<   2011年 05月 ( 16 )   > この月の画像一覧

 斎藤一という、不可解な人物を軸に、維新、そして明治という日本の近代のはじまりを描こうとする。勝沼の戦いに敗走した新撰組は会津に向かう。白河の戦いから始まる戊辰戦争である。これは幕府方の敗走のはじまりでもある。近藤は流山で斬首、土方や沖田は会津で新たな活動の場を得る。斎藤も新撰組の手勢を率い、白河の戦いに臨む。戦意の劣る幕軍の将官に失望しつつ懸命に戦う斎藤、しかし、薩軍700人対3000人という優勢にも拘らず、幕軍は白河城を放棄してしまう。

 斎藤一は新撰組が五稜郭における土方の死で終わり、維新が西南戦争で完結していく様子を見届ける。藤田五郎と名を換える。西郷の死は武士の時代の終焉でもあった。浅田次郎は西南戦争が西郷と大久保の画策で、西郷が武士の世を終焉させる為に仕組んだ戦争であると解釈している。さらに、彼が明治という時代を見つめながら余生を過ごして行く姿を描いていく。歴史は、時の勝者によって書き換えられる。しかし、民衆から見た歴史もその側面から新しい時代の精神によって光をあてられ、書かれる。かつては、新撰組は勤王の志士の不倶戴天の敵として描かれ、鞍馬天狗に成敗される集団だった。当時の通念は読売新聞記者下母澤 寛が、永倉新八などの生き残り新撰組隊員へのインタビューによって書いた「新撰組始末記」に覆された。新撰組隊員の一人一人も個性ある若者達であった。明治政府によって作られた歴史は、日本の敗戦によって崩壊した。徳川家康も、新撰組も復権し、軍神、乃木希典は無能な将軍に堕ちた。明治政府の築いた世は江戸時代より幸福な社会を実現しただろうか。この小説では斎藤一と、彼が部下にした少年兵との出会いが、伏線になったいるが、彼が「終わらざる夏」を書き、大戦末期の日本を描いた理由と結びつけて、この本を読むべきだと思う。乃木大将の殉死により明治が終わり、大正が始まったところから物語が始まっている。浅田次郎が織り込めたかった事は、今年は大正100年、日米開戦70年という時代背景を念頭にしていることを考えたい。

 日本軍の合理精神の欠如は、日露戦争の勝利と、乃木希典の精神論によって始まった。乃木の殉死は西南戦争の時の軍旗を奪われた事を理由にしている。当時は、軍旗がそれほど大事にされていなかったが、美意識としての武士道を戦場に持ち込んだのが乃木だ。斎藤に言わせれば糞袋の集団。というより、立派な志を持った若者が銃弾により糞袋になってしまった。機関銃を前に行なわれた旅順攻撃の肉弾突撃の愚は反省どころか肯定され、第二次大戦の多くの戦場で万歳突撃の玉砕を生んだ。第一次大戦で、戦車と毒ガスという近代兵器の洗礼を受けなかった日本の軍事通念は、欧米に10年以上の遅れをもたらした。乃木への同情が児玉源太郎などの合理主義を凌駕し、陸軍では精神論が合理的判断を狂わせ、不敗神話がまかり通るようになった。

 戦場では多くの失敗があるが、糊塗するために精神は都合が良かったのである。その結果、日本は成功体験も、失敗の反省も生かす事が出来なくなった。男子の4割、200万人の大正世代が戦死した理由がここにある。20年という歳月は長いようで短い。一世代が軍国青年に育つに充分の時間である。国民が神国日本のマインドコントロールを受け、大陸侵略と欧米との対立を生み、無謀なアメリカとの対決に至る道はこの日露戦争後の明治に始まったのである。戦争に必要なものは物量ではなく精神であるとされるようになる。ノモンハンも日本軍の敢闘精神が賞賛され、犠牲の数は問題にならなくなる。ところが、犠牲者が多ければ多い程、軍部は戦果を捏造し、それが死者に報いるかのような錯覚を生んだ。特攻が止められなかったのは犠牲者が累積し、失敗を認める事ができなくなったからだ。国家の指導者が斎藤一のような冷徹な現実感覚を失った時、明治は終わり、軍国主義への道を歩み始めたのである。それを国体というなら、出発点が乃木希典の殉死という行為であり、終末が特攻であった。

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一刀斎夢録 (上) 浅田次郎著

 浅田次郎の一刀斎夢録上を読み終わった。新撰組の齋藤一が陸軍中尉梶山に剣とは何か、人を切るとは何かを語る。時は大正元年、明治天皇崩御直後の東京。新撰組の斎藤一は藤田五郎と名を換え、明治を生き抜いた。新撰組の近藤や土方、沖田などの隊士についての独特な人物像と批評が面白い。人間所詮は糞袋という見方が奇異である。人を刀で切り殺すという異常な作業を平然と行った人物像という事を語りたいのだろうか。浅田次郎は齋藤一を通して何を言いたかったのか。

 斎藤一は近藤勇の天然理心流の牛込、試衛館に入門、土方や沖田等とは共に江戸から京に上った新撰組の同志である。京都での様々な新撰組の事件は司馬遼太郎の「燃えよ剣(昭和39年)」や、下母澤 寛の「新撰組始末記(昭和3年)」など、既に多くの小説などで知られている。近藤勇、土方利蔵、沖田総司など、多彩なキャラクターが様々な作家によって書かれてきた。他の隊士も永倉新八も津本陽が「北の狼」と書き尽くされてきたといってよい。浅田次郎の小説、壬生義士伝では新選組で守銭奴や出稼ぎ浪人などと呼ばれた吉村貫一郎の義理と愛を貫く姿を描いた。この小説でも斎藤一に吉村のことを語らせている。新撰組の鳥羽伏見の戦い以降の品川宿から江戸、さらに甲陽鎮武隊の勝沼防衛に向かうところで上巻は終っている。斎藤一は高台寺党の伊東甲子太郎派に入り込んだ間諜としても有名で、実態の分らない人物として知られていた。矛盾した行動を感じる彼の人物像に浅田次郎は切り込んだ。

 剣の奥義を求める梶山に対して、人を切る剣との違いを語る斎藤。斎藤は左利きの居合いの達人であり、彼の剣が不意討ちや、長州の間諜を切る模様が描かれる。坂本龍馬は彼が切った事になっており、この暗殺シーンが全般のハイライトである。史実の裏付けは無いが,暗殺から戦闘に至る戦いを経験し尽くした斎藤一の姿を描きたかったのである。新撰組の戦いは伊東甲子太郎暗殺の油小路の変に行なわれたような騙し討ちであった。というより、戦争というのは汚いし、失敗は許されない。その中で勝ち抜かねばならない。それが戦いの論理である。

 アメリカ軍が調査したところ、戦争において、ベトナム戦争でも、面と対峙した敵を狙って銃で撃つ事自体大変な自責の念を伴い、多くの兵士がPTSDに悩まされたと言う。第二次大戦中、人を切った日本軍兵士の体験では、刀で人を切った時、異様な興奮状態になるらしい。かあっと血が体を駆け巡り、体が熱くなる。これは外科医が手術で人の体にメスを入れ、血が噴き出す時も同様で、一種の恍惚感が襲うのだそうだ。刀で人を切ると興奮状態になる。アメリカ軍の調査では命令とはいえ、戦時でも平然と人を撃てる兵士は5%くらいだそうだ。これはかなり精神の異常な人という結果がある。斎藤もその部類かもしれない。

 人を単なる糞袋と表現したのは浅田次郎であろうか、それとも斎藤一なのだろうか。要するに、切られてしまえば糞袋だから、絶対に負けてはならない。この小説の時代背景は、明治が終わり、大正に入ったときである。乃木将軍が殉死した。これを斎藤は痛烈に批判する。戦に美など無い。殺されれば糞袋である。だから、彼は、若い新撰組員には幕府の時代が終わりつつある中、脱退を薦める。

 浅田次郎は斎藤一に近藤勇や土方を語らせ、さらに明治維新の真実を明らかにしたい。これを政治的リーダーの立場ではなく、目線を多くの国民の立場から描こうと試みた。無名の剣士の目は庶民の目でもある。底辺の群像から見た維新を描き出そうとしている。  
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 オサマビンラディンの殺害はCIAの勝利だろう。しかし、ナンバー2のザワヒりは健在だ。今回、日本の原発事故に触発されたテロが世界のどこかで計画されるのではないか。アルカイダの司令塔は力を失いつつあるが、そうした時こそ、制御の効かない、世界各地に分散したグループが競って報復合戦を行なう危険性が高まってきた。爆弾を抱えた小型航空機で、冷却装置を爆撃、自爆でもすればあっという間に、世界は恐怖のどん底ではないか。我が国も狙われるかもしれない。アメリカ本土なら西海岸が危ない。

 西岡議長がまるでボケたかのように菅直人を辞任させたいあまり、谷垣に代わって「辞めろ」と言い続けている。無理無理。カエルの顔にションベンだ。アメリカは、これだけ貸しを作った菅直人に退陣されては困る。アメリカから拒否反応を受けた鳩山と違った対応をしてくるだろう。日本の政治家は日本だけしか見えない。会社の中しか関心のない東電エリート社員と同様だ。普天間問題にしても見直しを迫り、グアム移転も反古にしたい。こんなチャンスを菅直人を退陣させて失うのは損だ。しかし、問題はある。日本が国際政治から見放される事態もあるということだ。特に、ロシアとの関係は最悪である。これまでの彼の大胆な発言の原因は、単なるKYというだけの話だった。これから始まる国際的な事件や危機にどう対応するのだろうか。

 菅直人が困るのは、そうした政治的な貸し借りという基本的なルールを無視する傾向があり、自分の都合の良いことしか考えないご都合主義者だということである。今後アメリカもその薄情ぶりに驚愕するはずである。こうした、彼の姿勢が、政治家としての資質と、政治家同士の信頼感を喪失する原因である。これだけ、罵倒されて、無能、無知、無神経とののしられても政権にしがみつく菅首相のメンタリティをみれば、何をしても無駄だという事だ。日本はもう諦めよう。駄目だ,こりゃ!

 今の民主党政権は、殆ど前を見ないで舵を取る、ボートの漕ぎ手みたいなもの。だから、早く進む事はできない。おそらく、テロ対策としての原発防衛は全く手が出ていないだろう。アメリカからその点を指摘されているにもかかわらずである。今度原発テロでもおきようものなら、米軍が直接乗り込んで、日本を占領しかねない。日本がこれから、一つになろうとかけ声かけても、リーダーたる政治家が全くバラバラでは空しい。今に、新たなテロ、中東での騒動、第5次中東戦争などの事態が再び菅政権を襲う。

 じゃあ、自民党ならこれが出来るかというと、やはり、対応できないだろう。震災の対応も同様である。浜岡原発停止なんぞ、気違い沙汰だが、当然、彼等には出来ない。所詮足して二で割るしか出来ない連中。ますます、自民党の陰が薄くなってきた。谷垣も全く存在感がない。菅直人攻撃、仙谷攻撃しか能がなかった彼等には困難を乗り切るという国家的な仕事を持った無能民主党にも太刀打ちできないのだ。自分達がまかされれば、どれだけうまくやれるか、国民に訴えることが出来ない。何が復興庁だ。具体的な都市計画、失われた土地の権利回復、医療と介護の再構築、産業再生など組織ができたからって出来るものではない。民主党は指揮命令がなっていない、と非難されるが、実際は細かくやりすぎるから現場と齟齬が生じる。官僚を信用していない分、先が見えない。政府は金だけ出して後は黙っておれば、民には治癒能力というものがあって、ちゃんと上手くやるのだ。
 
 ミスを恐れる官僚が二重三重にガードして、かえって身動きできなくなるのが目に見える。こんなことではテロ対策は無理だ。現場の権限を大きくして、情報収集能力を高めなければならない。ユニークな提案と思っているが全く古くさい。民主対策はおボッチャマの愚痴とか、嫉妬女の意地悪しかないんじゃねー。彼等なりの復興計画を早く出してもらいたいが、二世三世の家業的議員の多い連中は政策提言能力が無い。与党としても駄目だから政権が交代した。民主党は強力な野党だった。じゃあ、自民党は野党としてどうかというと、これも駄目ではお先が無い

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  国際ニュースによると、ニューヨーク市内の高級ホテルで女性従業員に性的暴行を加えた疑いで逮捕、訴追された国際通貨基金(IMF)専務理事のドミニク・ストロスカーン容疑者(62)は16日、ニューヨーク州マンハッタン地区裁判所に出廷、起訴前の罪状認否で無罪を主張したが、裁判所は「逃亡の恐れがある」として保釈申請を退けた。同容疑者は性的犯罪行為などの容疑で訴追された。訴追項目は性的犯罪行為(2件)、婦女暴行未遂、性的暴行(2件)、監禁、強制接触。訴追項目すべてで有罪が認められると計74年間の禁固刑が科される。ストロスカーン容疑者は16日、ニューヨーク市クイーンズ地区の留置施設に収容された。CNNテレビ(電子版)などが市矯正当局者の話として伝えたところでは、独居房に収容されたという。彼はフランスでも未遂事件を起しており、余罪も追究されるだろう。問題は何故、今になってニューヨークで彼が逮捕され、これまでフランスでは野放しになっていたかである。微妙な国際情勢が背景にあり、彼を逮捕したのはフランスの大統領選挙とか、アメリカの事情から、彼が邪魔になったという事情が強く反映しているのではないかと、邪推したくなる。彼はギリシャへの支援を各国に要請する根回しをしていたらしい。財政不安が止まらないアメリカは今、そんな余裕は無い。ギリシャの財政不安はアメリカの金融資本にはプラスに働いているらしい。しかし、それだけで、こんな事をするだろうか。裏がある話であろう。ビンラーディン殺害にしてもアメリカは今焦っているようだ。ストロスカーンの権力の源泉は、世界のユダヤ人金融資本である。これを叩くのである。昔、朝鮮戦争の直前に、国鉄総裁の下山氏が怪死したことを思い出してもらいたい。怪事件の陰には必ず、軍事的な背景あるいは政権抗争がある。今回怖いのは、CIAがビンラディン戦勝利の立役者としてオバマ政権が貸しを作った事。民主党は代々、しっくりいかない軍よりCIAを使いたがる。これで、アメリカはIMFと世界銀行を支配しようというのだろうか。

 今の中東情勢と強い関係をにおわす事件である。ビンラーディン殺害後、今年、アフガニスタンで始まるアメリカ軍の撤退、リビアのカダフィ政権と抵抗軍との紛争、エジプトの政変、さらにシリアやアラビア半島の民主化要求は大きな世界情勢の変化である。世界は猛スピードで動き始めた。さらに、イスラエルではファタハとハマスの和解がなされた。これは中東情勢の変化が反映していると見て良い。いずれ、イスラエルを取り巻く諸国との一触即発の状態が始まるだろう。イスラエルはこれまでのイスラム諸国が専制君主国であることが国益であった。周辺諸国の民主化によって、イスラエルを攻撃する兵士の戦闘能力が向上することを最も恐れてる。だれが、資源や国の富を独占する君主の為に命を捨てて戦おうとするだろうか。アラブ兵士の戦闘意欲の無さにイスラエルは救われ続けた。
 
  第4次までの中東戦争の勝利は、アメリカの支援のもとにイスラエルが圧倒的な軍事力を見せつけるものであった。これらは、欧米諸国のユダヤ人のパックアップがあって初めて実現されるものであった。その中核となるのがIMFなどの国際金融組織である。今のアメリカは財政赤字とドルの下落に苦しんでいる。今、ユダヤ人が思うのは、イスラム諸国の貯りに貯ったオイルマネーを武器に換え、内戦で戦わせて経済力を削ぐ事である。彼等がへとへとになるのを横目で見ながら、イスラエルは金儲けに専念したい。ところが、歴史の流れはそんなに都合よくはいかない。イスラム勢力が目覚めると大変だ。
  
  第5次中東戦争はヨーロッパ主導で行なうべき事と考えている勢力が存在するに違いない。アメリカの中でも、今、中東に介入すべきではないとする勢力は民主党に多いのだろう。共和党は以前、シャロンと手を組んでアラファトを追いつめた。資産家の多い共和党はイスラエルに対する支援に目がない。民主党は逆だ。オバマ政権は今もイスラエルを承認しないハマスに対しては厳しい態度だが、パレスチナに強弁な態度でヨルダン川西岸に移住を進めるイスラエルの態度にも厳しく、言う事を聞かないイスラエル大統領ネタニアフに対しては批判的である。また、この事に関するアメリカの拒否権行使はイスラエルを救ったが、その国際的な孤立は深まるばかりである。これを成果にアッバスはハマスと手を結んだ。ハマスだけではアメリカの拒否権行使は引き出せない。アメリカは双方の間に立って良識的な態度を取らざるを得ない。極めて複雑、微妙な状況である。

 今回、フランスで札付きの悪癖を持ったストローカーンの情報をアメリカに伝え、かつ、ホテルの事件を素早く行動させたのはサルコジであろう。サルコジは女性関係の情報を取るのが上手い筈。自分も散々浮き名を流して来た男。これでサルコジの次期政権は固まる。IMFによってドルの切り下げなどの政策を阻止し、アメリカを救い、かつ、ユダヤ勢力を黙らせることはフランスにとっても利益があることだ。フランスは第二次大戦中、ナチス同調者が多く、ユダヤ人をドイツに引き渡し、イスラエルには頭が上がらない。イギリスも、大戦中、収容所の存在を知りながらユダヤ人虐殺を阻止しようとしなかった。ヨーロッパではやはりユダヤ人は人気がない。ヨーロッパではやはりユダヤ人はは不景気とか、貨幣不安の元凶。というより、もう、ユダヤ人にはうんざりだ。今や、フランスではアラブ人の低賃金労働力無くしては経済が持たない。ユダヤはいらないのだ。

 第五次中東戦争が起きれば、EUはその仲介などの役割を果たし、北アフリカの資源を確保できればイスラエルを見殺しにして、アラブ側に武器を輸出することさえしかねない。ロシアや中国がその役を果したら、彼等は何の利益もない。アメリカは今イスラエルが攻撃された場合、支援する余裕はない。これはEUに任せ、体力が回復した後にイランの制圧を進めた方が得だという情勢判断もある。そもそも、イスラエル問題はイギリスの不始末だし、北アフリカはフランスの植民地だったところ、フランスが解決すべきである。一方、イスラエルが追いつめられた時はじめて、国内のユダヤ人勢力に後押しされてアメリカが再び貧乏くじを引くだろう。ヨーロッパはそれで良いのだ。ヨーロッパ人の悪知恵にはアメリカはかなわない。

 

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by katoujun2549 | 2011-05-18 16:32 | Comments(0)
 ニュースによると、東京電力は15日、地震から約5時間後の3月11日午後7時半には燃料の損傷が始まり、16時間後の翌12日午前6時50分ごろには大部分の燃料が原子炉圧力容器の底に溶け落ちていたとの暫定評価を発表した。1号機をめぐっては、燃料破損の恐れがあるとの発表があったのは12日午前中で、地震で発生した津波後早期にメルトダウンという危機を迎えていながら、東電が状況を把握できていなかったことが明らかになった。

 原発でメルトダウン程恐ろしく、最悪の事態は無いのだが、これが把握できる仕組みになっていなかったとは驚き。分っていたが黙っていた、とは言えないのだろう。当時、メルトダウンが完全に発生していたのに,テレビなどでは、日本の原発は二重三重にガードされ、そこまで心配は無いという報道が多かった。しかも、大学の原子力の先生がオブザーバーにいたのろくな解説が無かったのである。情報が無い中で学者にものを言わせる事には無理がある。枝野官房長官も、記者会見で水素爆発を建屋の崩壊などという奇妙な表現で説明。何いってんだ、一目瞭然、CNNでは爆発っていってたぞ。あのキノコ雲をそんな表現では済まされない。あの時に、セシウムどころか、ストロンチウム90まで撒き散らされたんじゃないか。皆がびくびくしてテレビを見ていた時には既に放射能はまきちらされていた。馬鹿やろう。

 当時、小生はある中野坂上のトルコ料理店にいた。トルコ人のマスターが、タドタドしい日本語で、「ワタシ、シッテルよ、今、ゲンパツヒドイコトニナッテル、コワイヨー」という。何だあ、トルコ人は分っていないんだなあ、日本の技術はお前の国とは違うんだよ、と思って黙って聞いていた。あんまりしつこく言うから、どうしてなんだ?と聞いたら、自分はチェルノブイリのことを覚えている。トルコの北の方が故郷で、あそこはチェルノブイリに近い。その時、地元は政府にさんざん騙されていた。連中は原発では本当の事言わないよ。放射能怖いといっていた。なるほど、トルコのケバブ肉屋だと思って馬鹿にしていた自分が間違っているかもしれないと思って、気をつけていたが、その後のニュースを聞くたびにニュースより彼の方が正しい事に気がついた。

 政府も、東京電力も海水注入でもめていたが、一向に真実を言わない。さらに、小生が知っている、アジア学院の関係者が、2週間後、那須の農園に行ったら、驚くべき量の放射性セシウムが検出され、今後農園を維持できるか心配だと言っていた。ええ―ツ、那須なんて全く報道されていないじゃないか。当時はまだ、同心円内の10km圏、30km圏の危険、避難区域が同心円で囲まれている地図しかニュ―スには出ていなかった。政府の発表のデタラメさに憤ったが、どうする事もできなかった。もし、横田の米軍が避難したりし始めたら、小生も家族と大分の母の実家に逃げようかと思ったくらいだ。先週、足柄のお茶から放射性セシウムが検出された。やっぱり、国の官僚は、国民の安全より、自分達の権威とか、立場を維持する事に熱心、さらに菅内閣はもっといい加減だということだ。既に、最初の爆発で、大量の放射線が飛び散ったのだ。

そういえば、昔、電力会社の副社長と飲んだことがあった。その時、丁度、福井で高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム事故があった。これは今から見るとやはり、メルトダウンに一歩手前の恐ろしい事故だった。高速増殖炉はプルトニウムを使い、その冷却はナトリウムという爆発物を液化した冷却装置で冷さないと温度が下がらない、恐ろしい仕組みだ。こんな危険なものは、あの原発先進国フランスでも中止したのだ。日本は当時、思い上がっていた。ところが、その役員、大したことない、大丈夫と連発していた。要するに分っていないだけの事、大丈夫というのは自分の会社のことで、情報を隠蔽しておけば会社が大丈夫ということにすぎなかったのである。住民の事とか,周囲の地域がどうなろうとそんな事は全く頭になかったということ。酷い話。そもそも、原発はトータルコストを見れば民間企業で採算は取れないのではないか。リスクを計算しないから利益が出ているだけだ。それなら、原発に関しては全て政府の直轄にし、投資は国、建設や管理は電力会社が受託し、PFIにするとか、あとは送電事業にすべきではないか。

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       韓流ドラマで見る、拉致被害者の生存の可能性

 最近韓流ドラマに家内がはまっている。韓流ドラマは、既に冬のソナタ以来、すっか日本のお茶の間に定着した。03年から04年にかけて大ヒットしたが、その後も何度か再放送された。ペ・ヨンジュ、チェジュウなどが有名に。宮廷ものチャングムの誓いではイ・ヨンエが人気に。今や、ビデオ屋に行くと、韓流ドラマだけで大きな棚が何列も占め、ハリウッド作品を圧倒している。青春ものも好評で、イケメン(美男)ですね、のチャングンソクに家内はお熱だ。野球の斎藤裕、ゴルフの石川遼ちゃんみたいなもの。天使の誘惑、テロワール、ベートーベンウィルスと見た。今、「愛の誘惑」30巻120話の84話にはいっている。とにかく長いが、結構飽きない。やたら男に尽くす女、復讐もの、根性ものが多いような気がするが、最近は様々な種類があって、良くわからない。よく見ていると韓国の男の横暴、暴君ぶりと、女の口論が凄まじい。皆平気で嘘をつくし、それを隠す為の噓がモラルに反する行為では無いかのようだ。

 日本のドラマには絶対に無い筋書きに啞然とすることがある。それは、死んだ筈の人間が再び別人になりすまして、復讐する話が多いということだ。前の恋人が生まれ変わって、登場して、元の恋人と再び親密になる。死んだ筈の子供が自分の娘と恋仲になる。兄妹だから、それに気づいた母親が妨害するが、何故か理由を言わないために話がコンガラかってしまう、といった筋書き。こうした筋書きには無理があるから、時々杜撰なこじつけがあってしらける時もある。しかし、この手のモチーフは、シェイクスピアでも結構あって、空騒ぎ、冬物語など恋愛ものに多い。むしろ、韓国の方が、伝統的な演劇の手法を活用しているのかもしれない。
 
 とにかく韓国人というか朝鮮人の想像力、アバウトな筋書きを超越して余りある俳優のパワフルな演技力に脱帽する。今,見ている妻の誘惑というのは姑苛めに遇い、義妹に夫を奪われた主人公(ウンジェ)の復讐劇だ。彼女は、夫に海で殺されかけるが、一命を取り留め、同じ時期に海で自殺したソヒという金持ちの娘になりすまして、元の夫ギャビン妻エリとその実家家族に復讐を図るという込み入った話。このドラマで多用されているのが携帯電話である。時間と場所をこれが飛び越える。ドロドロの愛憎劇。とにかく、秘密というより、噓を噓で塗り固めた展開。どうも、韓国人は噓を楽しんでいる。ここで気がつくのは、韓国では失踪事件というのが多いということである。それは北朝鮮でも事情は同じだろう。脱北者、拉致者とどうもこの朝鮮半島には失踪者が今でも満ちあふれている。あんまり多いから、普通のドラマに簡単に取り込まれる。

 これを見ると、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん、は、絶対に生きていると思う。彼女は北朝鮮からは亡くなったことになっている。その娘とか、元夫の脱北者が死んだという証言をしている。しかし、その遺骨はデタラメ。夫も自分の妻の亡くなった年を後から証言があったため訂正した。報道陣の前で自分の妻の亡くなった年を間違える夫がいるだろうか。拉致者の死亡報告書も、印影の向きと形、傾きが全く同じ、コピーを取ったとしか言えない代物を平気で証拠に出す。その杜撰な証拠を隠す為に噓を重ねる。これが政府によって行なわれている。横田めぐみさんの娘もなりすましの演技かもしれないし、もし,本物でも、真実を伝えたとたん、母子の命は保証されない。あの場では真実は語れない。めぐみさんが収容された精神病院は本当に入ったとすると亡くなっている確率が高いそうだ。しかし、入院を手伝った蓮池さんの証言があるとの事だが、その後は推察だ。嘘の多い話にこれだけが真実と言われても、到底信用出来ない。なぜ、遺骨を掘り出して火葬にしたのか。一旦土葬にしたものを掘り起こしてかそうにするというのがどんなことか、今回の大震災でもあったのだが、よほどの事である。しかも、その骨は複数の人間の骨。これだけ、奇妙なことが多いのは噓を糊塗するからだ。北の説明は全く出鱈目だらけと見たほうが良い。こんな噓だらけがあり得るのか。あるのだ。このあたりの創作力が朝鮮らしい。偽ブランド、偽親子、偽の繁栄、噓で塗り固められた国である。

 朝鮮半島での失踪者たちは死んでいない。噓の証言をする人は金さえ出せばいくらでも出てくる。李恩惠ー田口八重子さん、めぐみさんが再び元気に現れるというのは朝鮮半島では珍しいことではないのである。めぐみさんの夫は北朝鮮の情報官僚だろう。だから、もう外には出せない。妻の誘惑でも、主人公と、ソヒが失踪するのが韓国北東部江原道の海岸である。そういえば、1年以上前、韓流ファンの50歳台の女性が失踪したのもこのあたり。実は、韓国のカルト、統一教会関係で何千人もの女性が韓国に渡り、行方不明になっている。韓国では日本の何十倍も強姦事件が多い。一人旅なんぞ危険きわまりない。そんな事も知らずに、フラッと田舎を一人旅する日本人女性の気が知れないが、彼女も、いつか、別人の顔をして現れるかもしれない。
 

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1.イスラム教

 イスラム教はムハンマドが神の啓示をアラビア語で受けたもので、コーランは常にアラビア語で読まれる。イスラム教はその起源を考古学的に研究しているのかどうかが分りませんが、キリスト教はこの考古学的な研究を長い間行なって来た。古代バビロニア帝国の遺跡、ウル・ウルク、イラクやレバノンの古代遺跡、死海文書の発掘はその成果です。旧約聖書の内容が、19世紀までは神話とみなされたが、今日、歴史的事実が発見され、ノアの方舟やエデンの園の存在すら事実であったかもしれない。最近は進化論もアメリカ以外ではキリスト教と併存しているが,イスラムでは完全に否定されている。ムハンマッドがその神学をどうやって構築したかには興味がある。新約聖書において実はイエスの存在は考古学的には確認されていない。だからといって、イエスの存在や三位一体の神学的解釈が後の人間の勝手な創造であるとはいえない。聖書でのキリストの言行録から理解すべきこと、また、聖書の編纂における編集方針のようなもの。これを勝手な解釈と批判とするところにイスラム教との違いが出る。イスラムはこれを神に対する反逆とし、ムハンマッドを最後の予言者として崇めている。でも,現代において原理主義者のように、カリフ政治を再現することには無理があり、当然民衆からも支持されないだろう。彼等のコーランの字句通り解釈するには現代では合わない事が多い。既に破綻している部分があって、イスラムではこれを法学者が解釈している。そこがミソで、都合よく解釈して、隠れた腐敗がある。イランの法学者達は皆裕福そうな顔をしている。

 イスラム教はキリスト教のニューバージョンで、半分以上は重複している。イエスはコーランでは予言者として登場する。アッラーはその教えがイエスでは完結しないと見て、ムハンマドに大天使ガブリエルを通じて啓示を行なったとする。ムハンマッドは商人で、当時のユダヤ教やキリスト教を幼児期から学ぶ機会があったはず。ムハンマドは両親も早く亡くしている。幼少期は乳母にそだてられており、乳母はユダヤ人ではなかったかと想像する。アッラーの啓示を受ける前に、相当な知識があったはずで、その知識が半端なレベルではなく、ほぼ聖書全部を暗記するくらいであったと思われる。その証拠に、初期のイスラム教徒はコーランを全て暗記して口伝する専門の聖職者がいた。文書になったのは度重なる聖戦で、数少ない貴重な暗記者が死んだりしたからです。ムハンマッドは字が書けなかったとも言われている。現代でも、タリバン神学生はコーランを暗記しているし、ユダヤ教のサマリア派は子供の頃から旧約聖書のモーセ五書などは暗記し12歳までに暗唱できる。ムハンマドのキリストの神聖否定とか、三位一体の否定などは、当時のキリスト教会での論争を知っていたのだと思う。彼とおなじ論法をコプト教徒、アリウス派やエホバの証人などが取っているが、これは325年のニケア宗教会議の議論で結論が出ないことである。教典の解釈方法の差である。

2.宗教対立というより、政治や経済の対立が宗教紛争の種  

 今日のイスラエルに対するイスラムのテロや紛争の原因が何にあるかは難しい問題。小生には良くわかりません。裏がありすぎ、また、真実が伝えられていないからです。イスラエルでも壁の問題があり、イスラム教徒は差別と経済的圧迫に苦しんでいることは確かです。しかし、かのヨルダン川西岸でイスラエルが入植地を拡大している背景にはユダヤ人のパレスチナ人の土地に侵入しながら安全を図るという複雑なな事情がある。あの入植地を建設しているのはアラブ人、そのお陰でパレスチナ人は生活できる。入植地のユダヤ人も、混じって済んだ方がパレスチナ人の様子が分かって都合が良い。ガザ地区で分るが、ユダヤ人が退去した場合の方が、一方的な攻撃の対象になってパレスチナ側は危険である。新聞報道では語られない実態があるのだ。イスラエルはテロや国家の安全のためには手段を選ばない。テロを抑える為には、国と国という交渉では解決できない事も知っている。イスラエルが原爆を作ろうとした国には容赦なく爆撃を実行する事でもわかる。

 アメリカのユダヤ人が、金融や石油資本、さらにはマスコミを牛耳って、真実が伝わらない。アメリカやEUのエネルギー利権確保、さらには武器ビジネスが政治を左右しており、今日のエジプトやリビアでも誰が裏で動いているか良くわからない。一見、宗教対立にみえるが、実はアメリカの産軍共同体とか、金融資本が策動している。過去の十字軍では、イスラムの膨張で貿易に支障を生じた東ローマ帝国がカトリックに噓をついて、軍事行動を引き出した。一方、ヨーロッパのキリスト教徒は、スペインや東ヨーロッパで18世紀まで常にイスラムの脅威にさらされ、その恐怖感は尋常ではなかった。ユーゴスラビア、ギリシャで過酷なイスラムの支配を目にしていたから、未だに、キプロスとか、アルメニアのトルコのキリスト教徒への蛮行が記憶に残っており、トルコがEUから拒否される理由になっている。 

3.キリスト教が拡大した理由
 
 キリスト教が今日あるのは、その中心的教義、三位一体(父なる神、子なるキリスト、聖霊)と、イエスの復活があってこそです。これは教会という組織によって継承され続けてきました。教会の仕組みと神学が無ければ、聖書も残らなかったでしょう。聖書は素晴しい言葉が語られていますがその内容は論理的ではないし、今日の我々が読む歴史書とも違う組み立てになっています。だから、多分、全てを読んでもなかなか全体は理解できない。長い間、幼児教育を通じて基本を学ばないと分らないことが沢山あります。だから、教会に行くのです。イスラム教も同じです。教会は戦闘的ではないのですが強固な確信や排他性は、キリスト教がイエスキリストとその弟子、特にパウロ以来、ローマ帝国内部の土着宗教や、皇帝、周辺の民族宗教やギリシャ哲学と戦ってきたからです。パウロの不倶戴天の敵は、教会内部にいた、グノーシス派という思想でした。何でも共存できる日本は幸せな国ですが、ヨーロッパやアフリカでは民族の生存と宗教が繋がっているから大変です。国家とキリスト教が結合した時からその勢力拡大と、信仰の堕落が始まったといえます。ニケア宗教会議はコンスタンチヌス帝の肝いりで開かれ、イエスを神的な存在ー神性と人間性の分離ーとすることが排斥されました。三位一体論が、ローマ帝国の統合に利用され、皇帝も都合が良かったのです。宗教の名の下に、多くの民族が滅ぼされてきたわけです。イギリスのケルト人などもそうでしょう。

 4.一神教は怖いか
 
 我が国において、キリスト教とイスラムを比較研究する試みは、大川周明がその頂点ではないかと思うが、小生はそのあたりは勉強していません。日本において、明治の元勲、例として遣欧使節団が最も頭を痛めたのがキリスト教の扱いでした。あの獄門磔の囚人を何でヨーロッパ人 が信じるのか理解できないし、産業革命下、科学万能の欧州で死んだ人間が復活するなんて信仰はあり得ないというのが共通認識でした。とんでもない信仰が先進文明と共存している驚きです。そこで対抗するために、天皇制と現人神を考え出しました。実際はこれの方が怖かったわけです。宗教という言葉は彼等が考えたもので、キリスト教を暗に指すものでした。それまでは宗門とか言っていたのです。現代の複雑な政治経済現象、あるいはテロなどの現象を一神教で説明することは難しい。 もし、これが宗教論で説明できるならば、歴史学などは不要になってしまう。似たような現象をひとくくりにして、ある事象と結びつけることは間違いが多い。例えば、日本で大地震があれば日本全部が壊滅したと思うのに似ている。風評である。あるいはトマトは赤い、赤い果物はトマトだということと同じくらいラフな論理である。20世紀アジアでも多くの惨事が起きています。ポルポトや文化大革命での大量虐殺などが記憶に新しい。これはむしろアジア的コミュニティから生じている。ナチスのホロコーストは実は宗教より、政治的理由でしょう。ユダヤ人以外にもソ連兵など大量に殺されています。ソ連の粛清などは始めはユダヤ人を嫌ったレーニンから始まったことですが、それを国家機構の仕組みとして組み立てたスターリンの仕業でした。長い間の収容所列島の存在も、宗教では説明できない。
 
 キリスト教もイスラム教も人間生活の幸せを求める知恵だといえば簡単ですが、それでは人間が勝手に作った仕組みに過ぎない。その知恵を越えた存在というところから出発する。カルト集団は、常に自分の独自性や既存の宗教の批判から始まっています。エホバの証人などはその典型です。イスラム教が述べる様々な戒律は人間が結果的により良く生きる知恵になっている。小生は、仏教も含め、根底には同じものを見て、同じ目的をもって信仰を持てると思っています。インターネットと同じで、入口がと経路が違うだけです。自分はキリスト教と言う入口から入っています。これが今の宗教者の主流の考え方です。

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靖国神社と戦没者を廻る政治の動きをどう見るか
ー門田隆将著ー「蒼海に消ゆ」を読んで

 特攻基地であった知覧記念館を訪れた政治家は多い。都知事の石原慎太郎や小泉純一郎元首相はその政治的発言、行動にも影響を受けている。しかし、ここは慎重であるべきであろう。特攻を崇高な行為とし、彼らを神として出撃させた軍部の姿勢と、国を思い、家族のために散った学徒兵とは対極的な位置付になるのではないか。靖国神社は国家神道として、政治と戦争による戦没者を結びつけて来た。政治家が参拝することがその意味においては当然とも言える。国民の側や遺族側からは思想、信仰の自由という観点からは参拝を強いる事は出来ないし、その逆もあろう。

  特攻に関しては靖国神社参拝からは切り離すべきである。神社が祀るのは勝手だが、彼らも、隊員同士、また、上官から再び靖国で会おうと誓った建前の世界と、彼らの個人の心情とは全く内容を異にしている。戦争指導者と彼等のような犠牲者がおなじ場所で何故祀られねばならないのか。蒼海に消ゆでも、松藤先輩は靖国とか、天皇のことを全く触れてはいない。後に続く世代のためと言っている。多くの若者が、故郷の家族、 子供たち、母や妹を思いながら出撃した事が分かる。殉じた学徒兵の行動と軍部戦争指導者の責任は分けて考えるべきだ。彼らはあくまでも人柱として命を捧げた。

 一方、戦争指導者達は、大西中将などを特攻遂行者として、彼らの責任面から逃れて来た。特攻は1944年のフィリピン戦から始まったのではない。真珠湾での特殊潜航艇でも行なわれた。回天、震洋、桜花など、以前から兵器も開発され、学徒を特攻要員として振り向けようとした。自発性という建前は卑劣な責任逃れである。戦争は自発的に行なうものではない。特攻隊員という集団マインドコントロールがあっただろうし、本当に望んだ人もいたかもしれないが、失敗する確率が高くなっても中止する勇気が指導部にはなかった。45年の6月以降は殆ど成功の見込みがないのに、時には複葉機の「赤とんぼ」などで出撃させられたのである。世界の戦争史でも例を見ない陰湿な計画であった。しかも、特攻員は地方の農家出身者が多く、軍人の子弟は少なかった。勿論この作戦においては源田実や瀬島隆三等の参謀達、昭和天皇の関与は覆い隠せない。特攻は軍部の日和見的戦争指導の成れの果ではないか。こうした指導部の無責任に対して、学徒兵は実に見事な潔さで、命令に従った。

  特攻隊員は国民の鏡として、末長く称えられるべきである。全く正反対な立場であるにも拘らず、彼らを賛美したり、追悼することが軍国主義的な行為であると位置付けたり、逆に、軍拡などに利用する勢力も問題である。もっと正面から彼らに向き合い、何らかのご縁のあった人々、特に彼らを送り出した大学などが、末長く顕彰して行くことではないかと思う。戦争による犠牲者には、それぞれ異なる局面と、事情がある。インパール作戦の戦没者、フィリピンへの輸送船が撃沈されて亡くなった兵士や民間人、原爆、空襲での犠牲者など、それぞれを丁寧に追悼し続けることが意味があり、十把ひとからげには出来ない。自分は特攻に殉じた学徒兵には皇居の中に、きちんと碑と記念会館を建て、無名戦士の墓と併せて多くの参拝者が集う場を設けるべきだと思う。そうでもなければ未だに遺骨収集も未完の南洋諸島、シベリア抑留者などの霊は安息出来ない。今年の日米開戦70年について未来の国防と平和貢献について議論する時を持つ事も大切だが、国に殉じた人々の行為を記念する事を忘れてはならない。

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医療のからくり 和田秀樹著 文春文庫 

 受験コンサルタントで有名な和田秀樹氏の対談集である。2005年に出版され、日進月歩の医療の世界ではもう古い話だと思ったが、読んでみると、今日でもあてはまる内容。それほど社会も医療も進歩していない事が分る。和田秀樹氏は東大理3から医学部に進み、精神科医でもある。浴風会病院に勤務し、高齢者の精神病や病気に取り組んで来た。高齢者特有の健康管理、精神衛生に詳しい。日本の医療では子供は小児科、大人は内科しかない。しかし、大人と言っても20歳の若者から80歳の老人に至る体の内容は個人差もあり、極めて複雑で、これを一つの制度で扱う事に無理がある。2年前高齢者医療制度が発足した。しかし、医療的には何も変わっていない。相変わらずEBMによって保険制度による縛りが続き、医師の創造性は減殺されている。彼は慶応大学の近藤医師との対談で、大学病院の実態を明らかにする。新潟大学の安保徹教授とは高齢者特有の体の状態から、高血圧や血糖値の基準の限界を語り、諏訪中央病院の鎌田實氏とは地域医療によって医療効果が上がる実績を語らせている。全て、今日日本の医療が抱えている問題であるが、いまだに解決されていない事が分る。これらは厚労省の現場を無視して行なわれる政策に起因している。かつて、日本がアメリカと戦った戦略は半年後に崩壊し、その後は100戦100敗であったことの繰り返しである。止める勇気がない。それでも自分達の非を認めようとしない、割を食うのが国民という点でも同様である。日本の医療はフリーアクセス、低料金、そして低レベルである。三拍子揃うことは石油バブルに湧くサウジアラビア以外には医療ではあり得ない。
 高齢者医療の場合、コレステロール値、血圧、血糖値などが若い層よりやや高めであることがむしろ、常態であるという。また、肉も一日80gくらいは摂取した方が頭の老化対策にも良い。和田秀樹氏は精神科医として浴風会病院に勤務していた。日本は高齢者を診断する上での学問的データなど臨床の基礎ができていない。高齢者は特に同一年齢でも健康状態の格差が激しい。平均値という意味があまり無いのです。高血圧でも180とかになると流石に、様々な障害の原因になるが、正常値の上限を越えても、境界値にそれほどの意味が無い。150で平気な人もいれば、130でも具合の悪い人がいるという。高齢者の生存曲線において、これまでの基準は全くあてはまらず、また、高血圧群平均183〜93に悪い結果があっただけだったと言う。これも今は降圧剤で改善されるから、高齢者の多町の高血圧は問題が無い。
 医療費の社会負担の急増が懸念される。2013年には人口の25%が65歳以上で外来の45%、入院患者の68%が65歳以上という予測だ。これを財政的に絞ると、医療の質が落ちたり、医師の待遇、病院のモラル低下につながる。医療費は効率化、先端技術によって手術時間や入院期間を短縮したり、薬の重複を避け、不要な治療を避けるなどの対策も組み合わせる事が無ければ効果が上がらない。病院の経営の合理化だけではなく、医師のレベルを上げることが伴わなければ決してコストは下がらない。医師の質的向上には大学教育から仕組みを変えて行かなければならない。これまでの研究中心から臨床教育につながる仕組みにしていく。顕微鏡ばかり見ていた人が外科の教授になったり、かつての医大の仕組みは旧態依然であり、また、大学病院にも問題が山積みである。大学のブランドに患者は惑わされる。地方は大きな病院が少ないため、基幹病院が大学病院の事が多い。大学病院は教育と治療と両方の使命があるから、若い医師を訓練するときに誤りもある。医療を受ける方の立場に立っていない。研修医制度が医療崩壊の象徴になっているが、これから、大学の医局講座制が変わり、これまでより臨床医の能力が上がる可能性もある。日本の医療制度は国民皆保険制度、自由開業医制、自由標榜性と出来高払い、全国一律料金といった医療制度全体を改革しなければ、新しい時代には対応できない。

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 日本の政治家、特に、民主党、社民党などの国際テロや戦時の不法行為に対する認識が浅いのではないかという場面がある。危機管理の弱さは社会党など、かつての村山政権でも指摘されていた。長い間、テロ対策を考える立場に無かった政党の弱さである。テロというのは革命などでの反体制勢力が、政治主張や、支配者の統治能力への疑惑を増す為に企ててきたもので、古くはローマ帝国時代も、ユダヤ人のゼロテ(熱心党)などが行なっていたことが歴史記録にある。また、帝政ロシアへの革命グループ、あるいは、日本では江戸幕府に対する江戸や京都での辻斬りなど、古くから政治的主張の一つなのである。日本では、かつて赤軍やオウムなどのテロがあり、多くの市民が犠牲になってきた。70年代の三菱重工爆破事件や警視総監邸爆弾事件などがあった。ゲリラ戦は戦争の一形態として認識される。テロはこれまで警察によって対応された事で戦争とは位置づけされていなかった。国際テロにおいては全く新しい形である。アメリカはこれを戦争と位置づけている。警察機能を越えた武力を持った敵に対して、警察を軍隊化するにはナチスの武装親衛隊のようなものを作らざるを得ない。これは国家においても、市民からも好ましい事ではない。警察力で対応できるレベルに相手の武力が減退するまでは軍事的に対応すべきである。

 国家が行なう殺人行為は制度的に容認されている。その一つが死刑制度であり、国際的には戦争である。戦争は、ジュネーブ協定によって一定のルールがあり、捕虜の虐待を防ぐために、兵士の交戦ルールが定義されている。我が国は、この事に対する認識が薄かった為に、沖縄などでは住民の悲劇を生み、また、死して虜囚の辱めを受けずという戦陣訓があり、兵士がそのために玉砕などの犠牲を生んだ。また、敵の捕虜虐待などで、戦後、多くの戦犯が処刑されている。戦争において軍事行動のルールでは、制服や標章など、市民とは区別しなければ保護されない。イスラエルでのジェニン虐殺としてイスラエル兵の蛮行が報道されたが、これも犠牲になった市民の多くがテロ参加者でもあったことをイスラエル側は抗弁している。このことを検証せずに一方的にパレスチナ側の証言だけを報道する。こうした、マスコミの無知はかつての日本軍と同じ体質である。

 ジュネーブ条約の交戦規定に関して、産經新聞(5/9)でのコラム「野口裕之の安全保障読本」が参考になる。ゲリラや「おとり」作戦はハーグの陸戦規定で適法である。しかし、ジュネーブ条約第一追加議定書では、降伏を装い油断した相手への攻撃、民間人を装い奇襲する背信行為、15歳以下の児童を兵士とすることも第一第二追加議定書、児童の権利に関する条約など、国際法により禁じられており、マスコミはこのこと前提に記事を書かなければならない。新聞などが、パレスチナでイスラエル兵の攻撃を非難するが、パレスチナ側はこうした常識を無視した行動に出ている。民主主義が全てを解決するとは思っていないにも関わらず、批判の為の批判を行なう事が我が国には多い。全て話し合いとか、交渉で解決しろというのは無理な事が世界では常に起きており、我が国といえども例外ではない。攻撃される側の抵抗権とか防衛権を尊重すべきではないだろうか。
 
 現実的にはジュネーブ条約通りにはなっていない。東京大空襲、広島長崎原爆、ドイツのドレスデン爆撃はどう釈明するのか。常に、戦勝国は断罪されていないことが問題である。そうした矛盾をテロリスト側は突いてきているのである。この問題を突き詰めるならば、戦争に公平を求めることは無理な話、だから絶対反対、必要悪の存在は認めず、軍隊の廃止にまで行き着く論理である。我が国の特攻がどのようなインパクトを大戦において与えたかは想像に難くない。ジュネーブ条約も無視、沖縄では民間人も含めた攻撃が行なわれ、航空機が特攻してくる。そのような戦争において、気が狂ったような民族日本人はむしろ、原爆で破壊すべしと言う世論がわくのも当然である。極めて稀に、特攻で戦死した操縦士を礼を持って水葬にしたケースもあったが、概ね悪魔の仕業として、徹底的に撃ち落とし、生存者も救わないケースが多かったと言われている。
you-tubeに特攻生存者を銃撃して殺す記録を見る事が出来る。アメリカ人の大半が日本への原爆投下を容認しているのは、沖縄や特攻での日本の行動が原因であることを忘れてはならない。
http://www.youtube.com/watch?v=2XfSClIbMh0&playnext=1&list=PL835A90A672529581

 今回、オサマ・ビンラディンがアメリカによって殺害されたことに、批判が多く出ている。確かに、彼は冷戦時代、アメリカの対アフガニスタン政策を知り尽くし、裁判でこれらを暴露されては困るのだろう。国際法廷にかけろというのが確かに正論である。しかし、テロリストに対して交渉しろとか、裁判にかけろといっても、無理な場合は軍事行動しか無いだろう。交渉よりも、交渉のテーブルに爆弾を投げつける相手にどうしろと言う事なのだ。民主主義は司法、立法、行政の三権が分立して成立している。だから、軍事や警察においても、そうした手続きが煩雑であり、その弱点を突いてくる彼等に対して対抗措置を考えずに批判することは無理がある。ビンラディンが目指していた社会はイスラム法の支配による、カリフ政治であって、これは既に、エジプト、リビア、シリアなどにおいて破綻している。アメリカは既に政治的には過去の存在であるビンラディンを殺したのである。この殺害によって彼の存在が亡霊のように蘇ってくる。これから何が出てくるか分からない新たなテロ時代が始まろうとしている。

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