって失脚させられ、国有化は失敗に終わった。この事件はCIAによって計画され、モサデクは拉致監禁された。一国の首相をそのような強盗のような行為で失脚させることは異常な行為である。

 これには当然ながら、米英の石油利権の問題がある。イランは世界で最初に油田が開発されたところで、米英の多額の資本が投下されていた。これを国有化することは当然反発を招くことだが、これを内政干渉によって確保しようと英米が国家的陰謀を仕掛けたのである。英米の資金でパフラヴィーは権力を集め、特に1970年代後期に、シャーの支配は独裁の色合いを強めた。シャーは米英の強い支持を受けてイラン産業の近代化を推し進める(白色革命)一方で、市民の自由を抑圧した。シャーの独裁的統治は1979年のイラン・イスラーム革命につながり、新たにアーヤトッラー・ホメイニーのもとイスラーム共和国が樹立された。その後、アメリカはイラクのフセインを使って、1980年イランイラク戦争を仕掛けて、8年間の戦争で100万人のイラン人が戦死した。米国は、反イランの論調を受けてイラクに対する武器の輸出や経済援助などを行ったが、裏では革命の際のテヘランのアメリカ大使館占拠事件において、人質の解放をめぐる取引の一環として、また、ニカラグア内戦を戦う傭兵軍コントラへの資金援助のために、ある時期にイランに対しても武器輸出を行った(イラン・コントラ事件)。こうしたアメリカの二枚舌的、ダブルスタンダードな外交行動に対するイランの反発は当然である。

 イランの20世紀後半から今日に至るまではイランの豊かな石油資源を巡っての米英と周辺国の抗争の歴史であった。米英はホメイニ革命以降失ったイラン国内の資産を取り戻したいだろうし、イランは自国の財産としての石油とエネルギーへの自由を確保したい。互いに譲り合えない線が交わることはない。結局のところ戦争は避けられない。強力な英米に対抗するには核兵器しか無い。この核兵器は何のためかというと、米英の黒幕イスラエルを攻撃することと、万一、米英が侵攻して来た場合の自爆用である。だから、イランは核開発をすることは国民にとっても、また、国家の体面を守る為には絶対に必要なのである。あの極貧の北朝鮮も、何の取り柄も無いパキスタンも核を持っているから英米が外交的な配慮を怠らない。その威力を目の当たりにすれば持ちたくもなるのである。その結果が自滅行為になるという読みは彼等にあるのだろうか。

 不思議なことは、アフマディネジャッドは国連に行ったときにCNNなどのインタビューに応じてPRに余念がないし、ラフサンジャニの子弟などはアメリカの名門校に留学していることである。イランもなかなかしたたかな外交上手なのである。イランも米英との戦争はこれまでの努力を無に帰すから絶対に避けたいのである。



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オバマ政権の裏で暗躍するCIAの影

 エジプトの騒乱によるムバラク政権の崩壊は1年前の出来事。北アフリカのチュニジアでの民主化デモによる政権崩壊はエジプトとリビアに飛び火した。新しい政府は必ずしも国民に取って期待通りには動いていないようだ。日本は東日本大震災でこの北アフリカで起きた大事件どころではなくなったが、1年経ってみると、その行く末が気になる。今、イランやシリアで起きていることにも関係しているからだ。今日のニュースによると、アメリカとエジプトとの緊張した状況が報道されている。

 米国務省のヌランド報道官は26日の記者会見で、エジプトで非政府組織(NGO)の米国人職員ら数人の出国が禁止されたと述べ、エジプト政府に禁止措置を撤回するよう求めていることを明らかにした。出国禁止は、昨年末にエジプト警察当局がNGOの事務所を一斉捜索したことに関連する措置で、米メディアによると、このうちの1人はラフード運輸長官の息子。ラフードはオバマ政権下唯一の共和党員である。

 エジプトは昨年の騒乱で政府が転覆されたが、その背後に、アメリカのNGOが反政府のNGO組織に資金を提供していたことを嗅ぎ付けたようだ。Facebookによって非組織グループが騒乱を起こし、これが反政府運動になって政権が崩壊したということは、あまりにも表面的な見方である。そんな形で政府が転覆される筈は無い。仕組まれた計画があったと見るのが常識であろう。これらの運動はアメリカの陰がちらついていた。CIAがその背後で暗躍する姿である。新体制での生き残りをかけた軍の抵抗がこのアメリカ人のNGO捜索と出国禁止措置である。そもそも、アメリカはムバラクの配下にあったエジプト軍に資金提供し、イスラエルの安全を確保して来た。イスラエルのモサドとCIA、ユダヤ資本とオバマ政権との裏取引が世界を動かす。アメリカの歴史で、何故か民主党が政権を取ると、CIAが暗躍するのである。CIAが生まれたのも、民主党政権下であった。

 ケネディ大統領によるキューバ侵攻の失敗、特殊部隊によるイラン人質失敗事件、アフガニスタンのアルカイダ支援、オサマビンラディン殺害など、民主党政権時代ではCIAが大活躍である。何故かは分らない。民主党政権は平等とか、社会福祉とか、社会主義的な政策を提唱する傾向がある。大きな政府を志向する。正義を前面に出すが、政治は必ずしもそれでは動かない。そこで、裏に回って暗躍する集団が必要なのであろう。我が国の、民主党も、何とも公明正大な主張に反する秘密主義、情報の隠蔽、内部抗争が激しい。裏で何をしているか分らない集団である。民主という名の影で非民主的なことが行なわれる。では共和党はどうかというと、競争原理を盾に一人勝ちの世界になってしまう。共和とは名ばかり。実際にやっているのは共和どころか、自己中心だ。少しも、名が体を表していないのが政治の世界か。

 では、民主党でアメリカの景気は回復するだろうか。ひと言でいえば、オバマ大統領—民主党政権下では「無理」である。日本にとってアメリカの景気は重要である。日本は3億6千万人の市場に大きく左右される。中国は人口14億人のパワーは凄い。生産材にせよ消費材にせよ輸出額はアメリカを逆転している。しかし、アメリカへの輸出はやはり大きく、中国がこれに取って代わるわけではない。アメリカの景気を考えると、今回の大統領選挙あるいは、後、5年以内、オバマの後は絶対に共和党政権にならなければ、韓国などにこの市場を奪われては日本は保たない。

 アメリカの社会は建前上機会均等である。しかし、成功のチャンスは少ない。オバマ政権、民主党は大きな政府と平等な社会を目指すという。が、実際はアメリカのような超格差社会では平等というのは気休めのようなもので、理念的なスローガンで終わってしまう。みんな、均等とか、総花的な施策では決して景気は良くならないし、失業率も下がらないだろう。アメリカというのは国民一人一人の自由という概念が重要である。これを損なうと、アメリカという国は元気がなくなる。その反対が北朝鮮だろう。アメリカの一部の金持ちは大部分の資産を独占している。しかし、景気というのは、皆が少しづつ豊かになるから良くなるというものではない。アップルのスティーブジョブズやマイクロソフトのビルゲイツが、どれだけの雇用を生み、世界から金をかき集めたかを見れば分る。社会主義では例えだが、10人が、100の富を生み、均等に分ける。1人が平均10生めば良いし、それ以上は不要だ。ところが、アメリカ型の市場主義では10人のうち1人が100を生み、あとは5人ぐらいが10を生み、あとは0とかマイナスで成り立つ。その方が合計すると150くらいになり、社会主義の100よりは多くの富を生み出すのだ。日本や北欧のような均一な社会では均等でもいいいが、移民の国アメリカではマイナスのグループもいるから、一人勝ち目指して激烈な競争があった方が結果は良い。オバマ政権では景気が良くならない理由だ。マイナスが消えたら大成功。だから、失業率は大きな意味を持つ。従って、民主党では国民の関心を外に向ける戦争や緊張が必要になるのである。




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 昨日(木曜日)新潟に新幹線で向った。新発田市にある敬和学園の理事会に出席する為だが、新潟は天気予報によると大雪、どうなることだろうかと思ったが、新幹線は全く平常に走っている。これが、いつも、関ヶ原で遅れる、東海道新幹線との違いだ。上毛高原あたりまでは関東平野、トンネルに入るとしばらく景色は見えない。那須連山を左前方に見ながら、iPhoneのカメラシャッターを切った。正面の奥には妙義山がそのノコギリのような稜線を見せている。今のうちと、何枚か撮ったら、トンネルに突入。しばらくは何も見えないので、撮ったばかりの映像を見ると、背景の手前に、大きな鳥が飛んでいるではないか。ありゃあ!iPhoneはファインダーが無いから、流し撮りしたが、これは何だとよく見ると、鷹より大きそう。そうだ、これは鷲ではないか。
 那須の麓には、イヌワシとか、オオタカが生息しているので、このあたり一体をナショナルトラストのように買収して自然保護をしているのだそうである。なるほど、鷲が飛んでいるのを新幹線から見るとは思いもよらなかった。

 
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トンネルを越えると雪国、越後湯沢はスキーの中心地、とにかく凄い雪。吹雪の中を新幹線は走るとまたトンネンル。世界有数の豪雪地帯である新潟県内を中心にスプリンクラーによる融雪設備を備えたり、新潟県内の新幹線駅に屋根を設置するなど雪害対策が入念に施されている。そのため、雪による運行上の障害は滅多なことでは発生しないのだ。越後湯沢から浦佐、燕三条、長岡までとにかく豪雪地帯。田んぼが雪原になっている。

 越後湯沢付近 
 
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浦佐付近
  
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新潟に入ると、雪は少なくなる。新潟駅で駅弁を買う。いつもの「まさか、いくらなんでも弁当」である。変わった名前であるが、卵焼き、つけもの、いくら、カニ、サーモン、マス寿司が入って1050円である。これは美味い。新潟に来ると、必ずこれを頂く事にしている。

 理事会が終わり、帰ることにした。Kさんが駅まで送ってくれた。今日は日帰り。大手町で7時から国立のYMCA一橋寮の再建計画打ち合わせがある。帰りは佐々木の駅で30分待ちとなったが、駅から見た夕日が美しかった。駅には敬和学園の学生が30人くらい待っている。新幹線に乗る前にまた、駅弁、今回は幕の内にした。朱鷺(とき)めき弁当という。880円だったか、お茶を入れて1050円、新潟の人は洒落が得意か。幕の内のご飯であまり美味しいのに出会ったことがない。ところが、これは結構ご飯がおいしい。流石に米どころだけあって、不味いご飯は名誉にかけて出さないのだろう。割り箸入れは朱鷺の形を折り紙にして、中に楊枝が入っていた。佐渡の朱鷺だが、きめの細やかなデザインが嬉しい。新潟は駅弁に始まり、駅弁で終わった。

佐々木駅ホームから撮った付近の美しい夕日
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「まさかいくらなんでも弁当」と「朱鷺めき弁当」
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 中国というのは、日本のような単一的な世界からは想像を越えた立体構造を持つ国である。新疆、ウイグルのような西域から、南はベトナム、揚子江や黄河の流域、沿海部など、文化や言語、民族も異なる。対日感情が悪いのは、北のかつて日本が侵攻した地域である。軍隊が入って多くの犠牲が出たところが日本を喜ぶ訳が無い。そんな場所を避けても膨大な市場とビジネスチャンスがある。
 また、地理的分類に重なるように、農業、商業、工業が地域的にも集中して産業別の地域特性があり、また、都市とその周辺もまた、様々な歴史と風土が形成されている。先は共産党の行政に携わる集団、商業に巧みな客家とか、知識階層、国際的な世界を活動舞台にしている人々など、夫々が一つの国家を形成できるほどの人的資源を持っている。そのなかでも、中国軍ー人民解放軍も極めて大きな世界となっていることに注目しなければならない。恐らく国家並みの規模と経済に対する影響力がある。
 
 中国の軍事費について困るのは、その実態が他の先進諸国と比較しにくく、実態が明らかにならないことである。中国は軍備に関する直接的な経費や予算を公表するが、兵器を開発する費用や、備蓄、情報機器などの周辺装備など、これらは軍事費の倍はあると見られるのだが、これは産出していない。宇宙開発などは中国は実際は軍備である。中国の軍事費は購買力平価でみなければならない。物価の高い国と比べると、兵器の製造コストも安いし、兵士を何倍も抱えることが可能だからだ。中国の軍事費はあと数年でロシアを上回り、いずれ、アメリカを置き越す事は時間の問題といわれている。これが、国内における共産党支配基盤や国防上の軍備に止まるうちはいいが、今や、海軍力の増強につとめ、空母二隻体制を目指しており、外洋艦隊の整備に精力を傾けている。

「軍事費は軍自らが調達する」という方針が共産党からだされたことにより国の近代化と資本導入が始まったことにあわせ、軍の近代化に伴う人員削減で生み出される失業対策も含めて、各部隊が幅広く企業経営へ乗り出していた。これは1998年に中国共産党が人民解放軍の商業活動を禁止するまで続いた。実際には現在も一般人も利用できる又は一般人向けの各種学校、食堂やクラブなどの飲食店、射撃場など娯楽施設、病院、宿泊施設、食品加工や機器製造等の工場、農牧場、養殖場、炭鉱など鉱山、出版社などあらゆる企業、施設、設備を運営している。一大産軍複合体である。アメリカもそうだが、こうなると、共産党も、そのシビリアンコントロールが効かなくなるという恐怖のシナリオを想定する事になる。

読売新聞はこのことを警鐘として報道している。
その要約を以下に書いておく。
 「軍備増強で広がる利害関係者達」
「共産党が権力を持っている限り、中国の軍事的膨張は続く。我々のビジネスは予測可能な将来にわたり発展し続ける。」と人民解放軍に装備を納入している企業の役員は言う。北京の中心部にある贅をこらした高級ホテルで開かれた国営企業の幹部のパーティーで、フランス高級ワインを傾けながら、言ってのけた。同席していた他社の客の1人がその意味を問うと、その役員は「軍の膨張は我々との紐帯を強めることとなった。この毎年の国防予算の10桁レベルの増加がなければ、困る人達があまりにも多い。民間企業で働く役員でも、また、企業に関連する人は強い軍事的な影響について言及する。企業役員は実際、軍の幹部と関係を持っている。さらに、その企業は表には出ず、国内の活動は秘密裏に行なわれている。先ほどの質問をした同じ客は軍との特殊な関係を持っている企業は実に多いことに言及した。中国の国防予算は2011年で6010億元(7兆5400億円)で12.7%増である。もし、兵器の開発研究費も入れると、合わせるとその倍とも言われる。中国の急速な経済発展のお陰で国防に関する初期投資も拡大し続け、連なる企業も利益を上げている。中国のシビリアンコントロールは共産党であるが、彼等もコミッサールとして、軍に浸透しているが、その仕組みに組み込まれ、利権を漁ることになる。
まさに、産軍複合体が網の目のように官、民、軍というネットワークで形成されている。

 軍の組織拡大と、共産党員の個人的利益は同じ方向であるから、こうした中でのシビリアンコントロールは利きづらい。これだけ軍事力が増強されると、軍の内部では、その実力に過剰な自信を持ち始め、特に東シナ海のガス油田の利権などに軍が関与することが考えられる。こうした開発は日本では民間事業だが、中国ではそうではない。軍と一体である。日本と二人三脚で開発しようと言う気など、さらさら無いと見た方がいい。いまこそ、チャンスがあれば、弱腰の日本を、蓄積された海軍力で目にもの見せてやりたいと思っているのである。

         
 

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太平洋戦争 最後の証言 第二部 陸軍玉砕編
門田隆将著 小学館

 大平洋戦線で、陸軍は165万人以上の戦死者を出した。この本の取材対象はニューギニア、ガダルカナル、インパール、サイパン、レイテ、ルソン、硫黄島、沖縄、守占島などである。著者の門田隆将氏は100人を超える、今は80歳台後半から90歳以上になる、激戦地での生き残り元兵士にインタビューし、その証言をこの本にまとめている。1人の死は悲劇だが100万は単なる統計に過ぎないとはスターリンの名台詞だ。ちなみに、これはE・M・レマルクの「黒いオベリスク」(山西英一訳、河出書房新社1958年).「たったひとりの死者は死であるのに、二百万はただの統計にすぎない」からスターリンが引用したもの。
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 門田隆将氏は、100人の証言を統計から解きほぐし、物語にする作業に取り組んでいる。そこには膨大な悲劇が埋もれているのである。名も無き兵士達が語った出来事を知り、我々は歴史通念を見直せるだろうか。この生存者達は、玉砕の島で戦い、捕虜になった。多くの悲惨な場面に出会って、最後まで生き残った人達はそこから生還したため、何度も地獄を味わったことになる。輸送中、魚雷攻撃で一瞬にして水死した場合の恐怖体験はその時であるが、ある兵士は生き残り、サイパンでさらなる地獄を体験した。

 何故生き残ることが出来たのかという著者の問いには、彼等なりに答を見出そうとしているが、結局のところ、共通しているのは運ということであった。確かに生存率3%の為には運がなくては無理だ。でも、それだけだろうか、何故生き残れたのか、という問いをこの証言から導き出せるであろうか。ある兵士は野球で鍛えた体力という。また、ある方は、戦死された上官の配慮で後方に回されたこと、また、自分を助けてくれた戦友は自分の身代わりになって帰らぬ人となった。そのために、証言者は一生忘れ得ぬ感謝と生き残り、捕虜になったことへの申し訳ない気持に苛められて来た。激戦地では兵士達は助け合う。生き延びる為にそこに知恵が働き、乏しい食料も分け合う。かつて、アウシュビッツの生還者ユダヤ人学者フランクルはその著書、「夜と霧」で、千分の1の確率で生き残った人々は希望を失わなかった人だという。過酷な環境では希望を失ったものから死んで行った。希望を持った人々は互いに支え合い、分かち合う心を持っているのである。

  塹壕の出来事を実際に体験した人は語らないという。それは、敵を殺す事もあれば、戦友を庇う事が出来ずに生き残った事、時には逃げたり、負傷して責任が果たせなかったり、強い後悔と罪悪感が心を責め続けるからである。語っても、分ってもらえっこないのではないかという恐れを抱くのである。この本で証言されているのは、戦死された戦友に対する思いと、これまで語れなかった残酷な死の姿であった。戦後、戦没者の遺族、親や妻、子供が元気な時に、その証言をすることを憚ったであろう。それだけ、戦友達の最後は無惨だった。実際、銃弾での戦死者よりも、撃沈された輸送船で無念の死、そして、餓死者が多かった。まさに地獄そのものの戦場で生き残る為、泥水をすすり、敵兵の血を飲み、傷口には蛆がわいた。そんな兵士の姿を見ぬふりをして酒を飲み、芸者遊びまでしていたインパール作戦の責任者無田口中将は戦後も非を認めず亡くなった。

 大日本帝国陸軍の優秀な兵士達が何故そのような犠牲とならなければならなかったのか。この問題は東京裁判でも裁かれていない。インパール作戦の無謀な計画立案者と司令官、ガダルカナルを餓島とした参謀、サイパンを見捨てたことを現地に知らせなかった大本営など戦争遂行責任者の無責任、無能は枚挙に暇が無い。その結果、前線では何が起きていたのか。歴史的に出来事としては明らかにされているが、それでは真実は伝わらない。アメリカ映画「Pacific」では蛆と死体で溢れた水たまりに嵌って驚く海兵隊員の姿があった。日本映画ではこのようなシーンは見られない。また、日本側の資料は極めて少ないだろう。証言によらざるを得ない事が多くある。実際に起きた事は聞くに耐えない程の凄じさである。我々が学んだことがある太平洋戦争はアメリカから見た歴史にもとづくものだし、我々の知っている戦争も、あの参謀達の頭の中にある姿に過ぎなかった。この証言集は我々を地獄の門へと導く。

 戦場の実態を、我が国のメディアは実は遠回しにしか伝えてこなかった。沖縄戦を描いたひめゆりの塔、大岡昇平の野火といった戦争映画や文学でも描く事が出来なかった。最前線で戦った多くの兵士は戦死され、語る事ができない。この本でも硫黄島での生き残りは搬送担当衛生兵や療養中の兵士であった。それも九死に一生である。
 また、戦争直後の記憶が生々しい時代には、戦争を語ることが忌避されていた。軍国日本に関わった多くの人々や元の指導者にとっては都合が良く、傷ついた国民も忘れ去ろうとした。勿論、アメリカに対する外交的配慮や圧力もあった。こうした過去を葬り去りたい人も多かったのである。イギリス軍のインパールでの残虐行為、米軍側の犠牲など、敗戦国の立場から陽の目を見なかった事実もあった。教科書の記載、表現問題は喧しいが、実態として学校では歴史の授業でもこの近代史までは教えない。もっぱら新聞や映像でまなんだものだ。多くの国民は体験者のつぶやきから知っていたのだ。真実を隠すことができない。この本での証言はもの凄い迫力だが、実は全く聞いた事が無いような内容ではない。何が起きたかは推測出来たし、知っていた日本人は多い。それらが風化しつつある今、門田氏は敢えて証言をもとにこの玉砕編を書いたのである。


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 最近、食べなくなったのがチキンライスとスパゲッティナポリタンだ。
テレビで見た映画「 三丁目の夕日」の時代、昭和33年ごろ。デパートの食堂とか、駅前の喫茶店などで必ずあったメニュー。当時は既に食糧難時代ではなくなり、家庭の献立も豊かになっていた。トンカツなどはご馳走だった。ハンバーグなども食卓に並ぶようになった。天ぷら、唐揚げ、コロッケなども家庭で作っていた。今は、唐揚げなんぞ店で買うが、あれも家で揚げたもの。システムキッチンは見た事が無く、ステンレスの流しセットが主婦の憧れのキッチンであった。セメントで作った流しを前に、包丁でトントン作っていた母の後ろ姿が懐かしい。チキンライスはおふくろの味だ。

 トマトソースといったものは家庭には無かった。ケチャップで味付けしていた。鶏肉の細切れ、タマネギのみじんぎりをフライパンで炒め、色が変わったら塩こしょう、そこにご飯を入れてかき混ぜてケチャップで味と色をつける。昔はマッシュルームなんぞ無かった。簡単なもの。でも、家族連れでデパートの食堂でこれを食べるのは子供心に幸せなことであった。丸い型で山状になったものに日の丸の旗が立って、グリンピースが散らしてある。三越食堂のお子様ランチには小さな富士山型のチキンライスが皿に乗り、三越の旗が立っていた。お子様ランチは実に栄養バランスが良い。でも、このランチを大人は注文できないんだそうである。デパートではかなり最近まで、チキンピラフというメニューで出ていた。ところが、近年、これを単独で出すことはなく、もっぱらオムライスの中身になってしまったのが何とも残念である。昔はオムライスは卵でそっくり包み込んだもので、結構テクニックが必要だった。チキンライスは恐らく、中華のチャーハンに席巻され、それに対抗する為にオムライスになったと推測される。食材も原価、手順も殆ど同じだからね。
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 この何処にでもあったチキンライスはとにかく、見なくなった。日本橋精養軒にはチキンピラフという名前で大きな皿に盛ってあり、1200円くらいしていたが、トマトソースを使っていたのだろう。接待交際費の美食に飽きた部長クラスのサラリーマンが喜んで食べていた。家庭料理のチキンライスを懐かしむように。
 あの三丁目の夕日に出て来る、東京タワー。その食堂には昔ながらの紡錘型のカップで形を整えた、ケチャップ味、グリーンピースの入ったチキンライスがあり、化石のようにショウウィンドウに見本が飾られえているという噂があったが本当だろうか。

 スパゲッティナポリタンというのも、絶滅種になってきたんではないか。一頃、カレー、スパゲッティ、チャーハンは三大家庭メニューだった。カレーの興隆に比べて、衰退傾向である。多分、材料はチキンライスと殆ど同じだし、ご飯がスパゲッティに代わっただけ。スパゲッティもケチャップがトマトソースとか、ミートソースに加えて、とても種類が増えた。
 今や子供だって小学生にもなれば、生意気に「俺バジルソースがいいとか、私はボンゴレ」とか平気で言う。ペペロンチーニ、カルボナーラ何ぞ常識。タラコスパゲッティやイカスミなど日本発のメニューもある。
 ナポリタンは学生食堂とか、場末の喫茶店などでは出すかもしれない。マイアミという喫茶店にはこれがあって、ケチャップ味だったが、とにかく、ウドンのようなスパゲッティにケチャップでたっぷり味付け、ソーセージが刻まれて入っている。これに味噌汁がついていた。何とも社員食堂的料理である。今はオバタリアンもイタリア旅行に行けるようになり、ナポリにナポリタン何ぞ無いことに気がついた。それで出さなくなったのだろうか。懐かしいオフクロの味、サバ味噌、ブタ生姜焼き、肉じゃが、ひじき煮、筑前煮など。チキンライスとスパゲッテイナポリタンはこれに並ぶ三丁目の夕日メニュウなのである。
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北京故宮博物館の「清明上河図」 

 中国美術史上屈指の名画といわれる「清明上河図」(北宋時代)が展示されている「北京故宮博物院200選」を見に上野に行った。寒い日であるが、入場券を買う人が券売窓口に10人程であった。あれー、これなら安心と思ったらとんでもない。博物館正門には警備員が3人ほどいて説明してくれている。聞くと、何と、中に入ってこの絵をみるには3時間並ぶのだそうだ。こりゃあ大変、どうしようかなと思った。最後は5時までに並べば、博物館は閉まっても最後の人が見られるように配慮するという。これでは夕方の予定があるので帰る事にした。入場券を買っておくと、朝8時半に来れば開門の9時30分に入れて長くは並ぶ必要が無く、30分程度待てば見られるんだそうである。門外で待つ時間1時間は必要である。天気が良ければおすすめの方法です。 
 
 何故そんなに時間がかかるかというと、細かい絵をじっくり見なければならないので、最低5分はかかってしまう。5mほどの絵の前に立てる人が限られるのでそうなってしまう。細密な絵なので、いくら時間があっても、5分では何も分らないうちに後退しなければならないから、結局展示品のカタログを買うことになるのである。後で家に帰ってからじっくり見てくださいということ。結局、今日は諦めて、入場券だけを買って日を改める事にしたのである。

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 我が国の絵巻物の名作の一つに『熈代照覧(きだいしょうらん)』がある。これは、1999年ベルリン東洋美術館(現・ベルリン国立アジア美術館)で発見された。絵巻は、現在の神田今川橋~日本橋の繁昌絵巻として2006年1月、日本(東京江戸博物館)で初めて公開された。縦43cm横1230cmの絵巻で2009年11月30日に三越前駅地下コンコースに1.5倍の大きさ約17mに複製絵巻として展示されている。
 熈代照覧の一部
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 こうした町を描いた絵巻物の名品は洛中洛外図屏風である。同名の絵巻物は幾つかあるが、米沢藩主上杉家に伝わったものが、洛中洛外図の中でも傑作とされ、国宝に指定されている。狩野永徳が描き、1574年(天正2年)に織田信長が上杉謙信に贈ったとされる(『上杉年譜』)


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不道徳教育講座(再掲)  ブロック.W 橘 玲訳 講談社

 昔、1920年代、アメリカに禁酒法によって、密売酒に群がるギャングがはびこり、マフィアの温床になった。禁酒という道徳行為が違法行為の温床となってしまった。禁酒法を廃止したからといってギャングも消えたわけではない。彼等は今、麻薬に群がっている。これはFBIの活躍で映画アンタッチャブルでもおなじみだ。といえば格好はいいのだが、FBI は警察権力が盗聴、強引な家宅捜査などをするようになり、市民の人権侵害に対する感受性を鈍らせ、決して社会の平和にとっては好ましくなかった。ギャンブル、麻薬など、国家が取り締まりを厳しくすればする程裏社会がはびこるのである。そのため、オランダとか、スイスなどは合理的に考えてあまり厳しく規制しない。スイスでは、50万人が、年間100トンのハシシュとマリファナを消費していると推測されている。モルヒネ中毒者も治療するという条件でモルヒネを支給される。まあ、死にたきゃご勝手にというわけ。オランダではコーヒーショップというと大麻を吸うところになる。オランダにおけるコーヒーショップ ( Coffeeshop ) とは、個人使用のための大麻を販売している小売店のことである。地方自治体により認可されている。 オランダにおける喫茶店は、コーヒーハウス ( Koffiehuis ) である。アムステルダムには飾り窓という売春合法地帯があり、東欧などから出稼ぎに来る。ただ、感染症、依存症に対する更生施設や、カジノ狂いでギャンブル依存症になった人間の登録と入場拒否など、依存症対策をすることで政府は責任を果たしたということだろう。この本ではぽん引きとか、違法と思われる行為をする人間の能力を高く評価している。だから不道徳教育なのである。

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 社会主義は共産主義も、ナチスも成功した部分は、生産力の増大化である。ソ連はあの第二次大戦時、膨大な軍備を築いてナチスに抵抗した。ナチスも、世界中を相手に戦う物資を生み出した。ところが、最大の弱点は分配である。ソ連のゴスプランは失敗であった。計画経済はバランスの良いものづくりと、消費の要求に応えられなかった。ゴスプラン(ソ連国家計画委員会)とは、ソ連における生産計画を決定する国家組織。ソ連における計画経済を実現するために、経済動態を把握し、需給のバランスを計算した上で具体的な計画を立案した。当時の共産主義経済学者はこれを数式で管理しようとしてそれが可能である事を示そうとしたが、その数式はインチキであった。多くの農村が荒廃し、何百万人もの餓死者が出た。
 これは中国でも同じである。内戦に成功した毛沢東であったが、経済政策はそうはならなかった。1958年の大躍進政策は全くの失敗であった。大量の鉄増産のための「土法高炉」と呼ばれる原始的な製造法による量のみを重視し、使い物にならない鉄くずが大量に生産された。農村で「人民公社」が組織されたが、農民の生産意欲を奪い、無謀な生産目標に対して実際よりも水増しされた噓の報告書が作られた。発動されてから数年で2000万人から5000万人以上の餓死者を出した。これを糊塗する為に文化大革命が行なわれたことを日本のインテリは当時気がつかなかった。

 スターリンは失敗したが、ヒトラーが戦争を仕掛けて来た為に、ソビエト社会主義の利点が発揮されることになる。自己の利益を国家に優先させて生産や戦場に向う。犠牲は大きいが、大きな結果を得て来た。共産主義国家は結果的に戦争時以外、物品の製造も失敗し、多くの無駄な製品を作り続け、国民は不良品に我慢することになった。ナチスもそうだが、そのため、闇経済とか、人種差別を経済の構造に組み込まざるを得なかった。彼等の原理には無理があり、噓をつかなければならなかった。彼等は常に強制収容所とか、収容所列島を必要とし、そこで収容された人間を3K労働に従事させてきた。中国の今日の成功は市場原理と資本機能の導入にある。資本主義経済の生み出す魅力的な商品、生活用品、家電、ファッションなどに社会主義は負けた。

 ところが、資本主義は市場という機能によってそこを解決している。市場の要望に応えながら、一時的には不経済があるが、需要と供給のバランスが解決する。
 富の偏在に不満な国民は、改革を要求するか、自分も金持ちになろうと務める。未来に夢を描くことができる。多くの富への可能性のある人々は戦争で全てを失いたくないだろう。自分達の立場を守る為には戦争も辞さないだろうが、その道には様々なブレーキがある。これが先進国である。
 資本主義は、生産と消費のバランスはいいのだが、利潤の処理に成功していない。だから、富の偏在、所得格差を生んでしまう。金持ちには税金で対応してセーフティネットを築けばいい。しかし多くの富を築いた者は権力も握るから、そうはさせじと政治に介入して格差を一層拡大する。

 同じ書名で三島由紀夫のものがある。これも、日本的社会で常識としてきたものを、ある種の個人主義で切って捨てるような面白みがあった。が、これはリバタリアンについての本である。リバタリアニズムとは、国家の機能を縮小し、市場原理によって社会を運営しようという政治思想。この本では、売春婦、麻薬密売人、ポン引き、闇金融など、を擁護することによって、"不道徳"な行為に対する人々の偏見を挑発し、その背後にある"国家"を考えさせる。全てが個人の幸福に収斂する。国家が国民の福祉を増進するというのは幻想である。その例として、アウシュビッツ、ソ連の強制収容所や中国の文化大革命のように、近代国家成立後におこった信じがたい災厄のほとんどが国家の巨大な権力が引き起こしたことである。これに対して市場機能が果たす役割を重視している。
 
 国家が果たしている役割のほとんどすべては市場で提供されうる。できる限り国家の権限を縮小し、小さな政府にすることが望ましいと考えている。夜警国家論である。これを竹中平蔵や小泉政権は政治的スローガンに利用し、規制緩和も、郵政改革も中途半端に終わってしまい、今やかえって前より病状は悪くなっている感じだ。リバウンドというのは一層深刻だ。
 
 アダム・スミスが「神の見えざる手」と国富論 (the Wealth of Nations)でいった市場機能は、官僚機構が生み出すもろもろの政策とは関係がない。アダムスミスは人間の理性とか、悟性にもとづき、他人と自分という関係における道徳的な規範や自己規制によって社会の調和を図る事を期待していた。だから、何も、勝手に自由気ままな結果が平衡状態をもたらすとは言っていない。そこは誤解ではないか。アダムスミスの国富論の骨子は、道徳情操論という哲学論に前提として展開されている。リバタリアン経済学者ハイエクは法哲学者でもある。彼が、アダムスミスが国富論で言っている神の見えざる手をそのよう解釈するるはずはないのだが。

 しかし、政府のアフリカ諸国への援助、日本のODAの失敗を思い起こさせるような指摘もなされる。貧困に対する”援助”は、実際のところ何の役にも立たず、かえって相手国の経済に打撃を与え続ける結果につながり、自国の市場機能が育たないため、援助中毒から抜けることができなくなっている。国家が支援したものは必ず、先方の未成熟な国家機構を介するから、結局援助は一部の官僚や権力者に横取りされてしまう。多くの先進国が過ちを犯して来た。

 アメリカのリバタリアンはいわゆるリベラリズムにおける、国家の機能を組合とか、ボランティア、自発的団体に置き換えようとするもので、その経営には高度の技術を必要とする。これを実際にこなせるのは、神のごとき人材である。これをヨーロッパに置き換えると、結果的にはナチスのようになってしまうのではないか。結果的に超国家主義になってしまう。ロシア革命が人類初の自由な、階級の無い国家を志向して全く逆の結果になった事が思い起こされる。統治という事はリバタリアンでも放棄はしていない以上、この権力という代物は無菌状態の中で一気に増殖する病原菌のような陳腐な権力すら抑止できないのではないか。オウムなどもそうだ。一部の宗教団体とか、アーミッシュのようなアメリカの政治や経済と隔絶された中でしか実現できないものだ。実際、過激なテロとか、ゴールドウォーターのような極右を生み出す温床になっている。
 
 オバタリアンと違ってリバタリアンは過激派で、イスラム原理主義者並みに危険である。オクラホマ州で連邦政府ビルを爆破したのもリバタリアンだ。そして、ユダヤ資本が制圧しているかに思えるアメリカでも、リバタリアンだけは別で、なんせ、自給自足、独立独歩を旨とし、あらゆる国家の干渉を排除しようという過激な連中がいる。行き着く先はアナーキズムとなるのである。

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ーいつも説明が足りない民主党政権ー

 TPPのときもそうだったが、民主党の政策に関するPRの下手な事には辟易とする。鳩山のデタラメと菅のていたらくは言うに及ばず、野田政権もへたくそ。いつも不退転の決意とか、感情的表現しかしない。もう少し、政策の必然性について説明とか国民を説得するスピーチをしてはどうだろうか。国会だけではなく、国民に向って何故消費税を上げなければならないのか。政府は、税の公平性を守る為にどんな努力や工夫を考えているか、デフレ対策と成長戦略など語ってもらいたい。政策は国民なんてどうせ理解出来ない、自分達にしか分らない。自分達は、馬鹿な国民に代わって政治をしているという思い上がった考えがあるからだ。本当は自分達の自信の無さの裏返しだが。勘違いである。民主党のマニフェストも、国民は騙せると思っていたのに違いない。秀才タイプの多い民主党の癖であろう。問責決議を受けた一川保夫前防衛相と山岡賢次前消費者相兼国家公安委員長、とんでもない連中である。彼等が小澤派であることに注目したい。あの二人の人相の悪さも相当なもの。国民のことなど念頭にない、自分の権力や地位のために生きて来た顔立ち。

 税と社会福祉の一体改革は野田政権の目玉として、今回内閣改造が行なわれ、岡田克也が副総理として今回、その責任者となった。彼はもと通産官僚であったが、公務員や議員経費の削減を何処まで達成できるかで彼の手腕を問われるのである。これまでの筋書きは財務省官僚が作っているのだから、野田総理はその中で踊っているだけである。官僚というのは目標づくりとか、対策はお得意だが、リスクを避ける知恵とか、予測能力が無い。予測というのは想像ではない。先を読む力、決定したことの結果を見て次の計画を作る。この点は人、金、時間といった要素の合理的運用のことで企業人が遥かに優れている。
 
 内閣の国民に対する責任は、増税による不平等、税の逆進性をどこまで抑制出来るかである。それが無ければ、単なる苛斂誅求である。我が国の税金は消費税だけを見れば5%と安いが、その他、所得税、地方税、年金、健康保険料といった国民負担ー財布から出て行くのは実質25%となり、かなり高い。社会保障を入れると39.1%(06年)である。例えばスウェーデンが70%としても、現金給付などで、40%以上が還って来る。日本は現金給付はバラマキといって非難されるが、先進国では現金給付は常識で、ドイツなども介護保険は現金で給付される。だから国民の負担感はその割りには少なく、不満が少ない。増税は何処の国でも国民から嫌がられる。経済成長が4%くらい無いと
今回の案でも、世帯の可処分所得が下がり、さらにデフレは酷くなり、円高が進み、国内産業は空洞化が進む。折角の消費税の税収も減少し、財務省あたりはもっと増税しろと宣うだろう。

ー安易な構造改革は国民にしわ寄せが来るー

 公務員を減らすとどのようなことが起きるのか。例えば、国税局の職員を減らせば、税金の徴収能力が落ちる。今でも、10兆円もの取りこぼしが毎年ある現実をどう見ているのだろうか。行政能力が落ちれば、その分国民が割を食う。警官を減らせば泥棒が増えて国民の財産が脅かされるという関係を誰が予測しているのだろうか。マスコミはそうした問題をキチンと予測して報道すべきである。

 日本は介護も教育も現物給付である。それは政府が国民を信用していないからだ。国民は金を出すと貯蓄するか、目的外に使用すると決め込んでいる。国民の権利を認めようとしない。その結果、莫大な事務量とそれに関わる役人や、資格、民営部分も手続きなどの経費がかかって無駄が生じるのである。公務員もそうした無駄な作業で忙しく、何も遊んでいるわけでは無いのである。かつて、ナチスドイツは少子化対悪として、子供を生むと、1人につき何百マルクかの貸付金を無利子で渡し、その結果人口が増加した。結局彼等を戦争で死なせてしまうという裏はあったのだが。

ー国民を信用しない政府に全ての無駄の原因があるー

 民主党のマニュフェストには多くの現金給付があり、これが野党の攻撃の的になっている。子育て給付金、高速無料化、農家の損失補償などである。公明党のやり方は記憶にあると思うが、一律買い物券をバラまいてしまう。行政は、給付を必要とするものと、そうでないものとをきちんと区別する能力があるし、仕組みを作るべきだ。あの買い物券こそバラマキで効果も瞬間的であり意味が無い。自分達はそんなデタラメ策しか無かったのに補償や支援の為の明確な目的を持った給付金に反対するというのは全く理解出来ない。ところが、民主党はそれに対する反論が見られないのはどういう訳だろうか。彼等にいつも足りないのは説明責任である。
 大体、野田政権が先日出した税と社会補償の一体改革のレポートも読んでいない一般通行人に消費税の可否をインタビューすることはフェアではない。マスコミは行政改革を条件にしなければ消費税を認めないというなら、公務員や議員をどれだけ削減したらいいのか、意見を言ってもらいたい。言いっぱなしはだめである。何でもスローガンのようにダメ、反対というのは日本人の悪い癖。ダメなら何処がダメで、どうすればいいのか、意見が無い人は黙っているべきだ。

 民主党にとって最難問である公務員削減を条件にするといつになっても消費税は上げられないだろう。民主党は官公労、公務員によって支えられている。そのうちに、国際社会から行政のコントロールが効かない、ギリシャのような国になり、あらゆる国際投資が逃げて行く。そのときのダメージは計り知れない。行政改革と一緒に進める事を政権は言っている。5%だけを見て賛成、反対では話にならない。テレビの大衆とは一体なんだろう。小学生程度の知識しか無いか、お得意の新橋駅前の帰宅前の酔っぱらいに意見を聞いて何になるのでしょう。この問題は、勉強しないと意見は意味が無い。構造改革も税も同時にとにかく早くやらないと時間が無いのである。どちらかを条件にするような話ではない。国民には学者が分かり易く、その問題点や方向を説明する必要がある。国民はそうした理屈を充分に理解出来る学力がある。その意味では極めて水準が高く、優秀な国民という資産を活用すべきである。マスコミ批判になるが、NHKを始めとするマスコミはあまりにも国民の知的レベルを低く見ている。実は自分達が低俗なのである。自分達の横暴を棚に上げて、国民のモラルハザードを一滴も許さない。

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by katoujun2549 | 2012-01-13 20:18 | Comments(0)