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杉田米行 著 知っておきたいアメリカ意外史

 現代のアメリカの政治の底流となっているアメリカ史を問題別に簡単に述べている。しかし、歴史に関しては、確かな史観や学識によっているところが、安心して読める内容となっている。アメリカのオバマ政権が取り組む医療改革、妊娠中絶問題、人種問題、アジア政策など、全てにアメリカの歴史的な背景があり、実はこの事があまり日本では知られていない。結果だけがマスコミ等で喧伝されるからだ。

 アメリカ史のポイントは独立戦争、南北戦争、米英戦争、テキサスやキューバ支配につながる米西戦争、そして太平洋戦争とベトナム戦争だ。これらが、今日のアメリカの原点をなしている。民主党と共和党が南北戦争後どうなったのか、何故アメリカには共産党が育たないのか。さらに摩訶不思議なアメリカの医療制度。女性の権利がどのように拡大したか。中絶問題とは・・・・といったアメリカの社会問題の原点が分かり易く解説される

 アメリカの国歌の歌詞は実は酒場で歌われていた。スタースパンクルドバナーというアメリカ国歌は実は1812年の第二次英米戦争でのマックヘンリー要塞の防衛という詩にアナクレオンティックソサエティという音楽家クラブの歌「天国のアナクレオン」という歌が合体したもので、国歌になったのは1931年の事。第一次大戦中は大リーグのワールドシリーズで歌われた。そんなわけで、スポーツ大会に於いては切り離せない歌だった。

 アメリカの政治は黒人奴隷の問題とは切り離せない。現在のオバマ大統領の時も大統領夫人の先祖のことが話題になったが、実際この問題を巡って南北戦争も起きたのである。勿論、ヒューマニズムの問題より南部の自由貿易対北部の保護貿易、農業生産中心の奴隷承認州と工業中心の北部諸州との連邦分裂阻止の為の戦いであった。

 アメリカの医療改革がこれ程までこじれる原因は、第二次世界大戦中に職場健康保険が非課税となり、インフレ抑制策と賃金の平等性を確保する為の労働政策に対する企業側の対応として生まれたことに端を発している。ベトナム戦争は日本の仏印進駐から始まっている。

 二大政党の政策はこれも黒人の問題—公民権法を軸に南北戦争以来の勢力変化が生まれた。公民権法に反発を抱いた白人層に取り入った共和党で逆転した。公民権運動に対する共和党の戦略から南部に対して共和党が勢力を拡げるきっかけとなった。

 全体としては裏面史というより、アメリカ人なら高校生までの間に学校で習う内容の事が分かり易く語られている。しかし、経済学上も論争がある問題、ニューディール政策の効果に関して、ただ、第二次大戦によってアメリカ経済が回復したと言い切っていいのか、大統領のリーダーシップは見事だし、金融政策の成功は語られない。それぞれの問題はさらに大きな背景がある。アメリカ社会史に関する入門書としては優れ物だと思う。

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 先般、ホメオパーシーが学術会議で否定された。ホメオパシーというのはヨーロッパで普及している民間療法。本来害があるような物質を害がないレベルに薄めて砂糖玉にしみ込ませたものを飲む治療方法だ。自然治癒力を高める試みの一つである。歴史的に有名なエセ科学だ。加持祈祷のようなものかもしれないが、外国崇拝の日本人に取り入れられている。
 
 人間には本来持っている治癒能力というものが大きな働きをなしており、癌などで、これが負けてしまうと死に至るのだ。最近、ナチュラルキラー(NK)細胞とか、好中球、ヘルパーT細胞といった白血球のはたらきなども良くわかって来たがこれをどうやって集中的に、かつ、適当なタイミングで増殖させるかに関してはなかなか上手く行っていない。骨髄を刺激して白血球を増殖させる薬はあるが、一時的なもの。これら一部はリンパ腺でも作られる。T細胞は骨髄で産生された前駆細胞が胸腺での選択を経て分化成熟したものであって、細胞の表面にT細胞に特徴的なT細胞受容体
(T cell receptor;TCR)を発現している。末梢血中のリンパ球の70〜80%を占める。

 プラセーボ効果というものにも科学的な説明がなかなか出来ない。偽薬でも効いてしまうのが我々の体だ。だから、薬の治験は大変なのだ。治験での第二相盲検試験はそこを試験するが、大体このために2年くらいはかかる。タミフルが脳に作用するということで、騒動があったがこれも分らない。人間の脳には薬品の働きをブロックする機能があることが知られているが、タミフルがこれをすり抜けている場合があるという。とはいえ、これを立証するのは難しい。異常行動で亡くなった子供の脳からごく微量のタミフル成分を抽出するのは難しい。

 ホメオパシーというのは恐らく、人間の治癒力を増強する効果を狙っており、その効果はプラセーボ効果だろう。でも、効けばいいのだから、それを対抗的に否定する事もない。一方、ホメオパシー派には現代医療を否定してかかる一派もいる。これもおかしい。自然治癒は現代医療と競合する話ではない。現代医療は統計的な手法で効果を測定して来た。医療を否定する人達はやはり、自分達の方法を統計的に立証すべきだ。一方、医療界では自然治癒について、実際には多くの研究者が取り組んでいる。しかし、さらに研究をすべきだが残念な事に製薬業界の取り組みが今ひとつ足りないのではないだろうか。研究者だけでは資金も設備も不足する。製薬業界は実は少し効く薬を大量に売ることが一番利益につながる。だから、そうした研究には不熱心だ。
 
 現代医療においても、60%以上の人に確実に効く薬というのは相当に効く部類だ。では残り40%の人は別の薬か、自然治癒しているということだ。癌などでも、毎年30万人近くの方が亡くなっているが、その内千人ほどは自然治癒している人がいる。奇跡とか、あれは癌ではなかったからだとか医療では言われる。10年以上も累積すると何万人かはそうした人がいるのだ。大まかに言えばがんも治癒力と癌勢力との戦いで、必ずしも腫瘍が大きくなってからだが破裂して死ぬ訳ではない。血管を破って出血死することはあるが、大抵免疫力が低下して肺炎とか、癌細胞から出る毒素に衰弱して、抵抗できなくなり、これに破れた時に人は死ぬのだ。
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アメリカ合衆国の健康保険

 アメリカ合衆国では健康保険に入っていない人々が4500万人もおり、これが不況の影響で拡大していることがしばしば伝えられる。しかし、移民を受け入れて来たアメリカにはそれなりに事情がある。艱難辛苦の結果、今日の地位を得てきた二世三世と移住したばかりの国民との政策に対する期待感が違う。移住して来たばかりのアメリカ人や黒人等の低所得者層は保険に入る収入も無い。こうしたグループが日本とは桁違いのスケールであるということだ。エスタブリッシュメント達を始め、中間層はこれらの人々に対して厳しい感覚を持っている。何故、自分達の税金が彼らに使われ、そして、自分達の地位が脅かされなければならないのかということだ。

 自助努力の国アメリカでは個人的な領域である健康という問題に国家が介入することへの嫌悪感もある。アメリカの保険制度では企業のフリンジベネフィットとして健康保険が用意されている。また、マネージドケアという形でHMO制度に個人加入している人もいる。高齢者でればメディケア、低所得者はメディケイドである。さらにPPO,POSという仕組みもあり、100を越える多様な仕組みがある。これが、又膨大な医療事務費を生み出し、非効率につながっている。さらに積み立て方式の健康保険もある。HSAという医療貯蓄口座でブッシュ政権時に作られた。財形のようなもので、医療費に拠出した分は非課税である。しかし、こうした保険負担は企業にとっても、個人にも重圧となっている。また、高度医療は進化するが、コストもかかる。一部の人の高いニーズを満足する為に膨大な医療費が使われている。アメリカの医療費はGDP比世界一であるが、医、命の平等という点からほど遠い。これが更なる保険料の上昇と医療費の上昇を招いていることに手を打つべき時期に来ている。

 企業福祉としての健康保険は戦争中の統制経済の中、給与に差がつけられなかった企業が、健康保険のメリットの違いで雇用確保に走ったからである。かつてクリントン政権が国民皆保険を法制化しようとして失敗したのは、医師会からのロビー活動で、猛烈な反対運動を起こされた。皆保険絵では医療の質が確保できないという理由である。テレビ番組でアメリカの病院が出てくる。ERなどはまさに救急救命室ということで、患者の所得レベルは低く、緊急に駆けつけてきた患者を迅速に処理しなければならず、ドラマの中で見られるが、医療ミスがあるし、患者の方も銃撃で重症を負った人とか、交通事故などで、必ずしも医療レベルは高くはないが、様々な患者に一人の医師が対応する場面が印象的だ。だからそうした所では医療事故も多く、医師はしばしば訴訟に巻き込まれるし、実際その治療にかかわるミスで、年間44,000人〜98,000人が亡くなっているという統計もある。平均的な医療水準は必ずしも高くないのだ。 

 アメリカの病院の医師の数は日本の8倍、看護師の数も多く、その中でも事故が多いの。確かにアメリカの高度医療のレベルに対して、普通の人はこれを必ずしも受けられる訳でもなく、医療保険の査定と、事故の恐怖とも戦わなければならない。それに比べて日本の医療は低い医療費と、一定レベルの医療水準が確保されていると言う点で世界的には高い評価を得ている。ただ、地域格差とか、病院格差、情報公開が進んでいないのである。
 
 ブッシュ政権においては市場原理主義がまかり通っていた。当時の医療政策では薬代の補填措置が社会保障て行なわれるようになった。しかし、アメリカの高度医療はコストも高く、高度医療であるほど費用はうなぎ上りになる。そこで保険財政が圧迫され続けるという悪循環に陥っている。オバマ政権はとうとう2010年4月に国民皆保険の法制化を議会で可決。新しい皆保険制度が始まる。


HMO,POS,PPO
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 突撃レポーター梨本さんが肺がんで亡くなった。入院して2ヶ月、65歳という早すぎる死はテレビで衝撃的に伝えられた。ご冥福を祈る次第である。テレビで亡くなる2週間前の映像も放映された。抗がん剤で頭の毛が抜けている。それでも、彼は仕事に向かっている。これは仕事人間の宿命だろうか。仕事に尽くすという男の生き方として壮絶な感じはあったが、正直なところ、病気に向かう人にあり方として疑問に感じるところもあった。彼は治療を続け、抗がん剤の点滴をしたまま仕事をしていた。これも生き方なのだろうか。
 抗がん剤の治療をしてあれほど早く亡くなられるとは驚きだ。恐らく、2度目の抗がん剤の副作用があったのではないだろうか。イレッサとか、分子標的型の薬は間質性肺炎になると治りにくいからだ。御本人は新薬ということで、仕事もやる気だったと思う。

 肺癌という厳しい病いを前に誰でもたじろぐ。彼の肺がんは恐らく、進行の早い種類で、抗がん剤も選択が難しいものだろう。これまでの生活の中で死を迎えたいという気持ちも分る。これは死の恐怖から逃れる方法の一つだろう。しかし、自分は人間病気になったら、自分の残り少ない命を家族と分かち合う事をもっと考えてもらいたい。肺がんのみならず、膵臓がんや末期がんは難治性だが、それでも頑張れば半年とか1年は延命でき、多くの人とも触れあえる。そして、病気という現実に向かい合っていかざるを得ない。そうした中で、何が大切かと言うと、仕事よりも、自分の病気を見つめ、何とか抵抗力、免疫力を高める努力こそレポーターとはいえ一種のテレビタレントとして皆に示してもらいたかった。どうせ死ぬなら、むしろ、効かない抗がん剤なんぞ止めて、家族と楽しい旅行やくつろいだひと時を過ごすことが男の生き方として堂々としている。

 よく、癌になっても平常の生活を送り頑張っている方もおられ、また、治療の方法によってはそれも可能だ。実は癌といっても、痛みが出たり、動けなくなるのは最後の2〜3ヶ月くらい前からで、それまでは大体元気だし緩和ケアの技術も進んでいる。しかし、病気になったらそれと対峙し、一生懸命意識を集中することも大切だ。昔、結核療養所で生き抜いた人の話が印象に残っている。結核はかつて死病であった。療養というのは、時間はたっぷりある。だから、余命を楽しむがごとく、絵を書いたり、趣味に没頭している人が結構いたが、そうした人は殆ど生き残る事はなかったという。病というのは罹ったらそれに目をそらしてはいけないのだと言っている。癌と共に生き抜くという選択もあるのだ。
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アメリカ合衆国という国について、意外と我々は知らない。もちろんニューヨークやロサンジェルス、アメリカ大リーグはテレビで中継もする。音楽や映画などMade in USAが巷には多量に出回っている。しかし、アメリカ人と出会う機会は普通は少ないし、東京でも、外国人といっても最近は中国人、韓国人、カナダ人や東欧等からの人もいて、外人といえばアメリカ人という時代はむしろ50年程前の事だ。自分の子供時代の記憶ではベトナム戦争時まで街にいたのはアメリカ人だったのだが。今自分が通っている剣道の道場には外国人が10人程来るが、アメリカ人は一人もいない。イギリス、チェコ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、ドイツなど。アメリカ人がたまに来てもアジア系だったりする。まあ、ハワイなど気楽に行けるし、旅行代理店に頼まなくても、若者は格安航空券でどんどん渡米し、レンタカー借りてアメリカ大陸横断などもこなしてしまう。語学留学する方も多い。CNNニュースなどでラリーキングライブも見る事が出来る。しかし、いざアメリカの企業、文化や歴史という面からは、マスコミで流された一面的な報道ばかりだ。

日本に入るアメリカ合衆国の情報は相当に偏っている。ハリウッドから見るアメリカは実際はユダヤ人的な観点だったりする。アメリカのオバマ政権の対外政策、アフガンやイラクの戦争もアメリカだが、毎週教会に行ったり、福音派の信徒の生活などは伝わってこない。黒人やヒスパニック系、アジア系のアメリカ人など非白人は既に全体のなかでマジョリティになっている。本当のアメリカは何かというと50州毎に違う国と文化があるし、民族毎にも違う。メルテイングポットとかサラダボウルともいわれているアメリカだが、彼らの最大公約数になているものがニューヨークであり、アメリカ軍であり、ベースボールやバスケットボール、フットボール、オリンピックのアメリカだ。最小公倍数で考えると、民族であり、地域であり、個人ということだ。これらを併せれば我々には計り知れない大きな世界。途方もない金持ちからホームレスまで、多額の寄付をする善意から、獣のような犯罪人までいる。ノーベル賞受賞者がごろごろいるハーバード大学から、日本と中国の区別もつかないアホまで。とにかく幅が広い。楽しそうな自由な小学生、青春を謳歌してダンスパーティを楽しめる高校生もいるが、そうした中で苛めや、銃による殺人、麻薬、妊娠など日本では驚かされる事件も普通にある。とにかくタフな国だ。彼らは日本にはあまり関心がない。むしろ方向は中国を向いているだろう。カナダやオーストラリアは日本が好きな国だ。日本人は実はアメリカという国を知らないのだ。普天間の問題でアメリカが日本に何をしようとしていたか。外交においても軍事においても、アメリカに留学体験のある鳩山元首相ですらあの程度なのだ。彼らの方向から日本がどう見えるのか、何を求めているのかを読みながらお付き合いしないから、アメリカ人にとって日本というのは分けの分からない、つまらん勝手な国なのだ。

我々は世界史でアメリカの南北戦争のことは知っている。黒人奴隷解放が争点となった事も知っている。しかし、当時の奴隷制度の事は殆ど高校ですら教えない。アフリカから連れてこられた黒人は捕まってから長い航海の末、半分しか生き残らなかったこと。彼らを捕捉し、奴隷にしたのはアフリカでの内戦や勢力争いに明け暮れ、武器欲しさに奴隷を商売にした黒人国王達だ。だからといってそれを商売にしたヨーロッパ人の罪は消えないが。南部諸州でたしかに黒人は沢山奴隷として使役されたいたが、これは19世紀後半からで、その需要は20倍にもなった。綿花の栽培が盛んになったからだ。20人以上黒人のいた農園は3%ほど。殆どが10人以下で、奴隷を雇わない農場の方が多かった。彼らの生活は北部の都市にいた自由な黒人より、生活は豊かで、それなりに生活は確保されていたこと。風と共に去りぬという映画でも家事をする奴隷から、農場奴隷までいたが、それほどの人数はいない。北部諸州でも黒人奴隷を認めていた州もあった。リンカーンも最初は解放宣言までは考えていなかったが、戦争の進展とともに黒人を味方につけた方が有利だと判断したからこれを行なって戦争を有利に進めた。南北戦争が北部の工業中心の諸州と単一作物である綿花を中心にし、農業とイギリスとの関係を重視した南部が、独立戦争、ナポレオン戦争、英米戦争(1812年)以来の連続性がある。北部と対立せざるを得なかった事情等教師は教えてくれたが、°奴隷解放が便宜的である事くらいだった。これでは歴史を学んだことにはならない。

日本で2009年に発生した殺人事件(未遂を含む)は、前年比で15.4%減の1097件。戦後最少。アメリカのニューヨークも殺人が減少しているが、それでもこの街だけで、600件を越える。10万人あたりではアメリカ 6.8人で2.1万人だ。これは日本の 0.62人の10倍だ。しかし、自殺者数は日本の3万人が突出している。日本では自分を殺している。アメリカの場合大体日本と同じ3万人ほどだから自殺者と併せればアメリカの方が少ないのだ。アメリカの人口は3億900万人日本の1億2790人で2.4倍だから日本の方が異常な数字だ。不慮の死というのは人間に不幸をもたらすが、その場合は日本の方が事情は悪いということだ。
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 戦争中アメリカ国内の日系人はアメリカ国内の辺境の地に作られた収容所に強制的に送られた。
彼らの財産は保管されたものもあったが、着の身着のままで送られた家族が多かった。
この収容所は粗末なバラックで作られ、外部に出ることが禁じられた。収容所の内部は自治が行なわれた。農業関係者の多かった日系人は野菜等の作物を作り、自給する事が出来た。

Manzanar(California)  10,000人   Tule Lake(California)     16,000人
Poston(Arizona)    20,000人   Gila River(Arizona)       15,000人
Minidoka(Idaho)     10,000人   Heart Mountain(Wyoming)  10,000人
Granada(Colorado)    8,000人   Topaz(Utah)         10,000人
Rohwer(Arkansas)   10,000人   Jerome(Arkansas)      10,000人

 これは第二次大戦中のアメリカの日系人強制収容所とその収容人数である。12万人以上である。この日系人に対する扱い方について1980年代にレーガン大統領が謝罪し、8万人の生き残りは一人当たり2万ドルの補償を受けた。その影には日系人の政府に対する抗議と日本人部隊442連帯の欧州戦線における活躍と犠牲があった。日系人は大戦中のアメリカ軍の中で最高の軍功を上げた。モンテカシーノやバルジ戦線で上げた功績は目覚ましいものがあった。シルバースターやパープルハート等の戦功賞は全米部隊の中で1番であった。

 彼らの生活を収容所の宮武東洋という写真家が撮り続けた。これを見ていると、当時の日本人より食生活も、服装もよく、彼らが権利を奪われたことに抗議をする理由が分らない程だ。しかし、これはアメリカが勝ち戦だったからで、もし、日本軍が攻勢であったらどんな目にあったかは分らない。その収容所はまさにドイツのアウシュビッツのような形をしていた。アメリカという自由を標榜する国において、日系人だけが人種差別的に収容されたという事実はアメリカ社会に反省をもたらしたが、この歴史の事も、二世部隊の活躍も知っているアメリカ人は少なくなっている。

 大戦前の日系一世や二世は、黄色人種排斥の運動もあったため、アメリカで苦労していた。彼らは勤勉すぎるという理由で迫害された。そうした中で、二世や三世を日本で教育させたいと思う人も多かった。戦争が始まり、日本の学校に取り残され、日本の国籍を持った人は学徒動員で日本軍人とならざるを得ない人もいた。一橋の剣道部の松藤先輩もその一人で、彼は特攻隊員として沖縄に出撃し、戦死された。
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大阪府立成人病センターの医師へのインタビューをもとに編集されている。
今や国民の半分が人生のどこかで癌に罹る。癌で死ぬ人は30%。3年前にようやく、癌基本法が制定され、地域癌登録が制度化された。先進諸国に比べて、何で今頃という感じがあるが、とにかくスタートしたのだ。しかし、大阪府では1962年から癌登録事業を薦めて来た。ところが、今なお地域がん登録事業に取り組んでいる自治体は35でしかない。特に、東京都はまだである。これは東京という1,300万人の人口と、880万人の差ということもあるし、東京との場合、埼玉、千葉、神奈川から県をまたがって治療にくるから、地域統計を取るのが難しいという事情もある。しかし、癌の罹患率、5年目、10年目の相対生存率、どんな性の人が、そのステージで癌に罹り、どう診断され、治療されたか。これが地域毎に統計的に整理されなければ、医師は正確な判断を下せないだろう。大阪府立成人病センターはこの大阪の癌統計事業の中核としてデータの蓄積を行なって来た。近年、胃がんで死ぬ人は減っている。これが、癌になる人が減ったのか、早期発見やピロリ菌除去によるのか、手術の成果なのかは統計によらなければ分らないだろう。実際、大阪府の統計では癌に罹る人が減っているのである。これは冷蔵庫の普及により、長い間に塩分の多い食品の摂取量が減った事の影響が大きいと言う。これは世界的な傾向なのである。東京では結局、大きな病院で、癌毎の治癒率の高い病院を選ぶしかないだろう。胃がんに関しては、病院格差が下がっているそうである。国を挙げてがんと戦うといってもこうしたデータもなく何を戦うのだろう。相手の戦力や自分達の成果も分らないまま、国が何を出来るのか。この国之の政府のやる事は泥縄式だ。
この本では、難治癌といわれるステージ、膵臓、胃がん、乳癌、白血病、肺がん、子宮がんなどの府立病院の医師達の奮闘による治療の歴史と成果が語られる。癌治療もここまできたのかと思わせてくれる。心強いルポである。決して、先端医療機器や技術の紹介にとどまらず、長い医師達の奮闘の結果が語られ散ると言う点、著者のルポの力量であろう。
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 DNAの役割はセントラルドグマとして知っている。DNAがmRNAに転写され、コドンでたんぱく質が生成される。そこでは様々な酵素が働く。どのような影響が癌を発生させ,増殖するのか。損傷したDNAは修復されるが何故修復されず、さらに癌細胞という分裂を繰り返し、肥大し続ける細胞が生まれるのか。さらに、特定の部位や種類に応じて因子がかかわるのか。このあたりが、薬理学というより分子の世界で説明される。今や、分子標的薬であるゲフィニチブ、イマチニブとか、乳癌の抗がん愛、ハーセプチンが何故効くのか、また、効かなくなるのか、全て、細胞内部のDNAにかかわる分子生物学的な説明によるわけではなくなった。レトロウィルスではRNAからDNAに転写が行なわれる。逆にレトロウイルスを使った研究で、発ガンの仕組みが分るようになって来た。

 しかし、これらの説明も実験でその機序が発見され、説明できるようになっただけである。そのメカニズムが分って薬が発明されているとは言えない。今なお、癌の薬は手探りの中で偶然に支配されている。これを科学的に解明しようとすると複雑な仕組みがさらに迷路のような世界になる。仕組みを理解するより、漢方のように結果で効くものから手探りで見つけて来たのが抗がん剤の世界だ。そもそも、第一次大戦で、毒ガスのマスタードガスを吸って倒れた傷病兵の白血球数が減小した事例が発見された。そこで白血病に対する治療につながる抗がん剤を思いついた。乳癌の抗がん剤タキソールは「いちい」の木から抽出したエキスをアルコール溶剤で溶いたものが主成分だ。漢方と近い経験則で薬が開発されている。効く物なら何でもいいのだ。医療側では癌に関して治療レベルでは手術と放射線、抗がん剤しか手はない。一方、患者側は食生活や禁煙等のライフスタイルの改善しか手はないがその効果は立証されていない。もちろん、それぞれの医療分野では技術的には高度化してはいる。ただ、胃がんや肺がん、代表的な癌では早期発見が確実な方法だが、治療成果もあがっている。大腸がんや胃がん、乳癌では初期での完治率が高い。治癒率が向上したのが白血病である。抗がん剤も驚く程夫々の部位に応じた薬は少ない。一番種類の多いのが乳癌である。

 癌はDNA-遺伝子の転写ミスが繰り返され、また、間違ったDNA配列がコピーされる。さらに細胞分裂が止まらない状態となり、限りなく増殖することによって、様々な障害を引き起こす。その原因は多様である。細胞に対して様々な因子がその増殖にかかわる。その一つ、EGF因子が細胞内にEGFRという受容体を形成すると、それにリンが結合し、PーShcという酵素を出現させる。これがDNAに働きかけるたんぱく質 Ras ,Stat、P13キナーゼという部分を狂わせる。この増殖シグナルがつきっぱなしになるので増殖を繰り返しがん化する。しかし、これは3カ所が一緒に異常になることで発生する。その結果、癌細胞の細胞分裂が繰り返し行なわれ、さらに癌細胞胞の浸潤、運動、増殖を刺激し、加えて腫瘍血管増殖も促進する。このような複雑な過程で癌細胞は発現するのである。これは扁平上皮癌などの発現の仕組みであり、分った部分は全体からはほんの一部である。放射線が影響してDNAに異常を起こす場合もあるし、その解明は気が遠くなるような多様性を持っている。慢性骨髄性白血病ではEGFRとリンではなく、BCR-ABLという遺伝子ががRas,Stat,P13キナーゼに働きかけ、細胞増殖シグナルを出し続ける。多発性大腸ポリポーシスではAPCとかRas系遺伝子とか,P53という遺伝子が異常となる。APCは癌化を抑制する機能があるため、これが狂うとブレーキが利かなくなる。癌によってはいくつかの段階を経て癌化するという説がある。
 
 こうした発ガンのメカニズムを説明しつつ、最先端の分子標的抗がん剤や、癌の耐性といった薬理を説明したもの。しかし、その内容は門外漢には難しい。セントラルドグマの仕組みから丁寧に説明しているが、それだけに、詳しくする程分らなくなってくる。途中で挿入されるエピソードも理解を妨げる。教科書としては無駄が多い。しかし、さっと一読すると、癌発生のメカニズムの複雑さと、抗がん剤がなかなか開発されない理由が分る。そもそもが、著者も確信を全て理解している訳ではなく、仮説の段階の部分もある。とても複雑で難解な世界なのだ。

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 乳癌の胸椎転移、胸腺と肝臓にも転移しているということから、末期がんであと1年の命と言われたが、何とか生き延びてきた。抗がん剤には抵抗のある方もおられると思うが、乳癌は最も抗がん剤の進歩が進んでいる分野だ。抗がん剤の使用遍歴をご紹介いたしたい。
 腰の激痛がはじまり、東京医科歯科大学付属病院に入院して以来、もう4年になる。胸椎の転移は、もう手術できる段階ではないと言われ、放射線照射となった。乳癌は骨に転移すると破骨細胞が活性化して骨を壊し、骨折状態にしてしまう。これが神経を圧迫して下半身が不随になる。身障1級となったのだ。6ヶ月間の入院生活から在宅に移り、抗がん剤治療が続く。
 癌は消えていないがこの4年間、何とか共生している。乳癌に特有の酵素、HER2が陰性か陽性かで、薬の選択肢が変わる。陽性は進行性であるが、近年ハーセプチンという分子標的型の抗がん剤が出て、延命期間が飛躍的に伸びた。
 HR2陰性のために分指標的型の新薬ハーセプチンは使えないということであった。これは進行性の場合に使われるので、逆に進行が遅い方だからがっかりすることはないと慰められた。入院して1ヶ月後から抗がん剤治療となった。赤い色の薬を点滴で入れるが、尿も真っ赤で不気味だ。担当医に何の薬ですかといくとFECとホルモン剤による治療だという。FECというのは抗がん剤の多剤併用療法で、5-FUの一般名フルオロウラシル(F)とファルモルビシンの一般名塩酸エピルビシン(E)とエンドキサンの一般名シクロホスファミド(C)の頭文字をとった略称。併用の組み合せ薬、タキソールは使わなかった。アルコール溶剤に拒絶反応が出たためである。乳癌の代表薬であるタキソールが使えないのは無念だが、どうせもう末期がんで何をやってもダメかもしれないと思ってあきらめた。しかし、アルコール溶剤を使わないタキソテールという選択も最後に残っている。
  FECの点滴は5クールであるが、骨髄抑制といって骨髄が白血球などの造血作用に支障が出ると中止する。最初は副作用もなかったが、2回目あたりから、毛が抜け始めた。吐き気もひどい。下半身不随だが医科歯科病院には1ヶ月しかいられない。これはどうも個人差もあるらしい。2度目の点滴から年末中野総合病院に転院した。吐き気はますますひどく、吐き気止め薬もなかなか効かない。どうも、食事をすると反射的に吐き気が始まる。片手で足が握れる程痩せてしまった。食事は殆ど吐いてしまう。苦しい日々が続いた。2月に入って4回目に入るところで白血球と赤血球が減少し始めたので中止。その後は半年間治療らしい治療はせずに4月から自宅で療養した。腰の痛みを抑えるためにオキシコンチンを使いはじめた。緩和医療に入ったのである。4月に退院し、在宅で半年ほどすると、何と、足が動くようになった。下半身麻痺がかなりあるので、導尿とお襁褓は外れなかったが。
 乳癌の大きさは変わらず、むしろ表皮が破れて出血が始まった。医師の勧めで手術することになった。手術すると癌が活性化する場合があるということを聞いたので嫌だったが、出血が止まらないので仕方なく結局姑息的に手術したのである。リンパ廓清はせずに、片方の癌化した乳房部分を除去した。執刀の石田先生の勧めで、その後、転移がんに効くというナベルビンの点滴をすることになった。あのつらい嘔吐と脱毛を思い出したが、今度はそのような副作用はないという。抗がん剤も色々あるのだ。乳癌は選択肢があるので有り難いと思わなければならない。ナベルビンの点滴は通院して行なった。毎週1回点滴し、4週目は休止する。病院には点滴室という簡易ベッドが並んだ部屋があって、似たような点滴患者が並んで寝ている。毎回1時間30分程じっと我慢しなければならない。
 ナベルビンは血管を痛めるのと、これが漏れると血管を痛めて大変なので注入する際、針の挿入には細心の注意が必要だ。この薬はハーセプチンとの併用で効果があるというが、転移のある場合に使われる。承認されたばかりの新薬で期待は大きかった。しかし、18ヶ月後その効果に疑問を持つようになった。
 この治療は1年半続いた。治療をはじめて2年目の夏、腫瘍マーカが上がっているというのでもうナベルビンは止めて、今度はゼローダを使うことにした。おまけに、胸水も溜っている。胸に針を刺して抜くと1300cc以上もあった。これでもう最後の段階かと思い落ち込んだ。ゼローダはタキソールを使えなくなった患者は後がなかった時代もあった、がその次の三次治療薬として03年に登場したものだ。後はタキソテールしか手はないのだろうか。ゼローダにかけた。すると、腫瘍マーカの値は安定するようになった。腫瘍マーカは絶対値よりもその変動、数字の変化で判断するようだ。この治療が2年間、今も続いている。不思議と胸水も溜っていない。何故かは分らないが良くなっている事は確かだ。ゼローダの延命効果はまだ分っていないそうだ。薬というのはその効果の判定に時間がかかるものだ。
 手術後6ヶ月後に、何と足が動くようになり、導尿を外せるようになった。尿取りパッドするが、自分で杖を使ってトイレに行けるようになったのだ。毎日のリハビリとマッサージも効果があったのだろう。恐らく、放射線放射で骨の圧迫が減り、神経が生きかえって来たのかもしれないが、先生は奇跡だと言ってくれた。胸からの出血が止まらないのには、もう末期だなあとあきらめの気持ちだったが、それを機に抗がん剤治療が始まったのだらから、まさに怪我の功名かもしれない。静かに在宅で死を迎えるつもりだったのだから。この3年間のQOLほ改善の一途である。
 今年に入って、ホルモン剤について主治医に聞くと、そう言えば前やっていたのに、何で止めたのかな、じゃあ始めましょうという。退院後、抗がん剤の治療による嘔吐が酷かったので手術をするまで、在宅で、訪問医療の診察だけで、薬も止めて食事療法だけで6ヶ月過ごしたことを思い出した。その間ホルモン剤も止めていたのだ。エストロゲン阻害剤は女性ホルモンの分泌を抑える効果があり、閉経前はノルバデックスを使うが、閉経後とは薬の使い方が違う。ホルモン療法は第三世代、新しい薬が登場し、効果が認められる。乳癌患者の70%は女性ホルモンエストロゲンの感受性があり、それが癌の発育に影響しているという。末期の転移癌でも効果があるのだ。閉経後の薬としてアリミデックス、フェマーラ、アロマシンがあるが、アロマシンを使うことになった。これとゼローダの治療が今も継続している。ゼローダは3週間続いて、1週休止期間を設ける。有り難いことに脱毛とか嘔吐といった副作用がない。足の皮が剥けて痒いのが副作用だが何とか我慢できる。体重の増加で肥満が気になる。夢のような話だ。
 足が動くようになったので、夏から外に出て散歩もするようになった。真夏は暑いので朝早く起きて杖は使うが近所の公園に行ってお茶を飲んで帰ってくるのが日課になりつつある。思えば4年前、あと1年くらいと言われたことが夢のようだ。治療をはじめて1年後、抗がん剤治療にこりごりしていた時もある。諦めていたが、姑息手術をして以来、いろいろな抗がん剤を使ったことになる。結果的には4年間何とか生きながらえ、5年目に入ろうとしている。中野総合病院のK先生、そして、手術を薦めてくれた I 先生、そして、東京医科歯科大学のN先生の治療のお陰である。また、在宅介護に来て頂いているヘルパー、訪問看護師のTさんや訪問医師のA先生にも感謝である。
 不思議なことに癌は消えないが成長がとまってくれている。このまま、癌と仲良く生きることになるのだろうか。薬が効いているうちだろうが、とにかく、今のゼローダとアロマシンで生きて行けるならば有り難い。
 末期癌になり、手術も抗がん剤治療のも諦めた時もあった。今の医療では転移癌の場合は手術しない。しかし、出血の対応のため手術したのである。同じようなケースの方がおられるかどうか分らないが、諦めずに頑張って頂きたい。とにかく、乳癌に関しては抗がん剤の進歩は少しづつではあるが、毎年進んでいる。効果の測定データも整って来た。抗がん剤治療に関しては積極的であるべき分野だ。これ程選択肢の多い癌はないのだそうだ。希望を持って良いと思う。抗がん剤に否定的な方もあると思うが、一概には言えない。特に、乳癌は積極的な使用が良いと思う。


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門田隆将氏はノンフィクション作家として活躍され、昨日の朝日新聞「五線譜」に彼が御巣鷹山日航機墜落事故についての記事が出ていた。彼は2ヶ月にわたり、遺族達を訪問し、取材された。ノンフィクション作家は確かに取材が命だし、このために色々な方にアポを取り、インタビューし、膨大な記録を編集しなければならない。体力仕事でもある。この根本中将の存在は全く知らなかったし、国共内戦の最後の戦いが、金門島で終わり、蒋介石の台湾支配が始まったことも知らなかった。蟻の兵隊といわれ、3000人程の日本兵が終戦後も中国に残り、内戦に参加し、多くの兵士が戦死されたことは自分も知っていた。根本中将は8月15日以降もソ連軍と戦い、在留邦人の保護と、35万人の日本軍の帰還を確保した名将である。蒋介石の信頼も厚く、国共内戦では最後の金門島の戦いで3万の中国軍を壊滅させ、毛沢東の台湾侵攻を阻止した大きな貢献をした根本中将の話である。根本 博中将は戦後、日本から台湾に密航し、蒋介石の恩に報いるという意味において金門島の戦いに参加した。関東軍が在留邦人を放置して、幹部もろとも脱出した満州は多くの悲劇を生んだ。戦後も残留孤児問題で長い間多くの人々を苦しめ、報道もなされた。著者の取材はアメリカの公文書館における蒋介石の文書から、台湾、重慶、福建省などにもわたり、精力的である。国民党軍は湯恩泊という司令官のもと、金門島を防衛、彼と、根本中将の作戦が功を奏した。しかし、台湾ではその2人とも歴史から抹殺されていた。それが、国民党の後退により、馬総統に政権が代わり再び評価されるようになった。
著者門田氏はノンフィクション作家として近年新しい境地に進みつつある。この分野はまさに宝探しのような世界だ。歴史に埋もれた真実を発掘し、世に問う。

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