<   2011年 03月 ( 17 )   > この月の画像一覧

 映画「南極料理人」
 DVD借りに行くといつも貸し出し済になっていてなかなか借りられなかった作品。第38次越冬隊の調理担当として赴任した、海上保安官出身の西村淳が著したエッセイ「面白南極料理人」を原作とし、堺雅人主演で製作された。2009年夏から公開されたもの。1年以上も閉ざされた世界に籠っていると、楽しみは食欲だけになるんだろうか。坂雅人が好演している。海上保安庁から調理人として堺演じる西村は妻(西田尚美)みゆきと2人の子供を残して半年の越冬生活。毎日が単調な日々だが、彼等の唯一の楽しみが食事である。西村は、料理にこだわりがあり、毎日献立を変え、一生懸命工夫しながら隊員を支える。時間の経過と、単調な生活がよく表現されていたが,何ともその中で小さなエピソードが微笑ましい。ラーメンを食べたいと泣きを入れる隊員に西村は答えて手打ち麺を作る。オーロラもほったらかしで、皆ラーメンに夢中になる。水が貴重品で毎日雪と氷から作らなければならない。食材は豊富である。冬は零下70度にもなる世界。標高が富士山より高く、インスタントラーメンがゆでる時に真が残ってしまう。食生活に変調を来した隊員など、食事という側面から越冬生活を描いたユニークな作品であった。俳優陣は演技派が揃っている。とにかく、食べるシーンばかりが繰り返し出てくる。それぞれの隊員の人間模様も描かれるが、平凡な感じだ。いや、平凡な人々が南極という非情な空間に閉じ込められ、極めて接近した人間関係の中にいる。そんな雰囲気を出したかったのだろう。撮影は南極ではなく、網走だそうだ。これが、本当の南極だと迫力があっただろう。オーロラとかも見せてもらいたかった。南極の自然にあった音楽があまり無いのが寂しい。この基地は標高が富士山より高く、ペンギンもアザラシもいない。宇宙のようなところ。料理がおいしいと皆幸せになるというのがテーマか。

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 「はじめての宗教論ー左編」ナショナリズムと神学 佐藤優著 NHK出版新書 

 あの、元外務官僚 佐藤 優は同志社大学神学部を出て、外務省に入った異色の人材である。彼が何故ロシア政府と人脈を持てたか、その理由は彼が神学に詳しかった事である。彼はロシアの高官がモスクワ大学で彼の弁証法神学講義を聞いて、接近して来たのを利用した。このあたりの事情は東郷和彦氏著「北方領土交渉秘録」に書かれている。日本の高官でそうした知的水準の人物は少ないだろう。語学や経済学のエキスパートは多いだろうが、日本文化や思想、例えば本居宣長や鈴木大拙のことを学んでいる官僚がどれだけいるのだろう。
 佐藤優はキリスト教の基本的な思想体系、ドイツ観念論、カント、ヘーゲルからシュライエルマッハ、ゴーガルテン、シェリング、ティリッヒ、ブルンナー、バルトなどのヨーロッパ神学の系譜を学んでいる。日本のキリスト教は聖書とそうしたヨーロッパの神学を主流として来た。また、彼が最近のアリスターE.マクグラスの神学入門も読んでいるのに驚いた。海外の政治家や官僚はこうした知識に関心を持っている。外務省は貴重な人材を失った。この読書量は凄いが、これは留置所で読んだのかもしれない。哲学科にでも行かないと、これだけの量を読めないだろう。彼の強みはその知的体力である。

 宗教改革者ルターの神学的思考形態がナチスを生んだというのは、自由からの逃走を書いたE.フロムである。ヨーロッパでは政治と信仰ー神学はしばしば結合する。彼等の究極の精神的帰依状態がキリスト教であるが、これをかつては国王、さらに国家に置き換えれば簡単に政治的に利用されてしまう。佐藤 優はこの関係を本書で明らかにする。シュライエルマッハは教会=国民=民族という等式を解釈の方法として生み出している。教会=国家、国民と国家=民族とも置き換えられる。この本では彼はシュライエルマッハに傾倒しているかのように見えるが、それは国家と民族、ナショナリズムという観点から展開しているからだろう。彼の専門は、宗教改革の前段階、ボヘミアのフス、聖書を英訳したイギリスのウィクリフから、神学者としてはチェコのフロマカートを勉強したらしい。

 国家や貨幣、市場を批判する事はできるが、存在を否定しては現代人は生きて行けないだろう。国家は偶像であるが、ナショナリズムはこの国家への信仰を強要する。大企業では従業員に会社への忠誠心を要求するのと同じだ。佐藤優はシュライエルマッハのナショナリストとしての側面をエリー・ケドゥーリーの著作「ナショナリズム」によって批判している。「ナショナリズムの理想は、生への拒絶と死への愛である。」信仰と同様、心の中の確信、「神は外部なき内面に居る。内面に絶対者がいるということを、現代的に解釈すると「解釈の過剰性」につながる。」「過剰な解釈は絶えず流出していき、その動かざる神話として固定化されると、死をも肯定するナショナリズムになるのでしょう。「青年の活力」とか、「闘争」などは解釈の過剰を端的に示すメタファーだと思います。(76P)」
 なるほど、かつて、学徒兵の多くが、平然と特攻隊で出撃していった。その精神の根底にはこうした思考回路があったのだろう。たしかに、米軍の侵攻を止め、家族を守るという心情だけではインテリであった彼等は満足しない。天皇陛下というよりむしろ、ナショナリズムによる自己と国家の関係をメタファーとして捕え、それによって動かざるを得なかった。これを利用された彼等の悲劇とも言える。ナチスドイツにおいても同様の事が行なわれたのだ。
 
 このあたりの彼の論点は見事だ。しかし,シュライエルマッハからK.バルトの言う、外在し、絶対他者としての神という解釈が今日の神学の基盤であって、それが国家論とどういう関係にあるかは述べていない。というより、あまりバルトを読んでいないのではないか。とうのは、キリスト教の中心は教会であり,彼は信仰生活としての礼拝とか、教会生活とはあまり関わっていないし、関心も無いのだろう。バルトの論点はむしろそちらにあるのだから。
 佐藤 優の国家論としてその思想形成においてもキリスト教的な基盤がしっかりあることは分かる。彼はドイツナショナリズムをシュライエルマッハの神学で説明しようとしているかのようにも見える。しかし、彼の論は、第一次世界大戦までのことだろう。E.フロムがルターの政治思想にナチズムの根源を見出したことをどう考えているのだろうか。彼の聖書論は「はじめての宗教論―右編」(見えない世界の逆襲)に展開されている。聖書のキリスト教に関してこれも見事な解説書だが、教会論と言う点でどこまで掘り下げているのだろうか。今これを読んでいる。

 
 

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 都市の集中というのは日本の大きな課題である。放置されてきた一極集中である。確かに、東京は首都移転の立法はなされたが、実際には地域戦略が実行に移されたのは一部、関東から一歩も出なかった。大宮副都心、新宿新都心など、東京の周辺での分散であり、国全体の視野に乏しい。先進国で都市が分散して発展している国は多い。ドイツやアメリカなどもそうである。韓国はソウルに人口の30%以上が集中し、国防上も北朝鮮に一歩的な攻撃を受けた場合、何も出来ない状態である。日本と同様都市がお粗末。東京の機能をすくなくとも、名古屋、大阪、京都、裏日本(新潟)などに分散する時期にきている。

 今回の東北関東大震災は、阪神大震災とは違う大きな影響を経済に与えている。東京と北関東から東北の役割が明らかになる。昔から仙台には美人が少ないという話がある。しかし,これは違う。美人は皆2時間で行ける東京の方が金になるのだ。だから、皆行ってしまう。伊達政宗のいたころは仙台は美人が多い国だったのだ。名古屋ブスといわれるのもそうだ。東京の俳優には竹下景子など、名古屋出身が多い。名古屋では美人俳優は食えないから皆東京に行ってしまう。

 東京電力の福島原発事故もその象徴だが、東京の後背地としての東北の存在をもう一度見直さなければならない。東京はこの100年間東北と北関東地方に支えられて発展してきた。
 かつては、東北は集団就職などに象徴される若年労働力を京浜工業地帯に供給した。さらに、東北の真面目で優秀なな若者が東京の大学に集まり、秋田や岩手県、山形県などの若い頭脳も流出していった。東北6県で大学は国立も含め、42校しか無く、しかも仙台に集中している。私立学校は29で国公立に対して私立が少ない。東京には111の大学があり、そのうち私立が90%である。東北には地元の若い頭脳を育てる土壌がない。
 産業においては、若い人が出払った感のある東北、今は高度な省力化された工場で自動車の部品や産業の米ともいわれるICチップが作られている。京浜工業地帯を支える部材の供給源である。そのような意味で、商業集積とそれに携わる人々の住宅地であった阪神大震災とはダメージの質が違う。阪神大震災よりも京浜地帯の受けた損失は予想以上に大きい。今回津波での死者をみると、60歳以上と就学前の子供の数が多い。阪神大震災でも高齢者の死者が多かったが、今回はその傾向がさらに著しいように見える。
 また、農業生産においての出荷先は東京が大きな市場である。ということから、原発事故の衝撃は日常生活にも大きな圧力となった。今回の原発事故では福島や茨城北部が危機に曝されている。関西の農産物は淡路島のタマネギくらいで、農産物は関西圏で消費される。その点、関東北部の農産物、さらには今回大きな被害を受けた釜石、大船渡、塩釜はマグロをはじめ漁業の集荷先は築地である。東北自動車道が不通になると途端に東京のスーパーは品不足になる。
 福島原発の事故はたちどころに東京の電力供給の不足をきたした。東京電力では、下記の通り17基の原発を持っているが、4月15日までにすべての原発が止まる予定になっているという。東電の発電能力における原発の割合は約30%。しかし販売電力としての割合は、既に42%を占める原発の全面停止だけに前代未聞の大事態と言える。阪神大震災では電力の供給という問題は無かった。関西の60ヘルツという異なる周波数は50ヘルツの東京では使えないから、関西から融通してもらうこともできない。今回の自然災害という観点からも、また、国防上も、東京集中は好ましくない。産業だけの事を考えれば、集中が有利であるに決まっているのだ。それを理由に分散を怠って来た事の弊害を見直すべきである。
 かつて、東京一極集中をさけるために副都心とか首都移転構想があった。これは福島とか関東で分散させるプランであった。しかし、今や大阪や名古屋を都に昇格させ、さらには裏日本で新潟を再生させることの重要性が着目されよう。今後、関東に大震災が来る確率も極めて高く、首都が大打撃を受けるおそれが高まっている中、大阪、名古屋、裏日本の活用が脚光を浴びるだろう。皇室も、天皇陛下に業務が集中している。天皇陛下の節電への協力は胸を打つ。しかし、あの、皇太子はどうだろうか。都心の一等地に居を構えたマイホームパパ皇太子とご病気の妃殿下は京都に居を移してして伝統文化の再生を図ることも勇気を持って実行してもらいたい。新しい日本の力を再生し、国防上、また、政治の知恵ではないかと思う。

 
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 自分の場合は配偶者介護、普通は奥さんが夫を介護する姿が多いのだろうが、こちらは逆。家内をレベル5から介護してきた。会社は丁度定年になったので、延長せずに辞めた。とにかく、腰から下が麻痺、ベッドに腰掛ける事も出来なかった。そんな状態は2年続いたが、今は改善されて要介護4になった。関係者として、訪問の医師・看護師、ヘルパーさん、マッサージに訪問入浴の皆様、全て、医療保険と介護保険のお陰です。高齢者医療保険の批判は多いが、日本の健康保険と医療「制度」は世界的にみてトップクラスという事を前提に批判してもらいたい。

 ご当人、遠慮もあるだろうから、何かをしてほしいと言われたら、一生懸命にするようにはしている。果物が食べたいと言われたら、昔は、リンゴを皮むく程度はしたが、面倒くさい。ミカンを取ってやる程度はした。ところが、最近はミカンは皮をむいたり、フルーツもバナナと苺を組み合わせたりすると立派なデザート、完成した作品に気分が充実する。喜んでもらうと嬉しくなってその気になる単純な性格。時々、上手くカミサンに操られているのではと思うが、前向きに考えた方が得です。自分のようなノー天気な人物はきっと誰かに迷惑をかけているはずだね。でも、この際気楽に行くよ。世の中正義感だろか、責任感で仕切りたいのか、ケチつけて仕事した気になっている気の毒な人もいる。不幸はそんな野郎に寄ってくるんだな。嬉しい事に。

 介護保険では同居人がいると、1日1時間しかヘルパーは一緒にいないから、その他入浴とか、看護師さんが来たらその間、買い物に出かけたり、コーヒー飲みに行ったり。気分転換をはかる。介護サービスは患者のためだけにあるのではない。テレビで介護ヘルパーが、要介護者の方で何をやってもらうか方針がないと、時間をもてあますとか言っていたが、ありゃ何だ。そのためにケアマネもいるんじゃないか。そもそも、仕事というのは自分で探すものだ。人に言われてやるなんて馬鹿のする事だと思っていたから、何もする事が無いというのは無能を自ら証明しているようなものじゃないか。一緒にいるのも大事な仕事。このことを厚労省のお役人は分かってるのかね。

 もっとも、介護保険では1時間で何をするかは決まっている。部屋の掃除など家事は同居人がいるとだめ。お襁褓を替えたり、尿バッグの排出、ベッドの周りやシーツの整備、清拭(セイシキ)といって下半身を清潔にする作業、お茶を出しておしゃべりしたら、ノートに記録を書いてでは又明日とお帰りになる。そんな時にお襁褓が汚れていれば快く替えてくれる。しかし、タイミングよく大小の方は出てくれない。80%くらいは同居人がやらなければならない。とにかく、ヘルパーさんが患者の話し相手になってくれるのが一番ありがたい。その間にこちらは喫茶店にいって一息できる。都会に住んでいるというのは介護にはいい。中野だと映画館にも15分でいける。

 5年も経つと、いや、たった5年かもしれないから大きな顔できないが、人はそれぞれ事情が違う。この世界は自分だけしか分からないことがあって、孤独になる。多分、10年もやっていると
このお陰で自分の生活が無くなったと恨み辛みが出てくるのだろう。高齢者の場合、何で平均以上に生きてくれるんだろうとか、何の為に介護しているのかが分から無くなってくる。もし、こいつがいなくなればとか、自分勝手なユートピアは考えてもむなしい。介護殺人というのは、ふと、そうした誘惑を悪魔がささやくのだ。ユートピアというのは何にも無いところという意味だ。目の前の事で手一杯というのは幸せの一つ。介護しながら、本が読める。これまでの人生の中で一番本を読んでる。一緒にテレビも見たり、冬ソナとかテロワール、ベートーベンウイルスといった韓流も見た。楽しくはないが時間がすぐに経つ。時間を浪費するという最高の贅沢が味わえる。夜10時過ぎに開放されるから,近所のプチ小西というワインバーでワインを2杯。時々3杯1時間かけて楽しんでいる。介護しながら家で飲むとアル中になること間違い無し。キッチンドランカーと同じで命が持たない。2杯で止めてくれる小西の皆様有り難う。

 介護は、全く楽しい事ではないが、凝ってやると結構おもしろい。ウンチもいろんな状態、形があって、逃げない事。とにかくビビるとろくな事が無い。手順よくやれば誰でも失敗しない。あせって早くやろうとか、眼を背けるととんでもないことになる。シーツにつけたら全部取り替えで手間が倍になる。所詮ウンチだ。紙でもタオルでも付いたら直にビニール袋へ。一番簡単なのが手に付いた奴で、すぐに洗えば落ちるのである。消化器系の医師はウンチを平気だ。それより血の方が怖いと言ってた。慣れてしまえばこっちのものなのだ。

 料理も何でも出来るぞ。見た目は悪いが、昔、高級レストランとか料亭に行っていたから、美味しいものには眼がない。板前の調理とか、コックはその半分の労力は商品としての見栄えだ。家庭料理はそこまで必ずしも要求されないから、多少黒こげたところがあっても我慢してくれる。味が良ければ合格。料理は必ず手順がある。その段取りをきちんと守れば誰でも美味しいものが作れる。火を使っているときは離れない。煮炊きは火の調整が大切だから。鍋の底はかき混ぜると旨味が増す。時々味見をする事も大事な手間。調理する食材の性質を知っておく。煮物でも、固いものは先に、柔らかいものはすぐに煮えるから最後に入れる。一寸した工夫で味だけではなく,歯触り、色も家庭料理でもこだわる方がよい。心がけ一つで美味しいものが作れる。調理学校なんぞに行く必要は無い。そんなところに行く奴はいくらやっても上手くならないと宣言しているようなもの。近所のレストランに馴染みになって、コックさんからいろんな技を教えてもらった。カボチャが固くて切れないといったら、何?電子レンジでチンすると柔らかになって切り易いし味も落ちないよと教えてくれた。カボチャの煮付けからポタージュまで独学で覚えた。とにかく調理器具は使った後直に洗う。この習慣がつけばフードカッターも苦にならない。それから、レンジの周りにものをこぼさない。チキンストックはペットボトルに入れて冷蔵庫で保存。メニューは板前風にスーパーでイメージする。Webで検索すればひとつの献立に何通りものレシピが出てくる。簡単で美味しそうなのをチョイスすればいい。

 苦手なのは拭き掃除。料理するとき手が不潔になるのが嫌になる。掃除機使ってやる掃除だけだから、汚れがそのまま。掃除機がかけられないところはホコリだらけだ。宝物のペルシャ絨緞に猫チャンがゲロしたのは必死で布巾で拭き取るが。お掃除片付け名人の方、アドバイス下さい。

 もう独立している二人の子供は全く手伝ってくれない。時々家に来てくれると家内が喜ぶからそれでいいや。当方の作ったものを食べ散らして、ゴミを放りっぱなしにしたあげく、なけなしの年金から金をむしり取って行く。帰ってくるのは必ず金のない時なんだが、それでも二人キリよりいいや。俺も忍耐強くなったもんだ。家内が元気だと最近は自分の方が先に死ぬんじゃないかと思う事もある。60過ぎれば何時死んでもおかしくはない。神様よくしたもので、苦しんでいるのを見て助けてくれる。

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 日本の東北関東大震災に、さらなる追い打ちをかけた原発事故。おそらく、金正日は偉そうに、にんまり、日本なんかは北陸の原発にミサイルでも撃ち込めば、放射能で汚染されて、身動きできなくなるだろう。それに対して北朝鮮は核攻撃に備えて、核施設は防空壕の中で万全の体制だと自信を持った事だろう。これから我が国にどんな危機が降りかかるか分からない。
 世の中には、眼に見えない危機に過剰に反応する人がいる。こうした人達がいるかと思うと、あのオウムが阪神大震災で受けたインパクトは想像することかできる。3月のサリン攻撃は阪神大震災が無かったら、ずっと後になっていただろうし、それまでに、上九一色村での悪事を先手を打って摘発できたかもしれない。
 怖いのは疑心暗鬼というやつだ。原発からの放射能漏れは政府発表どころではない。プルトニウムも飛散しているのではないか。政府が信用されていない。そもそも、東京電力と政府は同じ穴のムジナであることが見え見えだった。アメリカのプレデターの調査データの方が信頼感がある。だから、CNNを出来るだけ見るようにしている。横田や厚木から米軍が逃げ出したら、すぐに東京を脱出したい。さらに国から詳細なデータが発表されると、これが混乱を加速する。大丈夫と言いながら避難や警告を出す。何が念のためなんだか。責任を取らされないように、先走った譲歩を流す事も散見された。デマも流れ易い。
 政府の対応が遅い。その理由は、官僚というのは著しく想像力の無い人達だ。これまでも、ありとあらゆるリスクを考えるのは上手いが、その優先順位や、危険性の程度を判断することが出来ない。それが官僚の習性でありこれを前提に何でも考えればいいのだ。彼等は情報が出て行動する癖がついている。情報が無ければ全く動けない。例えば、医薬品が不足すれば、どんな薬が今日致命的か、分かるでしょう。想像すれば、透析している人、酸素の必要な人、抗がん剤や降圧剤で生きている人、電気が来なければ危機が動かないことで死ぬ人、こんなことは1秒で分かる。米軍に要請してでも、対応しなければならない。官僚の動きよりも、東京からの医療スタッフの動きが速い。原発は、全くの政府主導。そこにおかしな情報の乱れが出る。
 これから、宗教団体とか、一部の過激な政治家が登場してくるのではないか。それが津波より怖い。

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武士道シックステーン

 学校の剣道部を舞台にした珍しい映画である。かつては市川雷蔵主演の三島由紀夫の作品「剣」とか、優れた映画があったが、最近はとんとお目にかかれない。剣道家が見ても耐えられるような作品づくりが欲しかった。これは剣道のシロオトにより作られた剣道のシロオトに見せる青春映画である。森田健作のテレビドラマもそうだったが、竹刀を握った事のある人は結構いるから技術はその程度で良いというのだろう。「剣」では同志社大学剣道部や慶応大の三田道場が使われ、リアルな感じがあったが、これは、お安く作られた感じだ。折角の青春テーマがもったいない。インターハイに出るということがどういう事かが全く分かっていない。野球の甲子園であればこんな描き方はしないはずである。

ストーリーを追いながらコメントしたい。 
 磯山香織と甲本早苗が中学時代に試合で対戦するところから映画は始まる。まるで初心者のような甲本に道場主の娘香織は見事な面で負けてしまう。宿敵として香織は早苗と同じ東松学園高校に進学。インターハイを目指す。甲本は親の離婚で西荻と名前が変わっている。香織が成海璃子、西荻役は北乃きい。この配役はなかなか爽やかで良い。剣道の稽古もそれなりに役作りの為に積んだ後が見えて感心した。もっとも、周囲のエキストラの方がうまい感じが変だったが。剣道の基本中の基本である面の打ち方がなっていないが、高級技の巻き上げ、倒した後の面一本などがある。中学生ならまだしも、インターハイに出る高校チームはもっと強いぞ。

 磯山は父親に育てられ、剣道を諦めた兄と三人暮らし。母親は亡くなっている。父親は子供に期待過剰で、勝つ事ばかりを要求し、香織は懸命に答えようとする。剣道漬けで読む本も五輪の書という程。香織は1年生でも、3年の先輩を凌ぐ力量があり、エースとしてインターハイ予選に出場する。早苗は根っからの楽天家で、皆に好かれるタイプ。好きな剣道は楽しくやりたいと思っており、何とか香織を自分のライフスタイルに引き込もうとする。剣道の試合も逃げてばかりである。ところが、突然無心になった技で常に勝つ。香織の剛に対し、早苗は柔である。この二人は対立しながら、インター杯予選にのぞむ。香織は決勝前に怪我をして、出場を断念、補欠の早苗に先鋒の役を譲る。その後、剣道から離れてしまう。一方早苗は香織の代役で出た試合に勝ち、認められてインターハイ出場を果す。香織は剣道が勝つだけに価値がある訳ではない事に気がつく。剣道家の父親もその事を反省し、香織は再び剣道部に復帰する。この鬼の父親の変心が一体どうなってんのか全く分からない。急にホトケになるのです。子供に剣道を続けさせたいから急に軟化したのだろうか。

 早苗は試合にこだわるあまり剣道が嫌いになるが、父親が母親と復縁し、名前も甲本と復活、福岡に転勤することになる。父親は好きなら貫けと激励する。すると、突然やる気になる。もともと、彼女は好きなようにやっているので、これも唐突。この一家がいいかげんな雰囲気に満ちている。ジョークか?
 早苗は転校、福岡から再びインターハイに挑戦し、東松学園高校剣道部に復帰、翌年のインターハイに再び出場し、会場で香織と早苗は再開、彼女を励ますところで映画は終わる。やる気になった早苗はインターハイ前に互いに励ましあい、丘の上で立ち会う。試合と勝負に前向きに向かう早苗と、再び剣道を始めた香織と素面素小手で対決し、思う存分打ち合う。ひゃー、これは酷い。最後に勝負に燃えるようになった早苗、巌流島よろしく対決し、互角の戦いで二人は友情を育む。駄目ですよ!防具もつけずに打ち合っては、危険だ。剣道をする人間は絶対にこんな事をしない。血だらけの怪我をしてしまう。本当に血潮したたる決闘にすれば凄いが、全く剣道しない監督の作品としか思えない。この作品は、ひたすら、主人公の二人の美形とさわやかなムードに助けられている。まあ、インターハイ出場がどんなに大変で、選手が苦労しているかは全く知らない監督が作ったとしか思えない。イージーさが緊張感を失わせ、かえってお気楽に見ることができ、出演している二人に美形女優を愛らしく見せる事には成功している。

 剣道は勝負にこだわり、また、楽しく稽古をすることにもこだわる。相互作用が大切で、あれかこれかではない。そのあたりの真剣勝負か友情か、勧善懲悪的な割り切り方が、この映画を薄っぺらなものにしているが、大会のシーンとか、立派な道場、稽古風景等、シロオトがお膳立てした演出とすればよく出来ている。もしこれを剣道家が監修しているとすると剣道稽古ではとんでもないシーンの連続である。面の打ち方、円陣稽古、突き飛ばしや反則技の連続で全く噴飯ものである。でも、お気軽ににやにやしながら楽しむにはいいだろう。全く感動はしない。ひたすら二人の可愛い女優に助けられた作品。


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 文芸春秋の1月号から4月号まで、近藤医師を中心に抗がん剤の特集を続けている。今や国民の1/3が癌で亡くなり、一生のうち半分が癌になる時代である。かつては癌が死病、家族内でも、また、遺伝性があるということでひたすら隠したりしていた。今日、末期癌でも、医師は患者に病状を説明するようになった。この3年間に緩和ケアもどこでも行なわれるようになった。むしろ、患者が過剰な期待を抱いたり、抗がん剤に対して過剰な拒否反応をしたりする。ドラッグラグによる未承認役の問題はあるが、我が国では標準的な治療のレベルはまあ、まあまあの線を行っている。医療費コストに比べ、医師のレベルも高い。
 文芸春秋4月号の特集、近藤医師の論調も、最初のような挑発的な内容ではなくなった。彼のいうガンモドキというのがある事も確かだろう。転移すれば癌で、そうでなければガンモドキというのは単純で分かり易いが、医師としてはそれをきちんと転移する前に治療しなければならない。その為には細胞診をして検査をする必要がある。もしそれがシロとでても、間違って再発したら、それは諦めて放射線や抗がん剤で治療するしかなく、効果を出来るだけ判定し、駄目なら諦め、マイペースの生き方で苦しまない生き方をするべきだろう。無理して無認可の薬を求めて、海外や保険外治療に終始しても成功の確率は低い。むしろ、ストレスの無い、楽しい、自分の好きな事をして過ごす方が抗がん剤以上に延命効果がある。効果が出た抗がん剤、例えば、退縮、縮小、停滞が認められればいずれは効かなくなるのだから、それまでは使う方がよい。副作用があるから効く訳ではない。効くものは効くし、副作用も少ない場合が結構ある。癌と生きる方法は百人百様である。癌の種類は個人差が大きく、ライフスタイルも異なれば、その影響も同じではない。また、薬もそうなのである。
 文芸春秋ではアメリカなどの進んだ外国の治療体制、チーム医療や医師のトレイニングシステムを紹介され、これを読むとうらやましい限りである。しかし、アメリカの医療は、貧富の格差が大きく、診療能力は医療コストに比例し、あるいは保険のレベル次第である。驚く程事故も多い。日本のように平等ではない。専門家の育成も流石にシステマティックだ。日本も医科大学は医師の再教育にもっと力を入れるべきである。
 しかし、そもそも、癌治療で手術や放射線治療は病院でなければ無理だが、殆どの治療時間は在宅なのだ。在宅での家族との触れあい、療養環境、職場復帰など、患者を支援する仕組みが癌を抑える事に役立つ筈。癌は共生可能な疾病だと思う。近藤医師は癌の転移による臓器不全を死亡原因とするが、それだけではないような気がする。癌が放出する様々な悪性の酵素やそのものを排除する免疫の力が癌に取られ、肺炎などの感染症や敗血症などで亡くなる。本人の持つ免疫力や気力体力をどうつけるかも大切な要因である。これだけ多くの末期がん患者をホスピスに収容することは不可能である。癌患者の在宅環境とは何かをもっと研究すべきである。

 

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「なぜ韓国はパチンコを全廃できたのか」若宮健著祥伝社新書
ーパチンコに汚染された国 日本ー

 三年程前、女優の伊東美咲が交際中の大手パチンコメーカー京楽産業の代表取締役社長、榎本善紀氏と結婚、その前はタレント神田うのが、年商2000億円を誇るパチンコ業界最大手企業「日拓グループ」会長の三男・西村拓郎氏と結婚した。伊東美咲は 神田から榎本氏を紹介されたという。西村拓郎氏は、「日拓リアルエステート」の社長を務め、パチンコ店「エスパス」を出店している。 神田うのは、過去に美容のヤマノグループ御曹司の山野幹夫と交際していたが、質素な生活に失望、「意外と自由に使える金がない」との名ゼリフを残し破局している。お金が全てではないのだろうが、西村氏は ヒルズ族、総資産2000億円のパチンコ産業グループの御曹司で、「青年実業家」。6億円もする豪華結婚式はおめでたい事だが、何とも金まみれの印象はぬぐえない。大した神経だ。パチンコが庶民の生き血を吸い、多くの依存症に堕ちた人々が苦しんでいる。彼女達は無知なのではなく、計算高い。その現実をあざ笑うかのごとくである。もっとも、小生は彼女のファッションビジネスの才能と今回の大震災で1000万円を寄付したことは高く評価している。

 パチンコというものが、かつては庶民の楽しみであった。それが少しずつ変化して来た。椅子があれば長時間できる。そんなところからなし崩しに立派な賭博産業になった。パチンコ屋も昔のようにオヤジがやっているようなものではなく、機器の販売企業が悪代官なら、パチンコ屋は小作人だ。系列化とネットワークによって結ばれている。自分も40年昔、玉入れが自動になりチューリップ全開で大喜びしたものだ。さらに、その昔は玉を繰り込む技術も必要だったし、椅子が無かった。ともかく、今や健全な娯楽とは言い難いシステムに変化していることが問題なのだ。むしろ、反社会的な性格をもつ産業である。その仕組みの非人間性に関する知識とか、抵抗感の無い人達がそれにはまり、依存症になっていく。パチンコ業者がそのようなタレントと結婚するのは理由がある。最近の顧客として女性を狙っているからだ。女性は特に賭けごとなどの経験が無いから病み付きになり易い。

 パチンコ屋は鋭敏な経営感覚が必要で、適宜パチンコ台を入れ替えたり、設備投資と集客をバランスよくマネージしなければ倒産する。かつては30兆円産業といわれたが、今は20兆円に縮小し、競争も激しい。それだけに、パチンコの顧客獲得への努力と、客を破産に追い込んででも骨までしゃぶろうと新機種の投入を図っている。パチンコ台のような賭博機器は世界では厳しい規制がなされ、政府が不正とか,行き過ぎが無いよう監視している。ところが、日本は抜け穴だらけで、警察OBなどが関連企業に天下りし、製品開発や経営に助言している。パチンコが射幸心を煽らない限りで認められた当初に比べ、問題にならない位進化してしまった。パチンコ業界で生き残った京楽産業や、日拓は我が世の春である。そのド派手な生活振りを象徴するのが低級なタレントとの結婚である。
 
 一方韓国ではパチンコ(メダルチギ)が禁止され、産業としてのパチンコは違法となった。在日パチンコ企業が韓国にパチスロを持ちこみ、最盛期には年間日本円で3兆円の売り上げがあったという。日本文化を嫌う伝統の韓国政府は日本の玉を使った機器を承認しなかった。そこでメダルチギというメダルゲームに改造したものであったが、原理は一緒であった。三洋物産発売の海を舞台としたパチンコ・ パチスロ機シリーズの総称である「海物語」は韓国でパダイヤギといってパチスロという点では一緒である。

しかし、韓国は「パチンコ店を放置すれば韓国国民が堕落する」と政治家やマスメディアがパチンコ業を痛烈に批判、3兆円産業をあっという間に全廃した。ところが、日本政府に対しては在日韓国系経営者を代弁、規制の撤廃を大統領自ら要求してくる。

「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」の著者は「韓国では政治家・官僚・マスメディアとパチンコ業との癒着利権構造が無かったからだ」としている。それに対して日本は民主党も、自民党も政権党を中心に、パチンコ業者から政治献金を受け、その代弁者のようになってしまう。このことを新聞、テレビといったマスコミも広告料欲しさに批判する事は無い。かつても、コマーシャルを大量に流す事でマスコミを味方につけ、批判を一切封じる戦略を取っている企業、おためしセットで罠にはめるドモホルンリンクル、かつてはインチキな英会話で業界を支配したNOVAなど、大量のテレビ広告費を隠れ蓑に視聴者の信用を得ようとする。これと同じことがパチンコでも行なわれている。パチンコ店ならともかく、なぜ、普通の視聴者とは関係のないパチンコ台メーカーが新機種の宣伝をするのか。新機種につられて顧客も来る。しかし、本当の狙いは連中にとってターゲットは視聴者ではなく、TV局である。


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 毎日AC広告機構のテレビコマーシャルが仁科親子の子宮頸癌検診キャンペーンを続けている。一般企業のCMが自粛したため、広告機構のCMだらけになってしまった。幼児でも「子宮頸ガン」を覚えてしまっているではないか。
 子宮頸癌はヒトパピロマウィルスによって引き起こされる。あの、HIVなんかと同じ逆転写ウィルスである。女性があの回数が多かったり、複数の異性と経験が多いと、罹る確率も高くなる。しかし、これは小さなうちに初期で見つけることや、ワクチンで予防できる。もちろん、正しい夫婦生活も大切である。予防の方法は一つではない。しかし、やたらにACが検診のすすめを訴えている。仁科亜季子と仁美が主人公のTVキャンペーンが続いている。亜季子は1991年に子宮癌に侵されていることが判明。抗がん剤の副作用による脱毛に悩まされながらも克服、この体験から「子宮頸癌予防ワクチン接種の公費助成推進実行委員会」の発起人を務めている。子宮頸癌の予防には定期検診も必要だが、異性との接触を控えることも大切である。亜季子は華麗な男性遍歴もあり、そのあたりも感染の原因と思われる。検診すればガンにならないわけではない。初期のものが見つけ易くなって病院が儲かるだけだ。ここをはき違ってもらってはこまる。

ー大切なあなたへー
(仁科亜季子)38歳の時に子宮頸癌を発病しました。娘には同じ思いをさせたくなかったから二人で一緒にずっと定期的に子宮がん検診を受けいています。
(仁科仁美)母に勧められた検診、今では私も友達に勧めています。女性同士だから話し合えること。受けよう。子宮がん、乳癌定期的に検診を。AC~とくる。
  

 これは、今ガンと戦っている患者にはきつい言葉だ。検診?検診でがンが治るのかね!転移性かどうかもわかるのかな?だから何なんだ!検診で発見された小さなガンがガンモドキであることが結構多いという事も知っておかなければなりません。一番有効なのはワクチンだぞ!しかも、若いとき程大切で、若い人はそんなに亜季子さんと検診を受けるひつようはありません。40歳以上から増える癌ですからね。若い人は検診より「あれ」をいろんなヒトとやってはいけない事なんです。ヒトパピロマウイルスに亜季子ちゃんのように感染してしまいますよ。特に遊び人の男とはつきあわない方がいい。こっちの方が大事なんだぞ。

子宮頸癌(しきゅうけいがん)ワクチンにはガーダシル(Gardasil)とサーバリックス(Cervarix)の2種類があるが、現在日本で市販されているのはサーバリックスのみである。いずれも発がん性HPVの中でも特に子宮頸癌の原因として最も多く報告されているHPV16型と18型の感染を防ぐワクチンで、ガーダシルは尖圭コンジローマの原因とされるHPV6型と11型の予防にも効果がある。

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by katoujun2549 | 2011-03-18 17:00 | Comments(0)
e0195345_930371.jpg 江東地区白髭橋東再開発(墨田区)。東京大空襲と関東大震災の教訓にもとづき防災拠点として作られた建築群だ。これなら津波が来ても安全だと思う。まだ、その時期ではないのかもしれないが、テレビでは今後の都市計画の必要性を訴える声は無い。これが国民性なのだろう。

 今回の東北関東大震災を襲った津波は、まるで核兵器が落ちたような惨状を呈した。波の力に対して木造家屋がいかに無力かを思い知らされた。まるで、爆撃を受けたかのように粉々になっている。想像を超える巨大な規模だったことが原因であることが通説となりつつある。5階建ての建物を越えた波に襲われた南三陸町のような地域もあった。防潮堤で全てを解決しようとしたことが、この惨事を招いたという反省がこれからなされるであろう。原発において東電の福島はこの惨状だが、東北電力の女川は地下の浸水ですんでいる。より、大きな波が襲った女川が助かり、福島がやられた。写真でも,海側の堤防はあまり高くない。防災対策の差が出たのだ。福島原発の設計はアメリカのGEが設計、日立と東芝のJVで建てたもの。津波対策は不十分だった。

 テレビの映像を見る限りでは、3階以上の建物は倒壊したりはしていない。また、防潮堤の効果が無かった訳ではない。波の
勢いを減殺する効果はあった筈で、このお陰で、多くの方々が避難の時間を稼げた。3〜4階をを越える津波が来た地域は多くはなかったのではないか。港の付近から多くの津波映像が撮影された。少なくとも撮影者は無事だったということである。今回の犠牲者の年齢として、老人と就学前の子供の犠牲者が多い。これは自宅にいた方々である。学校は高台にあったこともあり、被害にあっていない。だから、就学児童の死者は少なかったようであある。港町は高齢化が著しい。被災地は恐らく、行政の手が行き届かなかった地域というより、手をつけなかったという方が正しい。

  そもそも、港の周辺は港湾区域である。船舶関係施設はコンクリートなどの堅固造だが、周辺の居住地は殆どが木造だ。防火地域の設定範囲が大きければ木造家屋は少なくなり、被害も少なかった筈である。港湾区域では船舶用の石油タンクが設置されているが、これに対する防御が、火災を前提に考えているだけだ。だから、津波で簡単に流され、破損したタンクから流れ出た油に引火、火災になっている。防潮堤ばかり考えても意味が無い。というより、予算が無いために防潮堤で息切れしている。高層化は都市計画で建築容積を上げればできることで、公的資金は無くても可能な筈。東京ですら、芝浦、晴海、豊洲などの地区が超高層化されたのがこの10年である。大船渡や釜石では到底、経済合理性からはこのような超高層は無理である。しかし、防災上は、まさに高層化すべきであった。10階建て以上の建物であれば、低層部の住民は上部階に避難すればいいだけである。東京の江東区にある、白髭橋の都営住宅群は隅田川沿いに防火壁にもなるように建てられている。1階は駐車場や、広場、店舗にすればよい。

 また、不思議な事に、流されずに残っている家もある。これは多分水の流れに対して抵抗が無かった角度に建っていたものであろう。映像で見る限りでは、波で倒壊した建物や漂流物が、後方の建物に衝突し、破壊力を強くしているかのように見える。波の力に逆らった結果である。港からの道路計画が無茶苦茶なのである。これからの津波対策は波と正面から立ち向かって、防潮堤の高さだけを上げるのではなく、侵入した水と波を抜く方向も必要ではないか。だから、港から放射状に道路を拡げ、さらに後方には運河や排水路、遊水池に導き、水の勢力を削ぐ工夫も必要だろう。海側の堤防を高くするだけではなく、河川の堤防を嵩上げし、さらに河川を使って海水を抜く経路も河川のあるところは必要である。災害で犠牲になられた住民の方々のご冥福をお祈りすると同時に今後の都市計画がきちんとなされる事が真の対策であり、二度と繰り返さないことを願う。

東京の白髭橋東地区再開発の住宅群

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