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書評「1945年のドイツ」 瓦礫の中の希望 
(テオ・ゾンマー著;山木一之訳)

 ドイツの第三帝国が崩壊すると同時に東西冷戦が始まった。そこで20世紀の後半の世界秩序が決定された。この経緯は学校では教えることができない。我が国にはろくな資料も無ければ、日本人が歴史を学ぶ希少な機会である高校生に教える人がいない。何故なら受験では出題されないからだ。現代史は、今日の国際情勢、経済、社会に見識が無ければ教えられない。教える人材があまりにも乏しいのである。
 この著者は1945年の直前、ドイツの東部戦線が崩壊寸前の1944年末から、ヤルタ会談、ベルリン陥落、ポツダム宣言、さらに占領の期間1945年末までのドイツをドキュメンタリ―タッチで描き出している。我が国の敗戦時の記録に関しては、J.ダワーの敗北を抱きしめてという名著がある。ベルリン陥落のドキュメントとしては「ベルリン陥落1945 」(アントニー ビーヴァー、Antony Beevor、 川上 洸訳)という大作もある。我が国の大戦に関する歴史観はアメリカが中心で、ソ連や中国の目線からは語られない。ドイツの敗北ーライヒの崩壊が急速に進んだのは1944年のヒトラー暗殺失敗以後であり、当時はまだ、東部戦線の戦線は維持され、西部戦線もまだ、占領地内の戦いが膠着しつつあった時期である。これが、ヒトラーのアルデンヌ攻勢の失敗により、これに引き抜かれた戦力のバランスが東部で崩れ、ソ連軍の侵攻を早める結果となった。北アフリカ戦線やDデイ、バルジ突出部の戦い、イタリア戦線など、西側の戦記は映画などで我々も良く知っている。しかし、東部戦線となると、スターリングラードの悲劇やクルクス戦車戦くらいしか日本人には知られていないが、実際は、ドイツ軍のモスクワとレニングラード包囲失敗後は、デミャンスク包囲戦、コルスン包囲戦、ドニエプル渡河、ケーニヒスベルグ包囲戦など、ベルリン市街戦に至る多くの山場があったのである。そこにおいて、ソ連が取った愚かな作戦で、多くの赤軍兵士が命を落としている。これら全てがヒトラーのせいになっている。

 この本で明らかにされたのが、東プロイセンの悲惨な状況だ。厳寒のマイナス20度の中を200万人の住民が難民となり、100万人が凍った干潟の上を逃げ、何十万もの人々、主に老人子供が死んで行った。これは赤軍に追われた人々の情景として満州で日本人が受けた惨劇と同様であった。赤軍が占領した町に残った人々は赤軍のあらん限りの略奪、暴行を受けた。これら戦争犯罪は裁かれていない。さらに、よく似ているのが避難民を乗せた船の撃沈事件だ。我が国の南樺太避難民の船小笠原丸、第二新興丸、泰東丸が国籍不明の潜水艦により撃沈され1600名以上の犠牲者が出ている。ドイツではグストロフ号で1万人、7000人のゴヤ号他何隻もの避難船が潜水艦で撃沈され、多くが水死した。同じ事件が起きている。ところが

 国土が戦場となり、首都ベルリンのみならず、ミュンヘン、フランクフルト、ハンブルグなどの大都市が爆撃により廃墟と化し、1200万人のドイツ国防軍が崩壊、多くの市民が犠牲となったドイツの悲惨さは我が国の比では無い。独ソ戦では500万人の兵士が失われた。西部戦線も含め、無事に帰還した捕虜は500万人でしかない。赤軍の捕虜になったドイツ兵は悲惨である。300万人がシベリアに抑留され、帰国できたのは僅か100万人である。連合国側の捕虜になったドイツ兵も多くが飢餓と重労働で死んでいる事は知られていない。ドイツでは飢餓や瓦礫の撤去に加え、ナチス党員の処分や非ナチ化という国民の意識改革が行なわれねばならなかった。ソビエト支配下の東ドイツ、ウルブリヒトという共産党指導者の登場、そして、英米仏連合国支配下のドイツと異なる歩みを始める。多くの難民の発生、捕虜の帰還と抑留、戦犯の処刑、処分、廃墟を前にした絶望的状況にドイツ国民は耐えざるを得なかった。
 
 このドキュメントの圧巻はヤルタ会談とポツダム会談の記録である。その主人公はスターリンとチャーチルである。ルーズベルトは健康悪化でほとんど影響力を出せなかった。ヤルタ会談のポイントは占領地域の画定、賠償問題、ポーランド政府の行く末と領土である。スターリンの強欲ともいえる要求、200億ドルのドイツの賠償、ドイツ工業の二年間の解体、10年間の物納といったもので、ドイツを破壊し、生存権を奪うことであった。しかし、こうした要求はソ連に警戒感を抱く西側諸国の抵抗を受け、その矢面に立って交渉したのがチャーチルであった。ナチスドイツに国土を蹂躙され、兵士1200万人、民間人2000万人が死んだ復讐とはいえ、ソ連の野蛮な仕打ちも歴史に残るものだ。どっちもどっちなのだ。

 ポツダム会談ではトルーマンがスターリンに抵抗した。東西冷戦が始まり、この力関係の中でドイツは壊滅を免れるのである。トルーマンはスターリンとの交渉中に原爆の開発を伝え、交渉を有利に進めようとした。ポツダム会談においてドイツは既に降伏し、チャーチルは去り、イーデンが後任であった。ポーランドとドイツの国境をオーデル川、東西ナイセ川とする。1937年以降のヨーロッパでのすべてのドイツが併呑した領土の返還と、オーストリアのドイツからの分離。ドイツの民主化、非武装化、非ナチス化。1945年2月のヤルタ会談での合意を踏まえたドイツ、オーストリアの分割統治とベルリン市とウィーン市の分割統治。(ポツダム協定)ナチスの戦争犯罪の追及。ドイツ金融資産の没収、配分などで激しいやり取りが繰り広げられた。そして、日本に対する無条件降伏要求も重要な協議事項となった。このとき、ベルリンの壁崩壊までの長い道のりが始まるのである。このときのスターリンに対する西側諸国の懸命の説得、交渉がこの本では生々しく伝わってくる。 ドイツは分断され、国家として解体の方向にあったことは同じ敗戦国日本とは事情が違う。しかし、東西冷戦が始まり、西と東に分断されるところで再生への出発を迎える。1945年のクリスマスはまさにその地点にいた。飢えは国全体を覆っていたが、連合国の支援や彼ら自身の工夫により、最悪の状態を脱しつつあった。彼らは自分達の国
家がナチスという犯罪行為であったことを認め、自らの悲惨を受け入れざるを得なかったのである。
 


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1.ロシア(ソ連)の主張ー領土交渉に100%満足はあり得ない

 メドベージェフ大統領が北方領土を訪問し、日本政府は遺憾の意を表したが、ロシア大統領にはカエルの顔にションベンといったところ。ソビエト軍は第二次大戦末期、8月6日に参戦、千島(クリル)諸島を一連の軍事行動で手中に収めた。その後、実行支配を続け、その領海内に侵入した日本の漁船を容赦なく拿捕、時には銃撃された。我々日本人は、ソ連の理不尽な北方領土占領に憤りを感じ、今日に至ってきた。しかし、そもそも、ソ連と日本の戦争に対する認識が、ちぐはぐな事を最近になって知った。 
 我が国はポツダム宣言を受諾、8月15日に降伏したのだから、その後の軍事行動は無効だと思ってきた。ロシア側の対日戦勝記念日は何と9月2日である。これは1945年に米戦艦「ミズーリ」上で、日本が降伏文書に署名した日である。ソ連にしてみれば、ヤルタ会談で参戦は決まり、満州、南樺太、千島が占領する事は既に国際的に話がついていたことで,実効支配の為に日本のポツダム宣言受諾後も戦闘行為を続けた事は正統だと主張している。
 領土問題に関して、これを解決する気なら、国内向けのメッセージだけではことを複雑にするだけである。相手のいい分もよく研究しなければならない。交渉はどこかで妥協し、足して2で割るかしない。ごり押しは戦争となってしまう。我々も、無防備な満州開拓団が牡丹江などでソ連軍に悲惨な目に会い、蛮行の限りを尽くされた。その、8月15日以降のいわれなき仕打ちも伝えることを忘れてなならない。ソ連の戦争犯罪は全く断罪されていない。ポーランドのカチンの森事件、東プロイセン非難民140万人に行なったソ連兵の蛮行とならぶ、満州における日本人避難民への犯行である。これだけのことをやらかしたソ連はナチスを非難する資格なんぞ無いのだ。

2.ソ連がやった事

 9月2日をロシアが「対日戦勝記念日」にしたという事は、ロシアも8月15日の終戦後に侵略した事に対し問題を感じ、その後の侵略を正当化しようとしているのだろう。歯舞(ハボマイ)に関しては9月2日以後に侵略しているソ連は、日本がポツダム宣言を受諾(8月15日)した後も樺太・千島での武力侵攻をやめなかったということである。攻撃により日本人に多数の犠牲者が続出したので、日本軍は自衛戦争を継続し、8月25日すぎ、いや地域によっては9月になっても続いていた。特に、北支方面軍では、根本中将指揮のもと、ソ連軍に対する防衛戦が8月末まで果敢に行なわれ、そのお陰で4万人の中国残留民間人と、中国で終戦を迎えた日本軍100万人の武装解除、帰国が蒋介石の協力のもとになされた。ソ連軍への抵抗により、満州のように多くの開拓民の悲劇、関東軍の70万人にのぼるシベリア抑留という無情な結果に至らなかった。このことは、門田隆将氏の根本博中将伝「我が命義に捧ぐ」に詳しい。ソ連軍が侵攻した地域で、暴虐の限りを尽くしたことは、独ソ戦で、東プロイセンの住民たちにした同様の行為で、その体質が明らかであった。

3.過去の戦争を直視しない日本 

 我が国は今になって、硫黄島や沖縄の戦いを回顧するようになったが、終戦時の戦闘状況を歴史的考察をせず、統計的なデータも国民に明らかにしていない。また、その状況もかなり偏ったもので、最近の映画、the Pacificなどではその悲惨さが民間人を巻き込んだ為に起きた事が明らかにされている。日本映画、ひめゆり等に象徴される沖縄戦は果たして実態をあらわしているのだろうか。より悲惨な実態があるのではないか。勿論、終戦直後はそれどころではなかったのだろう。大戦末期にはビルマ北部、拉孟騰越、満州だけではなく、南樺太、千島においても凄惨な戦いが行なわれ、多くの日本人が犠牲になった。一方、ロシアは、満州進攻を、強力な日本軍を多くの犠牲を出しながら打ち破った勝利の戦いとして歴史的にも大きく国内で喧伝してきた。日本人の対ソ連戦争観はソ連の火事場泥棒的進攻として、被害者感覚でしか語られてこなかった。この差は大きい。千島列島には、日本軍将兵約7万人が守りについていた。8月18日午前2時すぎ、カムチャッカ半島から13キロの占守(しゅむしゅ)島に、突然大艦隊が現れ、砲撃を行い上陸を開始した。護衛艦艇24隻、上陸用舟艇30隻、輸送船だった。

4。千島の戦い

 樺太師団(第88師団)の兵力、装備は、千島、北海道地域の重点防衛のため飛行機や戦車、大砲などもとられ、きわめて劣悪な状態になっていたが、千島列島(占守島、幌筵島)の兵力、装備を比較(ソ連側の資料)すると、火砲、飛行機、重機で劣るほかはまず同等で、日本側には満州などから持ってきた戦車(42両)があり、上陸したソ連兵に対して使用し、戦果をあげた。日ソ両軍には多くの死傷者が出た。日本軍戦傷者約1000人(死亡者700人)に対して、ソ連軍死傷者は3000人(死者1000人以上。2500という説も有力)。ソ連軍に日本軍の3倍近い犠牲者がでている。満州でもソ連軍に対して8万人の日本軍が戦死したが、ソ連軍も3万人の死傷者を出している。ソ連軍は、8月18日から9月3日にかけて日本軍の協力のもと、全千島列島の日本軍の武装解除を行い、北方四島までも占領した。そもそも、ソビエトの自軍の戦傷者に関する統計は社会主義政権下で隠蔽され、いい加減なのである。
 終戦当時としては、北海道が攻撃侵略されなかったので運がいいと思っていたかもしれないが、ヤルタ会談によっって行動したソ連には最初からその気はなかったとは言い切れない。前線司令官が日本軍恐れるに足らずとなれば侵攻するつもりであったという資料もある。しかし、幸いな事にソ連は北海道北部(留萌)侵攻を断念した。南樺太と千島日本軍の健闘のお陰である。

5.ロシア側の主張

 彼らロシアの方から見ると、国際条約なんてものは軍事占領の後から勝った方が理屈をつけるものだという形で自己正当化が徹底される。満州、南樺太、千島で多くの犠牲者を出した戦争によって占領した地域は絶対に手放そうとはしない。満州、樺太、千島での日本軍将兵の絶望的な戦いを我が国政府は歴史的にも無視して来た結果、戦後世代には、理不尽なソビエト軍の火事場泥棒的な行動だけが記憶に残っている。先は戦争に負けた国が置かれた不利な状況を巻き返すことがどれだけ困難な事かである。それを、簡単にロシアが交渉に乗るかのごとく、これまでの政治家が国民の期待を高めるような言動をしてきたことが問題なのだ。それ以前に、満州でのソ連との戦いや、軍人や政府関係者の引き上げにおける卑劣な行動、開拓団を盾に使った日本軍、さらには、ソ連での抑留の実態に国民的な教育、説明を行なってこなかった政府の怠慢なのだ。沖縄の島民を日本軍が盾にし、自決比追い込んだ歴史を教科書から取り除こうとする勢力だの存在。シベリア抑留者の数も犠牲者の数も、実際には公表の70万、死者6万人ではなく100万人、死者35万人という研究結果もあり、これだけの差を説明できるものはない。帰還者47万人から推定したものに過ぎないのではないか。それでも、ドイツの捕虜の扱いよりはマシだった。

6.国民に現実を説明すべきだ

 我が国政府は、自らの負い目から、国民に敗戦の分析、総括をきちんとしてこなかった。このことが、国民に誤った戦争観をもたらした。あの、無茶苦茶な帝国陸軍軍部、出鱈目な海軍軍令部の実態は一部の歴史家は明らかにしたが、国民的な議論や共感を得ていない。当時の戦争指導者や同調者の犯行ともいえる過失、国民を抑圧した行為等、擁護する人も多い。そんな中で領土交渉が出来るだろうか。
 日本は日ソ不可侵条約から、ソビエトの満州侵攻、千島占領、南樺太侵攻、満州開拓民衆の悲劇、
シベリア抑留に至る一連の事件を国民的に歴史認識し、さらには当時のスターリン政権による戦勝国の処理を含めてきちんと国民に説明した上でなければ、北方領土の落着点は見出せない。

 かつて、鈴木宗男がムネオハウスを建てたり、経済的な互恵関係を築こうとした努力は方法として正しかったのではないか。日本が今ロシアに対して影響力を行使できるのは経済力や技術しかないのだから。

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 今回の北朝鮮の暴挙ともいえる砲撃事件は一体何を意図しているのだろうか。あの太った二匹の豚そっくりの金一家が大バカ者で、まるで極道の抗争でよく行なわれる銃撃事件のようなものだろうか。あんな場所で韓国も演習すりゃ北を挑発している。どっちもどっち。北の国民はしぶしぶ従っているとはいえ、彼らのリーダシップは相当なものだ。あれだけ国民を我慢させるのは凄いではないか。民主党も自民党もできないこと。我が国にとってよく分らない国、北朝鮮だが、韓国についても我々は知らない。一体何故今日のような状態になっているのだろうか。厄介な事に日本の情報は彼らには筒抜け。今分る範囲で、韓国と北朝鮮いう国の姿を推察してみよう。

 38度線を挟んで、韓国と北朝鮮はいまだに休戦状態である。ソウルには1000万人の人口がひしめき、4800万人ほどの韓国人口の25%が集中している。ひとたび戦端が開かれると、ソウルはまさに北の砲撃に曝される。1万門とも言われる大砲が地下に収納され、南に照準を合わせており、ソウル特別区、京畿道から全羅北道までは一気に侵攻されるだろう。とはいえ、北も弾薬が無尽蔵にある訳ではなく、最終的には中国とロシアからの支援がなければ継戦能力はない。だから、核が必要なのだ。北の砲台陣地を破壊するには核攻撃しかない。対抗手段として核開発を必要としている。もちろん射程目標は沖縄と日本の米軍基地である。韓国は北と戦争できる状態ではない。北の次の作戦は延坪島周辺の更なる攻撃と占領だろう。それに対してソウルを人質に取られている韓国は何も出来ない。

 それにしても、韓国軍のいいかげんさも呆れたものだ。反撃の砲は半分しか使えず、しかも、自走砲しかなく、曲射しかできないから、北の砲台の地下に隠された大砲は損傷を受けない。北は住宅地区を砲撃したが住民は2人しか死んでいない。余程人のいない時間とエリアを狙っているのだろう。充分に調査した結果であることがわかる。確かに北朝鮮は貧乏で飽食の国日本と比べるととんでもない国。しかし国民はそれに耐える国民性がある。概して北朝鮮の人々は戦前の日本人に似ているらしい。将来産業国家としての能力が高いということでもある。商才はあるが、嘘つきで事大主義の韓国人とは違うのだ。希少金属の産地でもある北朝鮮は残念な事に二匹の豚が支配してしまった。

 そんな韓国の実情を知ってか、在韓米軍は北の射程外に主力と家族を移動させている。さらに侵攻があれば沖縄の海兵隊が救出に当り、沖縄や日本に退去させる段取りが取られている。だから、海兵隊員は沖縄には今3000人程しかおらず、空母も沖縄はミサイル攻撃を受ける危険性があるためだろうか、佐世保や横須賀を母港としている。

 国家公安委員長の岡崎トミ子が砲撃当日警察庁に登庁もせずにいたことは今後国会で攻撃の対象となろう。これは当初から予測されたこと。岡崎の任命責任は菅政権の命取りになることは予想がつく。しかし、自民党はヒステリックに政権交代を国会審議の妨害で果そうとすればする程、選挙では不利になるのが分っていない。かつて、あの無能で有名な森嘉朗が、えひめ丸事件でゴルフを止めずに遊んでいた為に辞任に追い込まれたことを国民は忘れていない。

 マスコミは北朝鮮が野蛮で国民は全体主義に洗脳された気の毒な国民というイメージばかりを作りたがる。しかし、何故その国家が、これまでつぶれずに今日まであるのかを研究したことがあるのだろうか。韓国はそんな状態の国に対しては経済力では優位だが、防衛力では米軍の戦力と兵站地としての日本に依存せざるを得ない。そうした中で沖縄の戦略的重要性は増すばかりだ。沖縄の人々はこの事は良くわかっている。沖縄の米軍以外に8000人の雇用を確保できる組織はない。多くの地主が米軍の基地使用料で生活している。そんな実態を知っているはずの仲井真知事が再選を目指し、普天間の県外移設を宣っている。出来っこないことを選挙でわめいている。出来なくてもだれも文句は言わない。それを声高に言う事で本土からの支援を呼び込もうという作戦。日本政府を困らせる程見返りは膨らむ。そんなけしからん作戦だろう。民主党は今こそ、米軍との国際的な約束を優先ぜざるを得ない事を説得し、その見返りに普天間を経済特区にし、カジノを公認してでも、東南アジアの観光拠点にする提案を持ち込むべきだ。沖縄がかつて戦争の犠牲になったことを恨み節のように言うだけでは未来は開けない。日本の国防上、また、経済上もアジアの玄関になりうる可能性を育てるように戦
略を立てることが沖縄の民意を惹き付ける近道だ。沖縄に今必要なものは雇用なのだ。

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 裁判員制度になり、法曹関係者以外の一般社会人が死刑という重要な決断に関わるようになった。マスコミは先般の耳かき店員殺人事件の無期判決に不満な人を視聴させようと、被害者家族インタビューを続けている。彼らは死刑制度をどの位学んでいるのだろうか。制作当事者はともかく、企画者は殆ど勉強していないのではないか。それよりも、今日の死刑制度がどのようになっており、そこで、裁判員がどれだけ苦渋の選択を迫られているのかを考えていない。今日、死刑を考えれば考える程、その制度の存在意義に疑問が生じる。遺族の報復感情で判断がつくような事でもない。折角、封建的ともいえる日本の裁判制度が民主主義国に相応しい形を取ったのに、まるで、後戻りしろとでもいうのか、マスコミという権力に裁判員制度が先を越したのが不満であるかのようだ。死刑制度が今直面している世界的な流れや、日本での実態、何が判断を難しくしているかを説明せずに、いたづらに報復感覚で煽る報道に異議を唱えたい。
 今日、死刑を最も多く行なっている国は中国で、日本も多い方の国だという事だ。アメリカは凶悪犯罪が多い国だが、州によっては廃止している。アメリカのカリフォルニア州では死刑廃止の方向だが、財政圧迫の原因の一つが刑務所コストの重圧で、これは教育予算を超えている。それでも廃止しようとしている。アジア、アフリカでも死刑廃止国が多い。昔、片っ端から政治犯を銃殺していたロシアも死刑が無くなっている事をマスコミはどうして伝えないのか。

 以前千葉法務大臣が拘置所の処刑場を公開したが、処刑部屋を公開しただけである。死刑反対論者が執行許可をし、その言い訳のような行動。民主党の行動は言い訳が多い。辞任に追い込まれた柳田法務大臣も含め、そんな軽い人に死刑執行命令されるのではたまらないだろう。実際は、死刑囚の生活から、処刑方法、その結果どのような処理が行なわれるのか、処刑人の選定や執行者の考えなど公開すべき情報は多い筈だが、その一部だけというのは何もしていないのと同じだ。

 何の為に死刑を行なうのか。犯罪の抑止効果は無いというのが今は定説である。日本の殺人犯は組織犯罪の者が多い。そこで、下積みの人間が強いてやらされる事が多い。また、殺人を計画的に行なうケースは少ない。海外の陪審制度は事件の証拠や証言の真偽を判断することが中心で、刑を判定することは少ない。裁判員の重圧は裁判官の責任を軽くする為にあるかのようだ。また、日本の無期懲役はかなり厳格に実施されており、恩赦などで刑期途中で減刑されて出獄する人は100人に一人くらいだという。このあたりも、一般の人々の懸念と実態が違う。冤罪も今の、検察の起訴手法を見ると結構予想される。そんな中で、死刑の決断を下す人が抱える苦悩は制度を少し勉強すれば大きなものにならざるをえない。

 おまけに、日本の制度では死刑が確定してから執行までの期間が2年から3年もあり、待機中に精神異常を起こしたり、拘禁神経症になり、自分の犯罪認識もあやふやになってしまう人が多い。麻原彰晃等はもう心神耗弱状態で公判にも出られない状態だという。精神科医の小説家、加賀乙彦氏もこのことを重視している。(死刑囚の記録)何事も、厳しくすることが責任ある行動で進歩だと考える人もいるが、あまりにも単純だ。その意義や効果について良く考えてほしい。陪審制度は民主主義の形なのだ。しかし、日本人の民主主義は「おまかせ民主主義」であって、選挙以外は国民が参加していない。

 かつて、ナチス時代にフライスラーという判事が、弁護もさせずに何千人もの反政府主義者を処刑したり、魔女裁判、ソ連の粛清など、国家が必ずしも公正ではないことが歴史的に見られる。処刑方法も議論が多い。アメリカでの電気椅子は今は行なわれていない。注射による死刑が残酷だとこれを違憲とする裁判が行われ、最高裁で却下されたほど,死刑はアメリカでも議論になっている。ギロチンというのはもともとドイツで発明されたが、ルイ16世が、これまでの死刑があまりにも残虐で処刑者の苦痛が大きかったので、人文主義の観点からギロチンを採用した。彼自身にこれが採用されたのは皮肉だが。ドイツでは第二次大戦中、白ばら運動のゾフィーショルなどもこの刑を受けた。戦後もギロチンは行なわれたが今はフランス共々廃止されている。イスラエルも死刑はない。テルアビブ事件の岡本も死刑になっていない。絞首というのは床が落ちて自分の体重で首の骨が損傷するので気を失い苦痛は少ない。自分の家の鴨居に縄をかけて自殺する場合とは違うのだそうだ。その場合は気を失うまでに時間がかかり、苦痛が大きく、舌や目玉が飛び出したり、脱糞したり、始末も大変なのだそうだ。日本でも、戦前の大逆事件など冤罪が多かった。江戸時代は打ち首だが、首切り朝右衛門最後の処刑者が高橋お伝だという。江戸時代は年間何千人もが処刑され、これも冤罪が非常に多かったと言う。打ち首は処刑人の負担が大きい。

 陪審制度の民主主義的な意義は大きい。日本では社会で適合できない人間、犯罪者、高齢者、ハンディキャップのある人々を隔離しようという感覚が強い。犯罪人を更生させるのではなく、刑務所に隔離し、自分は平和に暮らせると思う楽観主義だ。刑務所に入った人間の再犯率は高い。犯罪者も市民であり、罪の更生こそ刑の目的であることを認知させるべきである。殺人は死刑によって購うということでは犯罪は無くならない。終身被害者の為に奉仕する人生とする事の方が受刑者には厳しい生活だろう。意味が曖昧な我が国の死刑制度の為に、多くの国家予算と時間が費やされている。犯罪の報復のためなら終身刑で充分ではないだろうか。被害者の家族も、死刑という事の意味が分からずに、加害者への死刑を望んでいるのである。

 
 

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 柳田法務大臣が国会軽視の発言があったとか、仙谷官房長官が、自衛隊を暴力装置と言ったとか、とにかく自民党の下らない攻撃が国会で続いている。一方、民主党もあっさりと、誤る事ばかりで、反論しない。情けないではないか。堂々と反論すべきだ。反論できないような言葉は使うべきではない。国会は日本の未来を議論する場ではないのか。そんなことは別の場でやってもらいたい。

 自民党はかつて、アジアに対する戦争責任問題に関しては、失言が続き、多くの大臣が更迭された。鳩山元総理、さらには麻生元総理、そしてその配下の大臣たちの不祥事、失言がどれだけあったか。民主党も政権を取るまで執拗な非難合戦を繰り広げ、大臣の更迭を促した。その復讐をやっているだけだ。議論になっていない。

 自衛隊が暴力装置だというのは、左翼用語だとわめく自民党の議員の教養と感性を疑う。確かに、官房長官が国会の席上で使う言葉ではない。そもそも、民主国家で左翼の何が悪いのか。つい20年前は、共産党と社会党を左翼と言っていたではないか。自衛隊は暴力装置ではないのか。小銃や機関銃は暴力の道具以外に何がある。戦闘機や戦車は何の為なのか説明してほしい。毎日人殺しの練習をするのが軍隊だ。警察の機動隊とはそこが違う。本当のことを言えない理由があるのだろうか。

 マスコミのくだらないレッテル張りが横行している。何も知らない若者に恐怖感を植え付けようとする。仙谷長官はかつて東大全共闘で活動し、その後社会主義協会といった極左的なグループだったかもしれないが、犯罪行為を犯そうとした訳でもない。学生時代は、あの世代は全共闘に多くの人が加わっていた。恥じる事でもない。もっぱら司法試験の勉強で学生運動はお付き合い程度だったはず。でなければ当時の難関試験には合格する筈がない。それを左翼だとが攻撃されるなら、一体共産党はどうなるんだろう。恥ずかしくて顔を上げられないだろう。仙谷長官の失言は柳田大臣への攻撃をかわす意図があったのではないかとも思える。あとは誤ればそのくらいで自分の地位が危うい訳でもないと考えたとしか思えない。

 国会では、景気対策の有効性とか、国防に関する自党の見解をきちんと説明する場ではないか。法務大臣には死刑制度、検察庁の不祥事に関する対応をどうするのか。政権交代への主導権争いが自民党にあるのだろう。過激な論調で民主党を攻撃すると得する奴がいるに違いない。国会運営を低俗な質問の場にする自民党に再び政権を期待する人が一体どれだけいるのだろうか。補正予算案審議の取引材料にそのような手を使って、大臣を更迭させようという汚い手に、民主党は自党の大臣を守ろうともしない。情けない組織の大本は菅直人の人柄から来るのだ。新しい政治グループの到来を待ちたい。対立軸の設定が難しい。かつての東西冷戦時代とは違う。先は、ヨーロッパ的な中間層を育成し、平等な社会を目指すのか、アメリカや中国、インドのような格差社会を軸にするのか。地方分権と中央集権といった設定は議論が小さい。親中か親米かというのもふれが大きい。とにかく、政党政治が様にならない時代になっている今日、専制的な指導者を待ち望む社会にならないよう祈るばかりだ。

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 スターリングラード包囲線はパウルス大将指揮下のドイツ軍第6軍30万人がソ連軍に包囲され、壊滅した第二次大戦の分岐点になった事件でした。なぜ、このような作戦上の失敗をドイツ軍が犯したかに関しては、不思議に思っていたのですが、最近その理由が分りました。その前に包囲戦としてドイツ軍が突破に成功した事例があったからです。ドイツ軍の敗北は全てヒトラーのせいになっていますが、実際にはゲーリングなどの取巻きの功名争いが判断を誤らせていたのです。
 ドイツ軍はレニングラード包囲に失敗後、後退したが、ドイツ軍を殲滅すべくソビエト軍のデミャンスク攻勢作戦が開始され、1942年これらはドイツ第16軍(司令官エルンスト・ブッシュ)所属の第II軍団、そして第X軍団(司令官クリスチャン・ハンセン)の一部を1941年-42年の冬をかけて包囲した。この包囲を、ゲ―リングは大量の航空支援により物資を確保し、包囲から脱出することに成功した体験があり、これと同じことをスターリングラードで試み、大失敗してしまったのです。ソ連軍を甘く見た結果でした。ソ連軍はデミャンスクでドイツ軍が航空輸送で補給を成功させた事を反省し、幾重にも対空砲火と戦闘機による防空網を作り、物資の輸送を阻止する事に成功したのです。
 この後もソ連軍はドイツ軍の包囲殲滅を試みました。しかし、さすがに、マンシュタインなどはスターリングラードの教訓をもとに、ドイツ軍の頑強な抵抗を続け、ソ連軍は勝利したものの、最終的にはドイツ軍の撤退を許し、戦闘の長期化を招いたのです。コルスン=チェルカッシー包囲戦 (1944年1月14日から2月16日)など(The Korsun–Shevchenkovsky Offensive)SS師団の投入で必死の防御を行なった。包囲戦では多くの人員と戦車、武器が遺棄され、ドイツ軍に回復不能な損失となりました。それぞれ大きなドラマで、ソ連では勝利の道筋として知られているのですが、誇張されたウソが多く、自軍の損害、また、ドイツ軍の果敢な防戦状況は殆ど伝わってきません。You-Tubeで見ることができる。悲惨な東部戦線の模様が伝わってきます。
http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=You-Tube&lang=euc&prop=494&bypass=0&dispconfig=
、末期のケーニヒスベルグ包囲戦(第3装甲軍の残存部隊と第4軍)ではドイツ軍は壊滅的打撃を受け、敗北色が明白となりました。

 
 クリスマスシーズンがやってきた。クリスマスカードが売られている。美しく、楽しいデザインのものが多い。このクリスマスカードは、1942年クリスマス 光・命・愛と書かれている。スターリングラード要塞にて、とあり、この絵を描いたロイバーは軍医として従軍しましたが、シュバイツアと親交のあったキリスト者でした。極寒の塹壕で地図の裏に木炭で書かれ、防空壕に貼られました。多くの兵士がこれを見て感動し、祈りを捧げた。彼はソ捕虜収容所から帰らぬ人となりましたが、絵は帰還した戦友が持ち帰り、ベルリンのカイザーウイルヘルム教会に保管されている。いかにも寒そうな悲しいクリスマスカードです。

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猫を飼うようになって6年。4ヶ月くらいの子猫が家の周りで冬の夜空でないていた。いつの間にか家に入り込んで、そのまま今日まで住み込んでいる。茶トラで5kgまで大きくなった。当初自分はこのキャーコと名付けた猫に嫌われていた。その理由は、猫を飼うのがはじめてで、勝手が分らなかったせいだ。犬しか飼ったことが無かった。犬のイメージが消え、猫に合わせた生活となり、次第に違いや心が分るようになった。

その差は次の3点だと思う。

1.喜怒哀楽の表現

035.gifー犬は喜ぶが、猫は黙るー

(スポーツ派の犬、快楽派の猫)

 犬は、体全体で表現。嬉しければ走り回る。舐める。飛びつき、涎を流したりする。怒ると吠えたり唸ったりして噛み付く。犬は一緒に遊んだり、スポーツ派だ。猫は自分の楽しいことをしてもらうよう期待している。気持よく寝ることが最大の幸せ。

(口が先に出る犬、だんまりの猫)
 犬の口は手に相当する。何でも口先で操作しようとするが、いかんせん、限界がある。
 猫は、嫌な相手には目をそらしたり、逃げる。怒ると相手から目をそらざず、攻撃態勢に入り、威嚇してから引っ掻く。猫は手が犬より器用である。また、背中を膨らませたり尻尾を上に立てたりして興奮する。また、攻撃するときはギャ―とか、声を出すが、いきなり引っ掻いたりする。猫は嬉しいときは犬程明確な表現をしない。体をすり寄せたり、舐めたり、ヒックリ返って無防備な姿勢を取り、気持がいいかどうかが重要な要素だ。期待していることをあまりあらわさずに、何事も予測しながら行動する。先読みが得意。こうしたところが女性的。

(声の意味)

 犬は楽しくても声を出さないが、他の犬などが来て警戒するときには吠えたりする。犬の鳴き声は合図だ。太鼓による意思伝達だと思えばいい。舌を出している時は嬉しかったり、気分がいいときだが、何かを表現しているわけではない。猫は気持がいいと、いろんな声を発するが気分を伝えるためだけではない。声の出し方で空腹か、気持がいいか、寂しいとか眠いとかが分る。猫の自己表現は繊細だ。基本的には猫は嬉しいと黙る。犬は匂いに、猫は音に敏感。

2.飼い主との関係

053.gifー愛があればだいじょうぶー

 ペットは飼い主の愛情や気持を常に注目している。この点では、犬より猫が敏感だ。犬は、飼い主の動きを注目し、その動きに合わせて反応する。飼い主の早い動きに関心を持ち、自分も一緒に遊ぶ。一方、猫は相手の動きを観察して理解の範囲で慎重に行動する。予測不能な動きは無視するか、そうした動きの相手を嫌うが、自分より小さなものには一生懸命に合わせたり、遊んだりする。嫌いなことは犬は何度か繰り返し、反復して覚え、相手の動きによって自分を表現したり攻撃するが、猫は一度で憶え、嫌な事をする相手には近寄らない。両方とも飼い主の愛を求めており、それが生き甲斐だ。

3.能力と本能

056.gifー犬は追いかけ、猫は待つ。野生時代の習性が起源ー
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(行動方法)
 犬は飼い主に合わせようとするが、猫はマイペースだから飼い主は合わせざるを得ない。両方狩猟本能はあるが、犬はもともと集団で狩りをするように出来ている。常に相手の動きを追う。しかし猫は、相手のうごきを予測し、待つ。また、集団で追う事もあるから、自分より大きな相手も気にしない。また、犬は追う事で狩りをして来たから足を使って走ることが狩猟の命。
 猫は攻撃の間合いまで待ち構え、手とツメで相手を抑えたり引っ掻いたりして餌を取る。単独で行動するから、自分より大きな相手を避ける。だから、猫は人間のような自分より大きな相手の予測を越える動きが苦手です。

(味覚)
 猫は味覚に敏感で、温度とか舌触りが大事。これは温暖な地域が起源で腐敗に敏感だからだろう。犬は歯触りとか、舌になじむか、固いものを齧る楽しみを知っている。これは集団で他の犬より素早くエサを食べないと食いはぐれる。そうならないように、がつがつしている。

(清潔感)
 猫は泥に汚れないし、トイレに必ず行って見られないように用を足す清潔好き。クリーンで安全な樹上生活を大事にしている。犬は見えるところでわざと糞も小便もする。地上は猫には危険が多い。これは所在を明らかにして仲間と暮らす、地上の生活を基本とする犬の生活との違い。

(運動)
 犬は戸外を走ったり、日なたボッコが好きで夜は寝ているのだが、長時間は日なたにいない。自分を運動で温める方法を知っている。寒冷地に強い証拠だ。猫は気持よく寝ていられる場所が好き。温かいところなら何時間でも寝ている。夜は基本的には行動する。特に周囲の猫や縄張りに敏感でこの感性を邪魔しない事。


これらのことに気がついたら、猫に邪魔にならないように振る舞うようになり、かなり信頼関係を取り戻す事が出来るようになった。e0195345_2112312.jpg

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by katoujun2549 | 2010-11-17 17:48 | | Comments(0)
 070.gifAPECも大した成果が無かった管政権。尖閣列島での漁船船長釈放とビデオ映像の流出という大失態にマスコミの批判は厳しい。警察庁のテロ情報漏洩の方が重大な失策なのに、こちらはどこかに消えてしまった。民主党が裏でマスコミと示し合わせているかのような感じもするくらいだ。時の政権は常に批判される側だから、その批判が本質的でなければ政権は安心して馬耳東風だ。今回,情報公開に関する民主党の動きは政党基本方針と逆行するものである。民主党というのは八岐大蛇のように頭が多過ぎて情報を内部でもコントロールできない。ただ前に進むのもやっとこすっとこ。官僚が勝手に情報を出すのを嫌がる体質、だから、逆にリークされる。とにかく、官僚に横槍を入れるだけだからギクシャクする。このことは今後も問題だろう。

071.gif一連の問題に関する小生の見解だ。

1.尖閣列島における海上保安庁はきちんと使命を果たした。だから、国防論にまで議論を拡げる必要は無い。

2.菅直人は適当な時期に判断のつかない海上保安庁の現地に対して適切な政治判断を行なった。
海上保保安庁は政治的な判断を求めたから、逮捕してから起訴に至るタイミングを逸した。悪いのは前原の強気と菅総理の現実判断が一貫していなかったこと。

3.衝突映像だけを撮影した海上保安庁の映像情報は片手落ちであり、拿捕したシーンが無いままでは映像情報収集として不備である。また、国会で公開しなかっただけで、流出の恐れはあった。映像情報を機密扱いにした形跡が無いことが問題ではないか。

4.政府は情報を出さなかった「政治的」理由をきちんと説明してほしい。司法における訴訟法の範囲での解釈しかしていない。石原伸晃とか小泉程度のチンピラの追究に耐えられないようなら、もう民主党は終わっている。
  
5.情報漏洩者は海上保安庁の組織ルールに従い処罰すべきだ。

情報公開、しかも世界中に流れるYou-Tubeに故意に流した行為は国会で映像が公開され、議論が行なわれている中で行なわれた。そのような時に故意に映像を公開することは組織の利益を損なう。もし、情報漏洩に処罰がなされなければこの事が残す禍根は大きい。懲戒免職など内部処罰すべきことで大阪地検の情報書き換えとは質的に違う。守秘義務違反で刑事罰の問題になるのだろうか、罰金程度、厳しくてもセクハラとか、痴漢事件ほどのことだ。

6.マスコミが漏洩当事者を批判する事も報道することも勝手だが、これに便乗して過渡に批判したり擁護することを責任ある立場の人間は慎むべきで、偏狭なナショナリズムを刺激するのはやめてもらいたい。

040.gif 石原都知事は自分の都庁でこのようなことが起きたらどうするのだろうか。また、鳩山のように、この程度の情報が漏れたことをクーデターだとか軽率に定義する段階ではない。野郎だまってろ!
 

071.gif この一連の事件に関して、自民党も、マスコミも短絡的な意見が多すぎる。専制君主的な判断を期待するのか。民主国家の我が国にヒットラーの登場を待ち望むような論調は控えてもらいたい。野党は領海侵犯を国防問題と結びつけ、一方、公務員の情報漏洩を組織のガバナンス不良ではなく,刑事罰にあたるかどうかが論点になってしまっている。野党はマスコミに便乗した攻撃ではなく、自らの政治外交的な主張にもとづき見解を述べるべきだ。小さな事件が大事件に、さらに戦争には発展することは歴史にはあるにせよ、これを止めることが政治であり、歴史の知恵である。かつて、金正男が不法入獄で逮捕されたときに当時の政権が何をしたかをふまえて野党は批判すべきです。

 海上保安庁の情報漏洩は、仙谷長官の刑事罰方向の議論ではなく、むしろ、警察庁の情報漏洩、さらには国民の情報、年金や住基ネットの情報リスク管理の方に関係があるのではないか。これは巧妙な問題のすり替えだ。民主党は自党に不利な情報のを抑えることに汲々としている。これまでも民主党は官公庁の情報が国民の利益というより、自党の利益に結びつけ、情報を公開しようとしない傾向が著しい。今回はその反発なのだ。

 日本は世界の経済大国であり、軍備も独立国として相応しい自立した内容であるべきだという主張ももっともだ。しかし、こうした原則論は政治家としてあまりにも舌足らずです。政治家はこれを実現する為の道筋を示すのが仕事の筈でしょう。自民党の議員などには、日本は核武装して軍事もアメリカとの依存から脱する空論を売りにしようとする輩もいる。核武装というのは原発技術があるからと言って簡単にできることではない。技術的だけではない運用できるよう意思決定の仕組み。また、技術的には運搬手段も小型化も必要。これを誰がどのようにするかだ。このような人は日本の戦争の敗北とアジアを戦火に巻き込んだ歴史をどのように考えているのだろうか。勿論憲法改正とか、そこに至るには長い道のりがある。一体どんなプロセスを前提にしているのか、このことを抜きに、強弁な主張はありえない。

 しかし、今回の事件は、一介の、軽薄な漁船の船長が行なった無謀な行為だとすれば、話が大げさすぎないか。漁船の体当りが、結局、核武装に結びつけるのは無理がある。日本と中国の経済交流もストップするに値するとは思えない。まさか、くだらない船長の跳ね上がりに中国は軍艦を出すとは思わない。ここで、海上自衛隊が出動することを期待しているのだろうか。それに対して今後、日本の出方によっては中国は海軍の船を日本よりは簡単に出す事が出来る。その時に対抗策はアメリカの協力を取りつけるしかない。沖縄の地勢的重要性を沖縄の知事は認識していない。1万人が基地で働く地域をアメリカ抜きに守ることも出来ないはず。
 かつて、北方領土で我が国の漁船がソ連の警備艇に拿捕されたり、銃撃されたりしても、マスコミは三面記事扱いだったではないか。当時の政権は見て見ぬ振りだった。その時、国民はどれだけ悔しい思いをしたか思い出してもらいたい。日本より大きな海軍を持つ中国、そして、多くの民間企業や日本人が経済的に奥深く関わっている国にかつてのソ連がしたような事が出来るわけがない。今でも拿捕される漁船の為に日本人はデモをソ連大使館にしたことがあるのか。抗議して来たのは漁民の家族だけではなかったか。真摯に取り組んだのは鈴木宗男です。
 
 というより、今回、公務執行妨害と領海侵犯で逮捕し、拘留したことで充分ではないか。体当りされて逮捕もせず、逃がした訳でもない。拿捕したときの映像はないのだから、海上保安庁の活躍を主張するにしても片手落ちであることをこの情報漏洩当時者保安官は考えなかった。

 我が国は地勢的には北にロシア、西に中国と言う大国を控えている。島国であるという利点があるからこそ、安心して暮らして行けるのが日本だ。北朝鮮がまさにロシアと中国に国境を接し、大国の厳しい圧力に曝されているが故に核を持ちたがるのだ。韓国は北朝鮮と未だに休戦状態だが、アメリカの核に期待し、核兵器は持たない。38度線があるから日本人は枕を高くして寝られる。また、万一、それを使用することなど、自国の破滅を招く。万一、アメリカが北朝鮮に核で攻撃したら、風下にあたる日本は放射線汚染で被害を受けることは間違いない。

 日本に取って中国や北朝鮮の核はどこまで脅威なのだろうか。この分析もせずに強硬論は危険な議論だ。弱体政権どうしだが、オバマと菅直人がとりあえず、普天間問題、いや、鳩山政権以来ぎくしゃくしていた日米関係を修復しようとしたことは成果として認めるべきだ。自民党はこれまでの領土問題に関する不作為や怠慢への反省がない。人には求めて自分は反省しないのが野党か、国防に関するビジョンが無いまま批判だけを繰り返せばかつての野党としての民主党の誤りを繰り返すだけであろう。

 

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 私の生まれは九州、福岡県田川市だが、1949年に2歳で千葉県の市川市に転居した。家は父の勤務会社の社宅だった。google–earth で見たら60年前の2K、ふた間の小さな社宅の屋根が当時のまま見えたので驚いた。文豪永井荷風は戦後、昭和23年に菅野に移り、後に市川市八幡に住んでいた。彼の日記、断腸亭日常は麻布の偏奇館が舞台だが、戦災で焼け出され、各地を点々とした後、八幡住まいとなった。市川は関東大震災後多くの江戸っ子が移転し、さらに第二次大戦後深川や浅草などの人々が戦火を逃れて来た。
 かつて、国府台には高射砲連隊が首都の防空ににらみをきかせ、丘の途中、千葉商大につながる道に軍用の道路を思わせる塹壕のような深い切り通しがあった。隣の船橋市の奥には広大な習志野演習場があり、軍人の多い町でもあった。市川駅の前の国道の分離帯に大きな松の木があり、途中から三つ又になっていたので三本松と言われていた。これが落雷で一本になり、仕方なく、その横に2本の松が植えられて何とか三本松と言う地名を言い訳のように支えていた。

 総武線で江戸川を越えると国府台の丘と森が見える。そこが市川、さらに本八幡、下総中山となる。次の西船橋は船橋市だ。京成電車は国府台、真間、菅野、八幡、鬼越、中山である。自分が引越した頃は総武線の南側は一面水田地帯で、江戸川に近づくと用水とか、池、蓮田等が多くなる。近所の子供が池で溺れたので、母親は行くのをいやがったが、ザリガニが沢山いて子供の秘境だった。市川駅も高校時代まで、高架にはなっておらず、まだ、平屋だった。駅の北側、国道のさらに北は菅野の松林で一区画100坪以上の高級住宅が並んでいた。市川には多くの文人が暮らした。幸田露伴、北原白秋、魯迅、永井荷風、水木洋子などだ。画家では東山魁夷も近所に住んでいた。市川駅前のロータリーにはバラの花壇があり、式場病院が奉仕して手入れしていた。式場氏は放浪画家山下清を発掘した精神医だった。

 6歳くらいまでの記憶では、家の周りには江戸っ子が住んでいて、戦争中の疎開地でもあったことを物語る。隣には相撲の行司とか、芸者さんの母子家庭などもいた。市川は総武線沿線で、浅草や深川からの便が良かった。浅草橋の問屋街の主人や、江東区の鉄工所の社長が成功すると、菅野とか、八幡、中山などの松林の住宅地に大きな家を建てて優雅に暮らしていた。また、昔は2号を抱えている人も、自分は下町に住み、彼女を市川に、○○寓という表札で住まわせていた。町を歩くと路地の裏から三味線の音が聞こえた。山の手ならピアノの音だろうが、こちらは下町というより、江戸なのだ。市川駅南口から三本松前を北に、京成駅に続く道沿いには鈴本演芸場があって、田舎歌舞伎や寄席がかかっていた。

 永井荷風は浅草をよく歩き回っていた。ライカを愛した写真家、木村伊兵衛の浅草界隈の写真に鞄を抱えて歩く紳士の姿が写っているが、それは荷風ではないかと思う。浅草から寺島、玉ノ井が荷風の道。国際劇場の踊り子とか、ロック座のストリッパーが大好きで、彼女達も結構市川方面、小岩とか亀戸等に住んでいた。濹東奇譚の主人公お雪は宇都宮の芸者で玉ノ井に流れて来たが、もとは行徳の貧しい漁師の娘だったように記憶している。父親はよく総武線を夜遅く帰ると、電車で踊り子らしき若い女性と、古老の永井荷風が乗っていたり、近くの大黒屋という住宅街の駅前食堂に若い女性と飯を食べている姿を見たそうだ。京成八幡の駅から5分程のところに荷風の家はあった。サザエさんの家より小さな木造平屋で、垣根が家を囲んでいた。このあばら屋が1957年(78歳)、市川市八幡町四丁目の家で彼の終焉の地である。一人暮らしの荷風は、大黒屋のカツ丼が好きで、毎日のように行っていた。天丼は浅草の大黒屋の流れだろうか、色が濃い茶色の関東風の天ぷらだ。自炊もしていたらしい。彼は、年中行っていたから、踊り子とそこに行ったときは自分は食べずに、彼女が食べているのをじっと見ていたという。何とも、見られる方は迷惑だっただろう。江戸文化から古典文学に至る文学的素養と、スケベが同居した美の巨人のひとりが永井荷風だ。

 当時は外食の機会も無く、めったに食堂にも行かなかった。大体、寿司も、蕎麦も出前で家で食べるのが普通だった。自分も、大学受験で合格したとき、一家で大黒屋の鰻を食べに行った記憶がある。そんな時くらいしか食堂やレストランには行かなかった。今、八幡の京成八幡の南側は大規模な再開発がすすみ、風景も変わってしまった。かつては老舗の趣の会った大黒屋だが、今は永井荷風で有名なだけで、どこにでもある駅前食堂になってしまったのが、何となく物悲しい。

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 071.gif小生がT大医学部の医療政策大学院にいっていた時、同級生の医師がこぼしていた。これは医大に行ってはじめて知った驚きの話。国立大学病院の看護師は仕事をしないという厳しい指摘。自分が三井記念病院に入院していた時、看護師の忙しさや、きめ細かに単純作業をこなす彼女達に感動した。医師は時々しか顔を出さない。判断を要する事以外は殆ど彼女達が担っているという感じもある。ICUや術後の療養病棟では天使に見えたもんだ。大学病院でも多くの若い看護師は頑張っている。患者の事を考えないいい加減な医師もいるだろうから、彼女達のいい分もある。これはあくまでも、医師の愚痴だということである。この手の話で難しいのは全員がそうだと言っていないことだ。多分、古参の一部看護師だと思うが、同じ話は別の人からも聞いている。

 じゃあ、国立大学病院の彼女達は何をしているのかと言うと、患者から見える部分だが、剃毛、爪を切る、薬を飲ませる、目薬をさす、軟膏を塗る湿布を貼る、喀痰の吸引、血圧や脈拍の測定と記録、インシュリンの注射、人工呼吸器の停電時の対応人工呼吸器の加湿用の水の継ぎ足し、導尿バッグの交換などが仕事に見える。あとはベッドのシーツ交換や清掃といったことで、美容院や床屋、ホテル業務に近い。医療部分が無いだけホテルの方が楽だが。連絡会議とか、病棟カンファレンスにも出るんだろう。
 ところが、看護計画とか結構お勉強や、研究会等も一人前にあって、さらに学会のお手伝いなどで頭がいっぱいなのだ。中にはあまりお勉強が得意で無かった人もいる。誰も読まないような論文を書かされて大変だ。だから、テーマはいつも決まって所管科の看護のありかた、ましな人はクリニカルパスとか、医療連携などだ。医学部と看護大学や専門学校では偏差値は天と地というのが現実だ。学力が無い。一応医師の指示によって注射とかはするが、少し高度なことはやらないんだそうだ。静脈注射、採血、要は体の侵襲という行為は治療であって出来ない。えっ看護師は医療をやるんじゃないの?普通の病院でやっている事が出来ないって何だ。医療行為は危険が一ぱいだ。点滴のミスで死亡する医療事故が後を絶たない。横浜市立大学病院では患者を取り違えたが、これは看護師のミスだ。たるんだ看護師がひとたび間違えると取り返しのつかない事になり、医師や病院全体が社会的制裁を受ける。国立大学は不祥事に弱い。ヒヤリハッと運動とは良く言ったものだ。君子危うきに近寄らず。患者が転倒したり、ベッドから落ちたら大変だ。安全委員会担当の古参看護師が嬉々としてして働く。これは彼女の唯一の仕事かもしれない。
 これが私立大学病院となると事情が違う。私立大学は付属病院の診療実績が大学の経営に必須で、経営改善や優秀な医師のスカウトに熱心だし患者の印象を良くするために看護師の教育も怠り無くやっている。医療行為も拡大解釈でできるだけ看護師にもやらせる。大学によって内容が違う。

 医師達はこぼすというより、憤りをもっていた。特に研修医だけではなく、若手の医師は彼女達からは自分の仕事を増やす元凶だから警戒される。患者の様態が悪くなって、必死で立ち向かっている時に、ナースステーションで同僚の送別の花束を渡して拍手しているとか、薬の箱一つ取ってくれない。間違いでもすれば大変だし、しかられるのも損だ。そのわりに、古参の看護師は医師の評価をしたり、治療の知識はあって、批判したり、内部告発等もやりかねない。医局の外野として医師を評価したりする。特に、他に就職先の少ない、地方国立大学病院に問題が多い。おまけに、彼女達は結構酒豪だったり、古参になれば研修医や若手の医師より給料が上だ。独身が多いから給料は家賃以外全部小遣い、グルメで、医師よりいい店に行っている。この話を聞くと大企業、特に一流会社のOLもそうだなと思い、つい共感してしまった。

 彼女達には病棟担当は夜勤もあるが、3交代制で休みもあるし残業もつく。給料も同世代の女性と比べ悪くない。看護という点ではいろいろな理屈があって、お勉強はしているが、医療知識は中途半端だ。知りあいの大学病院看護師は「解剖」もやったと豪語しているが、実態は系統解剖等医師だけでも大変な記憶力と労力のいる学問だから看護学校ではする訳は無い。要するに、見学なのだと思う。それを解剖の経験があると言っているのだ。学問と見学の差も分らないのだろうか。確かに彼女達の実態には問題がある。古参は病院経営上は早く辞めてもらいたいからたらい回しになる。職場を回って、病院の隅から隅まで知っているし、医局の人間関係、ゴシップも詳しい。必死で1年も耐えれば、したたかで要領も覚える。最後の砦は良心だろうが、サボり方も巧みだ。研修医とか、若手の医師は太刀打ちできない。部長の彼女かもしれないから見て見ぬ振り。

 しかし、多くの看護師は大学病院の経験を踏んで一般病院で頑張っている。問題は大学病院の特権的看護師のうまい味のために転職の機会を逸したグループなのだと思う。導尿、膀胱洗浄、胃瘻チューブや人工肛門の管理も出来ない。年を取ったら行き場が無い事に一番危機感を持っているのは彼らなのだ。年功制で給料は上がるから辞められない。そうするうちに年を取って病院経営の厄介者になる。その割りには高度な情報に接する機会は多い。

 では、看護師のレベルアップのために学歴を上げればいいのかというと、医師側は全くダメだと言う。彼らに取っては、自分の思うように動いてくれれば、そんな事はどうでもよい。准看護師の方が仕事さえ覚えていれば使い勝手がいい。看護師の知識レベルはあまりにも違いすぎるのだろうか。手術室の看護師は手術のことは詳しいのかと聞くと、そんな事は無いと言う。外来や、病棟で愛想が悪くて患者からクレームがついたような連中が来ることもあるという。確かに、手術室の看護師は職場としては緊張感や時間外の多さなど、一般病棟や外来に比べ割が合わないから、愛想も良くない。まあ、彼女達の知識なんぞどうでもいいのだろう。いまさら、修士や学士の看護師は処遇の面からも使いづらい。優秀な看護師が医師の仕事を分担してくれれば楽になるのではないかと思うのだが。アメリカでは5ランクくらい看護師の資格は分かれ、医療行為も出来るランクがある。イギリスでは10ランクに分かれている。それぞれ、試験を受ければ上昇できる。医師自身の封建的な考え方、自分達が研修医の時に苦労して来た事は忘れて、医療の仕組みは厚労省の実態を知らない官僚にまかせているから実態が改善されない。

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