<   2011年 07月 ( 16 )   > この月の画像一覧

書評「激動のトルコ」9・11以降のイスラムとヨーロッパ
 内藤正典著 明石書店
 
 トルコは3・11東日本大震災に100億に及ぶ義援金を送り、これは台湾に次ぐ額となっている。これを親日と言わずして何であろう。日本にとって大切な国である。
 オバマ大統領は初めての欧州歴訪の最後にトルコを選んだ。クリントン国務長官が仲立ちにトルコはアルメニアとの 国交を回復、京都議定書の批准、国連安保理の非常任理事国への選出など、国際社会において存在感を高めている。EU 加盟問題なども含め、トルコの国際情勢における戦略的位置についての解説書として信頼感のある内容である。一橋大学教授として、内藤氏は学生を引率し、トルコ、ドイツを訪問、トルコのEUとの関係を今日的視点で、学生の視点—トルコの若者との交流、ギュル大統領へのインタビューも含め密度の高いトルコ事情を説明している。夫々のテーマ設定が大きなテーマであり、語り尽くすには荷が重いが、鋭い観察と若者の目で見た精一杯の整理が行なわれている。

1.イスラームとトルコ
 
第1章 歴史の転換点を迎えたトルコ(内藤)
 
第2章 世俗主義の崩壊?トルコ情勢のいまを読む(栗林)
 
第3章 PKK問題はいかにして世界に波及したか(東)



2.トルコとヨーロッパ
 
第4章 憧憬と蹉跌—それでもEU正式加盟をめざすトルコ(中村)

第5章 疎外と内向—EU拡大統合路線の限界とトルコ加盟(浮田)
第6章 ドイツのトルコ人—線引きする側とされる側(高見)



3.ヨーロッパとイスラーム
 
第7章 ドイツにおけるスカーフ論争(堀)
 
第8章 創られたイスラーム像
    ムハンマド風刺画問題とは何であったか(小山)
 
第9章 多文化主義の実像—ムスリムをめぐる四つの物語(後藤)

 
終章 トルコはこれからどこへゆくのか(内藤)


 
コラム ラマダンへようこそ(新発田)
 スカーフをかぶった少女との出会い(新発田)
 
恋する心と体の関係(廣田)

 

あとがき(一橋学生+内藤)

 トルコは、どこへ向かうのか? 2006年から07年にかけて、国家と国民の針路をめぐって、激しい議論と政治的に大きな事件が起きた。最初はイスラーム主義に立つ老練な政治家、ギュル(前外相・副首相)を大統領に選出するかどうかであった。総選挙では、与党の公正・発展党(AKP)が圧勝。AKPは、02年以来、政権を担ってきた。エルドアン首相やギュル大統領は、90年代に閉鎖させられたイスラーム主義政党(RP)の福祉党の出身。
AKPは総選挙の最中、中道色をアピールしたが、実際にイスラーム主義路線を捨てたのかどうかは大きな議論となった。選挙後、政府は憲法改正に着手「よりリベラルに、より民主的に」をスローガンに、「市民の手による憲法」を制定する過程で、憲法原則であり改正不可条項になっている世俗主義を骨抜きにする方向を打ち出しつつある。

 一方、隣国イラク北部に拠点をもち、トルコのクルド人たちの分離独立を主張する武装組織PKK(クルディスタン労働者党)によるテロと攻撃が激しさを増していった。トルコ軍兵士や民間人に犠牲者が急増し、07年だけで100人を超える死者がでる事態となった。世論は沸騰し、ついにPKK掃討のために北イラクへの越境攻撃を行うことになった。この問題は、トルコ共和国憲法において、同じく改正不可条項とされている「国民と国土の絶対不可分」の原則に関わっている。
 トルコは、中東地域の安全保障に重大な影響を及ぼす。

 世俗主義をめぐる問題は、イスラーム圏での民主化が、西欧とは異なる道筋で達成できるのか、それとも西欧の模倣をしなければ達成できないのか、という根本的な問いにつながる。イスラーム的民主化は成功するのか? それとも民主化には、国家と宗教を切り離す世俗主義が不可欠の条件なのか。欧米諸国が、こぞって中東・イスラーム圏の民主化を求めている今、トルコの将来は、この大きな課題への答えとなるだろう。

 
トルコ共和国の基盤となってきた「世俗主義」と多民族構成からなる国の形を守る「不可分の共和国」という二大原則が崩壊する可能性もあり、崩壊の後に、何がもたらされるのか。宗教の、あるいは信仰実践の多様性を認めた場合、圧倒的多数を占めるスンニー派のイスラーム法が、結果として「規範」になってしまうことは十分予測可能である。逆に、世俗的でありたいと願う人々の権利と自由が、将来にわたって脅かされない保障はない。
 

 その一方で、本書でも紹介されているように、イギリスやドイツなど西ヨーロッパ諸国は、文化の多元性を規制する方向に転換しつつある。あいつぐテロ事件や暴動の結果、ムスリム移民に対する同化圧力は強まっており、多文化主義は、ヨーロッパにとって、もはや好ましいものではなくなりつつあると言ってもよい。スウェーデンの爆弾と無差別銃撃テロ事件が物語るヨーロッパ人の抵抗感がある。 つまり、トルコとヨーロッパでは、文化の多元性に関する方向性が正反対になっているのである。トルコが、EUの圧力で、遅まきながら民主化と自由化をめざしたと解釈するのは単純すぎる。ヨーロッパでは圧力にさらされているイスラームが、トルコでは主導的な立場となって、自由と民主主義を求めている。それが、今後の中東・イスラーム世界と西欧との関係に、どう影響するのかを注視する必要がある。(内藤正典氏の論説から抜粋)

  エルドアン政権は国民の支持を背景に、これまで、度々クーデターを起こして来た、世俗主義の軍を掌握しつつあり、先般、参謀長など軍幹部を辞任に追い込んだ。政権は独裁的になりつつある。
エジプトやリビヤ、さらにシリアの民主化運動の行く末にトルコの世俗主義と民主化は大きな影響を与えるであろう。かつてのオスマントルコ帝国が宗主国として支配された国々が警戒心もあるが、トルコ経済の繁栄を目の当たりにし、どうトルコを取り入れて行くのか、注目すべき情勢が始まっているのである。

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「裁判官が日本を滅ぼす」(新潮文庫)を読んでいたら、第九章、法庭で不正を奨励するエリート裁判官という下り、彼が下した1999年の千代田生命の内部告発に対する東京地裁民事42部の高柳輝雄裁判長の非常識仰天判決について書かれていた。高柳という懐しい名前と、彼らしい思考経路が興味深い。彼とは大学時代同期で、剣道部で3年間一緒に過ごした。千代田生命の元常務が、不正融資を内部告発したことに、当時の会長が損害賠償の裁判を起こし、その時の裁判官、高柳輝雄裁判長があの高柳君だったとは。門田氏は、正義感の無い、機械的判決を行なう裁判官を糾弾している。判決は不正融資の主の原告勝訴。会社を守る為に退職後告発した役員に賠償責任を負わせたのだ。「不正は知っていても墓場まで持って行け、会社役員の守秘義務は永遠に続いている」という判決を出し、正義を実現するはずの法廷で、不正を堂々と奨励してのけた。一個人が会社という権力に、内部告発という手段を許さない。強者の立場しか目に入らず、社会的公正、企業の社会的責任を無視した判決であった。

確かに当時は内部告発には社会の理解が無かった。その後、千代田生命は乱脈融資が祟って潰れた。
 この本は門田隆将氏のデビュー作。お時間があったら読まれるようお勧めします。如何に日本の裁判官がエリート意識の固まりで非常識、かつ思考能力に欠けた単なる試験に通っただけの記憶装置人間かという告発書だ。日本の裁判官の異常な判決がこれでもかと書かれて面白い。裁判員裁判の必要性も分かる。とにかく、裁判官は忙しすぎる。年間140件もの判決を出さなければならない。裁判のマニュアルに従って、先に白黒つけた上で、後は判決の理論構成をしている。あの厚労省村木さんの検察データ捏造事件もあったが、裁判官も検察もこんな感じでは国民は救われない。税金でくだらないエリートを育てている日本が情けない。真実は何か、正義とはどうあるべきかといった観点は考慮されない。そんな裁判官が法律のプロだからといって、正しい判決が常に出される訳ではない。だから、裁判員裁判なのである。

 やっぱり、という感じ。彼は、自分と剣道部同期で、感心な事に3年生まで一生懸命稽古に参加していました。学園紛争時代、もう勉強の意味を失い、大学に愛想を尽かして剣道に打ち込んでいた。彼は、司法試験の勉強をやりながら、真面目に稽古に出ていた。剣道部仲間ではゲゲゲの鬼太郎に出てくる、子泣き爺とか、塗り壁とかからかわれていたが、勉強意欲を失った自分と比較して敬意を持って仲良くしていた。大学1年から初心者で、素振りから始め、先輩に我慢強くかかり、頑張っていました。彼は、何と、4年で司法試験に現役合格したのです。いつも、稽古ではボコボコにされていたから、悔し紛れに自分には「おい、加藤、お前は剣道ばかりだが、好きなことがあるのもいいよ」とからかうように言われた。一寸、小馬鹿にされたかなと傷ついたが、ある時、図書館で、卒業した先輩で髭だらけの司法試験浪人が勉強しているのを見て、あいつ等は要領が悪い。何年やったって無駄だよと耳打ちしたんで、こりゃ、剣道バカリの俺の事は相当に馬鹿にしているに違いないと思った。学校が無茶苦茶になっている時、猛勉強できる彼を敬意を持ってみていたが、自分を正当化するようだが、心がぐしゃぐしゃになるのが普通。勉強に身が入らず、自分の好きな本しか読まなくなった。剣道だけは続けたが、落ちこぼれたなと挫折感に落ち込むこともあった。それを平気で勉強できる彼の神経を疑いたくなった。確かに、彼は論客で、自分の考えを曲げない奴だった。あれが、きっと裁判官になって特殊環境の下、傲慢になり、もともと、唐変木の機械的思考のところがあったから、さらに酷くなったのだろう。

 この判決後、バブルが崩壊、千代田生命も倒産、各方面で内部告発は常識的にも認められ、市民社会の責任ある行動と見られるるようになった。高柳判決も、当時は保守的であるが、認められた。上告は無かったのだろうか。しかし、彼が、元常務を支持したら歴史に残る名判決になっていたろう。高柳君は残念ながらやはり、裁判史には残らない凡人であった。

 今、政府は人権保護法案の成立に向けて意欲を示している。これは一見人権保護に向けた民主的な体制づくりに見える。しかし、その狙いは、三条委員会という、全国的な組織的な仕組みで、原論弾圧にもつながる危険性をはらんでいる。政治家が狙っているのは言いたい放題の言論なのだろう。裁判においてマスコミはしばしば叩かれる。マスコミというある種の権力と、国家権力との戦いであろうか。この「裁判官が日本を滅ぼす」というのはマスコミ関係者のみた裁判像でもある。裁判にはそれなりの論理があって、証拠などの構成要件も法律的な積み重ねが必要だが、マスコミからの告発にはそうした要件が不足している場合もあるのではないか。また、判決はその当時の「常識」に従っているので、今の時代からは奇異なものもある。10年もすると社会的な意識は変化する。判例主義ではその判例が何年も前のモラル、社会観に縛られており、極めて保守的になり易い。また、死刑制度など、国際的常識には到底ついて行けない水準である。このあたりが、裁判制度を批判するうえで難しい事ではないだろうか。


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 新潟県を訪問中のルース駐日米国大使は24日、横田めぐみさん=失踪当時(13) が北朝鮮工作員に拉致された新潟市中央区の現場を視察した。大使は「拉致当日、めぐみさんが歩いた道を寄居中学校を出発。めぐみさんが最後に目撃された交差点、当時横田さん一家が住んでいた自 宅や近くの海岸まで歩き、失踪した当時の様子などの説明を受けた。 ルース大使は東日本大震災後、日本国内の安全性を広くアピールするため、全国各地を訪問。7月23日から新潟県を訪れたというが、ルース大使はその後も、軍関係者と東北各県を視察、宮城県などの被災地も訪問し、存在感を示した。
 
 モタモタした日本の対応とは対照的な、アメリカ軍の迅速な行動、特に、沖縄駐留米軍の機動性には日本政府は何も言えない。米軍は真っ先に仙台空港を復興した。かつて、太平洋戦争で占領した島々にあっ言う間に飛行場を建設した手法だ。戦略が明確なのだ。ともだち作戦に感謝である。原発での政権の不祥事、菅直人が米軍の支援を断って、一企業の東電に任せた結果。この辺のやり取りはアメリカから情報が出れば、政権はひっくり返る。びびった政府、その後、日本は鹿児島市西之表市の馬毛島の米軍戦闘機離発訓練地として特定する方向を明確にし、菅政権はアメリカにとって、実に頼りないが、少なくとも盾つく事の無い、素直な子になってしまった。これを見逃す訳が無い。菅直人もアメリカの支援が震災に関わらず、現政権の交代によって日米間が不安定になることをアメリカが嫌って、これからも政権継続に向けて支援を続けてくれるかもしれないという、淡い期待を抱いている。菅首相は、あれだけのバッシングを受けても平気でいられる。支持基盤の弱い菅直人は藁をも掴みたい状態、アメリカからは御し易く日米関係を根底から崩しかねない、小澤や鳩山より遥かに評判がいいのだ。だからこそ、これまで、何の動きも無かった拉致問題が動きだし、アメリカ大使の動向も、うなずける。
 もっとも、菅直人という人物は、権力欲の塊で、恩義とか、信頼感といった徳性とは無縁の男であることは、アメリカも承知している。アメリカにとってはその方が気が楽なのだろう。軽佻浮薄大好きな国ではないか。
 
 鳩山政権の脱米軍、脱アメリカ、親中路線にはアメリカは危機感をつのらせ、しかも、オバマ大統領をtrust me と言って、普天間でふらつき、すっかりアメリカ側から総スカンを食った鳩山よりは遥かに良好な関係にある。今、拉致問題に関して、水面下で日本が北朝鮮との交渉を続けていることは、菅直人が、草志会から田宮高麿の長男、市民の党献金問題にあるように、北とのパイプは自民党よりははるかに太いことを示しており、今や、拉致問題を取り上げるかつてない機会である。売国的結果が待っているのだが。これを8カ国会議と別に進めることを非難するならば、長期にわたって交渉を続けている、6カ国協議の邪魔にならないと言っていては全く手をつけられないことになる。こうした交渉は、震災後や菅直人辞任コールのあと泥縄式にできるものではない。長い準備がいるのである。

 中井洽元拉致問題相が先週21~23日、政府の拉致問題対策本部職員を伴って中国・長春を訪れ、北朝鮮高官と接触していたことが26日、政府関係者の話でわかった。会談相手は宋日昊ソンイルホ日朝交渉担当大使とみられる。
 この問題では、菅首相や枝野官房長官、松本外相らが一斉に関与を否定した。自民党は26日、外交部会を緊急招集し、政府に「二元外交だ。米国や韓国への裏切り行為だ」などとして事実関係をただした。外務省は関与を否定したが、部会後、政府の拉致問題対策本部は、小野寺五典部会長に対し、職員が休暇をとって同行していたことを認めた。

 枝野幸男官房長官は25日午後の記者会見で、中井洽元拉致問題担当相が北朝鮮の宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使と中国の長春市で会談したとの一部報道について、「(中井氏の)個人的な旅行の日程まで把握していない。事実関係自体承知していない」と述べた。
内閣府の拉致問題対策本部職員が同行したとされることについても、「対策本部事務局からは、本件に一切関与していないとの報告が来ている」と語った。民主党の岡田克也幹事長も同日の記者会見で「私は承知していない。菅直人首相なり、松本剛明外相が事前に聞いていたかどうかも承知していない」と語った。(2011/07/25-20:32)

 とにかく、頭隠して尻隠さずの下手な噓ばかりつくのが民主党だ。この枝野という人物は、3/11の原発事故の時以来、菅直人の忠実なスポークスマンのようだが、言っていることは全くの官僚答弁で国民には噓ばかりを報告する。彼の言っていることは菅が言ってもらいたいこと、こうあって欲しい事で真実とは関係がない。昔より、官房長官の報告が昔より減っており、彼が登場するのはいつも嘘をつくときなのだ。菅の後始末の時に頻繁に登場する。国家というより民主党の都合を全てに優先し、真実を知らぬ存ぜぬで隠すことが自分の役割だと思っているらしい。菅は何事にも汚れ役を用意し、それが中井氏だが、都合が悪くなると切り捨てるやり口が得意技だ。そうしたメンタリティが政治家の間での彼の人格的な信頼感を損っている事が分る。

 クリントン米国務長官は24日、北朝鮮の金桂冠・第1外務次官が週内に訪米する予定であることを明らかにした。長官は声明で「米国は今週、北朝鮮の金桂冠・第1外務次官をニューヨークに招請した」と述べた。同長官は「(今回の協議は)予備的なもので、北朝鮮が、国際社会と6カ国協議の合意による義務を順守し、核放棄に向け具体的かつ不可逆的な措置を取る準備ができているかどうかを判断することを目的としている」と述べた。米中が合意した6カ国協議再開の手順は、韓国と北朝鮮による南北対話、米朝協議、最後に6カ国による協議の3段階を経るというもの。22日には南北の高官が会談しており、第1段階が完了した。6カ国協議の北朝鮮首席代表を務めた金桂寛(キム・ゲグァン)外務省第1外務次官は、全米外交政策会議 (NCAFP)などの招きで28日ごろ米ニューヨークを訪れ、ボズワース北朝鮮担当特別代表と会談する見通しで、 これを機に米朝対話が本格化するとみられる。

 ところが、枝野幸男官房長官は27日の記者会見で、北朝鮮外務次官が核問題をめぐる6カ国協議再開に楽観的な見通しを示したことについて「北朝鮮が自らの約束を進展させる意思を具体的行動で示さなければならないが、現時点で示していない」と述べ、現状では困難だとの認識を示した。こんなことは彼に聞かなくても分っている。どうも、民主党はアメリカからも情報を得ていないらしい。そもそも、外務省の官僚は、彼等には情報をあげていないのだろう。菅直人はじめ、民主党の連中は、自分の知らない情報を官僚があげると、何で報告しなかったと怒るんだそうで、彼等の役割そのものが否定され、怖くて報告も出来ない。核問題である6カ国協議は日本は実は邪魔者なのである。

 ルース大使が新潟を訪問したからと言って、拉致問題が進展するとは思えないが、少なくとも菅政権は、何とかこのあたりで人気取りをし、アメリカも支援して政権を維持させたいという行動を取っている。そもそも日本には自主外交など無いのだ。これを自民党時代から隠蔽しつづけてきた。田中角栄のように自主外交をしようとすれば、アメリカ側から簡単に秘密を暴露され、政権は崩壊するように出来ている。今はアメリカと軌を一にしているから、野党が何を言おうと、無能、マスコミのやめろコール何ぞは、馬耳東風なのである。最高権力者である首相が、周りからやめろと言われて簡単に辞めるようでは、そもそも首相になる資格など無かったということを証明するようなもの。かつて鳩山がアメリカから拒否反応を示され、公式にオバマを訪問しても、never trust you と、会談のお相手もしてもらえず、会っても10分の社交辞令で終わってしまう。鳩山は敢え無く昨年6月に政権を放棄したことを思い出してもらいたい。これが日本の実態なのだ。もし、日米が対等になろうと思えば、核武装しかない。菅やめろコールはマスコミをあげての煙幕かもしれない。原発事故のときのマスコミを見れば分るが、彼等は統制されている。いま、人権保護法と言うもっともらしい法案が審議されているが、これは人権に名を借りた報道統制法なのである。菅バッシングは煙幕である。これに迎合する評論やオピニオンはまさにピエロだ。

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 千葉地裁の裁判員裁判で、被告、市橋達也は無期懲役の判決を下された。リンゼイさんの父親は捜査のときからしばしば日本に来て、テレビなどで発言してきた。彼は。裁判においても、被害者の家族として、検察から証言の機会を与えられた。「この邪悪な男は娘に邪悪の限りのことをしました。私たち家族は、彼に最高刑を与えたいということだけで気持ちを一つにして頑張っています(引用)」と強く訴えかけました。

 被害者家族の会の努力で、日本もようやく、裁判で被害者と家族の人権が認められるようになった。かつては遺族は被害者の写真も持ち込めず、裁判資料も見ることができなかった。市橋は懸命に死刑を避けるため、殺意を否認し続けた。3分間以上も首を締め上げて死なないと思う方がおかしい。また、彼女をバスタブに土を入れてその中に遺棄したことは計画性をにおわせる。彼女を監禁している間に、千葉大の園芸学部にいた彼は、土壌による死体の腐敗処理を考えた。何事も先読みする市原、死体の処理まで構想し、彼女を殺したに違いない。最初は殺意はなかっただろう。が、監禁して暴行したのだから当然であるが、彼女が全く彼を許さず、拒否していることに腹を立てた。このままでは犯罪となる事を思い犯行に及んだ筈だ。性的暴行や計画性、2年以上にわたる逃避行や顔の整形など、被害者への同情や、改悛の情を感じさせない。

 日本人の家族なら、死刑を願うだろう。ところが、彼女の父親は、死刑とは一言も言わず、この国の最高刑にを望むとしか言わなかった。イギリスは死刑廃止の国だ。判決が出た後のインタビューで『この日をずっと待ち続けていた。(判決に)満足している。娘のために正義を勝ち取るのに4年半かかり、やっと実現した』と話したということであり、また「代理人の絹川健一弁護士は『(判決が)遺族が最高刑を望んでいるという気持ちを理解してくれ、日本の量刑事情から、無期懲役が妥当だと遺族は理解した』と話した。」ということであるが、おそらく日本の被害者遺族なら「死刑」を望んだ事だろう。

 イギリス人の父親の感覚からは復讐としての刑の執行は望まれていない。日本という国における正義を要求している点が違う。偉い父親だと思う。被害者が最早生き返る訳ではない。しかし、正義は実現したい。犯人市原の逮捕までの執念も大変なものだ。未成年の場合だが、永山基準というのがある。複数殺人、残虐性、精神状態などが死刑判定の材料になる。東京都江戸川区の荒川河川敷で1999年、ホームレス仲間の男性3人を刺殺した として、殺人などの罪に問われた安藤義雄被告(59)の控訴審判決で、 死刑の1審東京地裁判決を破棄、無期懲役を言い渡した。 須田賢裁判長は判決理由で「法秩序を全く無視した理不尽極まりない犯行で、 当時完全責任能力があれば死刑を選択せざるを得ない」と指摘。その上で、 覚せい剤使用の影響で当時心神耗弱の状態だったと認定し、刑法に従い刑を 減軽した。 強盗殺人で一人を殺しただけで死刑になったケースもある。このあたりの整合性をどう見たら良いのだろうか。

 被害者遺族の感情として、死刑を望む気持は自分も理解できる。光市の母子殺人事件では遺族の本村洋氏が執念の「死刑判決」を勝ち取った。これまで、加害者の罪の改悛の情とか、更生の可能性といった要素が考慮され、死刑から無期に転じる要因にもなって来た。犯行時に未成年だった場合、無期懲役でも7年〜10年で出所する可能性が高い。これには誰もが納得できない。また、殺人を犯したときに心神耗弱状態であったときは死刑にならない。1981年(昭和56年)に深川で起きた通り魔殺人では川俣軍司は覚せい剤常用の幻覚症状とされ、子供を含む4人を殺害したが、無期懲役である。自分は覚せい剤を使った心身耗弱が何故減刑の理由になるか分からない。薬物を使って度胸をつけ、殺人を起こすような卑劣な行為は、即刻死刑だと思うのだが。池田小学校無差別殺人事件の犯人、宅間はすでに死刑が執行されたが、彼は精神薬、SSRIを使っており、この副作用による凶暴化が指摘されるようになった。今日なら死刑にならなかったかもしれない。薬物による心神耗弱で犯した犯行は、女性や子供など弱者に向けられる事が多いような気がする。犯人は大言壮語する割には気が弱い小心者が多い。そもそも、異常な人格だから犯行に及んだ訳で、そうした人物が極刑になることをためらう必要は無いと思うが。

 先日、東電OL殺人事件で無期に服しているネパール人ゴビンダに再審の可能性が出て来た。DNA鑑定で新たな結果が出たのだ。彼は冤罪かもしれないということが言われていた。捜査当局の関係者は彼の自白は虚偽ではないという。しかし、死刑では取り返しがつかない。近年の検察のやり口が明らかになると、この判決にも疑義が生じる。そんな裁判で死刑を執行されてはたまらない。これまでも足利市の幼児殺人事件の冤罪、菅谷さんの件もあった。

 死刑判決を受けた犯罪者は、死刑までの間、拘置所で何年も過ごすうちに、改悛していき、最後は、何でこの人間がそのような犯罪を起こしたかと思うばかりになり、執行者も同情することもあるという。しかし。これは死刑があるからだろう。死刑という現実を前に犯罪を犯したことを悔いるのだ。殺人者の更生のために死刑があるというのは、随分穿った理屈だ。むしろ、被害者にかわって復讐する応報刑といった色彩も我が国では強い。光市の母子殺人などもその傾向だ。ところが、法務大臣が最終的に決裁印を押さない為に、多くの死刑囚が拘置され、判決から執行までに2年以上かかり、10年以上も拘置所にいる死刑囚は毎日死刑の恐怖に怯えながら精神を病んで行く。少しでも、疑義があったり、政治的な影響があると殆ど執行されない。オウム真理教のサリン事件犯人などがそうだ。我が国では実質的に、曖昧なまま、死刑を実行しないという奇妙な慣習になりつつあるし、裁判においても、裁判官は何とか回避しているようにも見える。裁判官も、自ら死刑を宣告、判決を下したくない人が多い。最近裁判員制度の方が死刑求刑には厳しい判決が出ているのもうなずける。

 とはいえ、国際的には死刑制度は廃止の傾向だ。ロシア、殆どのヨーロッパ、トルコ、中東の幾つかの国々、カナダ、米国の半分くらいの州で廃止されている。日本は死刑制度を持ち、毎年執行されている先進国ではむしろ珍らしい国だ。あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国:95通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国:9、事実上の死刑廃止国:35 法律上、事実上の死刑廃止国の合計:139存置国:58であり、世界の3分の2が廃止した。
 アメリカでは13州で廃止している。
アメリカ合衆国の州別の死刑制度
■青: 死刑を廃止した州(13州=2009年現在)
■橙: 死刑が憲法違反であるとされた州(2州)
■緑: 1976年以降死刑を執行していない州(2州)NYを除く
■茶: 死刑が執行される州(33州)
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 では、人権弁護士のような形で、法廷闘争を通じ、何が何でも反対するという方法が正しいとは思えない。奇妙な人権弁護士が跳梁跋扈する原因を考えたい。日本と中国は死刑の多い国と言われる。このギャップをどう考えるかだ。被害者感情からは応報刑であるが、国家が犯罪の抑止や社会的正義の実現を行なう為に死刑を行なっているのか曖昧だ。刑罰というのはその国の国民感情、宗教観、社会の雰囲気に影響される。そして権力を持っている政府が決定してきた。民主的な方法や善悪で決まる訳ではなかった。だから、国が決定したことに忠実であるかどうかが問題なのだ。今の日本は死刑を支持する人が多い。これは死刑に関して、国の制度としての仕組みを知る情報がない。そのために関心が薄いことからくる、感情的な選択であるようにも見える。我が国では死刑囚に対する長期拘留により多くが精神障害になっている、自己の罪の自覚まで失う死刑囚が多いという。

 冤罪の発生。検察の証拠捏造、判を押さない法務大臣など、この国は死刑を実行する能力や国民に対する責任がいいかげんであり、そんな国に応報刑としての死刑をさせていいのだろうか。世界のすう勢、日本国内での議論を、実態を明らかにすることで、その意義などを議論して国民投票などで決めるべきだ。死刑の是非をいきなり問うのではなく、死刑を社会正義として実行するに相応しい国なのかを先は問いたい。執行する刑務官こそ被害者ではないのだろうか。死刑を肯定するか否かよりもその前の国の仕組みと実行する責任者を問いたい。死刑反対の人権弁護士は実は反体制の人々で、裁判をそうした闘争に利用しているだけなのである。

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 7月11日、海軍基地で野ざらしのコンテナに保管されていた武器などが大爆発し12人が死亡した。隣接した同国最大の発電所も損壊し、国内各所で断続的に送電が止まっている。MSN産経ニュースによると、キプロス南部の海軍基地で11日に起きた爆発をめぐり、基地に保管されていた武器のずさんな管理に反発する市民ら約1万人が12日、同国の首都ニコシアでデモ行進、うち数百人が大統領府の敷地に侵入し、警官隊と衝突したとAP通信が伝えた。
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 (共同)http://kyodoga.blogo.jp/archives/3392699.html

 トルコのエルドアン首相は19日、地中海のキプロス島の北側を占める北キプロス・トルコ共和国(トルコ系、同国のみ承認)を訪問し、南側のキプロス共和国(ギリシャ系)が2012年後半に半年任期の欧州連合(EU)議長国に就いた場合、「EUとの関係をその半年間凍結する」と警告した。トルコのアナトリア通信が伝えた。

 財政危機に貧しているギリシャというのは昔からろくな政治家が出ない国で、いいかげんな政治のわりには野望は大きく、イギリスやアメリカ、ソ連などの超大国を利用して何とか統治されている。今回も、財政の不始末をEUにかぶせて、逃れようとしている無節操さ。第二次大戦後、オスマントルコ帝国に支配された地域の奪還を狙ってキプロスをギリシャに統合しようとした。ところが、長い間トルコ人も多数住んでおり、ギリシャ人がトルコ人を虐殺した。そこで、トルコ軍が北キプロスに侵攻、首都ニコシアを境に分断され、いまだに緊張が耐えない。

 キプロスはEUにも加盟しているが、北キプロスはトルコが支配している世界から未承認の分断国家である。
かつて、イギリスがエジプト統治の抑えのため、キプロス全体を支配していた。イギリスの支配の仕方はアフリカやインドでもそうだが、民族対立を利用して、独立を抑え支配体制を維持する悪辣な方法であった。イギリスが手を引いた後の国は民族対立が耐えない。このキプロス問題に難癖を付け、フランスのサルコジとイギリスがトルコのEU加盟を阻んでいる。ギリシャはヨーロッパ文明発祥の地というだけのプライド、多くの遺跡による観光、それだけが頼りの国である。まあ、EUにとってはグウタラな長男で働き者の弟達に小遣いせびる、どうにも困った国と言っていい。

 では今回の爆発はトルコの陰謀か、爆発したものは基地内には、2009年に押収されたイランからシリア向けの武器。では、これはイスラエルのコマンドが破壊したかと思いきや、意外と単なる事故らしい。ギリシャは武器横流しの常習犯のような国、トルコがキプロスに侵攻した時に、ギリシャ軍がトルコを攻撃しようとしたが、軍の武器庫が内部の横流しで空になっていたため、突如中止となったほどである。全く軍も腐敗したどうしようもなさ。おめでたい程アバウトさ。キプロス共和国も似たようなものだろう。

 とにかく、ギリシャというのはリーマンショッック後の財政危機にしても、何ともだらしのない国なのだ。国民も政府を舐めていて、納税せず、脱税天国。それで起きた国家財政破綻。キプロスはかつて、クーデターで死に損なったギリシャ正教の大司教マカリオスが大統領を務めていたが、無節操にソビエトに接近した為、アメリカがトルコに肩入れし、今の分断状態が固定化してしまった。トルコの支配している北キプロスはいまだに世界の未承認国家で、経済発展していない。

 そういえば、昔、「日曜日はだめよ」というおおらかな映画があって、メルナメルクーリという女優が主演していた。彼女は後に国会議員,文化大臣になった。ギリシャの公的年金はユーロ諸国でも飛び抜けて支給率が高く、受給開始も早い。例えば92年より以前に公務員になった人は、58歳で退職して最終給与の80%を受け取ることができる。財政破綻国家なのに。ギリシャはポルトガル、スペインと並ぶナマケモノで有名だ。観光立国ギリシャに旅行した人は大抵、店が昼間から閉まっていたり、閉める時間が早くて困った経験がある。休み時間が3時間とか、職場から家に帰って昼飯を食べ、お昼寝もする。Hの回数は世界一多いんだそうだ。支援国ドイツの年金支給開始は67歳になっているから、メルケル首相がぼやくのもうなずける。しかし、称賛に値する、うらやましい勝手な国なのだ。

監督 ジュ-ルス・ダッシン日曜はダメよのメルナメルクーリ
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 一方南のキプロス共和国はギリシャからも独立、EUにも加盟し、いまや、議長国となろうとしている。これにトルコが反発、EUに対してトルコは怒り、エルドアンは6ヶ月国交断絶の構えで抵抗している。そうした中で起きた事故ではあるが、原因は武器の管理の甘さに便乗した、横流し一味が証拠を隠滅しようと爆破した可能性がある。とばっちりを被ったのが、電力を隣接発電所に頼っていたキプロス共和国の住民で、政府の杜撰な管理に怒った住民のデモに発展したというのが真相だろう。キプロスを利用しているイギリスと、これを支えるギリシャそれぞれ、けしからん国である。トルコが怒るのも無理は無い。
 
 ギリシャはどうしようもないヘンテコな国なのである。今の日本もヒトの事を言えたものではない。ギリシャを反面教師にしてエリを正さなければ、ガタガタな国になりかねない。
                  2011年7月12日投稿

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やった!なでしこジャパン世界一 
おめでとう


 この日は2時過ぎに寝たので、朝の女子サッカー、FIFAワールドカップ、アメリカ対日本の決勝は録画で見るしかないと諦めていた。目を覚ますとまだ5時前、あっ!これならまだ試合は終わっていないぞと思い,テレビをつけると、後半0−0ではないか。おおー!強豪アメリカに先制点を取られていない。日本は粘り強く猛攻に耐えている。アメリカの際どいシュートがネットを襲う。相手が押しまくっている時には隙も生まれる。ひょっとすると、これは分らんぞと思う。あれだけのシュートが入らないのは奴ら、チームがかみ合っていないのだ。運も見方している。しかし、体格の上回るアメリカのパワーに押されて、攻め込むのは容易ではない。遂に来るべきものが来た。後半24分強烈なモーガンのロングシュートがネットに突き刺さり、先制点を許してしまった。

 やっぱり駄目か、ところが、アメリカの攻撃が緩んだような気がした。優勝を意識したに違いない。チャンス到来だ、アメリカ陣地に攻め込んだ「なでしこ」。アメリカは先制してムードが守りに入った。そこにチャンスが生まれる。オっ!これは流れが変わったか、と思った瞬間、こぼれ球を拾ったシュートが決まり同点。なでしこジャパンの粘りを見せた。36分見事な宮間あやの同点ゴールを見たぞ。

 ありゃー、これはいけそー!と期待が高まり、延長戦に入った。もう立派、ここまでやれば何が起きても褒めてあげたい。後半も日本の集中力は衰えず、互角の展開になっているではないか。一寸冷蔵庫に食い物を取りに行った隙に、ワンバクめ、あのバカデカヤンキー女のヘディングが決ってしまった。ちくしょー。サッカーの試合ってこういう事が多いんですね。見る方が緊張がほどけたときは、試合の中でも何かが起きている。魔の瞬間に巻き込まれるんだろうと思う。

 ところが、勝ち越されたものの、延長戦も時間切れになるかというとき、澤穂希の延長後半12分のゴールで再び追いつき、試合は2─2のままPK戦に突入した。澤の絶妙なシュートがアメリカゴールに突き刺さったのだ。な、なんだ、よく見えないが振り向き様に蹴ったのか、後ろ向きに蹴ったようにも見える名人芸ではないか。ヤバ過ぎー。この一瞬の判断と体の反応は18年間の修練のたまものだろう。

 2−2の同点である。下の階の息子の部屋に行って、期末テストで疲れて寝ている長男を叩き起こし、大変大変、日本が勝つぞ、起きろーとどなる。慌ててベッドから出て来た長男とPK戦を観戦。最初はアメリカのシュートだが、何だか顔がこわばっている。随分緊張している。蹴り込んだボールをキーパーの足が弾いた、見事なセーブ。勝つぞー、と息子と釘づけ。今度は日本の番だが、アメリカのキーパーは手足が長いのか、ゴールが小さく見える。それでも、なでしこのゴールは成功。次のアメリカボールはあさっての方向に飛んで行った。3人目も防がれ、緊張しまくりアメリカチームの自滅が始まった。2人目の日本は弾かれ、次は見事に打ち込んだ。アメリカに1点を返されたが、決勝シュートとなった一本、日本の4人目、熊谷紗希が見事に決めゲームセット。 PK戦では米国が4本中3本を外したのに対し、日本は4本中3本に成功。
 この一瞬で日本の栄光が決まった。勝負とは恐ろしいものだ。


 我が国は大震災、原発事故、政権にしがみつく不評の首相と元気を失いっ放しの日本にカツを入れてくれた。菅直人がチーム帰国後国民栄誉賞でも出して、またもや延命を図ってほくそ笑むあの顔が情けない。これで男より女の方が優秀だとかくだらない、非科学的な事を言う政治家もいる。民主党の連中の知能指数がこれで暴露される。
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                      MSN産経ニュースより引用


 日本の女性は国際的な試合では、ゴルフ、バレー、アイススケートと大活躍ではないか。それに対して男子の元気が無い。石川遼ちゃん全英選手権の予選落ち。スポーツも経済も、さらには政治も中国と韓国に押しまくられている。カーちゃん、俺はもう駄目だ、あとは頼んだ。日本再生は女にかかっている。偉大なる大和撫子、よろしくお願いいたします。男は言う事何でも聞きます。菅直人はさっさとやめて、国会も女性議員で運営してもらいたい。連立政権は連坊総理大臣、福島官房長官、小池防衛大臣、阿部厚生労働大臣、片山財務大臣でいいや。野田聖子も外務大臣でいかが、今よりマシだろう。


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 幕末の江戸三大剣道場は、北辰一刀流千葉周作の玄武館、鏡新明智流の桃井春蔵が主宰する士学館、そして神道無念流の剣客斉藤弥久郎の練兵館であった。北辰一刀流は坂本龍馬、士学館は武市半平太や岡田以蔵がいた。俎橋付近にあった練兵館は、天保九年(1838年)の火事で焼失、今の靖国神社の靖国通り入口付近に再建され、その後約30年間隆盛を誇った。高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、品川弥二郎など幕末の志士が多数入門し、桂小五郎は師範代も務めていた。また、伊藤俊輔(伊藤博文)も出入りしていた。長州藩の若者がここで修行したのである。当時の剣道道場は、文武の場でもあり、若者らしく、稽古の後は大いに飲み、天下国家を論じ、生活を共にした。そこで、時代の改革論、攘夷論をたたかわせた事であろう。

御魂祭りの靖国神社
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江戸古地図の練兵館位置
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靖国神社内練兵館跡の石碑と靖国神社内宮
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 この付近には幕末時歩兵屯所があったという。靖国神社は戊辰戦争の官軍の戦死者を祀ったことが起源である。鳥羽伏見や上野彰義隊との戦いで官軍を指揮した大村益次郎の銅像が正面にある。ここは皇居にも近く絶好の位置でもある。何故この地にそうしたし神社が建てられたか、長州藩の志士が、若き日に練兵館で切磋琢磨した思い出の地であったことも判断材料だろう。桂小五郎、高杉晋作の修行の地であった。明治の元勲となった桂小五郎がここを戦死者の慰霊の地に選んだ事は想像に難くない。練兵館は明治維新の起源なのである。今年も、靖国神社での直心影の形が百練会、早稲田大直心会、高崎経済大学剣道部、一橋大学剣道部剣友会で執り行われ、奉納された。
7月16日
直心影流奉納

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 今年も暑い夏になった。8月15日がやってくる。小泉元総理の靖国神社参拝が物議を醸した時代があった。クリスチャンの自分は、神社に進んで参拝する気はないし、戦争中に多くのキリスト教徒が参拝を強制され、屈辱を受けたことを思う。命がけで靖国神社参拝を拒否するクリスチャンは少なかった。それを問題視するキリスト教徒もいるが、国民が死に物狂いで闘っている時に反戦や兵役拒否をする事は死を意味する。戦前の日本をファシズム国家と位置づけ、悪の権化のように歴史解釈する歴史観に毒されている。軍部の横暴と、それに従わざるを得なかった政治家や庶民、前線の将兵を十羽ひとからげにする考え方である。現実は極めて複雑であり、結論が出て来ない。批判は勝手だが、その時の歴史的状態を学んでから行なうべきだ。かつて政府は国家護持しようと靖国法案を出したこともあり、キリスト教会をあげて反対した。しかし、英霊を無視したわけでは無い。これをクリスチャンを攻撃する材料にする人々もいる。そこを気をつけなければならない。
 
 これはキリスト教が国民の感情に合わない、日本には合わない宗教と位置づける一種の罠になる。自分も8月15日に靖国神社に首相が公的に参拝すべきではないと思っている。例大祭にいけばいいのだ。敢えて8月15日を選ぶ理由は無いし、国益も損なう。個人的な信仰の問題に口を挟む気はない。
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あの大戦での膨大な犠牲者に国民が鎮魂の念をあわらす場が無い以上、とにかく、200万人もの膨大な英霊を祀っている施設は千鳥ヶ淵とここの他に無いのだから、これを否定する事は、日本人としての気持を無視する行為である。個々に参拝する多くの同胞に異議を唱える事は出来ないし、国の為に命を捧げた人々に敬意を表すべきだと思う。

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書評「なぜ君は絶望と闘えたのかー本村洋の3300日」門田隆将著

 門田隆将氏の代表作といっていい。あの光市母子殺人事件の少年が、広島高裁で無期懲役から死刑判決を受けたことは記憶に新しい。被害者の家族、夫である本村洋さんが、無念の気持を抱えながら、命がけで司法と闘った記録である。被害者の家族が、何故司法と闘わざるをえないのか。被告ではない。被告は当初、二審までに無期懲役を言い渡されて被告は勝利したと思った。逆に被害者にとっては敗北なのだ。それは、被告は犯行時18歳の少年で、その場合、無期懲役は7年に短縮され、出所することが出来る。それに対して、犯行の残忍性などの真実と、被害者の人権が尊重されない裁判制度を被害者家族は訴え、ついに最高裁で差し戻し、被告の死刑を勝ち取った。

  今日、死刑制度に批判が多く、刑法学者でも死刑廃止論者は多い。日本は死刑の多い国でもある。アメリカでは半分くらいの州が廃止、ヨーロッパやイスラム圏でも廃止しつつある。死刑は犯罪の抑止にはならないという。しかし、こうした議論は本来、個別の事件から事例を得て、これを前提に成立するだろう。一般論というのは空論だ。成人の社会常識を持った人なら、殺人を犯す事はよほどの事だということが分っている。しかし、死刑にならないという前提で殺人を犯す、モラルハザードという課題もある。特に、少年犯罪においてはしばしばこれが見られ、死刑の存在は抑止効果がある筈で死刑は恐いのだ。死刑があるから反省し、殺人者は死刑を待つ間、拘置所で命の重みを考え、真人間になる。抑止効果よりも、加害者に反省を促す力がある。ところが、刑罰を厳しくすると犯罪がなくなるかというと必ずしもそうではない。死刑の犯罪抑止力には疑問をもたれている。死刑を効用として考えるとそうかもしれない。
 
 死刑、あるいは刑罰が、国とか、民族、文化的な背景によって社会での受け止められ方が違う。その社会が殺人や重大犯罪をどうとらえ、死刑を制度として容認するか、刑罰の目的が何かということである。その国において、死刑がどのような効果をもたらしているかだけではない。我が国では被害者の立場、家族や関係者にとってどうかということでもある。重大犯罪は、被害者のみならず、周囲に大きな精神的かつ、経済的損失をもたらす。日本人においては、西欧より個人と家族という関係を重視する。部族社会においてはその一員が生命財産に被害を受ければ部族全体で受け止めるだろう。相手の部族同士の抗争となり、凄惨な戦いが始まるかもしれない。マフィアの抗争も同様だ。

 要は、その社会が家とか部族、家族との絆を基盤にしているのか、あるいは個人を単位として考えるかえ大きく方向が違ってくる。今の日本は家族、いわゆる夫婦を基準とする標準家族である。犯罪の被害は家族全体に及ぶという考え方である。もちろん個人社会の欧米でも、家族の被害に対して残された遺族は決然とした態度を取る。先般の英会話教師、リンゼイアンホーカーさん殺害事件でもイギリスから家族は裁判で被害者家族として公判で発言できるようになり、厳しい態度で臨んだ。家族もかけがいのないものを失ったという意味では同じだ。彼は被告の市橋を最高刑に付してもらいたいと言ったが、死刑判決を望むとは言わなかった。そこが違う。日本人は殺人に対しては死という応報的な感覚が強いのではないか。この理由は宗教観から来ているのかもしれない。キリスト教では死は終わりではない。ところが最近の日本人で来世を信じ無い人が多い。このあたりに応報的になる原因がある。






 

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 鬱病も統合失調症も実際、そのような名前が正確な病気を物語るようなものではない。東京女子医大ではかつて、何でも鬱病とするよう統一していた時代があったそうである。ただ、統合失調症(昔は分裂病)は妄想とか、幻覚を伴うものがあるから、そこは区別できた筈である。鬱病は躁状態と鬱状態を繰り返すが、統合失調症も同様なのだ。ハイになる時期と落ち込んで無気力になる期間を繰り返す。季節の変わり目に変化する人、何かの出来事をきっかけに変わる人など、様々である。近親者の死とか何かの事件で気持ちが高揚したり、落ち込むと、そのまま元に戻らない。精神のバランスを狂わす原因が、神経伝達物質、セロトニンの分泌が安定しないことが、精神に影響がある。この物質の分泌を促進したり、抑制する薬で精神が調整できるため、物質の存在が立証されているような気がするのだが、実際のところセロトニンの作用は分っていない事も多い。薬というのはその機序が明らかでないものの方が多い。効いて副作用が少なければOKなのである。

 精神病になると、強烈なオーラが出ることもある。精神に問題があることを納得させようと問いかけたりすると、あなたが変なのですと、ばかに理路整然と反論されて、おかしいのはこっちのような錯覚にもなるくらい。恋愛妄想の女性など、病院の看護の男性が巻き込まれて、一緒に脱走したりするらしい。今は病院に入院する人は稀で、ほとんど在宅である。それでも、入院している人は、よほど重傷で、友人の医師が精神病院に実習で勤務していたら、人を殺したことがある患者が何人もいるのにびっくりしたと言っていた。病気というのは早期発見・治療なのだが、精神病の場合、診断が難しいから、早期だと症状がはっきりしない。そこで、いい加減な治療が行なわれ、投薬の加減もわからず、患者が苦しむことになる。早ければよいというものでもないから難しい。

「 セロトニン選択的再取り込み阻害薬(せんたくてきセロトニンさいとりこみそがいやく、Selective Serotonin Reuptake Inhibitors、SSRI)は、近年多用される抗うつ薬の一種。シナプスにおけるセロトニンの再吸収に作用することでうつ症状、病気としての不安の改善を目指す薬。2009年5月現在、日本国内で100万人以上が使用していると推定されている[。旧来の三環系などと呼ばれる抗うつ薬は作用や副作用が強く、扱いにくかったことから、肝毒性・心毒性などの副作用を少なく・より選択的に作用することを目的として開発された。口の渇き、便秘など抗コリン作用が原因と思われる副作用は減少した。生活状態から観察することができる。(Wikipediaから引用)」

 患者の状態を観察するポイントは眠れるかどうか、そこで、朝起きられなくなる事が多い。高揚期になると、光に対して敏感になり、暗い空間を好むようになる。困るのが、クレジットカードで買い物をしまくったり、強迫観念の強い人は防弾チョッキとか日本刀、スタンガンなんかを買ったりする。女性であれば、赤い色の服を着たがったり、刺激的な色を好むことがある。また、幻覚があると、UFOを見たり、天使が飛んだり、また、家族の一寸した発言を攻撃的に解釈する。こうした症状を家族が観察し、本人だけではなく、家族も一緒に医師と面談し、適切な判断を仰ぐ姿勢が求められる。 軽い場合はドグマチール、興奮度によって癲癇の薬、デパケンなども使われる。要は気分の波を平らにするのである。

 向精神薬の難しいのは、投薬の量である。患者の訴えが唯一の情報で、これを根拠に増減する事が正確に行なえれば良いのだが、気分というのは主観が入るから、医師がこれをどう判断するかで大きな差が出る。本来は、入院して、経過観察しながら分量を決めれば良いのだが、なかなか普通にはそうした時間的余裕もない。量が合わなければ、患者はその副作用に苦しむ。寝たきりになったり、倦怠感でQOLが低下する。SSRIがプラセボに対して若干の効果があるだけだという説もあるが、実際に使っている状態を見ると、薬は何でもそうだが、だんだん効かなくなるということではないか。しかし、少なくとも、副作用に死んだようにならずにすむだけでも有り難い。しかし、この薬の深刻な副作用も報告されている。使用量を誤ると、攻撃性とか暴力的な行動が出るという。例えば、重大事件を引き起こした犯人がSSRIを常用していたことが明らかになっている。アメリカのコロンバイン高校銃乱射事件、大阪池田小学校乱入殺人事件などの犯人である。とはいえ、多くの患者が救われているという現実を考慮すると、ほとんど問題になっていない。
 薬品名は
 フルボキサミン(デプロメール、ルボックス)パロキセチン(パキシル)セルトラリン(ジェイゾロフト)(新薬)エスシタロプラム(レクサプロ)である。

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 原子力エネルギーが生まれたのは、第二次世界大戦での原子爆弾からである。軍事技術として生まれ、さらに原子力潜水艦、原子力空母、ミサイルなどの核兵器、また、この攻撃に曝された場合の防御や汚染対策を同時に準備することも含め、軍事システムとしての体系が存在している。
 
 国民が核攻撃を受けた場合にどう避難し、生命を守るかという課題もふくまれるのである。また、原爆製造作業における安全、維持管理、そこでのあらゆる事態に応じた対策が国家的な仕組みとして存在することが求められる。核兵器を持った国は攻撃を受けた場合のシェルター、汚染対策、健康被害に対する医学研究など大きな周辺技術も求められる。 技術に隠された社会的コストを無視してはならない。核兵器保有国は核に関する社会的コストを国防費に組み込んでいるはずだ。平和利用のコストはそこで包含される。
 
 我が国は被爆国として放射線医学のデータが蓄積されているかと思うと、必ずしもそうではない。病院毎、研究者毎には個別の研究事情に応じてデータはあるが、国家としては無いに等しい。被爆者の認定に困難が伴う理由の一つである。治療方法も対症療法ばかりだ。原子力発電所というのはその軍事技術の副産物であり、日本の場合は国防の準備とリスク対応研究が無い中、唐突に平和利用という錦の御旗を掲げ、54基もの施設が作られてしまった。これまでに国家予算並みの資金がつぎ込まれた原発を、簡単に脱原発と言い切るにはあまりにも巨大な額である。どうやって、既存の施設を安全に稼働させ、原発に依存しない仕組みを作るか並行して進めなければならない。地熱や風力、太陽光など、電力会社は真剣に取り組んでいない。耐用リミットが来た施設ほど利益が上がるから民営企業である電力会社はストップしようとしない。汚染物質や事故に関するリスクとコストは採算から除外されるのでは原発を受け入れる機運にはならない。


 原子力が制御できるかどうかは、そうした社会の仕組みが制御の体制を維持できるだけのものであるかどうかにかかっている。日本にそれがあるのか。国防という仕組みも、技術をも持たない国が日本だ。アメリカ、フランス、イギリス、中国、ロシア、イスラエル、インド、北朝鮮は核戦争に備えている。地震や津波、内部のミスなどによって原発が制御不能になるリスクが今回明らかになった。しかし、もっと大きな事は、戦争である。戦争による爆撃、テロの破壊活動などはさらに大きな圧力である。軍事技術としての核エネルギー制御技術を有しているかどうかが、原子力発電所を持てるかどうかの「免許」のようなもの。さらには最悪の事態が発生した時に対応できるかどうか、車で言えば運転者の健康も含め、車検、保険などの危機管理対応も備えなければならないのと同様である。さらには運転者が安全に交通ルールを守ったり、視力や判断力を持った人間であるかどうかも問題となる。ところが、日本の原発は、作業者の被曝も管理できず、汚染の事実も隠蔽しようとする。東電柏崎も関電などの他の原発保有企業も放射能の放出を秘密にしたり、隠蔽体質である。そんな集団が日本の原発を運転している。
 
 今までの日本は原子力を扱うことを自動車にたとえるなら、車の無免許運転者である。原子力は安全に制御できるかどうかは前提条件が必要だと言う事だ。それは国や技術、支える企業、国の指導者の能力も含め、それにふさわしい国家ではないということが明らかになった以上、原発をエネルギー政策の中心としない。また、それにふさわしい国家にする仕組みが出来ない限りこれをできるだけ縮小する目標を掲げるべきである。全く無くすというのは現実的ではないと思うだろう。だが、原子力の安全を単に技術としてしかとらえられない場合は、原発を使うべきではない。国防という観点から技術評価を再構成すべきである。

 代替エネルギーのコストと電力料金のバランス、ドイツが12基の原発をやめ、脱原発にする事が出来たのはフランスからの原発で出来た電気が供給されるからだ、太陽エネルギーや風力発電の不安定さとか、様々な理屈が登場するだろう。そんな解釈は必要ない。問題はそんな議論の段階ではなく、既に安全神話は覆され、既に54基も存在し、共存を余儀なくされている。この現実である。これまでに原発が無事故で従業員の安全も確かだったとは言えない。危険な職場は世の中に多いが、厳しい基準や規制がある。原発は仕組みはあっても機能していないならないと同じではないか。放射線防御服も用意していないのに指導が国家で行われた形跡がないではないか。
代替エネルギーは原発コスト、これまでの投資総額プラス廃棄物処理費用で恐らく100兆円以上の投資との比較だ。しかし、我が国が今の福島原発を制御できない現実、さらに広範囲の被曝、政府の情報の隠蔽や現実認識の不足など、原発無免許運転の結果は覆い隠せない。誠に残念だが、車は没収、運転禁止である。日本の原子力関係者は政府も含め、きちんと我が国の国防体制から練り直し、国民の生命財産を守る仕組みから説明できる物を提示できるまで運転中止ではないか。日本が核武装する事を主張する人がいるが、単に核兵器やミサイルを持つということではない。核シェルターにはじまる施設、被害対応、被曝医療やデータなど国民を核攻撃から守る広範囲の対応が仕組みとして整うという事でもある。自分は我が国が原子力エネルギーを使うに相応しい国になってほしいのである。巨大技術を社会的コストを除外して推進してはならない。それが分からなければ一旦中止し、結論を出してから進めるべきだ。

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