<   2011年 06月 ( 11 )   > この月の画像一覧

 
 今トルコは1億バレルという石油、1兆5000億㎥という天然ガスの埋蔵量を誇り、40年分の石油を確保している。農業国である。この農業をベースに、世界にうって出れば21世紀の未来が待っている。なにも、工業にこだわる必要は無い。バイオ技術や農業を基盤に、ワイン、ビール、羊肉など安全な食を世界に売ることができる。トルコ料理の豊富なメニューは素晴しく、親日国。原発も今なお日本製を貫いてくれている。日本・トルコ交流協会の会長は皇室の最長老である三笠宮様である。いくら親切にしても平気で裏切る韓国、何をしても自己中心の中国。新幹線の技術を教えれば、勝手に自分達の功績のごとく特許申請して日本を競争相手にしようという国。そんな国に比べ台湾やトルコのような親日国を日本は大事にしなければならない。トルコリラ債は何と8.9%で回っている。これはトルコを自陣営に引きつける為に莫大な財政支援をしているアメリカの戦略のお陰だ。一方、アメリカは石油市場の混乱を招くトルコの油田開発を快く思わない。だから、クルドのテロリストKPPを陰で支援し、イラクのクルドとも連携を取ろうとする。クルドはイランにも多くアメリカの対イラン牽制にも利用できる。3,000万人のクルド人の自治を人参の餌にイラクを支配し、石油利権を手にしているのがアメリカである。このあたりが複雑なところ。
 広い国土、豊かな資源と人口、伝統文化に恵まれた国だから、ひとたび優秀な指導者が現れると花が開く。政教分離の国が発展するのを目の当たりにすれば、原理主義国家は考えを変える。宰相不幸社会の日本からみるとうらやましい限りだ。
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 トルコは第一次世界大戦で300万人の戦死者を出し、瀕死の状態であった。北アフリカから、ギリシャ、ユーゴスラビア、黒海から中東まで広大な領土は失われ、オスマントルコ帝国は瓦解した。そのときの英仏のいい加減な中東処理が今日の混乱のもとである。
 ガリポリ戦の英雄ケマル・アタチュルクが登場し、トルコの近代化に務め、今日の穏健なイスラム国家として、貴重な立場の国が生まれた。イラン、シリア、エジプトはかつてオスマントルコ帝国が支配した。今も、リビアのカダフィと欧米を仲介する大事な役割を持っている。イラン、レバノンなどの問題解決にトルコを仲介者に引き出すことが平和の鍵だ。かつての宗主国に対する警戒感が強いが、控えめに、領土野心を出さなければ、良い結果が期待される。トルコの民族主義とイスラム化勢力と軍を中心とした非宗教化路線は常に微妙なバランスをもって維持され、これがまた、ヨーロッパに優位な立場をもたらすようエルドアンは画策する。女子大学生のスカーフ問題がその動向を象徴的に表し、国を揺るがすのである。トルコの人々はそうした国際情勢の中で、不安を抱き、アメリカにコントロールされていると思い込んでいるが、これはそんな単純な情ではない。

 建国の父として、今もトルコ国民が尊敬している珍しい指導者である。ケマル・アタテュルクは、世俗主義、民族主義、共和主義などを柱とするトルコ共和国の基本路線を敷いた。一党独裁を築き上げ、反対派を徹底的に排除して強硬に改革を推進したアタテュルクと、その後継大統領となったイスメト・イノニュも他国の独裁政権と比較すれば、政権を守り通すことに成功した。結果として、トルコは独裁政権下にありながら全体として国家の安定に成功した例となり、「成功した(正しい)独裁者」ケマルはその死後も現在に至るまで国父としてトルコ国民の深い敬愛を受けつづけている。当時独裁国家の悪ばかりが歴史やマスコミは訴えるが、スペインのフランコ、インドネシアのスカルノなど、巧みに国づくりをした独裁者もいたのである。日本の軍部よりはるかに良い結果を出している。ケマルの死後、世界はナチスの台頭と第二次世界大戦という大惨禍を迎える。これを乗り切ったのがイノニュである。ケマルの後塵を拝した彼は崇拝の対象ではないが、後継者として立派な仕事をした。もし、再度トルコがドイツと同盟していたら、国家は消滅していただろう。
 
 興味深いのが、大戦中ドイツの駐トルコ大使が、かつて、ヒンデンブルグ大統領の元で首相を務めていたフランツ・フォン・パーペンだったことである。彼は、ナチの台頭、さらにはドイツ・オーストリア併合に重要な役割を果たしたが、その後、ヒトラーとは一線を画するようになった。彼はドイツでもヒトラーの専横を導いた張本人として、また、上手く立ち回る軽薄な首相として、評判が悪い。ヒトラーを大魔神とすると、魔界と娑婆を行ったり来たりする、ネズミ男的な立ち回りをした。ニュールンベルグ戦争裁判でも無罪となったが、再度国内で裁かれた。
 
 どうも、トルコ大使として、ナチスに対し、二枚舌を使い、トルコの中立を守る事に貢献したのではないか。日和見、自己保身といった批判が彼にはついて回るが、ナチスが台頭するドイツの将来を小心者らしく見通し、生きる為にふるまったパーペンはある意味では見事だ。一国の首相という責任ある立場をそもそも背負う人物ではなかったが、ナチスの中枢にいて荒波を泳ぎ切った。血筋の良さ、貴族的といった体面を守り、国民の為には働かなかった、我国で言えば、細川元首相のような人物だろうか。イノニュはパーペンのそうした弱点を見抜き、ドイツの圧力に屈しなかった。結果的に彼の日和見主義に救われた。

 パーペンはヒトラーを批判した演説を行い、ナイフの夜の後、部下を暗殺されている。ヒンデンブルグのお陰で生き延びた。1936年からは駐オーストリア大使に任じられ、オーストリア併合に暗躍した。後にパーペンは、回想録で全ヨーロッパ紛争の回避のためと弁明している。1939年からはトルコ駐在大使を務め、第二次世界大戦で中立を保つトルコを同盟時代のようにドイツ側にする工作に従事し、1941年にはドイツ・トルコ相互不可侵条約が締結された。しかしトルコは中立を維持し続けたのである。 トルコが第二次世界大戦では中立を保ち続けたことは、イノニュの功績である。57歳で早世したケマルの改革は途上であり、国力が疲弊していたトルコが大戦に参加する余裕は無かった。しかし、ヒトラーは何とか第一次大戦のときのようにトルコを枢軸国側に引きずり込みたかったに違いない。

 

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 抗がん剤は効かないという説があるが、これは癌によって事情は異なる。骨髄性白血病、乳癌などは種類によってよく効くし、転移すると抗がん剤しか療法が無くなるものもある。特に乳癌は選択肢が多い。この2年の間に、乳癌の新薬が次々と承認されている。癌が厄介なのは抗がん剤が最初効いても、長く使ううちに耐性ができてしまうことである。この種類が多ければ、何度も癌の攻撃をしのぐ事が出来、その分延命できる。

 アブラキサンは2010年7月乳癌適用となった。これまで、タキソールの溶剤になるアルコールへの副作用で使えなかった乳癌に対して、より強力になった形で使えるようになったのがアルブミン結合型パクリタキセル、アブラキサン(大鵬薬品)である。

 また、分子標的型抗がん剤ではタイケルブ(グラクソ・スミスクライン社)。これまで、HER2陽性の進行性乳癌患者の救いの道だった、ハーセプチンが効かなくなった後、さらに使える薬として選択肢が出来た。保険適用で72000円/月と随分高価な薬らしい。HER2陽性の患者において、プラセボ投与群では28.7%の患者で病勢安定(SD)がみとめられたのと比較し、タイケルブ投与群では48.7%であった。これは相当凄い薬ではないか。

 再発または手術不能な乳がんに対するエーザイの抗がん剤「ハラヴェン」(一般名エリブリンメシル酸塩)についても承認された。エーザイによると、臨床試験で既存の治療法より患者の生存期間を2・5カ月延長。2~5分で注射でき外来治療にも向いているという。物質「ハリコンドリンB」は1985年、故平田義正名古屋大名誉教授らがクロイソカイメンから抽出し構造を特定。92年に米ハーバード大の岸義人名誉教授が人工合成に成功した後、エーザイが有効性の核となる部分を突き止め、薬として生産するための複雑な工程を確立したもの。

 さらに、日本化薬で開発している新規イソクロマン化合物には、抗がん作用が認められ、同物質並びにその薬理上許容される仕様は、新規抗がん物質として医薬品、機能性食品等に利用することができる。とりわけ、浮遊系のがん細胞に対して強い増殖抑制活性を示し、癌細胞に選択的に効果があり、副作用も少ない。白血病(リンパ腫・血液性悪性腫瘍)などのがんに対する効果的な抗がん剤としての利用が期待できる。4種類のヒト癌細胞(NUGC−3(胃癌細胞)、HeLa(子宮癌細胞)、HL−60(白血球細胞)、A549(肺癌細胞))のうち、HL−60に対して最も強い増殖抑制活性を示し、NUGC−3、HeLaに対しても増殖抑制活性を示した。これらのがんに効く薬は乳癌にも効く事が多い。商品化までは時間がかかりそうだが、続々と新薬が出ている。


効奏率とは、
完全奏効(CR)すべての標的病変の消失
部分奏効(PR)標的病変の最長径の和が30%以上減少(ベースライン長径和と比較して)
安定(SD)30%未満の減少または20%未満の増加
進行(PD)標的病変の最長径の和が20%以上増加(治療開始以降に記録された最小の最長径の和と比較して)または新病変の出現従って、標的病変が治療前の70%まで小さくなったということは、30%減少ですから部分奏効(PR)と判定されます。
(注)
完全奏効(complete response; CR),部分奏効(par- tial response; PR),安定(stable disease; SD),進行(progressive disease; PD)という ...


知りたいのは、自分の場合の率だ。ガンが消えてなくなる事より、現状維持か、多少の縮小で少しでも長生きできれば良いのだから。そんな場合だとどれくらい効くのだろうか。転移がんだから覚悟は出来ているが、少しでも長く生きたいという願いを持っている人は多いと思う。余命宣告されたからといって、治療放棄したり、何もしない人は少ない。努力で変わる。だから医者も無意味な事言うもんだ。ここまできたのだから、あと10年は頑張りたい。

アブラキサンは効奏率24%、転移性で34%といわれ、生存期間中央値もタキソール、タキソテールよりも10%高い。

しかし、効奏率より大事なのは生存期間である。いくら、縮小しても、治療が終わったら、急に肥大してしまうこともあるからだ。アブラキサンはタキソール、タキソテールに代わる抗がん剤として昨年、保険適用となった。自分のところは、転移ガンであったったため、本来もっと早く、最初にタキソールを検討したが、アルコール拒否反応が強く、溶剤にアルコールを使うタキソールが使えなかった。進行性乳癌のハーセプチンはよく効く薬だが、これはガンの酵素、HER2陽性にしか効かず、不適用だった。FEC療法に懲りて1年間無治療だった。ところが、肥大化した胸の癌が皮膚を破り出血、結局姑息的に手術。そこから、抗がん剤としてナベルビンを試み、最初は効いているといわれ、6ヶ月間頑張ったが、効かなくなり、胸水が溜り始めた。そこで、ぜローダに切り替えたら、胸水も止まり、転移した腫瘍が縮小しはじめた。

 最初のFEC療法はきつかった。脱毛、吐き気、倦怠感で全く生きた心地がしなかった。次のナベルビンが1年ほどで効かなくなり、胸水も溜ったので、ゼローダに切り替え、2年頑張った。これが結構効いていたようだ。今回、アブラキサンに切り替えたのは5年目に入り、流石に、ゼローダの効きが悪くなってきた感じなので、思い切って変えてみた。また、脱毛、吐き気の地獄が始まるのだろうか。2回目の投与だ。

3カ所も転移しているので、とにかく、縮小消滅は最初から期待していない。現状維持で、仲良く何年もお付き合いする覚悟である。現状維持ーSDの割合がどの位になるのだろうか、気になるところだが、実際、認可されたのが昨年の7月だから、まだデータが無いのだろう。アメリカでは6年程前から使われていた。ドラッグラグの好例である。現状維持なら半分くらいの人が効くのではないかと期待している。抗がん剤で50%くらい効くとすると大変よく効く薬である。

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アブラキサン
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 最近、青梅街道の中野警察の隣にあるトルコ料理バー、トロイによく行く。行きつけのプチ小西は11時までで中野坂上では遅くなるとこの店しかなくなる。トロイは遅くまでやっているので、夜家内の世話が終わった後、ビールとか、トルコのワイン、焼酎ーRakiを飲む。トルコのビールDARKは何故かチェコとかドイツのビールに近い味がして本格的である。RAKIを飲むと夜よく眠れる。
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 ファルークとアリの兄弟がやっている。クルド人の親族もいたり、彼等は東京の各所でトルコ料理屋をやっていて、客の来ない時にはよく食事に来る。トルコはトルコ人、クルド人、ロシクルド人、アラブ人、ラズ人、ギリシャ人、アルメニア人、ヘムシン人、ザザ人、ガガウズ人などの少数民族も含み他民族国家である。トルコ国内にクルド人は1140万人いる。彼等はこれまで、日本で散々苦労して、お祭りのシシケバブ屋台とかをやって資金を作り、店を開いた。奥さんは日本人で可愛い男の子がいる。奥さんのご両親は国際結婚に反対だったので、彼は一生懸命働いて結果を出したい。弟のアリはまだ、23歳の若者で、女性に人気。ちょっと危ない感じがいい。しかし、実にさっぱりした、楽しい青年だ。酔っぱらいの客にも丁寧に我慢強く接客する。

トルコの葡萄から作った焼酎RAKI

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e0195345_126446.jpg激辛のエズメ、ゴマのペースト・フムス


 トルコ料理は世界三大料理(中華、フランス、トルコ)である。ケバブチキン、激辛エズメ、伸びるアイスクリームなどのメニューが主だが、さっぱりとしたヤギのチーズとか、ビタパン、サラダも結構旨い。トルコは農業国である。富の格差とか、問題は多いが、とにかく、第二次世界大戦で中立国だった為、国土が荒廃しなかった。20世紀の初頭、アルメニア人虐殺事件とか、戦後のキプロス問題などでヨーロッパ人にはオスマン帝国以来の不信感があり、EUには入れない。戦後経済不振の時期が長く、クーデターもあり、政情も安定しなかった。しかし、湾岸戦争でアメリカに協力するようになってから経済の成長が始まった。現在、アフガニスタンにも派兵している。政教分離の穏健イスラム国で、観光客は酒も飲める。何といっても6000年の歴史があり、古代オリエントから、トロイなどのギリシャ植民地、ローマ帝国の遺跡、イスタンブール、イズミールと、東ローマ帝国ビザンチン、オスマン帝国の歴史遺産が豊富で、ヨーロッパのように破壊されないで残っている。もちろんカッパドキアなども有名な観光地である。

 トルコは親日国家である。かつて、エルトゥール号という軍艦が遭難したときに、村人が総出で救出、500人が溺死したが69人の船員の命を救った。生存者が数十メートルの断崖を這い登って灯台守に遭難を知らせ、通報を受けた大島村(現在の串本町樫野)の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は衣類、卵やサツマイモ、非常用のニワトリすら供出するなど献身的に生存者たちの回復に努めた。日本は生還者を軍艦でトルコに帰還させた。
         エルトゥール号
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 100年後、その歴史的出来事にトルコ人は感謝し、恩返しをした。イラン・イラク戦争の時、300人近い日本人がイラクに取り残された。イラクが航空機を攻撃する危険を犯し、救出機を送ることが意思決定できずにいた日本政府。ところが、要請がないのに、旅客機をトルコは送ってくれた。日本に取っては恩人なのだ。日露戦争のときも、ロシア艦隊が黒海を通過したことを日本に通報し、日本海海戦に日本が勝利した事を自分達の事のように喜んでくれた。今回の大震災の義援金もトルコは100億円を越え、台湾に次ぐ額であった。

 これはトルコの建国の父、ケマルパシャが士官学校の生徒だった時代に、エルトゥール号遭難の義援金をトルコに持って行った日本人、山田寅次郎の影響があったと推察される。彼は日本の民間からエルトゥール号事件の犠牲者の遺族に対する義捐金を集めるキャンペーンを行い、事件の翌々年に、集まった義捐金を携えて自らオスマン帝国の首都・イスタンブルに渡った。彼は熱烈な歓迎を受け、このとき、皇帝の要請でトルコに留まることを決意した。山田はイスタンブールに貿易商店を開き、士官学校で少壮の士官に日本語や日本のことを教え、日本政府の高官のイスタンブル訪問を手引きするなど、官民の交流に尽力した。彼が士官学校で教鞭をとった際、その教えを受けた生徒の中にトルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマル(ケマルパシャ)もいたとされる。
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今の首相エルドアンのリーダーシップは欧米も一目置く。ダボス会議で、イスラエルのペレスと論争し、時間を与えない主催者に憤慨、席を蹴ったので有名である。ガザに支援物資を送った船をイスラエルのコマンドが攻撃したが、アラブ世界と西側を結びつける重要な立場におり、イランとの関係改善にも貢献が期待される。石油・ガスに関してだが、黒海で開発を進め、2002年の段階から生産を始め、近年石油は100億バレル、ガスは1兆5千億立方メートルと莫大な埋蔵量であることがわかった。 これにより2023年から40年間にわたって、国内消費分を賄うことができるようになるとの見通しである。その他石炭、マグネシウムなどの金属資源もあり、21世紀のトルコの未来は明るい。これまで石油開発が遅れている理由は良くわからないが、イラクやイランに近い、クルド人の多くすむエリアでうかつに開発すると独立運動になりかねないからだろうと思う。
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 エルドアンもかつては過激なイスラム主義者だった。99年には扇動罪で投獄された経験もある。その後穏健派に転じ、現代トルコ史上最も安定した政権与党の党首となった。宰相不幸社会といわれる日本と対照的だ。国のリーダーの資質で国が活性化する典型である。一方沈滞する原因が指導者の力量不足となって停滞が続く日本。

 エルドアンの指揮下で、AKPは全国規模の選挙(国民投票も含む)に5回勝利。政教分離の原則を振りかざす司法の介入や軍のクーデター計画を乗り切り、政権発足後8年でGDPを倍増させた。リーマンショック後マイナスに落ちたが、2010年は8.9%の高成長である。5年もの国債の利率は9%近く、高利回りである。国際収支赤字と対外債務の膨張が難点である。都市部の繁栄に対して、イラン国境や北部のクルド人問題や国境での不安定要因はあるし、キプロスでの対立を抱えているが、平和の維持が発展の礎。今や、中東の平和への鍵を握る国である。日本はODAではなく、トルコ・リラ債を買い、トルコの資金収支改善に協力する時期に来ている。

(クルド人二人のアポ、同名で良く似てる。兄弟ではないが同郷)

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 日本が国際社会で中国との関係を大切にしたがるのは、国内市場に行き詰った企業が活路を中国に求めた結果である。ところが、これが日本に対する優越的な中国政府の姿勢を招いている理由だ。このような国とまともにお付き合いする必要があるのだろうか。せいぜい欧米に蚕食させて、日本は後方基地でしっかり儲ければ良いのではないか。反日教育をするような国にリスクを伴う投資は避ける方が賢明。将来進出企業は痛い目に合うだろう。企業レベルの関係を政府が支援しても国民に還ってくるものは少ない。一方、台湾やインドネシア、オーストラリア、インド、そしてトルコは親日であるし、この関係を絶対に失ってはならない。中国は日本をボイコットするリスクを持っている。横暴な振る舞いが近年目立つ様になった。日本は目先に囚われ、上手くやっていける国々との交流をおろそかにしていないだろうか。中国以上にこれら諸国との外交、国民レベルの交流を推進することの方が国益上得るものが多いと思う。韓国も中国も既に支援すべき国ではない。日本がハッピーなのは東南アジアであり、足元はそちらにある事を忘れてはいけない。ブラジルやアフリカなどもそうだが、ーーーるにも拘らず、こうした国々が中国や韓国の野望の餌食になっている現実がある。


More以下mNewsweek から抜粋
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 9・11はイスラム原理主義者のテロである。一方、アメリカは大統領をはじめキリスト教徒が多く、イスラムに対して十字軍の再現のような形でイラクやアフガニスタンに侵攻した。いずれも、宗教的には旧約聖書を共通のテキストとする一神教である。一神教は相手の立場を認めない偏狭さをもっており、世界に果した混乱や犠牲ははかりしれない。また、世界に悲惨しかもたらしていない。特に、日本は八百万の神々に親しみ、生命尊重の伝統があり、これは仏教も同じである。日本にはキリスト教はなじまないだろう。・・・といったもの。日本にはこうした考えの方が多い。これは宗教を概念的にとらえるからである。

 世界にはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教併せて30億人以上の信者が存在する。これをどう考えるかである。そんなに危険な宗教を信じているから世界は平和にならないのだろうか。イスラム教についてその歴史を振返ると確かに抗争に満ちあふれている。しかし、多くの人々に受け入れられたことを考えたい。それまでの多神教のいい加減さ、偶像崇拝の残虐さなどから嫌気をさした人々が帰依した事を考えてもらいたい。仏教徒はそんなに平和だったのだろうか。戦国時代の日本、最近ではオウム真理教事件をどう考えるのだろうか。というより、歴史の中の侵略行為や多くの抗争は、宗教に名を借りた、人間の愚かな行為だったように思う。宗教で政治や経済を説明することは無理なのだ。今日もシーア派とスンニー派の対立は続いている。その起源を以下に書いたのでご参照頂きたい。

旧約聖書をキリスト教と共有するイスラム教はやはり、聖戦、さらには教祖ムハンマッドの死後の後継者争いなど、戦いの出来事が多い。

ムハンマッドの死後
正統カリフを誰にするかを争った。預言者の後継者(ハリーファ(カリフ))を誰にするかという問題において、ムハンマドの従兄弟かつ娘婿であるアリーとその子孫のみがイマームとして後継者の権利を持つと主張したシーア・アリーに対し、アブー=バクル・ウマル・ウスマーンのアリーに先立つ三人のカリフをも正統カリフとして認めた大多数のムスリム(イスラーム教徒)がスンナ派の起源である。(「アリーの党派」後に略されて「シーア」、すなわちシーア派となる)

656年に同じウマイヤ家の長老であった第三代カリフ・ウスマーンがメディナでの暴動で殺害され、これの責任と血族としての報復の権利を求めてクーファで第四代カリフに即位したアリーと対立し、スィッフィーンの戦いなど軍事衝突にまで発展した。

661年、ムアーウィヤはアリーがハワーリジュ派によって暗殺されたことによってイスラーム世界唯一のカリフとなり、ダマスクスにて忠誠の誓い(バイア)を受け正式にカリフとして承認され、ウマイヤ朝を創始した。

ムアーウィヤは、正統カリフ時代より続いていた大征服活動を展開していった。攻撃対象はサーサーン朝との抗争で衰弱していた東ローマ帝国であった。ムアーウィヤ死後、ヤズィードの時代にカルバラーの悲劇という事件がおこる。アリーの次男のフサインはシーア派のクーファ市民と反ウマイヤ家を掲げ行動を起こそうとするが行動は事前に気づかれ、クーファ市民はフサインと共に行動を起こすことができず、メッカからクーファのシーア派と共に決起するためにやって来ていたフサイン軍70余名はユーフラテス川の手前で待ちかまえていたウマイヤ朝軍4000に圧倒的な数の差の前に敗れた。このフサインの殉教はシーア派にとって大きな意味を持つ。

今日、シーア派の国はイランとイラクの一部であり、圧倒的にスンニ派が多い。
・ユダヤ教         0.15億人 (計0.15億人)
・キリスト教  
      カトリック 10  億人
      プロテスタント 3.6 億人
      ギリシャ正教  3.6 億人
      英国国教会   0.55億人(計19億人)
・イスラム教  
      スンニー派   9.5 億人
       シーア派   2 億人(計11.5億人)

 イスラムとはコーランの中に書かれているが「神への帰依」を意味する。

イスラム教の勢力図 スンニー派;黄緑 シーア派;濃い緑
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 菅直人はアメリカとの関係においては、「ともだち作戦」のお陰で、大いにアメリカから恩を売られたことになる。仙台空港は米軍によっていち早く復旧し、自衛隊の大量派遣が可能になった。かつて、大平洋の戦場で、あっという間に、飛行場を整備し、大量の物資を送り込んだアメリカ軍の手法を彷彿とさせる。司令官不在の日本では原発事故に怯え、あれだけ早く空港が復旧し、使えたかどうか疑わしい。思い出してもらいたい。原発事故の記者会見の空しさをである。ニュースは誰かにコントロールされている。この機をとらえてアメリカが動かない訳が無い。

V-22オスプレイ
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 普天間問題においては移転よりも、既に、現状維持の延長となっており、辺野古のV字型滑走路の建設の目処は全く立っていない。飛行機とヘリが合体したような、「V22オスプレー」の配備が決まった。オスプレイは、航続距離が1600km以上。配備を前提とした場合、台北まで1000km強の馬毛島なら、海兵隊の投入拠点としては、距離的には不適ではなくなる。鹿児島県西之表市の一部、無人島である馬毛島に訓練場を移設すること、また、下地島の無人飛行場再利用などの現実的なプランが密かにすすめられているのである。下地島は既に空港も施設も整備され、有事の時にすぐ使えるから今問題になるような整備はしなくともよい。V-22は開発中も配備後も事故が起きたため、危険性を訴えられるが、既に500機が配備計画され、仮に一機落ちても、かつて沖縄戦で10万人の住民を殺した米軍に取っては何ということもない。今も、アフガニスタンでは誤爆で多くの人が死んでいる時代だ。海兵隊員が墜落死することなど日常茶飯事なのだ。それが軍隊がいるということだ。何千人もの若者を無謀な特攻で沖縄に突入させた日本に文句を言う資格があるのだろうか。北沢大臣は、13日にも県庁を訪ねて仲井真知事に、「辺野古新基地建設はV字型の二本の滑走路で行きたい」「普天間基地には来年からオスプレイを配備したい」と要請した。今時、辺野古に新しい基地ができると思っている人は誰もいないだろう。これはあくまでも建前である。米軍は兵士にはアメリカ本土での生活水準を確保する。海兵隊員を馬毛島のような孤島に押し込めるわけがない。その代わり、普天間の固定化に伴い、機能分散をはかり、さらには、普天間での機能を大幅に拡充する結果を狙った米軍の意向を受けたものである。辺野古はむしろ当て馬で、そこに民意やマスコミを引きつけて結果的に大幅な増強を図るものである。今の日本はアメリカの戦略にまんまと嵌った菅直人を頭におく実に美味しい、コントロールしやすい国である。手放す訳が無い。本当はずっと菅にやってもらいたい。日本のマスコミに電波行政の方向から圧力を加えてくる。日本の電波は彼等に主要部分を抑えられている。
 
 表では、日本人の素晴しい震災復興努力を賞賛し、一方では政府の無能を指摘して日本人の政治不信を煽れば、それだけアメリカは自由勝手にできるし、何も失わない。菅政権の行方を一番注意して見守っているのがアメリカだと言う事だ。今、アメリカにとっての重要事項は、中国の大平洋進出阻止と台湾防衛であり、この軍事圧力は高まる一方である。

 この半年の間、菅直人無能論、リーダーシップの無さ、口先男、噓つきなど、ありとあらゆる罵詈雑言が飛び交った。これに対して、一番心を痛めているのは誰かというと、多分、菅直人の伸子夫人である。彼女は菅直人よりはるかに優秀な才女であると思う。首相は自分の家庭で、伴侶の支えがあってこそ頑張れるのである。民主党内部で孤立しようと、何といっても総理大臣であり、最高責任者である。その意向は大きいし、進退に関しては自分で決めることが政治家の常識である。人に言われてフラフラしてきたのが、安倍、福田、麻生、鳩山といった二世議員の弱虫おボッチャマであった。しかし、菅直人の鉄面皮はその比ではない。それを伸子夫人は支えている。菅直人がこれだけ袋だたきになるのは、個人の能力もあるが、党内基盤とか、政治家の中で金の世話、選挙支援、人脈形成など、政治的な個人基盤が無かったからである。彼は、三鷹市などの東京の一地域から代表になって選ばれただけの人物である。国家という巨大組織を運営する能力があるから国民から選ばれたわけでは無い。組織がわからない彼なら大企業の部長もつとまらない。もちろん自民党にも今やそのような人はいない。伸子夫人はそのあたりの勢力地図をじっと観察している。菅には民主党内部の誰も信用できない。伸子で充分なのだ。少なくとも、自分の夫は総理大臣である。身内の仙谷や岡田から言われたからといって、また、さらには小澤一郎にバトンが渡るような政権放棄は彼女が許さないだろう。火中のクリを拾うのは誰だ、自分しかいないと思い込んだのかもしれず、党内もそれを容認している。指導者というのは人格高潔というのも誤解だった。権力にしがみついていないと存在が危ういというのは何となくリビアのカダフィにも似ている。
「民主党はそもそも、党の綱領も無く、選挙対策の互助会のような政党である。そんな党だから、政治はシロオトで、特に党首の菅直人は全く無、今回の大震災対策でも全く政府が機能しなかった。この責任は菅直人が全ての原因で、彼が辞めなければ何も始まらない。政府は挙国一致で新たなリーダーを選び、震災復興に集中すれば、復興は進むし、日本の経済も再生する。」これも一種の誤解、又は思いこみだろう。

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 東京裁判史観に影響された人がいる。「第二次世界大戦で日本はアジア諸国に災禍をもたらした。謝罪すべきだ。戦争は一部の軍国主義者が引き起こした。講座派とか、マルクス主義的歴史解釈は大体その線である。東京裁判の下した判決の内容は正しく、満州事変にはじまり、大東亜戦争に終わった、日本が関係した各種事件、事変、戦争は、すべて日本が東アジアおよび南方諸地域を略取し、支配しようとした、被告たちの共同謀議に基づく侵略戦争であって、戦前、戦中の日本のなした各種行為、行動はすべて「悪」であった。日本が支那を侵略したために、太平洋戦争に突入したなどという歴史観。昭和3(1928)年以降の日本国の対外政策・外交方針は一口に言って侵略的であり、道義にもとるものである。武力行使を発動したときには、常に国際法で言うところの戦争犯罪を伴っていた。」という。 戦前の日本は間違いという二者択一的な考え方のように見える。これは何も特殊な考えではない。昭和の時代の人達、特に戦争体験者は、知識人でも、作家、司馬遼太郎とか、五味川純平など皆その歴史観の影響を受けていた。

  自分は日本の近代史における最大の惨禍であった第二次世界大戦と日本において最も必要な見方は
何故多くの犠牲を生み、それはどのような人々であり、軍や政治が果した役割が何であったかという事だと思う。責任論もあるだろう。そこで、いかなる転換点が結果をもたらしたかである。神でもなければ余りにも巨大かつ広範囲の歴史の全体を見る事は難しい。膨大な資料を使った科学的に出来事を分析する歴史学の手法は荷が重い。

 シロオトなりにできることはある。全体像を捕えるよりも、個々の出来事を検証し、事象にかかわる歴史を再構築する。沖縄では何が起こったか、特攻はどのように計画されたかなどである。東京裁判も歴史修正主義もどれだけ事実を語っているのだろうか。自分の理屈に都合の良い事例ばかりを集めて構成された歴史、それらをもう一度見直すことから見えてくるものが何かである。軍内部の無責任な計画や、アジア諸国での日本軍の蛮行は一部しか断罪されていない。

  一方、「東京裁判はアメリカを中心に勝者が敗者を捌く茶番であった。日本軍はむしろ、アジアへの西欧列強の支配をはねつけ、アジアに独立をもたらした。中国でも戦闘で破壊を引き起こしたが、それは限定的で南京大虐殺なども中国の反日キャンペーンである。日本軍は世界でも有数の秩序ある軍隊で、その証拠に、終戦によって、武装加除も、中国や東南アジアからの撤退、帰国も見事に果した。大平洋戦争も欧米のABCDラインに包囲され、資源を遮断されたことに対する正義の戦いだった。日本は欧米の陰謀と物量によって敗北したにすぎない。」という、いわゆる歴史修正主義の立場が生まれて、教科書を考える会とかが、新たな歴史解釈を展開した。一面は間違っていない。しかし、その主張者の意図が何かだ。これは戦後の占領政策から生まれた日本の現在の体制、特に平和憲法を骨抜きにしたがる人がこの考えである。日本にパワーポリティックスを復活させたいのだ。

 一体どうしてこのような論争が起きるのか。我が国の敗戦と、その惨禍について認識を故意に曲げた結果であると思う。その背景には、戦後の占領政策とアメリカに迎合した政治家や学者、さらには、ソ連に支配されるリスクに備えてマルクス主義史観にもとずく歴史観を展開した知識人、これを左翼とする。全くその恩恵を受けなかった集団においては、何とか、アメリカの占領政策や親米的な考え方を修正したいという、これを右翼とすれば、それらが両極である。この両者のような極端な立場を選択するということは一般には実際のところ少ない。しかし、一旦論争を始めるとどちらかになってしまう。特に政治の世界においては、正しいか、間違いかの選択を迫られることが多い。政治はそうした両極を睨みながら現実に対してバランスの取れた政策を実現することではなかったか。

 東京裁判において、日本という敗者が、欧米ソという勝者によって裁かれ、一方的に軍部や政治指導者が戦犯になった。彼等が政治的に犯罪という行為にかかわったかというと、かなり曖昧である。BC級となると、冤罪も多かった。アメリカ軍に戦争犯罪は無かったのか。沖縄の10万人の民間人はどのように亡くなったのか。東京空襲を行なった、戦略爆撃の発案者将軍ルメイは自らを戦犯だと言った。原爆はどれだけ非人道的な軍事行動だったのか。毒ガスや一般市民への無差別攻撃は戦争犯罪である。これらも彼等の犯行だ。戦争というのは政治の延長であると言ったのはクラウゼヴィッツだが、あれは皇帝を中心とする時代の戦争に過ぎない。今の戦争は一般国民を巻き込んだ犯罪に等しい行為である。ベトナムやイラク、アフガニスタンも同じである。

 戦後の日本人は敗戦をどう受け止めたかである。Jダワーの著作「敗北を抱きしめて」によれば多くの日本人が復興の為に手段を選ばなかった。過去の戦争指導者が、敗北に国を導き、多くの若者や市民を死に至らせ、国民に莫大な損害を与えた責任者として、彼等を断罪した東京裁判を受け入れた。少なくとも黙って見ていた。軍事行動の過ちによって多くの兵を戦死させた参謀、将軍は裁かれていない。辻正信大佐とか、インパール作戦の牟田口廉也中将などだ。そもそも、東京裁判は歴史認識としては、あまりにも一方的である。日本の占領地で起きた戦火に巻き込まれた多くのアジア諸国は東京裁判の蚊帳の外であった。戦争の犠牲になった人々の目から歴史を書くべきだ。

 特攻隊や、多くの戦争の中で貢献した人々の功績は失われた。このことが、国を守るための国民の義務も気持も萎えさせ、特に、領土問題において、政治家に勇気を失わせてきた。これは、戦勝国の狙いでもあった。映画やマスコミは戦争において貢献した多くの若者を抹殺した。日本人を去勢しろという戦略があった。我が国の映画で、日本軍がいかに戦ったかを描いたものは極めて少ない。沖縄戦を描いたひめゆりの塔や特攻戦記物くらいで、もっぱら被害者的な姿のものだ。日中戦争を描いた映画は無い。戦後こうした映像を避けたからであり、日本人は欧米映画の戦争ばかりを見ていた。

 一方、修正史観のグループは、過去における日本の過ちを見過ごそうとし、さらに、全く反対の事例で歴史を歪曲しようとする。日本軍はそれほど規律ある統制された軍隊だったのだろうか。一旦暴走すると止まらない、始末に負えない集団だったのである。中国では残虐行為を行なわない秩序ある部隊であると胸を張って言えるのか。彼等は食料を何処で手に入れ、民衆、特に婦女子に指を触れなかったのだろうか。日中戦争の時に、日本軍のモラルが頽廃していたことを嘆く記録は多く残っている。沖縄で民間人を壕から追い出した日本兵が多くいた事を説明してもらいたい。集団自決を促すような沖縄人に対する教育を誰が行なったのか。軍の命令があったかどうかという歴史論争以前のことだ。東京裁判で明らかにされなくとも多くの日本軍の犯罪行為が記録されている。

 中国軍は弱かったのか?彼等はドイツやチェコ製近代兵器を持ち攻撃してくる。一方日本軍は常に新兵で構成される最前線の実態があり、兵の消耗が激しかった。長年の戦争で優秀な兵士に鍛えられた中国軍にどれだけ苦戦を強いいられたか。当時のニュースは勝ち戦ばかりだが。国民の周囲には特高や憲兵が目を光らせ、過剰な思想統制を行なっていたことはすっかり忘れられている。当時の人々の暮らしが不安に満ちた時代だったことは多くの人々が証言している。何故、無謀な作戦が行なわれ、何十万人という兵士が餓死、同様に護衛のない輸送船で撃沈され、戦地にも行かずに水死、あるいは前途有為の若者が特攻隊で失われたのか。これらはアメリカ軍のせいだろうか。それらに対してどんな批判や反省をしてきたか。特攻の指導者は戦後も生き延び、国会議員や団体、企業の要職に就いた。これらは犯罪行為に近く国民が裁くべき事だった。

 英米の植民地軍を排除したのは日本軍だが、現地の人々に失望と反感をもたらしたことを書かない。ビルマやインドネシアで軍の作戦に独立運動を利用したにすぎない。こうした歴史の歪曲を行なおうとする結果、アジア諸国、特に中国からの蟠(わだかまり)は容易に消えない。中国や韓国の歴史は相当にご都合主義的だそうだが、国家の歴史観なんぞはそんな物。国会議員の中にも、そうした偏向した歴史観を愛国主義とはき違えた人々が、しばしば暴言を吐いて、大臣を辞めることになったではないか。これらは抗議するアジア諸国の陰謀なのだろうか。彼等はアジアの市場が我が国に取ってどれだけ大切で、国益を損なったことを理解していない。民主党政権の弱腰を非難する資格があるのだろうかと思う。戦争に対して反省をした日本人の築いた平和を守る事に努力する事が、戦後の成長を生み、平和憲法がアメリカの軍事圧力の盾となり、貢献したことまで否定するのではないだろうか。戦争には正義も悪も無い、愚かな行為というだけである。その愚かな行為を行なった軍部を擁護する暇があったら、今の若者に平和の尊さを語ってもらいたい。



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ホルミシス効果

原爆が広島や長崎に落されたとき、あと10年は草木が生えないと言われたが、翌年には花が咲いていた。毎日宇宙からは放射線が降り注いでいる。大体原爆症訴訟などの原告は、皆70歳過ぎている。そこまで、生きて来た人が何で原爆症なのだ。むしろ、多少の放射能は体にいいんじゃないか。ホルミシス効果というのがある。多少の放射線は体を活性化する。この話は、昔、むつ小川原の原子力廃棄物処理場を見学に行った時に耳にしたことで、原子力関係者はこんな理論を自分達の仕事を正当化する為に信じていることに驚いたもの。


http://sci-tech.jugem.jp/?eid=224にこのことへの見解が書かれているのでご紹介する。

大阪大学の近藤宗平名誉教授は、原爆で被爆した日本人を対象に、死亡リスクについての調査したことがあります。近藤名誉教授の調査結果では、例えば、長崎で被爆した男性の場合、被爆の線量が55〜99センチグレイでは、がん以外の病気での1970年〜1988年での死亡危険度が、明らかに100%より低くなっているというデータがあるそうです。「グレイ」とは、放射線が物体を通過するときに1キログラムあたり1ジュールのエネルギーを与えることを示す値。「センチ」がつく「センチグレイ」は「グレイ」の100分の1となります。

原爆の被爆者の半数が死亡するとされる線量は、0〜450センチグレイ以上といわれ、実際に長崎・広島の被爆者は、このような線量を受けました。通常、人が自然界の放射性物質から1年間に浴びる線量は0.3センチグレイといわれています。

つまり、近藤名誉教授の調査結果によれば、1年間に通常浴びる線量の300倍を被爆したとしても、かえってそれは、がん以外の死亡危険度は少なくなるということになります。
予想されるように、この結果に対しては反論もあります。

米国の物理学者ロバート・アーリック教授は、「特殊な選択をおこなわないかぎり、そのような効果は見られない」と言います。例えば、女性に関するデータ、がんによる死亡についてのデータ、1970年〜1988年以外の年における死亡データを調べると、50〜99センチグレイの線量での死亡危険度はむしろ増していると主張。「全データのうちから一組の部分データを選び出すという統計学的な誤り」は「データを『料理する』と呼ばれる」と、近藤名誉教授を批判しています。

ところで、「生物に対して害のあるものも、少しの量ならば逆によい作用を示す」ことを「ホルミシス効果」といいます。米国のトマス・ラッキー博士が1982年に発表した考えです。語源は「ホルモン」とおなじで、「刺激する」というギリシャ語の“horme”から来ています。

近藤名誉教授もこのホルミシス効果を支持する学者の一人。実際に、近藤名誉教授の調査ではありませんが、日本の被爆者は、他の日本人の死亡率と比較すると、実際には長生きをしているという統計も存在するそうです。けれども、こうした「被爆者長寿説」にも反論があります。戦争や原爆被害をなんとか生き延びた人々は、からだがより屈強で健康だったため、長生きをしているという「健康な生存者効果説」です。

何万人という人が原爆症で亡くなり、後遺症に苦しんだことを何故か忘れて、偶然長生きした人だけに焦点を当てて理屈を構築した後出しジャンケン的なインチキ理論であろう。放射能は体に害があるという通説に異論をはさむ理屈を構成する為に、都合の良いデータを集めバイアスをかけている。ホメオパシーと同様なエセ科学ではないだろうか。


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今のオランダ坂活水女子大の付近に鎮西学院は生まれた。

 長崎の諫早にある鎮西学院は創立130年になる日本でも古いミッションスクールである。6月10日ここで開かれたキリスト教学校教育同盟の総会に出席する機会を得た。初めて訪れた長崎であった。
鎮西学院は 1881年(明治14年)10月23日 米国テネシー州アセンスから来日したカロ ル・フォング博士が この地に鎮西学院の前身であるミッションスクール加伯利英 和学校を創立した この校名は 学院設立にあたって最初に寄金を提供された 米国のCobleigh夫人の名に由来している。
 活水女学院に続く、急な坂道は 小説「蝶々夫人」(原作者――ジョン・ルーサー・ロン グ――鎮西学院第5代院長コレル氏夫人の弟)の中でも 蝶々夫人やピンカートン中尉が往来した坂として描かれ この碑のすぐ南側には 「蝶々夫人」の 館の位置となった東山手六番館があった。 この戯曲に感銘したプッチーニがオペラの名作、マダムバタフライを作曲したのである。鎮西学院は その後1929年(昭和4年) 竹ノ久保に移転し 1945年(昭和20年)原爆罹災後は更に諫 早市に移って 長崎ウエスレヤン大学及び鎮西学院高等学校となっている。
 小生の祖父米倉次吉は、鎮西学院の卒業生である。彼の学友に、後に義兄となる九州大学法文学部長、宗教学者の佐野勝也がおり、彼の熱心な信仰に触発されて、祖父は洗礼を受け、さらに関西学院神学部に入学した。伊東平次他同級生数名が佐野の親友として導かれ、伝道者になったのである。佐野は一高、東大さらにハーバードで学ぶ。後に佐野勝也の妹ミシと次吉は結婚、そして、伝道者としての道を歩むのである。賀川豊彦のイエス団開設当時、関西学院の神学生として同期の矢田文一郎、伊東平次、徳憲義その他吉岡、鈴木、平野等の諸氏と、熱心にスラムでの奉仕と集会に参加した。その後、朝鮮での伝道から出発し、メソジスト教会牧師として1922年八代、1924年徳山市下松教会、鹿児島県川内市、大分県臼杵教会、杵築教会へと牧会活動を続けた。次吉の長男は関西学院大学文学部、活水女子大学で教授であった米倉充(1998年没)である。学問の世界では米倉次吉の孫、現在国際基督教大学教授の木部尚志が活躍している。

諫早市の鎮西学院本部棟

 
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 鎮西学院は長崎原爆爆心地から500m、多くの教師、学生が被爆し130名の死者を出している。これは広島女学院がやはり340名の犠牲者を出したことと並ぶ最大の試練であった。戦後、この再建には血のにじむ努力がなされた。校舎のみならず、学籍簿までも消失、戦後一から再建の努力が続いた。米倉次吉の義兄、佐野勝也は九大教授であったが、そのハーバード大のコネクション、同窓会などを通じて、今の諫早に新たなキャンパスを開設する資金を集め、再建にこぎ着けたのであった。今の林田理事長(元聖学院校長)は当時の再建の当事者で、学生として、豚を飼ったり、モッコを担いでキャンパス整備に奉仕した。こうした歴史を背景に、鎮西学院は平和教育をその教育の基盤としてきた。世の中の高校が、偏差値の高さを競い、受験競争に血眼になっていたが、鎮西学院は地域社会と隣人に奉仕する人材を育てることを柱とした。これは、再建の支援をアメリカのミッションから受けるにあたり、地域の生涯教育や産業に貢献する人材を育てるならば廃校にせず、支援するという指導を受けたことにもつながっている。かつての国立大学が、ベトナム反戦や、反安保の拠点となったことは、今の実情からは全く伺い知れない。あの闘争は一体何だったのだろう。ミッションスクールにおける反原発、反核、平和運動を社会はどう見ているのだろうか。見て見ぬ振りをしているかのようにも見える。教育の現場での活動こそ若物の精神に影響を与え、社会の未来に良き結果をもたらすのである。

原爆で破壊された鎮西学院
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  鎮西学院の吹奏楽部は長崎県吹奏楽コンクール16年連続金賞、九州大会においても長崎県代表として15回出場し、金賞を多数受賞している。総会においても、午後のひととき、吹奏楽のご披露があり、立派な演奏で大きな拍手を受けていた。日本の教育において、世俗の中で覇者となる道を目指す人材、競争に勝ち抜くよう叱咤激励する事も自由だが、教育の世界で、人の命を尊重すること、さらに社会に奉仕することを忘れた学校があまりにも多い。受験校として、有名大学、特に難関校の合格者ランキングに載せようと野心を刺激する。他人に勝つ事ばかりを目標に露骨に生徒の尻を叩き、経営する学校と親の貧しい心が悲しい。また、ゆとり教育のお陰で、大学教育の水準に遥かに届かない学力不足の高校生が大量に存在していることなど、日本の教育には問題が多い。受験勉強と真の学力とは別物なのだ。いや、大学教育で要求されるレベルは実は高校教育の水準を遥かに超えている。その一つの解決方法が中高一貫教育である。また、偏差値にこだわらない学習を目指すミッションスクールも多い。これには平和教育やエッセイコンテストなども意味のあることである。学生に考える力を与えることが教育ではないか。社会に対する、洞察力、関心を持たない学生が、経済学部や法学部に入って何を学ぶのだろうか。
 橋下大阪府知事や石原都知事はしきりに日の丸と国歌について強権を発動してその権威付けに熱心だが、教育の世界に対して平和教育や人権にどれだけ熱意があるのだろうか。それは見えてこない。むしろ,社会の人権に対するタブーに挑戦的である。国旗や国歌に敬意を表すことは公立の学校では必要な事かもしれない。しかし、それで人の心が支配できると思う彼等の人間理解のデタラメさを考えさせられる。特に、弁護士や小説家という文化人であるご両人は学校教育に口を挟むなら、もっと行なうべき事があるはずだ。

 鎮西学院吹奏部の演奏と雨のカトリック大浦天主堂
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More 佐野勝也について
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艦霧島の最後
 新潟市内のホテルオークラで敬和学園の理事会が行われた。前理事長の後宮さんがオブザーバーで出席された。彼は海軍兵学校出身で、90歳になろうとしているが、今だ頭はしっかりしている。何と、戦艦霧島の乗組員だった。そこで、戦艦霧島についてwikipediaで調べてみた。
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 霧島は真珠湾攻撃の際、赤城、加賀、飛龍、蒼龍を僚艦として護衛、インド洋海戦、ミッドウェイ海戦に参加した。その後ソロモン沖海戦でレーダー照準の米国戦艦の41cm砲弾の集中砲火を浴び、大破、自沈した。この戦艦は長門、最上よりーまわりは小型だが、空母と共に伴走できる戦艦として比叡、金剛、榛名と同型の高速戦艦であった。当初は重巡洋艦だったが改装され、戦艦となった。日本海軍の誇る第三艦隊第11戦隊主力戦艦として活躍したが、ソロモン沖海戦で航空雷撃により撃沈された比叡と共に沈没、ミッドウェイ海戦の空母4隻喪失に 加えた帝国海軍瓦解の端緒となった。  

 後宮氏はソロモン沖で霧島が航行不能になった際に総員退去となり、海中に飛び込んで僚艦に救助された。しかし、霧島は、戦艦からの米国軍ヘンダーソン飛行場への艦砲射撃、戦艦同士の砲撃戦で、敵艦を撃破、戦争初期の最も活躍した戦艦であった。アメリカ戦艦との砲撃戦では霧島の砲塔には、ヘンダーソン基地艦砲射撃のため三式弾が準備されており、対艦戦闘用の徹甲弾は使用できなかった。やむを得ず三式弾で米戦艦サウスダコタへの攻撃を開始。サウスダコタは日本艦隊から42発の命中弾を受け、上部構造物にダメージを受けた。電気系統の障害により射撃不能となり戦場から離脱した。しかしその後方にいた戦艦ワシントン等からの初のレーダー照準による集中砲火を霧島は浴びた。9発の命中弾を受けた。日本の戦艦は12隻あったが、武蔵も大和も殆ど航空雷撃で沈められている。この金剛型戦艦はソロモン沖海戦の主力で、最も活躍した戦艦であった。戦艦同士の砲撃戦というのは、その後は無かったのではないだろうか。日本海軍が、100戦100敗するまでの華であった。日本海軍が日本海海戦勝利の夢から最後まで醒めず、大鑑巨砲を追い続け、艦隊決戦の幻想に捕われていた時代の最後であった。その後、航空雷撃に戦艦が敵わなかったことは、既に、マレー沖で証明されていた。当事者であった海軍で、プリンスオブウェ―ルズ、レパルスを雷撃、撃沈した教訓が生かされなかった。

 後宮さんは、当時はまだ20代前半の若き将校であるが、今日、そうした体験を語れる戦中派は極端に少なくなりつつある。門田隆将さんが、昨年多くの実戦体験者のインタビューを行なったが、数ヶ月後に亡くなるケースもあったと言う。かつての日本海軍が、巨大な力を持ち、それが、短い間に消えて行った過程の真実は語られないまま歴史の闇に消えて行く。日本は戦争における成功体験も、失敗体験も生かせずに、敗戦した。戦後はアメリカの支援のもと高度成長、その理由も分らないまま今日の停滞を招いている。


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昨日来の民主一座のドタバタ三文芝居。笑うしかない。まあ、前から予測して言っているように菅は政権にしがみつく。政権有って国無しか。自民あって国会無し。

2日の鳩山の姿を見ていると、ミュンヘン会談が終わり一片のヒトラーとの「合意文書(ズデーテン以上は望まない)」を振りかざしつつ得意満面・意気揚々とクロイドン飛行場に降り立つチェンバレンの姿に近いね。合意の次の瞬間には「顔に泥」の展開は目に見えていたのにな。菅をヒトラーに擬したら、格が違うとヒトラーが怒る。ありゃ、下手すると暗殺されるぜ。と言っても、刀の穢れだが。ヒトラーは60回以上も殺されかけたが、上手く逃げたオカルト男。

民主党の仙谷とか菅の周囲のズル賢い連中、は糞袋だな。鳩は所詮ピエロでしょう。不信任決議自体政局で振り上げざるを得ない拳で、何とか収める為に茶番劇的になりやすい。だから皆付和雷同する。一日で賛成から反対に鞍替えするとはな。民主党の連中はこれが茶番と気がついたからどうでも良かったんだ。

民主党は右往左往党と名前変えろ。小澤はカネヅル鳩山と新党を作り、カネヅル党を結党、民主党は解体すべきだ。ついでに小澤チルドレン中心に選挙互助党も結党したらどうか。自民党も同じだ。日本は攘夷派ーアジア主義と開国派ー西欧カブレ派、改憲派ー護憲派、産業派—福祉派で新しい二大勢力 を、マトリックスから組み合わせて勢力を再編、それに公明、社共と組み合わせてやるしかない。政党の名前が体を表していない。そこで、明確な名前にした方が、国民には分り易いぜ。

コンセプトはもう一度民主社会主義と市場主義でもいい。自民党は、二世議員を中心に民主の小澤チルドレンと一緒に仲良く選挙互助党に集約し、残った骨のある連中としては自民党は「コジュー党(小姑党)」に、共産党は何でも反対したがる人達の集団だから「大日本不満党」、社民党はいつも夢見る「青い鳥党」、耳障りの良い言葉をさえずる、みんなの党は「メルヘン党」とか、公明党はやたら見てくれのいい無能集団であるから「美男美女党」とでもした方が分かりやすい。

21世紀の次期政権は
右往左往党ー菅直人など民主党主流
カネズル党ー旧民主党小澤鳩山派
選挙互助党ー旧民主党と自民党二世議員のノンポリ
コジュウ党(小姑党)ー自民党
を中心に
大日本不満党ー共産党、
青い鳥党ー社民、
メルヘン党ーみんなの党、
美男美女党ー公明党で乱立、
               少数党連立政権で無責任にやってけー。

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