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 田中好子さんは好きな女優だった。「黒い雨」に出たときは、本当に素晴しく、被爆者の哀調をにじませた好演技に驚いたものだった。主役・「高丸矢須子」役を演じ、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画 賞などを獲得した。「ちゅらさん」の母親役も良かった。自分は1972年にキャンディーズが登場したときは、実は会社に入った年で、頭が会社の仕事に慣れることで一杯だった。残業続きでテレビもあまり見なかったから、そこにスーちゃんと言われた田中好子さんがいた事には全く気がつかなかった。理想の嫁にしたい女性ナンバー1、自分の奥さんにするには一番狙い目の可愛い女の子だったわけだが。その後、キャンディ―ズが解散し、いつの間にかピンクレディーがテレビで暴れ回りはじめて、単なるパフォーマンスが受けるようになった。あの可愛いい女性を感じるグループが懐かしい思い出になったのであった。平成元年作品、女優として変身、成長していく。黒い雨での熟女の入浴シーには、思わず、ごくっ!っと生唾を飲んだ。

 田中好子さんが、最後のメッセージを苦しい息の中から述べた葬儀報道にもびっくりした。おやっと思ったのは、彼女が相当に、あの大震災のことで心を痛めたことだ。3月11日以降繰り返す、余震と原発事故。さらに,衝撃的な街の壊滅映像に、自分も鬱的な気分になり、何か動くのがおっくうになってしまった。病気の家内も、肺の調子が悪くなったし、藤沢にいる88歳になる義母も、頻尿になって調子が悪いという。要するに、3月の末から4月にかけて、精神的にダメージを受け、田中さんもただでさえ弱った体に追い討ちをかけるような、気分の落ち込みがあり、一気に病状が悪化したと推察する。あの時以来、健康を崩したり、その結果亡くなられた方々は結構多かったのではないか。

 とにかく、心と体は密接な関係があり、この仕組みが科学的にどんな構造から来るのかは今でも分かっていない。しかし、以前も述べたが、薬の治験でもプラセーボという偽薬と試験薬を比較するのだが、プラセーボが効いてしまう。最初はどんな薬でも、ほぼおなじくらい効く。水虫の薬ですらそうだと、薬理学の内田医師もビックリしたことを語っていた。多分、脳の中で、免疫機能を刺激するような作用があるのだろう。免疫作用を行なう,血液の好中球とか、抗酸球、マクロファージなどの生育は脳に直結する脊髄だから、脳から直接的に影響があるのだと思う。また、腸というのは発生上も最初に出来る臓器で、神経や脳はその後から発展し、進化するから、脳と腸、脊髄と脳、また人間の免疫系とも密接に結びついていることが容易に推察される。
 
 田中さんは30代で初期の乳癌を発病し、手術や抗がん剤治療を続けて来たという。17年も闘病して来た事にも驚かされた。あの憂いをもった、少し怯えたような目線が魅力だった。これは本物だったわけだ。彼女が1年前までテレビに出ており、今年に入っても活動して来た為に周囲は今回の弔報に驚いたわけであるが、実際、癌というのはそうした急な病変を伴う病気である。そのことがあまり知られていない。もう少し生きて頂きたいとも思うが、これも人間の命の定めか。よく、亡くなる直前まで生き甲斐を持って働く方々を賞賛する傾向があるが、ある段階からは、あまり無理な事はかえって体力を消耗して、癌の勢いを強めてしまうのではないか。3年程前に伊藤欄、藤村美樹に癌を告白した時は既に転移が進んでいて、生命の限界を悟ったのだろう。そんな中で平常のタレント活動を行なうことは抗がん剤なども使用する中で大変な事だったはずだ。かなり無理をしていたのだ。この段階で、苦痛を抑えてこれまでのペースを守ろうとするのは、もっと生きたければ良くない事。昨年の梨本氏もそうだった。癌は片手間に対抗できるような代物ではない。正面から向き合って、消耗しないような努力が必要だったのである。もちろん、彼女のやさしい心や、気丈夫な姿勢で病気を克服しようとし、最後は緩和ケアも拒否していたようだが、これは延命上はマイナスであったと思う。

 緩和ケアによって再起の道が断たれると思ったのだろうか。この時期になったら真直ぐ病気を見つめながら、エネルギーを蓄えることが一番の療養である。彼女は少女時代からタレントであり、この生き方を変えない事が頑張れると思ったのである。先が短い事も知っており、あのメッセージとなった。しかし、もう1年さらに生きる事は精神力で可能だったと思う。ただし、これまでのマスコミとの関係を絶ち全てを病気に向けて頑張る事をしなかったというより、拒否した。やはり、病気に正面から向かい合うことも延命したければ必要なのである。しかし、彼女に取って、観客の前に現れない自分というのは存在意義が無い。これが自分の生き方だと確信し、延命努力も拒否したということである。ご冥福をお祈りする。

 

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 放射能汚染で怖いのは内部被曝であることは小生のブログで説明した。市民団体「母乳100+ 件調査・母子支援ネットワーク」は20日、独自に母乳を民間放射線測定会社に送り分析した結果、千葉県内居住の女性の母乳から1キログラム当たり36・3ベクレルの微量の放射性ヨウ素を検出したと明らかにした。放射性セシウムは検出されなかった。特に怖いのがストロンチウム90であり、これはチェルノブイリ事故の時周辺諸国で検出された。これから日本でもセシウムも含め検出されるであろう。

 厚生労働省によると、原子力安全委員会は母乳に含まれる放射線量について安全基準の指標を示していない。今回検出された数値は水道水に関する乳児の摂取基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を下回っていると、いつもの「問題ない」発言だ。
 
 これらは蓄積され放射性セシウムは体内に取り込まれると染色体や遺伝子の突然変異を起こすことがある。筋肉に取り込まれるから大丈夫と言うが、半減期が30年と長い。その影響の科学的な詳細は分かっていない。だから、発ガンの恐怖はこれからである。発ガンの恐れは何ミリシーベルト以下なら大丈夫という境界がある訳ではない。確率的に微小な被曝ではその数が少ないだけなのだ。市民レベルの情報収集は大事な事である。それをいかにも、大した事も無いようにマスコミは報道しようとする。国際医療福祉大のインチキ何とか教授が心配ありませんと言うが、そのオッサンなにを根拠に言うのか。内部被曝についてどれだけデータをもって言うのか、持っている訳無いだろう。日本にはデータが無いんだから。海の世界はもっともの凄い事になっている。

 経済産業省原子力安全・保安院は15日、東京電力が4~10日に福島第1原発で実施した低濃度汚染水の海洋放出量は計1万393トンで、含まれる放射性物質の総量は約1500億ベクレルだったと発表した。汚染水の濃度は法令基準の約500倍(最大値)に当たるが、保安院は「周辺の海では、放出前と比較しても放射性物質の濃度に大きな変動がない」と評価、東電に監視の継続を指示した。あれっ,監視するのは保安員の役じゃないの?調査したうえでの発言とは思えない。調査したならデータがあるだろ!ま、この程度なんですよね。

 低濃度汚染水の放出は、2号機のタービン建屋などにたまった高濃度汚染水の移送先を確保するためなどに、「やむを得ない措置」(保安院)として4日夜から実施。10日までに集中廃棄物処理施設(集中環境施設)から9070トン、5、6号機から地下水1323トンを放出し、当初の見込み(1万1500トン、1700億ベクレル)を下回った。1500億ベクレルは、2号機にたまっている高濃度汚染水の数リットル分に相当する。

 4日の放出開始時には、地元自治体や周辺諸国から「事前に連絡がなかった」などと批判が起きた。今回、保安院は報道機関への公表前に自治体や漁協に説明し、東京の在外公館にも外務省を通じて連絡したという。実は高濃度の汚染水は大量に海に放出されてしまっている。こんなものではない。彼等は既に分かっている。隠せるとでも思っているのだろうか。

 ところが、21日になってこれまでの放出量を東電は発表した。報道によると、東京電力汚染水によって放出された放射性物質の総量は、少なくとも4700テラベクレル(テラは1兆倍)と推定されると発表した。東電の保安規定で定めた同原発1~6号機の年間限度の約2万倍に相当する。また、流出想定量は約520トンだったという。海洋に投棄された汚染水は広がってしまい、問題ないという発言があったが、一体あの発言者はどこに行ったのか。

 1000テラベクレルというレベルは、史上最悪の海洋汚染とされる英セラフィールド核施設で70年代に放出された放射性廃液の年間の総量と同程度だという。東電は「影響については魚介類のサンプリングなどを通じて調査を続けたい」としている。影響があるに決まっているんではないか。調査は当たり前だ。どんな魚介類で調べるのか、その内容まで言うべきだろう。コウナゴじゃないでしょうね。一番影響の無い魚を狙って、大した事無いなんて言わないでね。発電所は温水をだすから、その周囲の海域には黒鯛、スズキ、ボラ、メジナがウヨウヨいるぞ。何処で取れた魚が危険で、どんな魚が危険が無いというところを報告すべきではないか。セラフィールドでは1956年以来汚染排水を流し、周辺の白血病発病率は英国平均の10倍というところ。05年にはプルトニウム30tを紛失したとんでもない原子力施設だ。

 放出されたと考えられるのは、放射性ヨウ素が2800テラベクレル、これは8日で半減するが、30年の放射性セシウム134と137が各940テラベクレル。集中廃棄物処理施設(集中環境施設)などから海に放出された低濃度の汚染水に含まれた放射性物質の総量(0・17テラベクレル)の約2万8000倍に当たる。
 既に3月26日高濃度の
放射性ヨウ素を含む汚染水が大量に放出されているから、東電はこれはもう消滅しているから仕方が無いという神経である。

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  皇太子妃が適応障害ということで、治療を続けている。最近は東北大震災の被災者慰問にもお出かけになり、回復されつつあるようである。しかし、精神の病いというのは厄介なものである。まず、病気の診断が難しい。そして、完治は難しいということだ。これも生涯上手くつき合って行くしかない。それが賢い選択だ。
 世の中には、病気になると病院に行けば治ると思っている単純な人が多い。精神病患者が身内にでると、それ「入院させろ」とか言い出すが、それは自分の外聞を気にしているだけで患者のことは二の次であることが多い。患者を収容してしまえということで、これは最近まで行なわれていた。電気ショックとか、ロボトミーというような乱暴な治療も1970年代まで行なわれていた。ラッセルクロウ主演のアカデミー賞映画、ビューティフルマインドを見ると良くわかる。
 そういう台詞を吐く人は健康な人である証拠だ。病人の立場に立っていない。そして、病人はそうは思わない。不安な気持で病院に行く、という事はそれだけ死んだり、長患いのリスクもあるということを感じているのだ。医者は神様ではない。現代の医療で本当に治療できる病気はむしろ少ない。糖尿病が完治したと言う人がいたら、それを本にすれば売れるほどだ。天然痘などの伝染病はかなり対抗する事が出来るようになった。制圧できる病気の数は100種類あるだろうか。

 そんなに病院が素晴しいなら、この世に病気は無くなるし、人間が死ななくなってしまうではないか。戦前は結核が多く、病院に入院することは死ぬ事に近かった時代もある。症状の緩和が出来るようになっただけである。精神病の患者が自分で病院に行く気になったらそれだけでも成功である。副作用の強い薬も何かにと、理屈をつけて飲みたがらないこともある。薬をちゃんと飲んで、医師に相談する気力が無い人が多いから大変なのである。人を縛り上げて病院につれていけというなら自分でやってもらいたい。

 精神病は今日在宅が中心である。それだけ家族の負担が大変なのである。患者が暴力を振るったり、家族の手に負えず、生活に支障を来さない限り入院はしない。とはいえ、日本の医療において社会的入院が問題となる。これを老人のせいにしている官僚が多い。しかし、これはとんでもない話で実は認知症や精神病患者が多いのである。また、海外では長期的入院は少なく、療養病床は病院統計から外している。日本は療養型病床群としてごちゃごちゃなのである。

 一般には躁鬱病、統合失調症(分裂病)、神経衰弱、ノイローゼとか分かり易く、世間では単純な病名になるが、実際はDSM-IVという基準により分類されている。精神障害の診断と統計の手引きDSMが使われる(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)。
なお、診断基準にDSMではなく、ICD-10を採用している病院もある。1990年の第43回世界保健総会で採択された第10版という基準である。DSMはアメリカの保険会社で疾病の分類を必要とすることから活用されている基準であるが、日本ではこれ以上の整理基準は無く精神科医の指標ともなっている。組み合わせれば1000以上になる。末尾にその基準を添付したのでご参照頂きたい。

 症状を抑える薬として様々な向精神薬が開発されている。特にSSRIと言われる向精神薬はセロトニン再取り込み阻害効果と言う、セロトニン仮説をもとに近年多用されている。向精神薬は副作用が強く、患者は結局生活の質が低下してしまう。体の火照り、倦怠感、便秘などで苦しむのである。
SSRIは副作用が少ないと言われるが、近年、服用者の攻撃性が高まるとか、暴力事件の原因となったケースもあり、多用することに批判がある。アメリカのコロンバイン高校銃乱射事件で犯人2人が服用していたことが判明している。飲用した分量が分からず、暴力性に関してはどこまで因果関係が立証できるかは不明である。

 日本では抗鬱剤としてフルボキサミン(デプロメール、ルボックス)パロキセチン(パキシル)セルトラリン(ジェイゾロフト)が承認されている。薬の種類の組み合せ、選択、分量などに個人差があり、きちんと観察したり、入院したうえできめ細かく効き目を確かめていくことが治療として求められるが、一般には社会生活のなかで、よほど拘束するような症状でない限りは入院しないので、適切な治療が行なわれているとは言い難い。家庭生活の中で継続していくことが難しい。激しい症状が出て入院してしまった患者の方が適切な投薬が行なわれ、かえって改善されることが多いのではないか。
 
 結局、患者家族にしてみれば、患者がグッタリして寝込んでくれるだけでも安心なのである。鬱期の閉じ籠りは心配だが、逆に躁期の活動による被害、浪費といった経済的被害、自殺や暴力などの精心的肉体的被害が怖い。これは躁鬱病だけではなく、統合失調症の陽性期、沈滞期という形も同様に波があり、区別をつけにくい。鬱病患者が自殺するのは必ず回復期である。小生が治験委員会で審査していた精神薬で何と回復する時期に1割の患者が自殺していた。びっくりである。そもそも、治験に参加する患者には重症患者が多いのだが。SSRIがプラセーボに対して多少効くくらいで、大した効果がなく、副作用と比べて同じだという説もある。たしかに、こうした薬は当初症状が改善されるが、長い間使っていると効いているかどうか分からなくなる。しかし,症状は抑えられている気もする程度か。

 香山リカ医師の本で書かれていたが、雅子妃の治療が難しいのは、宮中という閉鎖的な生活であって、医師も、診察や問診、周囲の人からの情報収集なども含め、適切な集中治療が難しいことだ。自分の推察では、雅子妃の場合、適応障害ではあるが、統合失調症による被害妄想も組み合わされているはず。精神病は単純ではない。簡単な病状ならとっくに治っている。これだけ時間がかかっているのはそれだけ複合的で難しい状態、多分、生涯お付き合することだろう。何が組み合わされているかは何故か言わない。個人情報ということは皇室には無いのではないか。公的な存在だからきちんと情報公開し、国民もつき合うということだ。雅子妃の症状は浩宮の人格否定発言の原因となったことだと思う。当時、雅子妃が精神障害になっていることに気がつかない浩宮が雅子妃殿下の告白を丸呑みした結果である。だから、その後、発言に関して反響があまりにも大きく、誤解も生じたため何も言わなくなった。精神病は初期においては同居人は気がつかない事が多い。他人から指摘されてはじめて気がつくのだ。外部の人間である医師が、そうした患者の症状をヒアリングで判断するが,それには時間がかかることでもある。

 また、愛子様の不登校の原因も、過剰な感受性を刺激したような感じだ。愛子様と雅子妃はきわめて関係距離が近く、雅子妃のメンタルディスオーダーの影響を受け易い。精神病院の医師や看護師はしばしば
、患者の病気に同化してしまい、病気が染ってしまうことがある。精神病患者のパワーは強力なのだ。

 雅子妃はそした病状を隠さずに、同じ病いで苦しんでいる人達の為にどうして尽くそうとしないのか。本人は病気だから無理だが、周囲の東宮関係者、さらには浩宮が率先して行なうべきことだ。水の研究もいいが、精神病に効く水も探してほしい。精神障害に苦しむ人は少なく見ても成人の5%、20人に一人はいるのである。自殺者が毎年3万人だが、自殺未遂はその倍はいる。毎年日本で死ぬ人が110万人とすればその5%になるではないか。自殺者はかなりの比率、60%以上で鬱病などにかかっている。これだけ多くの国民とその家族が苦しんでいる。スウェーデンのシルビア王妃の母は老人性認知症になったが、自分の介護体験から、そのために国を挙げて認知症の研究と治療に取り組み、65歳になった本人と家族もそうした活動に貢献している。世界で最も人気のある王族である。

シルビア王妃とグスタフ国王
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 空虚な言葉が飛び交っている。頑張ろう、日本人は必ず盛り返す、とTV広告で聞く程鬱になる。頑張ろう、ほしがりません勝つまでは、と、どう違うのか。自分の無策を棚に上げて国民のせいにしようとしている。日本の官僚と皇室の国民に対する思いやりは言葉だけ。菅首相よりマシだが、天皇の被災者慰問で曖昧になっている。普段は冷淡だから、少しでも慰問とかすれば皆あれだけ喜んでいるのだ。当然菊印ご下賜の「最中か、まんじゅう」位は慰問に持参したんでしょうね。素晴しいのは国民ではないか。挨拶すればいいのだろうか。ごまかされる国民も国民だ。産經新聞などはもてはやしているが、実は具体的に何かの施設を寄付した事も無く、ほとんど無関心に近い。スウェーデン・ストックホルム郊外、その美しさから世界遺産にも登録されている国王ご一家の居城、ドロットニングホルム宮殿の隣の丘に、広い芝生と美しい花壇に囲まれ、スウェーデンの認知症ケアの先端をいく「シルヴィアホーム」は世界的に有名だ。シルヴィアホームはシルヴィア王妃を会長に、1996年2月に開設された認知症専門のグループホーム。アルツハイマー型認知症や脳血管性認知症など認知症のタイプ別に、ホーム独自の介護哲学に基づいたケアを実践している。皇居の中に精神病院を作って世界の精神病研究の中心にすることを考えられない日本の貧しさ。
(参考)
DSM基準(Wikipedeia DSMより抜粋)
疾患概念 [編集]
DSM-IVには、16個の障害(Disorder)の概念が含まれている。
通常、幼児期、小児期、または青年期に初めて診断される障害(Disorders Usually First Diagnosed in Infancy, Childhood, or Adolescence)
せん妄、痴呆、健忘性障害、および他の認知障害(Delirium, Dementia, and Amnestic and Other Cognitive Disorders)
一般身体疾患による精神疾患(Mental Disorders Due to General Medical Condition)
物質関連障害(Substance-Related Disorders)
総合失調症および他の精神病性障害(Schizophrenia and Other Psychotic Disorders)
気分障害(Mood Disorders)
不安障害(Anxiety Disorders)
身体表現性障害(Somatoform Disorders)
虚偽性障害(Factitious Disorders)
解離性障害(Dissociative Disorders)
性障害および性同一性障害(Sexual and Gender Identity Disorders)
摂食障害(Eating Disorders)
睡眠障害(Sleep Disorders)
他のどこにも分類されない衝動制御の障害(Impulse-Control Disorders Not Elsewhere Classified)
適応障害(Adjustment Disorders)
人格障害(Personality Disorders)
多軸評定 [編集]
DSM-III以来、多軸評定という手法を採用している。これは、下記の5つの軸によって疾患を分析することで、疾患を多面的に捉えるという狙いに基づいている。
第1軸
臨床疾患、ないしは臨床的関与の対象となりうる他の状態。人格障害および知的障害を除く14個の障害概念がここに含まれる。
第2軸
人格障害および知的障害。
第3軸
一般身体疾患。DSM-IIIにおいては身体状態と呼ばれていた。
第4軸
心理・社会的、および環境的障害。DSM-IIIにおいてはストレス強度と呼ばれていた。
第5軸
全体的機能評定(GAF: Global Assessment of Functioning)。DSM-IIIにおいては社会適応水準と呼ばれていた。


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1.放射線被曝

 自分は15年前心臓カテーテル治療をし、その時造影検査を5回、4年前に2回、合計7回も受けている。今回の原発事故で被曝の問題がクローズアップされ、マイクロシーベルト、ミリシーベルト、 ベクレル、グレイといった単位がテレビでも解説された。一般公衆が1年間にさらされてよい人工放射線の限度(ICRPの勧告)では1ミリシーベルトだそうだ。250ミリでは白血球の減少。(一度にまとめて受けた場合、以下同じ)100ミリが人間の健康に確率的影響が出ると証明されている放射線量の最低値で5年間浴びた場合の限度。250ミリは福島第一原子力発電所事故の処理にあたる放射線業務従事者(妊娠可能な女子を除く)が1回の緊急作業でさらされてよいと特例で定められている放射線の限度。これらは法的な整理であり、医療行為のメリットと合わせると別の根拠が必要なのだそうだ。胸部レントゲンでは0.1ミリだが胃がん検診のX線では0.6〜106ミリシーベルトと幅がある。放射線も種類によって影響が違う。受ける影響からはベクレル、さらに医療ではグレイ(Gy)という単位だ。原発の場合はあまりにも複合的で分からない事が多い。

 では、自分が受けた心臓カテーテル治療の被曝はどうか。2000ミリシーベルトともいうが、これは照射されている量だろう。もう少し細かく見ると中心部(主に心臓を中心に撮影)の線量としては70~100mGy、皮膚線量としては500mGy。おおよそ人体に影響がある量は100mGy/Hでこれは訂正する必要がある。この際、グレイとシーベルトはアバウト同じと考えるとそれでも、凄い量なのだ。発ガンのリスクが高い。10万マイクロシーベルト(100ミリシーベルト)を超えるとガンになる人が増加するとされています。だから、自分の受けた量は累積で700Gyも受けている。今回東京に降り注いだものなんかは屁のカッパだが、好んで受けた訳ではないから迷惑には違いない。

 何とまあ、俺たちゃ被爆者じゃないか。家内も癌で放射線治療を受けており、回数の多い自分とほぼ同じ量の放射線を浴びたのだ。おそらく、普通の人の1万倍から10万倍ということだ。これを知ったら今回の福島原発が急に怖くなくなった。バケツで汚水をひっくり返した後、コップ1杯ぶちまけても大した差がないようなもの。家内はそれでも、スーパーでミネラルウォーターを買ってほしいとか、純水をキッチンコートでもらってほしいとか言うのだが、実際にはこんなことは無駄なのだ。自分も、家内も被曝夫婦というわけ。でも、病院の医師やスタッフも被爆している。毎日、原発の中にいるようなPETとか、カテーテル造影検査をしている医師達である。

 放射線による医療機器の被曝が人体にどう影響するかという実証的な研究の結論はでている訳ではなく、まあ、危ないから頻繁にやるのは辞めようということである。自分は、カテーテル検査で見つかった狭心症でバイパスまでやったが、狭窄箇所が10カ所もあり、ステントを入れる施術をカテーテルで行なえば、膨大な放射線被曝になり、これの方が危険だったのである。放射線を短期間(1時間)に全身被ばくした場合の致死線量は、5%致死線量(被ばくした人の20人に1人が死に至る線量)が2シーベルト(2000ミリシーベルト)だそうで、こりゃびっくり。どうりで,医者が何度も検査するのを避けたがるわけだ。詳細説明すると、ひどく危険な事をされたのかと患者が怖がってしまう。

 核分裂物質から出る放射線はα線、β線、γ線、中性子線などだ。これらはセシウム、放射性ヨウ素、ストロンチウム90などに含まれている。広島市と長崎市に原子爆弾が投下された後、家族や知人の行方を捜すために被害地域に立ち入った人々が重篤な放射線障害を受けたひとつの要因に、煙や砂塵とともにやや長い半減期を持つ核分裂生成物を吸入したことが挙げられる。さらに、直接体内に取り込まれなくても身体の周囲には大量の核分裂生成物が存在し、至る所で放射されるガンマ線にさらされていた。アルファ線やベータ線なら厚手の衣服で遮断することも可能であるが、ガンマ線は衣服を透過できるため、深刻な被害につながった。

http://www2.u-netsurf.ne.jp/~re_net/090713com/patio/patio.cgi?mode=past&no=50
実はこうした医療行為の被曝結果に関しては仮説にもとづいており、法的な基準とは別である。直線説に従えば放射線被曝は危険性を増やす。(=リスク)一過性の少量の放射線は体に良いという説もある。
 
2.内部被曝の脅威(肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著;ちくま新書)

 この本で、日本人が何故放射線に知識が無く、原爆反値運動もあらぬ方向に行ってしまうかが分かる。福島の原発事故でフランスやドイツの駐在員が逃げ出したのに日本人が驚いた。何と過剰反応だと思った方も多い。米海軍空母も逃げたのだ。それは残念ながら、彼等の方が被曝知識が豊富なのだ。何と、日本は広島、長崎の被爆国ではないか。しかし、残念ながら、当時のデータは占領軍である米軍に日本で研究することも禁じられ、データもアメリカに持ちさられた。研究した医師達も反米活動の疑惑をもたれ、尋問され、弾圧も受けたのである。だから、日本にはノーモア広島という感情的な反対運動しか無く、原爆障害に関しても資料は少ない。その認定に関しても今なお訴訟になってきた。それは実は多くの被爆者を米国は抱え、国内の原子力施設にいるアメリカ人、あるいは核兵器関係の軍人などにも言える事で、国家はこの問題を常に隠蔽するのである。しかし、現実に膨大な原爆被害という人体実験を目の当たりにした、日本人医師達にはその影響である様々な症状の記録は残っている。

 著者が言いたいのは、微量な放射線の人体に与える影響である。広島原爆の被爆者が長い間苦しんで来たにもかかわらず、補償の対象として無視されている、けだるさ、「ぶらぶら病」である。この症状は、原爆の被爆者に特有であり、長期間苦しむ。そして、多くの癌患者が発生する。そのメカニズムは未だ、疫学的な結論は出ない。しかし、ベトカウ効果といわれる少量の放射性物質が体内に長期間滞留したときの影響は強い外部被曝以上の影響があるということだ。
 放射性粒分子が酸素の溶け込んだ体液の中で酸素分子に衝突し、電気を帯びた毒性の高い活性酸素(フリーラジカル)を生み出す。この活性酸素が発ガンの原因となる要素の一つでああることは分かって来た。このフリーラジカルが細胞膜を破壊し、放射線が核を直撃し、DNAの転写を狂わせ、さらに、DNAにある細胞分裂のブレーキとなる要素が損傷して、細胞の癌化が始まるのである。

 放射線生物学では、放射線被曝によりおこる体内の変化は、活性酸素が生成されることだけだそうです。つまり、ストレスなどによる体内変化と同じという説があった。ホルミシス効果というのがある。少量なら体に良いという説。三朝温泉などのラドンが良いという程度のものだ。
 ところが、ベトカウ効果では、少量の放射線を体内に取り込み、体液の中で作用すると、外部被曝よりも大きな影響があり、昔、原爆で被爆した人々に特有の「ぶらぶら病」や劣化ウラン弾の影響などが説明できるという衝撃の研究がある。しかし。これはアメリカなどの政治権力からは抵抗を受け、立証さえ出来ない。疫学的研究は多額の資金と広範囲な調査になり、被害者側が対抗できないのだ。
 

 今回の原発事故でも、原子力保安院や政府は、一定量以下(しきい)の放射線は健康に影響が無いことを強調する。しかし、体内で被爆した場合は別である。このしきい理論と、もうひとつ、人工放射線と自然放射線は別だということである。自然放射線は外部放射線であるが、人工放射線は死の灰や微粒子として人間の体内に残留するからである。
 肥田医師は、広島の被爆者を長い間治療して来た方で、被災地での二次被曝によって、原爆症になった人、さらには長期間の倦怠感といった症状に悩んで来た患者の相談、診察にあたってきた。これと同じ症状が、アメリカの原発や核施設の被曝者、また、イラクの劣化ウラン弾による被曝者にも現れていることから内部被曝の存在を確信するに至った。

 スリーマイル島の汚染、また、チェルノブイリの放出放射線が日本にも飛んできており。これも女性の乳癌の増加の原因であるとも主張している。そのことを考えれば、今後、福島周辺の発癌状況が注目されよう。既に、原発周辺の地域の発ガン統計が出れば、必ず相関性があると思われる。アメリカのワシントン州ハンフォードでは冷戦時代核兵器用のプルトニウムを9基の原子炉で2万5千個の核弾頭を生産した。その際、スリーマイル島の1万倍の放射性物質が放出されていた。ここでの癌患者の発生は深刻であった。しかしこの問題を政府は隠蔽しようとした。それは大規模な疫学的調査を行い、集団全体で分析する。現地居住者が異常を感じても、常に大きな集団全体の平均線量で比較すると、集団全体の平均線量でみれば10万人に一人の割合でしかないとされてしまう。これをJ.ブッシュ大統領は被害を受けた住民訴訟から原子力施設を守る為に、2,000万ドルもの費用をかけて内部被曝の被害を「国際的に容認されている基準を十分に下回っている」という結論を出して打ち消して
来たのである。米国は未だに劣化ウラン弾による内部被曝を認めていない。米兵にも多くの被爆者がいるにも拘らずである。

 著者は原爆による惨状の中、広島にいて医療活動を行なっていた。しかし,彼は80歳を超えて健在である。これは一体何なんだろうという気もする。長崎の鐘で湯名な永井博士のように召された方もいる。放射線被曝で不思議なのは内部被曝という立証しにくいレベルで癌などの発病割合が上がった地域、その被害者がいる反面、このようなお元気な方もいるのが不思議だ。著者この辺りの不思議をもう少し説明してほしい。50ミリシーベルト以下の被曝箇所で被爆しても、その後、何十年も
倦怠感で苦しみながらも生きて来た人が80近くになって癌になっても、国としてはこうした人を原爆症とは言えないだろう。共産党の方の特徴として、アメリカを批判する舌鋒は鋭い。科学的に説明するのはお得意だが、ふと、妙な現実が説明できていないことがあるのだ。


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 紀伊国屋ホールで野伏 翔脚本・演出の劇団夜会公演「俺は君のためにこそ死にに行く」という芝居を観る機会を得た。剣友の石村英生君の姉上が主役で出演している。一橋大剣道部の杉本一郎先輩にお誘いしたら快くお付き合い頂いた。今年八十九歳の先輩は今や貴重な戦中派だ。この芝居は石原慎太郎の原作によるもの。野伏氏の特攻隊劇は、以前にも「同期の桜」を観た。この特攻隊ものは野伏氏の演出もさらに磨きがかかって光を増している。既に大方の筋書きは分かってしまう有名な話である。そこを展開する中で山場を作らなければならない困難な脚本を見事に完成させている。
 鹿児島の知覧にあった陸軍航空隊の基地近くにある、食堂の女主人や女子学生の、若き特攻隊員とのつかの間の交歓を描いたもの。映画では「ほたる」として2001年公開の降旗康男監督、高倉健主演の日本映画。東映創立50周年記念作品。特攻の母と呼ばれた. 鳥濱トメさんの想いを描いたもの。
 紀伊国屋ホールは満席の状態で、戦前派の方から、若い層まで多様な観客であった。とても分かり易い演出で、こうした演出が、まさに大衆演劇といえるものだと思う。約2時間楽しませて頂いた。
映画的なスピード感があり、展開が早く飽きさせない。反面、その辺りが残念である。エピソードが盛りだくさんだったのである。民宿で舟盛りの刺身をたらふく食べた感じである。
 もう少し芝居の流れで緩急の間があると心に沁みてくるはず。これは泣かせる芝居なのだから、ジンと来る時間が欲しい。いや、今の若者観客にはそんな事よりも早い展開で、ドラマとしてのスピード感、そして笑いも必要なのだろう。特攻隊員は、20歳前後の若者、死にいく覚悟を秘め、トメさんの食堂では大いに騒ぎ明るくふるまったに違いない。その落差が空しく、また、泣けて来るのだ。大はしゃぎする若者の裏の心をもっと訴えてもらいたい。トメさんに手紙や遺品を託ける場面に工夫があったらもっと泣かせるはずである。トメさんに手紙を託した隊員に拳銃を向ける憲兵隊の逮捕劇とか、殴り合いは余計ではないかという気がするのだが。ウルウル、ジーンと来たところで殴り合いになってしまい、これで醒めてしまう。演出の野伏さんに伺ってみたいところ。

振武隊員の写真(Wikipedia振武隊から)
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 この写真を見ると、全く少年ではないか。悲しくなる。
 物語は史実にもとづいているが、演劇的には海軍でもいいのかも知れない。舞台を鹿屋にしてみてはどうだ。海軍の方が軍装も華麗だし、特攻の成功率も高かった。というより、初期の天一号作戦海軍七生隊の戦果は大成功だった。陸軍は海軍に負けじと、出撃したが技量が伴わなかった。後半の出撃は殆ど失敗だった。陸軍の一式陸攻は皆撃墜され、特に、人間爆弾桜花を使った特攻は酷い結果であった。という面では陸軍航空隊の史実に忠実な筋書きで良かったのかとも思う。実際の振武隊は出撃した特攻隊の兵士の数は1276人で、生還した兵士は605人。何と半数が生きて戻ってきた。だから、この劇の最後に生き残りの隊員がトメさんと語り合うシーンがある訳だ。さらに沖縄まで到達したのはそのうち1073人だった。戻って来た特攻隊員が収容さえたのは振武寮といわれ、苛めの対象であった。これも酷い話だが、とにかく、海軍と合わせるともの凄い数の特攻が行なわれた。旧日本軍の自国民殺人システムといってよい。

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小生は原発反対派というわけではないが、平井憲夫さんという方の強烈な告発文がありますのでご紹介します。これほどまでに増設された原発ですから、すぐには減らせません。現実的には上手に管理しつつ代替エネルギーや省エネで補っていくしかないのです。もう、増設は駄目です。そのためにどうするかを考えたいが、現実はあまりにも悲惨です。国は情報を公開し、国民が納得いく管理をすべきです。このままでは反対のための反対派が増えるだけでしょう。

もんじゅの大事故
 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。

 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

 これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。

 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。

 どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。

 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。

 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。
 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。

 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。

日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
 もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。

 そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。
 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。

 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。

 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。
 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。
 いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。

日本には途中でやめる勇気がない
 世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。

 もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。

 どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。

 とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

 また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。

 原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。

廃炉も解体も出来ない原発い
 一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。

 具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。

 この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。

 机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。

 結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。

 最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。

 また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。

 それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。

「閉鎖」して、監視・管理
 なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。

 先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。

 放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 

 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。

 しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇〜八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。

 これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。

どうしようもない放射性廃棄物
 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。

 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。

 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。

 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。

 原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。

 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。

住民の被曝と恐ろしい差別
 日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。

ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。

 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。 こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

 ーーーーーーーー容量の関係で中略ーーーーーーーー

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。

原発がある限り、安心できない
 みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。

 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っていあす。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。

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  日本という国の実態が明らかになったのが、今回の東日本大震災と原発事故だ。津波被害にあった被災地では、まるで核攻撃にでもあったかのような廃墟が残され、多くの被災者を生んだ。人々の義援の動きや、被災者がこの現実を忍耐を持って受け止めている姿は、国際的な賞賛の的であった。
 その反面、政府の対応の遅さ、さらには、与野党政治家の政局にこだわった動きは、世界の失笑を買っている。日本のリーダー達のいい加減さと智慧の無さである。自衛隊をはじめ、地方の行政官の献身的な働き振り、米軍の素早い行動など、これまで埋もれて来た集団の素晴らしさに気付かされた。いくらここで愚痴を言っても国際社会は日本人全体がだめということになる。

 特に今なお不安定な状態が続いている原子力発電所事故で国民は覚醒してしまった。このことがエネルギー政策に議論を呼び、事態の改善に進むことを願う次第である。
 
 原発事故とその対応に当る政府の実情で露呈した事は恐るべき事だ。原子力の安全を守る仕組みのいい加減さと危機管理の無さである。にも拘らず、今国内には55基もの原発があり、さらに2基が建設中だという事にも加えて、このお粗末なのだ。日本は原発を大量に保有し、維持できる程の成熟した国ではないのである。今後も恐しい事が起きても不思議ではない。

 原発を作ることは今の建設技術ではそれほど難しいことではなくなった。ところが、問題は設計どおり施工されているのかだ。作っているのは清水建設や、鹿島建設でも、実際の工事に当っている人は、全く無名の,原発の意味も分からない職人だ。細かな手違いは、現場合わせで規格の違う部品などが適当に組み合わされる。

 そして、最も問題なのは安全管理であり、今回で分かったことだが、事故の対応については全くガタガタなのだ。変だと思わなかっただろうか、今回の事故で、2人が被爆した。懸命に働く作業員にはお気の毒だが、放射能汚染水を浴びてしまうような不注意な監督が行なわれている。少し考えても分るだろう。危険な仕事を好き好んで選ぶ人はいない。皆、何らかの事情でやっているのである。肝腎の東電の社員は優秀でも安全なところにしか行かない。彼等は高給で優遇され、お世話になってる電力会社の為に、噓も平気でつく。国民に対して何ら根拠が無くとも、口癖のように人体には影響ありませんとマスコミに公言する人達だ。被曝への対応はお粗末で、放射能防護服すら揃っていない。映像で見る、白い防護服は汚染された塵を外に出さない為のもので、放射能を防ぐ機能がない。こうしたものを揃えさせるのが上位にいる人の仕事です。原子力保安員とか、安全委員会のこれまでの管理は書類審査ばかりで、実態をチェック出来る体制ではない。例えば、配管がきちんとメンテナンスされているかといった、それほど高度でもないチェックですら放置され、電力会社が下請けに丸投げしている。現場を知らなければこれは出来ないこと。そもそも、通産省の担当は3年以上は担当せず、すぐに移動してしまう。保安院だって専門家は少なく、全くのドシロオトが原発を管理している。これには内部告発がある。平井憲夫さんという元原発職員だ。彼は被曝を原因とすると思われる癌で他界している。
http://genpatsu_shinsai.tripod.co.jp (原子力発電がなくても暮らせる社会をつくる国民会議)

だから、電力会社のいいかげんな技術者も査察に来た役人なんぞ、お茶の子さいさいで、政府の役人が来ても適当にあしらわれて、後は裏でご接待だ。連中は誰が詳しく、要注意か分かっている。少数の詳しい連中もいるだろうが、狙い撃ちに接待と、天下りで電力会社に組み込まれる。このことは自分も電力会社とつきあっていたし、役所の許認可事業を担当していたから良くわかる。どこでも同じだ。それは上がだめだから、皆同じになる。
 そうした連中は役所では日の当らないグループだから組織に対する忠誠よりも自分の利益を優先するのは当然。必要不可欠な技術を持っている人間を大事にしない組織の為に誰が働くだろうか。こんな簡単な事を報道しないマスコミも同罪である。

 汚染水は「軽度」ということでこれまでも垂れ流され、時には高濃度の排気も少量ということで放出されている。だから、周辺の海を調査して検出された放射性物質も放射性ヨウ素は半減期が短いが、津波事故の影響ばかりとは言えないのではないか。コウナゴなどは寿命が短いから他の物質が何時の時点でどこまで蓄積されて来たかは分からない。長生きのスズキとかで調べないのだろうか。周辺住民は発電所のお陰で仕事を得、人口に対して信じられないような交付金が出る。住民は黙らざるを得ない。

 この東電のていたらくを見て、国に任せるべきだということを言う人がいる。とんでもない。狼にニワトリを預けるようなもんだ。国がいい加減だから、原子力保安院も、安全委員会もいい加減、まともな安全性チェックも危機管理も出来ない。2005年に起きた姉歯事件、構造計算偽造事件を思い出してもらいたい。千葉県の姉歯という設計士が地震などに対する安全性の計算を記した構造計算書を偽造していたことを国からの受託会社イーホームズがチェックできず、耐震偽装問題とも呼ばれる。これも民間企業がやっていたかのような他人事に思えるが、実際の審査は国からの天下りがやっていて、外部委託だからといって知らん顔はできない。不本意な結果を出した仕組みに対しても国は責任がある。

 通産省は電力会社に天下りをおしつけ、文句言われたくないから、電力会社は喜んで引き受ける。これまでも言われている官僚と企業の悪しき関係の典型である。マスコミも、人々も14年前の旧動燃の東海村事故の事を忘れている。あれは住友金属の子会社JOCが起こした事故だが、実際は電力事業連合会と国の管理の杜撰さに原因がある。 97年3月11日に発生した東海村の再処理工場爆発事故と、8月26日に発覚した東海村の廃棄物ドラム缶大量腐食放置事件は、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)と科学技術庁、自治体の茨城県の腐敗メカニズムを浮かびあがらせたが、ドラム缶以上に技術官僚と役人をここまで腐らせたのは、東京電力であった。過去の教訓を生かせないような国が原発を持つ能力があるのだろうか。まるで、自動2輪の免許しか無い奴が一般道をF1のレースカーで走っているようなもんだ。

 原発はエネルギー政策上不可欠だという理由は分かる。しかし、全体の仕組みがどうか、短期的なコストは安くとも、全体のコストは計り知れない巨額な規模。原発を作って二酸化炭素が下がったりしても喜ぶのはIAEAや国連に行けるエリートだけだ。原発で我々が受ける恩恵は真夜中でもコンビニや自動販売機が煌々と町を明るくし、街灯で星も見えないことなのではないか。廃棄物はむつ小川原の処理場に持って行けば済む事ではない。高濃汚染されたものやプルトニウムは宇宙にでも放出しなければこの世から消えない。
 津波被害を受けた地域のかいがいしい奉仕と努力、また、崩壊した原発で命がけで働く人々に対して、国の指導者のいい加減なシステム作り、政治家の無能さにあきれるばかりだ。そんな国に先端技術ー安全管理という意味でー制御する社会的能力が無いのだ。無免許運転をしている国が、いくら原発が必要だと言っても、首を縦に振るのは難しいのではないだろうか。暴走族からは危険なスポーツかーを没収すべきなのだ。

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「検診で寿命は延びない」 PHP新書 岡田政彦著

 我が国に普及している人間ドックだが、ヨーロッパでは行なわれていない。その成果に疑問がもたれ、無駄な医療費を膨らませるだけだという評価だからだ。アメリカでは総合検診という名目で行なわれ、日本はこれを真似したもの。しかし、アメリカは保険会社が自分のリスクを押さえ、商品競争で,総合検診をおまけに行なっているだけだ。がん検診が行なわれているが、これは何も無い健康な人ががんを見つける為に検査するようなものではない。ヨーロッパではこのような検診は放射線被爆や誤診のリスクから行なわれないし、実際、人間ドックを行なう日本と欧米とは癌の生存率も治療結果も差がないのである。我が国では効果をきちんと測定したものはない。そもそも、医療統計資料など無きに等しいお粗末な医療大国なのである。OECD諸国から、比較資料で日本の欄が空白で困るとクレームがついている。癌統計ですら平成17年の癌対策基本法で始まったばかりだ。また、この追跡調査を続けて行く事は対象者の協力が必要で我が国ではとても困難なことなのである。これまでは欧米のデータに依存していたのである。  

 結核は今新しい抗生物質の効かない種類が出現しているが、以前は大きく減少した。これは早期発見のためなのか、日本人の栄養状態が向上したからかはいまだに分かっていない。胃がんはドンドン減っている。これは食品がかつて、塩分濃度の高いものが多かったが、冷蔵庫の普及でこれが減少し、さらに、ピロリ菌が原因であることも分かったためである。また、子宮頸癌はほとんどウィルスが原因であると言い切っても良い。乳癌は早期に発見しても駄目な種類は再発する。中には癌ではない部類も多い。早期発見して小さいうちに切れば、再発して大きくなるのに時間がかかるから延命できるし、温存手術になったのはリンパ廓清するまで切っても再発が防げないからだ。本書は、世の中で早期発見が全ての切り札であり、人間ドックを受ければ癌にもならないかのような錯覚を与えていることに異論を挟んでいる。

 近藤医師の言うように、癌との戦いは未だに癌に軍配が上がる。医療の進歩は遅い。しかし、癌と癌もどきが区別できるようになり、また、早期に見つかったものは手術や抗がん剤、放射線で治癒するものもある。しかし、完全治癒にはならないものが殆どである。未だ、国民の二分の一が癌になり、3分の1がそれで亡くなっている。むしろ、人間ドックに毎年行く人は、行かない人より癌になる人が多いという説もある。「あの人は毎年人間ドックに行っていたのに癌で亡くなった」という話を聞いた事が誰でもある。不安になったら行くくらいでいい。

 「えっ?会社の人で癌が発見されて助かった人がいますよ!」という声もある。しかし、これは科学的とは言えない。そのうち、本当の癌だった人はその後亡くなっているはずだ。早期発見で助かった人は、かなり限られた種類の癌である。膵臓がん、膀胱癌、肺癌などは殆ど助からないが、延命の期間は延びるだろう。また、実際には悪性の癌では早期発見の効果が無かった人の方が遥かに多い。
早期発見は必ずしも無駄ではないが、無闇にすることは避けるべきである。

 人間ドックが行なわれるようになったのはそれなりに理由がある。かつて結核は企業にとっても貴著な従業員を損失し、職場の衛生にとっても粉ましく無かった。だから、検診で発見に務め、これには効果があったかもしれない。企業の労働安全衛生法による健康診断に取って代わられつつある。企業の人事部はこれが有効であるという企業の意思決定にもとづいて行なっているだけで、何も科学的なデータがあってのことではない。実際、医師がこの人間ドックを受けることは殆ど無いだろう。夫々の検査を自分で行なう事も出来るからだろうが、幾つかの検査には無駄なものもある。

 病気というのは、医師でも、本当はかなり進行しないとわからないものだ。そして、治療もそのような病状の患者に対して症状に応じて行なわれる。しかhし、近年、検査機器も技術の進歩し、これまでは見つからなかった異常も発見されるようになった。そこで、さらなる検査と、早期治療という名目で病院にされ、副作用のある薬を投与される。そえが原因で精神的にも、また、健康が侵されるという現象もある。それでは病気の予防をどうするかということになる。
 
 分かっている予防法で一番確実なのはタバコを禁止することである。タバコは放射線被ばく並みの発癌性があり、その他心臓病などの病気の原因でもある。飲酒とタバコはさらに悪く、発がん性を飲酒との結合で高める。一本半のタバコは1回のマンモグラフィー検査で発ガンする確率に等しいという調査結果がアメリカにある。一本半というのは凄いね。1日3本吸う人は毎日2回放射線の強いマンモグラフィー検診をやっている変な人なんですね。飲酒そのものには食道がん以外には発がん性は無い。タバコを止め、飲酒はほどほど、偏った食生活や暴飲暴食をしない。家族との団らんを大切にし、ストレスある仕事の方法は避ける事がはるかに効果があるのだ。まあ、出来っこないから、心配なんですよね。言うは易く行なうは難し。

 
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 氏の著書「21世紀の国富論」の続編である。リーマンショック以降の経済を語るという意味に置いてはおすすめである。原氏は言う。「会社の存在価値は、まず事業を通じて社会に貢献することが第一で、その結果として株主にも利益をもたらすというのが本来の姿です。企業価値の向上は結果であって目的にはなりえない。しかし、目的を実現させるためにあるはずの手段を、簡単に目的であると、勘違いしてしまう悲しい習性をもつのが、人間というものなのかもしれません。手段と目的の転倒というこの現象をもたらすのは、一体何なのでしょうか? その最も大きな原因がものごとの数値化にあると考えています。人間が幸せになると言うことが一番の目的で、お金持ちになることやGDPをあげることは幸せになるための手段でしかないのです。しかし、お金やGDPは目的化され、その思考が個人にまで波及する。仕事を通じて生きがいをつくり、その結果として個人も金銭的な富や社会的充実感を得る。その実現のために会社があります。」
数値目標の典型が、IRRとROEであるという。これらはいずれも、短期的に利益を上げる事に経営の軸足を移しがちだ。長期的なプロジェクト、社会性の高い事業で利の薄いものなどに関心が無くなってくる。おそれに拍車がけるのがストックオプションである。金融工学を駆使して、お金がお金を生む仕組みを作った方が勝ちとなる。人間は土日を休むがお金は休まないし、世界中を飛び回ってくれる。これは経済学が「完全競争」「参入障壁がない」「機会均等」という実際とはかけ離れた仮想前提ー実験室の中の出来事にもとづいて成立しているために起きたことである。これに対して、今は廃れたマルキシズムの方が現実を見ている。
 確かに金融工学が貢献した部分はある。リスクをヘッジし、緻密な計算により実物経済の乱高下を防ぐこともできるだろう。しかし、この手法に何らルールも無く、巨大な資金が人間生活の根幹をなす食料やエネルギーに影響し、国の経済を破壊する規模に膨れ上がった時どうなるかである。
 しかし、人間には利己心があり、他人の幸せだけで生きているわけでもない。この利己心を無視しては社会は活力を失ってしまう。東洋人はこの人間の両面を、陰陽、虚実という概念でとらえて来た。人間の活動というのは、つねにゆらいでいる。キリスト教でも救いと罪という概念がある。企業の自己保存の活動と社会貢献は矛盾せず一体である。物事を科学的にとらえる手段としての数値が目標になって様々な問題を起こすのである。数値目標病ともいうもので企業経営が陥り易い道である。
 スティグリッツの非対称の経済学も読んだ。'01年ノーベル経済学賞・スティグリッツの経済学を直弟子がやさしく解説2001年「非対称情報下の市場経済」という経済分析の発展に対する貢献で、三人のアメリカの経済学者にノーベル経済学賞が与えられた。医療や保険など、これまでの市場経済原則が通用しない分野に関して、経済学的な視点でスティグリッツは説明してくれる。これも経済学の対象である。しかし、ベンチャービジネスやファンドビジネスが推進した歪んだ社会を最も古典的に批判したのはマルクスである。
 経済学の世界からマルクスが消えて久しい。しかし、彼の資本主義経済の陥り易い陥穽についてマルクス程鋭い指摘をした人はいない。ソ連の崩壊とともに、資本主義経済と社会主義の緊張関係が崩壊したことも今日の倒錯した市場主義の原因である。


 
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 今回の東北大震災は阪神大震災とは違い、範囲が広い。死者、行方不明者の数は多く、特に不明者が未だに減る兆しが無い。何故だろうかと考えてみた。実際、こうした犠牲者の数を解明するのは難しい作業だ。住民データは各市町村で損失したがバックアップデータからの復元作業が続いている。かつて、広島、長崎での原爆被災者の数は戦後もなかなか判明せず、社会調査の研究対象でもあった。関東大震災でも、実は数字が決まったのは2004年、7年程前であった。昭和12年後の調査で14万人とされていた。それは行方不明者と死者が重複し、これを整理確認するのに時間がかかるからである。理科年表では、2006年(平成18年)版から修正され、数字を丸めて「死者・行方不明 10万5千余」としている。広島、長崎の場合も正確には分からない。もっとも、ドイツのドレスデン空襲では死者7万から20万人とあまりにも幅が大きい。これは東部戦線から逃げて来た住民の数が分からないからである。
 
 今回の大震災では、被災者のかなりの数が、仙台や東京、関西にも逃げている。避難所にいる人は高齢や仕事など、何らかの事情で被災地を離れられない人々である。こうした現地にいる人を最優先する事は大切である。被災者証明が必要で、それは世帯単位であるが、今回は、ご両親が亡くなった子供達もいる。個人単位で何故出来ないのか。ここが日本の行政の問題点。世の中個人中心に動いているのに、これを個人に切り替えると役所が大変ななのである。楽な事を選択しているだけ。役所が機能していない事もあり連絡が取れない人もかなりいる。税金を余計に使っている訳ではないのだから方法はある筈。先は義援金を一人当たり10万円と決め、住民である事が確認されれば、必ずしも住民票がなくともそれ以外の方法もあるだろう。被災者であることが確認でき、重複しない事が大事だ。厳格に確認する必要は無い。不正があれば別の方法で罰するだけである。他の地域に行った人は時間がかかっても仕方が無い。こんなときに公平性にこだわることはない。まずは申告ベースで受け付ければ、不明者の内容が明らかになる。あるいは、至急、被災者用のカードを発行し、一定額を限度に引き出せるようにすることも手である。記録が残ればいいのだ。遺体捜索だけでは不明者は明らかにならない。追加の支援金を出すときにその対象者の精度を上げればいい。自分の推測では1万人ほどの不明者半分は生きてどこかにおり、残りは死者のダブルカウントだと思う。しかし、あと7000人近くは何処にいってしまったのか。

 津波のテレビ映像では、夕方の第1波、2波くらいを映像で見る事が出来るが、実際は7波は来ており、夜8時まで続き、暗くなってからの映像は無い。南三陸町の映像でその凄さが分かるが、倒壊し、押しつぶされる家々の中には人もいたのだと思うと正視できなくなる。映像を見ていると家族が悪趣味と言ってとがめてくる。しかし、真実を知りたいのだ。報道は必ずしも実態を正しく伝えない。安全なところから撮影したものが多い。引き波の凄さが分かる映像だが、これが繰り返された。

岩手県三陸町越喜来の映像 http://www.youtube.com/watch?v=bV7Gl2hmAmc
http://www.youtube.com/watch?v=_zb9JS55yfY&feature=related

実は暗くなってからも押し寄せ、その猛威が一番酷い、引き波の状況は、夜になっても続いたから撮影できず眼に入る映像が少ない。ところが実際はこれが猛烈であったと言う。この引き波で、かなりの人々が海に押し出され、流された。それから、海に近い程瓦礫の特徴が、粉々になっていることだ。これは何波もの波の威力で撹拌され、さらに引き波に翻弄されたためで、家の壁や材木が原型をとどめない程に粉砕されている。そのため、五体満足な遺体は幸運な方で、実際はかなりのご遺体は破損が激しいことがニュースでも伝えられた。検視に当った医師の話では、手足がバラバラだったり、原型を止めないものもあったそうである。見つかったご遺体はむしろ少数で、損傷し又は、撹拌されて分からなくなってしまった分がかなりあるという事である。映像で見ても木造家屋が粉々になってしまっている。これを見ると生体は大変なことになったのだ。しかも,リアス式海岸は岸から離れると急に深くなる。五体満足なら2週間程で体の中でガスが発生し浮き上がってくる。ところが、損傷しているとそうはいかない。海の中も50センチ先が見えない程に濁ってしまい、泥の中に紛れて分からない。ご遺族の事を思うと何も出来ない自分がこんなことを書いていいのかと思うが、本当にご冥福をお祈りするしかない。

テレビの映像では第1波の者が多く、本当の津波の恐ろしさが表現されたものが少ない。ところが、you-tubeの投稿映像で幾つか見ることができる。新たにこの1週間の間に投稿されたものである。

大船渡漁港の事務所に避難した作業員が撮影した窓から真下に濁流が迫ったシーンhttp://www.youtube.com/watch?v=dH2WHPQ14CM&feature=related、
気仙沼漁港で膨れ上がる海http://www.youtube.com/watch?v=VXZs4mos6ow

高台から漁港が大波に粉砕されるシーン(すべてを飲み込む津波2011.3.11野田村)http://www.youtube.com/watch?v=23Q4TBf_FKY、

引き波に家屋が海にひき込まれ、破壊されていく。又第一波から海がどんどん膨張し、漁港を飲み込み、さらに防潮堤から溢れ出るところ

青森県おいらせ町http://www.youtube.com/watch?v=Ct9GEaWAmJgなど、
三波,四波と海が膨れ、怒涛のように市街に流れていくところなど、破壊的な力が見て取れる。見ていると気分が悪くなる。
TSUNAMI引き波の恐怖http://www.youtube.com/watch?v=H7UKsFuSbm0&feature=related

波が引いた後は全く原爆でも落ちたかのような姿で家も基礎だけしか残っていない。これらを全部見ると結構鬱な気分になってしまう。

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